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…
……
………
…………
……………
雲一つない空を見上げ、俺は赤く染まる太陽に手を伸ばす。
ほのかに感じる熱がほどよく気持ち良い。
コンクリートの絨毯に赤い信号。
我こそはと主張するビル群に見下ろされながら、赤いランプが青に変わるのを待ち続ける。
ここには光る魔法も無ければ剣も無い。
ましてや獰猛なモンスターなんかも居やしない。
……社会っていう難敵は居るが。
ふと、俺はため息を一つ吐きながら、青く変わった信号を確認してシマウマ模様の横断歩道を渡る。
首に巻かれたグレーのネクタイを鬱陶し気に緩めると、スーツで包まれる身体に涼しい風が吹き入れた。
おもむろに、俺はポケットからスマホを取り出しメールを開く。
文面には無機質な文字だけが浮かび上がっていた。
”時間厳守よ”
…分かってるっての。
あいつも相変わらずというか、字面だけ見てると怒ってるみたいだな。
3年も経てば俺だって変わる。
いや、根本的な所は変わってないのかもしれんが、少なくとも人付き合いにだってそれとなく歩み寄る程度には変わった……はず。
「…はぁ、日本の夏は蒸し暑いな」
容赦ない日差しに黒のスーツは熱を吸う。
ネクタイを緩めるだけじゃ耐えられず、俺はジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を2折ほど捲った。
ーーーーーー。
成田空港から電車とバスを乗り継ぐこと1時間。
目的地の住所を頼りに歩いていゆと、都内の片隅に如何にも怪しげなバー、”ダイシーカフェ”を見つける。
店の扉には小さな看板が掛けられており、本日貸し切りと記されていた。
トクン、と。
鼓動が高鳴る音がする。
ゆっくりとドアノブに手を掛けるも、なぜかそれを開くことに躊躇ってしまう。
「……っ」
なんの決意か、ほんの少しだけ勇気を振り絞り扉を開けると、小気味よい鈴の音と同時に店内への道が開かれた。
「あら。時間通りの到着ね。この3年間で時計くらいは読めるようになったようね。比企谷くん」
鮮やかに黒く腰まで伸びた髪を揺らしながら、そいつは俺を見て微笑んだ。
「…その罵倒も懐かしいもんだな。雪ノ下」
彼女はしなやかにこちらへと近づき、組んだままの腕で無い胸を持ち上げる。
…そちらも相変わらずのようで。
「…何の集まりかは分かってるいるのかしら?」
「…SAOのオフ会だろ?おまえのメールに書いてあったぞ」
「ええ。月に一度のオフ会よ。今回で何度目だったかしら」
「……」
「あぁ、ごめんなさい。初参加の貴方に分かるわけがなかったわね。何度メールをしようと出席しなかった貴方には」
「…嫌味なヤツ」
一通りのやり取りに満足したのか、雪ノ下は小さく笑いながら腕を組み直す。
すると、たったったった、と。
軽快な足音と同時に雪ノ下ごと俺に覆い被さろうと飛び跳ねる1人の女性。
あぁ、由比ヶ浜のお母さんに少し似てるな。
てか由比ヶ浜に似てる。
「ひ、ヒッキーー!!!」
ばふぉん!…ぷに。
柔らかい衝撃と甘い香り。
久しく聞いていなかった優しく明るい声。
「ヒッキーヒッキーヒッキー!」
「ぅ、は、離れろ。由比ヶ浜」
「く、苦しいわ、由比ヶ浜さん」
「離れない!苦しくない!」
いつだったか、こいつの飼ってる犬が俺の足元で飛び跳ねていたことがあったな。
まさしくそれ。
飼い主が飼い犬に似ちゃったのかよ。
「ヒッキー!おかえり!どうして!?元気だった!?」
「お、おまえ、アホが加速してないか?」
「ゆ、由比ヶ浜さん、落ち着いて」
どうどうと雪ノ下が由比ヶ浜を宥めると、由比ヶ浜はようやく俺たちから手を離す。
「ヒッキーおかえり!」
「お、おう」
「私、怒ってるんだからね!!」
「ん?あ、おう」
「ヒッキー元気だった?」
「キミ、脳に後遺症が残ってるの?」
「残ってないし!!もう!言いたいことと聞きたいことが山ほどあるんだよ!」
「…そっか。それはまぁ、また今度話すわ。ツイッターで」
「呟く気!?」
由比ヶ浜は頬をぷっくりと膨らませた。
怒っているのか、喜んでいるのか、ほんとに喜怒哀楽がジェットコースターなヤツだ。
ふと、そんな俺たち3人のやり取りを笑って見つめていた面々と目が合った。
「よう、PoH。皆んなに何か言うことがあるんじゃないか?」
黒くて細い少年が、憎たらしい笑顔を貼り付けながら声を掛けてきた。
未成年がバーに来るんじゃありません。
なんて、冗談を言おうにもそんな勇気は無いわけで。
「…ん。なんだ、まぁ、アレだ。…や、やっはろー、ってね」
「「「「「……」」」」」
ーーーーー★
立食パーティーさながらに、オフ会に集まった面々は自由気ままに会話を楽しんでいる。
エギルからビールを受け取り、海外とは違う苦味を感じさせる味わいが口に馴染んできた頃。
「先輩!約束が違いますよ!!」
「あ?」
先ほどからグラスを片手にクラインやエギルに悪絡みしていた女が近づいてきた。
髪が少し伸びてたから最初は気づかなかったが、やっぱりコイツだったか。
「私!先輩のために…、アレを捨てたのに!!」
「……あぁ、その節はどうもな」
「あ、あれ?慌てない…」
”俺のために仮想世界を捨ててくれるか?”
思えばコイツとALOの中で出会えたのは奇跡に近い。
「…あの時は助かった。一色が居なかったら俺は飛べなかったかもしれん」
「…っ。…いいえ、先輩なら1人でだって飛べましたよ」
「…そうかもな。でも、助かったのは事実だ。素直に礼くらい受け取れ」
「…ふふ。はい!」
「…かの偉人はこう言った。飛べば飛べるんよ!ってな」
「なんですかそれ」
あれ、日本じゃ放送されてなかったのか?
由比ヶ浜とかワルキューレの一員になれそうだよなぁ…。
伝わらない話題を流すために、俺はビールを傾けると、隣に並ぶ俺と一色を恨めしそうに睨むクラインに気が付いた。
すると、クラインはガニ股でのしのしとこちらに近づいてくる。
「PoHーーー!!おまえってヤツはどうしてそんなに可愛いコばかりが集まるんだ!!」
「…おまえのギルメンだって可愛いヤツらばっかりだったじゃねぇか」
「おっさんだらけだったよ!!むさいおっさんだらけだったよ!!」
「そうか。なるほどわかりました」
「話を終わらせようと!?お、おいおい、久し振りの再会だってのに冷てぇな。……たく、変わらねぇよ。おまえは」
クラインは持っていたグラスをクルクルと回しながら、真ん中に溜まった泡を避けるようにビールを口に流し込む。
そういえば、仮想世界でもこんな飲み方をしていたな。
変わらないのはおまえも同じだよ。
俺はグラスをカウンターに置き立ち上がる。
ほのかに回るアルコールが心地良い。
「お?便所か?」
「下世話な事を聞くなよ。…ちょっとお花を摘みにな」
店の扉を開け外に出る。
気付かぬ内に赤く染まった空はどこか切ない。
トン、と。
空ばかりを見ていたせいか、道に出来た小さな段差に躓いた。
脚に力を入れて踏ん張ろうとするも、酔いが回った身体は言うことを聞かず、俺は思わず地面に手を突いて倒れる。
あたた……。
「……キミ、そこで転んでると踏まれるよ?」
その言葉と共に差し出された手。
それは始まりの街で交わした初めての言葉と同じ。
奇しくも立場は反対だが。
俺はその手を掴み立ち上がる。
「悪いですけど急いでいるので」
「……おまえ」
作り上げられたような綺麗な瞳と目が合った。
それなのに、そいつはその場を後にしようと俺に背を向ける。
「…おい」
「なんですか?」
キッ、と鋭い視線が俺を貫いた。
「……久し振りだな。結城」
「あれー?久し振りー?私、どこかでキミと会ってたかなー?んー、もしかして、3年前に私の全てを救ってくれたにも関わらず何も言わず私の前から居なくなって留学していた人ですかー?いや違うよね違うよね。だってその人は私に何も言わずに遠い国に行っちゃったんだから久し振りとか言ってなに食わぬ顔して現れるわけないもんね?」
息継ぎをしなさいよ。
苦笑いを浮かべることしか出来ない俺に、彼女はゆっくりと近づいてくる。
「…とりあえず一発殴らせて」
「淘汰されるの?俺」
「歯を食いしばりなさい」
「待て待て。争いは何も生まん」
「せいっ!!」
「おぐっ!?…お、おまえ、歯を食いしばらせておいて腹を殴るのか…」
は、吐いちゃうよ。
うぅ…。
俺は膝と手を地面に付く。
「……キミ、そこで転んでると踏まれるよ?」
「無限ループかよ!!」
……………
……
…
.
.
.
「あ!アスナっち!やっはろー!」
「やっはろー、結衣さん。遅れてごめんね」
もともと騒がしかった店内が、結城の登場により更に喧騒を増す。
各々に軽く目配せをしながら笑顔を振りまく姿から察するに、おそらくこのオフ会とやらにも頻繁に参加していたようだ。
そんな推測を立てながら、俺も再入店するも誰からも歓迎されている様子はない。
……なんだこの差は。
「さて!やっと全員集まったことだしそろそろ本題に入ろうか!!」
パンっ!と手を叩き、自らに注目を集める武具店の店長、リズベット。
リズって髪の毛がピンクじゃない方が可愛いんだな。
「シリカ、アイツを壇上まで連れてきて」
「はい!」
リズの指令に快く答えるシリカはどこまでもが愛らしく、兄力80000の俺の心を擽る。
つうか、その木箱を3つ並べた所が壇上なの?
なんて呆れていると、チョコチョコと動き回る小さなシリカに腕を掴まれた。
「おや?天使かな」
「はい。お迎えにあがりました」
「お迎え?…って、ぬぬ?」
俺はシリカに誘導されるままに簡易壇上の目の前まで引っ張られる。
ぐいぐいと背中を押され、何故か木箱に立たされる俺。
「……え?」
……え?
「えー、まずは一つ。あんたに黙秘権、拒否権、人権はありません。聞かれたことに全て答えるように」
「え?なにこれ…。俺ってついに人権も無くなったの?」
「黙りなさい!!」
先ほどまでの喧騒がまるで嘘だったかのように、静まり返る店内に全員の注目を一身に浴びる俺はキョロキョロと視線から身を外すことしか出来ない。
「比企谷くん。貴方はこの3年間、何処で何をやっていたの?」
雪ノ下の声が静かに響く。
あぁ、そういうことね。
聞きたいことがあるなら普通に聞けっての。
何だよこの羞恥プレイは。
「はぁ。…ただの留学だよ」
「質問の答えになっていなわ」
「…アメリカに行ってた。飛び級制度で大検取って、専門分野に特化した学校に通ってたんだ」
「…そう」
雪ノ下は小さく頷くと、それ以上の質問を止めた。
納得、と言うよりも予想通りと言う感じだ。
「ヒッキー!私からも質問!!」
「なんだよサブレ」
「サブレ!?…ん、ご、ごほん。…どうやって留学したの?…その、私たちはSAOから帰ってきて…、えっと、それで…、モンスターと戦ったりしてたから…」
由比ヶ浜は言いにくそうに言葉を濁す。
潤んだ瞳と一生懸命に言葉を紡ぐ姿はあの頃と同じで、俺は意地悪にも由比ヶ浜が拙い言葉を言い終わるまで黙っていたことを思い出す。
「…SAO生存者が社会に適用するまでの更生機関のことだろ」
「…うん」
詳しくは知らないが、仮想世界で剣やら槍やらを振り回していたSAO生存者に、リハビリ期間として用意された更生施設があるらしく、人によって期間は違えど生存者の俺たちはそこに通学することを義務付けられていた。
通常、そこで社会復帰適用の認証を受けるまでは一般の教育施設に入学することは出来ない。
ましてや国外に出ることなんてもってのほかだ。
「…レクト技術開発部門の主任、須郷の最後の仕事を知ってるか?」
「っ!」
由比ヶ浜の肩が震える。
由比ヶ浜だけじゃない。
そこに居る全員が一様に良からぬ態度を示した。
恐らく、非公開にされているが須郷の行った事を、此処に居る人間は少なからず知っているのだろう。
「須郷が自主退社って形で開発部門を降りる前に、とあるプロジェクトのサンプルってことで俺を選んだ…、っていうか選んでもらったんだ」
「プロジェクト、サンプル…」
ALOから結城を救出後、須郷の行いは公にされていない。
材木座を宥めることに骨を折ったが、俺は須郷への報復や復讐に手を染める事なく、利用するという形で手を打ったのだ。
ユニットプロジェクト
レクト社員の監視のもと発足した、VRMMOによる脳への影響を調査するプロジェクト。
つまりは仮想空間で剣を握ることによる悪影響はないですよ、って証明するための調査だ。
「あまり詳しくは言えないが。そのサンプル実験ってことで海外への出航が許されたんだよ」
……。
なんて雄弁の元に、実際は手早く大検と”とある技術分野”の修学を理由に、半ば無理矢理なプロジェクトを須郷に発足してもらったことを隠す。
「…須郷って人はアスナっちに悪い事をしたんでしょ?」
「……ああ。だからその責任を取るって意味も含めてレクトから退社したんだ」
「…。」
由比ヶ浜は納得が出来なそうな顔で下を向く。
いや、此処に居る全員が納得しているはずがないんだ。
なぜ、結城を監禁した張本人のプロジェクトに参加したのか。
おそらく、全員が思っている事。
「……由比ヶ浜」
「…んーん。大丈夫だよ」
「…?」
「よく分からないけど、でも、ヒッキーっていつもよく分からないし!!」
「お、おまえなぁ…」
「それなのに、なんだかんだ私達のことも助けてくれるじゃん!今回も……、そうなんでしょ?」
ふわりと浮かぶ由比ヶ浜の優しい言葉に、俺は思わず面食らってしまった。
何事も大まかに要約してしまう由比ヶ浜だからこそ、こうやって歩み寄ってきてくれる。
理解しようとしてくれる。
「……別に、助けた記憶なんかねえけど」
「あ、ひねデレだ」
「うっせ」
「あははー!」
暖かい笑顔に救われた。
陽だまりの溜まるあの部室で、こうやって由比ヶ浜の笑顔が何度奉仕部を救ったことか。
ははは。
大団円だ。
よかったよかった。
みんな笑顔!
まじでハッピーエンドだね!
……。
……おや?
店内の奥底から冷えるような絶対零度の殺気を感じる。
……100層のボスかな?
「まだ終わらせないわよ」
「…ゆ、結城…」
彼女の瞳に生気がまるで宿ってない。
まるで獲物を見つけたライオンの如く、獰猛に、恐喝に、彼女はゆるりと立ち上がる。
「…なんで、留学することを誰にも…、私に相談の一つもしなかったの?」
「……っ」
思わず腰に手を向ける。
だが、そこには身を守るためのダガーは帯刀されていない。
ヤられる…。
「…ALOから帰ってきて、目を覚ましたときにはもう居なかった」
「そ、それは…」
彼女は静かに近づいてくる。
「お父さんからキミの話を聞いて、私は血の気が引く思いだった。…また須郷が何かをやらかそうとしてるんだと思って」
「…」
店内に響き渡る結城の足音。
「だから須郷を脅して話を聞いた時、安心したと同時に悲しかった」
そして、彼女は俺の前で立ち止まり、その瞳から一線の涙が溢れる姿を見せつける。
白と赤が醸し出す純潔そうな防具に身を包んだ結城は力強い言葉と瞳で気丈に振る舞っていた。
ただ、始まりの街で出会った頃の弱々しい彼女を知っていたから、俺はコイツが心配で堪らず。
震える手にダガーを握り、地獄の底であろうとこいつを守ると決めた。
ベッドに眠る姿はやっぱりか細く痛ましい。
少ない情報と人脈を頼りに、空の天辺でこいつを見つけたときには、涙が出そうになったのを覚えてる。
「なんで、私の前から居なくなっちゃうの?ずっと一緒に居てくれるって……、約束したじゃない!」
俺は手を伸ばして結城の頭を撫でる。
変わらない撫で心地が懐かしい。
触れたかった本物の結城がここに居る。
「仮想空間と現実は違うんだよ」
「っ!」
「俺は強くないし、おまえが思ってるほど優しくもない」
「な、なんでそんな事……」
程なく、俺は結城の頭から手を離す。
俺とおまえじゃ釣り合わん。
SAOの中にいた頃から常に思っていた。
現実に帰ればひ弱でボッチな俺と大企業の御令嬢。
これ程までにミスマッチな組み合わせもないだろう。
だから、俺は……。
「……俺は来月から、レクトの技術開発部門の新主任に就任する」
「……え?」
「海外でVRの研究を積んできた。研究論文も評価された。……だからレクトの研究員として…、茅場の意思ってのを追ってみようと思う」
「…団長の…、意思?」
深く息を吸い込もうとするが、あまり新鮮な空気が腹に貯まらない。
そうか、緊張しているときはまず息を吐き出すんだったな。
ふー、と。
肺の息を全て吐き出し、新鮮な空気を取り込む。
「…おまえこそ、もう俺の前から居なくならないでくれよ」
「……」
「…結構立派になったもんだろ?…だから、さ…、その…、俺と……」
「比企谷くん」
「…っ。む、な、何だよ」
「おまじない、しようか」
トクんと。
胸が高鳴る。
その言葉を聞いたのは75層のボス戦だったか。
確かこの後、結城は俺にこう言ったはずだ。
「……目を閉じろって言うんだろ?」
「あはは、バレちゃったか」
「…言っておくけど、現実に申請ボタンは無いぞ?」
「そっか。だったら……。比企谷くんの言葉で…」
コロコロと笑う姿に見惚れてしまう。
暖かい風が一つ頬を撫でた。
欲しかった本物がそこにあって、そいつは優しく笑ってくれて。
…隣に居てくれる。
それだけで、十分過ぎるくらいだ。
「…結城、俺と結婚してください」
「はい。お願いします!」
ーーーend
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…
……
「よ、よかった。あ、し、申請ボタン押さねえと。あれ?ちょ、開かないぞ?こ、こんな時にバグが!?!?」
「比企谷くん。ここ現実だよ」
ーーーend
完結。
長くてごめん!
ありがっしたっ!