せっかくの休日にも関わらず、俺はほんの少しだけ普段よりもフォーマルな装いに身を包む。
昨日のようなサンダルも履いていなければ、もちろん白衣も羽織っていない。
少なくとも、総務省の人間と接するにあたり必要な常識くらいは持ち合わせている。
メールにて指定された住所に向かうと、そこは驚くことに、昨日結城と訪れた喫茶店であった。
俺は扉の前で一旦息を吐く。
菊岡さんのように、”何かを隠す”人間には一定の距離感を置いているのだが、その距離感すらも飛び越えてくる彼の気さくに、俺は嫌悪感を持っていた。
扉を開け、昨日と同様のベルの音が鳴り響く。
その音が昨日よりも低く感じるのは気のせいか?
気構えた俺を嘲笑うかのように、ベルの音によって菊岡さんがこちらに気がつく。
自然な笑顔を貼り付けて。
彼は俺に手を振るのだ。
「いやー!比企谷くん!こっちこっち!!」
クラッシックミュージックが流れる店内に不釣り合いな快活な叫び声は、その店に居た客だけでなく、店員の視線さえも集める。
「…菊岡さん、そうやって周囲の視線を集めるのは止めてください」
「いやはや、思わずね」
高そうなスーツを几帳面に身に付けた菊岡さんは、僕の奢りだから。と言い、メニューを差し出した。
しかし、俺はそのメニューを見る事なく店員に注文を告げる。
「…ブレンドにミルフィーユ、あとフロランタンも」
「へぇ、このお店、始めてじゃなかったのかい?」
「意外でしたか?」
「うん。比企谷くんがデートにこんなお洒落な喫茶店を使う事がね」
「…ふん」
何でも見透かしてるってか?
別に俺のデートプランじゃねぇっての。
「…用は何です?あんまり、総務省の人間と一緒に居る姿を見られたくないんですが」
「辛辣だね。僕は特別さ。なんせ君達の恩人なんだから」
「恩着せがましいな。ネットワーク内仮想空間管理維持課の人は全員菊岡さんみたいなんですか?」
「僕は希少種かな」
「ぼっちを気取ってると装って、周りからは本当にぼっちだと思われている人種……か」
「ちょ、人種……か、じゃないよ!言っておくけど僕はぼっちじゃないからね!?」
と、言い張るぼっち。
菊岡さんは眉を吊り上げながら、届けられたブレンドに口を付ける。
あぁ、そのブレンドに毒でも入ってれば良いのに。
「…さて、本題に入ろうか」
「ん」
ミルフィーユをフォークで小分けにしながら口に運ぶ。
菊岡さんが手を顔の前で組みながら話し出すと同時に、俺はミルフィーユの甘さに感銘を受けた。
「……うまっ」
「…真面目に聞いてくれるかい?」
「もぐもぐ…。別に前置きとかは良いですから。俺に何をさせるのか、簡潔に願います」
フォークをクルッと回しながら、俺はミルフィーユを口に運び続ける。
菊岡さんの要件なんて、どうせ面倒事だ。
素早く聞き出し、素早く片付けてしまいたい。
すると、菊岡さんは組んでいた手を離し、片方の手で頭を掻きながら唐突にソレを告げた。
「…まったく。では簡潔に…。比企谷くん、ガンゲイルオンラインって知ってる?」
ーーーー★
ガンゲイル・オンライン
荒廃した世界を舞台に、銃器で戦う野蛮なゲーム。
システムには興味あるが、ゲームの内容なんてそれほどの知識しかない。
あえて特徴を上げるなら、SAOやALOがモンスター相手に戦うことを主にしたゲームだとするなら、ガンゲイル・オンライン、通称GGOは対人戦に特化したゲーム。
「…そのGGOで、とある事件が起こっていてね」
「あらら。VRMMOの安全管理も末期っすねー」
「はぁ、耳が痛いよ。…ただね、今回の件は少し僕らの範疇から飛び出しているんだ」
「ん?」
「この件は公表されていないから内密に頼むよ?ーーー」
ーー仮想空間内殺人。
菊岡さんは静かにそう呟いた。
その言葉に、俺は赤く染まった自らの手が、脳の信号を無視して自分の首を絞めるような錯覚に陥った。
冷や汗が止めどなく流れ、その錯覚を振り払うために顔を左右に何度振るう。
「っ。……はぁ。…、それは、つまりPKってことじゃ?」
「…意味が分からなかった訳じゃないだろ?事は単純さ。仮想空間内で起きた殺人が、現実での殺人とリンクしているのさ」
仮想空間内で死んだプレイヤーが現実でも死ぬ…?
それじゃあまるで…。
「…君には少し堪える話題だったね。ただ、この事件に関してはSAOのプログラムも、須郷くんの暗躍も無い」
「…VRが関与する死亡事件は少なくない。仮想空間内の演出による過剰な興奮はショック死に繋がる。それに、三日三晩ダイブし続けた挙句に餓死。それこそ、上げればキリがないですよ」
「流石に詳しいね。ただ、君の上げた事件じゃあ、僕ら仮想空間管理維持課は動かないよ」
気がつけば、菊岡さんの話に聞き入っている。
あれほど簡潔に済ませたいと願っていたのに、俺は彼の口車にしっかりと乗せられていた。
「…公表されて無いんでしょ?それなら俺も聞かなかったことに…」
「君に依頼があるんだ」
「……」
「これを見てくれるかな?」
丁寧重ねられた数枚の資料を前に置かれる。
右上に赤字で極秘と書かれていることから、おそらく仮想空間内殺人に関する資料なのだろう。
……。
それを見ないように、俺はミルフィーユにフォークを突き刺す。
見たら手伝わされる。
嫌だ。
「…君がそのミルフィーユを食べれる自由を与えたのは僕だよ。それだけは忘れないでね」
「っ!…ちっ」
口角を上げない笑い方。
菊岡さんが盾にする”自由”に、俺は思わず身構えてしまった。
ミルフィーユを雑に口に放り込み、資料に手を伸ばす。
「僕が事情聴取の担当で良かったね」
「…あぁ。心臓を鷲掴みにされている気分ですよ」
「既に僕も共犯者だ。お互い、利用し合おうじゃないか」
「…ふん、クソ狸野郎が」
「聞こえてるからね」
聞こえるように言ったんだ。
俺を睨む菊岡さんを無視し、資料に目を通す。
案の定、それには仮想空間内殺人の事件内容が詳細に記されていた。
仮想空間殺人に該当される死者は3名。
死因は心臓麻痺が2名と、ショック死が1名。
なに?デスノートかな?
で、その3名に共通するのがGGOのプレイヤーってことと、死亡時刻とほぼ同時刻に、GGO内で撃たれて……。
……は?
「…なんすかこれ」
「面白いだろ?仮想空間でゲームオーバーになった同時刻に、現実の身体で心臓が止まるんだ」
「…アミュスフィアの電子信号は脳に送られている。簡単に言えば脳に嘘の情報を伝えて錯覚を創らせているんです」
「おっと。僕はあくまで総務省の人間だからね。あまり専門的なことは…」
「…簡潔に言えば、殺そうと思えばアミスフィアで人を殺せる。だが、心臓麻痺はあり得ない」
俺は資料をテーブルに投げ置く。
下らなすぎて笑えるよ。
菊岡さんは俺の言葉にキョトンとしつつも、資料に視線を落とした。
「こんなの愉快な思想犯の犯行でしょ。GGO内で銃を撃つ人間と、現実で実際に殺す人間。2人居れば成り立つし」
「むむ。……」
「ほら、死んだ3人は全員一人暮らしですし」
こんな素敵な喫茶店でなんて話をしているんだろう。
周囲の人達がティーカップを傾け談笑する最中、俺たちは殺人事件の概要を話し合っているのだ。
「……」
「解剖は?心臓麻痺やショック死ならスタンガンか…、いや、それだと跡が残るから薬物投与での殺害かな」
「な、なるほどね。それなら、後は犯人を捕まえるだけだ」
何故か慌てて資料をかき集めながら、菊岡さんは胡散臭い笑みを浮かべる。
なんだ?この態度。
不思議な違和感を抱きつつ、俺は話を本題に戻す。
「で、俺に頼みたいってのが、この銃をぶっ放したプレイヤーとGGO内で接触しろってことで良いんですか?」
「そうだよ!それを頼みに来たんだ」
「…んー。って言われても、正直仕事が忙しくて手を離せないんですよね」
「そ、その事なら大丈夫だよ。僕からレクトには伝えておくから。管理維持課に短期の出向ってことにしておくからさ」
「?」
そこまでして俺を選ぶ理由ってあるのか?
それこそ、メリットよりもデメリットの方が多い気がするが…。
「それじゃあ、詳しいことはまた連絡するよ!あ、もうこんな時間か!」
「え、あ、ちょっと…」
乱雑に資料を鞄に詰め込み、菊岡さんは急いで席を立つ。
まるで早くその場から逃げ出したいと言わんばかりに。
「それじゃあね!」
「待ってください!!」
「!!な、何かな?」
「お会計は済ませていってください」
「……うん」
ーーーーーーー
「彼の様子はどうだった?」
「…察しが良すぎると言うか、頭が切れると言うか…。まぁ、貴方に言われた通りにはやりましたよ」
「そう」
「はぁ…。総務省の人間を脅すなんて貴方くらいですよ」
「あら、私は菊岡さんに相談しただけよ?」
「それを脅しと言うんですよ
ーーー陽乃さん。」