最初は遊び半分だった。
菊岡さんの依頼に託け、久し振りに味わう仮想空間を懐かしんでいたのかもしれない。
警戒心も無く、疑う事もせず。
純粋に
事件の事を『ありえない』の一言で済ませたのは論理に基づく結論だ。
これまでに培った研究から生まれた結論。
プログラムは嘘をつかない。
プログラムは裏切らない。
……。
ならばどうして、俺はこんなにも殺意を振りまき
居ないんだよ……。
「…っ」
0.01%くらいの仮定を考える。
例えば、俺をおびき寄せるために仮想空間内殺人を起こした。
仮想空間と殺人の言葉に一際敏感な俺ならば直ぐに飛びつくだろう。
さらには強者のみを狙った殺害。
それもこの大会、bobに参加する大きな要因だ。
勝ち進めば必ず俺とアイツは戦う事になる。
…そこで俺を殺す?
いや、例えこの仮想空間で何度も虐殺されようが、俺の身…、現実の身体に支障はない。
その結論だけは確実だ。
空間内の殺人が直接に現実の死因になるなどは考えられない。
やはり、最初に菊岡さんから聞いた際に思いついた殺人方法、仮想空間内で銃を撃つプレイヤーと現実世界でプレイヤーを殺す人間の二人一役が…。
ならば現実の身を安全な場所に置いている俺を殺すことなんて出来ない。
「俺への報復…」
……嫌になる。
自らへの報復を予想しようだなんて。
項垂れるように、俺は戦闘模様が映し出される大型モニターから目を逸らす。
考えの邪魔になる情報は遮断したい。
それでも、大きな音量だけはそれを許してくれなかった。
『Winnerーー!!ハルノーン!!!』
そして、俺の身体はエフェクトと化して飛ばされる。
Dブロックの最終戦。
全勝同士の最後の戦い。
目を開ければ広がる広大なフィールド。
遮蔽物が多く、荒れた風と薄暗い空に彩られたこの場所で、俺はただただ立ち尽くす。
ーーーーーーー☆
会話は無かった。
全戦全勝で勝ち抜く彼の姿に、私達は声を出す事すら出来なかったから。
有力プレイヤーだと紹介される相手を、次々に苦も無く薙ぎ倒す彼は、表情を隠すように深くローブを羽織っている。
「…貴方は
私は思わず問い掛けた。
そんな私の呟きに返答する人は居ない。
彼と共に戦ってきたクラインさんやエギルさんも。
彼の強さに惹かれたリズさんやシリカさんも。
あの部室で過ごした彼を知っている私や由比ヶ浜さんや一色さんも。
誰よりも彼の近くに歩み寄る結城さんも。
モニターに映る彼の姿に
「…ゆきのん。ヒッキー大丈夫かな…」
「…」
それは勝敗を気にかける言葉ではないと誰もが理解できた。
底知れない不安に対する純粋な心配。
ただ、モニター内の戦闘は、私達に心配させる暇もなく次々と続いていく。
Dブロック最終戦。
全勝の彼と、全勝の、…ハルノンさんの戦いが始まった。
「…ハルノンってのも全勝か…。ってことはこの2人の本戦出場は決まってるのか」
「だったら互いに手の内を見せないように手を抜いて戦うかもな」
クラインさんとエギルさんがモニターから目を離さずに目を細める。
その2人の言葉通りに、比企谷くんも、ハルノンさんも転送された場所で銃を構えることもせずにゆっくりと歩き出した。
勝敗が関係しない戦いに興味が無いのか、比企谷くんは銃を空に向かって何度か撃ち放つ。
それを目印に、ハルノンさんがゆっくりと近付き、ものの数分で彼らは広いフィールドの中で出会った。
…何か話してる?
彼らは対面しているにも関わらず戦わない。
仕様なのか、プレイヤーの声はこちらへ届かないようだ。
「むむ?私の読心術によれば…『俺、実は一色いろはってコが好きなんですよ』って言ってますね!」
「空気も読めないいろはさんが読心術なんて出来るわけないでしょ。…『俺、結城を大切にします』って言ってるわね」
「むっ!『結城ムカつく。後輩キャラは私だけでいいのに』って言ってますよ!」
「それいろはさんの本音じゃない!」
仲良く取っ組み合う結城さんと一色さんは放っておき、私は彼の唇の動きをジッと見つめた。
「2人とも静かに…、彼は『雪ノ下のことを、あ、あ、愛………あぅ…」
「ゆ、ゆきのん!?照れちゃうならやろうとしなくていいからね!?」
ーーーーー☆
転送された場所で、俺は銃を空へと撃ち放つ。
大きな音を立てたソレは、おそらく彼女に俺の居る場所を知らせてくれただろう。
間も無くすると、大きなヘカートを肩に担いだ彼女がやってきた。
「なぁに?戦う前に私へ愛の告白でもしたかった?」
「…はは、まぁそんな所です」
「?」
雪ノ下さんは不思議そうに首を傾げる。
「お互い、本戦の出場は決まってますし、普通に戦ってもつまらないですよね」
「…」
「…ゲームをしませんか?」
「…ゲーム?」
ヘカートを1度地面に置いた雪ノ下さんに、俺は小さく笑いかけた。
俺の作り笑いを、彼女は訝しげに見つめる。
「負けた方は勝った方の命令に絶対服従する」
「…へぇ。キミにしては大胆なゲームだね。じゃぁ、私が勝ったら比企谷くんには私の奴隷になってもらおうかな」
そう言って、雪ノ下さんは大胆に笑って見せた。
一瞬見せた戸惑いの顔も、目の前に立つ俺でも無ければ見逃していただろう。
「キミが勝ったら?」
「…勝った時に言いますよ」
彼女は目を細める。
何かを察したように。
「…ちょっと想定外だけど、面白そうだから乗ってあげちゃう」
風が一つ、俺の頬へ吹き付けた。
相変わらず現実となんら変わりない五感の信号だと感心してしまう。
たとえば、電子信号で繋がれた仮想空間と脳に、【直感】を与える信号も含まれているのか。
それを技術者として答えるならNoだ。
直感とは言わば、知識的な見解と分析的思考の概念化そのものだ。
電子パルスや計算で作られる物じゃない。
本能的かつ倫理的に導かれる答え。
つまり、全てが創造された仮想空間に存在する唯一の
……俺の直感が告げているんだよ。
何か悪い事が起きるって。
それが起きる前に。
彼女だけでもこの世界から退場させる。
そのために。
「…勝たせてもらいますよ。雪ノ下さん」