【完結】大人のための艦隊これくしょん    作:モルトキ

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人類の運命を賭けた最終決戦。
彼女たちはどこから来て、何のために生き、どこに還るのか。
たった四年と少し。戦争と共に生きた艦娘。その生涯に今、幕が降りる。


最 終 話 なぎさにて

 一九四五年三月。

 艦娘に与したことで、オーストラリアは爆撃の対象とされた。ポートダーウィンに巣くった巨大飛行場から日夜爆撃機が飛び立ち、主要都市に容赦ない爆撃を加えた。山口多聞率いる第一艦隊は、なんとか既存の技術で艦娘を修理し、艦隊を立て直した。ダーウィン港に対し、戦艦「陸奥」「榛名」を筆頭に、複数の重巡が艦砲射撃を試みたが、火力不足は否めず、空襲を二、三日止めるのが関の山だった。幸いにして、海に新手の敵は現れなかったが、艦娘と飛行場のイタチごっこは続いた。世論は深海棲艦からの攻撃を恐れ、艦娘擁する日本軍に与するべきではない、という意見に傾き始めていた。それにより、艦隊が表立って港に停泊することはできなくなった。ついに最大の都市であるシドニーにまで空爆が及ぶと、山口中将は、艦隊をオーストラリア本土から遠ざけることを決断。タスマニア島にまで本拠地を移し、大陸からの密やかな補給によって、細々と生き永らえていた。その間も、明石は瀕死の身体に鞭打って、艦体の機関修理に尽力した。

 タスマニア島で不安を抱えたまま孤立していた第一艦隊に朗報が届いたのは、三月二十二日のことだった。オーストラリア西岸の警備隊から、新たなる艦娘が救援を求めてきたことが第一艦隊司令部に伝えられた。その艦娘は、トラックとマリアナで孤立していたはずの、第二艦隊と第三艦隊だった。どうやら中部太平洋では、想像もつかないほどの大波乱が起こっていたらしい。あろうことか、フィリピン米軍を収容し、オーストラリアに送り届けてきたのだ。それを聞いたとき、山口は察した。おそらく、第二、第三艦隊は艦娘の指揮する、艦娘のための部隊となったのだ、と。彼の予想通り、第二艦隊の旗艦・武蔵が直々に第一艦隊と通信を試みてきた。山口は、非常事態であることを受け、艦娘による指揮系統を承認。ただし、その幕僚として熊勇次郎少佐を始めとする、親艦娘の将校を艦に常駐させることを条件とし、武蔵はそれを受け入れた。

 三つの艦隊はタスマニア島で合流した。そこで、ようやく中部太平洋戦力の詳細な動きが明らかとなった。第二駆逐隊と島風の行方については、第一七駆の磯波から、渋谷と第七駆の面々に説明がなされた。

「そうですか。陽炎は、本土に」

 長姉との再会を待ちわびていた不知火は、少し肩を落とす。本土から前線まで、無事に戻って来られるよう祈ることしかできない。

 図らずも戦力が強化されたことで、ふたたびダーウィン港破壊のための部隊編制が行われた。武蔵、長門、扶桑、山城を中心とする強力な布陣は、完全破壊に至らずとも飛行場に大きな打撃を与え、大陸の空につかの間の安寧をもたらした。しかし、飛行場を司る姫クラスの深海棲艦は、最深部に引っ込んで姿さえ見せない。戦艦級の射撃によっても、駆逐しきれないほど飛行場は膨大に成長していた。

 飛龍艦橋の第一艦隊司令部は、飛行場の攻撃が止まっている間に、すぐ次の作戦を決めなければならなかった。なにしろ、この圧倒的に不利な戦争に、一発逆転の目を見出すことができたのだから。フィリピン米軍が暴露した情報。深海棲艦の本拠地が明らかとなった。オーストラリア政府から精密な海図を借り受け、ただちに図上演習が為された。だが、アメリカ軍の証言を信じるならば、敵の母胎を破壊するのに、かなりの威力の攻撃が必要となる。敵の戦力も不明瞭だ。おまけに、艦隊の内部に、艦娘に対する不信感が増長されていた。帝国海軍を滅ぼしてでも敵を討とうとする艦娘に流されるのではないか、と高級将校たちは懸念を抱いているのだ。第一艦隊に身を移した栗田中将や、小沢中将は、作戦続行に反対し、本土からの支援を待つべきだとした。

 意見がまとまらないなか、怒涛のごとく、新たな報告がもたらされる。

 東海岸に、新たな艦娘が出現した。本土から脱出してきた、伊401だった。彼女の出現によって、潜水艦娘が生き残っていた事実が、はじめて明らかとなった。彼女の報告によると、本土から脱出した主力は、中部太平洋の泊地に寄港することなく、直接、前線を目指しているらしい。伊401は、その先遣を務めていた。その途中で、幸運にも敵艦隊と鉢合わせることはなかった。武蔵の証言と合わせると、どうやら敵は、母胎周辺に戦力を集中し、艦娘を待ち構えているようだ。さらに、彼女たちに遅れて、ある艦娘が秘密裏にタスマニア島に浮上した。スリガオ・レイテ湾海戦で撃沈されたと思われていた、伊号潜水艦、伊401だ。彼女はただちに司令部に召集され、潜水艦部隊の行動について、山口に説明した。

「潜水艦のうち、わたしが本土に向かい、艦娘と物資の脱出を支援しました。伊58、伊19、伊8は、米フィリピン軍総司令官のマッカーサー大将および彼の参謀、新型爆弾の資料をアメリカに輸送する、太平洋横断任務についています。もし彼女たちが生き残っていたら、近いうちにオーストラリア付近に到着するでしょう。我らの提督、福井少佐は、最重要任務のために、伊168に乗艦しました。周囲との連絡を一切断ち、太平洋のどこかに身を潜めています」

 しおいは感情を抑えながら報告する。死して屍拾う者なし。潜水艦は、撃沈されれば、生きていた痕跡を何一つ残せないまま、暗い奥津城に消える運命だ。未知の敵艦隊を避けながらの太平洋横断という果てしない任務についた三隻、さらに敵のハンターキラーがうようよするなか、ふたりぼっちで深海という狂気の環境に身を浸し続ける提督とイムヤ。しおいにできるのは、ただ皆が無事でありますように、と祈ることだけだった。

 その一日後に、伊勢を旗艦とする、本土脱出部隊の主力がオーストラリアに到着した。第二、第三艦隊に続き、ここでも彼女たちは人間を排除し、艦娘自ら艦隊の指揮をとっていた。艦娘の自治を認めるか否かで、いよいよ司令部の意見が真っ二つに割れようとしていた。陸軍と海軍が分かたれたのみならず、今度は海軍も内部分裂を始めようとしている。

 海軍の空中分解を狙いすましていたかのように、深海棲艦は動いた。

 オーストラリアの北西海岸の主要都市が、何の前触れもなく艦砲射撃に晒された。それは、深海棲艦の行動ロジックを覆してしまった。現れたのは、明らかにオーストラリア周辺を封鎖していた艦隊ではなく、ニューギニアから大スンダ列島にかけて展開していた部隊だ。深海棲艦は、ついに陸地封鎖の一部を解いてまで、艦娘を根絶やしにしようとしている。オーストラリアへの砲撃は、明らかに『詰めろ』をかけている。こうなっては、もう出撃して敵の王将を討ち取る以外に道はない。砲撃は凄まじい速度で南下していき、このままではオーストラリアにとって命綱である南海岸の都市が爆撃されてしまう。

 山口は、またしても苦しい決断を迫られていた。

 さしもの山口も、軍人である以上、人類の存亡の前に、帝国の運命など取るに足らない、とは言えない。武蔵は、戦いに決着をつけたい者だけを艦娘に乗艦させることを提案した。艦娘の意向に逆らう者は、遺憾ながら放棄する。タスマニア島に放棄されれば、艦砲射撃によって挽肉にされるのは目に見えている。山口と同格の将校たちは、一部の艦娘を制圧しようと、本土に戻るという無謀な計画を打ち立てていた。

 しかし、駆逐艦・陽炎のもたらした一枚の書状が、人間たちを過酷な運命から救った。陽炎の手から、それは司令部に披露された。

「恐れ多くも、大元帥陛下直々の勅令である」

 朗々たる声で陽炎は内容を読み上げる。それは辞令書だった。宮内庁印とともに、間違いなく陛下の玉璽が押されており、本物に間違いはない。

「二月十日付をもって、山口多聞を海軍大将に任ずる。同時に、連合艦隊司令長官を命ずる」

 この宣告によって、名実ともに山口は全ての艦隊の頂点に立った。本土に戻ろうとしていた中将クラスの将官たちも、口を閉ざすより他になくなった。勅令に歯向かえば、海軍軍人としての存在の正当性を失うからだ。最高指揮官としてのお墨付きを得たことで、山口は最終決戦に臨むべく艦隊の編制を開始した。

 幾田サヲトメから、前線の提督たちへの、最後の贈り物だった。死してなお彼女の策略は、遠く離れた艦隊をも的確に制御した。

 報告を終えたことで、ようやく第一、第二、第三艦隊と、本土から脱出してきた艦隊は交流を許された。それぞれの戦場で生き残った艦娘は命あることに感謝し、散っていった仲間のために涙を流した。

 そのなかでも、ひときわ歓喜に沸いたのは駆逐隊の面々だった。マリアナからフィリピン、本土と、激しい戦いを生き抜いて太平洋をぐるりと回り、陽炎率いる第二駆逐隊は渋谷提督のもとに帰ってきた。不知火は、無言で姉の身体を抱きしめた。そして第一七駆逐隊は、同じ陽炎型である第一六駆逐隊の雪風らと再会の喜びを分かち合う。

「これで、俺らの隊は揃ったな」

 涙して笑う幼い駆逐艦たちを眺めながら、塚本は言った。眼鏡の奥の瞳が、柄にもなく少し潤んでいることは、渋谷は指摘しないでおいた。

「生き残ってくれていて、本当によかった」

 渋谷は言った。これで第七駆、第二駆、第三駆と、自分が命を預かった駆逐隊が戻ってきた。途中で脱落してしまった村雨や谷風も、轟沈することなく泊地に身を寄せているという報告も、わずかながら救いになった。

「もし戦いが終わっても、あたしらはすぐには消えないと思うからさ。そんときは、動けない仲間を迎えに行ってやってくれ」

 渋谷の隣で摩耶が言った。

「誰が俺を乗せて太平洋を渡るんだ? おまえも一緒に行くんだよ」

 きっぱりと渋谷は言った。摩耶は一瞬、驚いて目を見開くが、すぐにぎこちない笑顔に変わる。

「そっか。そうだよな。あたしは提督の艦だから」

 少し俯いて、摩耶は呟いた。

「あと、気がかりなのは彼女だな」

 塚本は、艦娘たちの輪から少し離れたところにいる長い髪の娘を見やる。駆逐艦「五月雨」だ。長らく駆逐隊の任務を離れ、本土で福井の秘書艦、そして幾田の片腕として活躍してきた彼女は、艦娘のなかに居づらいようだった。それに、提督である福井もいまだ生死不明のままだ。整った顔には、僅かに憂いが影を落としている。

 渋谷は陽炎に声をかける。陽炎は、すぐに彼の提案を受け入れた。そして、白露型の第二駆逐隊の面々とともに、五月雨に声をかける。すぐに五月雨の顔に笑顔が戻った。

「何をしたんだ?」

 不思議そうに摩耶が尋ねる。

「陽炎を、第七駆に戻した。これから二駆は白露がリーダーとなる。空いた枠に五月雨に入って貰った。同じ白露型の姉妹ならば、何かとやりやすいと思ってね」

「そうだな。島風みたいに、きっとすぐ駆逐隊にも馴染むさ」

 微笑みながら摩耶が言った。

 次の戦いが最後だ。艦娘は、誰ひとりとして、その心にわだかまりを残してはならない。司令部での作戦会議で大忙しのはずなのに、結局は艦娘たちの傍にいて、彼女たちを最優先に考える渋谷は、どこまでいっても艦娘のための提督だった。

 その三日後、五月雨の想いは報われることになる。

 島周辺の哨戒任務にあたっていた第一一駆逐隊が、微弱な友軍信号を受け取った。それは東と西、ふたつの方角から放たれていた。信号を掴んだ白雪は、急いで浮上を指示する。合計、三隻の潜水艦が海面に顔を出した。東側には、伊19と伊8、そして西側には、伊168。イクとハチは、船体に亀裂が入り、もう航行すら危うい状態だった。イムヤは、実に三カ月もの間、敵から逃れて海底を漂流し、時期を見計らって浮上してきたのだ。駆逐隊によって瀕死の潜水艦は、すぐに島の臨時鎮守府に曳航された。

 渋谷、塚本、熊は、潜水艦発見の知らせを受け、急いで港に向かった。イムヤのハッチが開き、深海と死の恐怖に耐え続けてきた男は、ふたたび自らの足で大地を踏みしめることができた。身体はやつれ果て、こけた頬にかつての美丈夫の面影はない。渋谷に支えられながらも、福井は艦娘のことばかり気遣っていた。彼のもとにイクとハチが無言で駆け寄る。福井は部下たちを痩せた腕で抱き締める。

「よく戻った」

 彼の小さな声で、前代未聞の太平洋横断をやってのけた艦娘たちの苦労が報われていく。福井は、遠慮がちに見ていたしおいも呼び寄せる。本土脱出の任務を完遂した彼女にも、同じように祝福を与える。イムヤと五月雨は彼の傍で、仲間たちの生還と、そこにいない戦友のために涙を流した。

「でも、ゴーヤが」

 しゃくりあげながらイクが言った。サンフランシスコを出港した直後、ハンターキラーの執拗な攻撃に晒され、伊58はあえない轟沈を遂げていた。彼女の最期の言葉は、「必ず生きて提督の元に戻れ」だった。

「渋谷。いますぐ山口大将にお会いしたい。イムヤとともに報告せねばならぬことがある」

 明石の救護テントのもとに向かう部下を見送ったのち、福井は言った。イムヤを連れ添って、急遽、連合艦隊長官との対談に臨む福井。彼と、彼の潜水艦部隊がもたらした成果は、山口の思考に、にわかに勝利への可能性を芽生えさせる。

「これまで隠匿されてきた全ての情報を吟味したい。作戦の要となる提督たちと、もう一度、話し合わねばなるまい」

 山口の意見により翌日、初期艦を得た提督たち三人と渋谷が、飛龍艦橋の応接室に招かれた。そこには司令部付の参謀や、飛龍の姿もなく、四人の前に座るのは山口多聞ただひとりだった。階級や立場に囚われず、常に艦娘の傍で戦い続けてきた者たちの声を聞きたいがためだった。人類そのものが生きるか死ぬかの戦いを前に、もう情報を伏せておく意味はない。渋谷以下、提督たちは持てる情報を全て開示した。やはり衝撃的だったのは、かつての海軍の天才にして英雄、白峰晴瀬少将が、深海棲艦の提督として太平洋に君臨していることだった。深海棲艦に戦術を教え、さらに自らの幕僚として空母と戦艦を独自に進化させ、人類を滅亡の淵まで追い込んだ世界戦略には、敵ながら感服するしかなかった。白峰さえいなければ、艦娘は物量差を覆し、勝利を確実にしていただろう。

「情報を伏せていたことは申し訳なく思います。しかし、わたしと戦艦レ級との関係は完全に断たれました。軍人としての誇りにかけて、人類のために戦います」

 渋谷は言った。山口は、あっさりと彼を許容する。渋谷は正しい判断をした。もし孤独に耐えきれず深海棲艦との絆を告白していれば、海軍は致命的な疑心暗鬼に陥っていただろう。自らのみが異常であるという事実に、ひとり黙々と耐えてきた渋谷は称賛に値すべきだと山口は評価した。

「問題は、敵に白峰がいることだろう。索敵機とレーダーピケット艦が奴の目だとすれば、ラロトンガ島周辺における我々の動きは、全て把握される。そうなれば、敵は常に我々の戦術を上回る手を打ってくるだろう」

 山口は言った。彼我の戦力差は不明だが、敵の母胎を守る艦隊が貧弱であるはずがない。三倍から五倍程度の物量差は見こんでおくべきだった。敵の待ち受ける罠に飛び込んで行くようなものだ。早く動かなければ、大陸封鎖を解いた大艦隊に押し潰されることになる。太平洋を跋扈していた敵艦隊とは違い、練度は低いだろうが、その物量は圧倒的だ。

「確かに、敵は圧倒的優勢です」

 袋小路に嵌りかけた皆の思考を打ち破るべく、塚本が口を開く。

「物量だけではなく、戦術能力においても、わたしでは白峰に及びません。おそらく海戦において、奴を上回る軍人はいないでしょう。まともに攻めれば、各個の戦術において、必ず奴が勝利します。しかし、奴に『勝たせない』方法ならばあります」

 かつて兵学校時代、白峰と一対一で兵棋演習をした際、塚本が編み出した戦術だった。もし戦術が、あくまで戦勝を獲得するための手段であるならば、塚本のそれは、もはや戦術とは呼ばない。あくまで相手の戦術的勝利を封ずるための手段だ。演習時間内には決着がつかず、仕合はそれっきりとなったが、さらに時間を積めば確実に敗北することは塚本も理解していた。

「要は持久戦に持ち込むわけです。白峰の戦い方は、敵の戦術を逆手に取り、早期に逆転する手法です。ならば、最初から積極的攻撃を考えなければいい。防御に徹しつつ、敵を個別に攻撃・撃破していく受動的攻撃を行うことでしか、奴の戦術を封じることはできないと考えます」

 塚本は言った。むろん、こちらが防御に徹していることを悟られないよう、行動を欺騙しなければならない。そのためには高い指揮能力、操舵技術、連携が必要となる。

「確かに、敵にどのような能力の艦がいるかも分からない現状、突撃するのはリスクが高すぎます」

 熊が同調する。まず敵の戦力を計るためにも、敵からの攻撃を誘発することが必要だ。

「そうなると、できる限りの人員を艦娘に搭乗させねばならないな。トレス海峡での戦いが、人間との共闘の有効性を証明した限りは」

 山口は言った。実は飛龍から、この戦いには艦娘だけで出撃させてくれ、と申し出を受けていた。これまでの戦いと違い、今回は敵を屠る戦いだ。人間を守る余裕はない。艦娘も決死の覚悟をしている。十死零生。守るべき人間が赴く戦いではない。

「敵の戦力を把握し、戦闘を膠着状態に持ち込んだ上で、我々が勝利できる可能性は、航空戦力に賭けるしかありません。島そのものへの攻撃が必要ですので、空母と艦載機が鍵となります。どのみち、艦娘に乗艦する軍人がいなければ、勝利の目はありません」

 福井は言った。

 提督たちは、連合艦隊長官に対し、最後の命令を待っていた。すなわち、総員乗艦のうえ出撃の命令を。ここで躊躇えば、反艦娘の軍人たちの離反を許すことになりかねない。事実、彼らはこの後の及んでも、まだ不穏な考えを巡らせている。

 しかし山口は、首を横に振った。

「意志を違える者を、戦場に入れることはできない。飛行隊と航空母艦を除き、各戦隊に指揮官一名を最低限乗艦させ、残りは任意とする。希望する者は、艦娘に対し、自ら許可を求めるように下達する。なお、希望する艦娘には、艦娘自身が自らの指揮官を選定することを許す」

 毅然として山口は言った。ついに、戦いの主役は艦娘に移った。戦列に加えてもらえるよう、人間が艦娘に依頼する。艦娘が自分の提督を選ぶ。それらを山口は解禁しようとしていた。

「我々の内輪もめなど、もう取るに足りない。彼女たちの戦いを煩わせることがなければ、離反した者が敵の砲火に焼き尽くされようと関知しない」

 逆らう者は、衝突する前に切り捨てる。派閥内では同じ民族同士争い、派閥内では人間関係を良好にすることばかりに配慮するのが、日本人の組織慣行だ。その悪しき慣行を濃縮したような日本軍が、ついぞできなかった決断を、山口はやってのけた。

 渋谷は、その夜、麾下の駆逐隊を集めた。すでに山口の命令は艦娘にも伝わっている。第二駆逐隊「白露」「時雨」「夕立」「五月雨」、第三駆逐隊「長波」「夕雲」「早霜」「清霜」、最も長く苦楽を共にしてきた、第七駆逐隊「朧」「曙」「漣」「潮」「陽炎」「不知火」「霞」、そして事実上の初期艦であり秘書艦の重巡「摩耶」。渋谷は、彼女たちの顔をひとりひとり見つめる。決意、緊張、恐怖、不安、あらゆる感情の混ざる瞳たちが、提督を見つめ返す。

 最終決戦を前にして、彼女たちに少なくとも迷いはない。

 それだけで渋谷には勝利への希望が湧いてくる。

「提督、あのさ」

 珍しく逡巡した面持ちで長波が言った。

「少将は、引きうけてくださったか?」

 言いにくそうな彼女に、渋谷は自分から問いかける。

「ああ。水雷戦隊の指揮官として、最後まで共に戦うと誓ってくれたよ」

 微笑みながら長波は言った。第三駆逐隊は、神通率いる第二水雷戦隊の一員として参戦を希望していた。二水戦の指揮官である田中頼三少将は、快く彼女たちを受け入れてくれたようだ。

「本当は、三駆の指揮官として、提督に乗艦してほしかったけど、それは贅沢すぎるって皆で話しあったんだ」

 少し照れたように長波は言った。

「提督は、提督が乗艦すべきだと判断した艦にて、指揮をお取りください。わたしたち第三駆は、提督から学んだことを無駄にはしません。水雷戦隊として、必ず我らの艦隊に勝利をもたらしてみせます」

 おっとした中にも闘志の滲む声で夕雲は言った。

「第二駆も異存ありません。例え指揮系統が違おうと、わたしたちの提督は、渋谷提督ひとりですから」

 饗導艦らしい、きりっとした顔つきで白露が続く。皆、渋谷が誰に乗艦するのが一番ふさわしいか、最初から理解していた。その艦娘は、戦うためだけではなく、心から提督を求めている。この戦いに悔いを残さないために、渋谷は彼女に乗ってしかるべきだった。

 渋谷は、一同に会した部下たちに、最後の訓示を授ける。

「ここまで、よく生き残ってくれた。きみたちひとりひとりの、人類のために戦うという決意と覚悟が、深海棲艦を打ち破るのみならず、我々人間の心も動かした。日本国の意志は変わろうとしている。アメリカをはじめとする、世界の国々の意志も変わっていくだろう。世界から完全に争いをなくすことは不可能であろう。しかし、人間は過ちを繰り返しながらでも、少しでもよい方向に自ら進むことができる生き物だ。きみたちは、人間にチャンスをくれた。深海棲艦の支配のもとでは、二度と訪れることのない、進化へのチャンスを。きみたちに救われた一人の人間として感謝したい」

 そして、と渋谷は続ける。

「きみたちの提督として、指揮官として、懺悔することもまた許してほしい。これから臨む戦いは、我々の生還を前提としていない。本来、このような作戦を、作戦とは呼ばない。しかし、深海棲艦の母胎を滅ぼせば、それで人類は救わる。人間の都合だけで、きみたちを死地に追いやる我々を、どうか許してほしい。だが、戦いの終わりに、きみたちが海に帰るというならば、そのときは我々も共にいこう。共に戦ってきた戦友として、仲間として。俺たちの命が、きみたちの慰霊となるならば本望だ」

 渋谷は言った。艦娘たちの中には、泣いている者もいた。多くの艦娘が目に涙を湛えている。自ら乗艦を希望した軍人たちは、艦娘とともに死ぬことを受け入れているのだ。それほどまでに、自分たちは愛されているのだと娘たちは知った。

「生きろとは言わない。ともに戦い、そして勝とう」

 目指すべきは勝利のみ。死んでも勝つ。渋谷の言葉に、艦娘は全力で応える。

 

 

 四月九日。

 インドネシア方面の大陸封鎖を解いた敵の大艦隊が、ついにオーストラリア南海岸にも押し寄せた。山口連合艦隊長官は、最後の大海戦に向けた部隊の編制を完結させた。

 

 

 

連合艦隊司令長官 山口多聞大将

 

 第一艦隊 司令長官直卒

  第一航空戦隊 大鳳直卒

           空母「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」

  第二航空戦隊 司令長官直卒

           空母「飛龍」

           軽母「千歳」

  第一一航空戦隊 藤田類太郎少将

           軽母「鳳翔」

  第一水雷戦隊 木村昌福少将

           軽巡「阿武隈」

   第二駆逐隊 大島一太郎大佐

           駆逐「白露」「時雨」「夕立」「五月雨」

   第六一駆逐隊 天野重隆大佐

           駆逐「秋月」「照月」「有明」「夕月」

  第二戦隊   西村祥治中将

           戦艦「扶桑」「山城」

  第四戦隊   鈴木義尾少将

           重巡「高雄」「愛宕」「鳥海」

  第九戦隊   岸福治少将

           重雷「大井」「木曾」

  第一六戦隊  渋谷礼輔少佐

           重巡「摩耶」

           駆逐「朧」「曙」「潮」「漣」「陽炎」「不知火」「霞」

 

 

 

 第二艦隊 武蔵直卒

  第一戦隊   熊勇次郎少佐

           戦艦「武蔵」「長門」

  第一戦隊第二分隊 伊勢直卒

           戦艦「伊勢」「日向」

   第六駆逐隊 響直卒

           駆逐「響」「暁」「電」

   第八駆逐隊 朝潮直卒

           駆逐「朝潮」「満潮」「山雲」

  第五航空戦隊 柳本柳作少将

           空母「雲龍」「天城」

  第三水雷戦隊 橋本信太郎少将

           軽巡「川内」

   第一一駆逐隊 福岡徳次郎大佐

           駆逐「白雪」「初雪」「深雪」

   第三〇駆逐隊 西野繁少佐

           駆逐「睦月」「如月」「弥生」「望月」

  第五戦隊    長井満少将

           重巡「妙高」「羽黒」

  第六戦隊    松本毅少将

           重巡「最上」「鈴谷」「熊野」

  第七戦隊    高木武雄少将

           重巡「古鷹」

           軽巡「天龍」「龍田」

 

 

 

 第三艦隊 司令長官 三川軍一中将

  第三戦隊 司令長官直卒

           戦艦「陸奥」「榛名」

  第三航空戦隊 城島高次少将

           軽母「飛鷹」「隼鷹」

  第四航空戦隊 大林末雄少将

           軽母「瑞鳳」「龍驤」

  第二水雷戦隊 田中頼三少将

           軽巡「神通」

   第三駆逐隊 川本正雄少佐

           駆逐「長波」「夕雲」「早霜」「清霜」

   第一九駆逐隊 大江賢治大佐

           駆逐「綾波」「敷波」「春風」「旗風」

  第四水雷戦隊 早川幹夫少将

           軽巡「阿賀野」

   第二○駆逐隊 山田雄二大佐

           駆逐「天霧」「早潮」「朝霜」

   第二二駆逐隊 河辺忠三郎中佐

           駆逐「皐月」「卯月」「文月」

  第八戦隊    阿部弘毅少将

           重巡「利根」「衣笠」

  第一〇戦隊  森友一少将

           軽巡「長良」「五十鈴」「由良」

  第一三戦隊  木村進少将

           軽巡「矢矧」「酒匂」

   第一〇駆逐隊 白石長義大佐

        駆逐「野分」「舞風」

  第一七戦隊  球磨直卒

           軽巡「球磨」「多摩」

   第一六駆逐隊 塚本信吾少佐

           駆逐「初風」「雪風」「天津風」「時津風」

   第一七駆逐隊 磯風直卒

           駆逐「磯風」「浜風」「浦風」「島風」

   第二一戦隊  志摩清英中将

           重巡「那智」「足柄」

 

 

 別動隊 福井靖少佐

   海中機動部隊「伊401」「伊168」「伊19」「伊8」

 

 

 

 前線にまで辿りついたものの、機関を損傷するなどして、戦闘参加が困難な艦は、後方偵察隊として、戦場の外周を警戒する任務にあたることとなった。とにかく、持てる全ての戦力を合理的に配置することに重点が置かれた。さらに、艦娘から直接指名を受けた将校は、階級に関わらず戦隊の指揮官に任じられた。また、実力があり、独立心の強い艦娘は自ら隊を率いることを主張し、山口はこれを認めた。

 三つに分かれた艦隊は、敵がどのような能力を持っていても対応できるよう、それぞれ特化された機能を担っている。

 第一艦隊は、攻撃、機動、回避に渡りバランスの取れた編制。主に空母による、遠距離からの攻撃を想定している。

 第二艦隊は、小回りがきき、しかし強固・強力な編制。敵主力の機動を封じ込める、遊撃部隊としての機能を担う。

 第三艦隊は、俊敏に機動し、かつ広範囲に素早く展開できる編制。敵陣奥深くに切りこみ、目標である島周辺を制圧することを使命とする。

 未知なる敵に対し、これが最善の構成と思われた。

 編制完結が言い渡され、艦体の整備も終わり、出撃を明日に控えた日の夜。

 渋谷は、ひとり島の海岸を歩いていた。人間の手が入っていない、剥き出しの磯部を散歩していると、かつてラバウルで、初めて担当した艦娘たちと語らった日のことを思い出す。あれから、いくつもの大きな戦いが起こり、そのたびに何とか生き延びてきた。艦娘と人間は、当初、その立場や存在の相違から摩擦を繰り返し、それでも共通の敵に向かうため手を取り合った。彼女たちは、軍だけではなく、国の、世界の色を変えていった。艦娘が命がけで守ろうとしてくれたのは、愚かなままの人間ではなく、生きるに値する賢明な人間でありたいと、この世界は少しずつ望み始めている。

 だが、自分はどうだろう。

 誰よりも艦娘と身近に接してきた渋谷礼輔は、己の精神に何の変化を生んだだろう。ある艦娘の顔が脳裏に浮かぶ。彼女は他の艦娘とは違う方向に、進化の枝葉を伸ばした。戦うことを受け入れた上で、艦娘という種が、人間と交わることで世界に根を下ろすことを欲した。一九四四年のソロン以来、渋谷は、彼女の心あてに応えることができずにいた。

 ゆえに今、思考の中心を占めていた彼女本人に声をかけられ、渋谷は驚きのあまり、完全に足を止めて固まってしまった。

「よう、提督。こんな暗がりで散歩は危ないぞ」

 月あかりの中に、見知った影が浮かんでいる。その声を聞いただけで、誰なのかすぐに分かる。摩耶は、ごく自然に渋谷の隣に並ぶ。

「すまない。心の身辺整理をしようと思ってね」

「なんだよ、死ぬ間際のジジイみたいなこと言いやがって」

 渋谷の言葉に、摩耶は苦笑する。しかし、その伏し目がちの瞳には、拭いきれない不安が揺れている。

「最終決戦だからな。どんなことがあっても戦い抜けるよう、自分の心を固めておかないと、おまえたちの指揮官ではいられないし、おまえに乗る資格もない」

 渋谷は言った。摩耶は何も言わなかった。万が一の奇襲に備え、今日は摩耶の艦上で夜を明かすつもりだったので、港まで戻ろうと彼女を促す。しばらく無言で歩いていたが、不意に摩耶が口を開いた。

「あんたは、死なせねえよ」

 これまでとは違う、ひどく冷めた、大人びた声だった。

「決戦だなんだと言われてるけど、あんたたちが死にに行くような戦いじゃないと、あたしは思ってる。艦娘を大事にしてくれた理解ある提督たちは、とくに。これからの世界には、人類共通の恐怖と直に戦った者たちの声が必要だ。深海棲艦の恐怖と、艦娘の勇姿を、後世に語り継いでくれる人間が。あんたたちが生き延びてくれたら、深海棲艦みたいな強引なやり方じゃなくても、世界を平和に導けるんじゃないかって艦娘は皆、考えている」

 摩耶は言った。艦と提督は運命共同体。勝てば生き残り、沈めば死ぬ。ならば艦娘にとって勝利とは、敵を討つことのみならず、人間を守ることでもあるのだ。

「だから、わたしは勝つ。守り抜くために勝つ。もし、勝利に貢献したいと思うのなら、最後まで死なないことだ。生きるか死ぬかの戦いで、あたしが理性を保てるのは、守るべき存在が、あたしの隣にいるからだ」

 摩耶は言った。彼女は、彼女の意志を貫き通そうとしている。ラバウルで出会った頃から現在まで、一切のブレがない。他の人間や、艦隊の運命など二の次という、ともすれば危険な思想。しかし、それは提督への愛情の裏返しだった。渋谷は気づいていた。しかし、己に染みついた軍人としての正しさが、摩耶に芽生えた愛を拒み続けていた。優先すべきは個の安全ではなく全体の勝利であり、上官と部下の間に私情をはさんではならない。渋谷は、常に正しく在ろうとしてきた。

「それにさ、あんたには、生きて戻らなくちゃならない理由があるはずだ」

 少しだけ微笑んで摩耶は言った。彼女が示唆することは、すぐに思い当たった。

「正直、悔しいよ。何度考えても、ハラワタが煮えくりかえりそうになる。人間と艦娘、どこがそんなに違うんだって。でも、戦いの終わりが見えてくると、やっぱり気づいちまんだよな。艦娘と人間では、生きる目的が、存在理由が、そもそも根本から違っていたんだなってさ。だから、なんというか、色々ふっきれた気がする。別に、あいつに対して負けを認めるわけじゃないぞ。ただ、この世界で自分が為すべきことが、やっとハッキリしたってだけ」

 穏やかな口調だった。たった三年と少しで少女の殻を破り、淑女の片鱗を見せている。この世に艦娘が在れるのは、戦いが続く間のみ。その僅かな時間で、少女たちは急速に魂を成長させていた。そして、自分自身の存在に答えを出し、納得して最終決戦に臨もうとしている。

 渋谷は何も言えなかった。胸に渦巻く感情を表現するには、今は、どのような言葉も正解ではない気がした。ならば、戦いが終わるまで胸に秘めていよう。もし摩耶と二人で生き残ることができたなら、そのとき彼女に伝えよう。

「共に勝とう」

 ただ一言、渋谷は言った。無二の戦友として、摩耶は彼の声に応えた。

 艦橋にて、摩耶は彼が寝付くまで、静かなピアノの旋律を奏で続ける。渋谷は、その曲の名を知らなかった。摩耶はそれを承知だった。提督に捧げる、密やかなる別離の曲だった。

 

 

 

 ○五○○。

 出撃の時は来た。総力を結集した連合艦隊は、第二、第三、第一艦隊の順にタスマニアの臨時鎮守府を出港する。海域と気象を知りつくした敵に、もはや小細工の意味はない。真正面から昼戦を挑むつもりだった。

 タスマン海を渡り、ニュージーランドとノーフォーク島の間を通過したが、ここにも陸地を封鎖する艦隊の姿はない。海洋封鎖が始まって以来、不気味すぎるほど海は沈黙していた。やがて西経一六〇度から、艦隊は航路を北に向ける。そこから、突如として海の表情が豹変した。太平洋の名のとおり穏やかに凪いでいた海面が、突如として高い波を湛え始める。ぎらぎらと海を輝かせる晴天に反して、にわかに風も強くなった。南回帰線を超える頃には、艦体にぶつかる波濤が甲板まで届くようになる。さらに、雨が降る気配もないのに空が急激に陰り、得体のしれない、どす黒い雲の渦に覆われる。荒波をひとつ越えるごとに、艦娘たちは胸の奥を怖気で震わせる。まるで海そのものが、癒えることのない怒りと憎悪を吼え叫んでいるかのようだ。

 ここまでは米軍の情報提供の通りだった。艦隊は、目標の孤島まで七〇キロの地点に迫る。そのとき、先頭を行く第二艦隊の第三水雷戦隊旗艦「川内」から通信が入る。

『二時と十時の方向、およそ二〇キロ地点に、レーダーピケット艦と思しき小型艦を確認。電探および対潜ソナーに敵影なし』

 これで、敵は艦隊が来たことを知ったはずだ。艦載機による攻撃を警戒し、対空火器および、空母には艦戦の用意が指示される。しかし、半時間が過ぎても敵は仕掛けてこない。ピケット艦の影だけが不気味に付きまとう。敵の勢力は、いったいどれほどの規模なのだろう。先制攻撃の必要がないほど巨大であるとしか思えなかった。敵の牙の中に、連合艦隊はまっすぐ飛び込んでいく。

 一三五○。ついに、荒れ狂う水平線の彼方に、漆黒の島影が見えた。深海棲艦の根源、ラロトンガ島。しかし艦娘と軍人たちは、目標を発見した希望ではなく、目の前の絶望に抗うため心を引き締め直す。島の前に立ちふさがるように、深海棲艦の大艦隊が布陣している。その数は目算でも三〇〇隻をゆうに超えている。敵もまた、太平洋方面における遊撃艦隊が、全て決戦の海に集結していた。彼我の戦力差は、三倍以上。そのうえ敵将は、圧倒的な創造力により全ての戦術を引っくり返してしまう白峰晴瀬。このような絶望的な状況下においても、なお山口多聞は不敵に笑う。こうなることは予測していた。ならば連合艦隊は、事前に立てた作戦を徹底的に貫き通すのみ。

 この戦い、先に意志を曲げたほうが負ける。

「戦闘配置!」

 山口の指示が全艦に伝わる。それと同時に、敵が動いた。鋼鉄の壁のような単横陣の中から、示し合せたかのように戦艦、重巡などの大火力艦が先行し、みるみるうちに陣形を整えた。この動きに山口は、改めて白峰の恐ろしさを知る。通常、指揮命令系統は、艦隊ごとの完全なる上意下達式である。海軍に限らず、軍を動かすにおいて、指揮系統の統一は基本中の基本だ。しかし、敵はその原則すら破ってきた。敵には艦隊の垣根がない。状況に合わせて、最も有効な編制を組み、即座に新たな命令系統を樹立する。あらかじめ役割が決まっている連合艦隊に対し、敵は変幻自在。白峰を頭脳とし、まるで艦隊全体が一個の生命体のように複雑な連携のもと、合理的に機能している。こうなっては、どのような策も通用しない。

 敵の編制を見るに、こちらの出鼻をくじくための突撃部隊だろう。ならば、ぶつけるべきはひとつ。

「第二艦隊、先行せよ」

 山口の命令に、第二艦隊旗艦の武蔵が応じる。互いに先行するふたつの艦隊が、反航戦にて戦いの火蓋を切ろうとしている。

「第三艦隊、第二艦隊に続け。砲雷撃開始と同時に、右舷に抜け、突撃を開始する。第一艦隊、輪形陣を維持しつつ、第二艦隊に続け!」

 連合艦隊は、よどみない動きで作戦を遂行していく。やがて、第三艦隊の先頭と、敵の先頭が距離十五キロにてすれ違う。

『砲雷撃戦、始め!』

 武蔵の命令が響く。三水戦の魚雷攻撃を筆頭に、第二艦隊の砲撃が敵に集中飽和する。しかし敵は、絶対的な物量の壁で、戦艦四隻の凶悪な砲撃を防ぎ、反撃に転じた。武蔵のもとに次々と被弾報告が舞い込む。しかし、いかなる犠牲を払おうとも、第二艦隊は止まることはできない。

 武蔵が命令を飛ばす間、参謀として彼女に乗艦した熊は、注意深く敵の動きを探っていた。おそらく、敵も最大火力を有する艦隊をぶつけてきている。彼の予想通り、バルジ型に膨らんでいた敵の艦列の中心から、それは姿を現した。

「……化物め」

 冷や汗を流しながらも、どこか楽しそうに武蔵は口の端を歪める。

 おそらく、敵は戦艦なのだろう。だが、果てして本当に戦艦と呼んでいいのか疑問が残る。それほどに敵は巨大だった。世界最強の戦艦とうたわれた大和を、はるかに凌駕している。艦橋前に二基六門、後方に一基三門搭載された主砲は、物理的限界と呼ばれた四六センチ砲を上回り、明らかに五〇センチを超えていた。この艦こそが、かつて太平洋方面軍第一艦隊の旗艦にして、もっとも若い深海棲艦である、大戦艦「イグニス」だった。武蔵の視力は、堂々と主砲塔の上に立つ敵の顕体を捉えていた。ゆったりとした黒いドレスをまとい、長門のような艶やかな黒髪を腰まで垂らしている。美しい顔をしていた。しかし、額に生えた一本の鋭いツノと、真っ赤に燃える双眸が、彼女の存在全てを凶悪に歪めている。

 その瞳は、第二艦隊の中心部をまっすぐに捉えていた。

 怪物じみた主砲が旋回し、こちらに狙いを定める。

『回避!』

 武蔵はとっさに叫んだ。海を割るような衝撃波とともに、悪魔の砲弾が空を裂いて第二艦隊に降り注ぐ。海面が薙がれ、津波のような飛沫が武蔵の艦橋を飲み込んだ。つづいて後方から悲鳴が轟く。あの冷静沈着な日向が、思わず苦痛の声を漏らしていた。艦橋の後ろに命中した砲弾は、まるで巨大な怪物に喰いつかれたかのように、彼女の艦隊の半分を半円状にごっそり抉り取っていた。それでも、まだ生き残った機関を最大動員して、日向は戦速を維持し、砲撃を続ける。

「当たり所が悪ければ、一撃で轟沈か」

「その割に、焦りがないな」

 呟く武蔵に、熊は言った。

「焦りならあるさ。でも、それ以上に嬉しいのだ。姉の大和は、戦艦として立派に務めを果たしたと渋谷提督から聞いた。今はわたしが、姉をうらやむことなく、こうして人類の命運を分かつ大海戦に参加している。こんなに光栄なことはない」

 武蔵は言った。顕現してから、ほとんどの時間を本土とトラックにて、海軍の「象徴」として過ごしてきた彼女は、ついに艦隊決戦という檜舞台に立つことができた。彼女の表情には誇りのみ輝いている。

「ならば、さらなる勝利という光栄を、きみの手で掴み取るといい」

 未だ砲撃が続く中、熊は言った。ここまで来て、不安や焦燥を抱いても仕方がないと開き直る。ならば豪放磊落な彼女にならい、せめて海の男らしく最期まで戦い抜こうと腹を括った。

 武蔵は、少し驚いたように熊を見つめたのち、微笑みながら口を開く。

「我が人生の最後に、あなたという人間に出会えてよかった」

 武蔵は言った。

 その直後、反攻戦は終わる。武蔵は作戦通りに回頭をかけ、撤退するかのように反転していく。敵艦隊はすぐに追撃をかけてきた。砲弾を浴びるリスクもいとわず、熊は艦橋から双眼鏡を覗きこみ、敵の動きを分析する。反航戦から即座に同航戦に移ろうとしている。教科書通りの隙のない動き。基本戦術をきっちり理解していることが伺える。しかし、その動きは単調だった。旗艦が指示しているとすれば、おそらく、あの化け物戦艦に白峰はいない。

「第一艦隊旗艦に報告。敵艦隊、北西方向より接近」

 熊は連合艦隊旗艦・飛龍の山口へと敵の動きを報告する。

『第一艦隊、了解。作戦を続行せよ。加えて、二〇分後に、第二航空戦隊、第五航空戦隊は、第三艦隊の援護に艦爆、艦攻、艦戦を出撃させる。また、同時に第三、第四航空戦隊の艦載機出撃を許可する』

 山口からの指示が返ってくる。第三艦隊は、その機動力を生かして、まさに敵陣奥深くに切りこもうとしていた。

 

 第三艦隊の先陣を征く二水戦を援護するように、第七戦隊麾下の、塚本信吾少佐率いる第一六、第一七駆逐隊が追随する。もっとも被弾しやすい位置に布陣しているが、駆逐隊のなかでも攻撃において、最高練度を誇る塚本隊が信頼により抜擢された結果だった。塚本は、第七戦隊の旗艦である軽巡「球磨」から、戦隊の指揮官を要望されていた。しかし、塚本はこの申し出を辞退した。彼は被撃沈のリスクが高かろうと、駆逐艦乗りとしての自らの矜持を貫いた。

「とにかく雷撃を絶やすな! こんだけうじゃうじゃいるんだ、撃てば当たる!」

 島を守る敵の本陣と乱戦状態のなか、塚本が叫ぶ。

「言われなくたって、避けるのに精いっぱいだわよ!」

 初風が叫び返した。敵は潜水艦を警戒しているのか、戦艦や重巡に混じって、ハンターキラー群も多く待ち構えていた。そのせいで、敵は思わぬ機動力を得て、軽快に第三艦隊を砲雷撃に晒してくる。秒単位で、海面に水柱が上がっている。

 このような状況でも、まだマシだと塚本は言い聞かせる。なにせ、敵は未だに航空戦力をぶつけてこない。

「なんで艦載機を使わないのかしら。この戦力差で、出し惜しみってことはないわよね」

 魚雷管を操作しながら、初風が尋ねる。

「敵は、かなり注意深くなっているようだな。警戒しているんだろう、俺たちが何か逆転手を隠し持っているんじゃないかって」

 塚本は言った。幾田の国を賭けた騙し打ちによって、あろうことか世界最強の国が、艦娘に頼らざる深海棲艦への対抗策を手にしてしまった。まさに窮鼠猫を噛む。深海棲艦は、相当なショックを受けただろう。そのせいで計算が慎重になりすぎている可能性はある。

「逆転手、ね。実在するとすれば、そんなのに頼らなければならないほど、追い詰められているのは、わたしたちの方なのに」

 初風は皮肉っぽく笑う。

 そのとき、艦隊旗艦の陸奥から、山口長官の指示が下達された。

「艦載機による攻撃が許可された。援軍も来るぞ!」

 塚本は、一六、一七駆に伝える。乱戦の最中、わずかに希望が灯る。三航戦、四航戦から次々と爆撃機、攻撃機が飛び立ち、つぎつぎと敵艦の甲板に穴を開けていく。島の周囲に布陣していた敵空母からも、迎撃用の戦闘機が飛び立つが、歴戦の二航戦と五航戦からの援軍により追い落とされていった。

『二時の方向、敵艦隊分断!』

 磯風が叫ぶ。それと同時に、旗艦・陸奥から二水戦へと転舵の指示が飛ぶ。

「よし、このまま二水戦に続け! 島の沿岸まで切りこむ!」

 塚本は駆逐隊に言った。

 第三艦隊の任務は、島周辺をできる限り制圧するとともに、陣深くの敵戦力を暴くことだ。最終決戦において、敵がどのような艦を従えているか分からない。それこそ、戦艦レ級のような、たった一隻で戦況を引っくり返す艦がいてもおかしくはない。戦場を引っ掻きまわし、敵の情報を丸裸にしなければならない。

 第二、三、四、五の航空戦隊の連合軍が、大編隊を組んで空を制圧していく。敵の陣形を突破し、ついに艦隊から先行して島に爆撃をかけようとした。見れば見るほど異常な島だ。海と空より、さらに暗い。そこだけ空間に穴が開いたかのような、純然たる漆黒で覆われている。塚本は、思わず島から目を逸らす。見る者には等しく、生理的な恐怖と嫌悪を抱かせる存在だった。

 深海棲艦の母胎まで、あと七キロ。

 そのとき、空では奇妙な事が起きていた。飛行隊を必死で迎え討っていた敵戦闘機が、急にターンして追撃を止めたのだ。これでは島上空は完全に無防備。飛行隊は、障害が消えた空の道を一直線に進んでいく。あまりに裁定者らしくない戦術行動。塚本は一瞬、この行動の意味が理解できなかった。

 しかし瞬時に、長らく深海棲艦と火砲を交えてきた提督としての勘が囁く。これは危険な兆候であると。

 そして、塚本ほど勘が鋭くない軍人たちも、その数秒後には強制的に理解させられることになる。なぜ敵が一斉に退いたのか、その意味を。

 島の沿岸まで五キロの地点。その境界を超えた瞬間、艦載機は黒い煙と鉄片と化した。後に続く機は、まるで吸い込まれるように解体され散っていく。空に墨をぶちまけたように、飛行隊の突撃ルートに黒い暗幕が漂う。見えない壁に激突していくかのように、一機たりとも境界を超えることはできなかった。

『敵の対空砲火です!』

 先頭を行く神通が言った。

 ぐるりと島を囲うように、灰色の膜が海から立ち上っている。オーロラのように揺らめくそれは、絶え間ない弾丸のカーテンだった。たまらず飛行隊は散り散りにばらけ、想像を絶する対空砲火から逃れていく。それらの火砲は、島の周囲に浮かんでいる駆逐艦ないし軽巡サイズの艦から放たれている。三キロごとに一隻配置され、一機たりとも通る隙間がない。扁平な甲板に突き出した火砲と機銃が、正確に空の機体を撃ち落としている。敵の練度は、もはや艦娘の限界を超えていた。その動きを理解した神通は、自らの身体が怖気に震えるのを感じる。敵は、まず通常の機銃掃射で艦載機の動きを誘導し、自らの火線と空の艦載機の動きが重なり、相対的に停止したところを、なんと通常の艦砲により正確に撃ち抜いていた。艦載機が編隊を組んで密集しているところには炸裂弾、単機であれば通常の徹甲弾により撃破している。

「馬鹿な。艦載機が、艦砲で落されるなど」

 塚本は呟く。対空砲火とは、いわば数撃ちゃ当たるという世界だ。一撃必殺の砲など、現在の人類の技術では実現不可能。

 その不可能を、深海棲艦はやってのけていた。

『陣形を組み直す。戦艦は左舷、重巡は右舷に展開!』

 陸奥の声が飛ぶ。第三艦隊の最重要目標が決まる。島を囲う、敵対空艦を撃滅することだ。装甲の厚い戦艦、重巡を外側に配置し、艦隊は『W』の陣形を取った。目標まで辿りつくには、島の周辺を跋扈する有象無象の敵艦を破らねばならない。第三艦隊は、一点突破を試みようとしている。

 被弾した艦は捨てゆく。これも事前に決めておいた、艦隊の教義だ。塚本隊は、二水戦と並んで左翼の先頭を行く。荒波と砲弾による飛沫、仲間から噴き出す被弾の炎を乗り越え、目標に接敵する。

『見つけた。目標の旗艦、左舷一〇時の方向!』

 島風が叫んだ。彼女の示した方角には、一隻の艦が堂々と鎮座している。艦体は重巡ほどの大きさで、対空巡洋艦の摩耶を思わせるハリネズミのごとき重厚な対空装備を纏っている。狙撃ライフルのような長い砲塔が、計八門、空を射抜くようにそびえ立つ。異質なのは、艦橋の前方で回転している巨大なアンテナだった。丸みを帯びた白い角皿のような形をしており、人類製のアンテナとは似ても似つかない。

「あれが対空艦の指揮を執っているらしいな」

 塚本は敵を見据える。艦首に立つ敵の顕体もまた、戦うべき相手を見定め、嗜虐的な笑みを浮かべていた。引き締まった身体と亡霊のような白い髪。その純白の肌と赤い瞳は、彼女が間違いなく深海棲艦の上位個体である姫クラスであることを物語る。

「そっか。きたんだ。ふふ、来たんだ」

 姫は獲物を睥睨する。防空艦隊旗艦「アストラ」。それが白峰より与えられた彼女の名前だった。

 

 

 

 島周辺を護るアストラ艦隊と、前線で交戦しているイグニス艦隊の中間にて、今や太平洋艦隊総旗艦となった空母「アウルム」率いる黄金艦隊は、戦艦、重巡を取り入れ、総合火力を持つ機動部隊として再編成を行っていた。

 アストラによる完全防空システムは、これが実戦での初使用だったが、とくに問題もなく機能していた。彼女には白峰が考案した、中央戦闘指揮所(CIC)の機能が搭載されている。ピケット艦、戦闘艦、艦載機、あらゆる主体からの情報をアストラが一括して処理し、立体の三次元迎撃マップを作製、それをもとに島の周辺に一五艦配置された防空艦群に、敵の座標、速度、移動方向、風向き、あらゆる情報を考慮したうえで、寸分の狂いもない対空砲火を指示する。通常ではありえない、艦載機を一発の砲弾のもとに撃ち落とす神業を、システムにより万人に対して可能にしているのだ。

「これで空の防衛は完全であることが確認されました。アストラ艦隊が、先行してきた敵をすり潰すのは時間の問題であり、大和型が率いる艦隊も、イグニス艦隊が応戦しています」

 艦橋にて、アウルムが報告する。特別にしつらえられた艦長席にて、太平洋方面軍総司令官、白峰晴瀬は、炎の止まぬ戦場の海を見つめていた。

「残る気がかりは、敵の旗艦隊の動きだ。正規空母を四隻、軽空母二隻。もし、あの兵器が敵の手中にあるとすれば、持っているのは旗艦隊だろう」

 白峰は言った。

 裁定者にとって唯一の懸念。それが、米フィリピン軍が守り抜いた原子爆弾の片割れだ。普通に考えれば、あの絶大な破壊兵器を、敵対するはずだった日本軍に譲渡するとは考えにくい。しかし、マッカーサーという男は仁義に篤い面も持っていると大西洋艦隊の情報部隊から報告が入っている。フィリピンで救われた際、原子爆弾を帝国海軍に託している可能性を、完全に否定することはできない。

 この微かな可能性が、アウルムには疎ましくて仕方なかった。巨大な歯車の群れにまぎれこんだ砂粒ひとつ。その程度で裁定者の勝利は揺るがない。しかし、ここ数カ月の体験が、合理と確率に基づいた自信に揺らぎをもたらしている。

「きみは今、苛立っている」

 アウルムの心境を察するように白峰は言った。

「これまでのきみは、計算結果を丸ごと受け入れてきた。勝つ可能性が高いのなら勝つ。ただそれだけ。何の感慨もない。しかし今は、ほぼ間違いなく勝つという合理的計算を出しておきながら、ほんの僅かな敗北の可能性ばかりが気になって仕方がない。それは非合理だ。だが、きみの抱える非合理を、僕は否定しない。きみは学ぼうとしているからだ。九十九%の死をくぐり、一%の勝利の抜け道を探そうとする人類の、浅ましく見苦しいまでの執念を学ぼうとしている。進化を求めている証拠だ」

 白峰は言った。やはり、この男の前では隠し事はできない。彼は裁定者と人類、両方の頂点に立てる存在だと、すでにアウルムは信じていた。

「きみは、敵が原子爆弾を保有していると思うか?」

「敵の先行部隊の行動如何によって判断したいと思っています」

 白峰の問いに、アウルムは即答する。もし原爆を保持していないのなら、艦載機による通常爆撃によって島を攻撃するしかない。それをアストラに阻まれ続けたなら、冷静な敵将ヤマグチは、無駄な犠牲を出さないため航空攻撃を諦めるはずだ。もし原爆を保持しているならば、是が非でも、それを島の上空に運ぶための活路を開かねばならない。ツカモトら水雷戦隊は、全力をもってアストラに挑むだろう。アウルムは、そう判断した。

 ちょうどそのとき、遊撃部隊を率いる大戦艦「イグニス」から連絡が入る。

「存外、苦戦しているようです。損害は出ていますが、想定の範囲内ですね。我々は予定通り、部隊を抽出したのち、敵空母群を叩きましょう」

 アウルムは言った。しかし、彼女の言葉を遮るかのように、新たな報告が入る。敵旗艦とおぼしき、空母「飛龍」を監視していたピケット艦からだった。彼女からの報告は、白峰も聞いている。

「予想外の動きだな」

 彼は言った。敵第一艦隊が、進路を突如、北西に変えたというのだ。ちょうどその先では、イグニスと武蔵の乱戦が行われている。さらに、空母「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」から、艦載機の発艦を確認したらしい。

「はい。島ではなく、艦隊そのものを叩こうとするとは」

 アウルムは言った。艦娘の構成からして、これが最終決戦と考えているのは明らかだ。ゆえに破壊すべきは島ただひとつであり、裁定者の艦をいくら沈めたところで無意味なことは敵も分かっているはずだ。

 山口艦隊の不可解な動き。敵の目的が読めなかった。

「急ぎ艦隊を編制。イグニス艦隊の支援に向かう」

 白峰が命令を下す。

 アウルムは、麾下の艦隊に最大戦速を命じる。向かってくるならば、叩き潰すより他にない。

 

 

 

「第一艦隊が来るまで持ちこたえる。撃ち続けろ! 奴も艦だ。撃って効かないことはない!」

 絶え間なく揺れる武蔵の艦橋にて、熊が叫んだ。

 武蔵、長門、伊勢、日向、名だたる戦艦が一斉に、敵の大戦艦に砲撃を浴びせる。しかし、どこに弾を受けようが、もうもうと黒煙を吐くばかりで、まったく沈む気配がない。その巨体は悠々と荒波を砕き、どこまでも第二艦隊を追撃する。その姿は、まさに不沈戦艦の名に相応しい。かの武蔵の力をもってしても、イグニスを完全に撃沈することは、半ば諦めかけていた。

『落ちついて回頭してください。敵の練度は、わたしたちに遠く及びませんわ』

 外縁の戦艦、重巡を渡り合っていた妙高が言った。彼女の言う通り、艦隊の機動は、圧倒的に艦娘側が勝っており、火力と物量の不足を補っていた。今や大破・轟沈数は敵のほうが多い。今も敵の旋回に対して、頭を押さえる形で、同航戦から丁字有利に持ち込んでいる。単縦陣をとった艦娘の砲、魚雷管が、敵の先頭から確実に潰していく。どうやら、敵は艦こそ強力なれど、実戦経験には乏しいらしい。その動きは、まだ基本戦術の枠から出ておらず、『戦場の勘』は体得していないようだった。

 このまま撤退しつつ、じりじりと敵を削っていこうとする第二艦隊。

 そこへ、偵察機を飛ばしていた五航戦の雲龍から通信が入る。

『三時の方向より、敵艦隊接近。空母五、戦艦六を認む。編制から見て、機動艦隊と思われる。敵旗艦と思しき空母ヲ級から、多数の戦闘機、偵察機発艦』

 この報告で、艦娘たちに冷や汗が伝う。おそらく、マリアナで大鳳たちが戦ったという、敵の最高機動戦力。それが恐ろしい速度で、こちらに向かっている。第二艦隊の空母は、雲龍と天城のみ。敵の旗艦クラス空母五隻を相手するには心もとない。

「今は愚直なまでに作戦を守るしかない」

 熊は言った。武蔵も頷く。たとえ敵の艦載機に嬲られようが、遊撃隊としての使命を果たす。

 それから二〇分後には、敵機第一波が飛来し、空は激しい乱戦となった。三水戦の駆逐艦たちが、必死の対空砲火を試みる。しかし敵の反跳爆撃は、身じろぎも許さぬ精度で艦娘の横腹に叩き込まれていく。武蔵の左舷にも、立て続けに二発が命中したが、彼女は悲鳴ひとつあげず、目を見開いて戦況を追っていた。

 いよいよ黄金艦隊の主力が到着しようとした刹那、にわかに空から敵機が駆逐されていく。

『第一艦隊の艦載機です!』

 羽黒の声が希望に燃える。荒れ狂う水平線上に、小さな艦影が次々と出現する。味方は戦場に間に合った。

 

 第一艦隊は、渋谷率いる第一六戦隊を先頭に、猪突猛進に突っ込んできた。空母を擁する大部隊が、惜しげもなく危険な鉄火場に馳せ参じたことに、アウルムは混乱を禁じ得なかった。

 戦力は裁定者に軍配があがる。しかし敵は、イグニス艦隊の未熟さを上手く利用し、撤退しながら着実に戦果をあげていく。その動きは、待ち伏せ戦術に似ていた。退却するふりをして、確実な各個撃破を狙う戦い方。気がつけば、イグニス艦隊は、その三分の一を消耗している。このまま続ければ、艦隊そのものがすり下ろされてしまいかねない。

 ここで、アウルムに、ある疑念が芽生え始める。

 奴等は、最初から原子爆弾など持っていないのではないか。アストラに突撃させたのは単なる囮であり、真の目的は、太平洋海域の裁定者を、可能なかぎり漸減することだとしたら。

 フィリピンで、クマとマッカーサーが何らかの密約を交わした可能性は高い。もしその内容が、艦娘の亡きあと、原子爆弾とアメリカの力をもって裁定者を殲滅することだとしたら。

 裁定者の戦力は、これ以上の増強を望めない。世界同時爆撃と、いつ原子爆弾を製造するかも分からないアメリカを延々空爆しなければならない。そのため資源が不足し、太平洋海域では、ついに陸地封鎖を一部解除するまでに至った。このままでは、人類の艦隊が海に出ることを許してしまうだろう。

 もし原子爆弾の技術が世界に流出し、人類が相討ち覚悟で使用してきたら。

 裁定者の世界戦略は、完全に崩れることになる。その場合は、人類も核汚染の煽りをうけて滅びるだろうが、そのような結末を裁定者は望んでいない。人類に必要なのは、あくまで正しい思想による支配なのだ。

 しかし、白峰の思考は、一切の動揺を見せない。彼は出現した第一艦隊、その先頭をじっと凝視している。

「黄金艦隊に通達。砲雷撃戦用意。奴が来るぞ」

 提督は言った。アウルムは、彼の視線の先を追う。北西に向かう第一艦隊の主力から逸れるように、一隻の重巡と二隻の軽巡、そして七隻の駆逐艦が、脇目もふらず黄金艦隊の中心部に切り込んでくる。

「決着をつけようか、渋谷」

 動揺するアウルムをよそに、楽しそうな声音で白峰は言った。

 

 

 

『目標、敵機動部隊! 魚雷斉射!』

 重雷装巡洋艦の木曾が言った。僚艦の大井とともに、敵の横腹に対して放射状に二〇、三〇発の魚雷を撃ちこみ、続いて次弾を装填する。しかし、黄金艦隊の動きも素早い。単縦陣から艦隊を傾けて梯形陣、その場で旋回して単横陣をとり、きれいに雷跡をいなしていく。その直後、敵空母から夥しい数の爆撃機が飛翔する。それらは艦娘に近づくと一気に高度を下げ、海鳥のように海面すれすれを駆け抜ける。第九戦隊と第一六戦隊にめがけ、反跳爆撃をかけようとしている。

『撃ち落とせ!』

 摩耶が叫ぶ。その声に第七駆逐隊が続く。対空火器が、艦の水平面に対し、深い俯角をとった。タスマニア島に滞在している間、工作艦「明石」は瀕死の身体に鞭打って、艦隊の対空火器に新たな改装を施していた。通常、空の敵を狙うための火器を、艦よりも低い位置を飛ぶ敵にも対応できるよう、火砲の稼働域を拡大したのだ。密集した渋谷艦隊から放たれる対空砲火の練度と威力は、アストラにも引けを取らぬほどだった。しかし、それでも物量が違う。火線をくぐり抜けた艦載機は、つぎつぎと爆弾を海面に放つ。それらは水切りの石のように海面を跳ね、艦娘の横腹に吸い込まれていく。その命中率は脅威の五割超えとなった。凄まじい衝撃とともに艦体が震える。摩耶は艦尾に被弾し、曙と漣は、まさに機関部のど真ん中に爆撃を受けた。

『こんなものか、深海棲艦!』

 曙が勇ましく吼える。反跳爆撃を警戒して、側部装甲を強化していた。粘り強い艦娘の特殊鋼を支えるように、その内側に人類製の鋼材をトラス(三角形を重ねた構造体)に組みこんだのだ。艦を動かすために大量の人間を乗せるためのスペースが必要ない艦娘だからこそ可能な改造だ。効果はてきめんだった。爆撃のダメージは大きく、装甲は歪にひしゃげたが、穴が開くことは防いでくれた。機関を圧迫される鈍痛を振り払うように、被弾した艦は最大戦速を維持する。

『今度はこちらの番よ!』

 陽炎が第七駆逐隊に指示する。狙うべきは、ただ一隻。有象無象の敵艦を振り払い、艦砲射撃にて、敵の旗艦空母を襲う。さらに、飛龍から支援の爆撃機が駆けつけた。黄金艦隊の頭上に水平爆撃を試みる。しかし、やはり白峰の相棒と言うべき艦は防御も堅い。飛行甲板に命中するが、爆炎をくぐり抜けた彼女は、ほぼ無傷だった。おそらく大鳳と同じか、それ以上の強度の装甲甲板を持っている。

『だったら、どてっぱらに砲弾ぶちこんでやるよ』

 摩耶が主砲にて、アウルムの側部を狙う。しかし、敵戦艦と重巡が盾になり、空母群を隠してしまう。

 まさに一進一退の攻防が続く。

 山口多聞は、黄金艦隊中心部での戦いを観察していた。反跳爆撃対策はうまくいっている。さすがに艦隊の中でも最高練度を誇る艦だけあって、早くも敵旗艦に肉薄していた。しかし、いかに練度が高く技術に優れようと、物量差を前にしては、いずれ逆転されてしまう。前世で大日本帝国が敗北したように。第一艦隊としても、第二艦隊と連携して撤退戦を繰り返しながら、ようやくイグニス艦隊とわたりあっている状態だ。そこに黄金艦隊まで加わって来たのだから、戦況は苦しい。

 しかし、この機を逃すことはできない。山口は決意する。

『ちくしょう、敵が分厚すぎる』

 摩耶がうめく。卵の黄身を守るかのようにアウルムを取り巻く軍艦は、文字通り壁となって渋谷艦隊を阻む。こうしている間にも、敵艦載機が絶え間なく飛来し、砲撃に晒される。奴等を突破するには、火力が足りない。せめて、敵を引きつける戦力が、あと一個戦隊あれば。

 そのとき、摩耶の通信網に新たな声が飛び込んできた。

『摩耶、聞こえる?』

 一瞬、摩耶は、その声の主が分からなかった。久しく聞いていなかった、懐かしい声。

『もしかして、姉さん?』

『そうよ。あなたがラバウルに転属になって以来ね』

 高雄型重巡の長姉、高雄は嬉しそうに言った。

『摩耶ちゃん、お久しぶり! 元気してた?』

『今参りますよ、姉さま』

 今度は愛宕と鳥海が通信に割り込んでくる。戦場だというのに明るく元気な姉妹の声に、摩耶は顔がほころぶのを感じた。彼女たちが来たということは、第四戦隊が主力を離れて支援に駆けつけてくれるということだ。厳しい戦況のなか、彼女たちを派遣してくれた山口長官に渋谷は感謝する。

『渋谷提督』

 高雄が、艦橋の渋谷に直接、語りかける。

『妹によくしてくださって、ありがとうございました』

 その声音から、感謝の念が滲み出ていた。

 高雄の脳裏には、パラオにいた頃の摩耶の姿があった。艦娘を兵器と見なす上官と、自らを人間と認識する摩耶は対立し、ついに摩耶は上官に暴行を加えた。通常ならば軍法会議ものだが、深海棲艦と戦える唯一の戦力たる艦娘を軍から追放するわけにもいかず、摩耶は最前線のラバウルに転属となった。事実上の左遷である。艦体を差し押さえられ、独り寂しく泊地を去る摩耶。その瞳には感情がなく、この世界全てを諦めたような、暗い絶望が満ちていた。姉妹たちは何もできず、ただ背中を見送った。しかし、ラバウルで摩耶は変わった。艦体を取り戻し、戦場では華々しい戦果をあげ、立派に駆逐艦たちを率いた。渋谷礼輔の名とともに、摩耶の活躍は中部太平洋の姉妹たちまで届いていた。

 そして今、圧倒的な敵を目の前にしてなお、自分らしく勇猛に戦う摩耶を見て、高雄は確信したのだ。摩耶の提督が彼で良かったと。

『御恩に報いるため、敵艦との戦闘、我々が請け負います! 提督は、敵旗艦を!』

 そう叫び、姉妹は一糸乱れぬ砲撃を敵艦に浴びせかかる。さらに波の流れを読んでいるかのように、しなやかな機動で敵の頭を塞ぐ。敵の壁は乱れ、隙間からアウルムの姿が見えた。

『この機を逃すな! 突撃!』

 摩耶の裂帛とともに、第七駆逐隊と重雷の二隻が、壁を打ち破る。そして、丁字不利にも関わらず、まっすぐ敵単縦陣の真ん中に突っ込み、渾身の砲撃と雷撃を浴びせる。これには、さしものアウルムも回避行動を取るしかなかった。海中では魚雷、船腹には砲弾、飛行甲板には爆撃。明らかに旗艦だけが集中攻撃を受けている。

 砲弾の直撃を受け、艦が大きく揺れた。被弾深度二。もう少しで格納庫まで破壊されるところだった。ここまでの痛手を受けたのは、一九四二年のウェーク島で、初めて白峰と戦ったとき以来だった。

「イグニス艦隊が押されている」

 白峰が言った。攻めているのはイグニスであるはずなのに、敵艦隊の巧みな機動によって、少しずつ戦力を削り落されている。しかも、第一艦隊が合流したことで、消耗のペースが早まっている。さらに、第三艦隊も同じ戦術をとり、アストラの対空部隊を守ろうとする艦隊を、じりじりと沈めていた。

 アウルムの計算は、恐ろしい結果を弾きだす。このまま戦闘を継続した場合、勝利は確実である。艦娘は残らず殲滅できる。しかし、裁定者艦隊は、その四割から五割を喪失する。これは部隊壊滅も同じだ。

 アウルムの疑念が、ますます高まる。本当に敵は原子爆弾を持っているのか。その疑念に拍車をかけるのが、渋谷艦隊の自滅覚悟の突撃だ。明らかにアウルムのみを撃沈しようと動いている。

 まさか、と彼女は思う。奴等の目的が、裁定者をできる限り漸減するのみならず、我らの提督を殺戮することだとしたら。白峰の存在は、いかなる戦力とも代替がきかない。彼を失うことは、裁定者の脳髄を失うも同然だった。もし山口が、この戦闘において、イグニスよりも白峰を葬ることを優先したとすれば、身を切るような支援を指し向けたことも納得できる。

 アウルムは、ただちに自らの考えを伝える。

「確かに、そう考えれば敵の行動に辻褄が合う。しかし、やはり敵が爆弾を持っている可能性は、完全には否定できない」

 そう言って、白峰は脳髄の通信機能を開く。

「一%でも可能性があるのならば、注意するに越したことはない」

 白峰は、ピケット艦に呼びかける。島を中心として、半径約五〇キロ圏内に配置した、全てのピケット艦に、少しずつ探索範囲を中心に向かって狭めていくよう指示を飛ばした。もう艦娘のほとんどが、戦場に集合していると思われる。ならば、外縁に置いていたピケット艦を内側へと集めていくことで、より精度の高い索敵を実施するつもりだった。渋谷艦隊の執拗な攻撃に耐えること三〇分。

「ほう。存外、早く見つかったな」

 渋谷は言った。ピケット艦が送ってきた海域データをアウルムに転送する。

「その方向に索敵機を飛ばせ」

 渋谷は言った。アウルムは損傷を受けていない僚艦の空母に、索敵機発艦を命じる。索敵機に搭載されたセンサが、アウルムの目となり戦場の情報を伝えてくる。やがて白峰が示した場所に、彼女は発見した。

 主戦場から南東に二〇キロほど離れた場所に、二隻の軽空母と、四隻の駆逐艦が取り残されたように浮かんでいる。軽母は、千歳と鳳翔と思われた。駆逐艦は、対空能力の高い秋月型だろう。千歳の飛行甲板には、いつでも発艦できるよう、艦上戦闘機が待機している。しかし、鳳翔の飛行甲板には艦載機がひとつも見当たらない。

「ビンゴだ」

 白峰は言った。戦闘に加わらず、安全な場所で待機している軽空母たち。万が一、潜水艦や艦載機に攻められたときのため、対空、対潜能力の高い駆逐隊と、航空戦力を持たせている。一隻でも味方が欲しい最終決戦において、わざわざ戦力を安全圏で遊ばせている理由はただひとつ。

 絶対に失いたくない何かを艦内に擁しているからだ。

 そして、飛行甲板を完全にフリーにしている鳳翔こそ、その何かを隠し持っている艦だ。大型の爆弾を抱えた機は、発艦までに十分な助走距離が必要となる。いつでも、その機体を出せるよう、飛行甲板を空けているのだろう。

「艦爆を見つくろい、艦戦に護衛させて、軽空母群に攻撃をかけろ」

 白峰は新たな命令をくだす。アウルムは忠実に彼の言葉を実行に移した。予想通り、千歳から艦戦が飛び立ち、つぎつぎと裁定者の機体を落していく。これでは上空に近づくこともできない。驚くべき練度だ。その中に、アウルムは見つけた。これまで、数多の戦場にて、こちらの機体を撃ち落としてきた敵機。十対一でも裁定者は敵わない。その存在は、艦隊をまたいで知れ渡っていた。

 尾翼には、シンボルとでも言うべき赤い稲妻が塗装されている。

「稲妻が現れました。彼女が率いる飛行隊は、前線部隊のなかでも最高練度を誇っています。彼女が現れたということは、あの軽空母こそ敵の最重要個体であると判断できます」

 アウルムは言った。

 軽母「鳳翔」に、敵の最終兵器たる原子爆弾が搭載されている可能性は極めて高い。

「ただ、赤い稲妻の部隊を相手にするとなると、主戦場が手薄になります」

「構わない。鳳翔が発見された今、敵も形振り構ってはいられなくなる。奴等の底力を甘くみてはいけない。潰せる時に潰す」

 白峰は言った。アウルムの頭脳は、彼の判断が正しいと結論をくだしていた。彼が間違ったことなどない。しかし、なぜか今回だけは、その判断に異を唱える自分が、ほんの一部だけ存在する。

「よろしいのですか。あなたの身を危険に晒すことになります」

 困惑しながらアウルムは尋ねる。もちろん白峰の答えは是だった。

「すでに世界戦略は完成している。たとえ僕が滅びようと、裁定者の目的は達成できる」

 極めて合理的な判断。

 アウルムは、駄々をこねるように抗う己の一部を黙殺し、命令に従う。

 胸が痛い。顕体にダメージはないはずなのに。産まれて初めての感覚は、合理と正義という彼女の基盤を揺るがした。

 

 

 

 第一一航空戦隊の鳳翔から、敵偵察機に発見されたとの知らせが飛龍艦橋の山口に伝えられた。ついに気づかれたか、と山口は思う。第一一航戦を、どの海域に配置するかは、四人の提督と散々議論を重ねた。白峰の思考や戦術に詳しい提督は、現在の配置が最良であると結論づけた。主力から離れすぎず、かといって容易に接敵されることもなく、きちんとラロトンガ島を爆撃範囲に入れることができるという三条件を満たす、ぎりぎりの距離だ。それでも白峰ならば、いずれ発見するというのが四提督の総意だった。敵に見つかったという報告も遅いくらいだと山口は感じていた。

『第三艦隊に通達。敵防空艦隊に攻撃を集中。総力をもって、火急的速やかにこれを撃滅せよ』

 山口は新たな布石を打つ。この戦場は、今や巨大なゲームボードと化していた。艦娘と深海棲艦、互いに最適手を打ち続けての一進一退。絶妙なバランスを保つチェスゲームだ。もし一度でも悪手を打てば、あっという間に戦況を引っくり返り、敗北に向かって真っ逆さまとなる。

 恐怖を押し殺し、指揮官として自信に溢れた声で、続けざまに命令を放つ。

『第一艦隊、敵空母群の撃滅を最優先目標とせよ。第二艦隊、敵戦艦群の火砲より第一艦隊を防護し、かつ敵を不動の意志をもって撃滅せよ』

 これより艦隊は決死の大攻勢に移る。自らの判断が正しいことを信じるしかない。

 

 連合艦隊長官より下された使命を、旗艦の陸奥が第三艦隊全艦へと通達する。

『そんなこと言われても、目標に近づけもしないわよ!』

 苛立ちと恐れが混じったような悲鳴をあげる初風。事実、アストラ艦隊の周囲には、平均して戦艦一、重巡一、軽巡二、駆逐四から成る艦隊が、七個艦隊も縦横無尽に機動している。いかに高速編制の第三艦隊といえども、その敵遊撃隊を前にしては撃つところがない。アストラ艦隊は平然と空の警戒を続けている。

『このままでは埒があかん。態勢を立て直し、同航戦からの正面突破を試みるべきだ!』

 第二一戦隊の那智が提案する。

『しかし、敵も高速艦隊です。我々の最大戦速度では、敵を追い越せずに阻まれて終わりです』

 榛名が反論する。まるで第三艦隊の使命を読んでいたかのように、敵は高速艦を主力にしていた。機動力という優位性を失った艦隊は、目標まであと一歩というところで何度も押し返されてしまう。その間にも軽巡、駆逐艦が大破、轟沈し、確実に戦力を削がれている。

 八方ふさがりの状況に、ひとりの提督が策を投じる。

「駆逐隊だけで突撃しましょう」

 塚本少佐の言葉は、絶望的な戦況に一筋の光明を与える。まず従来通りの単縦陣をとり、同航戦により一気に攻めかけるように見せる。だが、その裏には突撃用の駆逐隊が控えており、砲雷撃戦を行っている味方と敵の頭を乗り越えて島沿岸に突入するという案だ。確かに駆逐隊の速度ならば可能だ。しかし、それは禁忌の策だった。装甲の弱い駆逐隊が、重巡や戦艦の援護もなしに戦うことは自殺行為だ。反撃を受ければ助かる見込みはない。よくて相討ち、下手すれば全滅。それでも現状、これ以外に敵の包囲網を破る方法はない。提督の言葉を聞いた初風は、声にならぬ声を押し殺して顔を歪ませる。提督は、麾下の駆逐隊を死地に送り込もうとしている。

「やめてよ。出来るはずないわよ」

 初風は声を絞り出す。

 もう覚悟は決めている。死ねと言われたら死ぬつもりだ。しかし、提督を道連れにすることは許せなかった。塚本を慕う駆逐艦から、つぎつぎと反対の声が上がる。しかし塚本は意志を翻すことはなかった。

「俺は、最期までおまえたちと共にある」

 この一言で艦娘たちは沈黙する。

『わかったわ。第一六駆逐隊、第一七駆逐隊に突撃命令をくだします。これより、全艦単縦陣に移行。突撃要員のみ右舷に離脱せよ』

 陸奥が言った。旗艦らしい、迷いのない声だった。

「悪いな」

 一言、塚本は謝罪する。初風は優しく微笑みながら、首を横に振った。

「いいえ、嬉しいわ。ありがとう」

 短いやりとりで、彼らには十分だった。

 塚本隊は、第一七戦隊を離れ、先頭の右舷につこうとする。しかし主力を離れたのは、彼の隊だけではなかった。

『わたしたちも、共に戦わせてください』

 ソロモンの鬼神、第一九駆逐隊の饗導艦である綾波が言った。

『あたしらも参戦するぜ! ここでやらなきゃ三駆の名がすたるってもんよ』

 渋谷の担当だった、第三駆逐隊の饗導艦、長波が連なる。どちらも第二水雷戦隊所属の腕ききの駆逐隊だ。

『いかなる状況であろうと戦端を切り開き、勝利を呼び寄せるのが我々、二水戦の務め』

 研ぎ澄まされた日本刀のような、凛とした声音。ふたつの駆逐隊を率いる歴戦の軽巡、神通が言った。

『我らの誇りのため、僭越ながら先陣を切らせていただきます』

 そう言って、彼女は自ら決死隊の先頭につく。

『二水戦が一緒なら、百人力だ』

 にやりと笑いながら塚本は言った。彼女たちの力をもってしても、生存できる確率は極めて低い。それでも、人間の自分の意志に賛同してくれる艦娘がいてくれたことが嬉しいのだ。

 艦隊は陣形を整えつつ、東北東に進路を取る。艦娘の動きにぴったり連携し、敵も艦隊を連ねて単縦陣をつくる。やがて二つの艦隊は接敵し、同航戦による激しい撃ち合いが始まった。砲雷撃戦の混乱により、両艦隊の戦速が少しずつ緩まっていく。これ以上は減速しない限界点に達したとき、神通は動いた。

『突入します!』

 その叫びとともに、第三艦隊の頭を超えて、機関をフル回転させた二水戦と駆逐隊が飛び出す。砲雷撃、索敵を一切放棄し、ただ最速で進むことだけに意識を集中する。敵の先頭がそれに気づき、神通に砲弾を浴びせる。だがこれも計算のうちだ。神通が敵の攻撃を引きつけている間に、北北西へと進路を変えていく。そして、ついに敵の頭を押さえて、島の沿岸部に突入することに成功した。当然ながら敵は追撃しようとするが、ここで進路を変えてしまえば、第三艦隊に対し最も無防備な艦尾を晒した状態で丁字不利になってしまう。先に引いたほうが負ける。どちらかが死滅するまで、同航戦のまま泥沼の砲雷撃が続いていく。

 合計、四個の駆逐隊が、目標である防空艦隊に相まみえる。

 しかし希望が見えた矢先、早くも艦娘たちは出鼻をくじかれることになる。浜風が苦痛の声を漏らす。アストラ麾下の防空駆逐艦が、空に向けていた艦砲を、すべて駆逐艦に照準を合わせていた。その砲撃も、恐るべき正確さを誇る。浜風は、一撃で、艦橋の付け根半分を抉り取られていた。

「海にいる艦にも精密射撃が使えるのか!」

 冷や汗を流しながら塚本が言った。しかし、目標を目の前にして、おめおめ逃げることは絶対にできない。

『固まっていては狙い撃ちだ。これより駆逐隊を二つに分割、二隻一組の八個分隊とする。戦闘指揮は、編制表上位者が行う。これより敵駆逐艦の各個撃破にうつる!』

 彼が指示を飛ばして即時に、駆逐艦たちは分隊に分かれる。目視できる敵艦は、島の半分に点在している七隻。おそらく、後ろ半分にも七隻、ないし八隻いるはずだ。ならば、せめて南側の防空網に穴を空ける。

 駆逐艦たちは、見事な連携で敵艦に迫る。敵の主砲に対して、真正面に艦首を向ける。一隻が盾となり砲撃を受け、すぐ後方に控えた一隻が、必殺の一撃をもって敵を沈めるという作戦だ。

『長波さん、後を頼むわね』

 盾として艦体を抉られながらも、悲鳴ひとつ漏らさず夕雲は言った。速度を落とし、長波を前に出す。

『絶対に任務は果たす。水底で会おう!』

 そう叫び、長波は持てる全ての砲を叩きこむ。爆炎と煙が上がり、機関を潰された敵は海面に没し始める。まずは一隻。

『こいつら、火砲と弾薬優先で装甲が薄い! 勝ち目は十分にある!』

 長波が叫ぶ。駆逐艦たちから気合の声が上がる。

 だが、敵は駆逐艦クラスだけではなかった。

『電探に感あり。親玉のお出ましですよ!』

 初風分隊の雪風が言った。水平線から、重巡ほどの巨体が、駆逐艦なみの速度で接近してくる。防空艦隊旗艦「アストラ」だった。彼女の異様に長い砲身が、まっすぐ浦風分隊を狙っている。

 まずい。とっさに塚本は転舵を指示する。分隊は、敵と一対一で戦っている。そこを横から撃たれたら為すすべもなく全滅だ。初風は命じられた通りに艦を動かす。アストラと浦風を結ぶ火線に、塚本隊が飛び込む。

 目の前に暴力的な光が炸裂する。全身を強打した痛みで、初風は一瞬、何が起こったか理解が追いつかなかった。気がつけば鉄片の散らばる床に倒れていた。ゆっくりと上体を起こす。頭から流れる血で片目が潰れていた。強烈な海風が吹き込み、血でべたつく髪が頬に張り付いた。艦橋の壁が半分なくなっている。そのとき、初風は艦長席にあるべき人間がいないことに気づいた。

「提督、提督。どこにいるの……?」

 足を引きずりながら彷徨う初風。やがてその片足が、ぴちゃりと赤い水たまりに浸る。そこには人間の形をした物体が転がっていた。うつ伏せになり、軍服は焼け焦げ、ぴくりとも動かない。よく見ると、左ひじから下の肉体が消失している。血は、切断された腕の断面から流れ出ている。

 ショックから逃れようと暗転する思考を無理やり押しとどめ、崩れ落ちそうになる膝に鞭打ち、彼女は自らの黒いベストを破り、それを繋げて傷口を縛った。

「……初風」

 割れてひしゃげた眼鏡の奥で、うっすらと男の目が開く。赤く歪んだ視界に、今にも泣きそうな幼い少女が映っている。

「俺たちは生きているのか。ならば、まだ戦える。動け、初風。雪風と連携し、敵旗艦を叩け」

 塚本は虫の息ながら、はっきりと言葉を伝える。初風は立ちあがった。もう痛みを感じている場合ではない。すぐに計器類をチェックする。奇跡的に通信機は生きていた。

『応答してくれ。こちら浦風部隊、一隻撃沈じゃ! 初風のおかげで救われた!』

『磯風分隊、一隻撃沈!』

『綾波分隊、一隻撃沈です!』

 つぎつぎと飛び込んでくる撃沈の報告。これで残り、三隻。

『敵旗艦、いまだ健在! 浦風分隊、磯風分隊が交戦中!』

 島風の声だ。初風は吹き飛んだ艦橋の窓から状況を確認する。駆逐隊は、ぎりぎりのところで狙撃を回避しているが、少しずつ被弾して追い込まれている。雪風と島風が囮となり、敵の注意を引きつけているが、狙い撃たれるのは時間の問題だ。

「行けるか?」

 壁伝いに移動しながら、塚本が尋ねる。その目は、すでに死を受け入れていた。

「もちろん」

 初風は答える。この男とともに沈むのなら本望だ。

『すぐ応援に向かう!』

 初風は叫び、機関を始動する。幸い、損傷は少なく、まだ速度を出せる。もう戦う力は残っていない。ならば、あとは皆の盾となり名誉の轟沈を遂げるのみ。しかし次の瞬間、島風が悲鳴を上げた。ついに砲弾が艦の側面に命中し、火災が発生している。速度の落ちた島風を庇うように浦風が前にでるが、すでにアストラの砲は島風を捉えていた。

 だが、アストラは撃てなかった。

 突如、アストラの右舷に立て続けに三本、激しい水柱が上がる。魚雷が炸裂したのだ。潜水艦による攻撃だった。しかし、さすがのアストラも海中の敵を正確に狙い撃てるシステムは搭載していなかった。

『こいつの相手は俺たちがやる。被弾した艦は、ただちに撤退せよ!』 

 通信機から、男の声が聞こえてくる。遠ざかる意識のなか、塚本は懐かしい声だと思った。

『海中機動部隊は、これより敵防空艦隊と交戦に入る!』

 福井靖少佐が宣言する。第三艦隊が海を引っ掻き回してくれたおかげで、なんとかここまで接敵することができたのだ。

 また味方が来てくれた。塚本はふらつく足を立たせ、手すりにつかまりながら、ゆっくりと艦長席に移動した。そこに、さらなる報告が飛び込んでくる。

『天津風分隊、一隻撃沈!』

『早霜分隊、一隻撃沈』

『春風分隊、一隻撃沈!』

 これで全員から報告が入った。だが、これで終わりではない。南の防空網が破れたと見るや、アストラは北に配置していた八隻を南に移動させ始める。

『新たな目標、接近!』

 東端に展開していた早霜から連絡が入る。狙撃の恐怖は、まだ終わっていない。

「これでいい。なんにせよ敵は半分になった。これをもって艦隊の指揮を解く。あとは、おまえたちの正義に従え」

 塚本は言った。死を前にしてなお、駆逐艦たちは勇ましく応える。

 ゆっくりと意識が闇に沈んでいく。ここまで塚本は気力だけで指揮を執ってきた。任務を果たし、僅かにのこった気力も潰える。

 艦長席の前に、初風が立つ。幾筋も涙を流しながら敬礼している。

 ここで死ぬことができて良かった。そう塚本は感じていた。艦娘と初めて出会ったとき、彼女たちに情が移ることのないよう自分を戒めてきた。あくまで彼女たちは兵器であり、人間ではない、と。しかし幾つもの戦いを共に乗り越え、絆を育んできた少女たちを、もはや兵器などとは口が裂けても呼べなくなっている自分に気づいた。生まれ落ちた瞬間から孤独を架せられた少女の親代わりになろうとしていた。

 だが、これが軍人のさだめ。娘だけ暗い海の底に送り出せようか。ならばせめて、共に死ぬのが、せめてものけじめだ。

 塚本の右手が、ゆっくりと伸びる。初風の頬を優しく撫でる。涙の温かさを感じる。そして、終わりを告げるように音もなく落下した。

 

 

 

『駄目だ、ぜんぜん止まらない!』

 伊勢が苦渋の声を上げる。第二艦隊は、イグニス艦隊から第一艦隊を守るために必死に応戦していた。しかし戦艦四隻が束になっても、敵の大戦艦は沈まないどころか、速度さえ落さない。戦術能力の不足など、その強力すぎる艦の性能が補って余りある。化物戦艦は、まるで道端のゴミのように艦娘たちを払いのけて突き進む。

 彼女は絶対に沈まない。これが太平洋方面軍第一艦隊旗艦、大戦艦「イグニス」の力だった。

 イグニスの巨砲が仰角を取る。海面を薙ぐ凄まじい衝撃波とともに、徹甲弾が第二艦隊の頭を超えて空を駆ける。その先には、一航戦の空母が布陣していた。突如、周囲に上がる水柱。さらに一発が大鳳の艦首に命中した。爆発とともに飛行甲板の一部と艦首がもぎ取られ、流れ込んだ海水により艦が前方に傾く。もう第一艦隊は、イグニスの射程圏内に入っている。

 武蔵は、艦橋から敵を睨みつける。イグニスの赤い瞳もまた、武蔵を捉えていた。言葉を使わずとも、その瞳は雄弁に物語る。絶対の自信。艦娘など恐れるに足らない。物心両面に渡り圧倒的な力を見せつけ、抵抗を諦めるよう促している。

 このままでは艦隊が破られる。もし敵が第一艦隊に向かったら、空母が全滅してしまう。それだけは、なんとしてでも防がなければならない。第二艦隊の指揮官は軍人ではない。武蔵本人だ。ならば決断を下さねばならない。

『駆逐艦、空母は左舷に回れ。第五、第六、第七戦隊および戦艦は、これより敵旗艦に対し接敵を試みる。左舷に回った艦は、その後に離脱して左右に展開、付随する敵艦を撃沈せよ』

 決死の作戦だった。比較的防御力の高い重巡と戦艦で、至近距離から飽和攻撃をしかける。狙うはイグニスただ一隻。戦力を分散した艦隊戦では、イグニスを止めることはできない。しかも、すでに敵は一航戦の空母に照準を合わせている。命の捨て場所は、ここ以外にはない。

 熊は何も口を挟まない。武蔵の参謀として、指揮官の決定に従うのみだ。たとえ、それが玉砕と同義の行為だったとしても。

 武蔵の指示どおり、戦隊が右舷に抽出される。

『わたしが先頭で行く。この有様だ、轟沈しても惜しくは無いさ』

 日向が名乗り出る。そして彼女たちは怪物に向かって突撃する。

「すまないな、提督よ」

 敵を見据えたまま武蔵は言った。巨大なイグニスに艦体が、みるみるうちに近づいてくる。もう後には引けない。

「構わない。きみに乗艦することを申し出たときから、そのつもりだった」

 熊は笑って答える。武蔵には、熊以外の乗艦者はいない。死をもって勝利に貢献することが第二艦隊の使命。沈むと分かっていて、多くの命を道連れにすることはできない。

「戦いに勝ち、深海棲艦の消えた世界に、わたしのような馬鹿でかい戦艦が生き残ってどうする」

 武蔵は言った。

「もし戦いが終わった後、艦娘が僅かな時間でも留まれるなら、駆逐艦を残してやりたい。これからの世界に必要なのは輸送船だからな。武器弾薬ではなく、食糧や医薬品、機械、ひとびとの希望を運ぶ艦だ。ならば、我々軍艦は、平和な未来の礎として、ここで戦い抜き沈むことこそ至上の誉れだ」

 熊は黙って聞いていた。敵艦まで、あと五キロの地点で、武蔵は微笑みながら熊を見つめる。

「提督よ、ともに死んでくれるか?」

 武蔵が問う。熊は笑って彼女の隣に立つ。武蔵も牙を見せて笑う。すがすがしく、満たされた顔をしていた。

 イグニスの主砲が艦橋をかすめ、その衝撃でガラスが叩き割れる。さらに次弾が甲板前方に炸裂し、機関部が露出するほどの損害を受ける。しかし二人は微動だにしない。僚艦の長門、伊勢からも被弾の炎があがる。艦体を真っ二つに叩き割りそうな衝撃にも、彼女たちは悲鳴ひとつ零さない。

 ついに四隻の戦艦が、イグニスの航路を塞ぐ。敵を沈めることができないならば、せめて主砲を潰そうと、最後の砲撃戦が始まった。

 

 

 

 一航戦、二航戦による猛攻が黄金艦隊を襲う。戦いが長引くほど艦娘側は不利になる。ならば、鳳翔が発見されたこの段階で、全身全霊をもって敵を叩くより他にない。渋谷は山口の援護に感謝する。さしもの敵も回避運動を取っている。だが、その飛行甲板からは次々と新手の攻撃隊が飛び立つ。敵味方入り乱れる艦載機の群れで、空は無数の黒い点描が蠢いている。その中でも、アウルムから発艦した爆撃隊は、味方の艦載機を振り払い、待機している鳳翔の方向へ、脇目もふらず飛行していく。

 白峰は、僚艦の機を戦場の空に留め、自身の空母の精鋭部隊を一一航戦撃沈のために差し向けている。

 これは渋谷にとって、またとない攻撃のチャンスだ。旗艦のヲ級は、こちらに爆撃機を回してこない。高雄型の奮闘もあり、摩耶と第七駆逐隊は、黄金艦隊の中核にまで切り込む道筋を得る。渋谷たちを援護するように、飛龍から馳せ参じた攻撃機と爆撃機が追随する。こちらの被害は、潮、朧が大破、曙が中破、漣、霞、不知火、そして摩耶が小破している。大破した艦も、退くことを望まなかった。渋谷艦隊は恐れを知らぬ一丸となって、砲火と空爆をかいくぐり、敵旗艦に突撃する。

 だが、その行動も白峰にとっては想定の範囲内だった。今や渋谷艦隊は、裁定者にとって悪鬼羅刹と化している。炎に嬲られようと艦体を引き裂かれようと、喜々として進撃をやめず、海の果てまで追ってくる。ならば、敵のしたいようにさせてやろうと白峰は判断した。

「最後の攻撃隊が発艦を終え次第、護衛の重巡二隻を引き連れ、艦列を離れる」

 白峰は指示し、ほんのわずかに逡巡した後、アウルムは了承する。これで、厄介な敵を、こちら一隻に引きつけることができる。他の空母を攻撃されたほうが損害は大きくなる。あくまで最重要目標は鳳翔だ。残りの敵は、それを排除してから、ゆっくり時間をかけて物量で押し潰せばいい。

「アストラ艦隊の偵察艦より報告が入りました」

 たった今、もたらされた情報をアウルムが伝える。

「戦闘海域にて、ソナーが四隻の潜水艦を感知。アストラ艦隊と交戦中とのことです」

 この知らせに、白峰は微笑を浮かべる。敵の伊号潜水艦は五隻。そのうち一隻は、アメリカ西海岸を巡回している大西洋方面軍の艦隊が撃沈を確認している。これで人間たちは、この戦場に全てのカードを切ってきたことになる。艦娘は出そろった。これで最後の懸念が消える。

「あとは、最重要目標の撃破さえ果たせればいい」

 アウルムが繰り出した精鋭の航空部隊の数は、およそ二〇〇。いかに赤い稲妻や手練の防空駆逐艦であっても、あの数全てを落すのは不可能だ。

「よろしいのですか。目標がはっきりしたのですから、僚艦の残存艦載機も、すべて目標破壊のために発艦させるべきでは?」

 アウルムが問う。敵の士気が常軌を逸していることは、これまでの戦いと比較すると明らかだ。第一一航戦も、こちらの計算を上回る対抗策を講じてくる可能性は十分にある。何より、渋谷艦隊の標的にされていることが不安だった。白峰は敵が異常な精神状態にあることを考慮のうえで、自ら囮になることを選択したのだが、撃沈される可能性がゼロとは断言できない。

「そうすれば僚艦の空母を守る意味はなくなり、我々が囮になる必要も消えます」

「いや、残る航空戦力は、敵艦隊撃滅のために温存しておかねばならない。この戦いにおける最終の目標は、艦娘を根絶やしにすることだからだ」

 白峰は言った。彼の瞳には何の迷いもない。彼が人間だった頃から、まったく変わらない、深い海色の瞳をしていた。

「了解しました。作戦を続行します」

 アウルムは艦隊から重巡を引き連れ、最大戦速をかける。

 それを追うは、満身創痍の渋谷艦隊。

「敵は、俺たちの狙いに気づいている」

 摩耶の艦橋にて、渋谷は言った。第一六戦隊の任務は、敵旗艦および白峰晴瀬の無力化である。これを知っていて、あえて白峰は挑戦を受けたのだ。渋谷が白峰の追撃だけに集中すれば、空中戦で手いっぱいの他の空母を守ることができる。勝利するためなら平気で自分の命すらも囮に差し出す白峰らしい戦術だ。

『逃がすんじゃねえ! ヲ級を狙え!』

 摩耶が叫ぶ。しかし、敵の重巡二隻が、庇うように前に出る。砲雷撃に阻まれ、なかなかアウルムに追いつけない。

『奴等は、わたしたちが引きつける! 提督は旗艦を!』

 陽炎が言った。七駆の練度は高いが、やはり旗艦クラスの重巡二隻は荷が重い。それを承知で陽炎は提案する。沈める必要はない。こちらが何隻沈められようと、足止めができればいい。

『わかった。敵旗艦を無力化できたら、すぐに戦域から離脱し、主力に合流しろ。武運を祈る!』

 渋谷は言った。『まかせて』と陽炎は応える。摩耶が七駆から離れ、西へと離脱していくアウルムを追う。

『さて、ここが七駆の天王山。提督の名に恥じぬ戦いを!』

 勇ましく不知火が叫ぶ。機動力に勝る七駆は、陽炎の進路指示と不知火の攻撃指示により、敵と真正面からぶつかる。

「行こうか、提督!」

 摩耶が歯を見せて笑う。提督と共にならば、絶対にできると信じていた。

 敵は二時の方向、距離九キロ。赤城や加賀を超える大型空母なのに、その速度は四〇ノットを超えている。摩耶でさえ、なんとか追いついている速度だ。攻撃するならば、これ以上距離を空けてはならない。摩耶は主砲を斉射する。そのうち二発がアウルムの横腹に命中し、炎と黒煙を噴き上げる。

 だが、肝心の飛行甲板は、まだ大部分が無傷だった。並の砲弾ならば跳ね返しかねない強度を誇る装甲甲板に、虎の子とでも言うべき新たな艦載機が出現する。機体は黒く塗られ、イカの頭のような独特の翼で、レシプロ機の象徴とでも言うべきプロペラはない。特殊戦艦「グラキエス」の遺産である、新型戦闘機だった。

「全機発艦」

 白峰の命令とともに、計二〇機が飛び立ち、続けざまに第二波の二〇機が甲板に並び始める。摩耶は即座に対空火器を用意し、空に弾幕を張る。おそらく反跳爆撃が来る。艦橋下の機銃と爆雷は、残しておかねばならない。しかし、そうなると主砲のコントロールが困難を極める。対空戦闘には膨大な意志を使うからだ。さらに敵に対し、一定の距離を保たねばならない。

「俺が照準を合わせる」

 渋谷が言った。砲雷の扱いならば心得がある。

「分かった。あたしが大まかな狙いをつけるから、誤差修正を頼む」

 摩耶は隔壁を開き、渋谷を前方主砲塔の砲手室へと通した。

 真っ黒な艦載機が、猛禽のごとく襲いかかる。急降下爆撃に入る前に、機銃掃射で追い払い、並行爆撃を試みる機には噴進砲をお見舞いした。それと同時に渋谷が砲身を動かす。

『摩耶、今だ!』

 彼の声を受け、摩耶は主砲を放った。美しい放物線を描き、みごと甲板に直撃、爆発する。しかし艦の後方にいた艦載機までは破壊できなかった。アウルムは煙が流れると、損傷のない甲板の右半分を使って第二波を放つ。さらに、今度は二〇機を一気に発艦させた。渋谷は敵艦載機の性能に愕然とする。空母から発艦するだけでも、風向きや速度などの細かい調整が必要なのに、あの機体は全く影響を受けていない。もはや人類製のコピーではない。人類の技術を超越している。

 もうアウルムに残っている機体はない。彼女は最後の虎の子を空に放っていた。

 みるみるうちに黒い大群が摩耶に迫りくる。まず二手に分かれ、それがさらに二派に分裂する。摩耶の右左舷に一〇機ずつ、ぐんぐん高度を下げて反跳爆撃の態勢をとる。さらに、そのすぐ後ろに、またも左右に一〇機ずつ、今度は魚雷を抱えた機体が待機する。だが敵は海面だけに集中させてくれない。摩耶は対空電探を頼りに、空の敵にも注意を払わねばならない。一〇機が急降下爆撃をかけ、残る一〇機が水平爆撃を仕掛けるべく、海面と水平に飛行してくる。

『攻撃始め』

 白峰の合図とともに、反跳爆撃、雷撃、急降下爆撃、水平爆撃が同時に放たれる。しかし、それぞれの攻撃は絶妙な時間差をもって到来する。上下左右、さらに時間差、すべてを捌ききることは摩耶の力をもってしてもできない。死の四重奏とでも言うべき無慈悲な飽和攻撃が艦体を蹂躙する。雷撃三発、爆撃六発を受け、おおきく艦が傾き、速度が落ちた。少しずつ敵艦に距離をあけられていく。摩耶は衝撃で床にたたきつけられ、立ちあがるだけで必死だった。骨を粉砕されたのだろうか、右腕の感覚が鈍く、だらんと垂れさがっている。砲塔の渋谷も無事ではなかった。脳震盪を起こしかけ、ふらつく視界を気合で安定させる。おまけに、どこかで火災が起きているらしく、砲塔内の温度が異常に上がっている。皮膚がひりつく恐怖のなか、なお男は敵艦を見据える。

『砲塔を動かせ。撃ち続けるんだ!』

 渋谷の叫びが通信機から聞こえ、摩耶は戦意を取り戻す。

 敵機は、母艦に戻ることなく、ふたたび攻撃態勢に入ろうと編隊を立て直している。通常、艦載機が抱えることのできる爆弾は一発。しかし敵は補給なしでの連続攻撃を試みようとしている。あの機体は、いったい何発の爆弾を抱えているのか。その分速度は低下しているようだが、圧倒的な飽和攻撃の前に、摩耶は精密な対空砲火を封じられ、結果、不利を相殺している。

 摩耶は破損していない全ての砲塔を動かし、渋谷のコントロール下にリンクさせる。放たれた砲弾のうち、二発がアウルムに命中する。さすがのアウルムも機関にダメージを受け、速度を落とし始める。だが、そのお返しとばかりに、またも地獄の飽和攻撃が放たれた。

 摩耶は、火器の制御を、渋谷のいる砲塔と機関周辺だけに集中する。艦橋に連続して爆弾が降り注ぎ、炎と衝撃が鋼鉄を引き裂く。摩耶は鉄の暴風に飲まれ、壁に背中から激突する。神経が狂ったのか、もう痛みが痛みと分からない。しかし、体は確実に動かなくなっていく。

 もう限界だった。これ以上戦えば機関停止に陥る。

 生と死の分水嶺にて、摩耶は思考する。自分はどうするべきか。以前の自分ならば、こうなる前に戦場から離脱していただろう。ラバウルでの演習のときみたいに、例え仲間を見捨ててでも、提督の命を守るために。今離脱すれば、生き残れる可能性はある。提督には生きていてほしい。戦争が終わったあとも、ずっと。

 

 でも、あたしは?

 

 提督が生き残った世界に、自分はいない。いずれ、すぐにいなくなると明石も言っていた。自分自身も、そう直感している。なら提督はどうなる。提督の本心は誰にも分からない。彼が本当に愛しているのは誰なのか。彼が、あの操縦士と結ばれるのは、決して望む結末ではない。

 血に塗れた頭を、がくりと落しながら摩耶は笑う。凄惨な、悪魔じみた微笑みだった。この世界の因果全てに喰らいつき、挑みかかるかのような、燃える意志の光を瞳に宿していた。

 機関を全力で掻き回す。逃げるアウルムを、最後の力を振り絞って追撃する。主砲の制御に全神経を注ぎ込む。敵の第三波が迫る。

『撃て!』

 摩耶が叫ぶ。防御を捨てた乾坤一擲。互いの艦体に新たな炎が噴きあがったのは同時だった。

 白峰は驚愕していた。この感情を抱いたのは、アウルムに迎え入れられて以来のことだった。あれだけの攻撃を受け、まだ摩耶は浮かび続けている。黒煙と炎に艦体の半分を包み込まれながらも、まだ毅然として浮かび続けている。もう艦載機の弾薬は使いきった。最後のトドメとして、直接、摩耶に突撃することを指示する。

 

 血液で潰れ、朦朧とした視界で、摩耶は敵を確認する。速度は半分以下になっていたが、まだ動く。まっすぐ西へ離脱していく。

『摩耶、まだ動けるか?』

 ノイズに混じって、渋谷の声が聞こえてくる。

「もう無理だ。一〇ノットも出ない。これが最後の攻撃だ」

 そう言って、彼女は唯一生き残っていた渋谷の砲塔を回す。

 焼けつく砲塔のなかで、まだ渋谷は正気を保っていた。汗が出ない。右半身がじりじりと焦げていくのを感じる。それでも正確に狙いを定める。

 最後の二発が、アウルムに吸い込まれる。ひときわ巨大な爆炎があがり、敵旗艦は完全に停止し、洋上にて沈黙した。

「……任務、完了だ」

 渋谷は呟く。その直後、対空砲火から生き残った敵艦載機が海鳥のように急降下し、摩耶に突撃する。爆風に身を焦がしながら、摩耶は艦橋から降りて、砲塔に向かう。もはや艦体は原型を留めていなかった。対空兵器はクズ鉄の山と化し、甲板のあちこちが抉れて穴が開き、炎と煙が噴き出している。鉄を焼き尽くす業火が、内臓を焼く痛み。もうすぐ機関が炎に包まれる。摩耶は足を引きずりながら、砲塔から渋谷を引っ張りだした。一目で虫の息と分かった。皮膚は焼け爛れ、血と炭素が混じって赤黒い斑模様になっている。自力で立つこともできない彼を支えながら、摩耶は煙に侵されていない、左舷甲板へと歩く。そして摩耶はしゃがみこみ、提督の身体を抱きとめた。

「……摩耶、生きていたか」

 ただれた瞼が開き、渋谷が摩耶を見つめる。囁くような声で渋谷が呟く。気管を焼かれ、喋るどころか呼吸することも難しい。

 とめどもなく溢れる涙が渋谷の頬に落ちて、煤と血を洗い清めていく。

「提督。提督、あたしは……おまえを」

 言葉にならない。何か喋ろうとするたび、唇と喉が震えて、言葉が崩れてしまう。だが、ずっと彼女とともにいた渋谷は、声にならぬ声をしっかりと聞きとっていた。涙に歪む顔、震える声から、取り返しのつかないことをしてしまった懺悔と後悔が滲み出ている。渋谷は焼けついた頬を動かし、優しく微笑む。

「いいんだ。おまえがこれを望んだように、俺も、こうなることを望んでいた」

 渋谷は言った。摩耶は、さらなる嗚咽と涙をこぼす。

「でも、それでも、あたしは……」

 提督を救わねばならなかった。そうするべきだった。しゃくりあげながら摩耶は言った。

「俺は、涼子を愛していた」

 この言葉に、摩耶はびくりと肩を震わせる。

「摩耶が求めている感情を、俺は与えてやることはできない」

 でもな、と渋谷は続ける。

「涼子を愛すること以上に、俺はおまえと一緒に戦いたかったんだ。おまえの提督として最後まで戦い抜くことが、俺の願いだった。それが叶ったんだから、もう何も思い残すことはない。おまえの提督であれたことが、俺がこの世界に生きてきた最高の誉れだ。だから、泣くな、摩耶。俺の艦娘として、最後まで笑っていてくれ」

 止まぬ慟哭。渋谷は諭す。

「おまえ独りでいかせねえよ。あたしは、おまえの艦だ。おまえの行くところに、あたしもいる」

 嗚咽の合間をぬって、絞り出すような声が聞こえる。

 渋谷は海を見る。いつの間にかラロトンガ島の海域を出ていたらしい。嵐は終わっていた。空は青く澄み渡り、海はどこまでも紺碧だ。太平洋の、穏やかな波と風。そして柔らかな陽光。火災と誘爆が続いているというのに、やけに静かだった。愛する海と娘とともに逝けるのは幸せなことだと渋谷は思った。

 視界が白く霞んでいく。温かい光に包まれていく。

 閉じかけた瞼の隙間に、摩耶の顔がうつる。

「提督」

 摩耶が言った。血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったが、彼女の顔は渋谷が待ち望んだものだった。

「ほら、これでいいか? ―――提督」

 摩耶は笑う。自信と明るさに満ちた、渋谷が好きだった笑顔。渋谷は自らを摩耶の両腕に委ねる。

 その瞬間、摩耶は機関への誘爆を悟る。

 強く、強く、腕に渋谷を抱きしめ、全てが終わる。

 摩耶の艦体は最後の爆発を起こし、ふたりは海へと還っていった。

 

 

 

 白峰晴瀬は、アウルムを連れて飛行甲板に出ていた。

 形もとどめず轟沈した重巡「摩耶」と、その提督に敬礼を捧げる。敵といえども彼らは敬意を払うべき存在だった。

「渋谷。やはりきみでは、僕の思考を超えることはできなかったな」

 こうなることも計算の範囲内だった。摩耶が逃げずに攻撃を続行したこと、それにより機関停止まで追い込まれたことは驚きに値するが、結局、摩耶は轟沈し、アウルムは生き残った。

「戦闘が終わるまで、ここで浮かび続けているしかあるまい」

 白峰は言った。裁定者が勝てば、あとで曳航用の艦を寄こさせるつもりだった。追手が来る様子もない。しばし戦闘の経過を見守るつもりだった。

 そこに、アウルムが待ち望んだ報告が入る。内容を理解したアウルムは、わずかに口角を持ちあげる。

「軽空母『鳳翔』が、爆弾五発を受け飛行甲板を大破、炎上。さらに僚艦の千歳も大破。これにより艦載機の発艦は不可能となりました。また、赤い稲妻の撃墜も確認したとのことです」

 アウルムは淡々と告げる。これで敵の切り札を封じた。あとは念のため空母を撃沈すれば完璧だ。余剰戦力を主戦場に集中するよう、麾下の空母群に命令する。しかし白峰は特に表情を変えることなく、東の水平線を眺めている。勝利が確定してもなお、彼は思考し続ける。何か見落としはないか。彼方の様子を、じっと見つめていた。

 

 

 

 軽母「鳳翔」大破の報告は、飛龍の山口長官のもとにも届いた。

 これを聞いた山口は即座に、ある艦娘に直接、命令を下す。これが、この戦闘における最後の一手だった。もうこれしか選べる道はない。あとは力尽きるまで戦い、一隻でも多く敵を海底に引きずりこむのみ。三つの艦隊は、すでに地獄の入口に突入している。大破、轟沈の報告が相次ぎ、第一艦隊の旗艦である飛龍も、雷撃と爆撃を受けて小破している。このまま、あと二、三時間も戦いが続けば、間違いなく総員玉砕だった。

「例え最後の一隻になっても、わたしは戦うよ。でも、前世みたいに華々しく死ぬためだけの無意味な戦いじゃない。どれだけ追い詰められても、ちゃんと勝利を掴むために、意味のある戦いをする。そうでしょ、多聞丸?」

 隣に立つ飛龍が尋ねる。

「その通りだ。やれることは全てやり遂げる。人類が先に進むために、そして艦娘の誇りと名誉のために」

 山口は答える。

 この人は、いつも自分が欲しい言葉をくれる。広い背中を見つめながら、戦場にいることをしばし忘れて飛龍は微笑む。

 

 福井率いる海中機動部隊は、駆逐隊を援護しつつ撤退戦に突入していた。鳳翔が大破したことが、第三艦隊にも伝わってきた。撃沈できた防空駆逐艦は九隻。今だせる最大の戦果だと福井は考えていた。

『ほら、急いで! もたもたしてたら敵が来る。爆雷の餌食になりたいの?』

 艦列のしんがりに対し、イムヤが言った。その艦娘は、伊号潜水艦に比べると速度も出せず、戦場では、ほぼ傍観者に徹していた。

『待ってくださいよ! そんなに早く泳げません!』

 泣きそうな声で主張する元陸軍籍の潜水艦。もともと輸送艦だったまるゆにとって、これが最初で最後の戦闘参加だった。福井は深度を下げることで、なんとか被弾を避けようとする。

 役目は果たした。あとは最終作戦の発動を待つのみ。

 人類の持てる切り札。それを託された艦娘と人間。彼女たちの一撃が、悪しき歴史を変えることを祈る。

 

 

 ラロトンガ島より、北に五〇キロ。島南の主戦場からは、七〇キロ以上離れた海域に、一隻の潜水艦が浮上する。周囲は見渡す限りの海。敵艦はおろか、まばらにいたピケット艦も数時間前に姿を消していた。おかげで彼女は誰にも見つかることなく海面に姿を現すことができたのだ。

 褐色の肌をした艦娘が、潜水艦にしては巨大な船体を持ちあげ、艦の上部に射出フロートを展開する。そこに設置された機体は、この世界にただ一機しか存在しない、大日本帝国の技術の結晶、試製晴嵐改だった。高高度、長距離飛行に耐えられるよう試験的に設計された機体は、通常の艦載機よりも翼が長く、搭載エンジンの出力も高い。その代わりに大量の燃料を必要とするため機動性は悪く、もし敵の艦上戦闘機に囲まれたら生還の道は閉ざされる。通常、艦隊戦では使用されない機体だ。しかし今回は、狙うべき目標が艦ではなく島だ。敵国の主要都市を直接爆撃するという、深海棲艦との戦争では無用の長物であり、暗い倉庫で埃をかぶっているはずだった機体。それが、ここにきて偶然にも日の目を見ることとなった。

「周囲に敵影なし。いつでも行けます」

 伊401の顕体、しおいが言った。ラロトンガ島南に向かう途中で福井の部隊から離れ、ひとり主戦場とは真逆の北方海域に身を潜めていたのだ。敵の目を欺くため、まるゆを部隊に加えて数合わせしていた。

 しおいが選ばれた理由は、規格外の大型艦載機である晴嵐改を搭載し、発艦まで導くことができるのは、伊401だけだったからだ。

 晴嵐改のハッチを閉め、操縦士が手信号で発艦の意志を示す。獰猛な唸り声とともにエンジンが始動する。やがて機体は、暴走機関車のように射出路を駆け抜ける。翼がふわりと空気を受け、淀みない曲線を描きながら蒼穹に吸い込まれていく。それは白鳥の滑空のように、おおらかで美しい飛行だった。もし、この機体が戦闘機でなければ、間違いなく世界最高峰の航空機だ。

 戦争が終わったなら、あのような輸送機が世界の空を満たすことを、しおいは願う。

 晴嵐改は、みるみるうちに高度を上げていく。計器類にも問題はない。飛行テスト済みと聞いていたが、やはり実戦で初めて使用するのは恐ろしい。おまけに慣れない機体、最重要作戦というプレッシャーが重なれば、並の操縦士では精神を潰されてしまう。

 ゆえに、山口多聞は彼女を選んだ。自身が手ずから鍛え上げ、幾つもの戦いを経てなお最優秀のまま生き残ってきた精鋭中の精鋭。

 水戸涼子中尉を。

 彼女は全ての重圧を背負い、この空を飛んでいる。

 機体は腹部に巨大な爆弾を抱えている。全長六メートルはあろうかという筒状の物体は、一面が分厚い黄色の塗装で覆われている。現存する最後の原子爆弾「ポルックス」。涼子は、その細い身体に人類の希望を託されていた。

 絶対に失敗はできない。囮となってくれた鳳翔が大破したという知らせは、さきほどしおいの艦内で聞いた。自分の身代りとして、赤い稲妻の紫電改二に搭乗してくれた、第一分隊副長の顔が頭をよぎる。

 高度は八千五百を超える。

 つぎつぎに浮かんでくる大切な人たちの顔。師であり恩人である幾田中佐、皆の父親がわりだった多聞丸、女性である困難と苦しみを分かち合い、ともに戦ってきた飛行隊の仲間たち。本土の家族。そして誰より、誇り高く誠実に生きる、彼女の想い人。

 互いに死ぬ確率のほうが遥かに高い戦場。それでも再会できると彼女は信じていた。吐く息が白み始め、手がかじかむ。高度は九千に近づこうとしている。人類未踏の、神の領域。灰色がかった眼下の雲が、不自然などす黒い色に変わっていく。敵の海域に入った。やはり敵機の姿はない。ここを超えれば、あとは抱えた重荷を放つのみ。

 ところが、目標地点まで一五キロの地点で、涼子は肝を冷やすことになる。煙のような雲にまぎれて、何かが浮遊している。それは気球のように見えた。白い表面に、血管のような赤い線がぐねぐねと走っている。深海棲艦の意匠だ。しかし、攻撃してくる気配はなく、追いかけてもこない。おそらく偵察専用の機体だろう。

 胸をなでおろすことはできない。これで、何らかの形で自分の存在が敵に伝わってしまったのだから。

 恐怖を押し殺し、操縦桿のみに集中する。雷も雨も含まない漆黒の雲が渦巻いている。その中心部、その真下にこそ、長年探し続けていた敵の母胎が息を潜めている。涼子は一息に操縦桿を前に倒す。機体の頭が下がり、白鳥は隼に姿を変えて急降下していく。

 何も言葉は出なかった。祈る言葉も、縋る言葉も。ただ涼子は自分自身を信じる。雑念の消えた真っ白な頭に流れ込んでくるのは、景色。風の感覚。機体の揺れ。雲を突き抜け、ぐんぐん近づいてくる真っ黒な巨体。長い黒髪、丸い稜線をえがく背骨が見える。焼き殺された少女の放つ怨念も痛みも悲しみも、涼子には届かない。

 ああ、ここだ。

 人生で最も心は凪いでいた。涼子はスイッチを押した。

 

 

 

 アウルムの形のよい唇が、小さく開いている。

 このような彼女を白峰は初めて見た。その姿は、もはや人間に近かった。驚きのあまり開いた口が塞がらない状態だ。

「このようなことが、ありうるなど」

 裁定者らしからぬ無意味な呟きが洩れる。この戦いにおいて白峰は、通常、艦載機では到達できない高高度まで、監視体を置いていた。ありえないことではあるが、短期間にてオーストラリアが超長距離爆撃機を開発したときのための保険だった。攻撃、飛行能力を持たない、ただ浮かんでいるだけの機体。その万が一の保険が使用されてしまったのだ。

「ただちに戦闘中の艦載機を島に向かわせろ」

 白峰は冷静に対抗策を伝える。今できることは、これしかない。むろんアストラには即時に、防空艦隊を北半分に回せと連絡したが、南側では駆逐隊との激しい戦闘が続き、移動は困難と返答がきた。

 白峰は笑う。心から笑えるなど、いつ以来だろうか。それくらい楽しくて仕方がなかった。

 いつ自分は欺かれたのか。

 敵は当初、裁定者の艦隊を一隻でも多く撃破するための戦術を取っていた。それは原子爆弾を持っていることを隠蔽するための、欺騙行動だと考えた。そして索敵範囲を戦場周辺に集中したことで、孤立した軽空母部隊を見つけた。

 ここで、鳳翔が原子爆弾を持っているという強い確信を抱かされた。

 鳳翔に攻撃を加えたとたん、敵はアストラ艦隊と空母を集中的に攻撃するようになった。欺騙がバレてしまい、なんとかして爆弾を島に落すまでの空路を確保しようとあがいているように思えた。

 ここで、さらに確信を強めさせられた。

 鳳翔が大破したとたん、敵は総員玉砕せよとばかりに、形振り構わない戦闘を始めた。

 ここで、原子爆弾の使用を諦めたと思わされた。

 おまけに潜水艦が四隻発見されたことで、すべての艦娘が戦域内に集中していると確信させられた。

 そして現在、どこからともなく現れた航空機が、おそらく原子爆弾を抱えて島を狙っている。この時点で、島の北半分は丸裸も同然だった。敵は南から来ると判断していたアストラは、南に部隊を集め、足止めされてしまった。原子爆弾の脅威が消えたと考えたアウルムは、艦載機を主戦場に集めてしまった。

 どこに穴があったのか。

 今なら分かる。おそらく潜水艦は五隻いて、その中の潜水空母が一隻、島の北に隠密に待機していたのだろう。原子爆弾と、それを運ぶ機体を抱えて。鳳翔が大破したという裁定者の思考が最も弛む瞬間をねらい、最後の一手を打ったのだ。圧倒的な戦力差を覆し勝利できる、敵のキングだけを取れる一手を。

 この一手を演出するために、山口多聞は、あらゆる艦娘を、あらゆる戦術を、ひいてはこの戦闘全てを囮に使ったのだ。その結果、たった一度だけ、人間は神の思考たる白峰を欺いた。

 なぜ今になって潜水艦のトリックに気づいたのだろうか。

 思い当たる理由はひとつ。渋谷との交戦だった。死を覚悟した男と艦娘に対して僅かでも隙を作れば、アウルムが轟沈してしまう可能性もあった。ゆえに白峰は、渋谷との戦闘に意識を注がねばならなかった。

 もし渋谷が、白峰の思考を阻害するために攻撃を続けていたとするならば。

 では渋谷の攻撃がなければ、潜水艦のトリックに気づけただろうか。それは、もはや可能性の問題であり、結論など出ない。しかし、気づいた確率のほうが高いだろう。ならば、白峰は、まんまと渋谷に騙されたということだ。

 戦闘に勝っても戦争に負ける愚かな生物。そう裁定者に蔑まれてきた日本人が、戦闘に負けても戦争に勝つ道を自ら切り拓いた。

「進化しているのだな。わずか四年と少しの間に」

 白峰は言った。まるでペットの成長を喜ぶかのような、存在の異なる生物への慈愛を湛えた微笑み。

 最速で向かわせた戦闘機から、映像が入ってくる。

 ぎりぎりで島の上空に辿りついた。しかし、もう遅かった。雲を突き破って、一直線に降下してくる未確認の敵機。アウルムが直接コントロールする艦載機は機銃を浴びせかかるが、まだ距離があり、弾は風と機体の速度に流され当たらない。上空五百メートルの地点で、その機は世界最悪の爆弾を放った。

 パラシュートが開き、母胎の中心部へと降りていく。

 機体は地面すれすれに九〇度旋回し、北西の空へと退避していく。艦載機が追撃し、機銃掃射を浴びせる。機体から炎が噴き出しても、重い機体を必死に操り、見苦しいほどの逃亡を止めない。

「もういい」

 怒りをたぎらせ、歯を食いしばるアウルムに、静かに白峰は告げた。

 あの爆弾が上空で放たれた以上、もうチェックメイトは終わっている。不気味なほどゆっくりとパラシュートは降りていき、やがて母胎となった少女の背中に触れる。

 刹那、島は光に包まれる。

 自然の摂理を逸脱した、悪魔の光。太陽が地表に落ちてきたかのようだった。火球のエネルギーが暴風と熱線となって拡散し、もう一度島を焼き尽くす。

 

 その瞬間、アウルムの意識は沈黙に包まれた。もし自分に心というものがあるのなら、その一番根底にある部分が消えて、何もかもが闇のなかに抜け落ちてしまったかのようだった。裁定者全てを繋ぎとめていた何かが絶たれた。世界を覆い尽くしていた意志の力が数百、数千に砕け散り、ただ宙を彷徨っている。

 アウルムは認識する。母胎が失われたのだと。もう裁定者が世界を平和のうちに統治する理由はなくなった。人類の意志に、艦娘の意志に、裁定者が破れたのだ。

 我々は負けたのだ。

 白峰にとって、敗北とは人間に戻ることにすぎない。しかし、繋がっていることが当たり前だったアウルムにとって、分断とは恐怖そのものだった。今感じている恐怖は、戦闘中に実感していた恐れとは、まるで違う。従来の恐怖は、ただの「嫌な事」だった。戦闘で艦が沈めば自らの勢力が削られる、提督が死ねば裁定者が不利になるなど、単なる計算上のマイナスにすぎない。

 分断され、完全な孤として世界に放り出されたアウルムは、自らの魂が矮小で脆弱であることを知る。知っているがゆえの恐怖。この世界に飲まれ、存在を抹消されてしまう恐怖。

 足が震えている。かちかちと歯が鳴っているのが分かる。

 アウルムには豊かな表情が産まれている。膨大な力と思考が消えた、彼女の空白地帯に急激に生まれ始めたものは、間違いなく人間の感情だった。それを理解していた白峰は、彼女をそっと抱きとめる。男の腕の中で、震えが柔らかく収まってくる。眉と目を歪ませ、泣きだしそうな黄金の瞳が白峰を見上げている。さらさらとした銀色の髪を、そっと撫でる。

 今のアウルムは人間だった。歳の頃、一七、八歳の、感情豊かな人間の少女だった。

 辛うじて生きていた通信網から、どこか懐かしいざわめきがふたりに聞こえてくる。それは意味のない声の混じった激しい呼吸音。世界中の裁定者が吐き出す音は、重なり響いて、まるで潮騒のような音を溢れさせている。白峰は、その音の正体を知っていた。これは人間の赤ん坊の泣き声だ。

 完全なる孤独。自分は自分でしかないという、この恐ろしい感覚。なんという無知、なんという無力だろう。これが人間。このような生物に裁定者は敗れたのか。しかし、そういった思考とは反面、アウルムの心を満たすのは確かな安らぎだった。提督の腕に抱かれている。それだけで彼女は他の艦のように泣かずに済んだ。

 彼女は理解する。だから人間は寄り添うのだ。裁定者の縦のネットワークから逸脱したグラキエスは、この感覚を知っていたのだろう。孤立は多くのものを失わせる。そのかわり、心から繋がりたい唯一の存在を求めようとする意志が芽生える。彼女が言っていた『横に逸れる』とは、こういうことなのだ。

 何かを求める意志こそが―――。

「……来たな」

 アウルムを抱き寄せたまま、白峰は東の水平線を見やる。小さな艦影が七つ。大破し炎上している艦も、煙をたなびかせながら、こちらに向かってくる。第七駆逐隊は、自らの提督を殺した艦を取り囲む。そして、けじめとばかりに各艦一発ずつ雷撃を浴びせた。七回の轟音とともに艦に穴が開き、海水が流れ込んでくる。轟沈確実と見た艦娘たちは、無駄な破壊をせず、主力のもとに引き返していった。

 しだいに甲板が喫水線にまで沈んでいく。

 終焉を自覚しながらも、ふたりはじっと立ち尽くしていた。

「不思議です。海や空を見て、このような感情を抱くなど。人間の言葉なら、美しいという概念。これまで抱くことのなかった概念です」

 アウルムは言った。もう彼女は無邪気な人間の少女だった。裁定者から解き放たれ、自由を得たまっさらな魂が、誕生したとたんに死を迎えねばならない残酷な運命。戦闘を離れれば、彼もまた一人の人間だった。

 男の心の痛みに気づいたアウルムが、無垢な瞳で見つめてくる。

「構いません。わたしはこうならなければ手に入れることができなかったのでしょう。グラキエスは自らの意志で裁定者のくびきを断ち、望みを叶えました。しかし、わたしの魂では、それができなかった。こういう形でしか、わたしの望みは叶わなかったのです」

 アウルムは言った。

 再び少女は男の腕に自らを委ねた。互いの体温を確かめ合うように、強く、強く抱きしめあう。ふたりとも肉体は海と同じ温度をしている。だが、アウルムは確かに感じる。身体の芯、心臓の奥、頭蓋の内側。おそらく心と呼ばれる場所に、ぬくもりを感じる。

 世界平和より、勝利より、アウルムという一つの魂は、この温かさをずっと求め続けていた。

 艦が沈む。ゆっくりと青い海に還っていく。甲板の端が水に浸った時、アウルムは頭を起こして白峰を見つめた。

「最期に、伝えたいことがあります」

 アウルムは言った。美しい顔に、明るい微笑みを浮かべて。白峰もまた笑顔で頷き、彼女を受け入れる。

「愛しています」

 ふたりの唇が重なる。

 一隻の空母が、穏やかな静寂をまとい波の合間に消えた。

 

 ああ、生きている。

 水戸涼子は操縦桿を握り続ける。

 翼から黒煙を棚引かせながらも、晴嵐改は海面すれすれを飛び続けていた。爆弾が炸裂したのち、艦載機はぴたりと動きを止めて墜落した。それは深海棲艦も同じだった。あらゆる艦が魂を抜かれたように静止した。この戦争に人類が勝利したことを、ようやく実感できた。

 北西に飛び続け、伊401と合流する。損傷の激しい機体は、安全のために乗り捨てることとなった。その身を艦内に移すやいなや、さっそく通信機に向かい合う。摩耶との通信回路は事前に教わっていた。しかし、チューニングを合わせても聞こえるのは雑音ばかりで、摩耶が応答している様子はない。

 何度の通信を試みる涼子を、しおいは苦しみと悲しみに満ちた顔で見守っていた。

「通信機が壊れたのかしら? ねえ、しおいちゃん……」

 そう言って振り向く涼子は、しおいの浮かべる表情に気づく。深く息を吸い込んで笑顔を消し、涼子は彼女の前に立つ。

「教えてちょうだい」

 ただ一言、涼子は尋ねる。しおいは少し逡巡したのち、躊躇いがちに口を開いた。

「先ほど、山口長官より、被害報告が伝えられました」

 しおいは重たい口調で、轟沈していった艦の名を読みあげる。

「―――第一六戦隊、重巡洋艦、摩耶。敵旗艦と交戦ののち爆沈。渋谷礼輔少佐とともに名誉の戦死を遂げ―――」

 もう、それ以降の言葉は耳に入って来なかった。

 気がつけば、艦内の自室に一人、立ち尽くしていた。頬に伝う熱が、自分が泣いていることを教えてくれる。

「あなたは、最期まで提督で在ることを選んだのですね」

 血の滲んだハンカチを握りしめ、選ばれなかった女は静かに涙を流し続ける。

 

 三つの艦隊は、戦いが終了してすぐ、オーストラリアのシドニー港を目指した。機関を破壊された艦も、沈んでいなければ曳航して救出した。

「結局、生き永らえてしまったな、提督よ」

 めちゃくちゃに破壊された甲板を眺めながら、武蔵が言った。

「お互い、ここで死ぬには少し頑丈すぎたな」

 全身切り傷だらけの熊が答える。ふたりは少しだけ微笑み、拳を突き合わせた。

 第二艦隊は、ついにイグニスを撃沈することができなかった。島が爆撃された後も、化物戦艦は悠然と浮かびつづけていた。彼女との交戦により、日向が轟沈し、伊勢、長門も大破した。武蔵も大破し、轟沈寸前のところで戦いが終わったのだ。

「せっかく命を拾ったんだ。わずかな間でも、戦後の世界を見てみたい」

「きみを失望させないよう、努力するよ」

 決意を新たに熊は言った。

 港につくなり第一六駆逐隊の初風が、怪我人を背負って艦を飛び出す。応急処置が正しくされていたこともあり、致死量の血を失わずにすんだ塚本は、なんとか一命を取り留めた。病院で目覚めた塚本は、一六、一七駆逐隊の面々にもみくちゃにされた。部下の艦娘たちは、塚本が涙したのを初めて目の当たりにした。

 勝利に沸き立つ艦娘もいれば、冷静に未来を見据える者、しばし悲嘆に心を閉ざす者もいる。第七駆逐隊は、港にて身を寄せ合っていた。渋谷と摩耶の死を知らされ、誰よりも深い悲しみを、せめて仲間たちと分かち合おうとする。潮と漣は人目を憚らず号泣し、他の面々も声を殺して泣いている。陽炎は自身も涙を流しながら、メンバーを励ましていた。

 もう取り繕うこともない、と曙は思った。提督は死んだ。そのとたん胸の底から感情が一気に噴きあがる。思い切り息を吸い込んで泣こうとしたとき、隣から凄まじい慟哭が響き渡る。

 曙は涙が引っ込んでしまった。号泣の主は不知火だった。これまで、いつも冷静に隊を支えてきた不知火が、幼い少女のごとく叫ぶように泣いている。それを見た曙は、やはり少しだけ涙を流しながら、不知火を自らの胸に抱きとめる。提督、提督と嗚咽しながら、不知火は曙の胸に想いを吐き出していった。

 生き残った者の喜び。

 失われた者への悲しみ。

 それぞれの気持ちを抱きながら、人類と艦娘は新たな時代の始まりを迎える。

 

 

 

 最終決戦から四カ月が経った。

 世界中の深海棲艦は完全に機能を停止し、人類艦の砲撃によって簡単に撃ち沈められていった。ついに海は解放された。しかし、蹂躙しつくされた世界は、本来あるべき姿から大きく外れてしまった。海洋封鎖が解けてから、ヨーロッパ大陸では小競り合いが何度も起こった。深海棲艦による都市爆撃によって、ドイツの独裁者ヒトラーが死亡し、陸軍も壊滅的な被害を受けた。元首を失ったドイツは大混乱に陥るも、ドイツに顕現していた艦娘たちと、反ナチス派だった政治家・軍人たちが連携し、イギリスに渡って講和を取りつけ、フランスからも即時撤退した。ソビエトも似たような状態に陥っていた。スターリンが避難先の街で爆死してから、各民族が独立を求めて蜂起し、ウラル山脈を隔てて西側に旧ソビエトの遺志を汲むロシア社会主義共和国、東側にシベリア共和国連邦へと分裂、さらにコーカサス山脈付近には小国が乱立した。イタリアではムッソリーニが吊るされ、やはり艦娘の支援を得て海上輸送網を再建し、ファシズムに毒された国の立て直しを計っている。

 もちろん日本でも艦娘は大忙しだった。とにかく人間が生きるための食糧、燃料、生活用品の輸送が優先された。輸送船が全然足りないので、埋め合わせに駆逐艦たちが奮闘した。深海棲艦に破壊され、恐怖と欠乏の底に沈んだ世界の海は、非常に不安定になっている。とくに東南アジアでは海賊が横行した。そこで、輸送網を守るため軽巡や重巡も出動することになった。航路が安定したことで、トラックや他の泊地に取り残されていた艦娘も修理され、海に出ることができた。第二駆逐隊は村雨を、第一七駆逐隊は谷風を歓喜の中に迎え入れた。武蔵や長門といった、連合艦隊を代表する戦艦は、日本中の街に慰問に訪れ、ふたたびこの国が秩序と安定を取り戻したことを国民に知らしめた。

 こうして艦娘たちは、短い間だったが人類の復興のために働いてくれた。しかし、分かれの時がすぐそこに迫っていることも彼女たちは本能的に感じていた。

 一九四五年八月十五日。

 それが、飛龍から山口に伝えられた、艦娘がこの世界に存在できるタイムリミットだった。

 その日には、旧横須賀港に幾万もの国民が押し寄せた。港には、きちんと傷を治した艦娘の艦体がずらりと並び、磨き抜かれた装甲は太陽を浴びて美しく輝いている。艦娘たちは、ゆかりのある軍人たちと別れの挨拶を済ませていた。

「ありがとう、多聞丸。今度こそ、あなたと戦い抜くことができた。これ以上に嬉しいことはないよ」

 涙を湛え、飛龍は言った。山口は彼女の頭を優しくなでる。

「こちらこそ、ありがとうな、飛龍。俺の元に来てくれて。この国を、人間を救うために、もう一度共に戦うことを選んでくれて、ありがとう」

 飛龍は、父と慕った男と最初で最後の抱擁を交わす。

 第六、第八駆逐隊は熊勇次郎のもとに。

 潜水艦娘と五月雨は、福井靖のもとに。

 そして第一六、一七駆逐隊は、塚本信吾のところに集まる。皆と別れを済ませたあと、ひとり塚本のもとに駆け寄る娘がいた。

「お疲れ様でした」

 漣が笑顔で男の前に立つ。塚本は、かつての秘書艦に敬礼をおくる。

「願いは果たせたか?」

 不器用な笑顔で塚本が尋ねる。漣は敬礼を返しながら頷く。

「ありがとう、ご主人さま」

 そう言って彼女は七駆のもとに走り去っていった。

 七駆の前には、水戸涼子が立っていた。

「渋谷少佐に代わり、お見送りさせていただきます。世界を救ってくださった御恩は、未来永劫忘れることはありません」

 涼子は少女たちに敬礼する。さらに彼女は、第二二飛行隊を引き連れ、世話になった軽空母たちの前で別れと感謝の言葉を述べる。まだ軍人が艦娘に馴染めていなかった頃、喜んで艦載機と操縦士を迎えてくれたのは、鳳翔だった。涼子にとって彼女は、姉であり母のような存在だった。挨拶が終わった後、鳳翔は、ひとり涼子を追いかけて、その手を取る。

「あなたに出会えたことが、わたしの誇りです。これからも、あなたはあなたらしく生きてください。その正しい心と優れた技術をもって、人々を守ってください」

 にっこりと笑う鳳翔。涼子は、その手に涙を零した。

 艦娘たちは、それぞれの艦に乗り込む。甲板から、こちらに向かって手を振る大勢の人々が見える。皆、頬はこけ、身体は痩せ細っている。しかし、その瞳には希望が燃えている。大人たちは不屈の意志を。子どもたちは明日への喜びを。全員が未来を望んでいる。

 世界は、ここから始まるのだ。

 全艦を代表して、武蔵が出港の礼砲を鳴らす。

 戦艦を先頭に、つぎつぎと眩い水平線へと進んでいく艦娘たち。やがて最後の駆逐隊である第七駆逐隊が、きらきらと輝く海を渡り始める。しんがりを務める陽炎は、ずっと人々の笑顔で見つめていた。前世では軍艦として生き、戦争の悲劇を肉体と魂に刻んできた自分が、別の世界で再び戦う宿命を選んだ。だけど今度は艦だけではなく、人間の姿を借りて自我を持った。人間と同じように考え、感じて、笑い、涙した。この世界に顕現したとき、なぜ自分が少女の姿をしていたのか、ようやく実感できた。艦娘と人間は存在が異なる。でも、人類の系譜に溶け込めなくても、隣に寄り添い歩くことはできる。人間とは違うからこそ、人間は艦娘を通して自分を見つめ直すことができ、艦娘も人間に触れて、何が正しいのか自分で考えることができた。合わせ鏡のように互いの間違いを見つめ直し、ときに衝突し、紆余曲折しながらも、正しい道を進んで来られた。そして人類の歴史は途絶えることなく、希望のある未来に繋がった。

 全て、たった四年と少しの出来事。人類にとっては、ほんの一瞬。しかし、艦娘たちが懸命に生きた時間は、連綿と続く歴史のなかで、もっとも尊い輝きを放っている。

「さよなら、元気で」

 陽炎は呟く。

 人類よ、より善くあれ。

 その姿が水平線の向こうに消える。艦娘は皆、海へと還っていった。

 

 

 

 さらに時は流れ、艦娘が世界を去ってから十年。

 日本は変わった。戦後初めての男女普通選挙によって米内光正が総理大臣に選出され、理性派による盤石な支持基盤のもと、憲法改正および国体の改革がなされた。国民主権と三権分立が明記され、陛下の言葉は国民の総意であるという認識がもたれた。財閥は解体され、誰もが豊かになれるよう経済力の公平性が増した。さらに陸軍、海軍は国防軍という専守防衛の組織に改編された。陸軍省、海軍省は解体され、国防省の管理下に統一された。それにより陸海軍大臣現役武官制は完全に廃止された。軍の最高指揮官は内閣総理大臣とされ、陸軍と海軍、そして新たに創設された空軍の大将は、あくまで総理大臣の指揮を補佐する幕僚の長という立場となり、もはや政治に口出しすることはできず、民意に背いて戦争を動かすこともできなくなった。植民地としていた韓国、満州も返還され、平和的な経済支援のもと良好な関係を取り戻しつつある。ニューギニアでの虐殺をオランダに謝罪し、きちんと賠償も行った。それらの改革や政策は、あくまで国民ひとりひとりの支持により実現したことだ。日本国の民は、もう政府の言いなりにはならない。むろん、新たな日本国も、アメリカの属国ではない。自分の足で立ち、自分の頭で考え、正しい戦いを選びとることを、ある人物から学んでいた。

 深海棲艦という人類共通の脅威を生みだしたアメリカも、変わらざるをえなかった。民主党ルーズベルト大統領の後任として立候補したトルーマンは、共和党の代表として出馬したマッカーサーに敗れた。新たに大統領に就任したマッカーサーは、深海棲艦が出現した原因はアメリカの核実験であるという国家機密を公表した。これにより世界中から非難を浴びたが、もう二度と悲劇を繰り返さないためにも、大国であるアメリカ自らが新たな平和のための国際機関を設立することを決意し、ここに国際連合が誕生した。そして、日本国とともに安全保障会議を設立した。この動きにより、世界の意志も大きく変わり始める。際限なき欲望の権化である帝国主義の果てに行き着いたのは、深海棲艦による世界滅亡だった。平和共存を訴える力が強まり、植民地の返還および国際連合による秩序ある平和を目指すべく、国際協調主義の思想が各国に芽生えた。

 もちろん、戦争の全てを無くせたわけではない。ソビエト分裂や、ドイツの内戦、さらに独立を果たした植民地間でも小さな紛争が幾度となく続いた。それでも、世界中を巻き込むような大戦争は封じられ、世界はおおむね平和を取り戻した。

 

 旧横須賀鎮守府跡に建造された、平和記念海浜公園。

 穏やかな水面の光と優しい潮風を浴びながら、水戸涼子少佐はゆっくりと歩みを進める。仕事が休みの日には、よくこの公園を散歩する。かつて激戦を繰り広げた南方の海に想いを馳せながら。

 涼子は終戦後、新設された空軍に籍を移し、現在に至るまで領空を守護する第一級のエースパイロットとして活躍していた。ともに最終決戦を生き抜いた仲間たちも、それぞれの場所で活躍している。片腕を失った塚本は軍を退役し、今は国防省の職員としてシーラインの安全保障政策に携わっている。熊も、艦娘が去ってから軍を退いていた。現在は、世界中を行き来する大型輸送船の船長を務めている。福井は軍に留まり、技研にて艦娘のデータをもとに、新たな潜水艦と技術の開発に没頭していた。

 そして涼子は、公園の中央にさしかかる。そこには、ふたつの像が鎮座している。どちらも長い髪をたゆたせ、大きな意志と少しの寂しさを瞳に抱いて水平線の彼方を見つめている。互いに寄り添うように佇む、母娘のような美しい女性と、美しい少女。海の平和を願う像として、米内元総理が建てたものだ。涼子は、そのモデルとなった女性たちが誰なのか知っている。

 戦後、二・一七事件の首謀者とされていた幾田サヲトメに対する評価も改められた。平和な国をつくるため、大日本帝国のあらゆる弊害を道連れに地獄へと飛び込んだ女性提督と艦娘の物語は、今や映画化されるほど国民に浸透している。彼女が死に際に残した言葉は、国民精神の柱となっている。

 ふと涼子は、きらきらと輝く水面の光のなかに、懐かしい男の笑顔を見た気がした。

 摩耶が沈んだところを見た者は、誰もいない。今でも彼は、あの勇ましい重巡洋艦に乗って、どこかの海を渡っているのではないかと時々思う。

 海は繋がっている。いつか巡りあえる日もくるだろう。

 涼子は顔をあげる。生きる力の灯る瞳は、輝く波のさらに向こう、大いなる太平洋の水平線を見つめる。そこには、いくつもの艦影が日本を目指して進んでいる。艦娘たちの名は、日本を守る護衛艦や警備艇に引き継がれた。今見えるのは、護衛艦の「いせ」と「ひゅうが」だろう。「むさし」は九州方面、「ながと」は巡航任務中だ。

 そして護衛艦に付き添われて進むのは、熊が船長を務める大型輸送船「まや」。この国を育むための物資をもたらしてくれる、まさに希望を運ぶ船だ。多くの艦に支えられ、日本は再び立ちあがる。

 全力で生きていこう。艦娘が守り、人が紡いでいく世界で、この命尽きるまで。

 なぎさにて、若い魂が誓う。                        

 

 

                                     了

 




 第二十四話をもって、大人の艦これは完結です。
 ここまで読んでくださった読者の皆様に感謝します。日々の多忙により、本編制作は遅れ、感想への返信もままならない有様であり、申し訳ない限りです。そのような状況のなか、こうして最後まで走り切ることができたのは、ひとえに読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

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