Black Bullet 〜Lotus of mud〜   作:やすけん

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今回は張り切っちゃいました。

17000文字という事で長いです。

秋の夜長にどうぞ。

途中、視点がワラワラと移動するような出来になっちゃいましたが、現在の技量ではどうすることもできずこのまま投稿したいと思います。

若干読み辛い、かもですが、我が子のハイハイを見守るような温かい目で見てもらえれば幸いです。


第16話

クラリウスは向けられた殺気にいち早く気づき咄嗟に後部座席からハンドルを蹴った。直後、大気を震撼させる大口径の銃声が鳴り響き、レクサスのボディを抉り取る。ジェリーは激震と共に金属が捩じ切られる快音に何が起こったのか理解するのに一瞬だけ時間を要した。運転席直上のルーフより弾は侵入しそのまま助手席を破壊し道路に埋まった。風通しが良くなったが幸いタイヤや駆動系に支障はないらしくレクサスは通常通り動いている。ジェリーは直ぐさまアイギスを展開。頭の中でこの狙撃犯の検討を付けつつも素早く照準から逃れようと不規則な動きをしてみせる。再び咆哮を上げた大口径狙撃銃。それはレクサスの3メートル前方に着弾し道路に大きな穴を穿った。敵は早々に直弾を諦めレクサスの足を止めることを優先するようだ。アイギスは戦車砲すらも弾きかえすため、その判断は正しいと言える。

 

ライデンルーフ(黒騎士)。流石の判断力だ。……だが!」

 

ジェリーは敵対する狙撃手に敵意を剥き出しにハンドルを切る。車体を横滑りさせ、穿たれた前方の穴をフロントとリアのタイヤで跨ぐようにして渡り即座に元の姿勢へと戻す。普通に直進したのでは穴に足を取られてしまうための対抗策だ。ライデンルーフが使用している狙撃銃はボルトアクションのはず。連射は出来ない。つまり、これ以上大きな穴を開けることは不可能というわけだ。ジェリーの腕を持ってすればこの程度の妨害はなんら支障たり得ない。

 

バックミラーに『中央制御機構』のビルを眺めつつ、ジェリーはアクセルペダルを踏み抜いた。

 

 

※ ※ ※

 

 

ライデンルーフことシュメルツ(苦痛)エーヴィヒカイト(永遠)は初弾を外した事に少なからず動揺した。トリガーを引いていた指は無意識のうちにボルトキャリーを掴み次弾装填を行っているが、スコープ越しに見る光景に思わず思考が停止した。

 

…………ありえない、と。

 

だが、現実世界に一時停止(ポーズ)というコマンドはない。モタついていればその分標的は逃げていく。五翔会最強の狙撃手としての誇りが、いや、五翔会などは関係ない。1人の狙撃手としての誇りが、標的(ジェリー)を逃す事を良しとしない。

 

「狙撃は芸術だ」とは誰の言葉だったか?

 

確かに、狙撃は芸術であるとシュメルツも思っている。絵師にとって筆が魂ならば、狙撃手にとって魂とは狙撃銃である。写真家にとってカメラが魂ならば、狙撃手にとっても狙撃銃は魂である。

 

狙撃とは、幾多もの要素が1つに重なりようやく成り立つ繊細で緻密なものである。

 

準備に、多くの時間が必要となる。まずはスコープの零点規制(ゼロイン)から始まる。ゼロインとは、スコープ内に描かれている十字線–––レティクルと着弾点とを誤差なしに修正する事を言う。まずは的の中心を狙い複数発撃ち、それぞれの着弾点を結んだ図の中心点を徐々に的の中央に調整していく作業だ。更に狙撃を成功させる要素の1つとして、銃身の温度が挙げられる。高温の状態は精密射撃に不向きだ。現場で狙撃をする際も、銃身は冷え切った状態である。現地での状態に極力近づけながらゼロインは行う。焦ってはダメなのだ。コールド・バレル・ゼロ(冷えた銃身)をキープしつつ、修正を行っていく。ゼロインが終われば、今度は銃身の洗浄がある。ライフリングに入り込んだガスを取り除く作業は1時間は下らない。こびりついたガスは弾丸の発進を阻害し、初速や弾道を狂わすため、ガスは徹底的に拭わなければならない。莫大な時間を消費し、予測される距離での調整が終われば、これに強い衝撃を加えないように運ぶのだ。スコープの取り付けられた狙撃銃は、まさしく精密機器だ。しかし、これを用いれば狙撃は成功するのかと言われればまた別なのも狙撃だ。現地では多彩に変動する距離、湿度、温度、風向、風速……重力や地球の自転による影響まで加味して弾道を予測する。そうしてシュメルツは、過去に2905mの超長距離狙撃を成功させている。全ての事象の穴が標的とクロスするその瞬間を待ち、ただひたすらに待ち、見極め、見事撃ち抜いた時の感覚は、芸術以外の何物でもない。だが、地球上で最長記録を更新した男が、たったの500メートルの狙撃を撃ち損じただと?

 

ありえない。そんな事、ありはしないッ!

 

シュメルツは肺に入っていた空気を一気に吐き切り、今一度胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。狙いは付けた。あとは真っ直ぐに引き金を引くだけだ。

 

だがその時、ジェリーが乗るレクサスは蒼白の球体に包まれた。

 

クソがッ!

 

射撃のタイミングがズレた。少しだけ息を吐き、レクサスの進行方向約3メートル前方に狙いをつけ引き金を引ききった。銃声だけで屋上へ上がるドアの窓ガラスは砕け散り、マズルブレーキから噴射されるガスは極太の見えないムチとなってシュメルツを殴打する。破壊エネルギーを満載した弾丸は狙い通りの地点に着弾した。大きな弾痕がコンクリートに穿たれる。しかし相手は巧みにクルマを横滑りさせ穴を跨ぎきった。特殊戦技教導隊の3年に及ぶ訓練にはドライブテクニックまで含まれているのか?

 

scheiße(クソが)!」

 

母国ドイツ語で毒づくシュメルツをよそに、白のレクサスは加速していき、とうとう死角へと入っていった。

 

『失敗』 の2文字が脳内に浮かぶ。

 

……いや……………まだだ。

 

シュメルツはダネルを担ぐと即座にビル内へととって返した。

 

 

※ ※ ※ ※

 

 

同時刻。四聖什臥(ししゅうじゅうが)はパガトリー内を夢遊病者のような足取りで歩いていた。イーシュとの戦闘により使用した降魔纏身(こうまてんしん)の副作用で体は鉛のように重い。心臓も早鐘を打ち状況は(かんば)しくない。

 

とりあえず、今はエレベーターホールを目指す事だ。蓮が居たB21から5階ほど下へ降りたのだったか?

 

今目の前にある扉を潜り、現れる部屋を抜ければ廊下へと出る。中央へ行けば無論エレベーターホールがある。

 

重い足取りでラボに足を踏み入れた什臥だが、中の有様を見て絶句した。

 

無駄に広い研究ラボ。ここにある培養槽の中身は、全て子供だった。所狭しと並ぶ巨大な培養槽だが、その9割は埋まり子供たちがCMMPに繋がれている。

 

呪われた子供たちによる実験。

 

什臥は砕けるのではないかと言うほどの力で歯をくいしばる。湧き上がる怒りと同時に襲いくる無力感。自分では、彼女らをCMMPから救い出す事が出来ない。確かこれは強制的に取り出せば人格が電子の世界に置いていかれ肉体は魂を無くした肉袋になるんだったか。ギリギリとカルシウムが擦れ合う。

 

「や––て–––やッ––お–––ちゃん–––助け––」

 

「––––から––大人しく–––––ろ」

 

ふと、什臥は顔を上げた。聞こえる。下衆の声が。聞こえる。助けを求めるか弱い娘の声が。

 

10年前に、よく聞いた。暴漢が女を襲う時、こんな声がした。

 

あの時は、他者に気を配る余裕などなかった。什臥とて、当時18歳である。毎日血みどろになりながらガストレアと戦うだけで精一杯だった。人間を相手になど、している場合ではなかった。では今は? 今考えてみればそれは正解だったのか? と什臥は自問する。当時ガストレアから人々を守る事はもちろん必要な事だった。だがそれ以上に、目の前で野蛮を行う下衆を放置する事が正解だったのか? 下衆が蔓延(はびこ)り、ベースキャンプ内の治安が悪化したのは事実だ。そう言った手合いが生き残り、親となり、現在、差別が社会問題となっている。不安定な社会の要因となったと言っても過言ではない。下衆は、粛清の対象だ。私利私欲のために他者への配慮を怠る輩は、生きていたとしても後世にガンを残すようなものだ。早期に切除しなければならない。

 

近づいて行けば、何やら手術台のようなストレッチャーに子供をV字に開脚するよう四肢を括り付け、複数の男がそれに群がっている。白衣や戦闘服を着ていたり、色んな奴がいる。

 

思わず鳥肌がたった。怒りを通り越し悲しみが什臥の胸中に去来する。何故この男たちは、この状況で、少女を犯そうと言うのか。隣の部屋ではイーシュとの激闘を繰り広げたのだ。凄まじい爆音に振動が起こっただろう。施設の被害状況を調べたりやる事は山程あるはずだ。それなのに、この状況で……。こいつらの神経は異常だ。

 

激しく抵抗する少女だが、拘束具は頑丈だった。当初から呪われた子供たちように造られた物に違いない。正面の男は少女のパンツをたくし上げると、指に唾をつけ陰部の筋に沿うように撫でる。少女が身をよじるのは、決して快楽から来るものではない。心を恐怖に支配され、もはや叫ぶ事も泣く事も出来ない。涙を浮かべた(まなこ)を開き、恐怖に(おのの)いている。締めたものだと男ははち切れんばかりに怒張した性器を晒すと、迷う事なくそれを未だ小さな膣に強引に挿入しようとする。上手く入らないのか、焦らすように男は陰部と陰部を擦り合わせる。男のペニスの先から糸を引く体液。今一度性器を当てがい擦る男の顔に笑みが浮かび上がった。大きくドス黒い亀頭が、やっと入り口を見つけ喜んでいるようだ。健康的な肌色の大陰唇を押し広げ、サーモンピンクの小陰唇と膣口が露わになる。

 

「そんな怖がるこたぁねぇぜぇ〜。えへへへへ。ぐっへへへへへへ。おじさんがいい事教えてやるってぇ〜。お嬢ちゃんはそのままゆっくりしてたらいいんだよ。直ぐに気持ちよくなるからねぇ〜。それじゃあ–––」

 

男は、他の男たちにそう言うと、一気にペニスを挿入するべく腰を少女の股の間に打ち付けた。パンッと肌同士が勢いよくぶつかり、自然と接合部からは大量の血液が溢れ出した。

 

「ギャアアァアーッ!」

 

–––と奇声を上げるのは、何と男の方だった。

 

「人の皮を被った悪魔め」

 

傍らで冷酷に吐き捨てる什臥の手からは蜃気楼が立ち上り、赤黒い松茸のようなものが握られている。喚く男を他所に他の男共が色めき立つ。

 

「な! 誰だてめぇはッ?」

 

「てめぇこの野郎ッ!」

 

口々に男たちは什臥を罵倒するが、鋭い一瞥に思わず一歩後退る。

 

什臥は拘束具を切り、少女を解放してやる。亜麻色のロングヘアーに翡翠(ひすい)の瞳をした可愛らしい西洋の少女は乾きだした瞳で什臥を見つめる。

 

まだ年端もいかない少女を、こんな目に……ッ!

 

ギリギリと音を立てて軋む奥歯。什臥の眉間に、深い皺が刻まれる。

 

「てめぇら………覚悟は出来てんだろうなッ!」

 

怒りに(りき)んだ筋肉が服をはち切れんばかりに押し上げる。アドレナリンが体内を駆け回り、体の重さは何処かへと消えた。

 

「あぁん? いきなり来て何言っちゃってんの?」

 

「てめぇヒーロー気取りか? どこの所属だよ」

 

什臥の顔は、修羅の如き鬼面を貼り付けている。

 

「許さねぇッ……この悪魔め……………ッ!」

 

「てめぇは『ドックス』だなぁ? 俺たちゃ『バルドュール』だぜ! どっちが上か、わからねぇ訳じゃねぇだろう?」

 

「……この下衆共が」

 

什臥は慈悲の光など皆無な、奈落のような冷眼で男たちを睨んだ。

 

「てめぇらの血は………何色だぁッ!」

 

裂帛(れっぱく)の気合いと共に放たれた突きは、凄まじい程のキレを有し、1人の顔面を貫通。

 

「『アーク・ハイフレクンシー』ッ!」

 

その状態で機械化能力を発動させ、腕を下へ薙ぐ。スッパリ両断された屍体の出来上がりだ。

 

しかし、その間にも背後から他の男が襲いくる。

 

什臥は僅かに首をめぐらせ、ギロッと睨みつけると蝶のようにふわりと跳躍。バック転をして逆に男の背後を取った。

 

対する男は即座に振り返り殴りかかろうとするが、動いたところから体がズレだし終いにはジェンガが倒れるようにバラバラになりながら倒れた。すれ違いざまにハイフレクンシーの餌食となっていたのだ。余りにも鋭い切り口に切られた本人は気付いていなかった。

 

逃げようとする男にはハイフレクンシーを飛ばし片腕を斬りとばす。タップリと絶望を与えてやる。この少女が感じた程の、最早泣く事も、叫ぶ事も出来ない程の絶望を。

痛みに喚くところで更に両足を斬りとばす。イモムシのように床をのたうつ男の前に飛んでいった四肢を集め目の前で細切れにスライスし、踏みにじる。

 

「ぁ……あ………ぁぁ………」

 

男の言葉は言語にならず、嗚咽か聞き分けも出来ない。

 

什臥はそんな男の顔面を鷲掴みにし、ゆっくりとプラズマの出力を上げていく。徐々にタンパク質の焦げる匂いが充満し、顔がバターの様に溶けていく。

 

残るは、1人だ。

 

股間から帯びただしい量の出血をしている–––1番最初にペニスを切ってやったクズ野郎だ。

 

「そんなに怖がる事はない。俺が貴様を殺してやる。貴様はそこで痛みに悶え、忍び寄る死に恐怖しながら待っていればいい。貴様を地獄へ贈るのはこの金剛夜叉明王だ」

 

今まさに断罪を下そうとした所、先ほどまで拘束されていた少女が什臥の横を通り過ぎ、男の眼前まで歩みでた。

 

そして、何の躊躇いもなく、少女は男の睾丸を踏み潰した。

 

「––––––––––––ッ!」

 

叫びにならない叫びを男は上げる。その口に西洋の少女は拳を突き入れた。同時に翡翠の瞳が鮮紅色(せんこうしょく)に輝く。少女の腕の中を何かが這い回り、男の体内へと入っていく。時間と比例して男の頭部は膨張していき、遂には炸裂した。目玉がコロコロと転がり床から什臥を睨めあげる。表情1つ変えることなく什臥はそれを踏み潰した。

 

「ペッ」っと少女は骸となった男に唾を吐きかけ、什臥に向き直る。

 

「あの……えっと。ありがとう、ございました」

 

「いや、礼など要らない。当然の事をしたまでだ」

 

西洋の少女は上目遣いに什臥の顔色を伺いつつ「……うふ」っと笑った。

 

「何が可笑しい?」

 

「いやぁ、すいません。何だかマンガのヒーローみたいだなって思って」

 

「……」

 

「私、瀧華蘭(たきはならん)って言います。あなたは?」

 

瀧華蘭。その名を聞いた什臥は目をパチクリさせる。

 

「……ッ! 何⁈ 瀧華ッ⁈」

 

「は、はい。瀧華……蘭です」

 

「君……もしかして、仁さんは知ってるかい?」

 

「あ⁈ 父さんとお知り合いの方ですかッ?」

 

「なッ! と、とと……父さんッ⁈」

 

狼狽える什臥をよそに蘭と名乗る少女はさも慣れたように説明をする。

 

「あ〜。見ての通り血は繋がってないんですけど。拾ってもらったんです」

 

「なるほど」

 

「あの〜……もしかして、お兄ちゃんの事とか分かります? あと、ここどこですか?」

 

「……お兄さんってのは蓮のことかい?」

 

「そーです! 瀧華蓮です」

 

「ああ、分かるよ。でも説明すると長い、それにここは危険だ。取り敢えず移動しよう」

 

「分かりました」

 

奇妙な縁で結ばれた2人はパガトリーから脱出すべく歩き出した。

 

 

※ ※ ※

 

 

シュメルツが直ぐさま向かったのは武器庫だ。腰で巻いている袖を解き腕を通し、しっかりと着こなす。ダネルの辞書ほどもあるマガジンをフルマグの物に交換し、予備も持つ。SOPMAD M4カービンを背中に背負いサイドアームをレッグホルスターへ。それぞれの予備のマグを装着すれば準備完了だ。その足でガレージへと赴く。

 

「……」

 

「よお、シュメルツ。辛気臭い顔しやがって。一緒にひと狩りと行こうじゃねぇか」

 

と、軽口を叩くのはヘルシャフト(戦争)クリーク(支配)だ。シュメルツと同じくアポカリプスナイツに所属している第2騎士でありロートシュトーラル(赤騎士)のコードネームを与えられている。

 

ガレージでシュメルツを待っていたのはヘルシャフトだけではない。ヴァイスリッターのヴィクトール・ライヒナールもいた。それぞれテーマカラーに塗装されたバイクに跨り準備は万端と待ち構えていた。

 

「レーベンシャインは居ないんだな?」

 

「ああ。最終調整を行っている」とヴィクトールが答える。第4騎士、オルクスシュプリンガー(蒼白の騎士)のコードネームを与えられたレーベンシャイン(命の輝き)スチェルデン(穢す者)は、未だない機械化兵士とドクターマドのU.B.Sとのハイブリッドとして注目されている。機械化能力、アストラルボディ(星海の体)を装備したならば新世界創造計画の1つの答えとなるだろう。

 

シュメルツは自らの漆黒のバイクではなく、ヴィクトールの純白の愛機マインシャッツのリアシートに腰を落ち着かせた。

 

するとヘルシャフトがスイッチを操作する。シャッターが開きスロープが現れる。

 

mit mir komm weiter Vorwärts(俺について来い。これに続け)

 

alles klar(了解)

 

先陣を切るヴィクトールのマインシャッツがけたたましいエンジン音をガレージに轟かせながら出発した。

 

 

※ ※ ※

 

 

ジェリーらはあれから追っ手を巻くために複雑な経路を辿った。

 

モノリスが崩壊し紅蓮に燃える西の空を背にしてレクサスを走らせ、今、ビルとビルの隙間にある路地にて待機している。

 

「クラリウス。蓮の調子はどうだ?」

 

ジェリーはバックミラー越しにそう話しかける。

 

「眠ってるわ。時折何かに(うな)されてるけど……」

 

「そうか」とだけ言葉を返し、ジェリーはこれからの行動について考える。

 

ここに滞在していたのでは、すぐに五翔会は発見してくるだろう。早く場所を移さなければならない。

 

そして、石動(いするぎ)との待ち合わせだ。風嵐八重(かざらしやえ)の保護を依頼し、午前1時に『中央制御機構』ビル前に落ち合う事になっている。

 

このまま1時まで逃げ続けるのか?

 

コンタクトを取り時間を変更するのか?

 

後者の方が最良の判断に思えるが、もしかすれば石動は現在八重を保護する作戦中かも知れない。

 

携帯端末を取り出し、連絡を取るか取るまいか逡巡していたジェリーだったが、突然端末はバイブレーションを開始した。見ればディスプレイには11桁の数字の羅列があった。登録していない番号だが、それが誰の物なのかは即座にわかった。これほどタイミングの良いコンタクトがあるだろうか?

 

通話のアイコンをタッチし、ジェリーは開口一声「ロイヤルミスト」と名乗った。

 

「こちらリジッドフォース。0(ゼロ)

 

「4」

 

「249」

 

「253」

 

「オーケイジェリー。そっちの状況はどうだ?」

 

連絡を寄こしたのは、同じく特戦出身者の石動八夜懿(いするぎやよい)だ。

 

「ああ。こっちは予定を繰り上げて親子のマトリョーシカを確保。現在追跡を振り切っている所だ」

 

「こちらは風嵐八重の保護には成功している。MSS本社で匿っている状況だな」

 

「そうか。それはありがたい。少し待て」

 

ジェリーは一度端末を耳から離し地図のアプリを起動する。

 

準備が出来てから再び端末を耳に当てる。

 

「いいぞ」

 

「お前……もしかしてじゃないが、五翔会と関わってるだろう?」

 

石動は聞き辛そうにそう尋ねてきた。1拍おいてからジェリーは返答した。

 

「………ああ。そうだ。関わっているどころか、さっきまでは一応幹部だった」

 

「やはりな。プリンシパル(保護対象)と接触した際、奴らの妨害にあった。ドュルジとかいうキザ野郎は教師に化けていたクソ野郎だったな。八重をずっと監視していたらしい。早々に鉛玉を頭に叩き込んでやったがな。でも、”さっきまでは”か。よく決心したな」

 

『ドックス』のナンバー19、ドュルジ。ドュルジとは、アヴェスター語で「虚偽」という意味で、ゾロアスター教の悪神の1人だ。純正『ドックス』ではないナンバー50未満は元人間だ。それまでの身分を隠れ蓑とし社会に潜伏している。元教師か。それに「虚偽」というコードネームを付ける五翔会は趣味が悪い。ともあれ–––

 

「俺にも譲れない者が出来たからな。正直危うかったが、何とか切り抜けられたよ」

 

「ならば早急にお前を迎える必要があるな。現在地を送れ」

 

「現在地では危険だ–––」

 

そう言ってからジェリーは予め定めておいたピックアップポイントの座標を読み上げた。

 

「分かった」

 

「石動。”昔通りだ”」

 

「昔通りだな。待っていろ」

 

昔通り。これが意味するところは暗号通信の1つの解読の仕方を表す。簡単な物だが、送られた数字の羅列を逆さに並べ替え、それぞれの桁を(マイナス)2して正規の数字を計算する事を言う。例えば、座標123456と伝えられたならば、432109となるわけだ。

 

「1時間後だな」

 

「ああ。頼む」

 

通話を終えたジェリーは鼻から太い息を吐いた。

 

「クラリウス。少し休め。車を調達する」

 

ジェリーはそう言い残すと車を降りた。

 

そうして向かった先は高級車ディーラーだ。

 

モノリスが崩壊したとあっては『大絶滅』は避けられない。店員の姿などは無く、数千万円はする高級車が無防備に置かれている。首を巡らし、ジェリーは何に乗り込むか少しだけ考える。ここで重要なのが”乗り換える”という行為だ。故に本来なら車は何でもいい。しかしここではメルセデスベンツS550をチョイスする。今しがた乗っていたレクサスLSと性能が遜色無いからだ。

 

スタッフルームに行きカギを拝借し乗り込む。レクサスを停めた所まで戻りクラリウス達をこちらに乗せ変える。

 

静かにベンツを発進させたジェリーは何気無く道路に溶け込んだ。通常の走行規定を守り、ありふれた1台となる。

 

五翔会は警察すらもその手中に収めているため、自動車ナンバー自動読取装置–––通称Nシステムを使える。Nシステムとは日本の道路に警察が設置する、走行中の自動車のナンバープレートを自動的に読み取り、手配車両のナンバーと照合するシステムである。

 

レクサスで逃走する際には十中八九ナンバーは控えられている。ここまでの道程を五翔会は完全に把握しているはずだ。実際にここまで追ってきて、乗り捨てられたレクサスを見て周囲を捜索するだろう。そして高級車ディーラー内に不自然に開けられたスペースがありジェリーがベンツに乗り換えた事に気づくだろう。再び始まるNシステムによる追跡だが、その時には既にジェリーは別の車両に乗り換え距離を稼いでいく。このイタチごっこを繰り返せば追跡を振り切る事が出来る。

 

ジェリーは油断こそしないものの心の中では既に達成感があった。

 

鏡越しにクラリウスを見る。不安げな顔をしている彼女と目が合った。

 

「心配するなクラリウス。ここまで来れば逃げ切ったも同然だ」

 

「……ええ」

 

なおも緊張した様子なのでジェリーは優しく微笑みかけてやる。

 

「なぁクラリウス。この騒動が終わればニューヨークエリアに行こう。ニューヨークは自己完結エリアとしてよそ者を受け入れない。世界でも数少ない未だ五翔会の手が及んでいない所なんだ。そこでなら悠々自適とはいかないだろうが骨を休める事が出来るだろう」

 

「……」

 

「任務で1回だけベニーロズというイタリアンペストリーショップに行った事があるんだ。そこのチーズケーキは本当に美味しいぞ。お前にも是非食べてもらいたい」

 

緊張の連続だったクラリウスは疲弊しているためか、ぎこちない笑みを浮かべる。

 

無理もないか。死の恐怖に囚われた状態で更に襲いくる窮地。肉体的なものはもちろんだが何より精神面で強さが試される。訓練や実地で何度となく地獄の底に叩き落とされたジェリーはもはや慣れにも似た感覚で過ぎた事には頓着しない。だが最初の頃の鉛が心臓にぶら下がっているかのような後味の悪さは鮮明に覚えている。今それをクラリウスは体感しているのか? いづれにせよ未だ成長中の10歳児には熾烈な体験だったはずだ。

 

「もう心配する事はないクラリウス。お前はよくやった。よく付いて来てくれた。しばらく潜伏生活が続くだろうが、直ぐにニューヨークに行こう」

 

「……ええ」

 

極度の疲労により思考力が低下しているのかクラリウスの瞳は弱々しい光しか放っていない。

 

こればかりは、時間に任せるしかない。克服するのは本人の気持ち次第だ。

 

ジェリーは車を首都高に入れる。

 

このまま距離を稼ごう。

 

紅に染まる西の空。モノリス崩壊による『大絶滅』。いま東京エリアの人々は、まさしく恐慌のど真ん中に放り出されているのだろう。我先にと他エリアへ移動を開始しているのだろう。

 

だが、ジェリーにそんな杞憂はなかった。

 

なぜなら、東京エリアには五翔会の重要施設があるからだ。パガトリーもその1つ。そこを失えば五翔会は多大な損害を被る。ガストレア如きにそんな事をさせるはずがない。本気を出せば、ガストレアなどウジムシのように蹴散らす事が出来る。セリアンスロウププロジェクト(獣王纏身計画)が成功していた事を鑑みると、エヒトプットオペレーション(真の奏者作戦)も完成しているだろう。ステージIVガストレア、アルデバランが現れたのは、恐らくそういう経緯があるはずだ。この仮定が正しければ『大絶滅』などは決して東京エリアには起こらない。

 

ベンツは快調にパガトリーから距離を稼いで行った。

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

「残念だったなヴェーヌス。使えるのは、Nシステムだけじゃないんだ」

 

人知れず、ヴィクトールは呟いた。

 

アームプロテクターに装着された端末が目標とするジェリーの居場所をリアルタイムで映し出している。

 

それをチラと見つつハンドルを握るヴィクトールは更に速度を上げた。

 

首都高に乗り、法定速度など無視してジェリーを追尾する。

 

後続の第2騎士、ロートシュトーラル(赤騎士)のコードネームを与えられたヘルシャフト(戦争)クリーク(支配)は置いていかれまいと必死に喰らいつく。スーパースポーツのバイクに跨るヘルシャフトはヴィクトールのスリップに入り辛うじて距離を維持している。

 

ヴィクトールが()る車両はドゥカティ1098Sをベースにオリジナルのカスタムを施されたスーパーバイクだ。純白の塗装を施しその上から金色のバラが描いてある。ヴィクトールはこれをマインシャッツと名付けた。意味は『愛しの人』だ。

 

アポカリプスナイツはそれぞれが設計したバイクを所有している。その中でも最速の1台がマインシャッツである。ライダーとしての技量もヴィクトールが1番である。

 

端末に表示されているマップ上ではジェリーの赤い点と現在地である青い点が引き寄せられているかのように怒涛の勢いで迫っている。

 

今現在は、Nシステムによる読み取りによりジェリーは現在地を暴露している形だ。

 

ジェリーは恐らく知らないのだろう。各所に設置されたガストレア察知用の防犯カメラにこう言う使い方がある事を。特定の人物の人着をインソトールし、合致する人物がいたならば通報してくるこのシステム。例え特戦出身者と言えど、予知能力者ではない。未だ試作段階のこの顔認証システムの存在を知らなくとも、責められはしない。

 

高級車ディーラーのカメラに映って居場所を露呈したジェリーに落ち度はない。

 

現代戦は、テクノロジーが上回っている方が勝つ。いづれ、誰も血を流さない戦争の時代がやって来るだろうとヴィクトールは考える。

 

しかし未だ現在は、最終の(けつ)を決めるのは人の手だ。

 

先の戦闘で敗れたかけたヴィクトールに、次はない。

 

狙撃に失敗したシュメルツにも、次はない。

 

不退転の決意で2人はジェリーを追う。

 

やがて、ヴィクトールは捕捉した。メルセデスベンツS550。ナンバーもNシステムが読み取っている物と合致している。真っ直ぐにこちらへ向かって来ている。

 

そう。ヴィクトールは首都高を逆走していた。端末が表示する点と点の異様な近づき方にはこういうタネがあった。

 

後ろでダネルを肩に担いでいるシュメルツに合図を送る。

 

即座に3つのビットも飛び立っていき、マリオットインジェクションを起動させ姿を眩ませるシュメルツ。

 

ヴィクトールは車体に貼りつくように体を前傾姿勢にする。

 

すると、マインシャッツに翼が生えた。シュメルツが片腕でバイクを掴みながら地面に降りたからだ。バイクに引っ張られるようにしてシュメルツは地面を滑っていく。アスファルトスキーというスタント技だ。踵が減らないように装着する金具とアスファルトとが擦れ合い大量の火花を散らす。それがまるで翼のように見える。

 

シュメルツはヴィクトールの背にダネルの銃身を置き、狙いを付ける。

 

全長2015mmのダネルはドゥカティ1098Sとほぼ同じ長さだ。銃口がちょうどヴィクトールの頭上に来るがシュメルツはそんな事はお構いなしにトリガーを引いた。

 

射撃の反動で、マインシャッツはウィリーの格好になるが、大口径の弾丸はベンツ目掛け突撃している。

 

着弾の直前、ベンツは蒼白の膜に包まれる。眩い燐光を放ち弾は弾かれた。

 

だがその衝撃は凄まじい物があった。ベンツは挙動が怪しくなり、続く2発目でスピン。

 

ドライバーが怯んだのかアイギスが消失する。

 

ここでトドメにダネルをぶち込みたいシュメルツだが、彼我の距離は既に狭まっている。

 

排莢、照準、撃発のスリーステップは、この取り回しのきかないダネルでは不可能の間合いだ。

 

迷う事なくダネルを破棄。

 

「想定通りだ」

 

シュメルツはすれ違いざまにベンツに飛び移る。ルーフに降り立ち背に回しているM4を神業的速さで構える。

 

あらかじめこうなる事を想定してアンダーバレルにはショットガンアタッチメントが装着してある。

 

特殊部隊向けに造られたSOPMAD M4はハンドガード部分が上下左右ピカティニーレールになっている。20mm規格の物ならば何でも装着可能だ。

 

ゴテゴテにカスタムされたそのM4を運転席狙い発射。

 

だが同時に射撃の反動とは違う衝撃が両腕に加わる。

 

銃口が横を向きあらぬ方向に弾は飛んでいく。

 

Dieses Kind(このガキ)!」

 

真横にはいつ現れたのか白磁の肌に金髪をなびかせる、確かクラリウスとかいう少女が立っていた。その眼は異様な赤い輝き方をしている。

 

シュメルツは即座に肩からぶつかりながら銃床による刺突を繰り出す。容易くキャッチされ防がれるが、相手は裸足だ。シュメルツはクラリウスのむき出しの足の甲を硬い靴底で踏み付ける。アスファルトスキーで高温になった金具が肉を焼く。怯んだ隙を逃さずに頭突き。そしてバトンのようにクルッとM4を回し銃口をクラリウスに向け、ショットガンアタッチメントのトリガーを絞る。

 

撃たれた衝撃で少女の体は紙切れのように飛んでいき道路に落下。ゼロ距離でショットガンを撃たれ胴体には風穴が開いている。

 

呪われた子供の再生能力は厄介だ。今のうちに息の根を止める。

 

すかさず頭部を照準。しかしここでも邪魔が入る。持っていたはずのM4の銃口が、シュメルツに向けられている。

 

「ジェリー! 貴様は邪魔ばかりッ」

 

「クラリウスを殺させはしない」

 

左ハンドルが幸いし、ジェリーはシュメルツの視界の外で車外に出ることが出来た。そしてルーフに登り後ろからM4を奪い取るとショットガンアタッチメントで腹部を撃ち貫いた。ほぼサイボーグと化したシュメルツの体はそれでは吹き飛ばないが、大きな穴が開き中でバチバチと配線がショートしている。

 

12番ゲージのショットシェルはアタッチメントに3発しか入らないため残るはマガジンに入っている5.56mmのNATO弾30発だ。

 

シュメルツがサイドアームを抜くより、ジェリーがトリガーを絞る方が早かった。

 

ショットガンで開けた傷口に先ずは3発。頭部に2連射(ダブルタップ)

 

1発は頭を掠めるに終わったがもう1発は眼窩に吸い込まれるように直撃。頭を仰け反らしながらシュメルツは倒れた。

 

ジェリーはクラリウスの容態をチェックする。

 

既に傷は再生済みのようだ。

 

「クラリウス、––––––––––」

 

しかしジェリーの呼びかけはバイクのエンジン音に被さり無音となる。

 

右手からは白いバイクが、左手からは赤いバイクが爆音轟かせながらやって来る。

 

ジェリーは赤いバイクを見咎め舌打ちする。

 

第2騎士、ロートシュトーラルには同じく斥力フィールドが備わっている。こんな豆鉄砲は通用しない。

 

ならば答えは1つだ。

 

右よりくるヴィクトールに照準を合わせる。

 

首都高の2車線という狭い幅でライフルの連射を避け続けるのは不可能のはずだ。

 

トリガーを引き連射する。

 

まずは定石通りと言うべきか道路の端から端へ移動し弾を避けるヴィクトール。逃げ場が無くなりそのまま行けば直弾は免れないが、何と白いバイクは1段高いエンジン音を轟かせるとフェンスに乗り移った。アクロバットの域を優に越えた壁面走行にジェリーも一瞬たじろぐ。しかし即座に狙いを付けM4を射撃。ヴィクトールはフルブレーキング。タイヤがロックされた瞬間に身をよじり車体を滑らせた。フェンスに火花が散り、続けて迫り来る弾丸をキャッチする。ヴィクトールが手を開くと、少量の砂が風に乗り散っていった。M4はスライドが解放され、薬室が見える状態になっている。弾が尽きた。

 

ヴィクトールはスロットルを全開にしジェリーに迫る。

 

対しジェリーはシュメルツの体から予備のマガジンを奪おうと骸を探すも、それはどこにもなかった。

 

アイギスによる攻撃を繰り出そうとジェリーが身構えるが、ヴィクトールは既に攻撃を終えていた。タンクの蓋を開けると中にピンを抜いた手榴弾を入れ、サーファーが波に乗るように車体の上に立った。

 

愛車であるはずのマインシャッツを蹴り飛ばし、爆弾と化したバイクを突撃させる。

 

「『レイジング・サイズ』ッ」

 

対しジェリーは斥力フィールドによる斬撃を繰り出す。細切れとなるマインシャッツだが手榴弾を捉える事は出来なかった。炸裂する手榴弾を助長させるガソリン。バイクの部品が驚異的爆速で飛散し辺りいっぺんを削り取る。

 

赤いバイクは赤い膜に包まれそれらを弾きつつ前進。クラリウスまで一気呵成に突っ込んだ。

 

ヘルシャフトはレッグホルスターよりオリジナルカスタムハンドガン『サラマンドラ』をドロウ。クラリウスの足元狙い速射。避けやすい弾を放ち誘導し、まんまとクラリウスはバイクの進行方向上へ誘い出された。ヘルシャフトは途端ブレーキング。ツンのめるようにジャックナイフを成功させると前輪を軸に回転。後輪がちょうど幼子の頭部に直撃するよう微調整しつつぶち当てる。インパクトの瞬間、アクセルを吹かすのは言うまでもない。

 

クラリウスはまたも紙切れ同然吹き飛ばされジェリーの元まで転がる。

 

ヘルシャフトはアクセルターンを決め敵に正対する。

 

ヴィクトールはマインシャッツが立てる業火の柱の中から姿を現しジェリーに近づく。

 

「降参したらどうだジェリー。そうすればその少女にこれ以上苦しみを与えないことを確約する」

 

「……」

 

「貴様には、その分の苦しみを味わってもらうがな」

 

進退窮まる事態とは正にこの事だろう、とヴィクトールは考えた。しかし即座に帰ってきた返答は素気無いものだった。

 

「断る」

 

この1言のみだ。

 

ヴィクトールは瞳を閉じ「………そうか」と呟く。

 

「ならば暴力を持って貴様を排除する。そこに居るガキ共々あの世へ贈ってやる」

 

良いぞあの世は。全ての苦しみから解放され無に帰するのだから。死とは何よりの楽だ。この世の責任全てを放棄するのだ。究極の安らぎとは、死そのものだ。

 

「今その苦しみから解放してやる」

 

ヴィクトールは機械化能力を解放し肉薄する。触れるもの全てを砂礫に変えるアナライザー機能だ。

 

掴みかかろうとアッパー気味に魔手を伸ばすもそれは蒼白の膜に阻まれる。掌を押し当てるヴィクトールだが、不意に拳を握り締めた。

 

「エクスプロージョン」

 

そう唱えればヴィクトールのもう1つの機械化能力、炸裂式義肢が発動する。

 

莫大な炸裂音と共にヴィクトールの腕部から金色の薬莢が3つ排莢される。

 

アイギスは破る事は出来ないが吹き飛ばす事はできる。

 

宙へと打ち上げられるジェリー。

 

斥力フィールドは、地面に干渉しないよう発生させるプログラムがある。それがなければフィールド使いは自らの足場を延々潰し続けることになるからだ。

 

故に、宙に上がったジェリーは傘を被るように半球状のアイギスを展開させている。自動補正システムが隙間なくフィールドを展開させようと欠けている部分を補っていくが、ヴィクトールは脚部ストライカーにて大口径カートリッジ底部を撃発。炸裂する爆薬の力を踵より射出し推進力としてジェリーの眼前に躍り出る。

 

「–––ッ!」

 

破壊不可能と言われるアイギスを突破する戦略。そんなものは皆無とされジェリーは五翔会から格別の待遇を与えられていた。

 

アルブレヒト・グリューネワルトの傑作品。『インフィニティ・アイギス』を装備する機械化兵士。ジェリー・ペレロ。

 

それがどおしたと言うのか。

 

ヴィクトールは神も科学も信じない。忠誠を誓うのは己のみだ。他者がアイギスは突破不可能と言おうがそんなものは机上の空論とする。

 

「俺の前では有象無象の限りなく、全てが無と帰するのだ。ジェリーッ」

 

両者を隔てる物は何もない。触れられれば終わりのアナライザー機能が襲い掛かる。

 

しかしジェリーとてここで諦めるような男ではない。

 

迫る掌を掻い潜り手首をキャッチ。空中で飛び掛かり式の腕ひしぎ逆十字固めにとって返す。

 

掌に触れないよう留意しつつ相手の手の甲を親指で押し込みつつ落下。

 

ヴィクトールは即座に自由な左手でジェリーの脚を掴もうとするも地面と激突する方が早かった。

 

そこまでして抗うか。ジェリー。

 

上体を起こし、上から拳を振り落とそうとするもジェリーは即座に三角締めに移行する。振りかぶっていた腕を首に当てがい完璧に極まるのを防ぐ。

 

挟まれている腕で強引にこじ開けるように相手の脚のクラッチから逃れると掌を振り落とす。

 

身をよじり回避したジェリーはコンパクトなパンチをヴィクトールの鼻っ柱に叩き込むと同時に上体を起こし肘をこめかみへ。

 

離れて距離を置こうとジェリーは立ち上がりステップバックを刻むがそうはさせじとヴィクトールはタックル。

 

これに膝を合わせカウンターを取るジェリー。

 

組んだ両手を上から思いっきり振り落し後頭部に叩きつける。

 

ヴィクトールは首を仰け反らせながら地面に突っ伏すが、痛覚が無いのか直ぐさま起き上がる。

 

ジェリーの刺すような鋭い前蹴りを外に払い、掌打を合わせる。しかしこれは誘いだった。

 

まんまと手首を取られたヴィクトールは相手に挙動を操られてしまう。引き込まれバランスを崩した所で手首を返されひっくり返った。頭部を踏み潰そうと迫る靴底を避け、脚を振り上げる。ジェリーを蹴り飛ばし距離を置く。

 

「その状態で俺と同等、いや、それ以上の格闘をするか。さすが特殊戦技教導隊と言った所か」

 

ジェリーは構えを解く気配すら見せず、お喋りに付き合う気はないという顔だ。

 

「俺は証明しなければならない。High-end Warrior(完全無欠の兵士)と銘打たれる特殊戦技教導隊の兵士より強い事を。ヴィルヘルムが望む新世界創造のためのこの力。ここで折れる訳にはいかない」

 

そう言うとヴィクトールはカランビットナイフを1本取り出し放り投げた。何を言おうそれはジェリーが使用していた業物だ。

 

「来いジェリー。全力で向かって来い。全霊を持って応えよう」

 

構えるヴィクトールの眼を見てジェリーはおもむろにナイフを拾い上げる。

 

「何を血迷っているのか知らんが、後悔しても遅いぞ」

 

「後悔などしない。これ以外に選択肢はない。互いに、退路は無いわけだ」

 

今一度、男たちは交錯する。

 

初撃。ジェリーはグリップエンドのリングでカランビットを回しつつヌンチャクを振り回すように上へ下へと振り回す。

 

格闘戦の基本は、相手の全体を見ることだ。そのためには目を見る。だが格闘戦のエキスパートのヴィクトールを持ってしてもジェリーのナイフは目で追ってしまう。体が、痛みを覚えているからだ。

 

一体いつどの角度から来るやもしれぬ魔刃(まじん)に体が恐怖に武者震いする。

 

だがこれを越えねばならないのだ。人をして人を辞めた兵器、特戦隊の兵士を越えることがヴィクトールには必要なのだ。

 

ジェリーが踏み込みと同時にナイフを煌めかせる。ヴィクトールはそれに手刀を当て打ち据えようとするもジャブが顔に突き刺さった。

 

「–––ッ!」

 

フェイントとは、ここまで……。

 

驚いた一瞬。その刹那でジェリーは一閃。ヴィクトールの脇の下から止めどなく血が溢れ出す。

 

奴の手元でクルクルと回るカランビットが悪夢に出そうだ。そう言えば最初に言っていたか。「身をもって学ぶといい。悪夢とは何なのかをな」と。

 

笑わせる。特戦隊を越えようと挑む者がこの程度で怯んでいいものか。

 

自らを奮い立たせ、ヴィクトールは相手に肉薄する。

 

煌めく刃が描く軌道は縦横無尽。規則性などない。

 

状況にあわせ千変万化する刃線(じんせん)

 

しかしそろそろ、感覚が掴めてきた。

 

次で極める!

 

ヴィクトールは迎撃の斬撃をアナライザーで受けようと手を出した。しかし刃が描く線は手を迂回し体軸へと伸びてくる。

 

やはりそう来るか。つまるところ、刃がデカくないカランビットでは、的確に急所を切りつける必要がある。同じく人体構造を知り尽くしたヴィクトールならば、ある程度の目星をつけることができる。刮目し、ヴィクトールは両前腕でジェリーの手首を押さえる。挟みつつ下方へ捻りを加えながら回す。手首と肩が極まった瞬間、カランビットのリングに打撃。穴に通してあるジェリーの人差し指がボキリと小気味良い音を立てる。

 

これで右手ではナイフを握る事もトリガーを絞る事も出来ない。

 

ジェリーは自由な左手でヴィクトールの胴体に深々と拳をめり込ませるも、これを苦悶の表情で耐えきられる。

 

お返しとばかりにこめかみからこめかみへ貫通するような1撃が迸る。

 

蹌踉(よろ)めく相手に追撃するヴィクトール。

 

ジェリーの顔には疲労の色が伺える。ヴィクトールはナイフの軌道が読めた事もあり、相手が疲れてきていることも確認し、心理的余裕が生まれる。

 

「ロイヤルミスト! 貴様はここで死に果てろ」

 

一気に懐まで入り込んだヴィクトール。

 

ストレートを顔面目掛け繰り出すも軽く払われカウンターのカランビットが襲来する。首筋に伸びてくるナイフを防ごうと咄嗟に左手を向かわすも、刃線は軌道を変えヴィクトールの掌を通過した。

 

しかし–––

 

「貴様のナイフ。既に見切った」

 

ヴィクトールは刃線の先を正確に見切り、とうとうジェリーの手首を捉えた。

 

「ロイヤルミスト。貴様の不敗神話もここで終わりだ」

 

アナライザー機能を発動する。

 

ジェリーの体に遠心分離機に掛けられた様な途方もないGが襲う。体内から外へ向かうようなGに、視界が白く染まる。

 

なにふりかまわず、ジェリーはヘッドバットを敢行する。

 

重厚な衝突音と同時に、体はGから解放された。

 

ヴィクトールの額に、1筋血が伝う。

 

ジェリーは肩で息をしながらも再び構えを取る。

 

まだ戦える。そう闘志を剥き出しにした燃える眼をしている。

 

「–––?」

 

しかしジェリーは気付いた。

 

カランビットが無いどころか、右腕が無い。

 

「貴様の右腕、貰い受けたぞ」

 

足元にはヘドロのようなモノが溜まっている。

 

さしもの特戦隊出身者といえど、自らの身体の欠損にショックを受けるようだ。ほんの一瞬だが、ジェリーの思考がフリーズした。その隙を見逃すほど、ヴィクトールは優しくない。

 

脚部カートリッジを使用し肩からジェリーにぶち当たり、次いで心停止を誘発させる掌打を胸にねじり込む。

 

驚愕に眼を見開くジェリーの表情が、ヴィクトールの脳内に刻まれる。

 

とうとう越えるぞ! 特戦隊を。

 

吹き飛びベンツのドアにぶつかるジェリー。力なく地面に横たわるが、のっそりと上体を起こしベンツに背を預ける。

 

まだ戦う気でいるようだ。しかし体に蓄積されたダメージは計り知れない。彼は気絶していたとしてもおかしくない状態で未だ勝利を諦めていないのだ。

 

ならば応えよう。死という全てから逃れられる究極の安らぎを与えよう。

 

「ロイヤルミスト。いや、ジェリー・ペレロ。自らの信念に従い殉ずるその姿勢。敵ながら天晴(あっぱ)れである。だが見ろ」

 

–––そうヴィクトールが指差す方向にはクラリウスが居た。

 

凄絶な血痕を体に記している。

 

激戦を制したのはヘルシャフトの方だった。サラマンドラのサイトの凹凸はクラリウスの眉間に定められている。トリガーを引けば鉛玉が脳内に穿たれる状態だ。

 

「我ら五翔会こそが新世界創造を許された崇高な存在」

 

ジェリーの顔面を鷲掴みにしトドメの1撃を与える。

 

「アナライザー。無に帰れ、ジェリー」

 

機械化能力を発現させたヴィクトール。

 

良かったなジェリー。もう苦しむ事はない。これで全て終わりだ。

 

超振動がジェリーの頭部を揺らし、分子間の結合を曖昧にする。崩壊まで、もう数瞬の猶予もない。

 

融解が、開始される。

 

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

 

 

 

しかし突如、落雷が起こった。

 

いや、正確には落雷と錯覚するほどのスピードで球体が落ちてきた。

 

バチバチと音を立てながら表面が爆ぜる球体はヴィクトールとジェリーとの間に落ち、両者を隔てる。

 

「ッ!」

 

やがて、その球体の出力は落ちていき、中から1人の男が現れる。

 

短く刈り込まれた頭髪に、市街地迷彩の戦闘服を着た男。

 

その男の1番の特徴は、左目がシベリアンハスキーのようにブルーグレーに変色していることか。

 

険しい表情のその男に、ヴィクトールはもちろん見覚えがある。

 

対機械化兵士兵装、ジャッジメントライトニング(裁きの雷)を装備したSMS機関のエージェント。

 

特殊戦技教導隊出身であり、現在は真っ向から五翔会に仇なす忌まわしき存在。

 

過去にリジッドフォースのコードネームで中東のテロリストグループを1人で壊滅させた逸話はその世界では有名だ。

 

「貴様が何故ここにいる! ヤヨイ・イスルギッ」

 

驚きに声を荒げるヴィクトールだが、当のイスルギは平熱に答える。

 

「何言ってやがる。機械化兵士の不始末を付けるのが俺の今の仕事だ。現れて当然だろう」

 

しかしイスルギは背後のジェリーを見やると一段顔を険しくする。

 

「でもな、今回はそんなもんは関係ねぇ。個人的にお前をぶちのめす」

 

思わず舌打ちしてしまう。

 

ヘルシャフトの方を見れば、やはりもう1人。

 

サイレントディザスターの異名を持つカムイ・シンドウがいる。イスルギが蒼雷に対し、カムイは紫電を纏っている。

 

SMS機関の機械化兵士。

 

Supervise Mechanization Soldier.

 

その任務は、機械化兵士のメンタルケアやリペアー。日常生活を送る上での必要な支援を行っている機関だ。

 

しかし、機械化兵士によるテロリズムや犯罪を取り締まる荒事担当の部署もある。それが彼らジャッジメントライトニングを備えた対機械化兵士戦闘のスペシャリストだ。

 

通常ガストレアに対抗する形で力が付与される物だが、SMSは当初から対機械化兵士を視野に兵装を開発していた。

 

それが導く答えは–––

 

「五翔会のクソッタレ共。どうせお前らはSMSが駆逐すべき対象だ。死にたく無ければ投降しろ。死にたいのなら抗え」

 

「選択権はお前にある」そうイスルギは形式的に言うと構えを取った。

 

「互いに相容れぬ存在。道を譲る選択肢などありはしない」

 

ヴィクトールも構えを取り、応戦の意思を示した。

 

すると同時に、蒼雷の瞬きが首都高を包んだ。

 

決着は、一瞬で着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長々と続きました16話、最後まで読んで頂きありがとうございます。

途中世紀末の匂いが漂いました。

思わず書いている本人も笑ってしまいます。

お前の血は何色だ? って、ププっとなります。

あとはヴィクトールとジェリーのナイフ戦ですが、上手く動きを描写出来ませんでした。

頭の中にある技を表すのに長い時間思案しましたが私の国語辞書の中でそれを上手く組み上げるワードは無かったです。

悔しい。

ここでなんの脈絡もなく最近読んだ本の話をしましょう。

何でやねんというツッコミが聞こえました。幻聴ではないでしょう。

電撃文庫からは『夜桜ヴァンパネルラ』です。

要は吸血鬼の刑事が吸血鬼の犯罪を取り締まるんですが、これが一筋縄ではいかない。

主人公の吸血鬼(本編では吸血種と表記)が呪われた子供たちの境遇まんまなんですね。

理不尽だなぁ〜なんて読んでいて思いました。

ライトノベルらしからぬ少し固い文体で、警察小説を読んでいるみたいでした。

それが私の中でリアリティを生み、感情移入が半端無かったです。

私はもともと警察小説しか読まなかったので、久々に滾りました。

……以上ですね。


あ、すいません店員さん。やっぱハイボール追加で。


とりあえず、またお会いしましょう。
( ´ ▽ ` )ノ

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