Black Bullet 〜Lotus of mud〜   作:やすけん

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第9話

消毒液のにおいが鼻腔を突き、水の滴り落ちる音が耳朶に響く。

 

蘭は鏡に映る自らの姿を見てため息をつく。

 

白Tシャツにハーフパンツ。白ソックスに白の運動靴。体育の授業を受けていたためにこの格好だが、問題はそこではない。Tシャツに染み付いている血痕だ。すんでのところでトイレに駆け込み傷口を隠すことが出来たが、正直危なかった。

 

この傷口の超再生を目撃されたならば即座に『呪われた子供たち』だと暴露して迫害の対象となってしまう。そうなれば日常生活を送れないどころか、人としての尊厳も、人権も奪われ屑も同然の扱いを受けるようになる。ついてはその家族にまで影響は及ぶ。それだけは避けなればならない。

 

体育。「4年4組、瀧華蘭。いっきま〜す」と意気揚々に跳び箱に向かったのは良かったが、踏み切り板を踏み外し顔面から跳び箱にダイブ。顔は額を擦りむく程度だったが、ぶつけた肘が重症だった。嫌がらせのように抉られた傷口で蟲が蠢き、今にも飛び出さん勢いで暴れ出したのだ。

 

––モデル・パラサイト––

 

瀧華蘭は寄生虫の因子を宿したイニシエーターにして、体内に多種多様の寄生虫を飼っている。

 

クセの強い亜麻色(あまいろ)のロングヘアーに翡翠(ひすい)の瞳。造形めいて整った容姿からは想像出来ないが、生理的嫌悪を抱かずにはいられない蟲を彼女は数兆匹と体に宿している。

 

「はぁ〜あ。いい女が台無しじゃん」

 

という軽い口調。それに比例するように、おっちょこちょいなのが瀧華蘭という少女だ。戸籍上は蓮と兄弟ということになっているが、察しの通り血の繋がりはない。

 

––ガストレアショック––

 

ガストレア大戦後、赤子を川に捨てるのは社会現象にまで発展した。自分が産んだ子供が赤目だった場合、大抵の母親は失神、ないしは発狂する。それほどまでに、ガストレアという恐怖は人類の骨の髄まで浸透し、『奪われた世代』は極端に赤目を嫌う。

 

例に漏れることもなく蘭も川辺に捨てられ、そのままいけば彼女の人生はそこで幕を閉じていたのだ。

 

だが蘭は赤子の山の中央に捨てられ、周りの赤子のおかげで体温を維持することが出来た。冷たい川水の中に長時間浸されても生還出来たのは一言に奇跡だ。

 

偶然通りすがった蓮が泣き声を聞き取り、父親となる仁が山をかき分け発見しなければ今この場に彼女はいない。

 

「うしッ! もういっちょやってやっぜッ」

 

蘭は頬をペシペシと叩くとトイレから出て行き、授業に復帰した。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

放課後。夕焼けが空を橙黄色(とうこうしょく)に染め上げ電柱もまばらに灯り出した(とり)の刻。蘭は親友と帰路についていた。

 

「あっのさ〜カリン。今日の体育やばかったよぉ〜。もうスレッスレのマッドマックス」

 

「スレッスレのマッドマックス? 相変わらず変な言葉使うよね蘭ちゃん」

 

「気にしない気にしない。そんなん気にしてたらお肌に良くないぞ」

 

蘭がそう言うとカリンと呼ばれた少女はハッとした動作で頬を抑える。プラチナブロンドのワンレンヘアーにアイスブルーの瞳。カリンも蘭と同じく東洋人ではない。日本の島国根性は学校で2人を浮かせるため、彼女らが仲良くなるのも必然と言った状況だ。だが何より、彼女らの共通点–––秘密の共有が2人の繋がりを強くしている。

 

「カリ〜〜ン。今誰の事考えてんのよ? もしかして3組の–––」

 

「–––違うッ!」

 

「ははは! まだ名前も言ってないのに〜。カリンはかわゆすな〜」

 

カリンの白い肌が僅かに上気し薄紅色(うすべにいろ)に染まるのを見て蘭は言う。

 

「だいじょ〜ぶだいじょ〜ぶ。カリンは将来ボインボインになるから。ロシアの血が絶対ダイナマイツ炸裂ボディにするから。もうバチェラーってなるから」

 

「なッ! 何よそれ。どういう事よ?」

 

「えっ? だからさ、オキュパイ目当ての男ならイチコロだから心配すんなってこったよ」

 

「最ッッッ低ねッ!」

 

「ん〜〜? 本当にそう思ってるのかな〜」

 

2人は互いを数秒見つめ合うと、同時に笑い出す。

 

「蘭ちゃんは面白いね。それに可愛いし。絶対いいお嫁さんになるよ。お兄さんもカッコいいし」

 

「今お兄ちゃんの事は関係なくない?」

 

「ねぇねぇ、今日も遊びに行っていい?」

 

「え〜〜なんでさぁ〜。カリンは3組の–––」

 

「–––だから違うってばッ!」

 

「あははは。本当カリンはおてんばね〜」

 

「もう。蘭ちゃんの意地悪」

 

カリンは頬をぷくっと膨らまし蘭を睨む。だがクスクスと笑い続ける蘭を見てカリンも根負けしたのか笑い出すと2人は肩を組んで共に歩いていく。

 

「ねぇねぇ蘭ちゃん。今日もあそこ行こうよ」

 

「お〜教会ね。熱心ねカリンは。私は頭が痛くなるよぉ」

 

「あー。蘭ちゃんは悪い子だから神様が罰を与えてるのね」

 

「は〜? 神ぶっ殺す」

 

「チョット蘭ちゃんッ! 今の発言は撤回してッ」

 

「ん? あぁ………ごめん」

 

「あっ…………こっちこそごめん。言いすぎちゃった」

 

「うん。…………えーっと、痛みわけって奴ね。はい仲直りの握手〜」

 

差し伸べる蘭の手をカリンは握るが、蘭がニヒルな笑みを浮かべているのを認めて「しまった」と失念するような顔をする。

 

「イタタッ。蘭ちゃん痛いッ」

 

「がっはっは〜。このまま潰してやろ〜う」

 

「も〜。こんの〜ッ」

 

カリンの瞳が赤く染まる。

 

「ちょッ、バカカリン!」

 

「あッ⁈」

 

2人は咄嗟にしゃがみ込み。辺りを見回す。何事かと周辺の歩行者は訝しんだ視線を2人に送るだけだ。大丈夫、バレてない。

 

「蘭ちゃん。早く行こ」

 

「そうね」

 

2人はそことなく寒気を感じながら教会を目指し走り出した。

 

 

※ ※ ※

 

 

稜線に沈みかけた太陽はだが、未だに眩い程の光を放っている。

 

教会内。ステンドグラスを介し虹色になった太陽光を浴びながらカリンは十字架に跪き祈りを捧げる。

 

蘭はその様子を少し離れた椅子で眺めていた。

 

蘭は教会内の静謐な空気が苦手だった。何故か蘭は教会に来る度ここに居てはいけない存在なのではないかと考えてしまう。

 

手持ち無沙汰も手伝い蘭はモジモジと太腿を擦り合わせる。

 

「お嬢ちゃん。トイレならあっちだよ」

 

「あ……え〜っと、はい」

 

隣に座る初老の男性は蘭の異変に気付いて気を遣ってくれたようだ。蘭は一瞬だけ逡巡したが人の善意は無駄にすまいと不承不承トイレへと行く。

 

「カリン。ちょっち待っててちょ〜」

 

席を立つ時に小声でカリンに蘭は語りかけるが、聞こえるはずもなくカリンは無反応だ。

 

「そんな時間はかかんないかんね〜」

 

そそくさと蘭はトイレへと入る。

 

「まったく。用もなくトイレに来る羽目になろうとは」

 

蘭は時間を潰すためにトイレットペーパーを綺麗に三角折りにしていく。

 

「いい子いい子〜。蘭はいい子だな〜」

 

独り言を呟きながら作業を終えた蘭は会心の出来のトイレットペーパーを見てコクコクと頷くと教会に戻ろうとする。

 

だがその時、けたたましい轟音と共に世界が揺れた。洗面台に置いてある洗剤は派手に内容液を吐き散らしながら吹き飛び、掃除器具を入れてあるロッカーが跳ねて箒やモップが空を舞う。震度にしていくつになろうか。蘭はそんな事を考えていたが人々の絶叫を耳にした瞬間、力を解放し即座に教会内に戻った。

 

だが扉を開けると同時に聞こえたのは獣の苦しそうな断末魔。同時に蘭の目の前に赤い目をした大きなライオンの首が飛んできた。ビチャっと不快な音を立てて、それは教会の壁に剥製よろしく張り付いた。

 

教会の中央には、先ほど蘭に話しかけた初老の男性を庇うようにカリンが立っていた。どうやらライオンの鉤爪が男性に迫るその瞬間にカリンは間に割って入ったようだ。巨大なライオンの鉤爪は10歳児の胴体を横断して余りあるため、カリンの腹部から侵入した爪は背中へと大きくせり出している。ガストレアの突撃を受け止めたカリンの体は著しい損傷を見せていた。

 

蘭を認め、カリンは諦めたような笑みを浮かべる。だが次の瞬間にはその口を強引にこじ開けるように大量の血が噴き出す。ドッとライオンの巨体が倒れると同時に、カリンも倒れた。

 

「カッ、カリーーーーンッッ‼︎」

 

蘭は我も忘れカリンへと駆け寄る。

 

「カリンッ! カリンッ! しっかりして」

 

返事の代わりにカリンは大量の吐血。

 

「カリン、ねぇカリンッ! しっかりして」

 

「らん……蘭、ちゃん」

 

もはやカリンの焦点は定まらずにただただ虚空を彷徨っているだけだ。

 

「何だ? どおした? 大丈夫か?」

 

「蘭ちゃん………どこ?」

 

カリンの手が蘭を求め雲を掴むように何度も開閉される。その手を力強く握り返し蘭は叫ぶ。

 

「カリン、ここにいるぞッ! カリンッ! しっかりしろ」

 

「蘭ちゃん…………ごめ…んね。私が…誘………った……ばっかり……………………に」

 

「ううん。ううん。カリンはッ、カリンは悪くないッ! だから、だから……しっかりしてよッ」

 

「しっかりしてよ」これしか言えない自分に蘭は苛立ちを感じながらも周りを見渡す。何かないか?

 

「おじさん、何やってるの? 救急車ッ!」

 

蘭は初老の男性に救急車を呼ぶよう呼びかける。だが帰ってきた言葉はにべもない物だった。

 

「だ、誰がッ! なんで私がそんな赤目(バケモノ)なんかの為に」

 

蘭は当初、何かの聞き間違いかと思った。命の恩人の危機にこの男は「関係ありません」と当たり前のような顔をして言うのか。いや、言うまい。

 

「おじさん、救急車!」

 

「もしかしてお嬢ちゃんも、そいつと同じ–––」

 

––––それから先の言葉は奥歯が砕け散る音に塞がれ聞こえなかった。頭の中がドス黒く染まり、灼熱の殺意が全身を焦がした。

 

「クッッソジジイィィイイイイイッ‼︎‼︎」

 

蘭は男性の胸に指を突き入れた。豆腐に指を入れるように男性の胸に容易く指は入っていき、手首まで簡単に埋まった。

 

「テメェみてぇなクズは死んじまえッ‼︎‼︎」

 

蘭は体内に宿す寄生虫を男性の体内に流し込む。

 

ブルブルと男性は震え、白目を剥くと泡を噴き出す。蘭は腕を抜くと男性を見るともなくカリンの元へと駆け寄った。蘭がカリンの介抱をする背後で男性がゾンビのような足取りで向かったのは聖水が入った聖杯。そして男性が聖杯を手に取った瞬間、頭蓋を真っ二つにカチ割り巨大な糸状の寄生虫が男性の体内から現れた。

 

頭から這い出で長い体をうねらせているのはハリガネムシだ。寄生したならば産卵のために宿主を水辺まで誘導し、皮下を突き破り水中へと入る。カマキリの腹部から出てくるのは有名だろう。

 

蘭はだが、ハリガネムシが出てきた途端に手を握り締めた。するとハリガネムシは粉々に爆散してしまう。体内に宿す寄生虫の生殺与奪(せいさつよだつ)は文字通り宿主である蘭の手の中にあるのだ。

 

「蘭ちゃん……私………正しい事を………したん……………だよ……ね?」

 

「……」

 

「蘭ちゃん……私達って–––」

 

カリンの目の端からステンドガラスの光を反射する一雫(ひとしずく)が落ちる。

 

「––––何の……ために…………産まれるん…………だろう……ね?」

 

「……」

 

「ねぇ蘭ちゃん……私………人間が………やっぱり……………好きに………………なれ………ない…や………はは……」

 

ストンっとカリンの手は蘭の手の中から滑り落ちる。

 

教会内を蘭の慟哭が切り裂いた。

 

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

その後、生存者により彼女らが『呪われた子供たち』であるという情報が学校へ寄せられると、カリンは英雄などではなくただのバケモノとしてクラスの全員の記憶に残ることになる。

 

だが不幸なのはカリンの家族にまで飛び火が移ったことだ。

 

残された弟2人と母1人。『魔女を匿った人非人(にんぴにん)』として迫害を受け、母親は職を失い爪に火を灯すような貧乏生活が始まる。

 

そうなれば後の展開は手に取るようにわかる。闇金に手を出すようになる。だが雪だるま方式で増える利子を返済など到底出来なく、カリンの母親は身を売る羽目になる。

 

幸か不幸か、カリンの母親はその手の男には好かれそうな身体だった。

 

連日連夜、代わる代わる見知らぬ男に「人非人」などと罵倒され犯されるカリンの母親の精神状態は察するに余りある。

 

カリンの家族は、間も無く家族心中の形で発見された。

 

 

この世は不条理で満ち溢れている。

 

 

※ ※ ※

 

 

 

蓮は電柱により等間隔に闇から切り取られた道路をひた歩く。

 

住宅街。家々の窓からは光が漏れいで、和気藹々とした空気が外にまで漂っている。

 

家族。

 

蓮には縁遠い言葉。一応家族と呼べる存在はいるが、何故だか心の底から彼らを信用しようとは思えない。

 

蓮は父親に拳法を通じて”人として”の作法や礼儀を教えてもらった。だが蓮本人にとってみればそんなものはクソ喰らえだ。

 

散々言われてきたがその事に対し自分が感じるのは違和感しかない。これから命を賭して戦うというのに何が礼儀か? 何が作法か? 問答無用に蹴り、殴り、粉砕すれば良いではないか。

 

地下闘技場にて人を殴り骨を折った時の感触。蹴りにより感じるズッシリとした手応え。関節を極めた時に聞こえる筋の千切れる音。それらが自らを言祝(ことほ)喝采(かっさい)に聞こえてならない。

 

本当ならば対戦者全員をそのまま殺したかった。だが『不殺の誓い』の元、蓮は誰も殺さなかった。

 

『いいか蓮。人を殺すのは簡単だ。悪に堕ちるのも簡単だ。逆に人を守るのは難しい。徳を積むのも同様だ。だから私はお前に困難な道を進んで欲しいと思っている』

 

仁の、父親の言葉だ。今となっては遺言となってしまったこの言葉を蓮は守ってきたが、『赤い司祭服を着た男』を前にした時、自分はそれを守れるだろうか?

 

『不殺の誓い』『善行』これらを守らんがために自らが危機に陥ってはどうにもならない。

 

やっぱクソだな。

 

蓮にはもう、教育を施してくれる人間はいない(死人に口なし)。逆鬼にはただ単に力を貰うだけだ。もう作法やら礼儀やらは必要ない。

 

蓮は改めて『赤い司祭服を着た男』を殺す決意を決めた。

 

 

 

 

それから20分ほど歩き、蓮はようやく自室へと帰り着いた。

 

間取りは8畳1間。狭いがキッチンと風呂、トイレもある。蘭との2人暮らしには充分だ。

 

「ただいま」

 

蓮は形式通りの挨拶をする。だがいつも聞こえるであろう「おにぃちゃんおっかえり〜」というおてんば娘の嬌声が聞こえない。何故だろうか?

 

蓮は訝しみ頭を室内へと巡らす。蘭の姿はあるが、居間の中央で膝を抱えその中に頭を埋める形で彼女は座っていた。

 

「蘭?」

 

「……」

 

返答は得られなかった。

 

蓮は靴を脱ぎ捨てると一応蘭の元まで歩み寄る。だがすぐに蘭から嗚咽が漏れているのに気づき、その歩みを止めた。

 

何を泣いているんだ?

 

蓮はこういう時仁はどうしろと言っていたかと必死に記憶の手綱を手繰る。だが何も思い出せない。とりあえず蓮は思い付いた疑問をそのまま口にしてみた。

 

「何を泣いているんだ?」

 

だが聞こえるのは鼻をすする音だけだ。

 

ひとしきり蓮は待ってみたが蘭が口を開く気配は無かった。仕方なく蓮は晩御飯の支度をしようと踵を返し台所に立つ。

 

冷蔵庫を開ける。だがろくすっぽ食品は入っていなかった。次は冷凍庫を開ける。冷凍食品のフライドポテトがあるだけだ。

 

頭をボリボリと掻く蓮はコンビニにでも買い出しに行こうかと悩むが、面倒なので今日はこれで済まそうとフライパンを用意する。その中にたっぷりと油を流し込むとコンロの栓を捻る。青白い炎がフライパンを撫でるに任せ、蓮は居間に戻る。

 

適当にテレビを付けるとそれをながら見しながら明日の高校の準備をする。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

その時、やっと蘭が口を開いた。蓮はチラッと蘭を見やるが顔は伏せたままだ。

 

「何だ?」

 

「お兄ちゃん。この世に神様っているのかな?」

 

「さぁ? どうして?」

 

「カリンちゃんも、あのおじさんも、同じ神様を信じてたのに、どうして神様は私たちばかりを苦しめるの? 私達は本当に『呪われた子供』なの?」

 

「……」

 

「ねぇお兄ちゃん。どおして……カリンちゃんは、人を助けたのに…………バケモノなんて呼ばれなきゃいけないのッ? 神様がいるのなら、私は許さないッ」

 

「ほ〜、それは神への挑戦状ですかね? けしからんけしからん。傲慢は我が身を滅ぼす7つの大罪の1つです」

 

「……ッ‼︎」

 

聞き覚えのある声に蓮の心臓が大きくバクンっと跳ね上がる。即座に振り返る。赤髪ドレッドヘアーに赤い司祭服。彫りの深い顔立ちに褐色の肌。間違いない。奴だ。当たり前のように戸口に立ちこちらに向け寒気もするような酷薄な眼光をたたえ、冷酷な笑みを浮かべている。

 

「こんばんわ瀧華蓮。いやナンバー”57”。ナンバー”13”ユダです。あなたを回収しに来ました」

 

「な、な–––」

 

「––––なぜいるんだ、ですか? 自然災害が突発的に起こるように、自らの人生の終幕も突然来るということを覚えておきなさい。さぁ哀れなモルモットよ。人生を謳歌したか? だがもう遅い。あなたの人生は、ここで終わりを迎えるのです」

 

「–––ッ‼︎」

 

蓮はユダが言い終わるか否かというときに、既に踏み込みを決めた。

 

足元の畳が捲れ上がる程の強烈な踏み込みをした蓮だが、足が地面に吸い付いて離れないのを感じ、足元を見やる。何かのホラー映画のように、顔を白塗りにした不気味なピエロが伏せの姿勢で蓮の両足首を保持していた。蘭の姿は何処にもない。

 

「このッ」

 

「うっひゃひゃ、こんばんわなのだ〜」

 

蓮は即座に拳をピエロの眉間へ向け振り下ろす。だがピエロはそれを巧みに両手でキャッチをするとバックステップ。前のめりになって倒れる蓮の体の下に自らの体を滑り込ませると股を開き片脚を蓮の脇下から、片脚の膝裏を首の頚動脈にあてがい締め上げる。

 

三角締めだ。大蛇に締め付けられているような強烈な圧力に瞬く間に蓮の顔が真っ赤になる。

 

「はっは〜。後期”ナンバーズ”も調整を受けなきゃこんなもんか」

 

「くッ………そが」

 

蓮は腰を上げ上体を起こすと、両足の裏をしっかりと床に付ける。そして空いている方の手をピエロのケツに当てがうと渾身の勁力(けいりょく)を持って拳を打ち出す。

 

ズドンっと重い反動と共にピエロの体はそのまま床をスライドしていく。蓮はピエロを間髪入れず追随。反時計回りに回転し遠心力を右拳に乗せるとそのまますくい上げるようなアッパーを放つ。

 

「『惨式(さんしき)軛羅魅轆轤(くびらみろく)』ッ ––ぶっ飛べッ‼︎」

 

拳は床に寝転がっているピエロの胸部に炸裂。メリメリと胸骨を押しやり、今まさに折れるのではないかというところでピエロの体は吹き飛んでいく。盛大な音を立て壁にぶち当たると蓮はトドメの1撃を加える。

 

「『遷化(せんげ)荒魔如幻掌(あらましきげんしょう)ッ』」

 

全霊の掌打は再びピエロの胸部へ直撃。ハッキリと胸骨、肋骨を全てへし折った音と手応え。通常人に繰り出したならば、ショックで心停止を起こす技を乾坤一擲(けんこんいってき)繰り出したが見事にヒット。アパートの壁を突き破りピエロはそのまま吹き飛んで行った。

 

残るは赤い司祭服の男–––ユダのみ。

 

「ほぉほぉ〜。無調整で『7』––クラウン・ジェスターを退けましたか。流石は天穹式格闘術(てんきゅうしきかくとうじゅつ)といったところでしょうか」

 

「天穹式……格闘術?」

 

「そうです。あなたが使う拳法の名ですよ。もっとも、まだまだ使われていると言った印象の方が強いですがね」

 

「……何?」

 

「見よう見まねではありますが、見せてあげましょうか。天穹式格闘術を。ただの人間が、かの十忿怒尊(じゅうふんぬそん)の1体–––愛染明王の異名をもらう程に強くなれる拳を」

 

そう言うとユダは完璧な半身となり利き腕を隠す『天壌無窮(てんじょうむきゅう)の構え』を取る。

 

『天壌無窮の構え』は攻撃特化の構えだ。返すは同じく攻撃特化の構えにて相殺するか、防御特化の『雲集霧散の構え』を取るかだ。

 

だが蓮にユダを前に引くなどという選択肢はありえない。何が何でもぶっ殺す。全てをねじ伏せる天下無双の構え『天壌無窮の構え』を選択した。

 

「ではでは、行きますよ」

 

「来てみろクソ野郎ッ」

 

「天穹式格闘術・剛式隷下(ごうしきれいか)–––『封転阿仁邏(ふうてんあにら)』ッ」

 

「『惨式(さんしき)軛羅魅轆轤(くびらみろく)』ッ」

 

ユダが繰り出したのは全身をもって振りかぶる大振りなフック。弧を描き目標へと迫る激烈な拳と蓮のアッパーが交錯する。

 

拳と拳のインパクト面から球状の衝撃波が発生し、あたり一辺の家具や畳を吹き飛ばした。熱せられた油がひっくり返り、ガスコンロの火に引火。台所には瞬く間に火柱が出来上がる。蓮から見れば、ユダの背後で勇ましい勢いで業火が燃え上がっている。それはまるでユダが発する狂気や殺気を体現し身に纏っているように見える。

 

「くッ……ぬッ‼︎」

 

均衡していたかと思われた力と力の衝突はだが、ユダの方が優勢のようだ。上からすり潰すように全体重を乗せた大振りのフックは重力という味方もつけ蓮の手首へとのしかかる。

 

とうとう快音を立てて蓮の手首は普段は曲がらない角度まで反り返る。

 

「がッ……あぁああ!」

 

「痛いですか? 痛いですか? 痛いですか? でもまだまだ続きはありますよ」

 

ユダは蓮の折れた手首を掴むと引き寄せバルブを(ひね)るように(ねじ)る。同時に体を相手の懐へ忍び込ませ腰に乗せると豪快な1本背負いを敢行する。

 

蓮は床に強かに叩きつけられる。肺から全ての空気が絞り出され数瞬呼吸が出来なくなるが、即座に右腕を駆け巡る激痛に絶叫する。

 

「天穹式格闘術・柔式隷下(じゅうしきれいか)–––『緋点焫零(ひてんぜつれい)』」

 

蓮の手首は言わずも肘からは折れて鋭利となった骨が突き出し、肩関節は外れ右腕は力なく垂れ下がり使い物にならなくなってしまった。

 

「さてさて”57”、一緒に来てくれる気になりましたかね?」

 

「だ………誰がッ!」

 

「強情ですね。良いでしょう。どうせあなた達後期ナンバーズ––––スレイブドッグスは新世界創造計画の素体として開発された人造人間。手足など不要です。内臓も不要です。ダルマ状態となってでも連れて行きます」

 

「……ッ! 何、人造人間だと⁈」

 

「やはり仁–––タキ・ラージャは教えませんでしたか。そうです。あなたはタキ・ラージャの息子などではありません。ただの実験用素体。文字通りのモルモット。クソッタレのホムンクルスです。その首のシリアルナンバーこそがその証ッ」

 

「……何、だと?」

 

「わかりましたでしょう? あなたは良心の呵責などなく人を殺すことをプログラミングされた、いやむしろ、嬉々として殺人が出来るように条件付けされた生粋の殺人鬼です。今まであなたはこのクソ溜めの世界が疎ましかったはずだ。人を傷つけ悦に浸っていたはずだ。それら全てがッ、お前がスレイブドッグス(戦争の犬)である事の証明だッ‼︎」

 

「………」

 

蓮には返す言葉が見つからなかった。

 

「さぁ”57”。あなたもこちら側へ堕ちなさい。争いとは愉悦であり殺人とは喜悦である。あなたを満たすものがこちらには沢山あるッ。さぁッ、さぁッ、来たまえッ‼︎」

 

『不殺の誓い』など、『善行』など、クソだと思っていた。だが蓮の中で、今目の前にしている狂人を前にして、それは果たして本当にそうだったのかという疑問が鎌首を(もた)げた。

 

『いいか蓮。人を殺すのは簡単だ。悪に堕ちるのも簡単だ。逆に人を守るのは難しい。徳を積むのも同様だ。だから私はお前に困難な道を進んで欲しいと思っている』

 

父の言わんとしている事が、少しだけ分かったような気がした。

 

「クソッタレだ。こんな世界」

 

「そうでしょうそうでしょう。ならばこそ、我らが新世界(エデン)を共に創造しようではありませんか」

 

「だがな……断るッ‼︎ 俺は確かめなければならない事があるッ‼︎ でもんなことよりなッ、テメェに屈するのが1番気に食わねぇッ‼︎」

 

「はッ………呆れた。あらば四肢を切断し、内臓を引きずり出してあなたを連行します」

 

「やれるもんなら………やってみろ」

 

蓮は立ち上がる。右腕から血が滴り落ちて畳に染みを作る。

 

「威勢やよし。最後まで貫いてみなさい」

 

ユダは懐に手を入れるとまるでナタのような長い刀身を持つナイフを取り出すと(シース)からそれを抜き放つ。

 

鈍色に輝くそれは今にも喉笛目掛け突撃しそうだ–––と、想像していた蓮だがユダはその通りに動いた。

 

だからこそ、通常ならば見切ることも不可能であろう神速の突きを蓮は躱すことが出来た。

 

紙一重で頭上を擦過するナイフ。蓮はタイミングを見計らうと飛び上がりユダの頭蓋へ頭頂部を叩き込む。

 

鈍い音が部屋に木霊すると、ユダはたたらを踏み後退する。

 

逃がすかッ‼︎

 

蓮は空中で脚を振り上げるとそのままピタッと止まる。そしてそのまま落下を開始させれば、踵をユダの脳天へと振り下ろす。

 

「『嚆矢(こうし)上下捻唸麟(しょうかねんてんりん)』ッ」

 

技名どおり、ヒュンっと空気を切り裂き合戦の合図を発する嚆矢のように断罪の踵は振り下ろされ脳天へとクリーンヒット。

 

まだだッ‼︎

 

今度はしゃがんだ状態からの中段後ろ回し蹴り。

 

「『佳局(かきょく)左右絞呻燐(あてらこうしんりん)』ッ」

 

蹴りは胴体にクリティカルヒット。ユダは「ゴフッ」っと苦悶の声を出し体を傾がせる。

 

トドメだッ‼︎

 

「『掉尾(たくび)螺旋曼惨華(らせんまんざんか)』–––くたばれッ‼︎」

 

蓮は飛び上がり体を水平にすると1回転。右足によるつま先蹴りと左足の踵蹴りとの2段蹴りをユダのコメカミへとねじ込んだ。

 

吹き飛ぶユダは空中で体を錐揉みさせながらそのまま業火の中へと吸い込まれていった。

 

「どうだクソッタレ。くたばったかってんだッ」

 

地獄の業火もかくやと燃え盛る火柱に向かい蓮は毒付く。がしかし、地獄の住人に、地獄の業火は通用しないようだ。

 

少しの時間を要したがユダは決然とした足取りで炎をかき分けると蓮の前まで歩いてくる。赤い司祭服はブスブスと焦げているが、ユダの体皮にそういった損傷は一切見られない。

 

「”57”見くびっていましたよ。スレイブドッグスの傑作群に入るだけの事はある。私も本気を出さねばね」

 

これから本気を……出す? 今ままでのはお遊びだったと言うのか。

 

蓮の脳内に絶望という言葉が浮かぶ。だがここで引くわけには行かない。それは誓い云々というものではなく、ただの男としての意地だ。

 

「かかってこいや変態がッ」

 

「深淵があなたを呑み込むでしょう」

 

「なんだ? お天気キャスターにでもなりてぇのかテメェはッ? さっさと–––」

 

–––一体何が起こったのか? 蓮は衝撃があった腹部に視線を落とす。ナイフが突き立っていた。

 

目を上げれば、ユダの顔面が視界一杯に広がっていた。驚く暇もなく、腹部を横断する鋭い激痛。空中に迸る自らの血液。何かが胃の中からせり上がり口内を鉄錆の味が充満するかと思いきや、大量に吐血していた。

 

蓮は驚愕の内に何も出来ない。

 

ユダは蓮の膝裏にローキックを叩き込み、跪いた蓮の腹部の裂傷に拳打を打ち込むと体中の腸を鷲掴みにする。

 

そして何の躊躇いもなく腕を引き抜くと一緒に付いてきた腸でもって蓮の自由な左腕も巻き込み首を絞め上げる。

 

打ち上げられた魚のように蓮の口が開閉される。

 

もはやどこがどう痛いのかもわからない激痛地獄の中、蓮にはユダの笑顔だけが鮮明に見て取れた。

 

「く…そ……た……………っれ……が」

 

「善戦しましたあなたは素晴らしい。機械化手術が成功し、条件付けも成功したならばそれは『五翔会』に多大な戦力供給となるでしょう。期待していますよ”57”。共に新世界(エデン)を、血の理想郷(ブラッディユートピア)を築こうではありませんか」

 

蓮の意識はとうとう、冥府の内側へと引きずりこまれた。

 

 

 

第1章 終




第1章 終 でございます。

これから始まる第2章から本格始動ですかね?

ともあれ、王道を避けて通ろうとする私。

蓮ちゃん負けちゃいました。

一体どうなるのか、私も決めてませんww

リクエストありましたら、ドュシドュシどうぞ。

感想も評価も、ドュシドュシどうぞ。

それでは、また会う日まで^o^
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