失われた約束の地   作:米山ともき

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 Johnny und der Steppenwolf.

 

 

 

 履帯と車輪の最大のちがいは、履帯は転がらないことだろう。

 

 戦車は車よりも汽車に近い。

 履帯の別名を無限軌道というように、自前のレールを持って走る列車だ。

 履帯というレールの上を、転輪が走っているといった方がいいだろう。

 そう、転輪の上の履帯は前に向かって動いているが、地面に接する履帯は静止している。

 再び巻き上げられるまで、動くことはない。

 

 これが意味していることは、履帯の方がタイヤよりはるかに接地面積が多く、

しかも駆動力がかかってないから、滑りに対して強いということ。

 路面にまかれたオイルの上に乗った車輪はスリップするが、履帯はすべらない。

 装輪車ではのぼることができない急勾配を難なくのぼり、タイヤが埋まる砂漠も、

パウダースノーやアイスバーンも平気。唯一苦手なのはドロの海。履帯でさえすべって埋まる。

 

 だから普通なら戦車がスリップなんてありえない。たいていはその前に履帯が外れる。

 高速スラロームでおしりを振りながら走るヒトマルが「変態」といわれるのはそういう理由。

 どういうしくみなのかまったくわからないけど、あれができるのはヒトマルだけ。

 

 ――の、はずだった。

 

 

 

 だから、冷泉先輩があの日にやって見せたことは、車好きの高橋先生にとっては、

不可解もいいところだった。

 

 聖グロリアーナとの戦いが終わった、翌々日の火曜日。

 僕は、高橋邸のなかの先生の書斎、といっても洋間八畳はある部屋で、

Ⅳ号D型がチャーチルに仕かけた例のテールスライドアタックの録画を見ている。

 

「兄貴のいうとおり、たしかにおもしろいものが見られたな」

 

 あの日先生が「面白いものが見られるかもしれない」というのでやってきた弟さん(先生は、

何がどういう理由で、ということは若いときから説明しないが、やってみればいわれたとおりに

なるから慣れている。といっていた)も、そもそもこんなことがおきるわけがないと、

首をかしげている。

 若いときに無茶な髪型と脱色をしたせいで、上面装甲が消滅している先生の弟さん

(オープントップというべきかなあ)の後ろで、僕も再生画像を見ている。

 

 西住先輩は、たしか通信では「直進、と見せかけてチャーチルの右に回りこむ」

といっていたはず。

 だからまず、チャーチルの手前から左にフェイントして、そのあと急激に右回頭。

 ここで、なぜかドリフトに入る。

 すべるはずのない履帯が、左右ともすべってる。

 つまり、履帯の回転が、速度とイコールではない。たしかに履帯から火花が散っている。

 

「仮にだ、右の履帯をとめただけなら、その場でスピンするだけだ。

 速度によっては、履帯がちぎれ飛ぶ」

 

 そして、両方とも同じ速度にしたら、その向きで直進するだけ。

 自分でも操縦してみたから、それはわかる。

 

「むしろ、車体が右旋回しようとするのを、逆の入力をしてとめたのだろう」

「つまり、ステアリングのない戦車で、カウンターステアをあてた。そういうことか? 兄貴」

 

 つまり冷泉先輩は、右旋回のはずなのに、とっさに右ブレーキをリリースして、左ブレーキを

かけている。

 最初のきっかけ作りでは、思い切りよく右ブレーキをきかせ、信地旋回させるけど、

それは一瞬。

 頭が右を指向したら、ただちに右を開放し、左を半クラ半ブレーキにして、アクセルを踏む。

 戦車が右に曲がろうとしている慣性と、左に曲がろうとする入力がせめぎあい、履帯がすべる。

 結果、車の4輪ドリフトと同じ状態になった。

 戦車の特性である旋回速度の低さをキャンセルしたハイスピードコーナリングを実現。

 

「超オーバーステアの戦車で、アンダーステアをやってみせたというわけか」

 

 オーバーステアというのは、コーナリングスピードを上げると、

後輪が先に遠心力に負けちゃうこと。つまりスピンしやすい。

 アンダーステアというのは逆。前輪が負けてラインがはらむ。つまり外へとんでいく。

 どっちがドリフトしやすいかといえば、当然アンダー。

 後輪は踏ん張っているので、カニ走りになってもアクセル踏める。

 オーバーステアだったら後輪が負けてるから、逆ハン当ててもスピンは止まらない。

 だからドリフトで速く走りたいなら、FRの車を「どアンダー」にするのがいいそうなの。

 別に戦車には前輪後輪はないけれど、戦車の重心は、四輪のように真ん中付近にはない。

 前の装甲が重いから、どうしても前寄りになる。

 だからスピードオーバーで急旋回すれば、おしりが軽いからスピンする。

 ヒトマルが変態呼ばわりされるのは、スピン状態になってるのに立ち直って

スラロームを続けられるから。そんなことができる理由は機密。

 ぶっちゃけていえば、戦車がカニ走りするのはウイリーするのより無理。

 なのに、なぜかできてしまったんです。前も後ろもすべってるドリフトが。

 アンダーステアという、戦車の性質からはありえない状態を作って。

 しかも戦車で逆ハン切っていると。ドリフトマニアが喜びますね。

 ただ、フェイントから慣性ドリフトに入るのが早すぎて、ダージリンさんに察知されたの。

 

「そして、信じられない話だが、戦力差を考えれば、負けたのは聖グロリアーナだ。

 この戦力差で4輌も撃破されたというなら、そう評価するしかない」

 

 つまり、西住先輩の指揮力と、冷泉先輩のドラテクは、聖グロを凌駕していたということ。

 もし、西住車がもっとマシな戦車だったら、チャーチルの首も危なかった。

 いくらなんでも大戦初期の戦車。一発食らえば終わりなのに、被弾は1回だけ。

 よく考えてみたら、聖グロ相手にとんでもない話だった。

 

 ダージリンさんの、早手回しな紅茶の用意を考えると、もしかしたらこんなこともあろうかと

と、想定していたのかもしれない。

 

「お前たちのチームを、再評価する必要があるな。

 俺の作ったデータの書き換えを迫られたのは、本当に15年ぶりだ」

 

 しかしこのとき僕たちは、まだ2つも重要なファクターが残ってることに気づいてなかった。

 

 

 

「この子が隊長か?」

 

 弟さんが今見てる画面には、キューポラから半身を乗り出す西住先輩が映っている。

 

「はい、そうです。

 でも実物は、わりとどこにでもいそうな、普通の女子なんですけど」

「山本。お前、わかってねえな」

 

 弟さんは、軽く鼻を鳴らしたみたいだった。

 

「どんな競争でも、殴りあいでもそうなんだがな。

 たしかに強い奴には強そうな雰囲気がある。弱え奴は弱い雰囲気をかもしてる。

 だがな、一番怖いのは、ぱっと見ショボい奴なのに、何の雰囲気もない奴だ。

 お前だってそうだ。虫も殺しませんってツラして、ゴリラとも戦えるらしいな。

 空挺上がりの親父に、徹底的に鍛えられたそうじゃねえか」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 いや、虫、とくにゴキは殺しますし、ゴリラとは戦えません。

 ウラジオの人間ゴリラさんとか、五里さんとは、なおさらむりです。

 

「兄貴。そういうのなんていうんだ?」

「大勇は怯なるが如く、大智は愚なるが如し。だろうな」

 

 そうかも知れない。

 皇居前広場で馬に乗った銅像になっている人も、ショボいおっさんだったそうだから。

 記念館三笠の前で銅像になってる人も、しょぼくれたお爺さんにしか見えなかったとか。

 その人の弟子を自称してる人も、いなかからぽっと出てきたとっつあんに見えたそうだから。

 なんちゃって眼帯して、リンカーン髭はやしてる父は、まだまだ修行の余地ありかなあ。

 いや、「視力のよくなるアイマスク」の片方切り取ってアイパッチにしてるだけだけど。

 ガチャ目だから……。

 

 でも西住先輩の場合は、単にそれにとどまらない。

 それこそ三つの千家とか小笠原に匹敵するような、名門の家の出、ウルトラ上流階級なのに、

まるっきり立ち居振る舞いが、ただの女子高生なのだから。謙虚というのを通り越してる。

 テレビで見たあのお姉さんは、まさに武門の人間という、そういう空気をまとっていた。

 

 もしかしたら、みんな西住先輩のことを過小評価してるんじゃないかしら。僕も含めて。

 

 

 

 先生の弟さんは、しみじみとおっしゃった。

 

「俺たちは、そういう奴を一人知っている」

 

 その人が誰なのか、僕も知っている。

 僕の幼稚園時代、その人はヒーローだった。生けるレジェンドだ。

 

「普段はぼーっとした、眠そうな奴だったがな」

 

 それは聞きたくなかったです。

 

 

 

 

 

 

 僕は、秋山先輩と競争するような形で装てん手としての訓練を受けている。

 その一方で西住先輩は、寡兵で大軍を破った戦いの事例研究を、僕にさせていた。

 といっても、別にフィードバックを求められてはいない。

 簡潔なまとめを何件かわたされただけ。

 いわれたのは、「負けた側がなぜ負けたのか考えて」と、だけだった。

 

 そのなかに、海の戦いがひとつだけあった。

 

 僕が見た感じでは、地形補正のない海戦の戦訓は役に立たなさそうだし、

それに最初は、これはどっちが負けたという話ではなく、痛み分けのように思えた。

 

 戦車道とは直接関係ないのだろうと思う。

 

 そしてこれを理解するには、その戦いの当日から、だいぶさかのぼらなければならなかった。

 いろいろ検索して、僕がたどりついたのは、それだった。

 

 

 

 大洗女子の「図書館」。

 県立レベルの図書館に匹敵する規模を持つ。

 そういえば入学早々、ここにきて、未発見の戦車の手がかりをさがしたっけ。

 だいぶ前のことのように感じる。

 

「E・ポッターと、あるある。2つぐらい借りていけばいいね」

 

 検索用端末で借りたい本が「貸し出し可能」状態なのを確認して、書棚に向かう。

 

 

 

 館内で、五十鈴先輩を見かけたのは、貸し出し手続をおえて図書館から出ようとしたとき。

 入り口のエントランスで、もうひとり女性と、生け花をしている。

 

 ああ、五十鈴先輩といっしょにいるのは、華道の先生だ。

 エントランスの飾りにするために生けているみたい。

 

 先生の方は、慎重に考えている。

 五十鈴先輩は、ある意味無造作に見えるくらい、ぽんぽん剣山に刺している。

 あんなんで、いいのかしら?

 同じお花使ってるのに。

 

「いや、さすがですわね。参りました」

 

 そう言ったのは、以外にも華道の先生の方だった。

 さすが。というのが気になるけど。

 

 いやいや、これは。

 素人の僕にわかるくらい、出しているオーラがちがう。

 ……五十鈴先輩って、なにものなの。

 ああいう華を、迷うそぶりさえ見せず、一発でいけてしまうなんて。

 

 あれはもう、「考えて」さえいない。

 無念無想の境地を極めている。僕にはそうとしか表現できない。

 

 父はなにも戦闘に役立つ技術ばかりを僕に仕込んだわけじゃない。

 字もきれいでなければいかんと、書もお師匠さんにつけて学ばせた。

 

 お師匠さんは、うまい字を書こうとしたら、決してよい書は書けない。といった。

 よく見られたい。という気持ちが、見てくれだけで心のこもらない字になると。

 そんなものをみても、誰も感動しないと。

 みえも格好つけもかなぐり捨てて、ただ虚心に紙に向かう。それだけだと。

 

 中年になってから、書の道に入った人だった。

 同期の門人の三倍の書を書き、「鬼」と呼ばれた書家だった。

 だからこそまっすぐに、書の本質、道の本質、すべての本質に迫ったんだろう。

 

「五十鈴先輩。こんにちは」

 

 僕は、結局自分から話しかけて、たずねることにした。

 

 

 

「私は五十鈴流華道、家元の息女でした」

 

 でした……?

 どういうことだろう。

 

「今は『元』というべきかもしれませんね。……この間、勘当されましたから」

「勘当とは、穏やかじゃないですね……」

 

 僕と五十鈴先輩は、図書館を出て、舷側のキャットウオークから、半円形に海に突き出した

公園のベンチに腰を下ろしている。

 なんだかんだいっても海の上。今日も潮風が香る。

 

「聖グロリアーナとの試合のあと、大洗の町でお母様と行き会ったのです」

 

 僕も五十鈴先輩も、海の方を向きながら話している。

 

「そこで、私が学校で戦車道を学んでいることを、母が知ってしまったのです」

「でも、それで放逐されるなんて……」

 

 いや、僕にもおおよそ予想がつく。

 おそらく華道と、僕の知っている戦車道とは、全く相容れないだろう。

 そして、五十鈴先輩は、僕の予想を裏付けることを口にした。

 

「華を生ける繊細な手で、鉄と油のにおいをこびりつかせて、戦車に乗っているなんて。

 と、驚かれました。華は平和の象徴で、それをもって芸術となすのが華道です。

 母にとって戦車は、野蛮で、不格好で、うるさいだけの戦争の道具です」

 

 たとえば剣道にしても、竹刀剣道だから市民権を得ていると言ってもいい。

 白刃ひらめかせて戦うことを目的としたら、やはり野蛮と思う人はいるだろう。

 そして、五十鈴先輩のご母堂がおっしゃったことを否定することは、僕にもできない。

 

「そして、戦車道を続けるなら、もう家には出入りするなと申し渡されました」

「……僕にもわからないことだらけです。

 先輩はそこまでしてもなお、なぜ戦車をお続けになるのか。

 そして、戦車の道とは、何なのでしょうか?」

 

 五十鈴先輩は、僕の顔を見た。そしてかすかに笑ったように見えた。

 

「私についていうなら、華を生けているだけではたどり着けない境地が、

 そこにあると思うからです」

 

 どう考えてみたところで、戦車道は軍事教練そのものだと思う。

 僕であれば、なおのことそう思う。

 戦う機械を操作する技術。自動小銃や銃剣をあやつる技術と何がちがうのか。

 素手の武道であるなら、頑健な肉体と、強靱な精神を養うといえなくもない。

 それを実際に行使することは、道場の外ではありえないから。

 

 五十鈴先輩のご母堂が、ひとつ気がついていないにおいがある。

 純粋な破壊暴力のにおい。硝煙のにおいだ。

 さらに血のにおいが加われば、純然たる戦争だ。

 

 僕は父から、その戦争を戦う軍人としての教育を受けていた。

 いや、それは極論かもしれない。なぜなら父は公僕であって、軍人ではないから。

 自衛隊は戦力ではなく、実力だから。

 この国が自らに禁じていることはただひとつ。政治のために自分から武器を取ることだ。

 もっとも、それをしないと宣言すること自体が、また政治に他ならないんだけど。

 

 武器というものは、そこに「ある」ということに意味がある。

 伝家の宝刀は、ひとたび抜き放ってしまえば、敵と味方とを差別なく切り裂く諸刃の剣。

 将棋の香車みたいなものだ。動かしたら、もう終わりだ。誰も幸せにはならない。

 当の軍隊自体も含めて。

 いままで懸命に予算を獲得して、営々と築き上げてきたものがすべて失われるのだ。

 

 戦争が国家間の競争ではなく、互いに対する破壊行為に堕した今、

いかなる国も、みずから宣戦布告することは、国際法上禁止されている。

 そういう意味であれば、戦争を起こすことを禁じられた国は、この国だけではない。

 だから民族自決の原理で独立したあまたの小さな国が、今日を生きていられる。

 

 五十鈴先輩はそのような生臭いもののどこに「道」を見いだしたのだろうか。

 

「純然たる力の行使は、それを手にするものに覚悟を強いるからです。

 私は砲手。戦車の『力』を司るものです。

 私が雑念に負ければ、本当であれば皆が死ぬのです。

 ただ平和に安閑と華を生けることと比になりません。

 だから、修羅の道とわかっていても、あえてそこに身を置くことにしたのです」

 

 ……そうか。そうなのですね。

 いっさいの夾雑物を精神から取り除き、ギリギリのやりとりの中で、無念無想を極めると。

 

「それは、究極の華を生けんとするがために」

「ええ。そのための力と強さを、私は欲しているのです」

 

 先人たちは、男から戦車を取り上げた。女たちだけが持つ「力」として。

 そして戦車に乗る男は、卑怯な鬼畜とされたんだ。

 なら、自然人としては男である僕は、法を盾にとる外道なのか。

 

 いや、僕は、戦争に行くのなら、戦車には乗らない。肉体は「屈強な男」だから。

 戦車道だから、僕はひとりで、ダージリンさんと戦った。

 男である戦車と、男である僕とで。

 そう、戦車も男なんだ。女性しか乗らないと決まったその日から。

 リーは、男でも女でもない僕を、ともに女性を守護するものとして認めたんだ。

 

 だから僕は、あの子たちを守って戦う。それがあいつとの、血の盟約だ。

 

 そして、僕の目の前にいるたおやかな女性も、道を求めるために戦鬼になるという。

 これほど迷いのないマニフェストも、またないだろう。

 

「先輩。お時間を取らせて、申し訳ありませんでした」

「いえ、楽しかったです。……山本さんも、どうかご自分の道を見つけてください」

「……わかりました。そうしたいと思います。それでは、失礼します」

 

 もう夕日が、西の水平線に没しようとしている時間だ。

 僕と五十鈴先輩は、そのままここで別れ、それぞれの家路についた。

 

 聖グロと修羅となって戦ったのは、西住、冷泉の両先輩だけではない。

 五十鈴さんも秋山さんも、ともに鬼となって戦ったのだ。

 急変する状況をずっとモニターしていた武部さんもまた。

 

 

 

 

 

 

 1905年。「平和の大洋」のかなたから、一隻の軍船がこの国に立ち寄った。

 合衆国海軍東アジア艦隊旗艦、BB12、バトルワゴン「オハイオ」だ。

 

 この国は未曾有の戦捷を上げ、首府東京でその祝賀会が行われることとなっていた。

 新たな旗艦オハイオは、その任地に赴くだけでなく、途上にある国々を国使として

表敬訪問する任も負っていた。

 合衆国は日本と明確な軍事同盟を結んではいなかったものの、多大な戦費を援助していた。

 そのようなわけで、オハイオにもこの祝賀会への招待がなされていた。

 

 オハイオの首脳部が、どういう考えでいたのかはわからないが、

彼らは、オハイオに乗艦して訓練の途上にあった少尉候補生6人を、その祝賀会へと送りだす。

 

 その祝賀会の主役は、2倍の数をそろえていた敵国の海軍を全滅させた、とくに最終決戦では、

一方的な、完璧な勝利を収めた世界史上の人物である、アドミラル東郷、その人だった。

 

 候補生たちにも、美食と高価なシャンパンが振る舞われ、彼らはすっかり盛り上がっていた。

 彼らはまだ二十歳そこそこの若者たちだった。

 なんといっても、いまや歴史上、かのネルソンと並び立つ英雄を目にすることができるのだ。

 

 彼らの目の前を、その東郷の小柄な姿が歩いて行く。

 彼らの中でひときわ背の高い、ビルとよばれる候補生が、感極まって東郷に声を掛けた。

 

「東郷提督。おいたちは戦艦オハイオ乗組の少尉候補生でごあす。

 おいたちに提督のお話をお聞かせくいやんせ」

 

 少尉候補生、くちばしの黄色いひよっこなんかに声を掛けられた東郷であったが、

それでも彼は、ビルたちと歓談した。

 この頃の東郷は余計なことなどいっさい口にしない寡黙な人物だったが、必要があれば

いつでも能弁になることができた。

 

「諸君、遠路はるばるよくおいでになられた。私の話が諸君の役に立つならば、幸いです」

 

 東郷はキングスイングリッシュで彼らに語りかけた。

 

「海軍の任務。それは海からやってくる敵を防ぐことにある。

 だが、海軍が倒すべき敵は戦闘艦ではない。

 陸軍と物資を運ぶ輸送船舶だ。

 自らの海上交通路をまもり、敵のそれを断ち切ることが使命である。

 わが艦隊は、旅順艦隊を封じ込めていたが、ウラジオ艦隊の2隻の装甲巡洋艦が

 対馬海峡で次々とわが方の輸送船を沈めた。

 単艦で行動するこれら2隻を追い詰め、撃破するまでに、我々は多大な犠牲と時間を払った。

 だからようやく葬り去った旅順艦隊の代わりに回航されてきた第2太平洋艦隊を

 一隻たりともウラジオに入れるわけにはいかなかったのだ。

 彼らを撃滅するしかなかったから、こちらも決戦を挑んだのだ。

 さいわいにも、こちらの損害はごく軽いものですんだが、

 私は、聯合艦隊が壊滅したとしても、彼らを完全に撃滅するつもりだった。

 だから君たち、覚えておきたまえ。艦隊決戦は手段でしかない。

 その華々しさに目を奪われて、大本をおろそかにしてはならない」

 

 決戦は、海上交通路を守る上で生起するかもしれない、イベントのひとつにすぎない。

 そう東郷は説いた。

 

「そして、一番大切なのは人間だ。人間を無為に死なせてはならない」

 

 開戦劈頭、東郷はわずか6隻しかない一等戦艦のうち2隻を機雷によって失った。

 艦長二人は、泣きながら復命した。そのあと自決するつもりとみた東郷は、彼らに菓子を

勧めたあと、「よくかえってきてくれた。これからは二人分ずつ働いてくれ」とねぎらった。

 彼らを決して死なせまいとしたのだ。

 舞鶴鎮守府長官から、聯合艦隊司令長官に補されたときも、彼は一兵卒に至るまで

親しく話をして回った。

 バルチック艦隊撃滅を期して猛訓練に明け暮れたときも、彼自ら毎日将兵を激励して回った。

 負傷してとらわれの身になった敵将、ロジェストウエンスキー司令長官に対しても

ベッドに横たわる彼を見下ろすことにならないよう、椅子に掛けてから

「バルト海から対馬海峡までの長い遠征、さぞやご苦労されたことでしょう。

 よく成し遂げられました」と賞賛した。ロジェストウエンスキーは、

「敗れた相手が閣下であったことが、私の最大の慰めです」と述べ、涙を流した。

 

「そして最も重要なのは正確な情報に他ならない。

 私は遠征してくる敵艦隊の進路に多数の見張り所をもうけ、部下たちは

 わずかな情報すらも必死でかき集めた。

 もし、情報が少しでも不足していたら、バルチック艦隊の多くが逃げ延びていた。

 私は、敵艦隊が出現するのがあと少し遅れたら、ツシマを捨てツガルに行くところだった」

 

 東郷がビルたちと歓談した時間は10分だった。

 しかし、ひとりの人間が10分もスピーチすれば、相当多くのことを語ることができる。

 感激してのぼせ上がってしまったビルは、話の内容をほとんど覚えていなかったというが、

その後の彼の進路が、このときの東郷の話に影響されたものであったことは間違いなかった。

 

 彼は、花形である戦艦乗りではなく、できたばかりの新兵器、潜水艦乗りを志願した。

 第一次大戦では、ドルフィンマークを持つ参謀として、大西洋の潜水艦隊の指揮を執った。

 そしてついには、合衆国海軍のなかで潜水艦に関して彼の右に出るものはいなくなった。

 いや、おそらくドイツ海軍のデーニッツ提督をもしのいだであろう。第二次大戦では。

 

 1941年12月、52歳になっていた彼は、少将にして海軍省航海局長、

海軍の人事部長ともいうべき要職にあった。

 真珠湾攻撃の知らせを自宅のラジオで聞いた彼は、更迭されるキンメルの代わりを

選ばねばならなかった。しかしこのとき、彼の先任、先輩に当たる将官は31人もいた。

 壊滅してしまった太平洋艦隊を立て直し、戦力が回復するまで持ちこたえるためには、

それこそ今は亡き東郷提督に匹敵する人材を選ばねばならないだろう。彼は悩んだと思われる。

 

 しかしそれは、意外な形で解決することになった。

 

 ある日彼は、上司であるノックス海軍長官に呼ばれた。

 キンメルの後任について、ローズヴェルト大統領直々の指名があったというのだ。

 

「大統領は、ニミッツ少将を大将に昇進の上、後任の太平洋艦隊司令長官に任命せよと命じた」

「なんですと? もう一度お聞かせくいやんせ。海軍長官」

「次の太平洋艦隊司令長官は、チェスター・ウイリアム・ニミッツだ。ビル」

 

 彼が驚いたのも当然だった。

 ビルは、そのまだまだ少壮の人物のことを、全く候補に入れていなかったのだ。

 というか、頭から考えていなかった。

 彼は即座に「それなら後任は副司令長官であるパイ中将を」と進言したが、

大統領も、ノックスも、首を縦に振らなかった……。

 

 ビルは、さらに合衆国艦隊司令長官、海軍作戦部長のキング提督に呼ばれていた。

 

 キングの用件は、ただひとつだった。

「真珠湾の負け犬どもを全部退役させ、参謀を全部入れ替えろ!」

 ビルは、承って退出した。彼には何か言うだけ無駄だ。

 

 航海局のオフィスに戻ったビルは、太平洋艦隊司令部の人事辞令をしたためた。

 それは、すぐに終わった。

 公布する辞令は、たったの二通。

 自分と自分の副官だけが、太平洋艦隊に異動するというものだけだった。

 

 ビルが引き継ぎのあれこれをすべて済ませて、ハワイに赴任したのは、

1941年も押し詰まった、大晦日間際だった。

 

 真珠湾はひどい有様だった。

 軍艦だったものの残骸が軍港をおおい、まだ港の底から戦死者が浮かび上がってくる。

 

 しかし、日本の空母機動部隊の攻撃は徹底を欠いていた。

 わずか一度の攻撃で、戦艦8隻がつぶれたのに満足して、さっさと逃げてしまった。

 重油を満載したタンカーすら、見逃されていた。

 空母はすべて出払っていたのに、戻ってくるところを待ち伏せようともしなかった。

 そして、ビルにとっての最大の幸運、それは潜水艦隊がすべて無傷だったことだった。

 

「もし、この戦艦群を海戦で潰すなら、どれほどの時間がかかるでごあそう?」

 

 1941年12月8日をもって、いままで常識と信じていたものは崩壊した。

 制海権争いにおいて、既存の戦艦は被害担当者の護衛役に転落した。

 戦場は空、水上、水中の三次元となり、海に接しているところすべてになってしまった。

 ビルは生粋のサブマリナーだったからこそ、それをすぐに理解した。

 

 ならば自分もそうするまでだ。

 ビルは自分の旗艦を持たなかった。

 潜水艦戦と同じようにひとつところにとどまって指揮をするのに、旗艦を指定したら、

一隻全く戦わない船ができてしまう。無駄だ。

 

 まず彼は、浮き足立っている将兵を掌握することから始める。

 

 真珠湾のスタッフは、戦々恐々としていた。

 新たな司令長官は、海軍の人事部長だ。

 一方的な惨敗を喫した自分たちの首を切る辞令を抱えてやってくるのだろう。と。

 

 ビルは会議室に彼らを集めた。

 皆、憔悴しきった、落ち込んで敗北感だけを抱えている様子だった。

 ビルは、いかめしさの欠片も見せず、ごく気楽に話しかけた。

 

「おいが、今度この太平洋艦隊の司令長官に補された、ビル・ニミッツでごあす。

 よろしくしてたもんせ。」

 

 参謀たちは、顔を上げてビルをあらためて見た。

 地方から観光に来たような、好々爺に見えた。

 

「おいは、海ちゅうもんが全くないテキサスの生まれでごあす。

 齢三つのころ、両親が初めておいを海につれていってくいもうした」

 

 いったい、何の話を始めるのだろう。皆が顔を見あわせた。

 

「おいは、そこでエビちゅうもんを初めて見た。

 食うてみて、こぎゃんうまかもんが海にはいっぺおるんかと思うた。

 そしてそん時のおいは、よーし。ならば将来海軍に入って、エビをたらふく食いもそうと

 思ったでごあす」

 

 海軍の人事部長をやった男が、いきなり場違いな話をするので、つい失笑するものもいた。

 ビルの話は、これから本題に入る。

 

「エビは殻を脱いで大きくなると聞き申した。

 殻を脱いだエビの身体はまだやわく、じっと岩陰に隠れて身体が強うなるのを待ち申す。

 おいたちもまた、それと同じたい。

 古い殻を脱ぎ捨てて、新たな海軍をつくるときでごあそう。必ずそうなるたい。

 ――おいは、おはんらは皆、合衆国海軍最高のスタッフと信じており申す。

 おはんらの首は、おいが必ず守る。

 じゃっでどうか、おいと一緒に、これから戦うてくいやんせ」

 

 今度は笑うものもいなかった。

 全員その場で起立して、一斉に見事な敬礼をしたのだった。

 

 ビルはそれからも精力的に将兵の間をまわり、気さくに声をかけて励ましていった。

 そして、あの日にいったい何が起きたのかを聞き回った。

 

 12月には、さらに世界を震撼させる戦いがあった。

 イギリス東洋艦隊の戦艦二隻が、日本海軍の陸上攻撃機多数に襲われ、あえなく沈められた。

 これからはいかなる船も空の護衛をともなわず航行するなら、それは自殺に等しい。

 

 さらに恐るべきことは、これまでにわかったことをまとめると、

日本海軍航空部隊が驚異的な技量をもっていることがわかったことだった。

 水平爆撃(無誘導で)命中率10%。雷撃命中率50%。急降下爆撃に至っては80%。

 日本では次の主役が航空機であると考え、航空隊を育て、空母を集めた艦隊を作った。

 アメリカでもイギリスでも、空母は戦艦を守るものと考えて、各戦艦戦隊に1隻ずつ

分散して配置していた。空母をまとめて艦隊にするという発想は全くなかった。

 空母部隊の育成もおざなりであって、搭乗員の腕は、今や教官とひよっこほどの差があった。

 

 ここにきて遅まきながら、ビルも空母機動部隊を編成することにした。

 というより、それしか作れなかった。という方があっていた。

 合衆国海軍の切り替えは早かった。

 戦艦アイオワ級は6隻計画されていたが、完成したのは4隻だった。

 6万トン級戦艦モンタナ級は、全部中止され、ドックにおかれた竜骨はとっぱらわれた。

 この時点で建造中の空母は、わずか2隻。

 しかし、すぐにヨークタウン級を拡大した正規空母を20隻あまり。

 軽巡洋艦の船体を使う軽空母、戦時標準船の改造による護衛空母。

 新型巡洋艦はすべて対空能力を強化した空母の護衛艦となり、艦隊駆逐艦だけでなく、

船団護衛のための護衛駆逐艦、そして通商破壊用の潜水艦の大量建造が始まった。

 航空攻撃、対潜護衛、通商破壊の三本を柱とする海軍への変革だった。

 そして航空機。艦載戦闘機はヴォートのコルセアが先進的すぎるので、次期戦闘機は

頑丈だけがとりえの2000馬力級、グラマンのヘルキャットとなった。

 しかしこれらが配備されるのは、早いもので1年半後だった。

 

 合衆国にも早くから航空機押しの提督はいた。ほとんどひとりだけ。

 二の腕に錨のタトゥーを彫った、ウイリアム・ホールジー中将は、自らパイロットの

ライセンスをもつくらい飛行機に入れ込んでいた。

 ビル・ホールジーはビル・ニミッツの2歳年長、兵学校の1期上だったが、

年少の上官によく仕え、公私ともによく支えた。

 人種差別的に日本人に対する偏見と敵愾心が強いが、それは使いようだ。

 ビルは、ホールジーにすべての空母をあずけた。

「何をすればいい」と聞いてくるこの戦闘的な猛将に、ビルが与えた方針は、

「こそこそ敵の手薄なところに行き、こそこそ嫌がらせをやって、徹底的におちょくる」

というものだった。戦いたくてうずうずしているホールジーにはその方がよかった。

 真っ正面からぶつかったら瞬殺。というのはもちろんわかっている。

 だが、この方針でも攻撃的で危険なことには変わりない。

 そして、潜水艦隊には、東シナ海で積極的に商船を沈めてくるよう命じた。

 しかし、アメリカの魚雷に不具合があることは、相当たつまで発覚しなかった。

 

 ビルは全艦隊の軍楽隊を解散させた。

 次のリクルート先は暗号解読部隊。

 彼ら音楽家はそこで、日常的に暗号を使っている部族出身のアメリカ原住民の兵士や、

日系人たちと、日本海軍の作戦暗号の解読に当たった。

 この人選はあたりで、彼らはみるみる暗号解読を進めていった。音楽家には適性があるのだ。

 

 この「こそこそおちょくり作戦」は、相当に日本軍をいらだたせたが、その決定版が

「陸軍双発爆撃機を空母に華さん盛りにして、東京に嫌がらせをする」というものだった。

「もうどんなことでもやってやるから、思いつけ」ということで、ある士官がもってきた

どう考えても無茶な「空母から陸軍の爆撃機を発進させる。で、帰りは中国に着陸」という

プランを本気でやらかすことにしたのだ。

 

 はっきりいって、無茶苦茶危険な上に成果は期待できないという、正気を疑うレベルだったが

二人のビルは「やってやろうじゃねえか」と決めてしまった。

 そして、就役したばかりの空母「ホーネット」にB-25ミッチェルをてんこもりにして、

ホールジーの座乗する空母エンタープライズをお供に、無謀にも東京目指して出撃した。

 

 そしてそのころ、南太平洋では。

 暗号を解読した結果、日本軍が空母2隻を伴う上陸部隊を発進させ、ニューギニアの大根拠地

ポートモレスビーを攻め落とそうとしていることが発覚。

 フレッチャー少将が大型空母レキシントンと中型のヨークタウンを率いて迎え討とうと出撃。

 珊瑚海で戦闘に入った。

 

 ホールジーたちも、予定地点のずっと手前で、海軍に徴用された遠洋漁船に発見され、

さらに大変になるのは承知で、爆撃隊を発進させた。

 陸軍パイロットたちはむろん猛訓練の末、短距離離陸をものにしていたが、

発艦はやっていなかった。

 しかし、むしろ発艦のむずかしさをわかってないことが幸いして、一発勝負だったのに

フルスロットルで全機見事に飛びだしていった。

 

 日本人で、この「ドゥーリトル爆撃隊」を最初に目撃したのは、連絡機に乗って飛行中に

たまたま窓から外を見た首相兼陸相、東条英機御大だった。

「いったいおまえら何やってるんだよ」と激怒した。

 

 ドゥーリトル隊は、東京、名古屋、大阪などに数発の爆弾をばらまいて一目散に逃げた。

 迎撃は間に合わなかった。

 陸海軍ともにみんな面目丸つぶれとなった。

 聯合艦隊司令長官山本大将はここぞとばかりに、

「中部太平洋を叩かせろ。やらせてくれないなら辞職する」と軍令部にくってかかる。

 五十六はハワイを取って早期終戦にもっていきたかった。

 軍令部は資源産地を押さえ、米国と豪州の連絡を絶って、長期持久体制にしたかった。

 しかし、真珠湾の時と同じこといわれて、軍令部は聯合艦隊の作戦を認めることにした。

 

 珊瑚海では、フレッチャーが軽空母を正規空母と誤認して全力で叩くとかミスも重なり、

古強者でないにしても十分強い五航戦にタコ殴りにされていた。

 攻略作戦は阻止したものの軽空母1隻と引き替えに、大型空母レキシントンを沈められ、

ヨークタウンは中破、煙突を壊され速度は出せず、燃料タンクに損害を受け、重油を漏らし

ながらやっとこさ真珠湾を目指していた。

 ヨークタウンは米本土に戻して本格修理が必要だという。

 

 そんなさなか、最悪の凶報がビルの元に、暗号解読の情報として届く。

「日本聯合艦隊全力出撃のもよう。大規模な作戦行動の準備をしている」

 目的地は、ハワイの周辺なのは明らかだった。

 しかし、特定できなければ何もできない。

 

 ビルは東京空襲後、フレッチャーの援軍として珊瑚海に向かうホールジーを呼び戻す。

 迎撃できるのは、ホールジーの空母2隻を含む25隻ぐらい……。

 レキシントン級空母サラトガは、西海岸で修理中。すぐ出発しても間に合いそうもない。

 

 この頃になると、主目的地はハワイ本島か、外郭防衛線のミッドウェイ群島とわかってきた。

 暗号解読部隊の一人が機転を利かせ、海底ケーブルを使ってミッドウェイ守備隊に、

「平文通信で水が不足中と、ウソの通信をしてくれ」と依頼。

 日本軍はこれに引っかかり「AF(目標)は水が不足している」と艦隊に送信した。

 

 ビルは直ちに海兵隊3000名と対空砲、航空機120機をミッドウェイに送る。

 彼らは必死で陣地を構築、堅牢な防御態勢をしいた。

 

 しかし、さらに悪いことは続く。

 開戦以来連戦続きのホールジーが過労から倒れ、高熱と全身のできものにさいなまれていた。

 真珠湾に帰投したホールジーは、それでも行くと言って聞かない。

 空母機動部隊を指揮でるのは彼しかいなかったから。

 しかしビルは彼には珍しく、ホールジーに「貴官は今すぐ病院に行け!」と叱りつけた。

 ホールジーは「なら、俺の後任はレイにしてくれ」という。

 

 レイ。ホールジーの部下であり親友であるレイモンド・エイムズ・スプルーアンス少将。

 彼は猛将ホールジーと全く正反対の人物だった。

 影で「お嬢さん」と呼ばれるほどおとなしめな性格。デスクワークは全部女房役の参謀長に

押しつけて、自分は艦隊勤務中でも午後8時になるとさっさと寝てしまう。コーヒーが大好きで

ほとんど趣味の域に達している。ぐうたらなくせに戦況の読みは鋭い。

 真珠湾奇襲攻撃が終わったあと、巡洋艦戦隊を率いて帰港したが、そのとき日本軍がまた

襲ってこないかと恐れている僚友に「彼らにその気があるのなら、いまごろこんなのんきな話

していられないよ。連中はとっくに逃げ去っている」と、正確な洞察を語っていた。

 つまり「有能な(文字通りの)怠け者」で、しかも航空戦は、全く知らない。

 その彼をホールジーはリリーフに推した。

 ビルは、ホールジーの推薦を容れることにした。何かしらの人物なのだろう。

 

 艦載機部隊の訓練は、まったくはかばかしくない。

 雷撃機は、魚雷を積むとよたよたとまっすぐ飛ぶのだけでせいいっぱい。

 技量未熟で、変針するだけで高度が落ちそうになる。

 急降下爆撃機のパイロットの中には「急降下」ができないものまでいた。

 そういうのも含めて、彼らはヌルい降下を繰り返しては、あさっての方角に訓練弾を落とす。

 戦闘機隊は、技量でも機体の性能でも全くおよばない。

 陸軍航空隊では「ゼロと雷にあったら待避してよい」とまでいわれているという。

 ただ、ヨークタウンの戦闘機隊長、ジョン・サッチ少佐は何かを思いついたらしく

部下に奇妙な訓練を施していた。

 

 艦載機についても、なんとか日本機と同格なのは、急降下爆撃機SBDドーントレスだけ。

 戦闘機F4Fは、運動性能、速度、航続力とも零式艦戦におよばない。

 雷撃機TBDにいたっては一世代前の機体であり、時代遅れの代物だった。

 新型雷撃機TBFは、やっと工場から出荷が始まったばかり。当然1機も受領してない。

 

 5月26日。ついに暗号解読部隊は、侵攻部隊の編成と、作戦の詳細な手順の情報を入手した。

 作戦目標はミッドウェイとアリューシャン列島。しかし、アリューシャンは陽動だ。

 聯合艦隊の大部分は5000人の上陸部隊とともにミッドウェイを目指す。

 最精鋭の第一航空艦隊、第二艦隊と上陸部隊、聯合艦隊本隊の3つに分かれて進撃する計画。

 しかし、翌27日、日本海軍は作戦暗号を変更。再び暗号は解読できなくなった。

 

 5月27日。フレッチャーのTF17が真珠湾に帰投した。

 1隻だけ残った空母ヨークタウンの傷は深く、西海岸プレマートン港で修理の必要があると

診断された……。

 

 

 

 とりあえず今日はここまでにしておこう。

 僕は、結末だけは知っている。

 

 しかし、このあと1週間でどうすれば、あんな結末を迎えるのかはぜんぜんわからない。

 まあ、明日の楽しみに取っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 昨晩、本を読みすぎたせいで寝坊した僕は、いつもの日課である時田さんとのお弁当作りが

できず、珍しく食堂というにはでかすぎる学食でお昼をとっている。

 その僕の目が、ある生徒のテーブルにのっている料理に釘付けになった。

 

「なんだあれ……」

 

 そこには、1kgはありそうなハンバーグステーキがでかい鉄板のうえに鎮座。

 皿によそわれたごはんは、軽く五合はあるだろう。

 そしてそれを召し上がっているのは……。

 

「――うそでしょ?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 五十鈴先輩だった。

 

 そういえば大洗女子には「ギガイーターイスズ」という妖怪が生息しているとは聞いていた。

 でもまさか、それがあのたおやか美人の五十鈴先輩とは、想像もしていなかった。

 

 ……世間はまだまだ面白いものに満ちているみたいね。

 

 

 

 

 

 




おまけ


【挿絵表示】


左:線画だけで1日。右:線画だけで10分。

なお、リトアミⅡのコミックスを読んでみたら、西グロの旗車がセンチュリオンMkⅤから、
ブラックプリンスに変わっていた模様。



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