大洗女子学園高等部普通Ⅰ科1年A組の担任が産休に入ったため、その代わりに派遣された
産休教師の雅武香仁、ミヤタケは男だった。
女性教諭に不自由していない今の時代、公立の女子校に臨時であっても男の教師が来ることは
まずありえない。そしてこの男は、女子校を自分のためのパラダイスと考えているような
とんでもない奴で、セクハラまがいし放題。というかのぞきカメラまでしかける無法ぶり。
だが、こいつには教員たちも生徒会も手出しのできない事情があった。
有力政治家の隠し子であるミヤタケ=ガブタ君は、ゲタをはかせてもらって大学入学。教職も
取得して、女子校にばかり配属され、問題を起こしては父親にとりなしてもらいクビを免れる。
それをくりかえした結果、大洗女子におはちがまわってきたのだった。
とくに今回は、おもてざたにはなってないけど、県教委に父親から「何があっても黙殺して、
勤務を継続させるように」と圧力がかかっているようだ。
だからさすがの剛腕生徒会長角谷大統領も、今回は(表だっては)なにもできない。
しかし、「中年から見ても中年」といわれる老獪生徒会長は、逆転の手がかりをさがし、
表は服従しているようにみせかけながら、反撃のスキをうかがっていた。
そして反撃の実行役に選ばれたのは、「今のところは男でも女でもない」僕、山本玲だった。
角谷大統領が見えない手を使って収集したミヤタケに関する個人情報。それをたずさえた僕は
聖グロや西グロを行ったり来たりして、ミヤタケを背中から討つ準備をととのえた。
全然深窓の令嬢じゃない、腹黒令嬢の白鳥霧さんが、家を上げて代議士令夫人、つまり
本妻さんに、だんなの不始末とその結果できてしまった未認知の隠し子のこと、そしてだんなが
持てる権力を総動員して彼らを庇護していることを教えて、お家騒動にしてくれるのだ。
だが、キリマンさんは、それだけじゃミヤタケを排除できないだろうという。
だから僕は、父親の権勢をもってしてもかくしきれないような不始末を、ミヤタケ自身に
やらせなければならない。
そんなわけで、戦車道の仲間には申しわけないんだけど、生徒会ドロンボー一味の協力をえて
戦車道担当教師となったミヤタケを暴走させ、戦車に乗りこませるという暴挙におよばせた。
そして、ミヤタケから戦車に乗らず弾みがきを命じられた僕以外、全員が授業をボイコット。
そりゃあ、教師だろうが男が女の子満載の戦車に乗り込むなんて、女子更衣室に
ずけずけはいりこむのといっしょだからね。
この話はあっという間に、普通科だけじゃなく全校生徒の知るところとなった。
「白昼堂々、女の子でいっぱいの戦車に乗り込んできてスキンシップだとか、どーゆー神経?」
「うげー。あんなのにさわられたくねーよ」
「そういえば、最近いきなり更衣室やトイレに付けられた監視カメラ。
ガブタのさしがねだって?」
「あー、そういえば監視カメラのモニター室から、ガブタが出てくるところ見たよー」
「えーマジ? おちおち着がえもできないじゃん!」
ちゃくちゃくとミヤタケ包囲網はできつつある。そして……。
……今日の戦車倉庫。
戦車不具合により不参加と届けをだしている生徒会チームをのぞき、倉庫に集合した全員は、
ピケットラインをはってミヤタケの出入りを阻止。担当交代まで授業をさせまいとしている。
僕だけ砲弾を外にだして、とくにライフルにくいつく鉛の輪っかを入念にみがいている。
交友範囲のひろーいもーやだ武部先輩は、携帯SNSやメール一斉送信で片っぱしから
知り合いに知らせまくった。
そのせいで何か全学的に不穏な空気がただよっている。
ただし、SNSについては、なぜか運営側が強制的に削除したようだ。
しかしながら、動画サイトにはミヤタケの顔と音声に加工を施した動画がアップされ、
なにやらすごいアクセスをかせいでいる。
おかげで僕のふところも少しうるおった。
もちろん会員制の方ではない。あっちにアップしたら反響でかすぎて察知される。
なにも超小型カメラは、ミヤタケの専売特許じゃない。
盗撮カメラについては被疑者不詳の嫌疑不十分とかで、捜査中止だけど、
あれだって人間デジカメの冷泉先輩がいなかったらと思うとぞっとする。
ミヤタケがやってきて、何かぎゃあぎゃあわめいてるけど、知ったこっちゃない。
僕はいわれたとおり弾をみがいていますんで。
しかし、ピケ破りは、意外な方向から行われた。
向こうから戦車道授業を消極的に拒否しているはずの角谷会長がやってきて、
戦車道倉庫の前に立ち、大声を張り上げた。
「おーい、お前たち。ロックアウトはそこまで。授業しないとやばいぞ!」
角谷大統領がピケ張ってるみんなに、とんでもないことを伝達する。
「お前らが授業妨害を続けるなら、県教育庁が戦車道の費用の執行しないって言ってきた」
……そういう直接的な手口できましたか。
あんまりさからうと、大洗女子自体を機能不全にできるんだよっていうおどしですね。
まったく、どこまでもいやらしい(両方の意味で)。
みんなは、ミヤタケの見ている前で、バリケードを解除させられた。
その上ミヤタケは、皆にさらなる脅しをかけた。
「ん~。君たちぃ、生徒が教師に逆らった上、授業妨害とは学校を何だと思ってるんだい?
女生徒には寛大である紳士の僕にも、限度というものがあるよ
君たちの行為は、赤点に相当するよ。
でも、僕は女生徒には紳士だから、誠意を見せてくれるなら……」
すかさず、会長が機先を制した。
「先生、申し訳ありませんでした。すべて会長である私の監督不行届です」
そして、営庭の地面にじかに正座して、土下座した。
小山さんも河嶋さんも、とっさにそれにならった。
会長の意をくんだ西住先輩も他の皆も、「申し訳ありませんでした」といいながら土下座した。
ミヤタケは一瞬、毒気を抜かれたようになった。
そして、僕といえば、みんなが土下座するのを尻目に、わざと無関心を装っていた。
ミヤタケの怒気を、僕に向けさせるために。
「貴様が首謀者か-!?」
案の定単細胞のミヤタケは、僕に突っかかってきた。
大ぶりなモーションで、ストレートパンチのつもりの拳骨をみまってきた。
1発、2発、3発。
今度は、演技で倒れてやるつもりはない。腕だけ振り回してるから体重乗ってないし。
大統領なら体重なくてもスピードを乗せてくるから、かなり効くんだけどね。
たっぷり20発は殴らせてから、あいかわらず立ったまま、僕はあざけるように言った。
「ええそうですよ。全部僕がたくらんで、みんなをそそのかしたんです」
「……そうかよ。だったらテメエの履修自体を無効にしてやる。今すぐここから出ていけ!」
「はいはい。あなたの授業なんか、こちらから願い下げですから。ガブタ先生?」
クルリと背を向けた僕に向かって、何か叫びながらミヤタケが突進してくる。
背中向けてても、丸わかりだ。
僕は寸前のタイミングでひょいとかわすと、ついでに脚を引っかけてやった。
顔面スライディングするミヤタケ先生。
僕はミヤタケを放置してダッシュする。
さあ、楽しい鬼ごっこの始まりだわ。先生、ダイエットしないと早死にするわよ。
ミヤタケの言う「誠意」とかをうやむやにするために、たっぷり5kmは走ったかしらね。
手が届きそうな距離をキープして、30分はかけて。
先生、高校記録だって15分ですよ。
保体の免許、返した方がいいんじゃない? もちろん情実免許でしょうけど。
その翌日から、ミヤタケは堂々とせまい戦車の車内に乗りこんできて、巨大なハラでみんなを
圧迫してご満悦だ。
とくに乗員Ⅰ名不足の生徒会(小山さんめあて)と僕らのリー(密着できるから)。
あとただでさえ狭いうえに、車長以外「発育のいい」(本当にそうぬかす)元バレー部の八九。
元バレー部の場合、磯部さんをデサントさせて、自分が中央におさまるようだ。
もはや「明日のために今日の屈辱に耐えるんだ。それが女だ」状態。
そして授業から「排除」された僕は、ある行動に出ることにした。
ハンガーストライキを宣言して、プラカードもって職員玄関に座りこんだ。寝袋持参で。
もちろん誰にも相談せず、いきなり決行した。
「ふん。ハンストだと? いつまで続くかなぁ~山本」
ミヤタケが僕の顔をのぞき込んであざわらいにきた。
とーぜんガン無視。
「てめえだって男のくせに、他の生徒にちやほやされやがって」
あーあ、教職にあるものがそんなこというんだ。
あんたがいうような意味での役得は、僕は感じてないけどね。
「ふん。バカかお前?」
それだけいうとミヤタケは僕に数発けりをいれた。
「目ざわりなんだよ。だけどこれでお前をこの学校から排除できる。早まったな」
ミヤタケは高笑いして去っていった。
次の朝。
寝袋におさまっていた僕は、変な違和感を感じて目をさました。
自分が宙に浮いたまま、ずんずん廊下を進んでいる。
「起きたか?」
角谷大統領だった。
片手だけで、寝袋ごと僕を持ち上げ、何も持っていないかのようにすたすたと歩いている。
「ガブタがお前を退学させろといってきたよ。会長権限で。
だから今日をもって君のハンストは終了。私が実力で阻止すると言ってきた。
まったく、何やってんだか。お前という奴は……」
僕は、とっさにあることを思いついた。
会長は、「ほー」といって実行を約束してくれた。
次の日には、「生徒会新聞」の号外が全校に配布された。
記事はふたつ。
ひとつはミヤタケが監視カメラを導入したことを絶賛するヨイショ記事。
ごていねいに、監視カメラの操作コンソールにミヤタケがすわっている写真までついている。
そしてもうひとつは、ミヤタケがどれほど優秀な教師であるかプロパガンダする記事で、
「絶対にミヤタケには逆らうな。生徒会執行部も彼を支持する」とこびこびでむすんでいる。
もちろんこれは、生徒会の情報操作だ。
……横暴が大統領の得意技なら、河嶋さんのそれは牽強付会だな。
いいジャーナリストになれそうだ。
……でもまさか、実は本気で書いていて、その上で外しまくっている。とかじゃないよね。
でも、今できるのはここまで。
生徒会への不満が徐々にたまってはきているけど、相手が相手だからとみんな思ってる。
職員室前の掲示板には、大学の推薦入試の要項が張り出されていた。
それを見ている3年生の中に角谷大統領がいた。
「会長。推薦入試考えてるんですか?」
「そーだね、山本。戦車道思ったよりハードでさ。推薦でいければと思ってるんだけど」
「会長は3年間学園艦の生徒会長をつとめているんですよね。
これはかなりのアドバンテージだと思うんですが」
「そううまくいってくれると、助かるんだけどさ。
ま、いまの戦車道授業では、私より小山がハードだけどね。よく耐えていてくれるよ」
「ところでこの間の生徒会新聞の記事ですけど……」
「大声で言うな。かーしまに書けるわけないだろ。察しろ」
……やっぱりそーゆーことだったんですね。
そしてその日の指導室で……。
「君は、この大学の特待生の推薦を受けたいんだって?」
「……」
「今の君の成績じゃ、むずかしいんじゃないかなぁ」
「……でも、今のうちの経済状況では……」
気弱そうな3年生の女生徒に、たたみかけるデブ教師。
この女生徒は、推薦の出願をしたのだが、なぜか教師から直接話したいといわれ、
指導室で、教師と一対一で対面してる。
教師は、内申点も不足しているし、経済状況から部活動もできなかった彼女を推しても
合格は無理だから、取り下げるように迫る。
ミヤタケ君、自分は盗撮カメラや盗聴器をいじくってるくせに、不用心すぎるよ。
偽装したコンデンサマイクに気がつかないんだから。
電源だって、コンセントからとってるのに。
「でもね、僕が君の1.2年次の成績に手心を加えれば何とかなるかもしれない。
……いや、でも、僕も危ない橋を渡るわけだしさ。こう、なんというか、
僕にとって魅力的な『何か』を君が提供してくれれば考えてもいいんだよね。うーん」
「……」
「じれってえな。わかってんだろ? ネンネじゃねえんだからよ」
「……」
「ちょっとさ、僕と今晩つきあってくれればいいだけなんだけどね」
「……」
「話は決まりだ。さあいこうよ。僕のAMGでさぁ」
「……嫌っ!」
「何をいまさら。ことわるなら君が僕を買収しようとしたって、職員会議で言うだけの話だよ」
嫌がる彼女を連れて、指導室を出ようとしたミヤタケを待っていたのは、ほつれた髪を襟首でしばった、バストの大きい3年生女子と、そろいの黄色いつなぎ作業服を着た3年が3人。
「あんた、何をしてるんずら」
「……」
「話は聞かせてもらったっちゃ。その子をかえしてもらうずら」
その後何の音もしないところからすると、どうやら片がついたみたい。
でも、このことはこれで終わらないんだよね。
だって僕が、校内放送をジャックして、お昼のBGMに高音質でかけちゃうんだから。
次の日の放課後。
とうとう堪忍袋の緒を切った大洗女子戦車隊は、Eチーム不在のまま、もーやだ先輩が
持ってるコネクションを総動員して招集した極秘生徒集会で、ミヤタケ対策を協議する。
船舶科をのぞくほぼ全科のクラス代表が、戦車倉庫前に集結した。
こわいなあ、女の人って、女の敵の男が出現すると速攻で一致団結するからね。
そして、最大の被害者としてひな壇上に祭り上げられてるのは、なんとこの僕。
ここで僕は、いったいなにがどうして、ミヤタケがしたい放題やっても、誰も止められないのか、あらいざらい白状した。むろんキリマンさんに頼んだ裏面工作は抜きにして。
だから、みんなで学園長のところや、県教育庁に直訴しても無駄だろうともいった。
みんなの怒りはヒートアップしてる。だから僕は言った。
「僕は反対です。
たとえば、僕のいるⅠの1のAの担任がミヤタケだからって、朝のHRで全員ボイコット宣言
して、歌いながら行進して、あそこの山にこもったりするとか。
他のクラスでも呼応して、担任に抗議のあげく、容れられないからって僕のクラスの
ストライキに合流したりとか。そうやって授業を壊滅させたりとか。
事前に保守系じゃないマスコミにゼネスト予告をメールやファックスで送ったりとか。
みんなが使ってるSNSで一斉に騒いだりとか。僕が画像や音声提供したりとか。
しまいには悪名高い匿名掲示板の数々で、みんな一斉にマッチポンプやったりとか。
農業科、漁業科、栄養科総動員で立てこもりの兵糧用意したりとか。
僕が今からこの壇上に置き忘れる備蓄倉庫の鍵を使うとか。
いじめ自殺事件並みの大騒ぎにして、危険な状態を作っちゃうとか。
そして僕がひとりだけ学校に残って、ミヤタケがスト現場に行けないよう妨害するとか。
僕は反対ですからねぇ~」
こうでも言っておかないと、みんなでミヤタケをリンチってなりかねない。
備蓄倉庫の鍵を置いていくってことは、実は生徒会も陰で支援してる意思表示。
やれやれだね。スチューデントパワーなんて、40年前に死語になったはずなのに。
大洗海岸で散策したこともあるボクサーが、世界戦で真っ白な灰になって燃え尽きたころに
終わったはずなのにね。学生運動なんて。
次の日の朝。皆たまりにたまった鬱憤を、行動という形で吐き出した。
僕のクラスでは、ミヤタケが教壇について出席を取ろうとしたとき、学級委員先頭に
みんなが一斉に立ち上がり、隊列を組み、「はるかな青空」を歌いながら行進して
教室から出て行く。整然と。
……「はるかな青空」。
この歌は、歌詞自体はむずかしいものじゃないけど、節回しがむずかしいので、
だいたい中学で教わる。曲自体はポーランド民謡。
なんとものどかなピクニックソングなのに、曲の方は悲壮感すら漂う行進曲。
そして、この曲にはもうひとつ、全く真逆な歌詞がついている。
「ジョニーが凱旋するとき」と「変わり果てたジョニー」みたいな感じで。
この場面と曲想からすると、そっちの戦闘歌の方があってるかもね。
がらんとした教室に今いるのは、ミヤタケと僕だけ。
憤懣やるかたないと教室を出て行こうとするミヤタケに、僕は言った。
「先生。生徒がいるんですから、出席全部取っていってください」
ミヤタケは、返事のほとんど返ってこない出席をしばらく取ることになるだろう。
外は大騒ぎだ。
高等部数千人が、隊列組んで山にこもったんだから。
もう、だれも阻止できない。そして……。
「来たみたいだ……」
学校上空を旋回するヘリコプターの爆音。
テレビ局の取材クルーが乗ってるとおぼしき船団も近づいてる。
女の子たちよ、男の暴虐と戦え。君らの世界を君たちの砦の上に築き上げるがいい。
「いまや最後の戦いに、勝利の旗はひらめかん。か……」
どちらでもない僕は、どちらにも与しない。
そうでないと、収める奴がいなくなるじゃない。
「いや~まいっちゃいますよね。僕はちょっと指導熱心なだけなのに、嫌がられるなんてね」
ミヤタケは出て行け。というコンパネに白ペンキ塗った上に赤い字で書かれた立て看の前で、
(全く誰の入れ知恵なんだろう。そんな立て看、そー大でさえ20世紀で死滅したのに)
当の本人は、目にモザイクを入れてもらって、いけしゃあしゃあとテヘベロしてみせる。
インタビューされた他の教師たちは、「録らないでください」と足早に逃げるか、
「雅武先生はそれはそれは熱心な若手教師で……」なんて同情的なことをいう。
いまごろテレビ局は、抗議の電話で回線がパンクしてるだろうね。
ミヤタケの前任校の生徒や保護者や、匿名の元同僚とか。
翌日。僕のクラスは、全員がそろって座ってる。
HRの開始を告げるチャイムが鳴る。だけどミヤタケは来ない。
みんな、だまーって座ってる。しょうがないなあ。
僕は職員室に、ミヤタケを呼びに行く。
ミヤタケは、表紙がちょっと解剖学的にあり得ないような3サイズと目のでかい女の子の
フルカラーイラストのライトノベルを読んでニタニタしてる。
僕にとってはそういう絵って、最高に気持ち悪い。
男って、女の人をそういう風にしか見てないって丸わかりで。
……まあ、乙女ゲーのイケメンたちも、その裏返しだけど。
でもさあ、仮にも教師でしょ。生徒の見本になるようなもの読みなよ。
それはさておき。
「先生。A組全員出席しています。教室までおいで願います」
「あん?」
時間になったら来いよ。執務時間中にラノベ読んでるなんて職務専念義務違反だよ。
ミヤタケは「どっこいしょ」と言いながら立つと、本当に大儀そうに歩き出した。
「やあみんな。もう昨日みたいな事しちゃだめだよ。僕は皆が反省してるなら責めな……」
そこまでだった。
僕以外の全員が起立すると、またしても「はるかな青空」を歌いながら列を作って
整然と教室から出て行く。
それを合図に、各教室から伝言ゲームのように順次、生徒たちが出て行く。
ストに参加しないのは、僕だけ。
だって僕の役は、スト破りのグラッドストーンだから。
ただし、説得する相手が逆転してる。
ここは男臭さむんむんの武張ったイートンパブリックスクールじゃなく、大洗女子だから。
生徒会三役は、今日は用事を作って艦外に出張中。
生徒会役員の皆さんは、備蓄倉庫から持ち出したドリンクと、学食のおばちゃんたちが
作った陣中食を配り歩いている。
またしてもやってきた取材陣は、今度は生徒たちのあいだをまわって取材してる。
「先生。出席取ってください」
僕がそう言うまで、ミヤタケは呆然としていた。
頭の中が真っ白になっているようだ。
だってこのストライキの標的は、彼ひとりだから。
そして、同僚たちも、本当は彼がすべて悪いと思ってるから。
さらに翌日。
ミヤタケは出勤してこなかった。
だからこの日は、ストもお休みだ。
へんだねえ。今日は例のグループアイドルの握手会もコンサートもないのにね。
県教委も、大洗教委も、この日はてんやわんやの大騒ぎになっていた。
電話は鳴り続け、大勢の人間が押しかけ、警察まで出動するくらいに。
大洗艦にも、サーバーがパンクするほどのメールが送られてきた。
「セクハラ常習犯の、ろくでもない男教師が、よりによって女子校に居座ってる」
もう、ここまできたら、収拾はつかない。
いままでなら、ミヤタケは父親に泣きついて、ほとぼりが冷めるまで研修でもして
どっかの女子校に再配属になっていたかもしれない。
でも今度は、そうはいかない。
どっかの夕刊タブロイド紙が、そう、白鳥家の息のかかったゴシップ紙が、
某教師の陰に、某有力政治家の影が。なんて見出しで憶測記事を書いて、そして……。
僕の携帯が着信音を鳴らす。
『ふふ、こんにちわ。……秋の日の ヴィオロンの ためいきの』
白鳥さんか。「レジスタンス諸君、オーバーロード作戦は始まった」ということね。
「身にしみて ひたぶるに うら悲し」
『大正解よ。そちらのレジスタンスの一斉蜂起に呼応して、ウチもご注進におよびました。
ご丁寧にその後、ニセのインタビュアーが、くだんの代議士宅を直撃しましたの。
……明日には結果が出ますわ。ごきげんよう』
ミヤタケ君。君はやり過ぎたね。敵は僕だけにしておくべきだった。
そういえば今日は6月6日か。ザ・ロンゲスト・デイだわね。
たしか秋山先輩の誕生日も今日だったわね。
ふーん。夢に続きがあるなんて思わなかったわ。
僕は、飛行機の操縦桿を握ってる。軽飛行機のものじゃなく、三人乗りの攻撃機の。
新造空母ホーネットCV-8の、未熟者揃いの雷撃隊VT-8のなかでも一番のぺーぺーで、
新品少尉の僕は、インディアンの中でももっとも勇敢で知られるアパッチ族の出身である隊長、
ジョン・ウォルドロン少佐の機のすぐあとにくっついていた。
いっしょにホーネットを飛び立ったはずの戦闘機隊、艦爆隊とは、濃い雲の中ではぐれて
それっきり。僕らの技量なんてそんなもん。
互いの位置どころか、自分たちがどこを飛んでるのかさえわからない。
推測航法もロクにできないなんて。だから隊長を信じて、はぐれないようについていく。
航法士である爆撃手のいない戦闘機や艦爆では、なおのことだろう。
僕らの乗機であるダグラスTBD「デバステーター」は、世界初の単葉、全金属製の引き込み脚
を持つ艦攻としてデビューした。もう6年も前の話だ。
飛行機の進歩はドッグイヤーで進み、今ではスツーカや日本海軍のヴァルをのぞけば、
全金属、単葉、引き込み脚は当然になってる。できがよすぎて後継者ができず、英国面の
代表見たく言われてるソードフィッシュば別格だね。あいつは遅くて運動性がいい。
こいつはのろまで鈍い。おまけに揚力も足りないから魚雷積んだらちょっと機動しただけで
おっとっとだ。航続距離700km。まじめに。最高速度330km/h。もう泣きたい。
でも、僕たちはそんなことはすっかり忘れ去っていた。
急がないと。奴らが僕らの空母を襲う前に攻撃しないと。
僕たちはどうやら日本海軍に発見されずに、奴らを攻撃できる位置まで接近できた。
だけど、もしかしたら優秀な搭乗員ぞろいの敵、第一航空艦隊の索敵機が、僕らを出撃させた
3隻の空母を発見しているかもしれない。
戻ってみたら、帰るべき空母はなくなってるかもしれない。
太平洋艦隊が全滅したら、この大洋は奴らに占領されたも同じだ。
しかし、空中集合しないで、出撃した部隊単位で進撃させたツケが回ってきた。
9個の航空隊は一斉に襲いかかるどころか、バラバラに敵を求めて飛び回ってる。
1942年6月4日。午前9時20分頃だから発進してから2時間20分。
僕らをとりかこんでいた雲がいきなり切れた。視界が広がる。
そして、僕らは眼下に展開する、敵の大艦隊と遭遇した。
空母は4隻いる。第一航空艦隊だ。
目の前いっぱいに、船がうじゃうじゃいる。
なんてことだ。偵察機の報告とちがうところにいるじゃないか。
周りを見渡しても、僕らとともに飛んでいたはずの戦闘機隊も艦爆隊もいない。
ここにいるのは、僕たちだけ。
僕たちも陣形なんかくずれて、隊長を先頭に、前に見える機についてきただけの
長い一列縦隊になっている。
奴らは今、帰投してくる艦載機を収容している最中だ。
ミッドウェイ島を空襲したという連中だろう。
だったらまだ、我が艦隊を叩く攻撃隊は出撃していないと言うことだ。
『爆撃手。現在位置を天測でわりだせ。わかったら現在位置と時刻を全部隊に最大出力で
発信しろ』
ウォルドロン隊長だ。つづいて爆撃手が、敵発見、時刻、位置を報告してる。
見当違いの方角を探し回ってる味方に向かって。
命がけの通信だ。電波を察知した敵が、確実にこっちを見つける。
案の定、遠くの方に見える空に浮かぶ黒い点が、そろってこっちをめがけて飛んでくる。
速い! ホンチョどもの駆るタイプゼロ。ジークだ。
『――みんな聞け、奴らを俺たちの母艦に向かわせるわけにはいかない。
ここで何としても食い止めるんだ。それができるのは、今、俺たちだけだ。
後続を待っている余裕はない。……すまん。みんな』
僕もそう思う。
相手が世界最強とか、僕らのレベルが低いとか、そんなことはもうどうでもいい。
今はもう、ここまでかかえてきた魚雷を、あいつらにぶち当てることしか考えてない。
『ジョージ。怖いか? お前は本当のひよっこだ。初陣で死ぬな。
魚雷捨てて帰って、俺たちの戦いを司令に報告してこい』
「いいえ! 何も怖くありません。僕もいっしょに突撃します! 少佐」
そんな言葉が即座に出た。僕だけがルーキーじゃない。
みんなだって似たようなものだ。ここで帰ったら一生後悔する。
ハワイを、本土を、守らなきゃ。僕たちが。
『よろしい。わかった。爆撃手、旗艦エンタープライズに通信。我これより突撃す。時間だ。
――行くぞ! 目標、敵旗艦、アカギ! 総員突撃!!』
僕らは陣形を組む余裕もなく、そのまま全速で一番でかい「アカギ」に向けて突撃する。
情けないくらい遅い速度でよろめきながら。
ウォルドロン少佐が、彼の先祖たちのようにウォークライを叫ぶ。
自分も剽悍なチーフに率いられた、勇猛なアパッチのひとりになった様な気がする。
奴らの直掩戦闘機どもが、僕らめがけて鋭く突っ込んでくる。
時速250ノットは出てるだろうか、魚雷積んだ僕らの倍のスピードだ。
奴らは僕らとすれ違ったと見るや、おそろしく小さな半径でくるりとUターンして、
今度は僕たちを追ってくる。奴らの形があっという間に点から飛行機の形になる。
機銃手が一斉に奴らに向かって弾幕を張るが、奴らは見切ったと言わんばかりにかわす。
列の後ろに目もくれず、先頭の隊長機を目指す。前から食うってつもりか。
編隊を組めない僕らの後部機銃は、効果的な弾幕を張れない。全く奴らに通じない。
ウォルドロン機のすぐ真後ろに、全く同じ姿勢で1機のジークがへばりつく。
あと少しで接触しそうだ。
奴の機首と主翼が、一瞬光った。
僕の前を飛ぶウォルドロン機が、いきなり風船のように破裂した。
こっぱみじんになった機体の破片が、キャノピーに当たる。
僕の機体は、続いて起こった爆風に煽られ、制御不能になる。
そうしている間にも、視界の片隅で、僚機たちが前から次々に明灰色の死神の餌食になる。
いとも簡単にデバステーターの真後ろ、衝突寸前の距離につくと、一瞬だけ機銃が火を噴く。
大口径弾が当たったのか、こっぱみじんになる機体。大穴が空き、翼をむしられ真っ逆さまに海に突っ込む機体が続出する。誰も脱出した様子はない。みんな機と運命をともにした。
だけど、魚雷を捨てて、身軽になって逃げるものは誰ひとりいない。
まっすぐ飛ぶことしかできないデバステーターで、ひたすら突撃し、墜とされる……。
畜生! 畜生! ちくしょぉーっ!
僕はやっとの思いで機体を立て直したけど、「アカギ」への攻撃コースを大きくそれていた。
かわりに目の前には空母「ソーリュー」がいた。
ならばあいつを殺ってやる! 絶対に殺る!
「爆撃手。味方は何機残ってる」
「本機以外は、すべて落とされました。脱出できたものもいません」
「機長。敵戦闘機、本機に向かって来ます」
「機銃手。弾幕を張れ! 本機はこのまま目標に突撃する。
爆撃手。距離を測れ。魚雷は小官が撃つ!」
後ろから曳光弾混じりの火線が、まわりの空間を縫っていく。
大口径の機関砲弾は撃ち尽くしたのか、またはこの機にはもったいないと思ったのか、
とにかく連中は機首の連装機銃だけを撃ってきた。
あと少し。射点につくまであと少し。
え? ここで転舵? 艦首が変わる。
こっちは奴の動きを追えない。ええい、ままよ! 遠いけど撃ってやる。
――魚雷は、機から離れ、機体は軽くなって浮き上がる。
直後、無数の機銃弾が機体をミシンのように縫いつけるのを感じる。
激しく機体を叩く音、キャノピーのガラスの砕ける音。
後部機銃の銃声もしなくなった。どうなってる。
主翼には無数の穴が開き、揚力はどんどん失われ、高度が下がる。
ラダーとエレベーターは吹き飛んだみたいだ。ペダルもレバーも反応がない。
でもきりもみにならないから、まだ垂直尾翼は形を保ってる。
もう墜落は確実と見たのか、敵戦闘機は僕たちの上を飛んで追い抜いていく。
エルロンだけ使って、何とか機を水平に保ち、フラップ全開にして、降下速度を抑える。
みるみる海面が迫ってくる。
僕は、機体に迎え角をとらせようと苦戦する。
頭から突っ込んだら、機体がバラバラになるか、もんどりうって転覆する。
着水!
僕の機体は、どうにか水平姿勢を保って、機首上げで着水した!
割れた窓から、どっと海水が流れ込んでくる。
よかった。転覆だけは免れた。
僕は破損したキャノピーを、渾身の力でこじ開ける。
さっさと脱出しないと、機の沈没に巻き込まれる。
「着水したぞ! 脱出しろ」
返事はなかった。
……爆撃手も、機銃手も、機銃弾を何発も食らって、すでに死んでいた。
彼らのおかげで、僕は死なないですんだ……。
僕は、救命胴衣をふくらませ、海に飛びこんだ。
僕の愛機は、クルリと横を向くと、何かに引っ張られるかのようにあっけなく沈んでいった。
目標にした「ソーリュー」といえば、まったくの無傷で、この海域を戦闘速度で旋回している。
畜生! 僕は何もできなかった。仲間の仇すら討てなかった!
僕が、隊のたったひとりの生き残り。そしてまわりには敵しかいない。
救助隊が、僕を拾いに来ることはないだろう。
僕は腹をくくった。
ならせめて、ここにとどまって、最後まで見届けてやると。
ウォルドロン隊長の、決死の通信が届いているのなら、はぐれた味方がやってくるはず。
せめて戦闘機からきてほしい。
上空を旋回してるあいつらを押さえつけてくれれば、艦攻と艦爆がなんとか攻撃できる。
だけど僕の祈りは届かなかった。
0950時。僕たちの次にやってきたのは、エンタープライズの雷撃隊、VT-6の14機。
彼らもまた、まよわず突撃を敢行し、ひるまず戦い続ける。
しかし、のろくて非力なデバステーターは、敵のベテランどもの格好の餌食でしかない。
彼らもまた、勇猛果敢に戦い、最後まで勇敢に倒れていった。
1010時。また、うなるような爆音が近づいてきた。
しかし、またしても単独の雷撃隊。ヨークタウンのVT-3!
さらなる悲劇が繰り返される。
もう僕は、見ていることなんかできない。ああ……。
考えてみれば、3人乗りで航法が比較的しっかりしてる雷撃機から来るのは当然だ……。
太平洋艦隊の作戦は、もう瓦解してしまった。
いや、今度はちがう。
サッチ少佐のヨークタウン戦闘機隊、VF-3が、さらに上空にいる。
12機のデバステーターは「ヒリュー」を両舷から雷撃するために二手に分かれた。
一方で6機のワイルドキャットは、2機ずつの「エレメント」に分かれると、15機ぐらいの
ジークと交戦に入った。
しかし、同じくらいの数のジークが、デバステーターに襲いかかる。
サッチたちは助けに行けない。
雷撃隊は自らが墜とされながらも、数本の魚雷を放つ。
しかし、10機が墜とされる奮戦空しく、魚雷はすべてかわされてしまう。
やっぱり、デバステーターではいい位置につけない……。
一方、倍以上の敵機に包囲されたVF-3は、といえば……。
なんと! 墜とされないで持ちこたえている。
2機ずつのエレメントを組んだ彼らは、互いにクロスするようにS字旋回を繰り返している。
こうすればチームプレイをしないジークの1機が、どちらかの後ろをとっても、
もう片方のワイルドキャットが、さらにそいつの後ろにつける。
相手もベテランだから、6時につかれたらすぐ離脱する。
こうして、サッチ少佐は単独で戦う日本パイロットの戦術を逆手にとって、
墜としも、墜とされもしない戦いを繰り広げている。
サッチとそのウイングマンは手練れのようだ。なんとジークを墜としてる。
そして、サッチの戦闘機隊は、徐々に低空に降りてきている。
どういうことだ?
僕は長いこと海に浸かって、頭がぼんやりしてた。
そうだ、まだここに来てないのは……。艦爆だ!
サッチは、直掩隊を低空におびき寄せ、上空をがら空きにするつもりだ。
でも、艦爆隊が遅い。何をしてるんだ。
僕は知らなかった。
隊長の命がけの通信は、ホーネット艦爆隊とエンタープライズ艦爆隊に届いていなかった。
まだ、敵空母の甲板上には、攻撃隊がでてきてない。
全部、格納庫甲板で補給と、魚雷、爆弾の装着中なんだろう。
このとき、エンタープライズ艦爆隊隊長、マクラスキー少佐は燃料計を見ながら迷っていた。
もうそろそろ、燃料が帰投限界だ。
ホーネット艦爆隊は、「我、余剰燃料なし。帰投す」と発信し、空母への帰途についている。 しかし、彼はここまで来て諦めきることができなかった。
「もう少し、北へ飛ぼう。それでダメなら帰ろう」
彼の隊は、北に進路を取った。
一方、ヨークタウン艦爆隊の隊長、レスリー少佐はウォルドロン少佐の通信をとらえていた。
「なんてこった。俺たちは見当違いの進路を取っていたんだ。急げ!」
彼らは第一航空艦隊の上空まで、あと少しと迫っていた。
北にしばらく飛んだマクラスキー少佐が、海面を見た。
そこには、本隊に向かっているのだろう、1隻の日本艦がいた。
その進路の前方を見ると……、いた。空母とそれを取り囲む艦隊が。
1023時。ついに、艦爆隊がやって来た。がら空きの空。僕の頭上に。
そして、僕は信じられないものを見た。
あの、僕ら同然ヘタレの艦爆乗りたちは、空母の上空まで来ると、迷わず逆落としに入った。 いつものぬるい降下じゃない。
ニュース映画で見たドイツのスツーカーよりもすごい、本物の急降下!
そして、反対側からも、もう1隊の艦爆隊が、やっぱり見事な急降下で降ってくる。
僕らの死戦も、サッチ少佐の常軌を逸する奮戦も、ついに報われたんだ。
僕は、涙を流していた。
もういい。もう当たる。爆弾を落とせ!
しかし彼らは、まだまだといわんばかりに、速度を上げて降下する。
展開したダイブブレーキの風切り音が、この戦場に響き渡る。地獄のサイレンだ。
日本艦隊の対空砲が、あわてて角度をあげる。でももう無駄だ。
船の形が、はっきりわかる。それでもまだ爆弾を落とさない。
甲板上に待機する戦闘機の形がわかる。それでも爆弾を手放さない。
乗組員の、上を見て驚いてる顔まで見える。
そこまできて、やっと彼らは必殺の爆撃を見舞う。
彼らは、そこで我に返ったように必死で機首を引き起こす。
プロペラが水面を叩きそうな、すれすれの高度で、やっと引き起こしができた彼らは、
後ろも見ずに全速力で逃げていく。
戦果確認なんか、している余裕なんかないだろう。
僕たちと同じだ。彼らも「死兵」になってたんだ。
急角度の降下の怖さも、しくじれば死ぬってことも忘れていたんだ。
だからこれは、火事場の馬鹿力ってやつだ。
何も知らなければ、ものすごい手練れが、会心の急降下をしたとしか見えないだろう。
まさか彼らが、やっと離着艦ができるレベルの下手くそ揃いなんて思わないに違いない。
その後起こったことを知ってるのは、たぶん僕だけだ。
アカギには1発か2発、カガには4発、ソーリューには3発の500ポンド爆弾が命中した。
すさまじい速度がついていた爆弾は、やすやすと飛行甲板を貫いて、格納庫で爆発した。
突如、アカギとカガの舷側から爆炎が吹き出した。
たちまち艦の上半分が、炎に包まれる。
格納庫の中で出撃準備中だった機体と、燃料、爆弾なんかが一斉に誘爆したんだ。
カガに至っては、アイランド付近に直撃を食って、アイランドが根こそぎ吹き飛んだ。
この2隻より小ぶりなソーリューは、もっと悲惨だった。
もうあれは、どうやっても救えない。
総員退艦が出たのだろうか、乗員たちがボートで、内火艇で、あるいは海に飛びこんで、
空母から逃げ出す。なかには相当な数の飛行服を着た連中も混じってる。
搭乗員は、まだ別室で待機中だったんだ。
3隻から離れていて被弾を免れたヒリューが、発光信号を出した。
たぶん単独で戦おうというんだろう。
この時点でまだ着艦してなかった敵機も、ヒリューに着艦。収容される。
数では3対1とこっちが逆転してる。それでも戦おうというのか。
1120時、ヒリューから20機以上が発進。
彼らは炎上する3空母を置いて、我が艦隊の方向に進撃していった。
飛龍の第一波攻撃隊は、ヨークタウンの直掩機に阻まれ、ヨークタウンに3発の爆弾を
命中させるも、16機を失う。
ヨークタウンは火災発生、フレッチャー司令は巡洋艦に移乗。
ヨークタウン級の格納庫は開放式であって、舷側には多数のシャッターがあった。
乗員たちはただちにシャッターを開き、危険物や可燃物を海に投棄する。
また、全艦に石けん水の泡を噴霧するスプリンクラーが設置されており、
これが作動して、迅速に火災を消し止めていった。
復旧作業が終了したとき、ヨークタウンは20ノットで航行することが可能になっている。
一方、大火災発生との報告により、日本側ではヨークタウンを撃沈したと誤認した。
日本時間6月5日午前11時30分。
飛龍は、艦戦6機と艦攻10機からなる第二波攻撃隊を出撃させる。
彼らは、いまだ航行しているヨークタウンを別な空母と考え、これに全力で襲いかかる。
艦攻隊は両舷に分かれて攻撃。第二波攻撃隊は、艦戦3機、艦攻5機を失ったが、
ヨークタウンに魚雷を2発命中させた。
日本側はこれで空母2隻を撃沈又は大破させたと確信した。
捕虜になった米艦載機の乗員の尋問結果、米空母は3隻と判明しており、
二航戦司令、山口多聞は、損害の大きさから第三波は夕暮れ時の薄暮攻撃と決めた。
一方、TF17司令官フレッチャーは、ヨークタウン行動不能により、権限をすべてTF16司令官
スプルーアンスに委譲した。
飛龍発見の報に接したスプルーアンスは、艦爆21機をただちに護衛戦闘機なしで発進させた。
日本時間午後2時、ハワイ時間午後5時30分。
発進準備中の飛龍に米艦爆隊が殺到、日本側は最初の6機の攻撃はかわしたものの、
後続は防ぎきれず、爆弾4発を被弾。戦闘不能となった。
第一航空艦隊の組織的戦闘は、ここで終わりを告げた。
日本時間6月5日午後11時55分。
聯合艦隊司令部は、MI作戦の中止と、全艦艇の聯合艦隊本隊への合流と撤退を命じる。
ここにミッドウェイ作戦の、敗北が確定した。
最後まで奮戦した大破漂流中の飛龍は、日本時間6月6日午前2時10分、雷撃処分された。
ただし、飛龍は午前6時まで浮いており、全滅したと思われていた機関科34名が脱出した。
燃えさかっていたアカギの炎も、もうほとんど消えようとしている。
僕はすっかり疲れ切っていたけど、なんとか起きている。
空母カガとソーリューは前の日、6月4日1900時ごろ、相次いで爆発を起こして沈んだ。
5日0500時。日本の駆逐艦隊がやってきて、アカギにとどめを刺していった。
……そしてこの海には、たったひとり、僕だけが残された。
うーん。日付変更線のむこうでは、今日は6月6日だね。
秋山先輩の誕生日か……。
ああ、2年後にはヨーロッパ大反攻。ノルマンディー上陸作戦が実施される。
気がつくと、もう朝になっていた。
僕は机の上で、突っ伏して寝てしまってた。
もう、今日が正念場だね。
赤城ならぬ、人間空母のミヤタケ君に引導をわたし、すべてを終わらせよう。
『旦那様は、あなたのような方は存じないと仰せです』
「だからー、僕だよ。雅武香仁だよ。あまりわからないこというとお父様にいいつけて……」
『そのような方は存じません。電話を切らせていただきます』
「ちょっと待てよぉ!」
『お前はあの憎い男の息子。私にとっては憎らしくてしょうがなかったのよ』
「母さん! 何を言い出すんだよ」
『あの男はね、私が死ぬまで使い切れない金を渡していったわ。もうお前の親ではないから、
お互いに無関係になろうってね。私もこれから引っ越して好きに生きるわ。
お前の親だなんて、やってられないわ。二度と会わない。どこぞでのたれ死ねばいいわ』
「……な、なんだよそれ!」
『ガチャッ。……ツーツーツー』
今日は、スト参加者は、初めからみんな山に立てこもってる。
教室には、僕しかいない。
そこに職員室にも身を置けなくなって、顔面蒼白のまま携帯を握りしめたミヤタケが現れた。 僕はしばらく、目を合わせずに横を向いていた。
「なんでだよ……」
僕はあらためてミヤタケを見る。
足元がいきなりくずれて、奈落に落ちたような、いや落ちてるんだけど、男の顔があった。
「……先生。今日は天気がいいから、屋上に行きませんか?」
階段を上りきり、出入り口のドアを開けて屋上に出る。
後ろからなんかうわごとをつぶやきながら、ミヤタケがついてきた。
もうすぐ梅雨に入る前の、最後の青空が広がっている。
何が起こったのかなんて、聞くだけ野暮だね。
さっさとチェックメイトしないと、今日で終わらなくなる。
「知ってましたか? あなたと僕は、理不尽の星の下に生まれた同士だったって」
「そうだよ。それなのになんでお前はそう前向きなんだよ。楽観的なんだよ?
てめえも人生終わってるじゃないかよ。不幸だろうよ!」
あれ? 僕って不幸だったんだっけ。初めて知ったわ。
まあ、直系尊属どもはみんなアレだし。惚れる相手はノンケの男だし。
いやなこともいろいろあるけど。みんなそんなもんでしょ?
ここはいい学校だし、いい仲間にも恵まれている。
不幸なんていったら、罰が当たるんじゃないかなあ。
「いやあ、障害は不自由であっても不幸とはかぎりませんよ」
「お前だって男なのに、なんでお前は慕われて、俺は汚物扱いなんだよ」
「いーや僕だって、生物的には男とばれたらどうなることか。……意識の上では女ですけど」
いうまでもないけど、ここまで歪んじゃったのはそのせいか。
父親の権力でも、どうにもならないことはあるものね。
ユネスコの編纂した語録集にありそうだねえ。
「女どもは俺が近寄れば嫌がるくせに、ひとりの男にむらがってちやほやする」
「僕にはわからない。あなたが不幸で、その人が幸せだというのが。
あなたをうらやましがる人間だって、いくらでもいたでしょう。権力者の息子だったから。
女性に好かれなきゃ不幸だとか、社会的成功を手にできなきゃ生きてる意味がないとか、
それ全部、固定観念ですから。根拠のない思い込みなんです」
ミヤタケは、勝手なことを言うな。って顔してる。
僕が話してることは、高橋先生の永遠のライバル、死神先輩の受け売りなんですけどね。
「ペジミズムが、そう思わせてるんです。実体なんかないんです。
だいたい人間って、ハーレムにはむいてない動物なんですよ。
だってメスなら、何でもいいわけじゃないから。
ちやほやされてる男だって、自分にいい顔見せてる女が、別な男をゴミ扱いするのを見れば
女性不信になると思いますよ。いきつくはては、女性をもの扱いする。
途中経過がちがうだけで、結論はあなたと同じですよ。ハーレムなんてそんなもんです。
そしてたぶんあなたは永遠に不幸です。だって自分でそう思い続けるから」
ええ、男と女の間には、深くて黒い川。利害が衝突するって大河があるんですね。
そこでおぼれかかってるのが僕だけど。
死神先輩が教えてくれた認知行動療法は、固定観念をどうにかせい。というけれど、
具体的な方法は、何も書いてないからね。死神先輩も「理屈倒れ」って笑ってた。
「前置きはそのくらいにしておきましょう。
あなたには急迫だけど正当な侵害が迫ってるんじゃないですか?
県教育庁が、あなたに分限処分をくだしたがっていると思いますよ。
どうします?」
ミヤタケが目に見えてたじろいだ。
分限とはまた古い言葉だけど、身分に関する保証の限界と考えればいいかな。
もちろん公務員の。
ええ、公務員だってクビにすることもできれば、リストラすることもできるんです。
「学園長から、しばらく自宅謹慎してろっていわれたんじゃないですか?」
「……ああ、そうだ」
うーん。県が処分を決めるまでってことかなあ。
でもこの男が茨城県に来て、まだ2週間なんだよね。
勤務業績不良や適格性欠如でクビを切るにはまだ早い。
だったら打つ手はないわけじゃない。
「先生。このまま座して処分を待ちますか? それとも僕の提案に乗ってみますか?」
ミヤタケは、一介の生徒のお前に何がわかる。という顔をして僕を見る。
「あなたを排除するために、角谷さんと勉強させていただきました。
そうですね、今すぐ学園長のところに行って、指導力不足等教員の指定を受けさせてくれと
頼んでみてはどうでしょう?」
これは、僕にできる最大限の譲歩ですよ。先生。
「指定を受ければ、あなたは給与を保証されたままで、県の教育センターで研修という
身分になります。そこで猛然と努力して立派な先生になるも良し、時間を稼いで
転職するも良しです。ただし、研修等を受けてもなお指導力が不足する教員と
認定されたら、そこで教師生活終わりです。一般行政職になる試験受けて受からなければ
分限免職ですけど。それまで処分を保留させることはできます。どうします?」
今日明日でクビが危ない立場から、とりあえず脱出することはできる。
ミヤタケにもそれ以外の選択肢はないって、理解できたみたい。
「お前は、楽観的だから、打たれ強いんだな……」
ちがいますよ先生。父と祖父がよってたかって僕を打たれ強く育てたんです。
だから楽観的なんです……。
彼はすごすごと、学園長室に向かった。
県も彼を現場から遠ざけた。ということで、一般市民からの追及の手はゆるむだろう。
懲戒処分できるだけの犯罪的信用失墜行為にはおよんでないから、ここで手打ちだ。
どうやら話はまとまったようだ。ミヤタケは宿舎に帰って引っ越し準備をしてる。
退任のあいさつとかは、させてもらえない。当然だね。
今日の夕方のフェリーに乗って、明日からは県預かりということに決まったそうだ。
やっと終わりだ。
僕は、みんなが立てこもる山に向かった。
そして、皆の前で叫んだ。
「ストは終わりだよ。ガブタは自分で身を引いた。もうすぐこの船からいなくなる!」
「……スト? 何のことだよウイリアム」
後ろから声がかかった。角谷大統領だ。
「みんな、破廉恥な教師から身を守るために緊急避難してただけだ。私はそう評価する。
学園長もそういう認識だ。だから誰も罰せられない。お前こそあいつといっしょにいて
平気だったの? たいしたもんだ。私もこうして逃げたのに」
どうやら僕も助かったみたいだ。
「……あなたにはかないません。僕もまだまだです」
みんなが山から下りてきた。
なぜかしらないけど、みんなといっしょに行動しなかったはずの僕が強烈に感謝されている。 ハイタッチと握手、そして延々と胴上げされた。最後に落とされるのはお約束ー!
本当なら、ミヤタケは「男のくせに女生徒といっしょに戦車に乗った」という不祥事で
葬り去ることができなかったわけじゃない。
それいったら僕だって、ってことになりかねないから、やらなかった。
ミヤタケに関しては、シャトルフェリーに乗せなかった。
ひそかに船舶科の演習船に乗せ、脱出させた。
だって、消されるかもしれなかったから。
案の定、シャトルフェリーからガタイのいい人たちが何人か降りていき、誰かを捜している。
そういうわけでミヤタケは、教育センターではなく、ちがう施設に三食付きで収容された。
これで、長いお別れ、といきたいところですけど。
「本を何冊か借りていったみたいだけど、お勉強の成果はどうだった?」
すべてが終わったあと、会長室で角谷大統領が僕に聞いてきた。
やっぱりこの人の差し金なんだな。
「僕は、紛れもなく、言い訳不可能な大惨敗だと思います。ただし、戦略的な意味でです」
「その理由は?」
「もう日本軍が、唯一のチャンスを失って、永遠に勝てなくなったからです。
現場レベルでは、やっぱり痛み分けだと思います。
痛み分けに持って行けただけでも歴史的偉業というべきですけど。
……あんな戦いは、これから先、決して起こることはないでしょう。
またどこかの強国が、自分は無敵モードだと勘違いしないかぎり」
「じゃあ敗因は?」
「まさにそれです。自分たちは絶対負けない、必ず勝つとおごり高ぶったことです。
だったら、同じ予算を使うんだったら、あれもこれもってことになってしまいます。
貧乏性といえばそれまでですけど。でも思考停止でしかないです」
「なら、勝因は?」
「戦術的勝利を諦めたことです。勝ちの反対は負け。というのも固定観念です。
勝ちと負けの間には「不敗」というものがあります。それができれば御の字だと」
「故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わず。か。
10%の才能と20%の努力、そして、30%の臆病さ、残る40%は、運。
ならば君は、同じような窮地に立たされたら、どうしたいと思う?」
「人事を尽くして天命を待ち、あきらめず、逃げ出さずに死力を尽くして戦うのみです。
もしかしたら、それで活路が見いだせるかもしれません。運を手でつかめるかも。
そうでなくても、相手の勝ちを妨害できればいいんです」
あれ? それって……。
「そうだな。それしかないよね山本。……わかった。もう、帰っていいよ」
会長室を出た僕は、自分で言った言葉に引っかかりを感じていた。
なぜ、絶対王者黒森峰の総帥、西住まほは「あきらめないこと、逃げ出さないこと」と
口にしたんだろうか。
それではまるで、自分こそ窮地に置かれてるといわんばかりだわ。
勝利者になれなくてもいいから、敗北者にはならない。
不敗っていうのは、本当はそういう考え方だといわれてる。
「あきらめないこと、逃げ出さないこと」というのは、まさに「不敗」そのものだ。
環境から、役割から、人生から……。
このときの僕は、こんなことを自分が追体験することになるとは思ってもいなかった。
自分が、まさにジョージ・ゲイ・ジュニアのような歴史の証人になるなんて。