嵐は去った。
一抹の後味の悪さを、僕に残して。
僕が体調の変化と違和感を感じたのは、それから数日後のことだった。
「今日から1週間、お前は登校禁止だ」
高橋先生の命令で、自室に隔離状態。
だれとも会っちゃダメって、いわれちゃったわ。
うーん。やれやれだわ。
たしかだいぶ以前に予防接種はうけているんだけどなあ。
最近のは、タイプが変わったのかなあ。
この歳で、麻疹(はしか)にかかるなんて……。
今日は日曜日。
大洗艦も大洗港区の専用桟橋に接舷してる。
となりの埠頭。以前聖グロが入港した埠頭に、聖グロよりずっと小さな学園艦が入港する。
おなじみのフラットトップ型ではなく、中央に大きな構造物を持つ学園艦だ。
甲板上はほぼ学校施設と山林でしめられていて、大洗艦のような万を超す学外人口は
いそうもない。学校施設の他には、酒類の醸造工場に見える施設がある。
マジノ女学院。それがこのシュルクーフもどきの名前だ。
ローレライでも積んでいればおもしろいのに。
あんな格好なのは、船底が丸くて、ワインの樽をころがしておくのに良いと言うことらしい。
海なし県の山梨県を本拠とするマジノは、ワイナリー学校だ。
あっちも伊達や酔狂で、伊豆半島の向こうからやって来たわけじゃない。
河嶋さんが「もう一回実戦経験を」というわけで、手当たり次第相手をさがしたんだけど、
ダージリンさんのようないい人はなかなかいなかったようだ。
でも、そういうときには都合のよいことが起こるもので、
マジノで戦術ドクトリンを巡って、3年生と2年生が対立したの。
ハルダウン待ち伏せ戦術の伝統墨守の先代隊長を、機動戦主義者の現隊長が放逐した。
だけどさー、そんなんどっちも臨機応変でいいじゃない。
どっちか片方ってのは、動脈硬化どころか心筋梗塞レベルだよ。
父だって、そんなことよー言わん。
そのあげく、先代隊長の同調者が隊を離れた、なんて本末転倒もいいとこだわ。
まあ、「優柔不断」じゃないだけいいけどね。
そんなわけで現隊長は、自分の正しさを実績を持って証明する必要に迫られ、
大洗の誘いに乗った、と。
そして大洗戦車隊は、いさんでマジノ学園艦に遠征中。
僕がいないときのローテーションは、丸山ちゃんが75mmについて、37mmの装てん手は、
車長の梓ちゃんが兼任。
最近は少しだけ戦車ってものがわかってきた。
いろいろ戦史を勉強していることがきいてきたみたいだわ。
秋山先輩は戦車大好きだけど、その戦車に優劣を付けるのはすごくいやがる。
欠点も、かわいいらしい。
さて、マジノさんでお使いの戦車は、提携校の関係でおフランスオンリーだけど、
第二次大戦では、初めのうちに脱落してるね。フランスって。
飛行機ではイギリス、ドイツに負けないものを作ってたけど……。
早めに脱落、ってのがきいてて、日本戦車よりマシってレベルだわ。
ルノーなんて自動車の名門があるから、開戦時にはその当時の一級品だったみたい。
でも、主砲が47mmとか37mmで、装甲もそれなり。
ルノーの重戦車でも、前面60mmじゃ、戦車道界では三下だわね。
そして恐ろしいことに、乗員数が少なすぎ。
7人乗れるリーを作るアメリカの方が、ある意味賢いわね。
操縦手と車長しかいないとか。いても装てん手が加わるだけとか。
1人用砲塔とか、人間工学ってものがないとしか思えない。
もっとも、人間は右利きが多いことに配慮して、装てん手が砲の左に来るのはアメリカだけ。
リーが75mmを中央線でなく、右にかなりオフセットしてる理由のひとつがそれだわね。
でも、それじゃ動きまわりながら車長が指揮しつつ撃つって無理ゲーでしょ。
移動できる砲座と考えた方がいいわ。
なんでもかんでもグデーリアンのまねしなくていいでしょ。
装甲ペラペラ、豆鉄砲の日本戦車だけ使う知波単高校もマゾだと思うけど……。
……それだけは知ってた。じっちゃんが教えてくれた。
日本戦車だけ、鉄のかんおけじゃなく「ブリキの棺桶」って言われてたって。
おまけに操向レバーが4本あるとか。阿修羅にでもなれとでも。
河西さん、よくやってるよ。本当に。
……自動車動かせればすぐに動かせるアメリカ戦車は、その点だけは立派だわ。
リーは「7人兄弟専用棺桶」だそうだけど。
でも、リーと似たようなレイアウトのルノーB1の75mmは、操縦手が撃つんだって。
おまけに徹甲弾がない。完全にあるだけ無駄だわ。
西住先輩が「多砲塔の中ではリーは使える方」って言った理由が、だんだんわかってきた。
どうせ行けないんだから、気にすんのやめた。
部屋からも出られない。
最近の麻疹は、予防接種もきかない。
麻疹のパンデミックなんて、しゃれにならない。
そんなわけで、今、僕の部屋には、つや消しオリーブ色で湯煎済みの「缶飯」が
ごろごろころがってる。おかずも。たくわんに至るまで緑缶。
いや、もちろん缶飯も湯煎したての方がおいしいです。
人類二人目の宇宙飛行士だったチトフさんは、孤独に耐える訓練として、白一色の無音室に
10日ぐらい、ひとりぼっちで缶詰といっしょに閉じ込められたって話だ。
そのとき彼も、僕のように缶詰全部湯煎したそうだ。
さいわい、僕のいる部屋は、Wi-Fiルーターがつながってて、タブレットで外の人と
やりとりすることはできる。
しょーがないから、SNSでも立ち上げるか。
僕は、好きな音楽についてしゃべってる(正確には書いてる)らしいチャット部屋に入った。
年配者らしい2人がやたらヒートアップしてる。
あは、いつのまにか絶滅危惧種その2の、ステレオの話してる。
その1は、車の走り屋。
「何がク○ルだ、何がマ-○レビ○ソ○だ、何がジェ○・ロ○ラ○ドだ。
PA業者が使うプロ用機材の足元にもおよばない、よくて二流品だ。
○○の屋外用38cmウーファーこそ本物だ。オモチャばかり聞いてるから
お前のように耳がイ・ビ・ツになるんだよ」
「ふざけろよ。PA用の安物機材なんざ、情報量も足りないわ、低音でないわ、
高音汚いわ、ステレオイメージできなくて、音像定位しないわ、音場感まったくなしだわ。
そういうの、モ・ノ・ラ・ルって言うんだよ。
ウ○スタン・エレ○トリックのような立派なもんじゃなく、ただの出来損ないだがな。
お前、腕がなくてハイエンド鳴らせないんだろ?」
なんか、両極端なジジイがケンカしてるだけのようにしか思えない。
全然建設的じゃない、本筋から離れたケンカはやめてもりたい。
僕は、わりこむことにした。
「機械に金かけるの、今どき愚の骨頂ですよ。
携帯プレーヤーやミニコンでも、音楽の良し悪しはわかります」
そのお返事は、
「何も知らない若造は、だまって俺の話だけ信じてろよ。俺の言うことだけを信じろ!」
「低レベルはすっこんでろ。お前には理解できない。俺とお前ではレベルがちがう!」
ええ、理解できません。音楽聞くのに5万以上かける人の気持ちなんて。
CDなんかPCのトレイにぶっ込んでリッピングして圧縮音源で聞いてればいいんです。
というより最初からストアで圧縮買えばいいんですよ。
「おい、坊や。放っておきな」
坊やって、僕のことかな?
「まああっしが、オーディオの話を振ったのが悪かったな」
「部屋の看板がおかしいですよ。あんな話してるなんて思いません」
「悪いな、あっしがホストだったんだけど、こんなありさまならもう抜けようと思ってね。
でも、この部屋には坊やのほかにも2人いるし、先に抜けさせようと思ってな」
「Akira。こんなとこでなにしてんの?」
Elle çaさんだった。
「変なところで会いましたね」
「おたがいこの日曜日に、こんなとこにいるなんてさー。寂しいねえ」
「僕は麻疹で伏せってるんです」
「――寄るな。伝染る!」
チャットでうつるわけないでしょ!
Elle çaさんはもうひとりのHit Me!さん(なんというHNなんだろう)とつるんでいたけど、
ホストのかいざーさんが出て行くというので、先に出ようとしていたようだ。
「PAじじいの方は論外だが、もうひとりのハイエンドも極論だわな。でもな、ミニコンでも
PCのアクティブスピーカーでもそうだが、無造作に置くんじゃねえよ。
スピーカーが離せるなら、2mぐらいは離して、向きも内ぶりにしたりして
スピーカーから音が出ていねえように聞こえるところを探すんだな」
ああ、「スピーカーが消える」ってやつですか。
僕にとっては正直どうでもいいです。オデオなんて前世紀の趣味は。
もう抜けます。さようならお爺さん方。
「お先に失礼します」
Akiraさんは、退室しました。
「せめて紳士的に振る舞ってください」
Elle çaさんは、退室しました。
「そんじゃ、がんばってください」
Hit Me!さんは、退室しました。
「じゃあな。暇人ども」
かいざーさんは、退室しました。
どなたがホストになりますか?
「これもなにかの縁だから、しばらくつきあいなよ」ということで、僕はいまElle çaさんが
立てて、ロックを掛けたチャット部屋に3人で「いる」。
「病気で伏せっているなら、暇で暇でしょうがないでしょ」
「本当にそうですね。勉強ぐらいしかすることがなくて、あとは部屋から出られないから
缶飯食べまくってます」
「缶飯、ってなに? なんかの缶詰?」
これはHit Me!さん。普通の人は知らないよね。
「本当は『戦闘糧食 I型』っていいますけど。陸上自衛隊の官給品です。
演習場や、考えたくないけど戦場でのごはんです。缶は戦場色ですよ。
炊き込みごはんみたいなものもあって、そうですね分量は1缶で2合。
β化、つまり昔の干飯状態なので、かならず湯煎してから食べます」
「うわっ、デリカシーのない食事だねおい」
「戦闘糧食Ⅱ型っていう、レトルトのレーションもあるんですけど、LAPES、まあ飛行機から
落としたとき破けるんで、缶飯も廃れてないんです」
「Akira。普通、缶飯は出回ってないでしょ。」
「ええ、でも消費期限が3年なんで、補給処で切れそうなのをくれることもありますです。
僕の場合は『とある助教殿』が『陣中見舞い』に廃棄が決まった品をくれました」
「でもAkiraくん。一度に2合飯、平らげたりしないよな」
「え? 2缶ぐらい食べますよ。15歳ですし。あとおかずも、たくあんも」
「Akiraって、花も恥じらう女子高生なんだよねー」
「あー。Elle ça、てめーここでは個人情報NGだろ。」
「ホントはねー、Akiraがどこに通う何者かも知ってるよ」
まあ、戦った相手がダージリンさんと知った時点で、連盟の会報見ればわかりますわな。
「でも、女子高生が大食漢って、世の男どもが幻滅するぞ」
「Hit Me!さん。男がいないところでは男以上に食べますよ。女子高生って。
うちはなぜかそれなりに整理整頓が行き届いてますけど、女子校の現状って
野郎にはとても見せられないものらしいですね。男子寮とかわんないそうで」
「うわ、聞かなきゃよかった。でもみんな、スタイルとか気にしないの?」
「うちはなぜか、どすこいな人いませんね。僕に至っては体脂肪率8%」
「おいおいw」
「Akiraぁ~。女でそれじゃある意味終わってるじゃん」
そーですよね。水に潜ったら沈んだまま浮かんでこない女性なんて、ありえないよね。
「いや、僕の先輩で、とても清楚なお嬢様な方なんですが、1回の食事が2kgって人がいます」
「なんだよそのギガイーター!」
「すげー傑作ね。ここじゃなかったら写メ送って欲しいくらい」
メアド教え会うとどっかでトラブるので、ここではメアド交換は禁止。
やったらアカウントロックされちゃう。
「ふーん。じゃ実家からでて、寮住まいなんだ」
「いや、僕だけ下宿してます。その家主が……」
ついつい自慢したくなるね。ガキのころのヒーローたちだから。
「サインもらってくれ! といってももらえないな。残念だ」
「あらかじめ打ち合わせして、どこかの交番にでも拾得物といって届けてもらって
あんたが持ち主だと言って引き取りにいったら?」
なんか、Elle çaさんは悪知恵がまわりそうなタイプだな。
「いや、おまわり苦手だからやめとく。それに地元がばれる」
「そもそもその地元が離れてたらどーすんのよ」
セルフ突っ込みですか……。
もう、対マジノ戦は終わったのかな。そんな時間だね。
雲行きがだいぶおかしくなっている。
いまにも、雨が降ってきそうな空。
黒い雲が、町並みに陰鬱な影を投げかける。
そうだなあ。あの日も、雨に打たれながら帰ってきたっけ。
急に天気が悪くなって、あっというまにどしゃ降りだったね。
「天気が悪くなってきたな。空が暗くなってきた」
「そう? こっちは雨が上がって、晴れてきたわ」
Hit Me!さんは、わりと近いところに住んでいるのかもしれない。
Elle çaさんは、茨城から遠いのかな。
雲の色は、どんどんどす黒く変化していく。
これは本降りだよね。
「でも、お互い浮いた話のひとつもないとは悲しいなあ」
「しょーがないわよ。私は彼氏いない歴、生まれてからだから」
僕が外を気にしていた間に、そういう会話がされてたみたいだ。Elle çaさん……。
もしかしたら、戦車やっている人は男性が近寄ってこないのかな。
今の時代は女性の売り手市場なのにね。
恋に恋しているもーやだ先輩は、どうなっちゃうんだろう。
Elle çaさんがネカマかもしれないという考えは、最初から排除してる。
だって僕は速攻で見抜くから。
それにElle çaさんが歴戦の戦車乗りなのは、よく知っている。
それとは別に、嫌な思い出が出てきてしまった。
別にトラウマと言うほどひどくはないけど、いろいろと達観するきっかけになった経験。
「あの、僕、抜けてもいいですか?」
「ん? なんか用でもできたのか?」
「ふふ、彼氏からメールでも来たの?」
Elle çaさんは冗談で言ってるんだろうけど、やめてほしかった。
「……いえ、逆です。去年ふられた思い出がフラッシュバックしたんで」
「――ちょっと、自分抜けるわ。Elle ça、またあとでな。
Akiraちゃんも、これからよろしくな。じゃあな」
空気が微妙になったのを見て取ったHit Me!さんが退室した。
「まあ、病気で伏せってるんじゃ、悪いことしか考えないわよね」
「もう3日も誰にも会えずにいますから」
マジノ艦から、戦車出庫注意という放送が流れている。
どうやら、本降りになる前に全部終わったらしい。
よかった……。
でも、Elle çaさんは、僕の身元やらなにやら知ってるみたいなことレスしてたけど、
気になるわ……。
「Elle çaさん。僕がどこの何者か知っているって書かれましたけど、
どのレベルまでご存じですか?」
「……君が性別越境者だということまで」
――!!
どういうこと?
いや、もしかしたら……。
「Elle çaさんは、もしかしたら、戦車道連盟本部に近い位置にいる重鎮の方ですか?」
「本部の人間ではないけどね。近いと言えば近いかも。
でね、去年、そっちの生徒会長がかけた照会をめぐって、本部は百家争鳴状態になったの。
顧問弁護士団まで、二派に分かれて喧々がくがく。
しかたないので、連盟本部は関係識者に、意見聴取を行ったのね」
大統領も、すんなり決まったとは言ってなかった。
おそらく大統領は、僕を受け入れることを決めたあとも、うまくいくように手を打っていたん
だろう。たとえば体育を受けさせないで済むようにとか。
それがたまたま、戦車道授業の再起動と同時だった。
「法曹なのに、性的マイノリティに全く理解のないのまでいてね。
性同一性障害という言葉さえ知らないのが、連盟内部にはうじゃうじゃいたの。
私のグループはアグレッシブなんだけど、その分リベラリストでね、
男が女のなりをして戦車に乗るのが気持ち悪い。という感情論や、公序良俗違反を言い立てる
無理解な弁護士相手に、君の権利を擁護することにしたの。
あ、弁護士も万能じゃないよ。たいてい得意分野を持っているけど、それ以外は民事法と
刑事法しかわからないってのいっぱいいるよ」
公の秩序と善良の風俗。まるで僕が社会の敵みたいだ。
「この問題が起こることを、私らはすでに想定していたの。
だから解答も用意してた。
自然人の性別も、公序良俗遵守も、法源は民法典。
だったら、その上位を行く規定があればいい。
特別法は一般法に優先する。という法学のイロハのイの字をぶつけてやったら
保守的な顧問弁護士どもは、ぐうの音も出なかったわ。
それでも、例の『屈強な~』を持ち出すのがいたから、
じゃあ、若手はみんな戦車から降りないと、といってやったわ。
履帯交換までできる戦車道選手は、たいていそこらの男より屈強だからね」
ああ、そうか。
その伝で行けば、角谷会長だってかなり屈強、というより怪力だ。
戦車道本流の西住先輩だって、100kgベンチプレスを平気でやる。
「趣旨は何なのかを考えれば、おのずと答えはでるよね。
女性が戦争の決定の外にいるのに、被害だけ受けるのはもういやだということ。
そのためには、機甲戦力を乗っ取ってしまえばいい。
そういう立場から考えれば、GID当事者は『男ではない人間』と考えてもいいんだよね。
男でないのなら、戦車に乗っていい。そしてこれは応用が利くわ。
器質的な障害を持っている人物なら、適用できる」
言いたいことはよくわかる。というか、すなおに感服した。
なるほど、装甲だけに着眼するなら、民生品が関係ない。
飛行機を女性のものだけにしようとしたら、無理がありすぎる。
軍用機より民間機の方が圧倒的に多いし、趣味で乗る人もいる。
第一、戦争「にも」使えるというだけの話でしかない。
戦車は、戦争「にしか」使えない。だから乗っ取って問題ないどころか効果的だ。
ついでに女性が民間でスポーツや格闘に使えば、自然と「女だけのもの」になる。
戦車とは無関係なところで知り合った人が、意外なところで僕の運命にかかわってたなんて。
それはそれとして、知ってたならあれはひどいや。
「まあ。その人物と君が一致したのは、聖グロ戦のあとだけどね」
「……でも、ひどいですよ。知ってて彼氏からメールとかレスしたんですね」
「ああ、あれはね、いたらいいね。って思っただけ。
だから、ふられたっていうのが、普通の女の人がふられたのより手酷いことに
なったんじゃないか。と気がついて後悔したわ」
「ある意味、そのとおりです……」
そう、「ある意味」では。
「……本当にごめんね。じゃあ私もログアウトするから」
「あの、……つまんない話ですみませんが、時間がおありならおつきあいくださいますか?
このままふて寝しても、缶飯がまずくなりそうですから」
なんでこんなことを復習して、他人に伝える気になったんだろうか。
でも、おあつらえ向きに、盛大に雨が降ってきた。
窓に打ちつける雨粒が、外の景色をぼやかせ、空はまだ昼間なのに暗い。
ひとりでいても、リフレインしたような気がする。
秘密を共有する相手を見つけたからかもしれない。
「去年の秋でした。
僕はもうGID当事者だってことがわかって、自分でも割り切った。というか、
堂々と女装して歩いていました。学校ではブレザーネクタイにズボンでしたけど……」
いやもう、その時、何が一番いやって、体育の着替えがいやだった。
自分は「女」なのに、着替え風景を男子に見られるという、自意識的には辱め。
わかったから、かえってつらくなったこと。
学校は理解を示してくれないばかりか、対応できないから、そのまま男子としてふるまえ。
って一点張りだった。
それも、大洗に入るまでの辛抱とこらえていた。
でも、どんどんストレスはたまる一方だった。
男子からも女子からも理解されない妖怪変化が僕だった。
そんなある日、僕はある高校の文化祭に出向いた。気晴らしもあったけど、
女子校に進むということにまだ抵抗があったからか、共学校も見てみたかった。
それもあったけど、駅前で夜にゲリラライブやってるバンドが、この学校の生徒って聞いて
生演が聞けるかもしれないと思ったのが一番の動機だった。
僕は進学塾の帰りに、生演奏を聴くことで、やるせなさを軽くしていたんだろう。
リードギターがかっこいいな。と思ってた。
この人が演奏している姿を見るのだけが楽しみだった。と思う。
「……つまり、一種の追っかけだったと」
「そこまで本格的ではなかったですけどね。高くて買えない服だけど
どうしても欲しいのがあると、ずっとウインドウをながめていることがあったり、
売れちゃうとガッカリしたり。それに近かったかなあと」
学祭の特設会場になっていた体育館で、やはり彼らもライブをやった。
日々の暮らしがかなり重荷になって、うつ状態だった僕は……。
……だんだん泣けてきた。
最後のアンコールでは、まわりがいぶかしがるほどの号泣状態だった。最前列で。
帰ろうとした僕を、バンドのメンバーが呼び止めた。
リードギターの彼もいた。
どうしてそんなに泣いていたのか聞かれ、もう感情が爆発してしまった。と答えると、
彼らの方が感激していた。
ライブのある晩になると、必ず定位置のベンチに腰掛けて聞き入っている「女の子」のことは
彼らも承知していた。
そして、この日の「打ち上げ」に、僕を誘ってくれた。
久しぶりに、本当に楽しかった。
人の輪の中でくったくのないおしゃべりしたのは、いつ以来だったろうか。
で、お酒がはいってるわけでもないのに、ハイになっちゃった僕は、リードギターさんに、
「すっごくあこがれてますっ!」とかいっちゃった。顔真っ赤にして。
なぜか、彼もそれはそれは喜んでくれた。
いろいろと補正が入って、女装のヌエだとわからなかったんだろう。
「ふーん。勢いで告っちゃったってことね」
「お恥ずかしながら。すごくあこがれていたのはたしかです。そのときの同級生女子も
彼のことは、よくうわさしてました」
そして僕は彼ら、というより、彼と行動をともにするようになった。
彼といっしょにいれば、日常の憂さも、全部晴れた。
手をつなぐところまでも、いかなかったけど。
でも、そんな日々も、突然終わりを告げた。
「ある日の放課後、クラスの女子たちに裏に呼び出されましてね。彼と別れてくれと」
そう、その中のひとりが、彼の熱心なファン。というより彼に思いを寄せていた。
「別れないというなら、あんたが男だってばらすから」って。
僕の中で……また絶望がこみあげてきた。
激しく僕を責め立てる彼女たちの罵声を聞きながら、僕は考えた。
「彼」は、僕の正体を知ったらどう思うだろうと。
ポイントオブノーリターンに行ってしまう前に、正直にすべてを明かして、
それでも僕を受け入れるか見なきゃいけないと。
度し難いことに、僕はこのとき、可能性は半々だと信じてた……。
だって、彼と、今度の休みに、二人で会わないかと誘われていたから。
僕は、半分は希望を持つため、半分は信義にもとることのないためにこう言うしかなかった。
「今度、彼と二人で会う。その時、僕からすべてを話す。その結果を見届けてくれないか」と。
「追いつめられたわけね……」
「……ええ。それでも彼はわかってくれるという気持ちと、
決着は自分でつけなきゃという気持ちの両方でした。
流れにまかせておいた方がよかったかもしれませんが」
お前に話したいことがある。という彼をさしおいて、
僕はすべてを告白した……。
彼の顔が、何かとてつもなくおぞましいものをみたような表情を浮かべる。
僕は「それでもつきあって」という言葉を飲み込んだ。
それしかなかった。何かが終わって、あらたな悲しみが増えたのを感じた。
すごく苦しくなった。息もできないような苦しみ。
「だましたのか!」
それが彼のことばだった。彼は最後にこう言った。
「寄るな。気持ち悪い」
僕は彼に背を向けて、とぼとぼと歩き出した。
雲行きはずっと怪しかったけど、なぜかあっというまに空が暗くなり、
雨が降り出した。
僕は、そんなこともおかまいなしに、何かの抜け殻のように歩き続ける。
雨はやがてどしゃ降りになり、僕は下着までずぶ濡れになったけど、
なんかもうそんなことさえ、どうでも良くなっていた……。
「そのあとでしたね。彼がくだんの彼女と腕を組んでデートしてたのを見ました。
すごく悲しくてねたましかったけど、僕がこうなって、二人が幸せなのが
あるべき姿なのだから、あれでよかったのだと……」
「そんなにおとなにならなくていいと思うよ。まだ胸が痛むんでしょ?」
「いや……。なんて言いますか、その程度の男だったのかって幻滅したというのもありました。
ただ、『気持ち悪い』は正直こたえました。自分はやっぱり妖怪だと。
……いまでもそれは引きずってます。だから大洗女子のみんなには、ああ、会長だけは知って
ますけど、正体を知られたくないです。知られたら、おしまいでしょうね。
3年間だけの、モラトリアムです。
そのあいだに、社会と折り合いをつけられるようにならないといけません」
Elle çaさんは、しばらくレスの手を止めた。
いくら人生経験があったって、即答できる問題じゃないだろう。
ややあって、画面がElle çaさんのレスを表示する。
「たしかに、君のことを理解できる人ってそんなにいないかもしれないけど、
でも、希望は捨ててほしくないな。
星の数よりずっと少ないけど、この地上には君があったことのない男と女が
まだいっぱいいるから」
「男と女。ですか?」
「だっていまの君は、どっちでもあってどっちでもないじゃん。
間口をせまくする必要はないと思うよ」
「ちょっとまってください。僕が女性に惚れたら、普通の男じゃないですか。
ありえません」
「わかんないわよ。君はTだけど、同時にLとかBである可能性だってあるんだから。
それに日本人って、デフォルトではバイセクだったって知ってた?」
「いや、衆道趣味のひとがけっこういたのは知ってますが」
「水戸光圀公がね、政治の場で、すっごい意味深なこといってるのよ。
まわりもそれで納得したみたいだから、ある意味バイセクは当たり前だったらしいわね。
明治になって、欧米からキリスト教的社会倫理が輸入されるまで、
この国はそういういこと全般におおらかだったのよ。素っ裸で銭湯行くとか。
いなかいくと、ちょっと正視できない神像がごろごろしてるし、そーゆー祭りもあるし」
あはははは。このひと本当はどういう人なんだろう。
すっごくあけすけ。
「でも、いまのところ、僕は女性を同性としか見られませんし、それに僕がバイセクだったら」「だったら?」
「生徒会長にたたき出されます!」
これだけは間違いないし、そうなら僕もここにいる理由がない。もはや犯罪者。
「でもさー。君の写真見てたら、あぶない趣味に走る人の気持ちがわかるよーな気がするわ。
逆に君、危険があぶないかも。まわりが女の子だらけということで、むしろ。
その点は自信持っていいよ」
気休めだろうねー。自分では絶対そうは思えない。
別にゴリラみたいな体格してるわけじゃないけど。
……ちょっとまって。写真? なにそれ。
「――写真って、何ですか?」
「あれ? 知らないの。アップローダーにいっぱいのってるよ。エゴサしたことないの?」
「どーせろくでもない結果になるから、絶対やりません。
というか、全部消してっていいたいです」
「絶対むりだね。だって君が学校にいる写真からしてアップされてるから。
どーしてそんなにモテるかなー」
ああ神様。僕が何をしたっていうんですか?
数日後、病気も癒えた僕は、隔離で缶詰食べる生活からやっと解放された。
あーやれやれだ。
しかし、あらたな嵐は、もうそこまでやってきていた。
6月半場。僕は生徒会室に呼ばれた。
そこには、会長は当然だけど、西住先輩もいた。
そして、会長はメガトン級の爆弾を抱えていた。
「いやね、今年の第63回戦車道全国高校生大会にエントリーを申し込んだんだ」
は? あれは本気だったんですか。
てっきり、単なる景気づけだとばかり。
「全国大会は、必ず16校で行われる」
「はあ、そうですか」
そういえば、エントリーを申し込んだ? なんか変だわ。
「15校は、指定席だ。
戦前から戦車道やってるパイオニアの黒森峰と知波単は当然。
列強というべき聖グロ、サンダース附属、プラウダも参加指定。
試合巧者の継続高校以下、戦車道の歴史が数十年にわたる伝統校、
これで毎回15校は決まってしまう。で、最後の1校だけど。西住ちゃん」
西住先輩の方に話が振られた。ここからが問題なんだろう。
こんどは西住先輩が口を開く。
「のこりの1校については、希望する高校同士の話し合いで決めるのが慣例です。
それで会長はエントリーを申し込んだ、といいました。
話し合いが決裂すれば、16校目の参加はどこも認められず、黒森峰がシードになります。
しかし、普通はどこか1校がでることになって終わります。
ですが今年は、問題が起きました」
会長の顔のモードが変わった。
僕は毎度のことなので見慣れてるけど……あれ? 西住先輩までモードが変化してる。
しかもこのパターンは……。
「山本。お前ちょっと着替えろ。
もうすぐここにその問題の元凶がやってくる。
たぶん対応できるのは、私と、西住ちゃんと、お前だけだ」