僕とじっちゃん、それに無理矢理くっついてきた蝶野教官は、統合幕僚総監部総務部長、
陸将補、山本明。つまり僕の父の用件にかこつけて市ヶ谷の防衛省、市ヶ谷地区にきていた。
じっちゃんは父が買う予定の古式銃の鑑定に、僕は嫌がらせに、蝶野さんは口論しに。
そして口論たけなわ、銃の鑑定も終わったタイミングで、父の従卒役の隊員さんが、
「正門の脇で機甲科員と民間人がもめている」と知らせに来た。
警務隊(警察権限を持つ自衛官)を向かわせろという父をさえぎっって、機甲科の最精鋭、
戦車教導団の蝶野一尉は同僚を憲兵に渡すまいと、部屋を飛び出して行ってしまった。
後を追う父。グダグダな展開が目に見えるので、僕とじっちゃんもそのあとを追った。
僕たちが正門脇についたとき。
そこでは、蝶野一尉が機甲科女性兵3人をおしとどめ、父が、大学生とおばしき男性3人を
無言でにらみすえていた。
彼らはのぼり旗をかかげ、ここで署名運動をやっていた。ようだ。
その内容というのは……。
『男にも戦車道の門戸を開け! ヨム・キプルの悲劇を忘れるな』
のぼり旗にかいてあることそのままを、よりによってこんなところでやろうとしたらしい。
場所は一応公道で、所轄から道路使用許可ももらっているという。
ヨム・キプル=第四次中東戦争の悲劇というのは、イスラエルの機甲師団側から見た話をして
いるのだろう。
1973年10月6日。アラブ連合は突如としてゴラン高原とシナイ半島の二正面から
イスラエルに攻め込んだ。
シナイ半島の侵攻部隊は、当然エジプト軍が主力だったが、彼らは皆歩兵で、小型舟艇で
スエズ運河を渡って、岸に布陣した。
イスラエル軍は総動員も終わっておらず、とくに空軍のエアカバーが期待できない状態で、
この両方面のアラブ軍を迎え撃った。
シナイ半島には3個機甲旅団が送られ、そこで悲劇は起きた。
歩兵しか居ないことを知ったイスラエルの機甲部隊は、多数の戦車で蹂躙すれば、
練度の低いエジプト歩兵など簡単に追いかえせると確信していた。しかし……。
エジプト歩兵たちは、彼女たちが知らない新兵器を持ってきていた。
旅行用トランクぐらいのケースに収容できる9M14 マリュートカ(西側呼称:AT-3サガー)、
対戦車ミサイルだった。
このミサイルやRPG-7などの対戦車無反動砲などの飽和攻撃によって、3個機甲旅団の
女性戦車兵たちは何が起きたのかさえ理解できぬうちに、戦車の中でほぼ全員が焼き殺された。
重傷を負いながらも生き残ったわずかな戦車兵は、「敵陣からなにかイナゴのようなものが、無数に飛び立つのが見えた。それが私が戦場で見た最後の光景だった」という。
多くの女性戦車兵が、その生涯の最期に見たものも、また同じだったにちがいない。
次いで送り込まれた2個予備機甲師団も、エジプト軍が構築した対戦車兵器の火線網に
とらわれて、壊滅、逃亡することになる。
それまで成形炸薬弾は、歩兵が戦車に対抗しうるほぼ唯一の手段だったが、それが誘導され
長い飛距離を持ち、携帯可能なミサイルと組み合わさったときに、だれも予想しえなかった
威力をもつに至ったのだ。
いいたいことはわからないでもないが、成形炸薬弾をほとんど無効化する複合装甲が
実用化された今となっては、的外れすぎる言いぐさだ。
まして、一朝ことあれば命を的にする歩兵自身が言うのならともかく、戦場のせの字も
知らないお気楽そうな大学生が自衛官に呼びかけても、無視されるか、
このように機甲科の怒りを買うだけだ。
「なんだかんだいってお前らは、ただ戦車の中で女とくっつきたいだけだろうが!」
そう言われても仕方ないだろう。僕にも下心しか見えない。
「そんなことはない。僕らは戦うのは男だけで十分だと言っているんだ」
本当にそう思ってるの? それも説得力ないね。
むしろそれなら戦車という「戦場の怪物」を、なくすよう努力すればいいだろう。
彼らのビラには、いかにも自分たちは愛国者で、自衛隊が強くなることを願っています的な、
「美辞麗句」が書かれているけど、自ら戦場に立たず、災害現場にもこない。どっかの大学で
キャンパスライフを謳歌(しているとまではいえなくて不満も抱えていそうだけど)している
連中が、そんなこと言ってくれても、何もありがたくない。
最初は民間人に浪籍を働く不届き千万な機甲科をとっちめてやろうと思っていた父も、
怒りの方向が逆を向いてしまったらしい。鬼の形相で男たちをにらみつけてる。
しかし、僕にとっては、だからといって一概に否定できるわけでもない。
好きな相手に決して認めてもらえないのは、理屈抜きでつらいのだけはわかる。
僕とじっちゃんは顔を見あわせた。
じっちゃんはじっちゃんで、思うところがあるようだ。
じっちゃんは、現役だったころのように背筋を伸ばすと、ふだんの好々爺が姿を消し、
威儀をだたして、蝶野一尉に向き直る。
「蝶野一等陸尉。機甲科3名に現配置につけと命じろ。直ちにだ」
有無を言わさぬ、重々しい口調だった。こんなじっちゃんは見たことがない。
そして、父、蝶野一尉、民間人3人と僕には「つきあえ。外で話そう」といった。
防衛省の隣にあるホテルのラウンジで、僕とじっちゃん、そして件の3人が向かい合っている
ところに、メガネをかけた背広姿の父と、持参した私服に着替えた蝶野さんがやってきた。
父は、律儀に背広のポケットに身分証兼用の名札をさげている。
じっちゃんは目で「お前が何か言え」と、僕に合図する。
「もう大人の方とおみうけしますが、ずいぶん無謀なことをなさいますね。
ここであのようなことをなさっても、理解が得られるとは思いません。
いいたいことは、日本戦車道連盟にいうべきでは?」
3人の真ん中にいた男が、鼻を鳴らし、横を向き、ふてくされている。
なんだこの生意気なガキは。といわんばかりだ。
「なんだよ。お前に何がわかるんだ。
とっくに陳情もした。責任者に面会を求めたら、警察よばれて厳重注意だ。
門前でビラまきやったら、迷惑行為防止条例違反だとさ。
警察も連盟の言うなりだ」
左に座る神経質そうな男が、つけくわえる。
「西住流本部と島田流本部に、内容証明付きの質問状も送った。
西住流は、受け取り不可と返送してきた。
島田流からは、また同じ事をやったら、貴君らの大学事務局に通報せざるを得ない。
という、ありがたい『警告文』をいただいたよ」
右にいる、妙に白目の目立つ男が、こうのたまった。
「だから男が戦車に乗ることのどこが悪いんだよ。わかるように説明してみ」
じゃあ、しょうがない。神父の格好をした女性の機関員か、南米の麻薬カルテルをつぶした
レンジャーの隊長みたいに、こういうしかないんだよね。僕としては。
「EVERYTHING! 全部です」
あきれてものが言えないとはこのことだ。
本当なら彼らと同じ立場の僕が、彼らを否定するようなことを言う。
でも、この人たちよりミヤタケ先生の方がよほどマシじゃないか。とも思っている。
少なくとも彼は、自分を正当化しようとはしなかった。
そして、僕も情けないことに、偽善をはたらいている。
だって彼らの思考は、道義や倫理観ぬかしても、まるっきり間違ってるんだから。
「説明になっていないだろ」
「では、単なる事実にすぎないことを、どう説明しろとおっしゃるのですか」
1945年当時なら、説明して理解してもらわなければならないだろう。
でも現在では、歴史の授業でさえ、歴史的事実としか教えないことだ。
「むしろ、あなたたちの方に説明責任があると思います。
なぜ、男が戦車道をやるべきかという理由について。
そうでしょう? あなたがたはすべての温泉を混浴にしろといっているに等しいのですから」
これはまあ、後付けってやつだね。
戦車が女性専用になったときから、そうなるのは必然ね。
女子校に男が入学できないのと同じ。
禁止されているわけじゃないけど、常識でわかるでしょ。
……そんなこと、リアルあしゅら男爵に説明させないでほしいけど。
それに僕は、男湯には入りたくないし、女湯には入れないんだから。
ただ、常識も人それぞれ。俺たちはヌーディストだといわれたらどうしよう(笑)。
「我々には、そのようなやましい動機はない」
やましいんですか?
立派な動機だと思いますけど。
常識自体がおかしいんだと主張することは。
「ならあなたがたは、女性はみんな戦車を降りろというべきでしょうね。
かわりに俺たちが乗るからって。
女性を悲惨な死から守るのが、男の本分だというのなら。そうでしょう?」
はい。チェックです。王手です。囲碁でいうなら「しちょう」です。
「いや、いきなりすべての戦車兵を男にするのは無理だから、段階を踏んでだね……」
「もう結論は出ている。男が装甲に守られないことは人権侵害にならないってな。
自衛隊違憲訴訟と違って、この件で最高裁が判断を翻すことはまずないな。
回教を国教としない、主権在民主義のこの国を、男尊女卑に戻すことはできないぞ」
蝶野さんがなにか言いたそうにしているので、父が代わりに言っている。
女性である蝶野さんがそれいったら、荒れるだけだから。
自衛官も公務員だから、憲法遵守義務はある。憲法をどう思ってるかは別にして。
「我々は自衛隊を強くしたいだけだ。
男の方が、戦車をより強力に扱える。
男が加わることで、さらに強い戦車隊になる。
屈強な男は装甲に守られてはならないなんて、建前守る意味などないじゃないか?」
「だったらあなた。僕とアームレスリングやってみませんか?」
建前並べてるのは、あなたたちでしょ。
ならば、僕が腕相撲やったって、かまわないってことよね。
……ふう。
体育会のひとでも連れてくればいいのに。
手首返せないんじゃ、その時点で負け確定よね。
でもね、うちの学校には、僕が腕相撲で勝てない女の人が、最低でも2人いるんですからね。
別にずるはしてませんよ。
「僕は高校戦車道のローダーです。120mm砲弾でも最初の1分なら、7発はいけます」
でも、どこかの学校では、高校生が152mmを平気であつかっていると聞いている。
その戦車は乗員が多いうえに狭いから、背の低い生徒がクルーをつとめているらしい。
「ですから、男性に心配していただく必要は全くないです。
ああ、僕は戦車道歴3か月です」
僕はにっこりほほえんで、真っ黒なことを言う。
不作為のペテンはしていると思うけど、うそはついていない。
父が、別の意味で腹を立てているのがわかる。でも何も言えないでしょ。
僕が彼らの肩を持ったら、それこそ信義に背き、不誠実な人間になる。
『しげきどぶ』のしの字は、『至誠にもとるなかりしか』だからね。
もちろん言行に恥じるところなどない。僕は現代医学的には女なのは間違いないから。
そとから、平和団体か学生なのかわからないけど『HEIWAの鐘』のコーラスが聞こえる。
彼らがそれを聴いて、いまいましそうに吐き捨てる。
「ふん、お花畑が」
「仮想敵国を脅かすことなくして、平和もへったくれもあるかよ!」
「自分たちこそ愚かだと言うことが、全くわかっていない」
人は人の考え方だ。
でも、その口で「男には負けるとわかってても戦わなければならないときがある」というのは
全くの言行不一致だよね。
脅かしても、相手が引っこむとかぎらないって、自分で証明するのだから。
僕は女だから、男からみたら意地が悪いんだろうなあ。
「脅かすって、具体的にはどうやってですか?」
だって、別に力を見せなくたって、脅す方法ならいくらでもあるから。
「当然強くなることだ、そして遠慮なくその力を行使する意志を示すことだ」
「そのとおり。戦争とは軍事力を持ってする政治の一形態だ」
うーん。それだけでおびえてくれれば、こんな楽なことはない。
日本みたいに警察が強い国なら、犯罪者はいなくなっているだろう。
むしろ、クラウゼヴィッツは、限定戦争ならじゃんじゃんやれって言ってるようなものだ。
だいたい、いまはナポレオンの時代じゃない。
「じゃあ、今のこの国は強くないし、なめられているから、そのうち攻められると?」
「そうじゃないか。この国の憲法は交戦権を否定し、戦力不保持を定めているのだからな」
あれ、そうでしたっけ? 第9条って、僕と同じでヌエですよ。
こうなることがわかってたから、じっちゃんは純然たる民間人の僕に話せと言ったんだ。
内心の思想はともかく、公務員たるものが政治を論じるのは禁則事項だから。
「平和条項がなくなったって、この国どころか、どの国だって国際法上、自分から戦争を
しかけることはできませんよ。
それに、第2項は戦力不保持なんか、定めていません」
彼らはぽかんとした。
そんなことは小学校でさえ習うだろうと。
「バカを言うな。陸海空軍その他の戦力は……」
「第2項って『前項の目的を達するため』からはじまってますよね。
第1項の『目的』ってなんでしょう?」
これがいまだに議論の的になっている『芦田修正』というもの。
そもそもの『GHQ草案』には、この文言はなかった。
当時の憲法委員会にいた政治家、芦田均が加えたセンテンスだ。
「それは、『国際平和を誠実に希求し』……」
「それが目的なら、陸海空軍その他の戦力の不保持では、達成できないことになります。
『目的のため』ではなく『達成するため』ですから、手段に見あった『目的』が
なければおかしいですよね。
その文節を加えた芦田均は、制定時には目的とは平和の希求と言っていました。
しかし、のちになって、『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』に
係るのだと明言し、新聞に載せました」
もちろん、僕も二枚舌なのだと思う。これは呪いなんだ。
「つまり、国権の発動や国際紛争の解決の手段としての武力行使に使うものではない『戦力』
であれば、この限りでない。そういうことです」
父もじっちゃんも蝶野さんも「やれやれ」という顔をしている。
僕が開けて見せたのは、パンドラの箱だ。
「そして、これは誰も幸せにしない呪いそのものです。
この修正を、立案者の言うとおり解釈した場合。この条項をなくしたい者に対しては、
国際法上禁止されている先制宣戦布告に使用しない、防衛のための軍備であれば、
まあ、核とか存在すること自体が脅威であるものは除いてですが、持つことができるだろ。
という論拠になってしまいますし、非武装護憲論者には、憲法が武装を認めているぞ。という
論拠になります。だから、この修正をどっちの側も認めることができないのです。
書き加えた本人がはっきり明言しているのに。おもしろいですよね。
つまり第9条はヌエとなり、おそらくはこの国のあるべき姿を達成したのです。
ちゃんと武装をさせつつ、なおかつ革命も戦争もさせない現状維持という大人の対応をです」
「どこが大人だ。ただの言行不一致じゃないかよ」
「それこそ恥ずべき建前じゃないか。きれいごとだ。非常識な現状を糊塗するためのな。
きれいさっぱりなくして、れっきとした国防軍を樹立した方が、
よほど国際社会で名誉ある地位につけるだろう。この国の実力に見あった」
それが自分たちに対するブーメランになってることに気がついていない。
どこまでお花畑なんだろうか。この「大人」たちは。
みんな、あなたたちが「建前」で「本音」を糊塗していると思ってる。
だから、仲間も増えない。
「じゃあ、太平洋戦争。いや、いまでは防衛省でも大東亜……」
「玲。もういい……」
僕をさえぎったのはじっちゃんだった。
「どうして皆、自分の苦手なことにこだわるんじゃろうかのう。
苦手なことで他人に負けても恥でも何でもないし、
ましてそれに劣等感を感じる必要は、ないと思うがな。
……のう。君たち、そんなに女づきあいは苦手か?」
それは僕だって、わかってて言わなかったことだ。
あえて自語相違をさせて、自分からいわせるよう仕向けたかったんだけど。
年寄りは短気だ。……いや、これはちがう。怒ってるんだ。じっちゃんは。
「玲よ。議論のための議論なんか、まったく無意味じゃよ。もう仕舞いにしよう」
「俺たちはそんなつもりで……」
「――黙れ、若造」
大声ではないけど、まるで、地獄の底から聞こえてくるような声だ。
じっちゃんがもうはっきりと怒気をまとってる。
彼らは、あまりにも建前で小細工を労しすぎた。
じっちゃんは、たぶんこういう若者が嫌いなんだろうな。
「実際、お前らが戦車に乗るより、この玲が戦車に乗る方がずっと役に立つ。
そうやって何回建前をひっぺがされれば気が済むんだ。もう建前はやめろ。
そしてさっさと俺の質問に答えろ。苦手か? それとも得意なのか?」
「……」
「今度はダンマリか。その程度のこともすぐに答えられんのか?」
低くて抑制の効いたドスのきいた声には、有無をいわせないなにかがある。
そうだね、じっちゃんはこの人らの年頃から還暦過ぎまで、7G8Gに平気で耐えてきた。
格が違うよ。
「苦手なんだろう。本当は」
「……は、はい……」
「だから自分たちにも女性と接する機会をください。だろ?
なぜ、それが言えない?」
「……」
「はっきり言え。聞こえんぞ」
それでは、通らないから。誰もはじめから相手してくれないから。
でもこの世界で、厚い鉄板に守られて戦う男は卑怯者。というテーゼを相克できる理屈なんて
一部の信教の自由のない国の「女は主婦と子育てだけが、神の定めた役割である」という
男尊女卑の女性差別観だけだろうね。
当然むさ苦しい男だけで戦車に乗ることになる。男女共学戦車道なんてどこでも無理なんだ。
とくにこの国では、その女が承知しないから。
歳がいくつになっても、バツがいくつついても、恋愛と結婚相手に不自由しないこのご時世で、
四十路で初産が珍しくないこの国で、わざわざ女の園に男を混ぜてやる動機がない。
むしろ男を乗せるなら「高学歴、高身長、高収入のイケメン限定」とか条件つけるかも。
もーやだ先輩の考える恋愛だって、ちゃんと閾値がある。男なら何でもじゃない。
いっそ僕の事情をバラしてあげようか。いや、やめておこう。
このひとたちだってどうせ「女なら何でも」って達観してるわけじゃない。
まして僕なんかお断りだろう。だったらお互い様だ。
僕は戦車に乗らなきゃ大洗女子にいられないんだし……。
「つまり、お前らが女に嫌われているんじゃなく、お前らが女を嫌っているんだ。
本当に好きなら、何度蹴飛ばされようが、ひじ鉄食らおうがしがみつかずにいられない。
……そのままストーカーとかいう犯罪者になってしまうものもいるがな。
お前たちがそうならないのは、女というもののいやな部分をいやというほど見せられて、
もしこれが男だったら、顔を見るのもいやになっているからだ。
それなのに女に未練たらたらなのは、単に自然がよんでいるだけだ。
嫌いで苦手なら、こだわる必要もあるまいよ。
代用品なら、いくらでもあるだろ?」
自然がよんでいる、か。
うーん。これは僕にはわからないし、意識したこともない。
だから何度フラれても、また同じことをしそうだ。
「……でも、女をものにできない男は、ダメな半人前だ……」
それは、死神先輩のいう「スキーマ」。根拠のない固定観念じゃないかなあ。
「それはな、この爺が若いころの話だ。
わしが子どものころは、明治から続く戦争に次ぐ戦争で、適齢期の男の生き残りが
本当に少なかった。だから、嫁をもらうのは男の義務だったのだ。
だから嫁ももらわずフラフラしているのを、そういってバカにした。
だが、いまはどうだ? 全部の女に男をあてがっても、大量に男が余る。
だから男が女とつきあうのも、結婚するのも権利であって義務ではない。
当然、しない権利もあるということだ。わかるか?
……何度も言うが、苦手なことで他人に負けたとしても、恥じる必要は何もない。
負け惜しみだというような奴は、自分の得意なことで見返してやれ。
劣等感などというものは、克服するものではなく、忘れた方がいいものだ。
できないことにこだわるより、得意なことで第一人者になる努力をする方が、
わしは、価値ある時間の使い方だと思うぞ。
だいたい、人をおとしめて優越感を得ようとするものも、ぬきがたい劣等感に苦しんでおる。
お互い様だよ。欠点のない人間も、劣等感のない人間もいないんだ。
誰にとっても常に隣の芝は青いのだから、なら、見なければいいのだよ」
訂正するよ。
この人たちはミヤタケとちがって、羞恥心があるから建前にこだわったんだ。
悪いことに手を染めなかっただけ、立派なのかもしれない。
しかし、今日のじっちゃんは、ずいぶんとおしゃべりだ。
「まあ、今すぐ納得しろといっても無理だろう。
だがな、お前らの間の都市伝説。『30まで女を知らない男は魔法使いになる』というやつ。
あながち根拠がないわけじゃないぞ。
たぶん、アンデルセンやベートーベン、シューベルト、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、
ライト兄弟、ニーチェ、カントあたりのことだろうな。
妻帯した親鸞以外の有名な坊さんも当然だな」
へえ。ライト兄弟まで生涯独身? 知らなかった。
それとタイ以外の仏教国では、坊さんは全員魔法使いだろうね。
タイでは、男は一生に一度出家するのが義務だから例外。
なんか、真ん中の人が父の名札と、じっちゃんのヒゲを交互に見ている。
そして、何かを思い出したみたいだ。
「あの……。もしかしたら、あなたはウェイブライダーのリーダー、ウェイバーさんの……」
「ずいぶんと懐かしいTACネームじゃな……」
「2機のイチマルヨンで米空軍のイーグルをカモにしたという。ジョーさんですか?」
「ああ、波崎六郎のウイングマン。ジョー・山本だ。30年も前のことをよく知っとるな。
……あのときは奴らに、わしらが『サッチ・ウィーブ』というものを教育してやったんだ」
この人らの、じっちゃんを見る目が変わった。
波崎氏というのは、百里のスーパー天才パイロットで、いまはアクロチームのリーダー。
じっちゃんはこのあと、退役するまで地上勤務になっている。「公式」には。
その後もアグレッサー役でF-104Jでイーグル食いまくったけど。非公式に。
ジョーというのは「晟」の音読み「じょう」からついたコールサイン。
じっちゃんを知ってる空自関係者は、いまでもじっちゃんを「ジョーさん」と呼ぶ。
新田原の航空教導隊。いまは航空教導団ができたのは、それからあと。
だからじっちゃんが、このアグレッサー部隊に「一本釣り」されることはなかった。
「わしのことはもういいじゃろ。
つまりわしが言いたいのは、結婚も、子どもや家庭を持つのも、女はともかく
男にとっては義務でも何でもないと言うことだ。
どうせ、子どもがいたって、老後のめんどうなんかみてくれないから、
『老後破産』などどいうことが起きておるんだろ。
だったら、むりに所帯なぞ持とうとか思わんで、その分の金をたくわえるなり、
家庭にさく時間を、自分の武器をみがくのに使えばいい。
まして、女が苦手だというのならな」
劣等感は気にするな。苦手なことは放置して、自分の得意なことを磨いて人生に立ち向かえ。
とんでもないパラダイムシフトだな。
でも、他のことならともかく、男女関係をあきらめろってのは、
天動説が地動説にとってかわるくらいの意識の変化が必要だろう。
所帯も持たなくていいなんて……。
……じっちゃん、もしかして、僕に対しても言ってるのかな。
父が引きつった顔をして、こめかみに血管が浮いている……。
「まあ、本音をまともにさらすというのはできん相談だな。
しかし、お前らの仲間はどれほどいるんだ?」
「ネット上を含めても十数人です……」
「建前ならべていれば、そんなもんだろうな。
……そうだな。さすがにいきなり本音丸出しにはできんだろうから、
『男と女がいっしょにやれば、もっと戦車道は楽しくなる』ぐらいの打ち出しで
様子を見てみたらどうかのう」
なんか、このひとたち、うってかわってじっちゃんのいうことを素直に聞いている。
父と蝶野さんは、それぞれの理由で血圧が上がっている。
「それで数が集まるなら、それを背景にして交渉することもできるだろう。
……しかしな、苦手なことにこだわって、せっかく天が与えてくれた才能を放置して、
どれもこれもだめにするのが一番もったいないことには、変わりはないぞ。」
彼らはそれで得心がいったのか、それともこっちに対する敵意が消えたのか、
なんとも微妙な表情で、お互いに顔を見やっている。
「とにかく家に帰って、頭を冷やせ。
はっきりしていることは、こんなやり方を続けても、何一つ前に進まんということだ。
冷えた頭で、よく考えて、仲間を集めてブレーンストーミングしてみろ。
今度同じことをやって、お前らが機甲科に締められても、わしのせがれもほったらかすぞ」
「女が好きでも嫌いでも、敵に回すのだけはやめた方がいいぞ。もっと賢くふるまえ。
俺も、今度は助けてやれんからな。
児童性癖と戦車に乗りたがる男は、文明国では公序良俗の敵だ」
そういって、父は僕をにらむ。
すでに乗っているお前は、もっとろくでもないんだぞ。と目でいっている。
僕は、知らんふりを決めこむ。
彼らは、なんかはぐらかされたような表情で、帰途についた。
これ以上ごねても、どうにもならないことはわかったみたいだ。
後日。
彼らの一人は、猛勉強の末に学者を目指すことにしたという。メールが父あてにあった。
一人は、じっちゃんの案で同志を募ったら、1万人以上集まったので、
署名簿を戦車道連盟にもちこんで、やっぱり警察よばれたらしい。
最後の一人は、数年後、世界で一番危険なところへ、兵士を志願して旅立ったそうだ……。
「玲。ちょうどいい機会だ。
お前ら、今度の全国高校生大会に出るそうだが、
私とお前らの生徒会長が交わした約束は覚えているだろうな」
父がいっているのは、戦車道開始そうそうに、補正予算が通らなかったせいで
弾薬燃料の購入費がつきたとき、僕が陸自高等工科学校に転校するのとひきかえに、
父が「戦車道の振興」を名目に、財源を用立てたことだ。
「会長が乗り込んでいって、大会が終わるまで待ってくれと頼んだ件だね」
大統領でも、そこまでひきのばすのがせいいっぱいだった。
つまり僕は、夏休みが終わったら……。
「大会が終わったら、さっさと家に帰ってこい。
次の入学試験に向けて、さっそく準備に入れ。わかったな」
そして男として自衛官になり、大学校で幹部を目指し、自分のあとをつげというのだろう。
ちゃんと嫁ももらって、所帯も持てと。
じっちゃんは、何も言わずに黙っている。
歳を考えれば、僕の未来をどうこうできないと思っている。
父に対して、この動脈硬化が。と腹の中では思っていても。
そして、僕たちは、まだ市ヶ谷に用があるという蝶野さんを残して、総武線に乗った。
「将補。あのことはいわなくてもいいのですか? 彼も納得するかもしれません」
「知らぬ方がいいだろう。知ったらあいつのことだ、去るのをいさぎよしとはすまい……。
……そして結局何もできず、かえってつらくなるだけだ」
そして、梅雨が明けるのと同時に、第63回戦車道全国高校生大会がはじまった。
各参加校が分散しているため、総合開会式はおこなわれていない。
抽選会が事実上の開会式だ。
あとは、各校あてに文書一式が届くだけだ。
第一試合の開始される数日前。僕は水戸の実家にいた。
そのさらに前に16歳の誕生日を迎えた僕は、この日、自動車学校の卒業証明書をたずさえて、
茨城町の免許センターに行った。普通二輪を取るためだ。これは父の命令。
やっぱり父に中学のころから、用途廃止済みの偵察用。というか市販の中古KLXに、
偵察用からはぎ取ったあれやこれや(ただし、フロントフェンダーに桜マークはない)を
くっつけたモドキに乗せられて、ウイリーにジャックナイフや丸太越え、立ち乗り撃ちのまね。
ジャンプにアクセルターン、フローティングターンと一通りやらされた。
一発試験でも良さそうに思ったけど、安全確認とか無意味に細かく、もう落とすために
やってるようなものなので、やっぱり大洗艦の自校に通って、卒検までやった。
そして、ナンバー付きの「なんちゃって偵察用」(本物は用途廃止するときに破壊する)に
のって、大洗艦に帰ってきた。
なんで偵察用オートバイを持ち込んだのかというと、僕だけ1日早く会場入りして、
文字通り、ポイントになる地形を「偵察」して回るためだ。
どうせいままでやってきたことなんだから、生かして使おうと、僕から志願した。
その1日は、ほかのみんなは休養にあてている。
そうして、いよいよ当日がやってきた。僕としては、退学を1日でも先に延ばしたい。
もしかしたら、今日でお別れかもと思うと、つらいものがある。
僕は最善を尽くそうと思う。だけど、僕がひとりでやることじゃないしね……。
第一回戦の会場は、林と丘陵がひろがる、なだらかな地形。
西住先輩が検分した結果、今回は異議なしとした。
サンダース側からも異議の申し立てはなかったので、会場の変更はなかった。
たてまえのうえでは、参加校は対戦相手の戦力をたがいに知らない。
しかし、今回は僕たちの全戦力をブログで公開しているし、サンダース側も、大洗側が
名前をいいたくない三等軍曹の活躍により、自分たちの戦力を知ってることを知っている。
あくまで武道という教育の一環であるから、プロサッカーのように予想くじはないけれど、
非公然のトトカルチョはあるらしい。
もっとも今日は、認めたくないけど銀行試合なので、スタンドには関係者がいるだけだ。
戦車道のファンも、一回戦は幕下の取り組みあつかいなので、わざわざ見に来ない。
大洗のスタンドには、大洗艦に住んでいる人以外はいないようだ。
生徒もあらかた実家に帰省してる。
もしかして最後になるかもしれないこの日、僕は弾薬集積所に、リー用の75mmが手つかずで
置きっぱなしになってるのを見つけ、ひとり荷車で、サービスパークまで運んでいる。
始業点検はクルーだけでやらなきゃならない。できてるだろうか。
はじめから砲弾を積んでいないのは、安全確保のため。
連盟役員が車検を終えるまで、積んじゃいけない。
そして僕が、やっとサービスパークに着いたとき、そこにはだれもいなかった……。
いや、ずっと僕たちを取材している、例の番組制作スタッフさんたちが休憩してる。
聞いてみたら、ここにサンダースのミニツインテとベリーショートさんがきて、
そのまま全員むこうのサービスパークまで遊びに行ったそうだ……。
……みんな何やってるんだ――――!!
そりゃあ、僕は作りがちがいますからねっ。
17ポンドの半分の重さにもならないM2用の弾の50発ぐらい、すぐ積みますよっ。
防御に関してはアレだけど、こういうときは車体のサイドドアがありがたい。
ほかの戦車は、砲塔のてっぺんまでのぼって、コマンダーズハッチから積むからね。
……ウサギのみんなは、僕が気がつくまで、ほかの戦車のみんなのまねして、
ものすごい高いところにあるコマンダーズキューポラまで、37mmだけじゃなく75mmまで
もちあげて積んでたからね。それが作法だと、かんちがいしてたらしい。
37mmだって、サイドドアから積んだ方が楽なんだけど。
そして僕は、やっとの思いで弾を積み終わり、サンダースのサービスパークにみんなを
「むかえに」行った。もう、時間ギリギリ。
むこうのサービスパークには、戦車はいなかった。どこかに隠してあるんだろう。
うちは、あえてオープンにしているようで、だから例の二人もずかずか入ってきたんだ。
しかし、支援車輌というか、屋台車輌というか、浴室車、ヘアーサロン車まである。
なんか、大統領と向こうの隊長さんが親しげにしてる。
「おケイ」「アンジー」と呼び合ってるところを見ると、小学校の時に友だちだったようだ。
スーザンさんが言うには、大統領の小学校時代のあだなが「アンジー」なんだそうだ。
おケイさんこと、向こうの隊長さんの髪の毛がとーもろこしのヒゲ色で、瞳がライトブルー
肌の色が白くても、べつに驚くにあたらない。
日本語が微妙になまってても、べつにどーでもいい。
ダージリンさんの時は、学校が聖グロだから驚いた。
ついでにネイティブ日本語、というか絶滅危惧種の東京方言の「山の手言葉」だったから
なおさら驚いた。
べらんめえはとっくに絶滅して、時代劇や大河さんみたいな傾奇者でないと使わないけど、
武家言葉であるあそばせ言葉の方も、もう途絶えかかってる。
とくに山の手の場合は「がぎぐげご」が2種類あって、片方は「鼻子音」っていうけど、
いまはアナウンサーになるひとでないと、教わらない。
ダージリンさんは、がぎぐげごをちゃんと使い分けていた。
そういう意味では「5代前から日本人」というのも、なるほどと思う。
さて、サンダースは、大学附属高校だけど、日本にサンダース大はない。
アメリカ、メリーランド州にある大学で、附属高校が日本にある。
これは、元々この学校が戦後にアメリカンスクールとして開校し、その後に日本の学制上の
高等学校になったということと関係がある。
つまり、いまでも高校とアメリカンスクールの両方やってる国際学校だってこと。
在日米軍人の子弟も通ってるから、そのせいで僕もわりとよく知っている。
あの、おケイさんってひとも、この学校には多い「二重国籍者」みたいだ。
国籍って言うのは出生地主義だから、日本で生まれたら、両親が外国人でも、本人は
日本国籍になって、日本の戸籍簿もできる。
そのあと、アメリカに里帰りしたときに市民権を取得する。合衆国は多重国籍を認めている。
そして日本に戻ってきたときは、アメリカ市民権のことはないしょにしておく。
こうして、二重国籍者のできあがり。アメリカからいちいち知らせてこないし。
これはなにも合衆国にかぎらない。
P国のF元大統領が、国でやばい立場になったんで日本に逃げてきたのは、日本に戸籍が
あったから。つまり、単に帰国しただけってことになり、亡命でも何でもなくなる。
みんなサンダースのご招待で、飯テロしてきたみたいだけど、さすがにウサギのみんなは、
食いしん坊の僕に悪いと思ったのか、いろいろ持ってきてくれた。
戦車が開始地点に向かうときにでも、食べることにした。
今回の試合で、開始の礼を審判団や観客の前でするのは2人だけ。おケイさんと大統領だ。
本来なら、隊長である西住先輩が行くべきなんだろうけど、あの西住先輩がたったひとりで
衆人環視の中で、堂々とやってこれそうもないことと、大統領がおケイさんと旧知の仲なので
こういうことになったようだ。
『それでは、サンダース大学附属高校と、大洗女子学園の試合を開始する!』
審判長の宣言で、代表ふたりが礼をかわす。
「よろしく」と、おケイさんが言えば。
「ああ」と短く返す、大統領。
もう、このふたりには多くの言葉はいらないんだろう。
こうして開始のセレモニーが終わり、大統領がスカウトカーに乗って、
大洗の開始地点に戻ってきた。
すでに全車、暖機運転を終えて、いつでも走り出せる。
そしてついに、試合開始の烽火が上がった。
……非公式も入れて3回目の試合。そしてこの大会の初めての試合が始まる。