父との約束によって、戦車道全国高校生大会で大洗女子チームが敗退すれば、その日が僕の
大洗女子学園での学生生活の最後の日になる。
性同一性障害の僕が、ただ、大洗女子の生徒でなくなるだけではない。
ここを出て、進むことが許される進路はただ一つ。
男の園。陸上自衛隊高等工科学校だ。そこに僕は、中学浪人して入ることになる。
おそらく、受験自体は、何とかなるだろうと思っている。
しかし、これがただの男子校なら、まだましだ。
せいぜい体育の着がえの時に、周りの男たちにみられるのをこらえればいいんだから。
それだって自意識が女の僕には耐え難い。それなのに高等工科は全寮制の共同生活だ。
風呂まで、一緒だ……。そして、プライバシーはないに等しい。
教職員も、ほかの隊員たちも、僕を男としてしかあつかわない。
GIDだってことがわかれば入学自体許可されないだろうから、父は隠し通すだろう。
僕は一人で悩み続けなければならない。男としてふるまいながら。
「なんとかならないのか? ことによってはお前が人生からリタイアすることになりかねん」
父の決心を僕から聞かされた高橋医師も死神先輩も、本気で心配している。
大洗女子では生徒会長、角谷杏大統領がいろいろ配慮してくれることと、たまたま戦車道を
復活させたことで、僕を履修生にすることによって、保健体育とかそういうことについてくる
やっかいごとを回避できている。
だけどもう、僕の運命は決まっている……。
しかし、いまは今日を生き延びることを考えるしかない。
運命の、第63回戦車道全国高校生大会。
その第一回戦。対サンダース大附属高校戦。
その開始を告げる号砲が、いま、とどろいた。
このときの僕はまだ、この夏に、その後の人生経験の何年分にも及ぶような
貴重な体験を積むことになるとは、思っていなかった……。
西住先輩が、作戦開始前の最終確認のために、マイクに向かって話し始めた。
というよりは、訓示と大方針だ。
『説明したとおり、相手のフラッグ車を戦闘不能にした方が勝ちです。
サンダース附属の戦車は、攻守ともに私たちより上ですが、
落ち着いて戦いましょう。
機動性を生かして常に動きまわり、敵を分散させて、Ⅲ突の前に引きずり出してください』
単純だけど明快だ。
西住先輩は、緻密な作戦を立案したりはせず、情勢にあわせて臨機応変の指示を出す。
本人は大変だけど、僕たちのような急造で経験の浅いチームでは、やむをえないだろう。
そのかわり先輩は、練習中であれ本番であれ、いわゆる「報、連、相」をとても重視する。
なにがあっても、どんなささいなことでも、みんな遠慮なく報告、質問している。
河嶋さんは、いらぬことまで言うけど。
そして、みんな、大統領まで含めて、独断で勝手に動くことは決してない。
というか、できない。だから全部教えてもらわなきゃならない。
攻守ともに私たちより上。
いや、もうそんなレベルじゃないのは、当の西住先輩がよくわかってるだろう。
数少ない下馬評では、大洗は「問題外」だった。
戦車道レベルでさえ、武器装甲を持ってるといえない八九式や38(t)。
こんなのは素人や序の口が、十両と取り組むようなものだ。
技能だけなら幕内といっていいアヒルさんだけど、腕力と体重が小学生みたいなものだ。
大統領の怪力は、この場合まったく役にたたない。また履帯でも外れれば別だけど。
ある意味まったくかわいそうなものだ。
八九式は、終戦の時に制式化された兵器が「五式」だから、16年も前の戦車だ。
歩兵を吹き飛ばし、小銃の弾さえ防げればいいという戦車だ。
テクノロジーも旧式で、75mmの弾をはねかえすレベルの戦車と、戦えという方が無理だ。
57mmという中途半端なサイズの短口径砲で、発射薬がすくないから、砲身も薄い。
なにしろ、飛んでいく弾が肉眼で見えるくらい、ゆっくり飛んでいく。
しかも、砲弾が悲しい。
お嬢さまに教わるまで僕も知らなかったけど、滑り止めの軟鉄の被帽もない。
とがった貫徹体がむきだしだから、すべってはじかれやすい。
しかも、徹甲榴弾だから、中空になってて、火薬代わりの砂が入ってる。
さらに、当時の材質の悪さまで再現してる、もろくて軽いという弾だ。
100mで2cmしか抜けない。つまり第二次大戦型戦車では、一部の軽戦車以外通用しない。
たいてい、薄いところでも3cmはあるから。
外板だって、せいぜい17mm、装甲とは名ばかりの、小銃弾しか防げないただの鉄板だ。
つまり、解体屋寸前どころか、博物館で「むかしの戦車」として飾られてろというものだ。
自動車部の改造(連盟の認可済み)で、速度だけは平地で49km/h出せるけど、
それ以上やったら履帯が切れる。
38(t)は、さすがにそれより新しい戦車だけど、工業国とはいっても決して大きな国では
なかった当時のチェコスロバキアが、自国の力量に見合った国産戦車としてつくったものだ。
だから、37mm砲、リーの副砲程度のものを主砲にしてる。
とはいえ、100m以内の至近距離では、60mmのRHA(均質圧延鋼板)を抜ける
おもいきり近づくことができれば、あるいはやれるかも、というレベルだ。
装甲は、ボルト止めの25mm。八九式や旧砲塔チハ以外のいかなる戦車でも抜ける……。
エンジンは、プラガという液冷OHV直列6気筒。残念ながらエンジンの在庫はある。
でも、現代のアメ車のV8だってオーバーヘッドバルブだ。チューニングのしようはある。
まず、シリンダヘッドを削って定番の圧縮比あげ。
ガソリンなら今のレギュラーは、当時のプレミアム以上だからぜんぜんOK。
次にねじを、同規格の現代物にかえて、少しでも軽くする。
当然、ポート研磨もやる。キャブはそのまんま。3,000回らないんだから別にいい。
あとは、むだに強度のある部分を削る。ボアアップは、ピストンを別物にするからだめ。
ただし、カムシャフトに肉盛りして、バルブが大きく動くようにはする。
ど低回転エンジンだから、ビジネスバイクのスーパーカブと同じように、吸排気のバルブが
同時に空いている時間、オーバーラップはまったくとらない。これは燃費対策。
あとは、ベアリングや軸受けメタル、ガスケットなんかを作っちゃって、抵抗を低くする。
また、これは大事なことだけど、当時の戦車の排気ガスは、めちゃくちゃ汚い。
第二次大戦中は、戦場では雨が必ず酸性雨になったという。現代の規制なんか通らない。
だから、当時はなかったマフラーの触媒は必須であり、そのため排気系はオリジナルで
なくていい。点火プラグだって現代のものを使って、きれいに燃えるようにしないといけない。
エンジンはただバラして、腕っこきが組みなおしただけで馬力が上がる。
それに現代の技術のあれやこれやを用いた結果、路上でなら57km/hは出るようになった。
隊長車のⅣ号D型。これも大戦直前の旧式戦車で、戦車戦闘を考えてない。
75mm砲といっても、切り株のような短砲身。実は37mmクラスの威力しかない。
装甲だって、前面30mm。まったくこころもとない。
エンジンはライトチューンで、速度は45km/hになってる。
むしろ、ドライバーの冷泉先輩に会わせて、操向装置のクラッチを強化している。
中戦車といっても、当たったら終わりだから逃げまわれというのは、軽戦車たちと同じ。
そして、僕たちのM3リー。
一応、75mmを積んでいる。Ⅳ号D型よりちょっと長い程度のを。
ただし、前にしか撃てないのもみんな知ってる。
威力は1,000mで垂直に立てたRHAでなら、66mmだそうだ。
当たるかどうかは別として。
あんこうとのちがいは、発射薬量の差。向こうの徹甲弾からみればマグナム。
もっとも、17ポンドからみればカービン銃の弾だけど。
装甲も、前面で50mmと、大洗ではマシな部類。
エンジンは航空機用星形9気筒OHV、メンテだけでも面倒だし、40km/h出るからそのまま。
しかし、背の高さは3m超え。すごくめだつというとても悲しい欠点がある。
本当は定員7人というのも欠点なんだけど、そろっちゃったからね。
最後に、カバさんのⅢ号突撃砲。
速度は、エンジン同じなのであんこうと同じ。
装甲はなんと前面80mm。やったね人並みだ。
主砲はリーと同じような75mm弾を、48口径長という長い砲身で撃つ。これで人並みの戦車。
だけど、本来は50mm砲を装備するⅢ号戦車が土台だから、やっぱり75mmは固定式。
そのため、自走対戦車砲あつかいの「突撃砲」と呼ばれ、砲兵科が乗った。
数え方も本当は「両」じゃなくて「門」だし、コマンダーも「車長」じゃなくて「砲長」だ。
これでは固定砲の戦闘車両は全部砲兵にもってかれちゃうから、戦車側では
「駆逐戦車」って車種をあみ出して、戦車部隊にもらえるようにした。
もっとも、威力の点でシャーマンの75mmと大差があるわけでもないし、むこうには、
51口径76.2mm砲がひとつと、58.3口径76.2mm、APCBCが17kgもあるお化けがひとつある。
……心細すぎる。
こっちは人並み砲、しかも固定が1門なのに、向こうは旋回する人並み8門。
さらに強力砲1門に、化け物砲1門……。いやすぎるー。
ちなみに、「ここから上が一流ブランド戦車」の基準となるティーガー戦車の場合。
前面装甲100mm。主砲は有名な56口径88mm、威力は1,000m、APCBCで123mm。
17ポンドなら同じ条件で136mm、例のAPDSなら225mm……。
17ポンド、いやすぎる! 何なのよもうー。
「さあ、行っくよー!」
代表して、開始の礼をしてきた角谷大統領が、連盟の車両でこっちに戻ってきた。
まったく快活だ。
うん、そうだね。性能差を思いわずらって、憂うつに戦ってもつまらない。
戦車を倒すことは、歩兵にだってできるんだ。
あの西住先輩だって、Ⅳ号D型をみて「これなら使える」といったんだし、
みんなを萎縮させず、力を発揮させる方が大事だと思っているんだろう。
なら僕は、指揮官を信じて、戦えばいい。
大会本部が、合図ののろしを打ち上げた。煙と破裂音で、開始時間になったことを告げる。
それと同時に審判長が、『試合、開始!』と宣言する。
僕たちは、横列の右から順に架空の発進線をまたいで出発する。
きっと向こうでも機関の音とともに、10両のシャーマンが順番に発進しただろう。
この試合場は、ある程度起伏のある地形に密度の薄い森林がところどころにある高原。
周囲にはある程度の高い山が点在する。
一応日本の、いや、はっきりと日本列島のど真ん中。
僕らは戦車ごと連盟のトレーラーで、サンダースはC-5MのLAPESでやってきた。
試合開始から小一時間はたったろうか。
大洗女子戦車隊は、当初方針どおり誘引伏撃を企図して、会敵が予想される地点まで進出、
全車が、敵の予想侵攻ルートわきにある森林にかくれていた
目標は、分散して警戒進軍中のサンダース各小隊を、斥候兼おとりの車両でおびきよせ、
暫減各個撃破をはかり、といえば勝算もあっての行動みたいにみえるけど、どこまでできるか。
とはいえ、とれる方針はこれしかない。
西住先輩が方針に従い、手駒の中から2両をえらんで斥候を命じた。
『ウサギさんチーム。右方向の偵察をお願いします。
アヒルさんチームは、左方向を』
さっそくご指名だ。車長の梓ちゃんが応答する。
「了解しました」
アヒルの近藤さんからも応答がある。
『こちらも了解!』
引きつづき、西住先輩はのこり3両の行動を指示した。
『カバさんと我々あんこうは、カメさんを守りつつ前進します』
カメさんたちの車内会話も聞こえる。
『あのチーム名は、なんとかならんかったのか』
『いいじゃん。かわいくて』
どーせおとめちっく路線だし。と、大統領は思ってる。
そう、あくまでかわいらしく。戦車道素人にふさわしくね。
それが、既定方針。僕たちの実力では、背伸びしてもしかたないもの。
そして僕たちは、先輩の『Panzer vor!』のかけ声とともに、行動を開始した。
今回から、オペレーターだけは連盟推奨の密閉型ヘッドセットをつかう。
他のクルーは、耳たぶの後ろに骨振動ホンをさげ、高分子材質の耳栓、ノイズカットつきの
スロートマイクをつけている。音圧80dBを超える音のレベルを下げるフィルターもある。
連盟が例のデスバード部隊で運用試験していたシステムを、この大会から導入したんだ。
僕らが買ったアルテックランシングは、いまはみんな本来の用途に使っている。
僕たちウサギさんは、指示どおり森林と平地の境目あたりまで進出。
すごく高いところにあるコマンダーズキューポラから、梓ちゃんが身を乗り出して偵察中だ。
地上高3mだから、見通しはいい。高いところが苦手なひとは、目を回すかもしれない。
「むしむしするー」
「暑いぃー」
もう、夏だからね。車のように内装があるわけじゃない鉄の箱の戦車は、どんどん暑くなる。
困ったことに、エアコンなんてものは戦車の装備品にはない。
紫外線完全防御はありがたいけど、さらに体脂肪率が下がったら、本当に水に浮かなくなる。
ああ、そういえば、大河さんがカヴェナンターって戦車を……。
「静かに!」
梓ちゃんがなにか見つけたらしい。
耳を澄ますと、機関音らしいものが装甲越しに聞こえてきた。
前方の平地に、3両のシャーマンがあらわれたみたいだ。
すぐに梓ちゃんはスロートマイクを指で押さえ、西住先輩に報告を入れる。
「こちら、B085S地点。シャーマン3両発見!
これからおびきだします」
ここまでは予定どおり。敵の小隊1つと遭遇した。
桂利奈ちゃんがセルフを回してエンジンをかけ、走り出したそのときだった。
突如うしろから、数発の砲弾が飛んできたのは。
「! はっ!」
梓ちゃんが思わず息を呑み、身体を引っ込めてハッチを閉じた。
敵弾はリーの周囲に着弾する。
実にきわどいタイミングだった。まだ止まってたらもろに食らってた。
そう、僕たちの後方から、別口の3両のシャーマンがせまってきていたんだ。
真ん中のシャーマンには、ハッチから身を乗り出すおケイさんの姿が見える。
おケイさんも、西住先輩や僕のように、危険でも自分の目で情報を得ようとする人らしい。
とにかくウサギは挟撃された。まずい。
梓ちゃんはすぐに、西住先輩に救援を求める。
「シャーマン6両に包囲されちゃいました!」
『ああっ。ウサギさんチーム。南西から援軍を送ります。
アヒルさんチーム。ついてきてください』
『はいっ!』
西住先輩の判断も早い。伏兵のⅢ突とフラッグ車の38(t)は動かせない。
だから自分とアヒルさんだけで救援に向かう。
もし、Ⅲ突の方に残りの敵が向かっても、最大3両だ。
「ちょとついてこないでよー!」
「えっちぃ!」
「ストーカー!」
「これでも食らえ!」
あやちゃんが、砲塔を後ろに向け、おケイさんのシャーマンを撃つ。
でもゆれる走行中の戦車から撃っても当たるもんじゃない。
おケイさんは両手を振って、全然当たらないよというジェスチャー。余裕だ。
勇者に対しては、弾の方が逃げるらしいけどね。
敵は6両とも、弾を惜しまずガンガン撃ってくる。
やっぱり走行間だから当たらないのに。金持ちだなあ。
この会場には、一回戦に勝利したダージリンさんとオレンジペコさんもきていたらしい。
また面白いものが見られたらめっけものと思っているのだろう。
ダージリンさんは、僕たちが追いつめられている状況のさなか、こんな事を言っていた。
「こんなジョークを知ってる?
アメリカ大統領が自慢したんですって。我が国には何でもあるって。
そしたら、外国の記者が質問したんですって。
『地獄のホットラインもですか?』って」
この話を聞いたのは、無論すべてが終わってからだけど、実は意味深なことをいっている。
地獄とはモスクワ。ホットラインというのは、そこにいるCIAのエージェントとの直通回線。
そしてダージリンさんは「誰かさんが、何かごそごそとやってるみたいだけど、それが
地獄への直行便にならなければいいわね」とおっしゃってるわけだ……。
むろん、このときの僕たちには、そんなことはどうでもいい。
なにがどうでも逃げのびて、西住先輩たちと合流しなきゃ。
「がんばって!」
「やればできる子だよ。桂利奈ちゃん」
「あいーっ!」
桂利奈ちゃんは、必死になって操向レバーを振り回す。
クレトラのリーだから、なんとか之の字運動になってるけど、そうでなきゃやられてるかも。
僕たちはいま、かろうじて包囲をまぬがれ、必死で合流点めざして走っている。
『!』
隊内通信で、西住先輩が息を呑むのが聞こえた。
どうしたの? いったい。
つづいて聞こえてきたのは、周囲に着弾する音! まさか向こうも。
『3両! かこまれたっ!』
西住先輩の緊迫した声。やっぱり襲撃されている。
9両のオフェンスののこり3両が来たんだ。どっちから?
『北東から6両、南南西から3両……。
すごい、全10両中9両この森に投入ですか!』
『ずいぶん大胆な戦術ですね』
いや、大胆というより、思い切りはいいけど、周到なんだ。
いまや僕たち3両は、3倍の敵にはさみ討ちにあっている。
『ウサギさん。このまますすむと危険です!
停止できますかっ?』
できない! 西住先輩でも状況の激変について行けていない。
いま止まれば、蜂の巣にされる。
みんなが絶叫する。
「無理でぇぇぇえええすっ!」
それでもなんとかもーやだ先輩に、いまの状態を通信することはできた。
『6両に集中砲火を浴びてるって』
『わかりました。
ウサギさん。アヒルさん。あんこうと間もなく合流するので、
合流したら、南東に進んでください!』
こちらは梓ちゃんが「わかりました」と応答する。
アヒルさんは、かなり早くから引き返したようだ。
それとも、エンジン換装が効いているんだろうか。
とりあえず、もうすぐ味方は3両になる。
「あ、いた。せんぱーい!!」
梓ちゃんがⅣ号を見つけた。
アヒルさんは、もうⅣ号と合流して、こっちに向かってきている。
やっぱりスピードが速くなってる。チューンの効果が出ている。
『はい。落ち着いて』
西住先輩は、やっぱりキューポラから身を乗り出すいつものスタイルだ。
僕たちはそのまま前進。
あんこうとアヒルさんが旋回して、そのまま同行、南東に舵を切った。
もうすぐ森を抜ける。その時だった。
『ああっ……』
僕たちのうしろを走る6両から、いつのまにか2両が分派されて、先回りして進路を塞ぐ。
『回り込んできたっ!』
何なんだ、この手際の良さは。
僕は、あの日サンダースで見聞きしたことを思い出した。
アンチ西住流が団結して、サンダースを応援する。
大河さんは、まさか僕たち相手の第一回戦から支援はしないだろうっていっていた。
だけど、戦力支援はしなくても、人なら……。
! ……まさか「お嬢さま」が来ているのか?
だったらこの手並みもわかる。「お嬢さま」なら僕らに可能な行動など読み切ってしまう。
そして彼女が何者かわからないけど、少なくとも西住先輩レベルの使い手なのはたしかだ。
もし、もしも「お嬢さま」がファイアフライに座乗していたりしたら。
背中に、嫌な汗を感じる……。
ここで、僕たちは包囲撃滅されるのか。そうしたら終わりだ。
「どうする?」
「撃っちゃう?」
いや、ここで射撃戦に入るのはすごくまずい。
撃つために止まったら、そこでやられる。
『このまま全力ですすんでください。
敵戦車と混ざって!』
やっぱりそうだ。それしかないんだ。
「マジですかぁっ!」
『了解。リベロ並みのフットワークで!』
いや、桂利奈ちゃん、西住先輩のいうとおり一気に前進するしかない。
前方には2両しかいないんだから。
とにかく、包囲の輪が閉じる前にしゃにむに脱出するしかない。
3両の戦車が加速する。
アヒルさんが速くなったのはもちろんだけど、あんこうもウサギも自動車部のやってくれた
ファインチューニングが効いている。加速が鋭い。
2両のシャーマンも、こちらに車体を向け、撃ってくる。
1発の砲弾が、リーの前面左、角度のついている装甲板に当たった。
かろうじて、敵弾は跳弾した。しかし、車体がゆれ、轟音が鳴りひびく。
恐ろしいことに変わりはない。
「きゃあぁぁぁあっ」
おもわず耳を押さえて皆が悲鳴を上げる。しかし、これはまぐれ当たりだ。
もうすぐ森を抜ける。
中央のあんこうが、一気にスパートをかける。
そのまま、2両のシャーマンの間に割りこむ。
向かって左のシャーマンとハデに接触する! 火花が飛ぶ。
包囲するつもりで前進していたシャーマンは、こちらが交差するとわかっても対処できない。
僕ら3両は、そのまま蛇行しながら丘を越え、連中の視界から消えた。
とりあえず、危機は脱した。被害もなかった。
あんこうでも、とりあえず一息ついたようだ。
西住先輩たちの会話が、無線越しに聞こえる。
『ふうっ』
『あぶなかったですね』
『うん。まるで私たちを待ち構えていたみたい……。あっ!』
西住先輩が、キューポラのハッチを開けた。
そのまま、空を見上げる。どうしたんだろう。
『ん?』
西住先輩が何かに気がついたような声を上げた。
五十鈴先輩がいぶかしがる。
『みほさん、どうしたのですか。……ええっ! そんなの……』
そこで通話がとぎれた。あんこうの無線の電源が切れてしまった。
そして、それっきり隊長車、あんこうからは何も聞こえてこなかった。
しかし、5分もしないうちにあんこうからの指令はやってきた。
そしてその内容も、それを伝えた手段も、僕の想像していなかったものだった……。
西住車。あんこうから再び指示が流れ出したのは、通信途絶から10分もたったあとだった。
『全車! 0985の道路を南進。ジャンクションまで移動して。
敵はジャンクションを北上してくるはずなので、通りすぎたところを左右から狙って!』
その指示に対して、ウサギとアヒルから応答がかえる。
「了解です」
『こっちも了解』
しかし、僕たちはそのジャンクションまで進出しないで、その北に布陣している。
Ⅲ突とリーはジャンクションを北に上った、起伏のある地形のブッシュに伏せている。
そのうしろの丘の陰には、みえないようにあんこうが伏せている。
八九式は、急遽集めた木の枝の束を、ロープでつないだまま、前方のヤブにかくれている。
南から2両のシャーマンが、道路を北上してくる。そう、2両だけ。
そして、ジャンクションのずっと東から3両、同じく西から4両が縦隊で接近してくる。
2両をおとりにして、左右に伏せているはずの僕たちを後ろから撃つという手はずだ。
ころあい良し。いける。
あんこうから「指令」が飛ぶ。
『よし……。「かこまれた! 全車後退」』
これが合図。いよいよ連中を引っかけてやる。
身を隠した八九式が、木の枝の束を引きずりながら、おとり組のシャーマンの進路を横切る。
もうもうと、砂けむりをあげながら。
これは、中国の三国時代の名将、張飛益徳が荊州を脱出する劉備軍のしんがりをつとめた時、
長板橋で曹操軍を足止めした作戦の応用だ。
主君の劉備が妻子を放り出して、単騎で逃げ出し、趙雲子龍が彼の子息を抱えてやはり単騎で
主君を追うという混乱のさなかで、張飛は騎兵20騎を集めると、予想される進軍ルートにある
長板橋に急行した。
そして、橋のこちらがわにある林の裏側で、20騎の騎兵に、馬のしっぽに木の枝(ホウキとも
いわれている)を縛らせて全速で走りまわらせ、もうもうたる砂けむりをおこさせた。
橋の向こうの林から、立ち上る砂けむりを背景にして、張飛は橋のたもとに立つ。
このときの曹操は、追撃の時間をおしみ、支援部隊も連れずに騎兵八千だけで攻めてきた。
目の前には大軍の展開できないせまい橋。そして張飛が軍勢を連れて、いま姿をあらわした。
曹操にはそうみえた。なら、歩兵と合流して仕切りなおしだ。
このまま戦ったら、大被害が目にみえている。
そう順当に判断して、彼らはただちに元来た道をもどっていく。
そうして曹操軍が退却したあと、張飛は橋を落として主君のあとを追った。
こうして間一髪、張飛はいちかばちかの欺瞞作戦に成功し、貴重な時間を稼ぐことができた。
再び戻ってきた曹操は、落ちた橋をみてだまされたことに気づき、怒ったけどあとの祭り。
張飛「翼徳」なら、怒鳴り声だけで二万人追い返すけどね。夢がないけど、真相はこんなの。
そして、こちらでは、稜線の向こうから立ち上る砂けむりを追って、おとり役のシャーマンが
追尾をはじめた。
こちらの思惑にのったのを見て取った西住先輩が、また指令を「無線」で出す。
『見つかった。みんなバラバラになって待避。
38(t)は、C1024R地点に隠れてください』
やはり、2両のおとりは進路をかえた。
もうすぐ目の前の丘を越えて、ブッシュに伏せるⅢ突の照準線にやってくる。
2両が、とまった。
砲塔を旋回させ、いるはずのない38(t)、カメさんを必死に探している。
Ⅲ号突撃砲が、主砲の48口径75mm砲を動かし、手前のシャーマンに狙いを定めた。
『撃てぃ!』
Ⅲ突の「砲長」、松本さんが叫んだ。
それを合図に、まずⅢ突が、そしてかくれていたリーとⅣ号が姿を見せ、次々と発砲する。
50mぐらいの至近距離というより、修正なしで当たるゼロ距離だ。
4発の砲弾に乱打されたシャーマンは無惨に焼け焦げ、フェンダーがめくれ上がり、
外見だけなら残骸のようになって、白旗が揚がる。
倒されたシャーマンのバディは、即座にスイッチバックすると、交戦せずに逃げ出した。
さすがに判断が速い。
「逃げちゃうよぉ」
「撃て撃てぇ」
「えい!」
あゆみちゃんとあやちゃんが逃げ出すシャーマンに気がついて、とっさに撃つ。
でも、ワンテンポ遅かった。もうシャーマンは斜面を登り切る。
「惜しいっ!」
ウサギの弾は、地面に穴をうがっただけに終わり、シャーマンの姿はもう見えない。
でも、とりあえず1両は倒せた。こっちが先制した。
かなたの空に見慣れないものが、ぷかりぷかりと浮かんでいる。
もの自体は、前の大戦で空襲よけにつかわれた「阻塞気球」というものだが、サンダースでは
あれに傍受アンテナをつけて空に浮かべ、試合場全域の通信を傍受していたんだ。
自軍が強いのに、くだらないことをする。
あんこうチームでいそいでルールを確認したけど、このことについては規定がなかった。
ならばと、西住先輩は、これを逆手に取ることにした。
無線でうそ指令を流して、逆に操ってやろうというんだ。
本当の命令は、もーやだ先輩が携帯メールで一斉送信している。
もーやだ先輩の携帯には、どれだけアドレスが登録されているかわからない。
当然、通信手全員のアドレスもある。
携帯の帯域がジャミングされているのは、戦況が全てわかる観客席周辺だけだ。
なら、目には目を、歯には歯をだ。
でもみんな、やっぱり釈然としない。
「ルールで禁止されないからって、こうやって人の手をのぞき見るってどうなの?」
当然の疑問だよね。これが戦争なら、勝つためならどんな手段も取るべきだ。
負けたら死んじゃうんだから。
でも、戦車道には戦車道の目的があるでしょ。教育の一分なんだから。
だから、僕はこう答えた。
「戦車道は正課授業なんだから、公式戦は、いってしまえば中間や期末試験よね。
情報がない状態から敵情を探ったり、かぎられた情報から戦術を立てるのも
戦車道という教育のカリキュラムなんだから、そこで楽をしちゃうというのは
カンニングとはいわないけど、限りなく近いと思う」
落としどころとしては、そんなところだと思う。
ただ、試合と試験は、正解を書くことではなく、勝利を得るのが目的という違いがある。
西住先輩としては、不正行為だと抗議するより、『地獄のホットライン』として
使う方が有益だと考えたんだ。
もちろんこの場合は、直通電話の先にいるのは、KGBやGRUなんだけどね。
でも、これが「お嬢さま」の仕業でなくて、本当によかった。
彼女が相手だったら、最初の包囲を抜けるのは無理だったろう。
包囲するにしても、最初の3両でウサギを取り囲んで、逃がさないよう牽制攻撃して、
あんこうを呼び寄せてから、残り6両を出してつぶす。
または、増援ごと3両で釘付けにしておいて、のこり6両でカメさんを捜索、撃破する。
お嬢さまにかかれば、カメさんの位置ぐらい、ピンポイントで当てられるだろう。
考えてみれば、おケイさんたちが姿を現すのが早すぎた。あれはミスだった。
『次は……』
西住先輩が考えている。
たとえ逆手にとっているとはいえ、何回もだませば気づかれる。
だから、あと一手で一気に勝負を決めようと考えているんだろう。
そして……、無線が流れる。
敵に聞かせるための無線が。
『全車、128高地に集合してください。
ファイアフライがいる限り、こちらに勝ち目はありません。
危険ではありますが、128高地に陣取って、
上からファイアフライを一気に叩きます』
そして、同報で携帯メールがきた。
無線の指令とは逆方向、敵フラッグ車がひそんでいる可能性の高いエリアに集合せよと。
僕たちは、やっと勝機をつかむことができた。
しかしこれは、本当にワンチャンス。
のがせば、待っているのは敗北だけだ。