大洗女子と、いまは元素に還ってしまった獣人中二病、そして、島田流の総帥にして
第一機甲教育隊隊長、島田一等陸佐を登場人物とする恐ろしく悲しい一幕の劇。
そのすべてを、島田隊長本人から、いま僕は直接聞いている。
きっかけは、実にささいなことだった……。
20年前、戦車道の授業があって、履修生もいっぱいいた、大洗女子学園。
東部方面の、機甲科員の供給元ということもあり、本来なら新人の陸曹クラスを教育する、
東部方面混成団の第一機甲教育隊から毎年、幹部3人がやってきて、試合に勝つよりむしろ
兵隊生活で苦労しないですむような、そんな教育をしていた。
この年が異例だったのは、三佐、一尉といったベテラン教官に混じって、幹部候補生を
終えたばかりの三尉がいたことだった。
それは、ほんの出来心だった。
当時の生徒会副会長をふくむ、7人の仲良しグループがあった。
彼女たちは、別な学校の男子生徒複数と、グループ交際みたいなことをしていた、らしい。
くわしいことは、わからない。彼女たち以外、だれも知らなかったから。
そして、男子生徒たちが、ちょっとした好奇心から、戦車を見たがった。
決められた土曜日の午後、大洗艦は大洗港区に帰投するのはいまとおなじ。
当時の戦車倉庫には、カードキーと、指紋認証によるセキュリティがかけられていた。
20年の間放置されていたため、いまは死んでいる。
不幸なことに彼女たちの中に管理者権限を持っている生徒会副会長がいたために、彼女たちは
やすやすと戦車倉庫に入ることができた。男子生徒たちを連れたまま。
副会長は、比較的大きい戦車3両のロックを、自分の持つマスターキーで解錠した。
男子生徒たちはてんでに「せまいなあ、おい」とかいいながら、戦車に乗り込んで、
一生目にするはずのないものを、喜々としてさわっていた。
そこに、わずかな偶然が加わった。
男子生徒の一人が、セルフスターターのスイッチを起動してしまった。
エンジンがかかり、倉庫を閉鎖すると動く煙感知器が、当直室にいた教官に異常を知らせる。
間の悪いことに、土曜の午後で授業がないため、三佐と一尉は地方事務所に出向いていた。
三尉は、おどろいて戦車倉庫に駆けつけた。そして、見てしまった。
大洗女子の生徒が、他校の男子生徒を校内に連れ込んで、戦車に乗っていたのを。
こうして、悲劇が始まった。
もし、駆けつけたのが世慣れした三佐殿だったら、もっと融通の利いた、大人の対応を
したかもしれない。「グレーゾーン」ともいうけど。
もし、彼女がただの新品三尉だったら、職員室に連絡して、土曜の午後も仕事している
教師たちを呼んだかもしれない。
しかし、彼女自身が、戦車道を体現した指導者だったことが、すべての選択肢を閉ざした。
だれあろう彼女こそ、戦車道の雄、島田流の宗家家元後継者、最高師範島田千代だったのだ。
彼女は、陸自ですらそうそういない、高位高段者の戦車道門人だった。
だから、戦車道にもとる行為を眼前にして、いかなる妥協の余地もなかった。
そして若かった。若すぎた……。
まず彼女は、女子校で男子生徒が何をしているのかと問いただした。
しかもここは、神聖不可侵の女子のみの領域、戦車道場だ。
これでは、単にここで説教して帰すわけにはいかない。
戦車道の根幹に関わる不祥事だ。ここに男がいるということは!
断じて許すわけにはいかない。彼女はそう確信した。
そして截然と、男子たちは全員警察に引き渡し、女子生徒たちにはただちに自宅謹慎。
そののち懲罰会議にかけて厳正な処分に処すると言い渡した。
彼女たちの弁明など、一顧だにしなかった。完全に黙殺した。
そのままことが進むなら、男たちはせいぜい補導か不起訴。女生徒たちも、副会長は厳しく
責めを負わされたろうが、悪くても自主退学。他の生徒たちもけん責の上クラス替え、数日の
停学で終わり、島田三尉も監督不行届につき、訓告か厳重注意ですんだろう。
だが、島田三尉の峻厳な態度がすぎたのだろう。
彼らはロックの外れた3両の戦車に乗り込むと、戦車倉庫から逃げ出した。
中甲板の隔壁を、全部副会長の権限でオープンし、あっというまに大洗の桟橋へ出た。
島田三尉は、ただちに上司たちに連絡。教員たちを呼び集め、警察にも出動を要請した。
しかし、脱走した3両の戦車は、自衛隊流教育の成果か、捕まえることができなかった。
後日判明したことだが、彼らはキューポラから女生徒が姿を見せた状態で、一列縦隊で堂々と
行進訓練でもしているかのように、安全第一走行で走り去ったらしい。
それならばまわりの人々も、単に女の子が戦車道の訓練をしてると思って、気にとめない。
警察も、「男が戦車を奪って逃走」というつもりで非常線を張ってるから、女子高生が笑って
「ごくろうさまです」と戦車で走っていっても、「がんばってね」と素通ししてしまった。
そして、大洗の戦車たちは、姿をくらましてしまった。
こんな事件を、公表するわけにもいかない。
捜査権を手中にした警察は、必死の極秘捜査を展開したが、手がかりはなかった。
一方で、大洗では、派遣教官3人が全部引き揚げとなり、履修生全員が4月にさかのぼって
選択授業の変更をするよう申し渡された。
この年度では、当初から戦車道の授業はなかったことになった。
すべての記録が削除され、生徒会長だけが閲覧できるアーカイブに、ごく断片的な資料だけが
残された。
生徒会副会長は、年度当初から空席とされ、7人の女生徒たちの学籍簿は、強制抹消された。
戦車はすべて売りに出され、売れなかった戦車をどうするか聞かれた教師はこう答えた。
「適当にうっちゃって(捨てて)おけ」
これらの措置に要した時間は1週間だった。
島田三尉らは、すべてが滞りなく行われたのを確認したのち、大洗を去って隊に復命した。
帰隊した島田三尉を待っていたものは、非公開の懲戒委員会への出頭だった。
正確にはそういう名目の辞令交付手続きだった。
聴聞も弁明も、形式的に行われたのち、東部方面総監代理がただちに辞令を交付した。
彼女は停職1年の懲戒処分を受けた。
普通であれば、ここで彼女は自分で辞表を書き、自己都合退職するところだ。
陸曹ならともかく、国家一級相当の幹部自衛官だ。
しかし、彼女が退官することは、周囲にも、陸自にも、彼女自身にも許されないことだった。
島田流継嗣に、そのような不祥事は許されない。
彼女がその地位にふさわしくない非行なり、実力のなさなりがあれば彼女は流派を追われ、
誰かが継嗣の地位についただろう。。
しかし、当時の島田流に彼女をしのぐものはなく、機甲科においてもその能力は将補に
匹敵すると評価されていた。もう、どうにもならなかったのだ。
こうして、だれもかれもが板挟みになった状態のまま、彼女は復職した。
彼女は、師範を教導する最高師範であり、師範たちは予備自衛官として、東富士で実戦主義の
稽古を受けていたのだ。
そして、彼女には地位と役職は与えられたが、実務は副役職の隊員が行って、彼女は機械的に
決裁、つまり書類にはんこをつくだけだった。
彼女の周囲は、顔では礼節を保ちつつ慇懃に振る舞いながら、だれも彼もが、彼女を同僚と
認めようとしなかった。彼女の意見具申は、やんわりと無視された。
表面上の丁重なあつかいの中で、彼女はひとり孤独な牢獄の中にいた。
そして10年の歳月が過ぎた。
しかし、行方不明の戦車がどこにいるのか、だれも知ることはできなかった。
島田師範はこの間に、一等陸尉に昇進していた。
これは、経験を考えれば妥当な人事だが、彼女の立場から言えば遅いと言っていい。
別な流派の家元家の継嗣なら、すでに陸将補に昇進した上で予備役に編入され、流派指導に
専念しているはずだった。
しかも、一尉と言っても、無役の一尉といってよかった。
隊を任されず幕僚に補されていたが、遊軍あつかいだったのだ。
そして、その年のある日。
駒門の近くの愛鷹山で、地元の幼児がどこの子どもともわからない同じ年頃の子どもと仲良く
なった。
その、出自不明の子どもたちは、地元の子どもに「本物の戦車」を得意そうに見せたという。
地元の集落では、その晩、大人たちが額を寄せ集めて相談し、勇気のあるものが土地勘だけで
山を登って、事実、そこに3両の戦車があることを確認した。
日付が翌日に変わったころ、駒門駐屯地に非常呼集がかけられた。
午前三時ごろ、島田一尉は、教育隊隊長室に呼び出された。
そこには、隊の幹部(階級と役職両方で)が、全員集まって、先ほどまで打ち合わせを
していたのがはっきりわかった。島田一尉抜きで。
教育隊隊長の一等陸佐は、かつて大洗にともに派遣されていた元三佐だった。
彼女は命じた。
「貴官に第一中隊第一小隊の指揮権を与える。
ただちに現場におもむき、戦車に乗った犯罪者どもを制圧せよ。
なおこれは、正式に承認された治安出動である」
彼女は復唱した。
「指揮権承りました。ただちに当該現場に出場し、当該容疑者の捕縛に協力……」
「――復唱が間違っている。やりなおせ」
あくまで、島田一尉自身に言わせようというのだ。
しばらくして、島田一尉が重い口を開いた。
「……了解しました。たたちに当該現場に出場し、容疑者を制圧します」
彼女のまわりを無言で取り巻く、全員の目が言っていた。
貴様の10年前の不始末の、けじめを完全につけろ。と。
愛鷹山に隠れ棲み、外との連絡をすべて絶ち、すべてを自給自足まかなっていた逃亡者たちは
目を覚ますと自分たちが、機甲科4個中隊と、県警機動隊はじめ武道専科上がりの助教といった
猛者だらけの警官隊に包囲されていることを知った。
というよりも、島田一尉を除けば、あえて自分たちの存在を誇示しているかのようだった。
このとき、彼、彼女らのあいだには、せいぜい5歳になるかならないかの子どもが、
全部で14人いた。男児が9人、女児が5人。
もはやこれまでと絶望した彼らは、子どもたちを洞窟に隠し、何があっても出てこないよう
言い含めると、戦車を動かして出てしまった。
非武装で投降しても、極秘裏に殺される。そう思ったのだ。
でも、彼らの敵は、どっちにせよ彼らを抹殺するつもりだった。
ただそれを、島田一尉一人にやらせようとしているだけだった。
隠れ家から出てきた3両の戦車は、教育隊の3個中隊と拳銃をすでに抜いている警官隊に
じりじりと囲まれていった。
やがて彼らは、島田一尉の小隊の方へと、誘導されていく。
そして、包囲は完成した。
「砲身を仰角一杯にして、投降しなさい!」
車外スピーカーで、島田一尉は彼らに投降を呼びかけた。
すると同時に、指揮下にない戦車の車長たちがキューポラから身を乗り出し、対空機銃を
かまえ、警官隊は両手で拳銃をしっかりと彼らの戦車に向ける。
「砲身に仰角をかけて! おねがいだから出てきて!」
その様子を見た島田一尉は、さらに必死に呼びかける。
すると、警官隊が1個小隊ほど、島田一尉の乗車を守るように取り囲む。
と、同時に指揮下にあるはずの戦車2両は、彼女の乗る戦車から間隔を開けて遠ざかる。
大洗から逃亡した戦車たちは仰角をかけるどころか、島田一尉のまわりが手薄と見て、
榴弾を装てんし、警官隊を一掃して脱出しようと砲を指向させた。
「島田一尉、このままでは警官隊が危険です」
74式戦車の砲手は、淡々とそう言った。
「もはや、本車が制圧するしかありません」
装てん手も、淡々と続ける。
「一尉殿。ご命令を」
操縦手が、命令せずに警官に犠牲が出たら貴様のせいだ。と遠回しにいった。
さあ、言え、言え、言ってしまえ!
『島田一尉。命令を実行せよ』
本部が、教育隊隊長が、彼女の逃げ道を完全にふさいだ。
「装てん、HE。砲手、装てんできしだい順次発砲。制圧せよ」
ついに彼女は命令してしまった。
「榴弾、装てんしました」
「目標の任意の方向に、威嚇射撃実施します」
105mm51口径L7A1が、火を噴く。
手前にいる、靴屋の息子の二代目へと。
「榴弾」は、十分厚いはずの砲塔防循に命中。
「二代目」は命中から一瞬遅れて、砲塔を吹き飛ばされ、あらゆるハッチから火を噴いた。
「これは、どういうこと!」
「装てんおわり!」
「命令に従い第二目標に射撃」
角張った戦車は、かまぼこ形の砲塔防循の下半分を狙われた。
砲弾は下に跳弾し、操縦席ハッチで信管を作動させた。
「や、やめなさい!」
「何をでしょうか? 不明瞭です」
「装てんおわり!」
「第三目標に制圧射撃」
鋳造車体の背の高い、水平スプリングのボギー式サスペンションの戦車は、
居住性がよい代わりに装甲が薄く、もっとあっけなく爆発、炎上した。
「制圧、完了しました」
「……私は、榴弾と言ったはずよ」
「はい、ですので榴弾を装てんしました。91式多目的榴弾を」
「これは……、成形炸薬弾じゃない!」
「お言葉ですが、前世紀末から、機甲科の榴弾はすべて『多目的』榴弾に更新されております。
当然ご存じと思います。島田流最高師範であるあなたは」
彼女は、車長席に崩れ落ちた。
すべてのシナリオが、できあがっていたのだ。
島田宗家も、そうさせろと言ったのであろう。
世界の戦車道の守護者として、かくあるべしと。
そうすることで、島田の地位を回復させると密かな約束があったのだ。
これだ。これこそ戦車道の『鉄の掟』、『男を戦車に乗せることあたわず』だ。
ならばそれが破られたときはどうなるのだ……。
鉄の掟はこう言うのだ。『断じて男に戦車を渡してはならない』と。
戦車に乗る女は誰も彼も、自衛隊であろうがアメリカ軍だろうが同じなのだ。
その指導者が、おきてに従えぬ半端物では困るのだ。
戦車を敵に向かわせ、薬室に砲弾を装填し、照準をつけて発火装置を起こすのは兵の役目。
だが、殺せと命令するのは、命令をくだすものの役目なのだ。
「お見事な采配。感服いたしました」
「味方に被害は、皆無でございます」
「さすがは、島田の最高師範」
「……。
つまらんな」
乗員たちは、初め誰の声かと思った。
つぶやくでも吐き捨てるでもなく、感情というものがまったくない。
その声の主は、車長席に脚を組んで座っていた。
その顔は、作り物のように見えた。
まるで能でつかう「小面」の面であるかのように。
「小面」は、乾いた声で、ゆっくりと話し始める。人間の言葉で。
「ふん。利いた風な口をきくな。
そんなことは当然だ。
あたりまえのことを、当たり前にやったにすぎぬ。
貴官らは、島田流をなめているのか。
……おい。そこの操縦手、貴様、なにをしている?
一佐殿に報告だ。さっさとつなげ」
「……はっ!了解」
「仕事が遅い。
――隊長殿。ご命令の任務は、過不足なく実施いたしました。
しかしながら、この程度の敵に過剰な動員、いかがなものかと愚考いたします。
島田の最高師範たる身としては、かくのごとき税金の無駄遣いは容認できません。
島田の家から、東部方面総監閣下に意見具申させていただきます。
報告は以上です」
同乗者の隊員たちは、いったい何が起こったのか、理解が追いつかなかった。
隊長からの、返信もなかった。
「小面」はふたたび、口を開く。淡々と話すとはこういうことだと言うかのように。
「撤収命令を、お出しください。隊長殿。
さわぎが大きくなる前にです」
返事を待たずに、彼女は通信を切った。
「なにをしている。
一から十まで指図されなければ何もできないでくの坊など、教育隊には必要ない。
鍛えてやる価値もない。
帰隊したら貴官らには予備役相当との意見書をつけて、上に報告する。
せめて最後の仕事ぐらいさっさとやらんか。撤収だ」
その後……
彼女は、その翌週に三佐に昇進し、混成団本部に転出した。
そして、彼女が「使えない」と判断した幹部は、どんどん実戦部隊に転出させた。
いつしか、第一機甲教育隊は、島田流の城下町になっていき、
優秀な教官は師範の地位とひきかえに島田流に引き抜かれ、海外進出の尖兵となった。
5年前、彼女は渋る家元宗家を隠居させ、家元と最高師範を兼務する絶対指導者となった。
同時に一佐に昇進、第一機甲教育隊隊長に就任。
いまは混成団副団長も兼務している。
そして、現在の島田流は、自由主義世界のほぼ全部に進出している。
島田隊長の昔語りは、これで終わりだ。
「そして今日も、鉄の掟とかにしたがって、彼らを残らず鏖殺したと」
あいかわらず、島田隊長の顔は、逆光で見えない。
そしてどんな表情かもわからない。
「然り、戦車と戦車道の純潔を守る。それも私の使命だ」
もう、理解を超えている。それがとおるこの世界。
でも、今日にかぎってだけは、僕は納得できない。なぜなら……
「しかし、今日のことは、あなたに復讐するのに戦車が都合がよかっただけの話です。
今日のことは、あなたが招いたことだ。
あなたが護衛艦の艦長なら、彼らは自爆艇で突っ込んだだろう。
ちがいますか? 戦車の純潔とやらは、まったく無関係だ。
これは、あなたと彼らの、単なる私闘でしかない。そうでしょう?」
「ああそうだ。まったくそうだ。
なまじ情けなどかけて、あやつらを児童養護施設などに送ってやったからこのざまだ。
理由をつけて、芽のうちにくびり殺しておけばよかったな」
居直ったか。
いまのあなたは戦車道の守護者なんかじゃない。
改心する前の、人の子を取って食らった鬼子母神だ。
「落ちたものですね、家元先生も。自分の生涯唯一の善行を否定なさるとは。
それに、あなたの戦車の道とかには、まったく共感できませんね。
僕の先輩のご母堂に、華道の家元先生がいらっしゃるのですが、
娘である先輩に、こう言ったそうです」
僕と島田隊長のあいだに、一陣の風が吹きわたる。
ひとかたまりの雲が、ぎらつく太陽を隠そうとしている。
あなたが必死で守ろうとしているものは、一般世間ではなんななのか。言ってやる。
「戦車などという、野蛮で、不格好で、うるさいだけのガラクタなど皆、鉄くずになればいい。
……僕には、そっちの方が、よほど納得できますよ。
この世界に戦車などあるから、このざまだ。
この世界で戦車に乗りたがるような人間は、男だろうが女だろうが
どうしようもない、ろくでなしの『いひゅうもん』だ。
今日は、そのことがよくわかりました。
あなたは単なる、殺人鬼です。
それに戦車道の純潔ですって? ……ははは。自分で言ってて恥ずかしくないですか?
あなたには大事なことなのかもしれないが、僕にとってはどうでもいいことです」
「異風者か……。ふん、西住しほに会ったのか?」
「いいえ、会ったことはありません」
そのとき、ひとひらの雲に、太陽が完全に隠れた。
島田隊長の右手が、すばやくひるがえる。
いつのまにか島田隊長は、ショルダーホルスターから私物の大口径拳銃を抜いていた。
銃口からはけむりがたなびき、区分で言えば「砲弾」に当たる弾を撃っていた。
片手撃ちで放たれた.454カスールだかなんだかの弾は、僕の頭上1フィートを飛んでいき、
衝撃波で僕の迷彩制帽と、銀髪のウィッグを吹き飛ばした。
「なめるな、小僧。
私は、お前だって殺したくて仕方がないのだ」
そのとき、太陽にかかっていた雲が、完全に陽光をさえぎった。
逆光で見えなかった島田隊長の顔が、ようやくはっきりと見えた。
そこにいたのは、もはや「小面」ではなく「般若」だった。
10年の歳月の間、女どころか人間まで捨てて、戦車の鬼神と化したものの顔だった。
しばらく僕たちは、無言で対峙していた。
般若は重いハンドキャノンを片手で保持したまま、微動だにしなかった。
僕も、なんの感興もなく、じっと般若の目を見つめていた。
ふたたび雲が動き、また逆光で島田隊長の顔がシルエットになる。
「つまらんな」
島田隊長がそう言いながら、僕に向けていた大口径拳銃をホルスターに戻した。
「花であろうが金属であろうが、この世界にある元素からできている物体であることに
何らかわりはない。
それに意味を見いだして、アレンジするのは人間だ。
そして、永遠に強い戦車がないように、永遠に咲き続ける花もない。
いつかは朽ち果てるか、枯れて消える。それがこの世の定めだ」
島田隊長も、その話をするのか。やっぱり彼女は『般若』なんだろうか。
しかし、この戦車道の鬼は、残りの後半を説くことはなかった。
「お前は、さらにつまらんな。
お前は自分が女だと標榜している。
にもかかわらず、実は女の本質がわかっていない。
お釈迦様でさえ、こういうのだ。
……女人は地獄の使いなり。よく仏の種子を断つ。
外面は菩薩に似て、内面は夜叉のごとし。
そして女は、梵天、帝釈、魔王、転輪聖王、仏、にはなれないそうだ。
私はまことに然りと思う。
私から見れば、そんな女になりたがるお前もまた、今どきあまた存在する
女にやくたいもない夢を見ている半端物の男でしかない。
その華道のお師匠も大概だが。それを持ち出すお前も女の本質を知らぬ。
そんな女がどこにいる。笑止だ」
それならどれほど幸せか! と、僕は言おうとして気がついた。
この人は、自分のことを言っているのか。
ここまでつきはなして、冷然と。
なら、それに便乗してやろう。
「あなたは考え違いをされている。
あなたのおっしゃったこともまた、男どもが女に押しつける勝手な願望の裏返し。
男の都合を言っているにすぎない。構ってやる必要もないですね。
男どもが女に勝手に菩薩だの夜叉だのというレッテルを貼ってるだけだ。
だったらいうまでです。それは男が女によこしまな心を抱いているのが悪いのだと。
そして僕は、女になろうとしているのではなく、すでに女なんです」
島田隊長は、ただじっと僕を見すえている。
続けろ。といいたいようだ。
「そう、僕はずっと、男の中の女だったんです。生まれつきの障がいで。
中学に進んで、保体が男女別になったときが、いちばんこたえましたね。
男子が『男』になっていくのを、目の当たりにし、
男が女をどう思っているのか思い知らされ、
そして僕だけ、男だけの中で服を脱いで着替えるんですよ」
島田隊長は、なんとも微妙な表情になった。ようだ。
「僕は、こんなふうに、男と女のはざまでものすごく苦悩してます。
将来、適合手術を受けようが、形だけ似せたまがい物にしかなれません。
『母』にだけは、決してなれないのです。
そして手術を受けようが、男から見れば、僕はあいかわらず男です。
ですが。
これは僕にとっては重大なことですが、あなたにとってはどうでもいいことなんです」
僕も、これで言いたいことは終わった。
僕は、無言できびすを返し、100mはなれたMi-26の、すぐそばにあると錯覚しそうな
巨体に向かって歩き出した。
でもね、島田隊長。
鬼子母神も母親なんですよ。
あなたもそうであるように。
お釈迦様が鬼子母神の、百人いる子どもの末っ子を隠したとき、
半狂乱になった鬼子母神は、無間地獄の底から帝釈天の住処まで、
ありとあらゆる世界を探し、髪振り乱しやつれはてて、最後にお釈迦様のところに来た。
お釈迦様は言った。
そなたには百人の子どもがいよう。
ならば、ひとりいなくなったところで、なげくことはあるまいと。
鬼子母神は答えた。
いいえ、お釈迦様。
母親にとっては、どの子どもも、ひとしくいとしいものでございます。と。
それを聞いたお釈迦様は、あえて厳しい表情で言った。
ならばそなたは、なぜ人の子を取って食らうのだ。
たとえばたったひとりしかこどものなかった母親の嘆きは、いかばかりのものか
そなたは、考えたことはあるか。
自分の業を悔いた鬼子母神は、悪業をやめ、仏を信じるものを守護するとちかう。
そして、お釈迦様は、鉢に隠していた彼女の子どもを返してやった。
鬼子母神は、贖罪の鬼神なんですよ……。
――ああ、ひとつ大事なことを聞きそびれた。
僕は足を止め、ふたたび後ろを振り返る。
島田隊長は、さっきのまま、10式のキューポラから上半身をのぞかせている。
少しはなれてみると、やっぱり、いい体格をしている。
「島田隊長。最後にひとつ教えてください……」
「……何だ」
島田隊長のシルエットが、両腕を組んだ。
「ええ、どうしても聞きたいんですよ……」
そうだ、これから聞くことは、一歩間違えればとんでもない結果を生むだろう。
僕も緊張する。
「島田隊長。あなたが高校生のころに……」
島田隊長も、ん? と身を乗り出すのがわかった。
僕は続ける。
「西住しほ先生と、戦車で箱乗りしてタイマン張ったんですってね。
そのとき、釘バットを振り回していたのはどちらです?」
島田隊長は、腕を組んだまま砲塔の天井に突っ伏した。
ひたいと砲塔がぶつかって、ゴン、と音を立てた。
……どうやら、答えは得られそうもない。
僕にとっては大事なことなんだけどね。
しょうがない。帰……。
「……私だ」
は?
僕の目が点になった。
まさか返事が返ってくるとは思わなかった。
ずっこけさせて終わりにしようと思ったのに。
「そうだ、私が釘バット、あいつが鉄パイプだ。
ガキのころのやんちゃ話だ。
――ついでだから、知らないなら教えてやる」
島田隊長が、突っ伏した身体を起こし、僕に顔を向ける。
こんどは、僕が身を乗り出す番だ。
いったい何が聞けるのだろう。わくわくする。
「西住しほはなぁー、それはそれは恐ろしい顔をした女だ。
一年ぐらい、夢に出てくるようなだ。
地獄の閻魔様も、泣きべそかきながら逃げまわるレベルのだ」
冗談に聞こえるが、島田隊長は真剣だ。
うぇっ!
この人が恐ろしいと思う顔が、この世界にあるのかっ!
……で、でも、この人がいうことだから、めちゃくちゃ説得力がある~。
このとき僕は、絶対に西住師範大先生にだけは、決して会うまいと心に決めた。
一年も、夢に出てこられたら困る~。二重の意味で。
そして、僕は確信した。
西住先輩は、絶対に父親似だ。
Mi-26の、リアゲートの前で、大河さんが立ったまま、僕を待っていた。
「話は、すんだか」
「……ええ。何もかも終わりました」
大河さんは、ふん、と鼻で笑う。
「よくもまあ、.480ルガー仕様のレイジング・ブルで撃たれて、腰をぬかなさなかったな。
てえした度胸だ」
ほお~。カスールよりもさらにでかいんですか。
よくもまあ、それを片手で撃てるものだ。
でも大河さん、僕に関しては過大評価ですね。それは。
「いいえ。僕はさし迫った危険じゃないと身体を動かすのがおっくうな、なまけ者なんです」
こんどは、大河さんがこける番……
……いや、こけなかった。
「大河さん。たぶん島田隊長は、畑を荒らすイノシシか鹿を見つけたから、
害獣駆除のために撃ったんでしょう。
あれは狩猟用の拳銃で、対人戦闘用じゃありません」
「ほう。じゃそういうことにしておくかい。
帰るぞ、山本。ヘリに乗れ。
……ふふふ。般若のお千代をズッコケさせるとは、本当に空気嫁だな」
ふう。なにもかもお見通しか。
Mi-26は、再び空に飛び立つ。
めざすは、とうぜん大洗女子戦車隊がいる、東富士演習場のかたすみだ。
ヘリのキャビンで、大河さんがタブレットをいじって、何かの画像を表示している。
「なにか、見つけたのですか?」
「見るかい……」
画像は、防大を出た女性が幹部候補生として採用されたときに取った、記念写真だった。
真新しい機甲科徽章をつけた女性が、ふたり並んで写っている。
「右が、お千代だよ」
僕は、なんともいえない気持ちになった。
20年以上前の写真の中の島田隊長は、背は高いけど、どこにでも普通にいる女性だった。
同期らしい僚友と、笑顔で写真に納まっている。
……僕は、急に悲しくなった。
その笑顔が、悲しかった……。
やがて、ヘリはゆっくりと降下しながら、めざす場所にランディングした。