僕と大河さんが、駒門公園のそば、演習場の境目ギリギリの、大洗戦車隊が待機している
ちいさな森林地帯に帰ってきたとき聞こえたのは、大野あやちゃんの声だった。
父専用機のロクマルを指さして、激しくつっこんでる。
「わあー。痛ヘリだー」
「おいおい。痛ヘリはないだろう。
これはノーズアートといって、歴史のあるものなんだよ」
……父さん。
リーベンチェズをノーズアートといっても、説得力皆無ですよ。
じっちゃんも、こんなんよく描いたものだ。
でも、機首に女の絵ばかり描いたアメリカのパイロットも、今日基準ではやっぱり痛いかも。
「おじさん、アイパッチしてるけど。それって『なんちゃって』なんでしょー」
「……玲だなぁ。そんなこと教えたのは。まったく」
桂利奈ちゃん、父がしてるのはピンホールが空いた視力矯正用だけど……。
さすがに父の笑いがひきつってる。
「だめよ桂利奈ちゃん。アキラくんのお父さんは、私たちのためにお金を横流ししてるのよ。
もっとヨイショしなきゃ」
「よ……横流し、って、キミ」
父が優希ちゃんに、こんどは横領犯にされている。ざまあ。
「あ、アキラくん。お帰り」
そういう梓ちゃんが、けさ別れたばかりとは思えないどこか遠くの人のように思える。
「梓ちゃん、……いま戻りました」
「あ、帽子とウィッグはずしたんだ。どうしたの?」
「……。
風に、飛ばされました」
「そーなんだ。ここは風吹かなかったけど」
僕の姿を認めた西住先輩が、こっちに向かってくる。
何を話せばいいんだろうか。
いや、生徒会長の持つ機密だ。それをはしょって結論だけいえばいい。
「アキラくん、お帰りなさい。
それで、どうなったの?」
僕は、知らせていいことだけを先輩に話す。
「すべて、終わりました。
うちの生徒5人も、無事保護しました。
僕たちがこれから先、あのふんどし獣人に会うことはないでしょう」
「ああそうだ。みんなとっつかまえたからな。
あんたらのカイチョーさんも、すぐに帰ってくるさ」
大河さんだ。
子どもにウソをつくのは大人の仕事。ということらしい。
そして今度は、父に話しかける。
「将補殿、ご協力痛み入ります。
すべて順調に進行しています」
「いやいや、こちらこそ我々の『仕事』へのご協力、大いに感謝する」
今ごろは、日本に数カ所ある「T2」のアジトが空挺や特戦群や警察のSATに急襲され、
計画の成否に気を取られて油断しているところを「制圧」されていることだろう。
だれひとりとして、『検挙』されることはない。
そんなことしたら報道しないといけないし、とりつくろうための『作文』を事実にできない。
「玲、ちょっとこい」
父がロクマルのキャビンに腰掛け、僕を手招きする。
どうせ、ろくでもない話だろう。
父はさっきまでうちの生徒たちに見せていた愛想笑いを引っこめ、不機嫌な顔をしている。
「約束は覚えているな。大洗女子がいまの大会で敗退したら、お前はすぐに大洗女子をやめろ」
やっぱりその話か。
まかり間違ってサンダースに勝ったものだから、いらいらしているようだ。
「ふん、聞いたぞ。
男の中での着がえがつらい?
そんなもん、慣れて見せろ、耐えて見せろ。
お前は、どうあがこうが、しょせん『男』なんだよ」
「島田一佐殿も、ずいぶん口が軽いようですね」
「一佐も、お前の存在がうっとうしくて仕方がないようだ。
だが、もうフロックはありませんから、安心してください。と太鼓判をくれた」
この人間にとっては、僕がどうなろうが、知ったことではないらしい。
僕がエリート自衛官になって、栄達することが、あなたにとって大事なことらしいが、
僕にとっては、まったくどうでもいいことなんです。
僕は底知れない世界の深淵を見てしまいましたから。深淵もまた、僕と共にいるのです。
「つぎも、勝ちますよ。
僕らには『鬼』がついているのですから」
そう、鬼だ。
鬼ばかりだ。
ひとまるに乗った鬼。Mi-26に乗った鬼。
ブラックホークには、日本鬼子。
そしてあそこには、平常心の鬼が、戦車の鬼神とガールズトークしてるんだ。
鬼。鬼。鬼。
どこかのドラマじゃないけれど、本当に鬼だらけだ。
そしてここにも肩にデカい星をつけた鬼が、せがれの阿修羅と語らっている。
実に楽しい。
ねえ父さん。女はみんな、鬼だそうだよ。
外面似菩薩。内面似夜叉。
世の男たちは、ぜんぜん知らない。
でも、女で初めて仏陀になったのは、畜身、けだもののドラゴンの、八歳の少女だったんだ。
人間の女と自分を比べ、自分はなんてみにくいんだと泣いていた女の子だ。
しかし彼女は、男も女も、あらゆるものを超越した存在となっていった。
ねえ、獣人中二病。
無間地獄は楽しいかい?
僕は楽しいよ。けだものの方が、鬼よりよほどまともだから。
いったいどっちが、地獄なんだろう。
此岸か、彼岸か。
翌日。
僕たちは学園艦で、大洗町への帰途についていた。
新聞の朝刊のベタ記事で、火災で全焼した倉庫が2つ、ガス爆発事件が1つ、廃工場が炎上。
いまだに燃えている山火事が1つ、報じられた。それだけだ。
テレビでもアナウンサーが、カンペ読んでおしまいだ。
だって死者は『0』なんだから。『人間』のは……。
2日間の航海を終え大洗艦が大洗に帰港したとき、埠頭で待っていた人がいた。
今回いちばんひどい目にあった、生徒会長角谷大統領だ。
登舷礼というわけにはいかないが、タラップには生徒会幹部と風紀委員長。
そして西住先輩と僕が並んで、帰還する生徒会長を出迎える。
「会長。おつかれさまでした。
引き継ぎを行いたく思いますので、会長室に上がりましょう」
「アキラ。いな、仮会長山本玲。
引き継ぎの前に、君の復命を聞きたい。
ブリッジ最上部の露天見張り台に、本日1500時までに上がってこい。
……非常事態はまだ継続しているものと、私は認識する」
それだけいうと、大統領は小山さん河嶋さん両名をともなって、学園ではなく、
大洗艦のブリッジに入っていった。
非常事態はまだ継続。それは、まだ片付けなければならないことがのこっている。
そういいたいのだろう。
確かに、会長には話さなければならないことがある。
そして、それをどうするのかも。
僕は、一枚のデータメモリーカードをとりだした。
大河さんは、例のパスワードを消した中二病のセルフ取り動画だけをそれにコピーして、
僕に渡した。
あとで必要になるんじゃないか。といって。
指定された時刻になった。
僕はブリッジ最上部の露天展望台に通じるドアを、ゆっくりと開ける。
あの日と同じで、空はほぼ快晴だ。
海の上なのに、海風もなく、波は静かにたゆたう水面。
街の喧騒も、ここまではとどかない。
普通なら『露天艦橋』とでもいうところだろう。
僕の胸ぐらまである塀が、ぐるりとこの場所を取り囲んでいる。
むかし置かれていただろう航路監視用の双眼鏡の支持架だったものが、
いくつも手持ちぶさたという風情で、たたずんでいる。
ブリッジは船体前よりの、右舷の舷側に立っている。
左側には、この学園艦の甲板上市街地が、右側には、海。
航海科の演習船や漁業科の漁船団を出迎える時間だから、一度外海に出たのだ。
角谷会長は、先にきて僕をまっていた。
5人の女生徒を連れて。
あの5人だ。
そして角谷大統領は、海を見渡しながら口を開く。
「君たち、ここは死ぬにはいい場所だろう。
だが、あそこの山本玲が、君らのリーダーから預かっているものがあるという。
海に飛びこむのは、それを見てからでも遅くないだろ?
……アキラ。持ってきたか?」
「はい、ここにあります」
僕は、タブレットを起動させる。
システムが立ち上がったタブレットのスロットに、くだんのメモリーカードを挿し、
サウンドのミュートを外してボリュームを最大にしてから、会長に渡す。
角谷会長は、5人といっしょに再生画像に見入っている。
5人は、さらにくりかえしあいつの画像を再生した。
彼女たちの目に、涙が浮かんでいるようにも思える。
彼女たちにとって、兄弟同然に育った人物の、最後の姿。
彼は、この人たちを初めから生かして無事に返すつもりだった。
組織から、バイオテロをしろと命じられたのを逆手にとって。
そしてこの間に、僕は会長室と東富士で見聞きしたことすべてを、大統領に話した。
「ゲハイムだな。アキラ。
このことは私とあんたの間だけの秘密だ。
誰にも明かすな。だが、忘れることは許さん。
あとで、20年前について、私たちで『ウソ歴史』をつくろう。
その記録が、今後この学園における唯一の『真実』となる。
……彼女たちはなこの船で目を覚ましてから、復讐は失敗し、男たちは皆死んだと聞いて
自分たちも死ぬと騒ぐので、鎮静剤で眠ってもらっていたんだそうだ。
君が持ち帰ったものを見れば、ふたたび生をまっとうするかと思っていたが」
「島田千代! 殺してやる」
「私たちの手で、絶対に!」
「……どうやらあさっての方にいってしまいそうだ。
アキラ、止めろ!」
ここから下に降りる唯一の通路へのドアに彼女たちは向かう。
一瞬早く、僕がドアの前に立ちふさがる。
そして、会長のマスターキーで、ロックをかけてしまった。
これでもう、このドアは内側から別なキーで解錠するしかなくなった。
「どこに行こうというのです」
僕はキーを持ったまま、ブリッジ屋上を塀に沿って、左舷側に歩いて行く。
そして塀の1メートル手前で、彼女たちに向き直った。
「しれたことだ、兄弟たちの、そして親たちの仇を討つんだ」
「カギを寄越せ。山本」
僕はしばらく、口を閉ざし、だまったまま彼女たちと対峙する。
この人たちは、わかっていてそれでも中二病の思いを無にしようというのか。
「やめませんか? 手を下してひと思いに殺すなんて」
彼女たちは、当然僕に敵意を向ける。
とびかかってカギを奪おうと身構えるものもいる。
「僕のいうことを聞けないというなら、このカギをここから上甲板に放り投げますよ。
すこし話をしませんか。僕と」
「そーそー。私もいまはカギ持ってないしね。こいつのいうこと聞いた方がいいと思う」
大統領は彼女たちをはさんで反対側に、少し距離を取ってまわりこんでいた。
「ふう……。あのですね。
今あなたたちが徒手空拳でむかったところで、返り討ちにされるだけです。
あの彼もそんなことは望んでいないでしょう」
「そんなことは、やってみなければわからない!」
やれやれ、まいったなあ。
説得には骨が折れそうだ。
「彼がどんな生き方をしてきたのか、僕にはわかりません。
ですけど、想像を絶する人生と、社会の裏側でうごめくあれやこれやを利用したりされたり
そんな駆け引きができるようになった時点で、自分たちがやろうとしていることの
無意味さを理解したのでしょう。
だけどあとの13人は、あくまで仇討ちを望んでいる。
なら上手くいかないのは承知の上で、せめて一緒に死んでやろうと思ったんでしょうね。
でも、あなたたち5人は、道連れにしたくなかった。
父も母も、そんなこと望んでないだろうから。
それに、……直接手を下して殺そうなんて、まったく無意味です」
そう、意味がない。復讐という点で。
「だまって許せというのか? 私たちが今日までどんな思いで生きてきたか」
「無意味とか、憎しみの連鎖とか、きれい事が言えるのは人ごとだから……」
僕は、それを手で制した。勝手に先回りしないで、人の話は最後まできいてほしい。
「ちがいますよ。
もし、僕が自分の親を殺されたなら、ひと思いに殺すなんてことでは気がすまない。
それにですよ。もし、仮に本懐を遂げたとして、そのあと、どうなります?」
ええ。みなさん、これが一番大事なことなんです。
「あなたがたは殺人犯として裁かれ、島田隊長は被害者として世の同情を集める。
あなたがたは、単なる悪人として、生涯を終えるんです。
そんなこと、ご両親や、あの彼が、喜んでくれるんですか? どうですか?」
「……じゃあ、あんたはどうするのよ」
僕は、大統領の方を見た。
大統領は、ひさびさに真っ黒に笑っていた。
ふふ、あんたは、殺されたのが父親だったら、かえって仇にお礼をいうんじゃない? と、
大統領の目が言っている。
そうかもしれないなあ。
じゃあ、母さんが殺されたと仮定しよう。
「仇のなにもかも、すべてを奪い取り、怒りのあまり憤死させるか、
まったくの絶望に追いつめて、ついには自ら死を選ばせるか。
そこまで徹底的にやらなければ、僕は気がすまない」
皆が唖然とした。
僕は、何もまちがったことは言っていない。
生きたまま地獄に落としてやる方が、楽しいからね。
「そのためには、いまはこらえて力をつけるべきでしょう。
臥薪嘗胆して、社会に出て、誰も無視できないほどの力を身につけて、
仇を社会的に合法正当に、徹底的にいたぶるんです。毎日毎日。仇がくたばるまで。
だから今はこの学校に残って、死んだつもりで努力してください。
あなたたちは、まだ高校生。
島田隊長は、現時点で40の坂を越しています。
あなた方が社会で力をつけたとき、彼女は老いぼれです。
そうなってから痛めつけた方が、楽しいじゃないですか」
僕は、笑っている。
せいぜいニコニコと、かわいらしく見えるように。
でも、その努力は失敗しているみたいだ。
皆の反応を見る限り。
なにか、この世のものではないものを見ているような……。
「うん。俺もそう思うぜ」
え?
僕の後ろの、誰もいないはずの空中から声が聞こえた。
「アキラ。あんたの後ろで壁よじ登ってきた怪奇ミイラ男。あんたの知り合い?」
大統領が、僕のうしろを指さしている……。
僕はおそるおそる後ろをふり返り、すぐにまた前を向いた。
いるわけがない。
赤マントに赤ふんどしを締めた全身包帯の、ミイラ男なんて。
「ね、いたでしょ?」
「いるわけないでしょ! タングステンマテリアルのかけらで全身切り刻まれてミンチに」
「なっていないんだなあ、これが。
毎日何個か、タングステンの破片が身体からでてくるがな」
いや、僕は信じないぞ。
「いるわけないですよ。その後ごていねいに、MATが開いた天井ハッチから飛びこんで、
見事大爆散した戦車に乗ってて、原型とどめてる奴なん……」
「いやー、爆発してくれたおかげで5kmぐらい吹っ飛ばされ、市街地に落ちたんだな。
全身100%ヤケドですんだぜ。爆発してなければ蒸し焼きになって、1年は寝たきりだった。
病院にかつぎ込まれたとき、俺がしゃべったんで大さわぎになったが、大げさなんだよな」
いやいやいやいや、絶対にいるわけない。
それで死なないそんな人外いるわけないだろおっ! 気が狂うわ。
「とにかく、俺もそこのコウモリ野郎のいうことに賛成だ。
いま、あの般若様にかかっていったところで、あわれ返り討ちが関の山だ。
短気にことをやらかすと、こうなるってわかったろ」
「……ナオト」
そうか、獣人中二病改め生きているミイラの本名は、ナオトか。
たしかに、ありふれた名前だ。
中二ネームを名乗りたい気持ちも、わからなくもない。
「ふーん。あんた、苗字は?」
大統領がのほほーんと、生きているミイラのそばまで来た。
好奇心だけで行動するのはお勧めできないけど、まあ大統領だから。
「親はナオトとだけ呼んでいた。
児童養護施設に引き取られたとき、戸籍を作って苗字も決めたみたいだが、
俺が人買いにさらわれたときに、死んだ扱いになっているからな。
だから、ない」
「ふーん、そうなんだ。
ところでアキラ。コイツが今回の主犯ってことでいいの?」
真っ赤なマントに真っ赤なふんどし。これに予備があったというならそうかもしれない。
でも、いちおう本人確認をしてみよう。
「ニブルヘイムエディタって、漢字でどう書くの?」
「死界教典」
「この人たちのコードネームは?」
「星屑の煌き(スターダスト)」
「この人たちは、自分たちのことを何て言ってた?」
「闇の一族」
もうまちがいない。この中二っぷりは、確定です。
「はい、まちがいありません。
そこにいる生きているミイラは、もと獣人中二病です」
「ふーん。じゃあ私はコイツのおかげで、冷泉と同じ水戸署の女子休憩室に軟禁され、
署長さんが毎日自腹でおいしいものごちそうしてくれたというわけだ。
だったら、ちゃんとお礼しないとね」
大統領は、塀を乗り越えたばかりの生きているミイラの前に立つ。
笑いながら。
知らないよ~、もう。どうなっても。
「みぎゃあああああぁぁぁぁ――――――……」
ひゅううううううう……。
一瞬のことなんで、大統領がなにしたのかわからなかった。
高速で掌底をミイラにぶつけたんだ。
運動エネルギーは質量×速度の二乗。だから速度の方が重要。
思い切り速くふれば、わりばし袋でわりばしを斬れる。
前世紀の全盛期の空手の鬼なら、ボトルネックを手刀で切っちゃう。
いま、なんか、ソニックブームまで起きていたような気が……。合掌
「大統領。これならあのバトルスーツ、いらないじゃないですか」
「相手が体重100kgまでならね、外国人関取みたいなのが攻めてくるかもしれないし」
ありえないと思うけど。
でも、そういう想定なら掌底というより「張り手」ということなのかな。
柔道家が相手なら、とくいの自己流背負い投げが爆発するだけだし。
それにしてもなあ。逮捕されたから心配してたのに。
「僕はてっきり、水戸署で毎日天井からぶら下げられて、刑事さんたちに水ぶっかけられながら
木刀でバキバキたたかれていたと思っていましたよ」
「アキラぁ~、いつの時代のお取り調べだよ。それ」
まったく、何日もごちそう攻めだったなんて、心配して損した。
そう思ってためいきをついたそのとき、なんか下からどかっという音がして、
奴がここになげたカギ縄がピンと張って、ドドドドドと、ここに何かが昇ってくる音がするー。
いやだぁー。
「まだだ! まだ終わらん……」
どか!
「みぎゃああああぁぁぁぁぁぁあぁ!!」
なんと、ミイラは空中で縄をつかんで、また壁をよじ登ってきた。
そしてこんどは左の掌底がクリーンヒット。
そしてまた、縄がピンと張って下からドドドド……
それが20回ばかり繰り返されただろうか。
ミイラは屋上までなんとかまたまたよじ登ったのだけど、こんどは張り手が飛んでこない。
大統領はもう疲れたわけでもなさそうなのに、腕を組んで不死身のミイラをじっと見てる。
「……」
「どうしたんだ?」
大統領は心底あきれたといわんばかりに、両手を広げ、首を振る。
「……お前、いい根性してるじゃないか。気に入ったよ」
「へ?」
大統領は、僕の方を見て、ふっ、と笑った。
「そこにいるナマケモノコウモリだったら、そもそも最初からカギつきロープで登ってこない。
エレベーターで昇ってくる」
比較の対象が僕ですか?
しかも僕のいわれようが、だんだんひどくなってませんか。
あしゅら男爵の方が、ずっとマシです。
大統領は、今度はあぜんとしてぼーぜんとしている5人の女生徒に視線を移す。
「どう? いまのナオト君をみて。
すこしは考えろとは思わない?
優秀な働き者って、ときどきこうなるんだ。そして過労で倒れる。
力任せでは、かえって悪い結果になることだってある。
いまの君らが、まさにそうなの。
コウモリみたいに空を飛ぶんじゃなく、ペンギンみたいに潜水してもいいんじゃない?」
ああ、イソップ寓話の改変バージョンだ。
けものと鳥のあいだで裏切りご免をするんじゃなく、ペンギンを連れてきて和解させる。
ペンギンは鳥なのに空が飛べず、川や海に住むけもののように海にもぐってすいすい泳ぐ。
そして、コウモリとペンギンを見たけもの軍と鳥類軍は、争う理由がなくなった。
「で、ナオトくん。キミだけど。
これから先、どうするか決めてるの?」
「うーん。そこまで考えてなかったな」
「じゃあ、うちで用務員やんない?」
「はぁ?」
うーん。僕にもわかんない。
大洗女子で用務員やることが、どう彼のリベンジにつながるんだろう。
「君は、なんかの事故で大けがをして海上に漂っていたのを、私らが救助したことにする。
目を覚ました君は、ナオトという名前以外、すべての記憶をなくしていた。
そして、君らしき人物は、行方不明者の届け出リストには載っていない」
もちろん、そうなるだろうと思う。
該当する海難事故もないし、これだけ極端な特徴の持ち主が2人といるわけがない。
その上、彼の戸籍は失踪宣告ですでに消除されたようだ。
とうぜん、住基情報もない。
「そこで、学園長が身元を引き受けて、あらためて君の戸籍を作ることにする。
君は、記憶を取り戻すまでここで働いて暮らす。
ある日君は、失われた記憶にこだわっても仕方がないと考え、戸籍ができると同時に
大検を受けて、大学に行こうと考える」
なるほど、そういうことか。
いい考えに思える。
「ここで働いて、飯や被服は現物支給で、給料は全部貯金する。
そして、貸与じゃなく給付奨学金をがっぽり出してくれる大学にいく。
うまくいけば、自活しながら卒業できるだろう。
それからあとは、一生懸命がんばって、そこのナマケモノがいったことをめざす。
どう?」
さすがにちょっと、ひとこといいたい!
「なまけ者なまけ者って、僕だっていろいろ努力してます!」
「でも、やる気もむほん気もない。人にとって代わろうともしない。
すすんで人の上に立とうともしない。メアリーにもならない。
そういう意味では、君の父上やじっちゃんの方がずっと立派。完全に名前負け。
大おじ様に至っては、もうなにをかいわんや。どこも似ていない。
いわれたくないなら結果を出してみろ。あんた流されすぎ!
本当に高等工科に行った方がいいんじゃない?」
「ひ、ひどい……今回だってこんなにがんばったのに」
「権限押しつけなかったら、あんたはなにもしなかった。そうだろう?」
た、確かにそれは否定できない。
そしてこんなやりとりに、とうとう怪奇ミイラ男が笑い出した。
あーあ。こいつにだけは、笑われたくなかった……。
「なるほど。
あんたって人がよくわかったよ。大統領閣下。
ここにいるのも、なかなか面白そうだ」
「それだけじゃない。ここでこの5人を守ってやれる人間が必要なんだ。
わかるよね」
「――私たちは」
立ち上がろうとする彼女たち。
それを、まあ待てと制したのは、生きている怪奇ミイラ男だった。
「直接手を下してケリをつけるつもりなら、俺が死んだと思って油断している一佐殿を
とっくにやっているさ。まあ、今度こそ俺も死ぬだろうけどな。
だがな、それでは俺たちの親の不名誉をぬぐうこたあできねえだろ。
俺も思うんだ。勝たなきゃリベンジにならねえってね。
兄弟たち8人は、テロリストの汚名をきたまま、死んじまった。かわいそうにな。
……ちゃんと墓建ててやろうぜ。親たちとあいつらの。
いまは、こらえて生きよう。死んだ人間の分まで。
そして、意地でも偉くなってやろう。そいつがいうとおり、復讐は、それからだ。
そうじゃなきゃ、みんな浮かばれねえぞ。
もっとも、今すぐ奴が死ななきゃ気がすまねえっていうなら。俺一人でやってくる。
ついてこられてきても、足手まといにしかならねえから置いていくぞ」
やっぱりそうなんだ。彼にはもう、島田さんを殺す気はない。
これはだれが悪いという問題じゃない。巡り合わせが悪かった。
不運が重なって、こうなってしまった。どっちもどっちだった。
これ以上誰の血が流れても、よろこぶのは悪魔だけだと彼は思っている。
苦労ばかりしてきた彼は、どうすればいちばん建設的になるのか、それを考えてる。
きっと僕と同じ事を言うために、彼はここまで来たんだろう。
彼女たちも、ミイラ男がいますぐ復讐する気がないのを知って混乱しているようだ。
というか必死に張り詰めていた気がそがれて、思考が空回りしているみたいだ。
「で、一番大事なことなんだけどさあ」
大統領。今度はなにをいうつもりなんですか。
一番大事なことって……。
「君たちの親、20年前のここの生徒たちとその交際相手は、よりによってもっとも高価な
戦車を持ち逃げしたあげく、全損にしてくれた。
つまり、君たちは親の残した負の遺産を相続している。
……返してくれるまでは、勝手に死なれたら困る。
社会に出たら、弁済してもらうよ。
……だからそのためにも、ここにいてくれ。ナオトもね。
今後のことは……、……まあ、なんとかするさ」
ここまできて、なんつーことを……。
でもなんだろう? 妙な歯切れの悪さを感じる。
大統領は、何か隠しているんじゃないだろうか。
しかし、それはいま考えることではないと思う。
僕には、皆にここで宣告しなくてはならないことがある。
「……それは置いておきましょう。
いま現在、この現状のままあなたたちを自由にしておくわけにもいきません。
いまだ権限を持っている生徒会仮会長として、あなたたちを『反省室』に一晩収容します。
ナオトさんもです。学園艦は生徒自治ですから、ここにいる以上はしたがってください。。
そしてよく考えてください。明日まで」
僕は園委員長に連絡し、風紀一個分隊を屋上まで派遣してもらった。
怪奇ミイラ男は、大統領に逆らってもムダとわかっているからか、率先して反省室に入った。
あとの5人も、まだ迷いがあるみたいだけど、おとなしく僕の決定にしたがった。
僕は、別に反省室には鍵はかけなかった。
もう、ここから先は自分で決めてもらうべき問題だと思ったから。
できればここで踏みとどまってほしい。
しかし、彼女らがやっぱり復讐を選ぶなら、僕はその意思を尊重するしかないだろう。
そうなったら悲しいが、僕には彼女たちを止める権利はない。
もう、なにもできない。
翌朝。
僕は、登校すると真っ先に反省室にいった。
彼女たちが残ってくれていることを祈りながら。
反省室のうち片方では、怪奇ミイラ男が高いびきをかいて寝ていた。
あれほどの男でも、ここに来て疲れがどっと出たのだろう。それがよくわかった。
野獣の五感を持つ彼が、夜中に彼女たち5人がいなくなったことにまったく気がつかずに
こうして眠り込んでいるのだから。
反省室のもう一方のドアは、開いていた。
そこには、彼女たちの代わりに、大統領がいた。
行ってしまった……。残念でしかたなかった。
やはり、落ち着くまで鍵をかけておくべきだったのか。
いや、この部屋に鍵がかけられたことは、今日まで一度もなかった。
ここは牢屋でも、捕虜収容所でもない。
僕は、立っていることもできずに、うなだれて床の畳にへたりこんだ。
「アキラ、ちがうよ。
あの子たちは、復讐に戻ったんじゃないよ。
これを見て」
大統領が僕に渡したのは、一枚の書き置きだった。
角谷会長、山本玲、ナオトの3人の連名で宛てたものだった。
文面は……。
『みなさん、ごめんなさい。
私たち5人は愛鷹山に帰って、もう一度よく考えてみます。
いまはまだ、どうしたらいいのか、気持ちの整理がつきません。
むかし、子ども時代を過ごした、父母たちの眠る地で
ゆっくり考えてきます。
いまは、それだけで精一杯です。
ご迷惑をおかけしながらこのような形で姿を消すことになり、申しわけありません。』
整った字で書かれていて、彼女たちが少しずつ落ち着きを取り戻していることがわかる。
今すぐ探し出さなければならないというとは、ないだろう。
僕はそれを、ゆっくりと目で読み、また大統領に返した。
「アキラ。私はね、彼女たちはまたここに戻ってくると思うよ。
あそこでデカいいびきかいてる男が、ここにいるかぎりね」
書き置きを受け取った大統領は、横を向いたまま、それだけをいった。
僕も、そうだろうと思う。
根拠はないけど、不安が消えて行くような気がする……。
……僕が、大統領に復命して、仮会長の権限を返上してから、2日がたった。
いまだに連盟からは、試合再開について何の連絡もない。
そしてこの日、それまでずっと眠り続けていた怪奇ミイラ男が、やっと目を覚ました。
大統領から内線で連絡を受けた僕は、いっぱい包帯を持って、奴のいる部屋に行く。
起きたら内線電話で僕を呼ぶように部屋にメモを残し、ムダとは思うけど鍵はかけておいた。
電話かけてきたということは、自力で出て行くつもりはないんだろう。
いま巻いている包帯は、もう換えなきゃダメだ。何日もたっている。
換えたあとでまだ治療が必要なら、病院は大統領が手配してくれるという。
包帯を外してみて驚いた。
全身ヤケドの重度のはずなのに、もう「ヤケドあと」ってレベルまで回復している。
だけどさすがに体毛の毛根は燃えつきたのか、もう毛むくじゃらにはなりそうもない。
そして、頭髪もうっすら生えてきている。
包帯をとったとき、APFSDSの破片らしい細かい金属片が出てきた。
鋭利で高速で飛びまわるタングステンの刃でさえ、こいつを切り刻むことはできなかった。
人外にも、ほどがある!
爆発する戦車の中でこの程度なら、死んだあとに火葬するのに何日かかるだろう。
ただ、生えてきた頭髪は、真っ白だった。
精神がどうあれ、身体には死の一歩手前までいったことが刻まれているということか。
後にみんなで、この白髪を何とか染めようとしたが、あまりにも頑健な白髪で、
どんなヘアカラーも、白髪染めも、まったく受け付けなかった。
人外は白髪まで人外だ。
赤く染めることもできなくなってがっかりするかとおもっていたが、彼は「まあいいか」で
すましてしまった。
ナオトは、明日からでも働きたい、身体がなまる。なんていっている。
まあ、傷の方も身体の方は特大の作業服でカバーするとして、顔をどうするかが問題。
いろいろ考えた大統領は、つばの大きい作業帽と、顔の下半分をおおうつけひげを用意した。
つけひげは、ほどなくいらなくなると思う。
帽子は、これから先ずっと必要だ。ウィッグはいやだそうだ。
「お前の例のカツラを見て、やめたほうがいいと心底思った」
どーしてこうなるんだろな。あのいかれたカツラだけで判断してほしくない。
次の日の昼休みの校内放送で、大統領がナオトを「新しい用務員さん」として紹介した。
年齢的に高校生相当だが、名前以外全ての記憶を失っており、ここで働きながら
大学を目指すという、先に決めたシナリオどおりの人物にされている。
苗字については母方の苗字しかわからないため、そっちでいこうということにした。
自分で決めさせたら、どんな中二苗字になるかしれたものじゃない。
……本当は、ナオトは父の苗字を思い出したが、「もうベニヤ板よばわりされたくない」との
ことで、お蔵入りになった。本当にベニヤ板を見て思い出したのだ。
こうして、大洗女子学園用務員、「矢吹直人」が誕生した。
放送が終わったあとで、大統領が「あんた、給料分以上働かなかったらクビだから」と
申し渡したそうだ。
こういうところが、角谷杏だなあ。と思う。
やがて……。
いつしか彼は、「新しい用務員さん」から「スーパー用務員さん」と呼び名が変わった。
「獣人中二病」は「怪奇ミイラ男」をへて「超人用務員」にジョブチェンジしたのだった。
人外なことに変わりはないけど。
その晩のことだった。
僕に、とっても悲しい出来事があった。
いや、夢のことではない。
島田隊長が夢のなかにでてくることはずっとない。ぜんぜんない。
そのかわり、梓ちゃんの顔を直視できなくて顔が赤くなって困ったこととかはあった……。
うわーん。夢の中に出てくるみなさん、ごめんなさい。
ほんとうに悲しい出来事とは……。
……だんだんおひげさんが増えてくる~。
いやだいやだイヤだイヤだ嫌だ嫌だ厭だ厭だいやだいやだ……(以下繰り返し)。
あくる朝。
僕が登校すると、超人用務員が猛スピードでグラウンドのローラーがけをしていた。
それをじっと見ていると、彼は僕のいるあたりで牽いていたローラーを止めた。
「朝早くから、大変だな」
「なんだよ山本玲。キリキリ働かねえと、クビになっちまうからな。」
「いやね、聞きたいんだが、お前さあ、いまでも戦車に乗りたいと思ってるのか?」
「……お前って、相手が男だと野郎言葉になるんだな」
「ああ、障がいが発覚する以前からな。野郎と女で態度がちがいすぎるとよくいわれたよ」
「そうか……。戦車の方は、もともと好きじゃなかったけどな、
あんな目にあって本当に大嫌いになった。頼まれたってもう乗らねえよ」
大洗艦の上は、雲ひとつない晴天。
今日もいい天気になりそう。天気だけは……。
次の日、ようやく戦車道連盟から、高校生全国大会を再開するという連絡があった。
丸々2週間が、この事件についやされたことになる。