全国大会第二回戦の会場は、六甲山系の麓に広がる森林地帯。
戦いを明日に控えた僕たちは、いま、神戸の湊川神社の境内にある祭神である、
楠木正成の墓所にいる。
この墓は、水戸第二代藩主、黄門様こと中納言徳川光圀が建立したものだ。
名将正成にあやかるつもりでここに詣でた歴女組の後についてきた「ウサギさんチーム」に、
僕はこの墓の主の縁起を語っている。
まだ神戸という街ができるはるか以前、人も住まないこの地を舞台にした、武人たちの激しく、
しかし、信念をかけた悲しい戦いがあった。
鎌倉の地で後醍醐帝に反旗を翻した足利尊氏。
彼は京の都で朝廷方の諸将と決戦し、敗れて西へ落ちのびていく。
しかし、この戦いを主導した武将、楠木正成は見てしまう。
味方であるはずの朝廷方の武将や多くの武士たちが、朝廷の旗印を捨てて足利方とともに
自分たちを見放して、西へ去っていったのを。
九州に去った尊氏であったが、建武政権に苦しめられた人々が、彼の元に集ってくる。
勢力を立て直した彼は、九州の朝廷方を一掃すると後醍醐帝と対立する光厳上皇の院宣を受け
再び都に攻め上る。その途中で味方を増やしながら。
朝廷も、いまや逆臣となった尊氏を討つため、新田義貞を総大将として討伐軍を差し向けた。
しかし彼らは播磨の赤松円心に足止めされ、尊氏の弟、猛将足利直義に打ち破られ、
兵庫の地まで撤退した。途中で多くの脱落者や寝返りを出しながら。
そして、彼らはやって来た。
水平線のかなたから、尊氏の本隊を乗せた船団が、湊川の東をめざしてあらわれた。
先頭のひときわ大きな軍船には、足利の大将が座乗しているという旗印がはためく。
おそらく、播磨から陸路進撃中の足利直義軍も、ほどなく正成の陣の西に現れるであろう。
正成の陣では、一族郎党がその時を待っている。
足利軍は三十万とも、それ以上とも号している。
号する、というのがくせもので、実際よりはるかに過大な兵力と吹聴しているのが普通。
いまでは、各陣営の実際の戦力は、こう言われている。
足利連合軍、約35,000。
新田指揮下の軍、約20,000。
そして楠木勢、700あまり。
新田の陣に向かっている尊氏の船団が、上陸寸前に奇妙な行動を起こした。
突如として尊氏の旗艦が面舵をとり、大阪湾方面に進路を変えた。
新田義貞は、この行動を自分たちの退路をふさぎ、陸路の軍勢と挟み打ちにするためと見た。
新田勢は海岸に構築した陣地を放棄して、尊氏の旗艦を追ってしまう。
「何としたことぞ!」
海岸から離れた会下山に陣を構えた正成たちからは、尊氏の船団の行動がよく見えた。
進路を変更したのは、先頭集団のみ。
後続の大部分の船は、まっすぐ海岸をめざしている。
あわてふためいた新田勢がいなくなった、がら空きの海岸へ。
「囮だ……」
新田軍は尊氏の擬態に気がつかず、そのまま走って旗艦を追う。
全力疾走で。
そしてやすやすと上陸を果たした主力軍の中に、尊氏の姿があった。
彼は、船を乗り換えていたのだ。
細川定禅の率いるおとり船団は新田軍を遠く生田川手前までひきずって、そこで止まった。
全力疾走を強いられた新田軍がなにごとかと思い、後ろをふり返ったときにはもう、
無傷の尊氏軍が彼らに向かって整然と行軍し、戦闘態勢に入りつつあった。。
疲れ果て、陣形も乱れた新田軍は尊氏軍と生田川に挟まれ、戦うことも引くこともできない。
この状況は新田義貞の指揮能力を超えていた。
新田勢二万は大混乱におちいった。
組織的な抵抗もできず、討たれながら生田川を越えて逃亡するのが精一杯だった。
会下山の楠木勢は、たった700で数十倍の敵軍の中に取り残された。
尊氏は正成が湊川付近に出陣していると聞き、ようやく五分にもちこめたと考えた。
おそらく正成は、義貞と同程度の軍を率いているだろう。
しかし同じ二万としても、新田の率いるそれとでは、二万の意味が違う。
やっと野戦という状況に正成を追い込めた。都の悪夢の再現はもうありえない。
しかし、尊氏の懸念はまだ消えたわけではない。
数は優勢だが、これで勝てると決まったわけではない。
会下山の方から、ときの声が上がった。
直義が、楠木勢と接触したのだ。
……新田がここまでふがいないとは思わなかったな。
海岸での義貞のこのありさまを見た正成は、軽く落胆を覚える。
元々期待などしていなかったが、これではあんまりだ。
しかたないな。予定が少し早くなっただけだ。
「皆の者、よく聞いてくれ」
この状況下にあっても、すでに命を捨てている正成は落ち着き払っていた。
弟、正季を初めとする一族郎党が彼に注目する。
きっと御館様は、この状況をも逆転できる策を持っているのだろう。
正季をのぞく皆がそう思った。
「あそこに見えるは、副将足利直義の率いる軍勢だ。
我らはいまからあの軍勢に突撃する」
700人の悪党武者は、じっと目をこらし、耳をそばだてる。
これから正成が言うことをいっさい聞きもらすまいとするかのように。
「皆はあの軍勢と接触したならば、決して戦うな。
旗指物を捨ててまぎれこめ。
そしててんでんバラバラに敵軍をすり抜け、河内に帰れ。
私はここで死ぬ。皆は生きて還り、戦いをやめて生を全うせよ。
……いいか。皆、決して死ぬな」
彼は自軍が700あまりの少数であることを逆手にとって、敵に浸透しつつ逃げろと言う。
彼に付き従って転戦してきた、この死地にまでついてきた者たちはただ驚くしかなかった。
ここまできで、正成ひとりを置き去りにして、逃げて帰れなどと。
しかし、彼らは新たな決意を瞳に宿し、口々に叫んだ。
「我ら、いまさら逃げようなどとは思いませぬ!」
「御館様だけを死なせるつもりはありません!」
「一緒に死なせてください」
「我ら、御館様に付き従って幾星霜。戦にことごとく勝利し、栄華をともにして参りました。
いまさら旗色が悪くなったからといって、どうしてお見捨てできましょうか!」
「どうか御下知を。我ら最後まで戦う所存にございます」
「兄者、見ろよ。みな大馬鹿者だ。
この戦いを戦ったとしても、必ず負けて確実に死ぬというのにな。
だが皆、これまで兄者のおかげでいい思いをさせてもらった。
北条も滅ぼした。勇名を轟かせ望外の出世もさせてもらった。河内の悪党風情がな。
だから、いまさら兄者一人をおいて帰れん。
……戦おうぜ。名にし負う楠木一党の最後の戦いをな」
自分ひとりが死ねばいい。だれも巻き添えにしたくないのに。
正成はうつむいた。皆の顔を正視できなかった。
みんな、これから死にに行く者とは思えない、晴れ晴れとした顔をしている。
「馬鹿だ。みんな馬鹿者だ……」
正成はそうつぶやくとうつむいていた顔を上げた。そしてかすかに笑ったようにみえた。
双眸に、涙を浮かべながら。
「あいわかった。ならばもはや何も言うことはない。
だが、それならばわしもただ死ぬつもりはない。皆も同じだ、無駄死にはさせん。
狙うは陸路大将、足利直義殿の御首。
尊氏殿に、我らが戦い、とくとご覧いただこう」
皆、声を限りに雄叫びをあげる。
歴史を変えてきた悪党武者七百騎が、いま、彼らの最後の戦いに出陣する。
敵の総数、およそ五十倍。
直義勢は楠木勢を探しながら、慎重に前進していた。
前方警戒部隊のひとつが、進路上の森に菊水の旗印、楠木の旗を発見する。
しかも正成の姿まで見える。
彼がわずかな手勢を率いて目の前にいる。
それが、ただの武将だったなら、彼らは勇躍躍りかかっていっただろう。
しかし、相手はあの楠木正成だ。
彼らはさすがにただ襲いかかることにためらいを覚える。
そのためらいを見透かしたかのように、前方の軍勢は矢を放ってきた。
たちまち射貫かれて倒れる者が出る。
我を失った彼らは、戦いの本能のままにその小勢に襲いかかった。
そして今度は、横合いからしたたか叩かれる。
正季率いる別働隊が突進し、敵をなぎ倒しながらそのまま突破する。
混乱した彼らに、今度は正面の正成勢が突っ込んでくる。
正成と正季は、たがいに両の拳のように敵勢を殴り続ける。
配下まで残らず精鋭か! 激しい斬撃を受け止めるのが精一杯の彼らはそう思う。
彼らはさんざんに翻弄され、多くの戦死者を残し、逃亡していった。
そうして正成は、直義勢を二陣、三陣と突破し、直義の本陣に迫る。
いままさに「先鋒、楠木勢と接触」との報告を受けたばかりの直義は、何の予告もなく
奔流と化した正成勢の奇襲を受ける。
何が起きたというのだ。
いったい我が軍は何をしていたというのか!
まだ戦いが始まったばかりなのに、もう本陣が攻撃を受けるとは。
奴らはどうやって本陣の前に展開している軍勢と戦うことなく、一足飛びに出現できたのだ。
彼の周囲は、たちまち撃剣の音と、怒号と悲鳴、そして砂埃につつまれる。
精鋭の親衛隊である馬廻り衆が楠木勢を支えきれず、じりじりと押されている。
他の味方勢は、まだ本陣の危機に気がついていない。
「直義様、お逃げください。支えきれませぬ!」
いわれるまでもない。まごまごしていたら殺される。
猛将の誉れ高い足利直義であっても、突如敵主力が自分の本陣に出現するという
あり得ない事態に驚きを隠せない。
まさか楠木勢がわずか数百しかいないからこそ可能な浸透強襲戦術とは、誰も思わなかった。
直義が逃げ去ったと悟った楠木勢は、迅速に姿をくらました。
足利方はその手際の良さに驚嘆する。
どうすればあのようにあざやかに軍勢を動かせるのだ。
やはり楠木恐るべし。真相を知らぬ彼らはそう思うしかなかった。
そして、楠木方の戦死者はわずかしかいない。
報告を受けた尊氏もまた、信じられない思いでいっぱいだった。
野戦でさえ、楠木正成は並外れて強いのか。
彼の配下もまた、並みの強者ではないのか。
自分は早まったのだろうか。判断をまちがったのだろうか。
正成は一代の傑物。自分だけがそれを知っていたと思っていた。
それでもまだまだ過小評価だったというのか。
必死に逃げ延びた直義は、ようやく落ち着きを取り戻し、参謀を集めて本陣を組み直す。
武将や兵たちが集まってきた。旗指物を掲げていないものたちが。
誰が呼んだのか知らないが、本陣を守るには多すぎるなと考えた直義の前で、
彼らは突然、彼らの旗印、菊水の紋を高く掲げる。
またしても楠木勢だ! 菊水の集団が直義を取り囲まんとする。
真っ青になった直義は太刀をしゃにむに振り回し、間一髪、脱兎のごとく逃げ去った。
そしてこれが、正成にとって足利直義を倒す最後の機会となってしまった。
死にものぐるいで逃げ、肩で息をしている直義は側近を呼んだ。
「鎧兜を取り替える。用意せい!」
側近たちは顔を見あわせた。
この時代にあっても、大将たる者が鎧を取り替えることは禁忌とされていたからだ。
しかし、猛将のはずの直義が、取り替えると言って聞かない。
側近は、やむなく別な鎧兜を用意した。
大軍の大将にふさわしい、立派なものを。
「ちがう! もっと粗末なそこらにある安物でいいんだ!」
そんな目立つものを着てまた楠木勢に捕捉されたら、今度こそ殺される。
直義はすっかりおびえていた。阻止することのできない楠木勢に。
猛将のプライドもメンツも、源氏の棟梁の弟という立場も、何もかも投げ捨てるほどに。
こうして楠木勢からは、直義を見分ける目印はなくなってしまう。
完全に足利直義を見失った楠木勢。
しかし、彼らはなおも戦い続ける。
手柄でも恩賞でもなく、ただ、戦うこと自体が目的であるかのように。
足利方には、信じろと言うのが無理な話だった。
彼らは生活のために、戦いに来ている。
手柄を立て、恩賞をもらうために命をかけるのだ。
何にもならない戦いで、命を落とすことはできない。
しかし、楠木勢は皆、ただ正成とともに戦い、ただ敵を倒すことしか考えていなかった。
自分の生死すら度外視して。今日、この湊川で命を使い果たして悔いはなしと。
だから彼らは何太刀受けようが、手足を失おうが、息の根を止められるまで戦い続ける。
相手が自分たちよりずっと多くとも、恐れることなくまっすぐに向かってくる。
噛みついてでも、這いずってでも。命尽き果てるまで。
一人の雑兵が、何人もの兵を道連れに、死してもなお戦い足りないという形相で。
この勢いに、死兵の群れに、足利方は完全に恐慌に陥った。
戦う前から逃げ出す者まで現れる始末。
しかし、死兵の群れは、逃げる者まで執拗に追って殺戮をくり返す。
もちろん彼らを率いる者が凡庸な将であれば、彼らはたちまちすりつぶされただろう。
しかしその死兵を率いる者は、楠木正成だった。
冷静に粘り強く、辛抱強く、一人になっても決してあきらめない男だ。
死兵集団は完全に制御され、組織的に連携しながら、そこここで血の雨を降らせ続けた。
そんな彼らを、誰も囲むことも、阻むことも、捉えることもできなかった。
恒陽はすでに中天にかかる。
午の刻。しかしいまだ尊氏には、正成勢の兵力も正確な位置も、正成がどこにいるのか
それさえもわからない。
弟の直義は、ついに鎧兜を粗末なものに換えて、ようやく正成の追求から逃れたという。
この、湊川の流域すべてが戦場と化しているというのに、彼らがどこにいるのかわからない。
考えられない。彼はどんな戦いをしているというのか。
配下のありとあらゆる部隊が、楠木勢を見つけたと報告する。
そこで、必ず押されて逃げてくる。
であるのに大規模な総力戦は起こらない。
そして、足利勢はじわじわと出血を強いられている。
恐慌状態になり、戦闘不能になる者たちまで出る始末。
「あれらは人ではない。鬼じゃ、鬼じゃ」と泣き叫ぶ。
いったい、何が起きているというのか。
――常識のおよばない戦いに、尊氏は、ひとり戦慄する。
「すべての将に、一度配下の掌握と再編成を命じよ」
いまは混乱した部隊の掌握が先だ。戦場を整理する必要がある。
尊氏は順当にそう判断した。
ずたずたにされた指揮系統も修復しなければならない。戦は小休止だ。
同時に損害の集計も命じる。
とにかく情報が欲しい。対策を立てるためにも。
しかし、それには思いのほか時間を要した。
三万五千の大軍を統率するということは、そういうことだ。
「昼餉じゃ。皆を集めよ」
混乱の極みにある足利勢を尻目に、山の頂にある無人の神社の境内で
正成たちはのうのうと携帯食の干し飯をかじっている。
実に愉快そうに。
集めてみると、七百騎の過半がすでに討ち取られている。
最初の決起から正成に付き従ってきた古強者たちも、すでに何人か世を去った。
一方で、この戦が楠木勢としての初めての戦いだという者もいる。
ここに来るまでの途上で加勢すると申し出てきた者たちだった。
彼らは、楠木勢があまりに小勢なのを見て、個人で参加した者たちだ。
おそらくこれが楠木正成最後の戦いになるだろうと思っていたのだろう。
彼らもまた、数を減らしながら楠木勢にとどまっている。
初めから、正成とともに死ぬつもりだったのだ。
「足利勢は多勢じゃが、すべて同じ家中の者というわけではない。
そこにつけ込む隙がある。
できるだけ長く戦うため、足利直率と戦うは避け、西国の者どもと戦う。よいな」
彼らは阿修羅のごとく激しい戦いのあとなのに、疲れを知らぬかのような顔で応じた。
待っているのは破滅のみ。しかし彼らは、ただただ栄光の楠木一党であることを誇りに
再び死戦に向かっていく。力強い足取りで。
――そして、今再びの血戦が始まる。
楠木勢との戦いが始まって6時間あまり。
足利方は、すでに数千名の犠牲を出していた。
そして、楠木勢は風のように現れ、嵐のように暴れると、また風のごとく去っていく。
しかし、尊氏は何かがちがうと感じていた。
もし楠木勢が新田勢と同数だったなら、犠牲はこんなものではすまないはずだ。
敵味方の戦死者が少なすぎる。
楠木勢の戦死者は、わずか数百名。
完全におかしい。これだけの長時間戦っているというのに。
そして、尊氏の元に真相がもたらされた。
楠木の兵がいまわのきわに「わずか七百の我が勢の戦いぶりはどうだ」と言い残したという。
尊氏の頭の中で、すべてのパーツが組み合わさって、真実を描き出す。
やはり、楠木正成は恐るべき武将だった。そして――
「何とむごいことを」
尊氏はうめいた。
後醍醐帝は純忠にして私心なき創業の臣に、十分な兵力もあたえずに送りだしたというのか。
そして正成は、その命に従ってここにきたというのか。わずかな手勢のみ連れて。
いま、彼はたったそれだけの手勢で、大軍相手に丸一日みごとに戦い続けているというのか。
自軍に数倍する戦果をあげつつ。
自分には、こんなことは到底できない。
いくら帝の命といえども、死ぬこと確実な命令に従うことも。
そのような男であるなら、なおのこと死なせてはいけない。
――彼は命じた。
「楠木殿を断じて死なせるな。生きたままここにお連れ申しあげろ。
敗軍の将ではなく、客人としてお迎えする」
もう、彼にはわかっていた。
楠木正成は建武政権の覚醒をうながすため、ここに死ににきたのだと。
投降を求めても、まったく無駄かもしれない。
しかし尊氏は、正成と生きて再び相まみえることを願わずにはいられなかった。
尊氏上陸戦が始まったとき昇ったばかりの太陽は、今まさに沈もうとしている。
まさか夕日が見られるとは思っていなかった。正成はそう思う。
彼の軍勢は、いまや七十三騎にまで討ち減らされ、弟の正季は死に瀕していた。
彼らは今、無人の寺の本堂にこもっている。
足利勢はこの寺を取り囲むも、いっこうに攻めてくることはない。
外からは、必死に正成の投降を呼びかける声がする。
そんななかで彼らはもっていたわずかの兵糧で最後の食事を取ると、鍋にもっていた金銭を
全部入れた。
「われらに三途の川の渡し賃など必要なかろう。
これからこの寺を燃やしてしまうのだ、お詫びにおいていこう」
傷の軽いものは、最後の読経をする。
それがすむと、重傷のものを介錯してやり、建物を燃やす準備をする。
「貴殿は敗者ではありません。敗れたのは我々です。
我が主君は貴殿を客人としてお迎えしたいとおっしゃっております。
ですからどうか、お出まし願いたい」
尊氏の使者は、いまも必死で説得を試みる。
正成は重傷の弟の手に短刀を持たせ抱きかかえると、自分も刀を弟に向ける。
そして互いに抱き合うように、刺し違えた。
彼らが最後に、何を語ったのか知るものはいない。
なぜなら、その場にいた七十三名はすべて同時に死んでしまったから。
あとには、創作された物語だけが残った。
いわく、七度生まれ変わりて、敵を滅ぼす。
いわく、また生まれるなら身は庶民でかまわぬから、平和の世をながめて生きたい。
あるいは、一生に一度の後醍醐帝への抗議だったかもしれない。
あるいはそれらをもすべて超えたことを言い残したのかもしれない。
寺に火の手が上がると、すわとばかりに足利勢が乗りこんできた。
しかし、目指す正成は、すでに事切れていた。
尊氏の願いは、ついにかなうことはなかった。
鎌倉幕府滅亡からちょうど3年。1336年5月25日のことだった。
正成が倒れた後、尊氏は生田の森で陣営を立て直した新田義貞と激戦し、これを破る。
都に攻め入った尊氏の前に、ついに後醍醐帝も降伏し、三種の神器を持明院統側に引き渡して
譲位した。
彼が尊氏のもとを脱走し、渡した神器はニセモノと宣言して吉野で復位し、南北朝時代が
始まるのは、さらに後の話だ。
尊氏は、都で首だけとなった正成と対面する。
執事、高師直は、敵将の首は六条河原で腐り果てるまでさらし者にするのが定法という。
「一日だけだ。一日だけさらしたら、ご家族の元に帰して差し上げろ」
それが、尊氏の返事だった。
「むなしくなっても、家族はさぞや会いたかろう」
尊氏はそういって、正成の首を塩に漬け、丁重に河内の家族の元に送った。
このふたりが戦わなければならなかったことこそが、悲劇だった。
「誠に賢才武略の勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける」
足利側の史書「梅松論」では、正成の死をこのように評論している。
彼の死をいちばん惜しんだのは、まさに尊氏だったのだろう。
「非理法権天」
これは、正成の遺した言葉。
非は理に勝たず。理は法に勝たず。法は権に勝たず。権は天に勝たず。
今でもそうだ。
非が理に勝てないのは当然。
人の支配である「理」は、定めである法の支配には勝てない。
その「法」を制定改廃し、時にほしいままにするのは政治だ。
しかし、過てる政治は、最後はかならず滅んでいく。
僕は、あらためて大楠公の墓碑を見る。
やっぱり光圀公は、彼が忠義者だからという理由だけで彼を顕彰したわけではないだろう。
しかし、戦国のなんでもありの気風を変えるには、そう言う方が良かったのにちがいない。
光圀公はかの趙雲と同じ「子龍」という字を持つが、そういう面も反骨の面もある。
ずっと水戸から出られなくなったけど、心は自由人だったんだろう。
と、僕「だけ」が気分に浸ってると、あやちゃんが僕に疑問をぶつけてきた。
「んーとね。『さえもんのじょう』の上が『さえもんのすけ』なんでしょ。
そのさらに上が『さえもんのかみ』なんだよね。
じゃあ、杉山先輩の『さえもんざ』ってどこにでてくるの?」
あ゛。それ、いっちゃだめー!
「……あ、あやちゃん。それはですね……」
そう言いかける僕の頭を、後ろから飛んできた破魔矢が直撃する。
「何を言う気だぁ? 山本ぉ」
頭のコブをなでながら、僕は後ろを振りかえる。
後ろには、弓をさずさえた六文銭がいた。まだ帰っていなかったのか。
あれは、三途の川の渡し賃では、断じてないんだからね。
試合会場にむかう連盟差し回しのバスが大洗艦についた。という同報メールが、
全員の携帯に着信した。もう、自由時間は終わり。さあ、戦いの時間だ……。
さて、始終ご縁(45円)のご利益は、果たしてあるのかしら。
祭神様は、お金もらって喜ぶとは思えないけどね。
野戦かつ遭遇戦という形態で、白昼の戦闘。しかも兵力700対35,000。
この条件で6時間以上戦い抜き、敵に自軍の数倍の損害を与えたのは、世界の戦史においても
楠木正成ただひとりだ。
そして「湊川」と言う言葉は、忠義よりむしろ「権」の理不尽さを表す言葉になった。
大戦中、芝居がかった講談の侠客のマネをして部下を統率した名物陸攻隊長、野中五郎は
人間爆弾「桜花」の使用に最後まで反対した。
母機もろとも敵艦隊にたどり着くまでに撃ち落とされるのが、目に見えていたから。
それでも海軍上層部は、彼の部隊に桜花を抱えての出撃を強要する。
彼は一言「湊川だよ」といって、伝法口調も引っ込め、無言で出撃した。
日頃から軍神八幡大菩薩とならべて「非理法権天」の幟を隊に掲げていた彼にとって、
これは皮肉以上の何かとしかいいようがなかった。
そして、一切の通信に返信せず、みずからも何の報告も、突撃開始の通信もせず淡々と進撃し
……「野中一家」は皆、黙ったまま全滅した。
彼の機は重い桜花を搭載せず、軽荷状態だったけど、やはり還ってくることはなかった。
戦争末期に残っていた世界最大の戦艦を、沖縄への殴り込みに使おうとした秀才参謀がいた。
真っ昼間に、護衛の戦闘機もない裸の艦隊を、ただ水上部隊のメンツと自棄のために。
出撃を命じられた艦隊の艦長たちは、その聯合艦隊(GF)首席参謀を罵倒した。
海軍大臣は「成功したら奇跡だ」と言うも、GF首席参謀は大臣に向かって、
「戦わずに沈められるより、戦って沈んだ方が良い」と答えたという。
GF首席参謀はこの無謀な作戦に自分も帯同すると言ったが、艦隊側の参謀に拒絶された。
「この上あなたに督戦までしていただかなくとも、我らは立派に戦ってみせる」と言われて。
そして死地に出撃する旗艦のマストにはまた、「非理法権天」の幟旗が掲げられた。
そして結局、権は天に勝つことはなかった。
……これからも、そうだろうと思う。