合衆国と日本が戦争状態に入る前、ハワイのニセイ大学生たちに宛てて、トージョー首相から手紙が届いたという。それにはこう書かれてあったらしい。
「米国で生まれた日系二世の人達は、アメリカ人として祖国アメリカのために戦うべきである。
なぜなら、君主の為、祖国の為に闘うは、其即ち武士道なり…」
そんな手紙があったのか、本当のところはわからない。
だが聞いたところでは、ニセイたちは「これぞ武士道なり」と感激したという。
しかし、日本に与することなく、アメリカ兵となり……、戦う相手はどこなのか?
そのころには日本は合衆国と戦争する事を決意していた。
そして、その年の12月に、ハワイの彼らに少々早いクリスマスプレゼントまでくれた。
届けに来たのはトナカイに乗ったサンタクロースじゃなく、タイプ97、タイプ99、タイプ0の大群だった。日系市民が大勢いることは百も承知で、爆弾の雨を降らせたのだ。
ハワイの彼らにも、トージョーの「手紙」の真意が今度こそ良く理解できた。
つまり「日本を捨ててアメリカに付いたお前たちは敵だ。戦争になったら容赦しない」というメッセージを、もっともらしく格好つけて言ったにすぎなかったということを。
そして皆、「帰米」たちが日本でどう扱われたかも思いだした……。
この地で生まれ育った僕らにとって、祖国は最初から合衆国だけ。
しかし、その祖国は、市民であるはずの本土の在米やニッケイを収容所に閉じ込めた。
東部に住む約1万人をのぞいた、各地に散らばる在米やニセイ、合わせて12万人以上を。
僕たちは、こうして広い合衆国で、郷里からも祖先の国からも「敵」にされた。
ヨーロッパでのユダヤ人やジプシーたちのような寄る辺なき身となってしまった。
いや、いつ皆殺しにされてもおかしくなかったかもしれない。
僕たちが生きているのは、ここが合衆国という人工国家で、法が人に完全に優越する国であり「法の前の平等」に誰も背けなかったからだ。
たとえ僕らが「ジャップ」であろうがなんであろうが。
東部にいたニッケイニセイ、マイク正岡たちは「自分たちの力を皆に示す」ことで日系市民の自由と権利をこの国に打ち立てるべきだ。と考えた。
この国では「実績」がものをいう。誰の実績であれ、実績には色が付かないのがこの国だ。
そしていま、合衆国は戦争のさなかにある。命を賭して国を守ってみせることで在米日本人と日系アメリカ人をこの国に認めさせる。
とらわれの同胞たちを救い出すにはそれしかない。
だからニセイの部隊を作ろう。それが東部ニセイの指導者たちの結論だった。
いろいろな理由から、ハワイ準州での日系市民の強制移住は行われなかった。
ダンたちハワイ二世の大学生はボランティアを組織して、土木工事に汗を流した。
兵役に就けない彼らの、せめてもの思いからだった。
ハワイ出身の日系部隊、ワンプカプカでは、この戦争で功績を挙げてヒーローになることで戦後の立場を強くし、日系の連邦議会議員を出して、共和党白人勢力によるハワイ支配を終わらせて、真の意味での自由平等を獲得しようと考えている。
すくなくともリーダー層には、力による報復を考えるものはいなかった。
一世や帰米の一部を除き、反乱を企てるものもいなかった。それは結果として正しかった。
ニッケイニセイの教育レベルは高い。
米国社会でのしあがる手段は、チャイニーズには不動産であり、日本人には教育だった。
だから感情ではなく理性で、差別をなくすために何をしたらよいのかを考えた。
マイク正岡たちは、収容所のニセイたちからなる部隊の設立を嘆願し続けた。
ワンプカプカの兵士たちは、前線に送られる見込みが全くなくても、連日猛訓練に励んだ。
そんなさなか、僕の幼なじみの韓国系二世将校、ヤング少尉がワンプカプカに着任した。
僕らロスのダウンタウン育ちの同年輩にとっては彼は仲間だけど、
ハワイ組のニセイにとってはそうではない。
コリアンはニッケイと、険悪といっていい関係にある。何でコリアンがこの部隊に? と思ったろうし、好意を持つ理由もなかった。
また、ハワイ出身者自体が同郷意識がものすごく強いし、自分たちの文化も堅持していた。
フォート・ベニングで将校魂を1年しっかりたたき込まれてきたヤングに、ハワイアンな彼らは
……ひたすらだらしなく見えた。
ヤングは、民族も階級も身分も(良い意味で)どうでもいい人間だった。
上司部下の関係は守ったけど、彼は将校待遇を全部拒否して兵と同じバラックに住み、食事も将校の食堂に行かず兵と同じものを食べたし、支給品も兵士用の簡素なもので済ませた。
しかし、どうも向こうから溝を埋めてくれる気はないらしい。
ターナー大隊長は着任してきたヤングに「彼らと上手くやっていくつもりでないと困る」と言ったが、ヤングは「それなら彼らも、私と上手くやっていかなければならないでしょう」と言っている。
彼の流儀では「上手くやる」は必ずしも「仲良くやる」を意味しない。
ならば徹底的に嫌われた方がいいかもしれないと、ヤングは考えたようだ。
何よりも連中の規律のなさとだらしなさは、何とかしなくちゃいけない。
こうして「よそ者異民族新品少尉」は、「鬼将校」になることにした。
迫害される日系市民の運命を打開できるわずかな可能性を、ワンプカプカに見いだしたから。
ワンプカプカは、当時の陸軍歩兵大隊の中では「規格外」といっていいほどの部隊だった。
M1919重機関銃は行軍の際は分割されて、2人の機関銃手が運搬する。
いざ使うときは迅速に組み立てて、据え付けてから射撃する。
この運搬状態から組み立て完了まで、全陸軍の平均は16秒。
フォート・ベニング行きの選抜組で11秒。
それに対しワンプカプカは、なんとたった5秒で「射撃準備良し」になる。
平均身長が160cmしかない彼らが、フル装備で2.2mの壁を越える訓練で並外れた速さを見せ、やはりフル装備での8時間連続行軍も、白人兵たちが時速4kmなのに、時速5.3kmでこなす。
知能指数も格段に高い。当然動きも飛び抜けて迅速だ。
それもあってか、B中隊第2小隊の小隊長になったヤングに彼らはとことん反抗的だった。
ヤングはその彼らに、とことん厳しく接した。
そうできるだけの実力を、彼はフォート・ベニングで身につけていた。
彼の幹部養成学校での成績はずば抜けて優秀だった。
もちろんニセイたちとの付き合い方も、よくわかっていた。
いや、彼らはヤングの知るニセイとはぜんぜん違う、オープンで態度のでかいタフガイだ。
だから彼は自分が先頭に立って、蒸し暑いシェルビーで彼らを猛特訓で締め上げた。
たいていのニセイは、ヤングより前にへたばったが、ヤングは休みも与えずしごきまくる。
それだけではない。軍靴の光り方、頭髪の長さまで徹底して軍紀を守らせた。
このときの彼にとっては「規則は守るためにあるもの」だった。
小隊員たちはヤングのことを陰で「GIキム」と呼んでいた。規律(風紀)委員扱いだ。
ヤングからすれば、知ったことではなかった。要は嫌われても侮られなければいいのだ。
そんなことより、連中にはもっと強くなってもらわねば困るのだ。何よりも彼らのために。
彼らの受けた屈辱をはらい、人間として当然の権利を獲得するために。未来のために。
このころ、またしても中国系の少尉が配属されてきたが、速攻で出ていった。
ターナー大隊長は、ヤングとベテラン兵たちが仲が悪いことをますます気に病んだ。
兵たちは、あいつもついでに出ていけばいいのに。と真剣に思った。
将校たちは、扱いにくいハワイ二世どもをハー○マンのように躾けるヤングに好感を持った。
ヤングは、やっぱり知ったことではなかった。だってもはや残念男じゃなくなったんだから。
そして来る日も来る日も「ウジ虫ども」のケツをけ飛ばすのだった。
……収容所に送られた、竹馬の友たちが解放されるその日を信じて。
このときのヤングは、もっぱら低い土地から高地を攻略する訓練ばかりやっていた。
それがどんな意味を持っているのか知るものは、このときは誰もいなかった。
そして「規格外の疫病神」第100大隊がみせた実力がやがてニセイたちに道を開く。
陸軍参謀部が、ニセイたちで編成する小規模な部隊について検討を始めたのだ。
そればかりではない。日本に駐在した経験のある将校たちが、「彼らのような良質の兵士を使わないことは合衆国にとって損失だ」と主張しはじめた。
ハワイのエモンズ中将やニミッツ提督、そして強制収容所を管理している戦時転住局までニセイ部隊の設立に賛成する。
とどめは戦時情報局長が大統領に宛てた文書だった。その中で局長は「日本はこの戦争を人種差別と戦う戦争だと宣伝している」と述べた。
強制収容所に日系市民を収容している事実もプロパガンダに使っているというのだ。
そして彼は二世部隊を組織することでこれらの対抗策になり得るとして、大統領自らが彼らの志望を認めるべきと述べ、最後にこう結んだ。
「二世部隊は合衆国陸軍にとって、必ずや優秀な部隊になると信じます」
ついには陸軍参謀総長マーシャル大将までが「これ以上の人種を理由にした市民権の侵害は無謀と言うべきで、もうたくさんだ」と言い出した。
二世部隊は枢軸国の宣伝に対抗できるのみならず、同盟国が合衆国に持つイメージを向上させると大統領に進言した。
ついに、フランクリン・ローズヴェルトも折れた。
1943年2月1日、ローズヴェルト大統領はホワイトハウスで、日系部隊「第442歩兵連隊」を編成すると発表した。
「祖先のいかんにかかわらず、忠誠なる合衆国市民は何ひとも市民としての責任を果たすという権利を持っていることを否定されるべきではない。それが民主主義である。
合衆国を建国し、統治してきたアメリカイズムは、精神と心情の原則である。
アメリカイズムは人種や先祖に左右されない。かつての歴史においてもそうであった。
良きアメリカ人とは合衆国と自由と民主主義の信条に忠誠なる者のことである」
政治家という奴は、ここでも日本でもやっぱり変わらないようだ……。
僕にはとてもなれそうもない。
ただ、かくして僕らは「死んで護国の鬼となる」権利をやっと獲得した。
僕たちに続く者たちのために。
ハワイでは、ダンが「よっしゃー! 待っていたぜい」と叫んで徴兵事務所に突撃していた。
彼に続く日系ハワイアンは1個師団12,000人。作るのは連隊なのに。
当然のことながら選抜制になる。定員を倍にしても競争率5倍だ。
ハワイの一世たちも「生みの親より育ての親」「嫁に行ったら夫の家が我が家」といって、名誉なことと喜んだ。選抜に落ちた者は肩身が狭かったそうだ。
ダンたち大学ボランティアと大学で予備士官課程を取っていた者は、優先的に選抜された。
ダンと同じ医学部予科からは48人が出征した。メディックではなくライフルマンとして。
ハワイの日系社会はお祭り騒ぎで彼らの壮行会を開いた。
ふだん、彼らをプランテーションでこき使っている白人の農場主さえ、このときは盛大に祝って送り出してくれた。
ハワイニセイは本土の僕らより、ずっとアメリカンな連中だ。
一方、本土の収容所は微妙な空気が流れていた。
少数派だが日本に忠誠を誓っている者もおり、ときどき合衆国派ともめていた。血も流れた。
そうでなくとも、このような境遇に追いやった合衆国政府を良く思っていない者が多い。
だから収容所から「シイシイニ」に志願する者は少なく、親たちに勘当される者までいた。
良くても「バカ息子が、お前の顔などもう見たくない」ぐらいは言われたらしい。
本土は絶賛定員割れだった。
第442連隊は、第100大隊がそうであったように、他の兵科の支援があてにできない。
第100は輜重部隊も工兵も衛生兵まで自前でそろえていたが、442ndも歩兵大隊3個のほかに第522砲兵大隊、第232工兵中隊を含む変則的な連隊だった。
このことから正式に「第442連隊戦闘団」と呼ばれることとなる。諸兵科連合のはしりだ。
なお、第100大隊は、442に先んじて欧州戦線に送られることが決まっていた。
442の中核は、そういうわけで兵役凍結以前に徴兵ないし志願していた二世兵となった。
僕はそのことを聞くと、直ちにMIS(情報部語学兵)から442へと転属願いを出した。
部隊からは猛烈な反対にあった、どうしても行きたいなら曹長から上等兵に降格すると脅されたが、それでも構わないと意志をつらぬいた。
そんなわけで上等兵に降格された僕は、ハワイニセイたちより先にシェルビーに着任し、下士官の先輩連中と一緒に、442のための兵舎を建てていた。
第100にはコリアンなのに転属しないで頑張っている将校がいると聞いたのはそのころだ。
そのいい根性の持ち主が誰のことかは、僕には言われなくても当然わかる。
そのヤングは、ハワイのベテラン連中の敵意を一身に集めていた。
兄貴分のドク・コメタニ大尉が、彼らの愚痴の聞き役だった。
しかしドクは、愚痴や文句を聞いてはやったけど、ヤングには黙っていた。
第100の日系将校たちも、ベテランどもをギリギリ締め上げているヤングを認めていたのだ。
そして、志願兵たちがやってきた。
白人たちから差別を受けて、中間までしかなれなくても島をあげてのどんちゃん騒ぎで「手柄立てろよ」とばかりに送り出されてきた陽性気質のハワイ組と、子どものときから何もかも区別され、YMCAの「白人以外お断り」のプールに入る事もできず、いつも虐げられて、そのうえ強制収容所に収監された本土組。
周囲の白眼視を受けて、見送るものもなくやってきた本土組には、親から勘当を言い渡されたものさえいる。
同じ「ニセイ」でも、性質は全くちがった。
仕送りはみんなでシェアして、遠慮なくずけずけとものを言い、すぐに賭場を開帳して、知らないもの同士でもすぐに意気投合するハワイ組。
逆に人見知り気味で思った事もいわず、郷里から送ってきたものを分けようともしない静かでどこか陰影のある、本土組。
当然連日、どこかでケンカが起きる。
ハワイ組は本土組を「コトンク」、自分たちを「ブッダヘッド」と呼び、完全に対立した。
あまりにも限度を超えた仲の悪さに、第100の先輩方がブッダヘッドどもを叱りにくる。
ある日、ドクとヤングが頭を抱えて442の兵舎から出てきた。
「スパッド。あの連中、ハワイで世話になったドクの言う事も聞かない」
「あいつら、どうにもならん。虫歯を治してやる代わりに全部引っこ抜いてやれば良かった」
「物騒ですね……」
本当に、ニセイ同士で争っているときではないのに……。
ドクとヤングはワンプカプカの兵舎へと帰っていった。
ふうとため息をつきながら、自分の兵舎に戻ってみると……さっそくやらかしていやがった。
ブッダヘッドが3人がかりで1人のコトンクに因縁をつけている。
もう、ええかげんにせい。
と、おもったら因縁つけられてるのは、うちの三軒向こうのベン・タガミ!
待ってろ! 今助けてやるぞ!
「お前ら! 僕のポン友になにをしている!」
「おっ、コトンクのくせに生意気だ!」
「お前ー、いい度胸してるなああぁぁっ!」
勢いよく殴りこんだはいいけれど、2人目をのめしたあとにハワイ軍に増援がきた。
僕とベンは、フルボッコになった。
本土兵もいたのに、みんな逃げてしまった。
戦友愛というものがないのか? 君たちには……。
ベンを連れて、ほうほうの体で逃げ出して、気がついたらそこは営庭の裏林だった。
どうやら追ってくるブッダヘッドどもを撒けたみたいだ。
「スパッドは昔からこうだったね。
相手が上級生でも毛唐でもさ」
うん、ひさしぶりに「毛唐」って言葉を聞いた。
ベンにかぎらず僕らは白人を毛唐と呼んでいた。
向こうも「ジャップ」とか「ニップ」とか呼ぶんだからお互い様だ。
……もっともそれは白人に限った話じゃないけど。
そう、同じ黄色い顔で僕らをそう呼ばないのは、ヤングだけだ。
「ん? なんだあれ」
向こうの木の陰に、こっちに背中向けて焚き火している隊員がいる。
焚き火の左右に二股になった木の枝をさし、それにまっすぐな枝を渡して何かを吊して火であぶってる。
「ベン、あれ飯ごうだよね」
「うん、あいつ飯ごう炊さんしてる」
そう、アメリカ軍の装備品にない、野外でお米を炊く道具。
それを二つ吊して、わきに鶏卵らしきものが入ったかごと、何かの小瓶をおいている。
身なりは例によってだらしないし、なんと軍靴をはいていない。はだしだ。
……典型的なブッダヘッドじゃないか。
しかも、見るからにケンカ慣れしていそうな雰囲気だ。
高校出たぐらいなのにラッキーストライクふかしているのが様になってる。
あの調子では中学頃から賭けビリヤードやっていそうなバリバリヤンキーだったに違いない。
面倒だから逃げ……
「おーい。そこにいる2人。
いるのはわかってんだからこっちゃこいよ」
なんとそいつは、背中越しに僕らがいるのを察知した。
「いやな、ちょっとしたことでコメと卵が手に入ったからよ。
ここでこっそり玉子めしでも作ろうってな。滅多に食えねえからな。
他のものなら食い物でも銭でも連れどもにわけてやるんだがな」
うん、わかる。
僕らはお米としょうゆと味噌がなければとても生きていけない。
できればたくあんも梅干しもほしい。
とくに玉子なんて、兵隊には乾燥粉末玉子しか支給されない。
しかしなんかこの伍長、まだ二十歳前みたいなのに、妙に腹が据わっている。
「ねえ、スパッド。
たぶん彼、あれだよ。チンチロリンの胴元」
「え゛?」
うん、聞いたことがある。
あいつとだけは、絶対サイコロ振ってはいけない。
「ダン」というギャンブラーとだけは……。
でもブッダヘッドの悲しさか負けるとわかっていてもまたやって、またむしられるんだよね。
そのたんびに、ハワイの親に金無心してる。
彼は逆にチンチロリンのもうけを家族に仕送りしてる。
その上、「勝手に持ってけ」とばかりに札束をテーブルの上にぽんと置いている。
なくなるとまたおいてあるそうだ。
それにすってんてんになった仲間が金に困ると、こっそりベッドに金をおいていくらしい。
それでまだ金がのこると、休暇にみんなで繰り出して、スッカラカンになるまで呑むそうだ。
そんなわけで、彼はブッダヘッドどもから一目置かれている。
「ほら、食っていけよ。
他の連中にはないしょだぞ」
「え? いいの?」
「いいのって、それが普通だろ。
お前ら本土もんがケチなんだよ」
ブッダヘッドの間では彼にかぎらず「お前のものは俺のもの、俺のものはお前のもの」という気風があるらしい。なんでもみんなでシェアする。
しかし、久しぶりのごはんとしょうゆと玉子だー。泣けてくる。おいしくて。
「ついでだ。これも食えよ」
そういうとダンは、紙袋の中からスナック菓子らしいものをひとつずつ僕らにくれた。
ダンもひとつ、口に放り込んでポリポリ食べている。
僕らもつられて、一口で食べた。
何だろうこれ。食べたこと無いけど香ばしくて美味しい。
「うまいだろ?」
「うん、美味しいね。何これ」
ダンは今度は紙袋からとりだしたものを、僕らの目のまえに出した。
「うぎゃぁあぁぁぁああああああ!!」
「ゲンゴロウの唐揚げだ」
な、何てもの食わせるんだ。
「ゴキブリでないだけいいだろ」
そ、そういう問題ではない。これは。
野生児にもほどがある。
「ふーん。お前らロスのもんか。
いやなんだよな都会もんって。しょってやがる。
もっともな、ホノルルにもいたのさ。都会者きどりはな。
ニッケイのくせにワイシャツネクタイに革靴だ。
こちとら貧乏人の上に、俺からすりゃあんな窮屈な格好は願い下げだ。
俺はハナタレガキのころからはだしよ。靴が一足しかなかったからな」
そういいながらダンはまたたばこを取り出して、ジッポで火をつけてる。
ダンの父親と祖父母はフクオカの山村に住んでいたけど、ある日火事を出して自宅と両隣を燃やしてしまう。
それでダンの祖父母は、まだ幼い彼の父を連れてハワイに来た。賠償金を稼ぐために。
ダンの母は、ハワイで身寄りを亡くして、牧師に育てられた二世だった。
「つまり俺はダディからみればニセイだが、マムから見れば三世さ。
2.5世とでもいやいいかなあ。
お前ら、ロスもんなら第100のキム少尉知ってるだろ」
「うん、僕ら幼なじみだよ」
「似てるんだよ。俺とね。
あの人は日本人街に住んでた韓国系だろ。俺はね、中華街に住んでたニッケイなのさ。
着任申告の時は、ターナーのおやっさんはじめハオレもニッケイも驚いたらしいがな。
あの人は当たり前のことを当たり前にいっただけだと、俺は思っている」
うーん。ヤングがいいたいことはそれだけじゃないと思う。
ただ、生まれや育ちは確かに似ているよね。
「じゃあいろいろといやなこともあった?」
「それはねえな。
みんな俺のことを『アー・ダンニ(ダンちゃん)』って呼んでかわいがってくれたよ。
よくいろいろとうめえもんをものを食わせてもらった。
むしろ、いやなやつは日本人の方にいた」
ダンも僕同様、公立学校の授業が終わると、日本人学校に通っていたそうだ。
僕らはそうでもなかったが、ダンの学校にはファナティックな教師がいたらしい。
ダンは、母の影響で信心深いクリスチャンだった。
その彼にその教師は、生ける神であらせられる天皇陛下のご威光の前ではキリスト教など邪教であるから「棄教」して心から「陛下の赤子」と誓って大日本帝国に命を捧げろと迫った。
ダンは怒った。自分の信仰を否定するなと反論した。アロハスピリットからも許せるものではなかった。しかしその教師は、お前たちはどこにいても日本人だから日本に奉公しろと迫る。
そして「お前は日本人だ」と言いつのる教師に「自分はアメリカ人だ」と言い返して教師に力づくでその教室から放り出された。
「ニセイもそうだろうが、三代も経ってしまえば生まれた国が自分の国さ。
あんただって自分の爺さんがテキサンだったとして、自分もテキサンだと思うか?」
「いや、やっぱり僕はカリフォルニア人だと思う」
「だろ? だから少尉本人はどういう気持ちで言ったのかわからないが、
あの人もアメリカ人なのさ。俺と同じでさ。
……俺は何年か前に大けがして、腕がぐちゃぐちゃになっちまってな。
いい医師にかかって治してもらった。それもあって医者を目指してるんだ。
ハワイ社会で白人どもの中でのし上がるには、教師か医者しかねえ」
「のしあがる? 僕らははい上がるのが精一杯だ」
「どういうことだよ」
つまり、同じく「ニセイ」といっても人口の4割を占め、上が白人に押さえられていてもがんばれば中間層ぐらいにまでならいけるハワイと、高等教育を受けても下層民から抜けられない本土のちがいだ。
それだけじゃない。本土ではほとんどの日系市民が強制収容所に送られた。
「本土の日系市民は、どれだけ努力しても生きるのがやっとの暮らししかできないんだ。
そして去年の春突然、今まで一生懸命頑張って建てた家も、爪に火をともすようにしてやっと買った家具やラジオや冷蔵庫も二束三文で買いたたかれ、軍隊に脅されながら砂漠の真ん中の、刑務所同様の収容所に送られたんだ」
「……。
お前たち、そんな目にあわされながら、それでもこの国のために戦おうというのか」
ダンは、そんなことは知らなかった。初めて知って驚き、そして怒った。
「うん。ここにいるベンも収容所から志願した。
だって黙って何もしないでいたら、何も変わらないじゃないか。
僕たちだけじゃない。これから先この国に生まれてくる僕らの子孫のためにも、日系市民の自由と権利を、確立しなきゃいけないんだ。
白人たちに反抗して暴れたところで、やっぱりジャップはジャップだっていう白人たちの、僕たちに対する迫害を正当化するだけだ。
いま合衆国は総力を挙げて、暴虐なナチスたちと戦っている。
なら、不条理な現在を変えるためには覚悟を決めて戦いに加わり、勝利するしかないんだ。
――僕たちの勇気と献身で。
そう思った僕たちは、親や仲間にバカ息子、裏切り者呼ばわりされてもここに来た。
ヤングもそうなんだ。同胞から石を投げられるのを百も承知でここに加わったんだ。
こんなことは間違っている。って言って」
ダンはショックを受けたようだ。
それまで彼は、自分たちが戦功を立ててハワイの英雄となり、白人の政治家を打倒して、「ビッグ・ファイブ」を代表とする白人の寡頭支配にくさびを打ち込むつもりでいたのだ。
だが、もう彼の戦う意味は変わろうとしている。
「だったらブッダヘッドだコトンクだなんて言ってケンカしてる場合じゃねえぞ。
俺はさ、ハワイは豚頭、本土はエアヘッド(カラ頭)ってつもりでそう呼ばせたのさ。
ふん、あいつら勝手に仏陀って思ったけどな。天パでもないのにさ。
でも、本当に俺たちは豚頭だったよ。
本土の日系市民が、まるでナチの収容所みたいな所に送られたなんて知らなかった。
キム少尉が俺たちと一緒にニッケイの自由と権利のために戦うってつもりなのに、俺たちニッケイが互いに争ってどうするよ」
ダンは「あの日」、高校に通いながら赤十字奉仕団にも在籍し、将来医者になるためにボランティアしながら医療や看護を学んでいた。
戦争が始まったその日、彼はすぐさま奉仕団に呼び出された。
そして、不眠不休で大勢の軍民の負傷者を手当てし、その中の幾人かを看取ることになった。
家族を捜してきた人に、変わり果てた家族を「対面」させたことも何度もあった。
ダンは、軍に入る前から戦争を戦っていたんだ。
大学に入ってからは、勉学と赤十字の他に、兵役に就けないニセイのためにYMCAの役員が伝手をつけて認められた陸軍のボランティアに加わって、復興と道路造りにも汗を流した。
そして1943年、僕には二枚舌としか思えなかったローズヴェルトの演説に、ダンは、希望を見いだした。
もう、日陰者にならないですむと。
しかし、この日からダンの運命の車輪は、いままでとちがう方へ向きを変えた。
それが分かるのは、ダンに子どもができるくらい先のことだろう。
ダンだけじゃない、ヤングがワンプカプカに残ると決めたことは、ワンプカプカや442の運命も、彼自身の運命も、大きく変えてしまった。
ただ、僕はそのすべてを知ることはなかった。
ダンは言う。
「俺は、出征するときダディからいわれたんだ。
俺たちの家は、合衆国に恩がある。それを忘れるなってさ。
そして、恥になるような振る舞いだけはするなとな」
それは、彼の決意だったんだろうと思う。
そして、僕たちはそれぞれ別々に、兵舎に戻った……。
しばらくたった後。
442の従軍牧師マサオ・山田が「ブッダヘッド」たちを週末になるとどこかに連れて行く。
彼らは「女の子に会えるぞ」と陽気にウクレレなんか弾きながらでかけていく。
しかし、帰ってきたときは陰鬱な顔で戻ってきた。
「ジェローム収容所と、ロウアー収容所を見せているんだ……」
僕に聞かせてくれたのは、ヤングだった。
「ワンプカプカは、君たちがここに来る前から野球なんかで収容所を慰問している。
そしていまはみんな、日系社会のために命を賭けると決めて、猛訓練に励んでいる。
だからね、442のあいつらにも見せてやろうと将校たちが決めたんだ」
街も何もないところに、ぽつんと建っている強制収容所。
周囲を有刺鉄線で囲まれ、何もかも奪われた人々が明日への希望もなく暮らしている。
周囲の見張り台に据え付けられた重機関銃の銃口は、外ではなく内側を向いている。
その光景を見てきたブッダヘッドたちは驚き、悲しみ、怒った。
そして改めて誓う。全米12万人の「アメリカ版バビロン虜囚」となってしまった、この罪無き人々を、必ず解放すると。
もうそこには、「ブッダヘッド」も「コトンク」もなかった。
ヤングがかつて言ったとおりの、自由のために戦う合衆国兵士がいるだけだった。