政府も陸軍も、そして僕たちも、それぞれの事情で初陣を急がなければならなかった。
その結果、第100歩兵大隊が第442連隊戦闘団の露払いとして先にアフリカへ送られる。
まだ442の実力が十分と言えない状態では、それもしかたなかった。
しかし、442のベテラン連中も大勢第100歩兵大隊への転属を志願した。
僕も当然志願し、そして体格が貧弱という理由ではねられた。
ダンは逆にルーキーなのに、マークスマンクラスの射撃の腕と身体能力を買われ、第100歩兵大隊に加わって、先にヨーロッパの地を踏む。
ここに来るまでピストルも撃ったことがないとか、なんなんだあいつ。
どこまで野生児なんだよ。6月6日生まれじゃないだろうな。
そして戦地に行けず落ち込んでる僕は、ヤング少尉になだめられている。
「スパッド。442ndの訓練が終わり次第、君たちも出陣だ。
そのための道を開いてくる」
「でもヤング。まだワンプカプカは親を持たない私生児だよ」
そこにぬっとダンがやってきた。
「ターナー親父は何が何でも実戦部隊に加えてもらおうとシャカリキになってらあ。
こないだだって、俺らのドッグ・タグを他の部隊と違う仕様にしろって命令をはねつけた。
差別すんな、ってな」
それならそれで、また別な心配がある。
第100歩兵大隊が、白人部隊の弾よけに使われてすり減らされるかもしれない。
英軍のインド人部隊がどう扱われているかは、よく知っている。
しかし彼らが英連邦軍の一員であり続ける動機は、僕らと似ている。
「君がそう心配するのもわからなくはない。
だけど私は、ワンプカプカはあのグルカ兵に勝るとも劣らないと考えている」
ヤングのいうグルカ兵は英軍に属するネパール兵。
育ちのせいかレンジャーみたいな猛者ぞろい。
体格こそ僕らニッケイより低い、平均150cmぐらいだけど、獰猛かつ剽悍で敏捷。
山登りなら世界のどこの兵士にも負けない。銃を構えるのに0.5秒しかかからない。
ずば抜けた白兵戦の達人ぞろいで、彼らの使う短刀「ククリ」とともに恐れられている。
彼らはこの大戦でもアフリカや東南アジアで、ドイツ軍や日本軍相手に勇名をはせている。
……僕たちもそうなれるのだろうか。本家の日本軍に勝てるグルカ兵のように。
まあ、いま僕の目のまえにいるギャンブラー野生児なら、互角かも知れないけど。
その野生児はこう言う。
「まあ、弾よけならそれでもいいけどな。
ただし、敵が銃剣槍ぶすまになる前に、俺たちを撃てればの話だがなあ。はっはっは」
うん。僕たちも柔道剣道と同じくらい、日本の同年輩同様に銃剣道も仕込まれている。
結局最後は白兵戦だ。だって守備側が何の遮蔽物もない平原で待ち構えている事なんていう、ナポレオン時代のような事はもはや絶対あり得ないから。
塹壕陣地を構築しているか、交通の要衝の都市を占拠してるか、森にひそんでいるか。
そうなると攻撃側は、敵と交戦するまでに相当の損害を被る。
残ったものが会敵したあとは、ただちに近接戦闘になってしまう。
そうなると長銃身のボルトアクションライフルは、銃剣をつけて槍として使うしかなくなる。
サブマシンガンやカービン銃、BAR軽機関銃持ちも、いざとなったらスコップと銃剣だ。
どんな兵士でも敵との間合いが1mを切ったら、引き金引かないで銃で殴ろうとしてしまう。
だから個人火器がどんどん自動化する一方で、大昔からある銃剣というものが廃れないという奇妙なことが起きている。
もっとも……
「どこかのソ連軍の懲罰部隊みたいに、人間地雷探知機にされたら……」
そんなこといったら、さすがに二人ともドン引きしていた。
まあドイツ軍でもタコツボに潜んでいた歩兵が、敵戦車が通る直前に対戦車地雷をつないだものをひもで引っ張って、なんてことはやっていた。
ヤングもダンも「お前心配しすぎ」って顔をしてるけど、それに近い事はありそうな気がしてしかたがない。
そして、第100歩兵大隊が本土を発つ日がやってきた。
1943年8月21日。
第100歩兵大隊は、戦争が始まる前はカリブ海クルーズの客船だった「ジェームズ・パーカー」に乗りこんで、アフリカの連合軍根拠地に向けてニューヨーク港から船出した。
この日は雲一つない晴天で、マンハッタン島の摩天楼が空に美しい線を描いていた。
これでアメリカともお別れ、行ったことのない国へ向かうのだ。
訓練ではない、本物の戦争をするために。
そんな彼らを、物言わず見送るのは合衆国の擬人化、リバティー(自由の女神)の像。
リバティーの掲げるたいまつは、人々の心にともる希望の火。
第100の皆は、そのリバティー・トーチを心に刻んだ。
そして、あの炎を守るのだと心に決めた。合衆国は、自由の女神であるべきだと。
それは欧州の戦場で、本当のことになる。
1943年9月2日。太平洋では中部太平洋軍が本格的な反撃に出ているそのときに、ジェームズ・パーカーはジブラルタル海峡を抜け、北アフリカのオランという港に着いた。
その翌日には英第8軍がすでに占領したシチリア島から出撃し、イタリー上陸作戦が本格的に始まろうとしていたという緊迫した時期に、第100は戦場にやってきた。
だからだれも「いらん子大隊」の私生児に構っているヒマはなかった。
せっかくやって来たのに、ほとんど放置されているありさまだった。
みんな、オランの外れの荒野にテントを張る以外、何もすることがなかった。
怒ったターナー大隊長は、ラヴェル副大隊長を伴って、地中海地区方面司令部に日参した。
しかし、だれも面倒な「日系隔離大隊」なんか指揮下に加えようとはしなかった。
皆、悔しさに歯がみしながら、じっと耐える毎日だった。
見かねた誰かがカサブランカからチュニジアへ向かう軍需列車の警備という任務をターナーに提示したが、ターナー大隊長は一蹴した。
第100は、自由を奪われた日系市民の解放のために、連合軍の先頭を切って戦わなければ意味がない。大隊長たちはますます必死になって陳情を繰り返した。
実はこの頃、連合国とイタリーの反ムッソリーニ勢力との間には「秘密協定」ができていた。
8月前には首都ロームで無血クーデターが起きてムッソリーニは失脚し、イタリー国王はピエトロ・パドリオ元帥を後任に指名。連合軍がイタリー本土に上陸後直ちに連合国と停戦することが決められた。
9月8日、ついにサレルノにクラーク中将麾下のアメリカ第5軍が上陸。翌9日、連合軍総司令部は、イタリー王国が連合国に降伏したと発表した。
このときパドリオ元帥を首班とする臨時政府は連合国に降伏する一方、ドイツに対しては敵対しないと表明する。しかしイタリーに派遣されていたドイツ南方軍集団司令官ケッセルリンク元帥の動きは迅速だった。彼はムッソリーニやファッショ党の支持基盤である北イタリーを、ロームを含めてすばやく掌握、パドリオ政権と国王はロームを脱出し、連合軍の保護を受ける。
幽閉されていたムッソリーニは親衛隊のスコルツェニー大佐率いるコマンドゥに奪還され、9月15日に「イタリア社会共和国」を樹立。とはいえ当事者能力の欠如をさらけだしたムッソリーニは、ヒトラーの操り人形に成り下がっていた。南イタリーに逃れていたパドリオ政権は連合国に加わって、ムッソリーニ政権に宣戦布告。南イタリーの住民がこれに呼応して、ムッソリーニ政権下でも活発だったレジスタンス活動はますます激化した。
一方でドイツ南方軍集団はすばやく機動防御に出る。
シシリー島から出撃する連合軍が目指すのは、当然対岸のサレルノなのはわかりきっていた。
国防軍から空軍に転出されられたケッセルリンク元帥のもとには、第1、第2降下猟兵(空挺)師団やヘルマン・ゲーリング装甲師団など、デブのゲーリングの見栄で作られた、つまり精鋭中の精鋭部隊があった。その上、第508独立重戦車大隊までいたのだ。
「あれが、虎戦車か……」
北アフリカの大地には、ドイツ軍10万、イタリー軍15万が降伏するまで戦い抜いた第504重戦車大隊に属した虎の残骸が残されていた。
ドイツらしく無骨で角張った、そして誰も見たことのないくらいデカい戦車だ。
ほとんどは故障で動けなくなって自爆処分されたものだ。
合衆国陸軍がこの戦争に参戦したとき、すでに「世界水準」である75mmカノンを旋回砲塔に搭載した中戦車が、それまでの「7人兄弟用棺桶」とからかわれた間に合わせのM3中戦車に代わって戦車部隊に配備されていた。
この戦車は少なくとも当時の英軍戦車よりも新しく、性能バランスに優れ、品質管理が当時の世界で最も優れていたアメリカ製品らしく、操縦、整備が容易で故障も少なかった。
この戦車の供与を受けたイギリス軍では、南北戦争で南軍から「悪魔」と恐れられたウイリアム・シャーマン将軍にあやかって「シャーマン」と呼んだ。
そして合衆国戦車隊はこの「新鋭戦車」に乗って自信満々で出陣し、……地獄に落とされた。
彼らを待ち構えていたのはソ連との戦いで苦汁をなめたドイツ軍が戦訓から学んで用意した、マーク3スペシャル、マーク4スペシャル、マーク3アサルトキャノンといった長砲身高速砲を装備した改良型の戦車たち、そして「虎」だった。
とくに虎は恐ろしかった。わずか1個大隊の虎に、シャーマンたちは一方的に倒された。
シャーマンの主砲は目と鼻の先まで近づいて通じるかどうかすらわからなかった。そこまで行く前に倒されたから。戦場が身を隠すものさえない砂漠だったことも悪かった。虎の主砲が命中すると、どの距離でもシャーマンの装甲板は打ち抜かれた。常にアウトレンジされてしまう。
シャーマン自体がこういう戦車対戦車の戦いを想定していなかったことが損害にいっそうの拍車をかけた。弾庫が被弾しやすい位置にあったのだ。
装甲を貫徹されたシャーマンは、砲弾が誘爆していともかんたんに木っ端微塵になった。
そして、シャーマンに乗るルーキーたちは戦争素人だっただけではなく、対戦車戦の訓練など全然受けていなかった。
彼らは何も知らず、歩兵支援戦闘の要領で梯団を組んで進撃し、1kmかなたにいる少数の虎に片っ端から吹き飛ばされる。恐慌状態の彼らの射撃はロクに当たらず、当たってもすべてはじき返される。もし乗っているのが敵と同じドイツの百戦錬磨のベテランだったら、ソ連の重戦車と戦ったときのようにうまく立ち回り、もしかしたら犠牲は出てもそれに見あうだけの虎を食っていたかも知れない。
だが、合衆国のルーキーたちは、戦車は戦車と戦うものと思ってさえいなかった。
彼らは何もできないまま撃破され、ベテランになる経験を積む前に死んでしまった。
つまり合衆国の戦車隊は、いつまでたっても新人集団だってことだ。
こうしてアフリカの砂漠に、シャーマンのしかばねが累々と積み重なった。
そして、合衆国陸軍は「虎恐怖症」にかかった。
戦車兵も、歩兵も、ドイツ戦車に会ったら最後、「虎が来た!」と叫んで逃げまわる。
そして死神の恐怖にすくみあがり、すっかりチキンの集団になってしまった。
ソ連だったら政治将校がみんな銃殺してるだろう。
合衆国陸軍には「督戦隊」などという理不尽なものはない。
皮肉なことに空では「稲妻」「雷電」「野良馬」そして海軍の「魔女」のような重装甲重武装で足の速い戦闘機が穴だらけになりながらもルーキーたちを殺さずに基地や母艦に連れ帰り、そしてベテランとなった彼らは、今度は不幸な敵機を次々とブローニングの弾幕で引き裂いた。
さらに四発重爆B-17やB-24だけでなく、中型爆撃機や攻撃機も重装甲で重武装だった。
しかし、陸の王者たる戦車は、日本のタイプ・ゼロのように脆弱だった……。
このころのシャーマンは、マーク4スペシャルやマーク3アサルトキャノンにも勝てなかった。
僕たちが持っていた「戦車」のイメージは、すでに過去のものになってしまった。
いま、ヤングとサカエ・タカハシ、ミツヨシ・フクダといったワンプカプカの非白人将校たちが見つめている「虎」の残骸も、故障遺棄で自爆したものだった。。
「正面装甲が厚いな。100mmあったんだとさ」
「うちのは75mm砲と言っても、19世紀終わりのフランスの野砲をそのまま積んだだけだしな」
「88mm高射砲は、1km先でも120mmの鋼鉄を撃ち抜けるんだと」
こいつは、僕たちの知っている「戦車」とはものが違う。
せいぜい30トンそこそこの「新鋭戦車」M4でさえおもくそデカいなあと思っていたんだ。
なのにこいつは、幅が1m、長さが2mも大きく、重量は20トンも重いのだ。
こいつの電信柱のような88mm砲の前では、シャーマンの75mmがおもちゃにしか見えない。
せっかく作った新型が、いっぺんに旧式になってしまったような気分だ。事実だけど。
ヤングが残骸を検分している。どこかに弱点はないかと思っているのだ。
「すごく重そうだね。動くたびにどっか壊れそうだ」
それにはタカハシが首を振る。
「こいつらはそれをよく知っていたらしい。
地形効果が攻撃側に何もないんだから、斜め向いたまま待ち構えていたってさ。
おいてかれたのは車体が無事でも、エンジンや足回りが逝っちまって放棄されたのばかりだ」
そして、この時が僕たち日系部隊と「虎」の因縁の始まりだった。
この間、何度追い払われてもターナー中佐とラベル少佐は司令部に出かけては粘り続けた。
その頃サレルノでは、イタリーが降伏したから楽勝と思っていた連合軍が大苦戦していた。
第15軍集団はクラーク中将の米第5軍とモントゴメリー大将の英第8軍からなっていたが、モンティの反対にもかかわらず地中海司令部は第8軍を先にシチリアからイタリーの「つま先」に上陸させ、南方軍集団の分断を図った。
しかしケッセルリンクはこれを陽動と考え、サレルノに6個師団を集中配備して待ち構える。
そのせいで英第8軍は、480kmもの距離を敵の工兵が設置した障害物に邪魔されながら、ただ進軍させられるはめになる。分断されたのは連合軍の方だった。
第5軍は単独でドイツ軍と戦わされ、何度も追い落とされそうになる。
しまいには軍楽隊まで楽器をライフルに持ち替えて、彼らだけで重要な高台を守らされた。
この「ピッコロ部隊」は数度にわたるドイツ軍の逆襲を見事に退けたという。
そんな激戦のさなかだから、誰も信頼がおけないと思っているいらん子大隊など、ますますほったらかしにされる。
しかし、そんなある日のこと……
「おい、お前ら。そんなに戦いたいのか?」
一人の少将が、ターナー中佐を呼び止める。
彼は浅黒く日焼けした顔に不敵な笑みを浮かべる、いかにもガッツのありそうな雰囲気をまとった、猛将タイプの男だった。
「俺は第34師団長のライダーだ。
なんかお前たちがどうしても戦わせてくれって毎日来るっていうから、もし今日も来たら話を聞いてやろうと思っていた。
だから聞くぞ。お前らの部隊は本当に最前線で戦いたいのか?
俺が欲しいのは、石にかじりついても戦う根性のある連中だ。
そうであれば日系だろうが何だろうが関係ない」
ターナー中佐のお百度参りがとうとう報われた。第100を仲間に入れていいという人物がついに現れたのだ、
もちろんターナー中佐は即答した。
「間違いなくそのとおりです! 閣下」
ライダー少将はそれを聞き、我が意を得たりとばかりに破顔した。
「そうか。ならば今日から貴官らは俺様の部下だ。
我が師団はこれから第5軍の増援としてサレルノに行くから、しっかりついてこい!
特別扱いはしてやらんが、最初の一戦だけは必ず勝たせてやる」
最初の一戦。すべての部隊はこれで明暗が分かれる。
初陣で勝つことは、あとあとまで自信となってのこるんだ。
そしてライダー少将も、この「売れ残りの半額シール付きアンチョビ缶」が思わぬ拾いものだったと、いずれ知ることになる。
こうして第100歩兵大隊は、第34師団第133連隊に追加の大隊として配属された。
ようやく「私生児」でなくなったのだ。
第34師団は「突撃突撃突撃」をモットーとする、師団長の人となりが反映した攻勢の師団で、部隊章の赤い雄牛から「レッド・ブル師団」と呼ばれていた。
ニセイたちは、初めて自分たちの制服のそでに部隊章を縫いつけることができて歓喜した。
上がオープンな人間だと皆がそうなるようで、第34師団には第100に隔意を持つものはほとんどいなかった。また、ハワイ出身のブッダヘッドには野球の名選手が多く、北アフリカ駐屯部隊の野球大会ではジョー・タカタ、ケネス・カネコらハワイの社会人野球で鳴らした猛者の活躍で第34師団が優勝したこともあって、彼らはすんなりと受け入れられていった。
だが、サレルノ周辺の状況が憂慮すべきものだったため、本来は後詰めだった第34師団も予定を繰り上げてサレルノに向かった。
第100を含む彼らがサレルノに入港したのは9月22日。平底の戦車揚陸艦に乗って地中海を横断した第100の皆は、船酔いでグロッキー状態だった。
この頃は第5軍に英第8軍が合流し、ドイツ軍はネイプルスの港を徹底的に破壊したあと、北に後退して防御戦を引き直した。ローム南方の連峰地帯をつないだG線、グスタフ・ラインだ。
大港湾であるネイプルスの桟橋が使えなくなったため、第34師団を含む大所帯の第二陣は揚陸艇を使ってサレルノ海岸に順次上陸をするはめになった。
第100の番になるまで何もできず数時間待ち、そして今度は大隊全員が舟艇に乗りこむまで波にゆられる小舟の中で待機を強いられる。
そしてサレルノの海岸は、大洗の海水浴場じゃない。平坦でない上に、海岸近くまで岩礁がゴロゴロしている。
波打ち際まで数mまで接近してランプドアを開いた舟艇から、波をけたてて兵士たちが内陸めがけてダッシュする、と行けば御の字。ほとんどの舟艇が岩礁に引っかかって止まってしまう。
ラベル副長の乗った舟艇は、真っ先に座礁してしまった。
しかしここがリーダーシップの見せ所、とばかりに彼は装備一式とともに冷たい海に飛びこんで泳ぎ出す。そうなると皆も四の五の言わずにザブザブ海に飛びこんで泳ぎ出す。
白人で背の高いラベル少佐は足が付く深さまで来たら、防水布にくるんだ銃と命より大事なたばこを両腕で高く掲げて歩き始める。しかしニセイの兵隊はそんなに背が高くない。
少佐のマネをして立って歩こうとして、みんなぶくぶく沈んでしまった。
それでも戦う前におぼれ死んだら恥ずかしいと、みんなで必死に銃だけ波の上に掲げ、息を止めて海岸まで必死に歩いた。
ターナー大隊長のジープも、海岸のはるかかなたで海に飛びこんだが、ドライバーはどこからもってきたものか、素潜り用のシュノーケルをくわえてエンストする前に猛然と上陸した。
全員ずぶぬれになった第100は、10km内陸で仮住まいのテントを張った。
すると、第二陣にくっついてきた従軍記者たちがわらわらと第100のテント村に現れて、誰彼構わずつかまえてインタビューを始めた。
第100はこのときまでにイタリーに上陸した連合軍総勢19万人のなかの千人に過ぎなかった。
しかし、地中海方面司令部は手回しのいいことに「日系二世の部隊が参戦するから、日本兵と思って撃ったりしないように」とお触れ書きを回していたのだ。
ターナー大隊長も、本当は報道陣に根回しをしていた。
やってきたのはAP通信、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズといったそうそうたる報道機関の記者たちだった。全米どころか連合国すべてに記事が配信される。
そして、彼らは太平洋で見た日本軍の捕虜たちと同じ顔が米軍のキャンプにいるのを見てぎょっとしたが、彼らの記事を読んだ全世界がまた驚いた。
何しろ「日本人」が連合軍に加わって戦おうというのだ。火星人が地球軍に加わって宇宙人の軍隊と戦うようなものと思ったに違いない。
サカエ・タカハシは「だからこそ私たちは欧州戦線に回されたのでしょう。ここなら日本軍と区別がつかないことで混乱しませんから」と答えている。
そしてターナー大隊長は「できることなら太平洋に行って、日本軍と戦って見せたい」とまで発言して、第100の覚悟のほどをアピールした。
9月25日。すべての準備を整えた第100は、先発した第34師団の僚友を追ってサレルノを進発。
すべての町も道路も、砲撃や爆撃で荒れ果てた中、彼らの乗ったトラックは激しくゆれながら最前線を目指して進む。
道ばたには黒く焼け焦げた鉄のかたまり。開いたハッチらしきものからは真っ黒な消し炭のようななにかが、宙をつかもうとしているかのようだった。
どちらのものともわからない戦車の残骸、鋼の棺だった。
イタリアの秋と冬は、厳しい寒さの中冷たい雨が降りしきる季節だ。
彼らは外套を着込んでもどこからか通り抜けてくる雨に、下着や靴下まで濡らしている。
小休止も、眠るときも泥の上。食事も携帯糧食のKレーション。
雨の中、レーションの袋をやぶいて、やっぱり冷たい缶詰やビスケットをほおばる。
乾燥食さえ湿気っている。あたたかいコーヒーなんて望めない。
みごとに味気ないレーションが3食続くと、皆思うことは一つしかない。
玉子飯なんていわない、せめてあたたかいお米のご飯が食べたい。
ずぶ濡れになってかじかみながら、第100は前線への道を進む。
サレルノに上陸してから一週間たった9月29日。その日も朝から雨だった。
朝の5時30分に野営地をたった第100は、退却する敵軍を追って雨と泥の中を進んでいた。
いよいよ最前線が近い。目的地は「チウサノ」という山村だった。
しかし第100の初陣は、誰も気がつかないうちにすでに始まっていた。
「敵襲!」
誰かが叫ぶ!
つづいて前方からうなるような音とともに7.92mmの機銃弾が降り注ぎ、次いで75mmの榴弾が何発も周囲で炸裂する。
第100の「初陣」は、予告無しの奇襲で始まった。
いくら「訓練」でよい成績を収めていても、第100はまだ戦争素人だ。
もちろん、自分を殺そうと襲いかかる敵の銃弾砲煙を、その身に受けたことなどない。
まずいことに、第100の首脳部も同じだった。
白人将校たちも日系部隊に回されるような連中だ。日頃威勢のいいことを並べていても、いざとなるとポケットのものまで全部放り出してまで、必死に地面にへばりついている。
大隊長のターナー中佐も、これまでリゾート地で最前線になるはずのない(少なくとも戦場になったのは「あの日」だけ)ハワイの州軍でのんびり暮らしてきた、もう49歳のロートルだ。
本当なら敵弾降り注ぐ最前線で大隊長なんて、身体、精神ともに無理だった。
第100はみんな必死になって、必死にナイフや素手で穴を掘るかものかげに隠れていた。
このとき、ヤングのB中隊第2小隊は、第100の最後尾にいた。さほど混乱も見られない。
しかし大隊長からは、敵情も命令も送られてこない。無線も沈黙したまま。
前方では皆がおびえて、すくみ上がっている。このままではまずい。
ヤングは副隊長のマサハル・タケバ軍曹と伝令兵がそばにいるのを見ると、演習の時のように声をかける。彼にとっても初めての実戦だったが、ここが正念場だ。
「ここから動こう。このままここにいてもみんな的になるだけだ。
タケバ。あの砲撃が飛んでこない場所まで、小隊全員で移動する。
カネコ、スズキ中隊長は何か言ってきたか?」
ヤングはかたわらにいた副隊長、タケバ軍曹に小隊の移動準備をさせ、ハワイリーグのエースだった伝令兵のケネス・カネコに、何か命令があったかたずねる。
ケネスは首を振るだけだった。
もし中隊長が行動を決めかねているなら、意見具申の要ありとヤングは考えた。
「そうか。カネコ、中隊長に伝令を頼む。
第2小隊長は全中隊はこの丘を降り、2時の方向、砲撃の死角に向け移動の要ありと具申します。
復唱は省略、すぐに行ってくれ」
「了解っ」
ケネスは第3小隊と共にいる中隊長のもとに、姿勢を低くして急ぐ。
ケネスが出て行くのと入れ替わりに、タケバが小隊を掌握して戻ってきた。
第2小隊は、シェルビーのころからヤングが考えるヒマも与えないようにして育てた部隊だ。
命令を聞いただけで全員が反射的に銃を構え、かがんだまま待機していた。
「小隊長、移動準備完了。いつでもいけます」
ヤングは、タケバの言うとおり全員がピン状態でないことを確認して一瞬笑う。
そしてそのまま片腕をあげた。
「よろしい、総員小官に続け。警戒前進で移動する」
ヤングは後ろをふり返って命じると第2小隊の先頭に立ち、慎重に丘を降り始めた。
小隊はまだ完全にパニック状態から抜けたわけではないが、とりあえず混乱はしていない。
一方ケネスは中隊本部にヤングの意見具申を伝えようとしたが、中隊長始め伏せっぱなしで、顔を上げているものは誰もいない。
困り果てたケネスを見とがめたのか、将校がひとり、かがんだまま近づいてきた。
このときただ一人冷静さを取り戻していた、サカエ・タカハシ中尉だった。
この非常事態に白人将校たちが使い物にならないことを知った彼は、伏せてばかりいるニセイたちをどやしつけながら大隊長の元に行ったが、ターナー大隊長には戦闘時の臨機応変の指揮はとれないことを察して、なんとか動きつつあるB中隊に近寄ってきたのだ。
タカハシもまたヤングの後を追うように強く説き伏せて、B中隊もようやく動きだす。
それを見とどけるとタカハシは、また別な部隊を督励に行った。
敵は機銃陣地と戦車で防衛戦を張り、こちらがかかってくるのを待っている。
皆がピン状態になってくれてかえって助かった。とタカハシは思った。
普段の血気のまま逆上して向かっていったら、と思うとぞっとする。
B中隊はヤングを先頭に、なぜか砲撃の来ないS字カーブの道沿いに進んでいる。
あそこから攻撃を再興するのだろう。
その場所でヤングたちが見たものは、無人の野に立つ赤十字の旗と、ライフルを地面に立て、鉄兜をかぶせた兵士たちの墓標だった。応急救護所のあとだ。
「これがあったから、奴らは攻撃をためらっていたのか」
だが、ここに中隊規模の部隊が集結しているなら話は別。
そう考えたヤングは、中隊長を見る。
しかしスズキは、膝をついたまま動こうとしない。
第3小隊長の白人中尉もじっと前を見るばかり。
スズキを心配したドク・コメタニもB中隊のあとを追ってきた。
というのは、なぜかこの時期になってターナー大隊長が中隊の幹部のほとんどを入れ替える人事をしており、スズキは今まで後方支援の将校で、戦闘指揮の経験がなかったからだ。
そしてヤングが思ったとおり、ドイツ軍の機関銃の、連続した発射音がB中隊を襲う。
地面に当たった弾のあげる砂柱がほとんど同時に上がったかのような、ものすごい勢いと速度で迫ってくる。
米軍の自動火器は、BAR(ブローニング・オートマチック・ライフル)と呼ばれる一人用軽機関銃も、二人がかりで運んで使うときに組み立てるM1919重機関銃も「ダダダダ」というように発射音が1発ずつ分かれて聞こえる。
しかし、ドイツの機関銃は「ヴォー」とうなりながら、下に向けて空薬莢をまき散らす。
撃ち出される銃弾は、本当にホースで水をまいているようだと言ってもいい。
あんな中に飛び込んだら、本当に「蜂の巣」になってしまう。
しかも奴らの機銃には「軽機」「重機」の区別はない。BARと同じくらいコンパクトな機銃に二脚をつけて軽機のように使ったり、鉄パイプの三脚で重機のように使ったりできる。
そしてBARは20発入り箱形弾倉しか使えず、重機関銃はでかい箱に入った弾帯しか使えないのに、奴らのはドラム型小型弾倉も、箱入り弾帯も使えるのだ。
銃身の消耗は早いが、ドイツの機銃手はいつも2~3本の予備銃身を持っていて、それもほんの数秒間で交換できる。分厚いミトン手袋をつけた手で。
それだけではない。戦車も兵員輸送車も必ずその機銃を2~3丁装備している。
歩兵にとって本当に恐ろしいのは戦車の主砲ではなく、副武装の機銃の方だ。
ドイツ戦車のコマンダーには腹の据わったのが多く、身をさらしながらキューポラの機銃を撃つ猛者もざらにいる。中世の騎士や侍大将じゃあるまいが、本当に一騎当千というやつだ。
そしてイタリーのドイツ軍は守備側だ。連中はしっかりとした場所を選んで機銃座を組んで、弾も多量に用意して、地形に紛れてこっちが来るのを待っている。
知らないままうかつに道路の上を行軍したら、第一撃で十何人も殺されるだろう。
だから少数のドイツ軍に多数の連合軍が苦戦する。
逆に言えば今回、不意を打たれて弾幕射撃を食らったのに誰も死んでいないのは、パニックに飲まれながらも全員が無意識のうちに素早く伏せたからで、第100だからできたことだ。
他の初年兵部隊だったらどうだったろうか。突っ立ったままなぎ倒されかもしれない。
いま奇襲を受けたB中隊も、パニックから立ち直って素早く回避したから被害はない。
それどころか各中隊では日系の将校や下士官たちが戦意を取り戻し、反撃を始めた。
B中隊でもハワイ野球リーグの強打者、ジョー・タカタ軍曹が機銃陣地のありかを探りに、小走りで銃声のする方に進み、ライフルを撃ち始めた。第3小隊の兵たちもそちらに向かう。
銃身の加熱を警戒しているのか、敵の銃撃はときどきとぎれる。そのすきを突いてまるで盗塁のサインが出たかのようにタカタは走った。しかし、彼は走りきることはできなかった。
どちらが撃ったのかわからない迫撃砲弾が、彼の足下で爆発し、彼を吹き飛ばした。
後に続く兵士が彼に駆け寄ったが、彼は倒れたままだ。
砲弾の破片が鉄兜ごと彼の頭部を貫いていた。この深傷ではもう助からない。
もはや何も見えず、口もきけない彼は、最後の力を振り絞るように敵の銃座の場所を指さし、そのまま息絶えた。第100の最初の戦死者だった。
彼の最期を看取った兵士たちは、涙を流しながらも訓練通り着剣したライフルを構えて銃座を匍匐しながら迂回し、飛び込める距離まで近づくと一気になだれ込んだ。
銃剣を突き刺す音、敵の断末魔が聞こえ、そして再びしのつく雨の音だけの世界に戻る。
タカタが戦死したという知らせは、ターナー大隊長のもとにも届き、彼を茫然自失させた。
しかしどれほど参っていたとしても、彼には部隊の退却という選択はありえなかった。
上級指揮官ですら初陣のものだらけの第100だったが、日系戦士たちは自分たちがここに何をしに来たのか、いまははっきり思い出していた。
苦しい訓練を人一倍つんで、体格の違いをものともせず精強な兵士となった彼らはただ伏せているのをやめ、ものかげに移動するかすばやくタコツボを掘って銃をとり、重機関銃や迫撃砲をセットアップし、とにかく応戦できる体勢を取りはじめる。
チウサノを守っていたドイツ軍はそれを見て第100を撃退できそうもないと判断し、ゆっくりと後退をはじめた。しかしこちらを見張りつつ、第100が攻勢に出たらすぐに叩ける体勢で。
「第二小隊、道路から離れて林に散開。慎重に前進だ」
同じころ、ヤングはそう命じて、引きつつあるドイツ軍とつかず離れずの距離を取りながら、敵のいなくなった土地をゆっくりと確実に占領しようと試みた。
B中隊の他の小隊もそれにならおうとしたとき、それに水を差したものがいた。
B中隊隊長のスズキ大尉だった。
「馬鹿者。全中隊を集結させ、道路をたどって迅速に追求せよ。
敵は逃げているのだ。奴らを撃つ好機である」
ヤングは、一瞬あぜんとしたが、すぐに反論した。
「ノー! ダメです。敵は後退していますが壊乱して逃亡しているわけではありません。
いつでも逆撃できる陣形で、警戒しながら下がっているだけです。
今は彼らが放棄した土地を押さえるのが先です。依然として敵は無傷のままです」
これはヤングだけの考えではなかった。誰もまだ敵の兵力を知らない。
下がっているのもおそらく戦術的な後退だ。彼らは拠点近くで物資の補給を受け、再度迎撃陣を敷くだろう。あるいは後詰めにいる部隊と合流して反撃を企図しているかも知れない。
敵情もわからないのに、むやみに突撃できるかと皆思っている。
だが、ヤングの判断をスズキは抗命と受け取った。
もともと彼は韓国系のヤングが嫌いだった。そしてヤングはヤングで韓国系にあるまじきことに、目上目下の関係を意に介さない性格だった。正しいことか間違っていることか、それが彼の判断基準だった。そのせいで封建的なアジア系の職場で長続きしなかったともいえる。
おそらく彼は彼自身が思っている以上に「アメリカ人」なのだろう。でなければ父親が李承晩のもとで日本からの独立運動グループの活動家をしているほどの民族主義者なのに、父の意に背いてまで日系部隊に加わって、日系市民のために僕らとともに戦おうなんて思わないはずだ。
ロス出身の僕はもちろんヤングの両親のことも知っていた。知っていて友だちづきあいしていたのだ。だからヤングが僕たちを家に招かない、いや、招けないのも仕方ないと思っていた。
一方スズキは悪い意味で日本人的だった。長幼の序というものは彼の戒律だった。
スズキが後方支援畑で、兵科将校でないことも悪かった。敵がただ恐れをなして逃げ出したと本気で思っていたのだ。だからなぜ追撃しないのか理解できず、戦果をあげる好機なのにと思って怒っている。
ただ、スズキはこのときのヤング以上に中隊員の人望がなかったことも事実だった。
たとえば地図の読み方も知らないうえにとんでもない方向音痴だった。他の将校の努力でなんとかB中隊は迷子にならずに済んでいた。それでも先の戦闘では一番後ろにいた。副隊長のラベル少佐も、ほとほと呆れていた。そして先ほどまでの戦闘で、この中隊長は何もしていない。
議論は続いた。ヤングは「皆を遮蔽物の全くない路上で危険にさらすだけだ」と言い張って、頑としていうことを聞こうとしない。ついにヤングはその場に座り込んだ。
中隊長は憤然として大隊本部に向かった。
たぶん、ターナー大隊長にヤングのせいで先に進めないとでも言いつけるのだろう。
まずいことに大隊長は「息子の一人」とも思うタカタの死の衝撃から立ち直れないでいた。
そんな状態で大隊長はラベル少佐らを伴って、座り込むヤングの元に現れた。
彼はヤングに怒りの矛先を向け、険しい表情で大声を張り上げた。
「ヤング・キム少尉、すぐにスズキ中隊長の命令に従え!」
「拒否いたします。大隊長殿」
周囲の将校も兵士たちもあぜんとした。
たしかに大隊長たちの判断は間違っている。だからといってヤングが一言の下に拒絶するとは誰も思っていなかった。
ラベル少佐が「これは命令なんだよ。ヤング」と取りなそうとしたが、それでもヤングは「危険なルートとわかっている以上、皆を前進させられません」と言うだけだった。
ついにターナー大隊長が切れてしまった。
「命令に従わないのなら軍法会議にかけるぞ!」
最後通告だった。
ヤングは平然とした表情のまま立ち上がり、「結構です」と言い捨てて来た道を引き返した。
兵士たち数人と、ドク・コメタニが彼を追う。
ヤングに駆け寄ったドクはこう言った。
「君が正しいのだろう。しかし今日は第100の初戦の日なんだ。
第5軍や陸軍全部、そして全米の人々が我々を見ている。
そんなときに将校の君が軍法会議にかけられたなんてことになったら目も当てられない。
お願いだ、ヤング。今日だけはこらえてくれ」
他ならぬドクの渾身の説得だった。ヤングといえども逆らえないものを感じる。
ヤングはきびすを返して、こう言った。
「わかりました、ドク。
でもこれで皆が死んだら、あとは大隊長の良心の問題です」
ヤングは、やはり彼を追ってきたタケバ軍曹に目配せすると、再び部隊の先頭に立って、命じられたとおり「道路の上」を進んだ。
隠れている敵からは丸見えなのは百も承知で。