第600高地攻略戦のさなか、ほとんど事故と言っていい被弾で重症を負ったヤングは、第2小隊を右腕とも頼むタケバ軍曹に託した。
その数時間後、ハワイ・リーグの強打者で、やはり第2小隊の要であったケネス・カネコも負傷した。彼の野球仲間のヨウゾウ・ヤマモト、そしてドク・コメタニまで傷を負う。
D中隊で先陣を切って戦っていたスパーク・マサユキ・マツナガ中尉の小隊は、敵影もないのにいきなり攻撃にさらされる。それは伝令兵が踏んだ跳躍地雷だった。
跳ねっ返りベティはその伝令兵の数メートル上空まで跳び上がると無数の鉄球をばらまいた。
マツナガ中尉は脚に何個もの鉄球を食らった。彼の隣にいた通信兵は即死。やはりハワイ・リーグの選手で、第34師団を大会で優勝させたひとりのオオミヤ一等兵は両眼を手で覆い、転げ回っている。
オオミヤの受けた破片は一つだけだった。しかしその破片は運悪く彼の右目に当たった。そして左目もそのショックで壊れ、彼は全盲になってしまった。
第1大隊と第100のあいだに割りこんだドイツ軍は、後方からの牽引型や自走型のロケット砲の支援射撃に支えられながら、第100に攻勢をかけてくる。
彼ら負傷者は砲煙弾雨のただなかに取り残された。
「いくぞ!」
オオクボ、オオタガキ、アキナカたちメディックが、救急用具や担架をもって、彼らを救いに行く。彼らは赤十字章を描いた鉄兜をかぶっているにもかかわらず、ドイツ軍の攻撃は止もうともしない。ドイツ軍はメディックと知っていて撃って来るのだ。
それでも彼らはライフルマンと同様に突撃していく。
第100では負傷兵を後方に送り届けながら、自分は戦死、負傷する衛生兵も多い。
しかし、彼らは断じて仲間を見捨てることはない。
「くそっ! 観測班がいれば」
大隊砲兵、81mm迫撃砲チームからは、進撃中のドイツ軍は死角に入っていて直接射撃ができない。迎撃中の各部隊からはひっきりなしで支援要請がくるのに、座標を中継する観測班がいないのだ。連隊砲兵や師団砲兵は第100を支援しない。大隊としては大規模な砲兵を持っているためだ。第100は初めから工兵、補給部隊や衛生兵部隊も持った独立戦闘単位だった。
支援が来ないのは観測班がいないためだと悟ったのは、D中隊のニール・レイ少尉だった。
彼とタノウエ伍長、ヒガシ伍長の3人は即席の観測班として無線機を背負い、見晴らしのよい尾根に進出、重火器中隊に座標を送り始める。
ドイツ軍は攻勢のために部隊を集中しているところに、狙い澄ましたように降ってくる迫撃砲弾を食らう。そして指揮官の集まっている場所や、機銃陣地も吹き飛ばされる。
連携したライフルマンたちの機動防御でひとたび後退したドイツ軍部隊は、再編成の後、また押し寄せてきた。そして部隊の一部をレイ少尉たちに向かわせる。
3人はドイツ兵たちと戦いながら、なおも座標を伝え続ける。
ついに第100は自分たちに向かって来たドイツ軍を撃退したが、観測班の3人は分派されたドイツ兵となおも戦っていた。じりじりと包囲の輪が狭まる。彼らはもう銃弾をすべて使い果たしている。レイ少尉が無線機に叫ぶ。
「いいか、これで最後だ。座標は――」
直後、彼ら3人のいる場所に迫撃砲弾が正確に降り注ぎ、彼らとドイツ兵たちをすべてなぎ倒した。レイ少尉が最後に伝えた座標、それは彼ら自身が立っていた場所だった。
11月11日、第100は命じられた3つの高地すべてを制圧。
この戦いの戦死者は33名。
イタリーには、もう雪が降り始めていた。ヨーロッパ主要部は緯度でいえばアメリカの冷帯や亜寒帯に位置する。地中海や大西洋の暖流のおかげで温帯の気候だが、冬の訪れは早く、そして冬そのものも厳しい。
第100はその後もロームに向かって進撃を続ける。
このときまでの戦死者は119名、重傷者は239名におよんだ。
11月の終わりに、第100はE中隊とF中隊を解体し、のこりの4個中隊の補充に当てた。
第100には日系兵以外の補充はない。
その代わりといってはなんだが、これまでの「非白人は中隊長以上の職には就けない」という原則が撤廃される。ミツヨシ・フクダ、サカエ・タカハシは大尉に昇進し、フクダはA中隊、サカエはB中隊の中隊長に任命された、ヤングも入院したまま中尉に昇進したが、ジョンソン副大隊長が退院した後、術後の経過が良かったヤングは病院を『脱走』して舞い戻ってきた。
だれもかれも「またか」としか思わなかった。正直なところいまさらヤングがどんな軍紀違反をしようがだれも驚かないし、病院脱走は第100の「お家芸」だった。
逆に大隊長のギレスピー中佐は胃潰瘍が悪化する一方で、ついにドクターストップがかかる。
後任はキャスパー・クロウ中佐だった。彼も日系部隊に理解を示す将校だ。
副大隊長のジョンソン少佐同様、彼も先陣を切って戦った。
大隊はその直後からアリフェの街でクリスマス休暇に入った。
しばらくはMREレーションじゃなく一般食が配給されるが、皆を驚かせたのは補給兵たちがたくさんこさえた「おむすび」だった。
第100の日系兵には何を食べさせれば喜ぶのかとライダー少将が聞いたらしい。
本土から第100のためにわざわざ米を取り寄せてくれたのだ。師団長の心づくしだった。
ノリも具もない「塩おむすび」だったが、皆で奪い合うようにしてむさぼり食った。
逆に困ったのは第100の白人将校たちだった。彼らはこれまでの人生でおむすびも寿司も銀シャリも食べたことがない。炊くと独特のにおいがして味らしいものが何もない、初めて見る「野菜」に手も足も出なかった。
結局彼らは、米を食べることについては先達のイタリア人レジスタンスのまねをして、調味料で味をつけて食べることにしたが、料理なんかしたことのない彼らにできたことはトマトピューレやケチャップを混ぜてリゾットもどきのトマトライスにして食べることだった。
そんなある日。サカエ・タカハシがヤングにジープを1台調達してくれという。
「ヤング、ネイプルスの病院にいって戦友どもを見舞ってこようぜ」
そういわれたヤングがジープを1台借りてきてタカハシを乗せたころ、クロウ大隊長が後から「お前ら待て!」と叫びながら追ってきた。
しかしサカエは「行っちまえ!」という。ヤングはもちろんアクセルベタ踏みで大隊長を残して飛びだして行く。
実は、彼らは病院に行くのはついでで、他の目的があった。
そのせいで大隊の出発に間に合わず、2日はかかる道をぶっ飛ばして1日で帰る羽目になった。
「さて、お前ら。俺の制止を聞かずに行ってきたからには、何か土産を持ってきたんだろうな」
帰るなり二人は大隊長に呼ばれて、こう聞かれた。
そうなのだ。この二人は本当はネイプルスにいってみんなのために酒を仕入れに行ったのだ。
ワインやクラッパはもとより、ベルモットやジン、ブランデーにウイスキーのたぐいまで。
しかたないので大隊長にはメーカーズ・マークという本土でもおいそれとお目にかかれないバーボンの逸品を進呈する。
クロウ中佐はさっそく蝋封を切ってボトルを開けると、サカエとヤングにもついでやった。
ヤングはその人となりの割に酒が弱く、ワンショットで真っ赤になる。
「ところでヤング、お前大尉になる気はないか?」
クロウ中佐がサカエたちを呼び止めた本当の理由は、ヤングを大尉に昇進させ、大隊付きの参謀に取り立てることだった。だが、ヤングはまだ第2小隊を離れる気にはならなかった。
「いいえ、やっと帰ってきたばかりですし、私はまだB中隊に居たいですから。
それに、S2(情報参謀)にならなくても、今までどおり『夜回り』は続けます」
そういわれてはしかたがなかった。クロウは肩をすくめ、また酒を飲み出した。
中学生のころから賭場に出入りしているくせに、高校では学級委員をやっていた不良優等生のダンにとっては、いわゆる「悪所」ほど居心地のいい場所はなかった。
喧嘩の腕も身のこなしも鉄火場で鍛えた、筋金入りの兄ちゃんであるダンに、怖い場所は世界のどこにもない。
そしてここは確かに「悪所」。食うために街頭に立つ女たち……。
今日はモノホンマフィアのモンタナ・ジョーと連れだって、ナポリの裏通りを闊歩してやろうと思い、ふところにはチンチロリンの稼ぎを詰め込んで彼を待っていた。
しかし、ジョーはなにか用でもできたのか、いつまでも来ない。
「しかし、ひでえもんだな……」
そこはかつてネイプルスの中心街だったところ。
しかしドイツ軍と連合軍の戦火で、いたるところ崩れた建物とがれきの山だった。
あの日の真珠湾どころではない。ここに住んでいた人たちはどうなったのだろう。
ダンは、あの12月7日から不眠不休で怪我人の看護に明け暮れしたことを思う。
ここもパールハーバーと同じ、大港湾だったところ。
しかしその港は、ここから退却するドイツ軍の手で破壊し尽くされていた。
ふと気がつくと、ダンの手を年端もいかない少女が握っている。
少女は彼の手をつかみ、あばら屋となった彼女の家に連れて行く。
あばら屋の中には彼女の両親と幼い弟妹たちがいた。
彼女の両親は、弟妹たちを「邪魔」にならないよう、家から出す。
ボロボロのカーテンの向こうに、もっとボロボロのベッドがあった。
「これが、あなたとうちの長女のベッドですよ」
おそらくそういう意味のことを、両親はダンに告げた。
ダンは、どういうことなのかすぐに理解できなかった。
その意味を理解したダンは、チンチロリンの稼ぎのドル紙幣を、ありったけ全部そのベッドにぶちまけた。そして、叫びながら後ろも見ずにその家から飛び出した。
彼は叫びながら、夜のネイプルスの街をしゃにむに走って、第100の駐屯地に駆け込んだ。
同じような経験をしたのは彼だけではなかった。客引きの男が引き合わせたのは、彼自身の娘だったというニセイもまた、ダンと同じように金だけ置いて逃げてきた。
「……地獄だ」
営門をくぐったダンが向かったのは、従軍牧師、ヒロ・ヒグチのところだった。
「ダン、私に用ですか」
ヒグチの表情も、ダンと同じように寂しいものだった。
「どういったらいいかわかりません。ただ、話を聞いてほしいのです」
それからふたりは、しばらく無言のままだった。ダンは彼らしくなくおずおずと話し始めた。
「……まるで、私の中に私がふたりいるみたいに思います。
戦場を駆け回っているときの私は、容赦なく見境なく敵兵を殺し回ります。
それを誇りに思っている私が、戦友たちも賞賛する凄腕のライフルマンがいます。
……それなのに」
「それなのに?」
「ええ、それなのに今の私は、そんな私が恐ろしくてしかたがありません。
いつまでたっても、あっさり人の命を奪うことに、慣れることなどできません。
私は子どものころから、いろいろと人に言えないこともしてきましたが、それでも神への信仰を忘れたことなどありませんでした。汝、殺すことなかれ。これは私の信念だった。でも」
ヒグチは、それきり黙ってしまったダンをじっと見ていた。
そして、こう言った。
「その信念は、これからもずっと持っていなさい。
私たちはいま、自由を脅かすもの、人間の尊厳を踏みにじる勢力と戦っているのです。
本土の収容所に閉じ込められた12万の日系市民。
アフリカ、イタリアやフランスで独裁政治のくびきにあえぐ無辜の市民たち。
ただダビデの星の下に生まれたというだけで、命を奪われる人々。
そういう罪無き人々のために、戦っているのです。
このむごたらしい戦争を終わらせて、皆が平和に暮らせる日が来ることを信じて。
そのためにあなたが戦い続ける限り、神はあなたを見捨てないでしょう」
ダンは、ネイプルスの廃墟で見たことを思い出す。
自分たちと一緒に、ドイツ軍と戦ってきたレジスタンスの市民のことも。
とらわれの日系市民も、みな戦争のために不幸になったのだ。
自分はなぜ、赤十字で引き留められ、バイリンガルゆえに語学兵に推薦されそうになったときも断ってライフルマンになったのか。
初めは徴兵され、あるいは志願して軍に入った同級生への負い目のため。家の誇りのため。
男として恥ずかしくない生き方がしたかったから。そして罪無く囚われた大勢の日系市民。
アメリカ合衆国という、自分の国のため。
しかし、彼は自分が合衆国軍の一員であることに、新たな意味を見いだした。
この世の地獄、第二次世界大戦を終わらせ、あまねく苦しむ人々を救うため。
ダンには、迷いはなくなった。
彼だけではなかった。このときから皆の意識の中で第100は「日系部隊」ではなく、自由のたいまつを掲げる「アメリカ軍」となっていった。アメリカ軍の実態が自由の国の軍隊とかけ離れた物であったとしても、自分たちは「アメリカの理想」を実現するために戦うのだと。
そして彼らの、非公式のシンボルマークは、たいまつを掲げる自由の女神の腕を描いた「リバティー・トーチ」になったのだった。
クリスマスには、皆がそれぞれ国に残した家族に思いをはせている。
ドクは、奥さんと子どもたちに手紙を書き、「ミッツ」フクダは妹さんの結婚写真を眺めている。タケバも郷里に手紙を書いている……。
皆、これが故郷を離れた2度目のクリスマス。その前は雪なんてものは知らなかった。
クリスマスは、当然戦争は休み。ふしぎな時間が流れている。
明くる年そうそう、クロウ大隊長は連隊司令部に呼び出される。
そこで連隊長とともに彼を待っていたのは、軍服のそでに赤い槍の穂先のエンブレム、金の矢がクロスした兵科章を身につけた、フレデリックという大佐だった。
「いま、第5軍の先鋒部隊がロームを目のまえにして、カッシーノ山で釘付けになっている。
第36テキサス師団なんか3個連隊のうち、2個連隊が壊滅しかかっている。
だからこの『レッド・ブル』を急いでカッシーノに向かわせたい。
俺たち第1特殊任務部隊が先鋒を勤める。第3大隊と師団砲兵に後詰めをまかせ、君たち第100は我々とくつわを並べて先陣を務め、敵軍を切り裂いて道を開くんだ。
正直な話、我々に付いて来られそうな歩兵部隊は第100しかないんだ」
クロウ中佐は悪魔の旅団からいきなりそんな話を切り出されて、あっけにとられている。
彼は第100が本土の新聞で、スチムソン陸軍長官が第5軍司令クラーク中将から受け取った詳細な戦闘評価を受け取り、第100が他の陸軍歩兵に対してきわめて勇猛果敢であり、多大な戦果をあげ、決して退かない、そして理解力も作戦能力においても抜きんでていると発表したことを知らなかった。クラーク中将自身もこのたかだか1個大隊のことを賞賛していた。
こうして悪魔の旅団と第100の、2個大隊半の部隊が、レッド・ブルを含む数個師団の露払いとして出陣する。
少し前まで「いらん子隔離大隊」とバカにされていた第100が、精鋭と認められたのだ。
フレデリック大佐が率いるこれらの部隊は「タスクフォースB」と名付けられ、直ちにカッシーノ山に向かって進撃を開始した。
もともとエリート集団でずば抜けた練度の「悪魔の旅団」の行動は早かったが、フル装備の第100もまた健脚の部隊だ。輜重部隊も工兵隊もいる第100は、よく悪魔の旅団をサポートした。補給待ちで時間を空費したりしないし、障害物もすぐに切り開いていく。第100の「他の誰も当てにできなかった」ことが逆に強みになった。
悪魔の旅団は、一般歩兵の戦いでも当然強かった。第1特殊任務部隊だけで1個師団を相手取れると敵も味方も評価していた。しかし彼らの存在自体がトップ・シークレットだったため、彼らの働きは第100だけが知っていた。第100は彼らから多くを学んだ。
一方で第100はみな、自分の命より重いもののために戦っていた。彼らは初めから現人神信仰や強固な国家主義を信条としていた日本兵とは違っていた、自分の意志で選んだ道ではあるが、使命感のために命を賭けることは同じだった。あいかわらずドイツ軍は山岳の要害に立てこもり恐るべき「電気ノコギリ」を容赦なく振り回すが、第100のニセイたちは他のアメリカ一般兵とちがって支援が来るまで待っていることはしない。
全員で散開しながらすばやく機銃巣のヘリまで中腰で走っていき、雄叫びを上げながらロングブレードの銃剣で目と鼻の先の敵兵を刺し貫く。もちろんそれまでに誰かが機銃の餌食になっている。しかし、ニセイたちはなお、次の機銃座で怯むことなく突撃する。
いつしかニセイたちの突撃は「バンザイ・チャージ」と呼ばれるようになった。
重火器中隊も重装備と思えないすばやさで陣地変換を繰り返す。一度撃ったら、そこでまごまごしていたりしない。戦車が出たと聞けば、直ちにM1ロケランを抱えた連中が飛んでくる。
虎恐怖症の他の部隊なら、マーク4が出ても「虎だ」と叫んで逃げ惑う。必死で戦車隊を呼ぶところだ。しかしシャーマンの部隊は対戦車戦は薄い装甲の「戦車駆逐車」の仕事と教育されている。だから戦車が敵にいるだけで足止めされる。だが、この勇猛精強のタッグチームにそんなことはない。
しかしもう後のない敵も、虎だけで編成された第508独立重戦車大隊に出撃を命じたという。
こうしてタスクフォースBは、たった1週間で「マジョ高地群」と呼ばれた山岳要塞地帯を突破。目指すカッシーノ山を、とうとう視界に捉えるところまで来たのだった。
悪魔の旅団はここで別の任務に就き、第100と別れた。
第100を含む増援部隊は、1週間後の第二次攻勢に間に合った。
いま、カッシーノのふもと、ラピド川の対岸で出撃準備が急ピッチで進められている。
ここは主攻勢ではないということからか、出撃を急ぐ部隊の中には米英人の部隊ではないものもあった。
もはや知らぬものもない、ネパール出身の猛者グルカ兵団。ニュージーランドの原住民、アポリジニだけの部隊。祖国の独立を賭けて戦うインド人部隊。そして祖国を追われた自由フランス軍。祖国を失った自由ポーランド軍。
自由ポーランド軍の成り立ちは特殊だった。
彼らは皆、大戦劈頭でドイツと組んだソ連軍の捕虜となり、ラーゲリに送られていたポーランド軍の将兵だった。
ヒトラーが占領地の住民で編成した「義勇SS部隊」に刺激されたスターリンが彼らポーランド軍人に「ソ連軍に参加するなら、収容所から出してやろう」と持ちかけた。
彼らは「はい、よろこんで」と返事して、部隊編成地に送られる列車から脱走し、グルジア、アゼルバイジャン、イランをとおって英軍支配下のイラクまで逃げ延び、英軍の援助を受けて、自由ポーランド軍を立ち上げた。その後彼らはアフリカ、地中海を転戦し、ついにイタリーまでやって来たのだった。
そしてそこに、祖国から「敵」あつかいされた第100が加わる。
ポーランド第2軍団の輜重部隊、第22輸送中隊は自由ポーランド軍のみならず、ここに集結したすべての連合軍の弾薬輸送を担っていた。
たまたま手持ちぶさたにしているダン、ミキオ・ハセモトとカオル・モトの3人がその仕事を眺めていて、――仰天した。
「なんじゃありゃあ!」
「まさか本物じゃねえだろう」
「うん、着ぐるみだな」
弾薬輸送の隊列の中に、二足直立歩行する「熊」が「両腕」にしっかりと信管付きの砲弾を抱え、列に並んで輸送トラックに運んでいたのだ。
他の兵隊も別に何とも思っていないようであり、トラックで待っている兵士も「熊」から砲弾を受け取ると、そのままトラックに積んでいく。
「そうだよな、どう見ても中身は人間だろなあ」
その「熊」は、砲弾が危険なものだと知っていて、しっかり落ちないように大事そうに運んでいる。そんなことをする「熊」が、この世にいるはずがない。
「よくできた着ぐるみだが、なんであいつはあんなものを着こんでるんだ?」
「熊の皮を着た男(※グリム童話)みたいに、なんか願でもかけてるんじゃないか?」
やがて昼の大休止の時間になった。
ダンたちは、さっきのポーランド兵たちがいたあたりで、やんやと歓声が起きたのでいってみることにした。
「おいおい」
そこでは、さっきの「熊」が、クレーン車のブームによじ登ると、細いブームの上に二本脚で立ち、バランスを取りながらまっすぐ歩いている。そしてすべり台みたいに降りてきた。
さらに「熊」はもう一度綱渡りのようにブームのてっぺんまで登り切ると、両手でブームをつかみ鉄棒芸を始めた。数百人の兵士が大喝采を送る。
機嫌を良くしたらしい「熊」氏は最後にブームのてっぺん、ジブの上でなんと逆立ちをして見せた。あぜんとするダンたち。
ダンはそばにいた「熊」氏の僚友らしいポーランド兵にたずねてみる。
「あいついったい何者なんだ? あんたらはサーカス芸人連れて仕事してるのかよ」
「ん? 彼は立派な兵士だよ。ヴォイテク伍長さ。
僕は同じ分隊のスタニスワフ。
――おーい、ヴォイテク。そろそろ帰ろう」
スタニスワフはビールの瓶を「ヴォイテク伍長」に見せると、彼はクレーンからするする降りてきて、スタニスワフと二人歩いて仕事場に戻っていった。
その晩。
ダンはやはり「ヴォイテク伍長」のことが気になって、輸送部隊の居場所にまた出かけていった。手に配給のビールを1本提げて。
スタニスワフとヴォイテクたちは、焚き火を囲んで酒盛りをしていた。
しかし、ダンの期待を裏切って、ヴォイテク伍長はあいかわらず「熊」のままだった。
(うーん。中の人にお目にかかれると思ったのにな。
酒飲むときもあのまんまか)
ダンはそのままヴォイテクの前に立つ。ヴォイテクは両足を投げ出して座り、両手でウォッカの瓶を持ってグビグビやっていた。器用なものだなとダンは思った。
「ヴォイテク伍長殿、本日はお疲れ様であります」
ダンがあえてしゃちほこばった敬礼をしてみせると、ヴォイテク伍長も直立して右腕で敬礼を返し、また座って酒を飲む。ダンは脇に座ると、今度はたばこに火をつけた。
「伍長殿、たばこなどいかがでしょうか」
たばこを渡せば、さすがに顔だけは拝めるだろうとダンは思ったのだが、ヴォイテク伍長は火の付いたたばこをそのまま口に放り込んでしまった。
(きっと中でうまいこと咥えたに違えねえ。やるねえ)
ダンは今度はビールの栓を抜いてヴォイテク伍長にわたした。
ヴォイテク伍長は片手で瓶を受け取ると、またラッパ飲みを始めた。
「いい飲みっぷりでありますな。これからもよろしくお願いします」
そういうとダンはヴォイテク伍長と肩を組む。彼はたぶん英語がわからないんだろうと思ったダンは、スタニスワフの方を向く。
「スタニスワフさんよう。なんでヴォイテク伍長殿はこんな着ぐるみ着て軍務にあたってるんだ? どんなわけがあるんだよ」
「わけもなにも、ヴォイテクはヒグマだよ」
「はあ?」
「だからヒグマ。
ヴォイテク、この人に口の中見せてあげて」
口の中は着ぐるみアクターの顔ではなく、ちゃんと歯ぐきとベロと牙があった。
ダンは、ついさっきまでなれなれしくしていた相手が、本物の猛獣ヒグマと知って戦慄した。
自由ポーランド軍がイラクで結成されたころ、第22輸送中隊の兵士たちは生まれたばかりでみなしごになったらしい幼い熊を、イラク人の少年から食料とひきかえにもらい受けた。
彼は「笑う戦士」という意味の男性名「ヴォイチェク」の愛称であるヴォイテクと呼ばれるようになり、彼らのマスコットになった。
赤ん坊のころから人間に育てられたヴォイテクは、自分のことも人間と思ったようだ。
人間の食料を食べ、二足で歩き、シャワーを使うことを覚え、ときどき兵士たちとレスリングをしては、わざと負けてやったりした。
酒とたばこが大好きで、たばこは火の付いたものをそのまま食べてしまう。
ある日ヴォイテクがシャワーを浴びようとドアを開けると、そこにいたのは見知らぬアラブ人だった。ヴォイテクが「飼い熊」であることを知らないアラブ人は絶叫し、兵士たちが集まってくる。挙動不審なそのアラブ人は逃げようとしたが取り押さえられて尋問にかけられる。
ずっと黙秘を続ける思い切りあやしい男に、スタニスワフはいう。
「そろそろヴォイテクの飯時なんだが、あいつ、お前は俺の晩飯だから早くもってこいっていってるんだよ。どうする?」
顔面蒼白になったアラブ人は、自分がドイツ軍の協力者で、基地に破壊工作を仕掛けに潜入したことを洗いざらい白状した。
なんでも彼の合図で、外に集結中のドイツ軍が奇襲をかけてくるという。
ポーランド軍は、わざと基地の中で爆発音をたてた。
そして混乱しているはずの基地を奇襲に来たドイツ軍を待ち伏せて、逆奇襲で撃退した。
これがヴォイテクの初手柄だった。
砲弾の輸送も、ヴォイテクが「自分で志願」したものだった。
彼はそれが危険物だということは理解していないのだろうが、仲間たちが慎重に運んでいるのを見て、きっととても大事な物なのだろうと思ったようだ。
それ以来今日まで、ヴォイテクが砲弾や荷物を落とすことは決してないという。
彼が軍人になったのは、連合軍の輸送船に動物を乗せることができなかったからだった。
自由ポーランド軍ではヴォイテクを正式な兵士として登録し、階級も与えた。
こうして世界でたった一匹の「兵隊クマ」が誕生したのだった。
人を襲うことは絶対ないとわかってもなお、やっぱりダンは恐ろしかった。
第100の宿営地にもどって皆に話したが、皆「なんでそうなる」という顔をしている。
「そういえば人間の赤ん坊をオオカミが育てたことがあったらしいね。
その子どもは常に四つん這いであるいて、オオカミのように吠えるだけしかしなかった。
自分が人間だってわかるまで、かなり時間がかかったようだよ。
ヴォイテク伍長殿は、その逆なんじゃないかな。たぶん彼も『人間』なんだよ」
そういったのは、ヤングだった。
これはこれから第100が、山の形をした地獄に向かう前の話だった。
モンテ・カッシーノの激戦。吹雪の中の死闘が始まる前の、わずかな平和なひとときだった。