1944年1月1日。合衆国政府は徴兵年齢の日系市民の徴兵適格を4C(敵性外国人)から1A(優良適格者)に戻した。
これには第100が他の陸軍部隊以上に献身的で戦意旺盛、かつ他の部隊に協力を惜しまず、多大な戦果をあげ続け、第5軍司令官クラーク中将、第34師団ライダー少将はじめ、第5軍の将兵の多くから賞賛されたことによるものだった。
特に「ゼロアワーの声とともに、全くためらうことなく先陣を切って出撃する」「決して後ろをふり返らない(退路を見ない)」「たとえ死人であっても、仲間を見捨てない」ということが異口同音に報告されたこと、そしてこれは表に出せる話ではないが、あの「悪魔の旅団」第1特殊任務部隊が認めた部隊ということも大きかった。
最初にこの誰も彼も拒絶した「みなし子いらん子大隊」を麾下に誘ったライダー少将は「慧眼の士」として大いに面目を施した。単なる猛将ではないと一目置かれるようになったのだ。
依然として日系市民が多かったことから偏見もすさまじかった西海岸地方をのぞいて、強制収容の事実を知った合衆国市民の多くが、この政策は間違っているのではないかと考え始めるのがこのころからだった。
一方でこれはとくに一世たちが「日系市民の根絶やしを図っているのではないか」という疑心暗鬼を引き起こし、同様に一般人の中にもそのような疑念を持つ者も出始めたため、政府も第100の軍功ではなく「第442のニセイたちがめざましい成績を示したから」軍に加わる道を開くのだとアピールしていくようになる。そして日系兵は第100歩兵大隊及び第422連隊戦闘団の補充のみに当てると発表した。
かたっぱしから徴兵して戦地に送り込むのではない、というのだ。
第100がカッシーノ山の激戦に臨もうとしていたころ。
本土のキャンプ・シェルビーで最終段階の訓練を受け、もうすぐ査閲を受ける第422連隊戦闘団に、軍上層部から特命が来た。
まだカッシーノ戦は始まっていなかったが、この時点で第100の損害率が4割に達する可能性が出ていた。
損耗率が4割に達した戦闘単位は補充を受けてまた定足数まで戻すか。あるいは現地で解体して他の部隊の補充要員にするか、どちらかになることと決められていた。4割を超えると、さすがに部隊として機能しなくなる。
通常の職場を考えてみれば、おそらく伝染病か何かで2割の社員が欠勤したら、どんな会社でもまともに仕事ができなくなる。
4割という数字は、軍隊がある程度自己完結的組織だから可能な数字だ。
しかし、第100に白人の兵を補充することも、第100を解隊して他の空きが出た部隊の補充に回すことも不可能だ。だから第442にお声がかかったのだ。
第442の司令部は考えた末、第1大隊の基幹要員をのぞいたすべてをネイプルスに向けて送ることにした。
不足した人員はあとから徴兵された部隊をあて、全歩兵大隊を組み直してさらに訓練を続けてその後出兵ということにした。
1944年1月19日、第1大隊に出撃命令が出た。
ニューヨーク港から兵員輸送船に乗り、ネイプルスの港を目指す。
「スパッド、当分アメリカの風景は見られないね」
ベン・タガミと僕は、第100の先輩方同様に、大西洋を越えてイタリーに向かう輸送船の甲板からリバティー(自由の女神)像を見ている。
普通ならアメリカに来る者を出迎えるのが役割のリバティーも、今日は僕らはじめ欧州に出征する兵士を見送る役だ。
「うん、そうだね……」
第100の鬼神のごとき戦いは、いま合衆国が闘う陸戦場がイタリーだけのため、毎日のように全国紙のどこかに載っている。
初代大隊長のファラント・ターナー中佐は激戦続きのため療養を命じられてそのままハワイに戻された。二代目隊長ジェームス・ギレスピー中佐も胃潰瘍に苦しんだあげく、キャスパー・クロウ中佐に交代した。こんなことは他の大隊ではありえない。
臆することなくどんな雄敵にも立ち向かう第100は、戦うたびに多くの戦死者も出した。
とくに機銃巣に突撃するときだ。皆、誰かが死ぬのを承知で突撃する。ときに自らの身を犠牲にして戦友の盾となって死んでゆく者もあまたいる。
それでも皆「臆病者」と罵られる方がつらいのだ。
それは僕らも同じだ。
「市民を戦争にかり出すのなら、軍は全力を挙げて彼らを死なせないように努めなければならない」と政府やアメリカ軍部は考えている。
これは建前だらけのこの国においても、建前で終わっていない希有な例だ。
(建前があるだけマシかもしれない。建前さえかなぐり捨てて、国のためまたは独裁者のためにお前の命をよこせという論外な政府もしこたまある。安いところでは命の値段は一銭五厘だ)
でも、名誉とさらに大きなもののために自分から死地に進むものは止められない。
そして、この国では「命」は何にも代えられないものと皆本気で思っているものだから、他の人間を救うために自分の命を引き替えにしたものへの尊崇と敬慕の念は、僕らの父祖の国である日本を遙かに上回る。
自殺は最も卑怯とされるが、自分を犠牲にして人を危難から救ったというのは全く別な話だ。
人を救う以上の英雄的行為は、この国にはない。
日本軍の「敵も仲間とともに滅びる」自爆攻撃と対照的に、ニセイの戦死者はこの「仲間を救うため」に命を落としたものが、他の部隊に比べてはるかに多かった。
軍内部で、連合国で、一般市民の間で「日系市民」に対する見方は水面下で変化していった。
だが、出身国である日本が敵国である以上、「ジャップはジャップだ」と公言するもの以外でも、表だってニセイたちを賞賛するものはしごく少数だった。
日系市民を敵視するのが普通であるうちは「シカタガナイ」のだろう。
それにもかかわらず、僕たちはニトベのいう「サムライ」であろうとしていた。
これはコトンクもブッダヘッドも変わらない。
アメリカはドイツと同時に日本とも戦っていた。
その過程で自分の命すらものの数とも思わない日本軍のファナティックな戦いと、ニセイたちのそれは自然と比較対照されていくようになっていったが、シンセリティの量は同じでも日本軍が「現人神」のために戦っているのと逆に、ニセイたちは「いま生きている人々のため、これから生まれてくる人々のため」に戦っているのだと理解されていく。
カッシーノ山では、戦いが山場を迎えようとしていた。
2月のはじめ、イタリーでは連日吹雪がひどい。
第100はこれ以上攻勢に出るのをやめて、皆で塹壕を掘って潜っているが、眠ることもできない。必死に足踏みをしていないと、凍傷になって足の先から壊疽になっていく。
それでも凍傷者は出た、軽いのも含めるならほとんどみんな。全く無事なのはダンはじめ50人いるかいないか。
その状態で何日戦い続けただろうか。
悪天候にもかかわらず、ドイツ軍は山の向こう側から支援射撃を見舞ってくる。
重砲だけじゃなく「スクリーミング・ミミー」こと大小のロケット弾も。
ロケットは精度こそ悪いが簡単なランチャーから撃てるから、こういう山がちの地形ではよく使われる。
そして吹雪と地吹雪の真っ白な闇の中、降下猟兵と第100のニセイたちが塹壕を巡って銃剣で戦っている。いままでの「バンザイ・チャージ」が嘘のように狡猾に。
敵の姿が見えても撃って塹壕のありかを暴露したりしない。塹壕に誘い込んで片っ端から滅多刺しにするのだ。あるいはわざと開けておいたところに誘い込み、まとめて手榴弾で吹き飛ばす。
ヤングは素直にまっすぐな塹壕なんか掘らない。
ノコギリの刃のようなギザギザの塹壕を掘った。
そうしておけば運悪く重砲の弾が塹壕に飛びこんでも被害を局限できる。
そういう塹壕を三列掘り、後退と前進を繰り返しながら何度も敵を撃退している。
緑の悪魔たちも、二世部隊のことは知っているらしい。
だから第100よりも両翼の部隊を潰しにかかった。
彼らは攻勢隊形のままもろに降下猟兵たちと衝突し、すさまじい損害を出しながら押し戻されていく。
レッド・ブルも最終的には80%の将兵が死傷するという、激しいではすまない戦いとなった。
その中でも、第100は下がらず戦い続ける。
アメリカ第2軍団の左右の英第8軍の部隊も、装甲師団と装甲擲弾兵師団の鉄の嵐に押され始めていた。
戦車に高地を取られるというのはかなり厳しい。
しかも戦車隊の後詰めに例の虎戦車どもがいる。こいつらが2,000mなど至近距離であるかのように正確な榴弾攻撃を仕掛けてくる。
連合軍に戦車がいないわけではなかったが、全部ふもとでまごまごしている。
雪中戦などしたことがないのだ。ドイツ軍は、ロシアの大地を自らの血と肉で染めて学んでいる。その差が出ている。
しかもこのときの英第8軍は半分以上植民地軍や義勇軍だ。
仏軍のモロッコ兵のように両方である者までいる。しかし彼らは敢闘した。
精強で名高いグルカ兵はもとより、自由フランスも自由ポーランドも、ニュージーランド軍のアポリジニ兵や英連邦インド帝国のインド兵も、この戦争に期するものがあるからこそ頑強に戦った。
しかし悪天候の中、地の利を生かしたドイツ軍の攻撃は熾烈だった。
自由フランス軍やインド軍が崩れ落ちるように後退する。
自由ポーランド軍は千人もの戦死者を出すまで勇戦したが、力及ばなかった。
ついにはグルカ兵を擁するイギリス軍の精鋭師団までカッシーノ山から追い落とされた。
レッド・ブル師団長のライダー少将もこれ以上の損害に耐えられず、後退を決心した。
「くそっ! 天気さえ良ければ」
大きな犠牲を払って得たフォッジアの空軍基地群には陸軍航空隊第15空軍が進出していた。
しかし、アフリカから転戦を続けた彼らベテランたちも、戦場の上空が吹雪ではどうにもできない。
基地でじりじりしながら切歯扼腕することしかできなかった。
彼らの中にも僕たち同様、敵だけではなく差別や偏見と闘っていた搭乗員たちがいた。
彼らは新聞を見て焦燥感に駆られる。
いよいよ地中海に入ろうとしていた僕たち増援組もそうだった。
自由フランス、自由ポーランド、英第8軍が櫛の歯が欠けるように追い落とされ、第100がいる第34師団が猛攻に曝され、大損害を出した末悔し涙を飲みながら徐々に退却を始めている。
そしてとうとう、カッシーノ山で戦っているのは第100だけになってしまった。
第100がしんがりを務めるかたちで、第34師団は総崩れをまぬがれて組織的に退却する。
そして、彼らがカッシーノ山から降りて安全圏に退却したときも、なお第100は戦い続けていた。
その結果、もはや自力で退却することは不可能になってしまった。
――モンテ・カッシーノに残るは第100歩兵大隊のみ!
全米の新聞がそう報道する。
誰もが明日にも第100は皆殺しにされるだろうと思った。
僕らも……
「僕たち、間に合わなかったね……」
「ベン……」
僕は言葉が出なかった。第100はもうすぐカッシーノ山を枕に皆討ち死にしてしまう。
ヤケクソのバンザイ突撃こそしないだろうが、勇戦敢闘の末に一人ずつ力尽きて仆れていく。
皆が皆、その光景を思い浮かべる。
そして誰もが僕らの最初の戦いは第100の弔い合戦と決めていた。
それは第100と第34師団の連絡がとぎれた、2月10日のことだった。
その第34師団長、ライダー少将も同じ気持ちだった。
彼の師団はもはや師団の残骸と言って良かった。孤立無援のなか緑の悪魔どもと戦って、最後まで組織的戦闘を継続できたのは驚嘆に値するだろう。
しかし、ライダー少将は苦悩していた。
アフリカ上陸からずっと「同じ釜の飯を食って」戦った勇士の多くが、今あのカッシーノ山に骸を曝しているのだ。
それだけじゃない。そのカッシーノ山は第100にとってのアラモ砦と化そうとしている。
しかし、2月11日、12日になってもまだ第100は戦い続けていた。
もう負傷者だらけになりはててなお、戦い続けている。
皆で築城した複雑な塹壕が、効果的に敵の攻撃をはね返している。
こんな状況ならほとんどの部隊がモラルブレイクに陥るか、白旗を揚げて投降するだろう。
しかし第100は、投降を拒否して戦い続ける。
吹雪の中、銃は作動不良を起こし、もはや銃剣をつけた「槍」の役割しかしない。
ただ一人だけ敵からぶんどった銃をなんとか使えるその一人をのぞいて。
そのダンは塹壕に立てこもらず、敵兵に彼らの僚友が持っていたありとあらゆる得物をぶっ放しては即座に雪の中に消えることを繰り返している。
ダンに気を取られて足元がお留守になった敵兵は、いきなり塹壕の中に引きずり込まれて悲鳴を上げることもできずに槍衾になる。
三日三晩戦い続けた第100だったが、もう何日も何も口にしていない。
負傷者や凍傷者の手当てに当たるメディックから、ついに薬品が尽きたと言われたのはいつだろうか。
そして水の結晶である雪に囲まれながら、飲料水もとっくに尽きている。
真冬に外で雪を食えば、確実に腹をこわし、最終的には弱って死んでしまう。
雪を溶かして水にするには燃料がいるが、MREレーションを食いつくした時点ですべての携帯燃料は使い尽くしている。
もう皆、限界をとっくに超えている。
だが皆は気力と根性だけで立っている。人種差別の権化であるドイツ軍が彼らを捕らえたらどうするであろうか。
その恐怖からか第100では捕虜になることを選択する者はほとんどおらず、それこそ死ぬまで鬼神のごとく戦うものばかりだ。
そして、第100は死者であっても仲間を連れ帰る。
だからここで自力で山を降りられない者を置いて退却するつもりも、さらさらない。
山を降りるときは、全員一緒。
しかしそれは、とっくに不可能になっている……。
そして孤立無援になって4日目の朝が来た。
もはや、全員立っているのでやっとだ。
もう今日が最後と悟ったのか、メディックたちも赤十字の描かれた鉄兜を普通のものに換え、銃を取った。
どのみちもう動けない負傷者にしてやれることは、一つもないのだ。
その日は、久しぶりに吹雪が止んだ。
敵にすれば、遠くからも第100の居場所がよく見える。
これでとうとう終わりらしい。サカエ・タカハシはそう思った。
「ヤング。 ニセイの意地につきあわせてしまって、本当にすまん」
「違いますよ。私の意地に皆さんがつきあってくれただけです。
皆さんよく『吶喊』を思いとどまってくれました」
皆が持っている銃は、故障した銃の部品を、戦死者や重傷者の銃から「共食い」して、なんとか撃てるようにしたものだった。
弾薬は手持ちのものと、やはりもう銃を持てない兵からもらったのを集めて配り直した。
しかし、もう一人あたりクリップ二つ分にしかならない。それで看板だ。
360度、どこを見ても敵だらけ。うなるような排気音が多数。
マーク3アサルトキャノンに混じって、虎戦車もちらほら見える。
この日が「第100歩兵大隊最後の日」になるだろう。
皆がそう思っている。
「彼ら、今日で決着をつけるつもりですね」
今日のお昼、何にする? みたいな口調でヤングが言う。
「何かもう、恐怖心とかそういっものが、全部マヒしてしまったみたいだ」
「フクダ、俺もそうさ。
なんかこんな負傷者だらけのわずか数百人のために、あいつらずいぶん豪勢だよな。
映画でも見ているような気分だ」
「なんか、アラモ砦の最後の日みたいですね。映画で見たことがあります」
「じゃあ、ボウイとトラヴィスにクロケットは誰なんだよ」
「クロケットはヤングでいいんじゃないか? 帽子かぶってるし」
彼らは自棄になっているわけでも、恐怖でどうかしてしまったわけでもない。
「俺たちは『真珠湾を忘れるな』でやってきたが、第442のモットーは、アラモならぬカッシーノを忘れるなになりそうだな」
ドクが生涯最後になるかも知れないたばこに火をつける。それは愛煙家のラベルが別れ際にくれたものだった。
そのとき、ふいにまわりが明るくなった。雲がとぎれ、日の光が周囲を明るく照らす。
これでこの世ともお別れと思ったヤングは、ダンを呼んだ。
「ここには500人以上がいるが、もう無傷の者は40名を切った……。
ダン。君には今日も、『映画の中のヒーロー』を演じてもらいたい」
「餞別代わりだ、持って行け」
フクダとタカハシは、FG42やStg44のマガジンがぎゅうぎゅう詰めのザックをダンに渡し、そして最後のMREレーションも3食分渡した。
「ありがてえけど、餞別ってどーゆーこったよ……」
「ダン、君がたぶん『最後の一人』になるだろう。
もし、私たちが全員戦死したら……」
「ヤング中尉、なんだよそれ!」
三人とダンは、しばらく黙ったまま視線を交わす。
口を開いたのはヤングだった。
「命令として聞いてくれ。
もし、我々全てが戦死したら、貴官はそれを見とどけてから直ちに下山せよ。
君ならできる。
そして私たちの最期を師団長ライダー少将と、できれば第5軍司令クラーク中将にも復命せよ。
それがかなうまで死んではならない。そして、後から来る第442にも伝えて欲しい」
「……なんだよそれ、俺ひとりが生きて還れなんてよ。冗談じゃねえよ」
フクダとタカハシが、ダンの肩をつかむ。
「そんなことができるのは、お前しかいなんだよ」
「ここはこらえてくれよ。そして第100の生き証人になってくれ。
……もしかしたら、ここで俺たちと一緒に死ぬよりつらいかもしれないが」
ダンにはもう、言葉もなかった。
今日が最後なのはよくわかっている。
ダンは、本当に久しぶりの青空を仰ぎ見た。
彼の目に、きらりと光る何かが見えたのはそのときだった。
「なんだあれ!」
ダンは叫んだ。
皆も、自分たちの上空を見る。
複雑な曲線を描くコントレールを曳いて、ドイツ空軍のフォッケウルフと、ノースアメリカンP-51D『野生馬』が制空権を争っている。
「来たんだ。第15空軍が!」
彼らはいままで吹雪に閉じ込められていたうっぷんをはき出すかのように、複雑な曲線を描きながら、機動性と防御力ではメッサーシュミットBf109を上回るFw190A-5と戦っている。
野生馬はフォッケより加速力、機動力ともに優れているが、珍しく搭乗員の技量でも勝っているらしく、制空戦闘はアメリカ軍優位で推移する。
「あれが、第332戦闘航空団か」
合衆国が第2次世界大戦に参戦して間もなく、アメリカ各地の黒人だけが通う大学の学生たちが、日系市民以上の差別を払拭するため、大学で飛行ライセンスを取って陸軍航空隊に志願した。
その人数は次第に増えていく。
陸軍は拒否し続けるが、1個航空団を結成できるだけのパイロットがそろったときに、第100と同じように「隔離」飛行隊として、戦闘機飛行隊4個からなる黒人のみの航空団か編成され、タスキギー基地で彼らの訓練が始まる。
そして新編成された第15空軍に第332戦闘航空団として配備された彼らは、白人搭乗員や指揮官たちの差別待遇に耐えながらその力を示し、英米独の白人戦闘機乗りを顔色なからしめる戦果をあげ続ける。
最新鋭機P-51Dプロペラのスピナーと機尾を真紅に塗った彼ら、タスキギーエアメンは「レッドテイルズ・フェアリー」と呼ばれ、やがて畏敬の念を向けられる存在となっていった。
そして今度は後方から低音のエキゾーストが迫る。高度は低い。
「戦闘爆撃機だ! 全員塹壕に伏せろ!」
言われるまでもない。
第15空軍の「双胴の悪魔」ロッキードP-38J『稲妻』と空飛ぶ重戦車リパブリックP-47D『雷電』が主翼の下にHVAR127mmロケット弾を鈴なりにぶら下げて、全速力でドイツ軍に迫る。
急降下一撃離脱の速度が速すぎ、日本軍パイロットからよく撃墜と誤認された稲妻。
被弾してよたよたになったにもかかわらず、Fw190が全弾撃ち尽くしてもなお落ちず、呆れたドイツのエースが前に出て敬礼して去っていったという逸話を持つ『雷電』。
彼らは上空の迎撃戦闘機隊にさまたげられることなく、まっすぐドイツ装甲師団や降下猟兵師団に向かい、主翼下から炎を曳くロケット弾を10発以上、重砲並みの威力を持つ127mmHVAR弾を一斉に放つ。
地上はたちまち炎の嵐に席巻される。爆発が収まった後には雪が黒く焦げ、数両の戦車が炎を上げていた。
それでも飽き足りないかのように、戦闘爆撃機たちは戦車の上面装甲をねらって、20mmイスパノ・スイザや50口径ブローニングを直接照準でまき散らす。
地上でこそ20mmなど豆鉄砲だが、虎であろうが上面装甲は軽戦車以下。
制空権を奪われた装甲部隊など、まさに航空機の的でしかない。
オットー・カリウスだって虎の88mmで戦闘機を撃墜したのは1回だけだ。
装甲師団に随伴する対空自走砲らしきマーク4の改造車両が箱形の装甲板を前後左右に倒して20mmや37mmの対空機関砲を撃っている。戦車の後退を支援しているのだ。
しかし、空飛ぶ重戦車どもは知ったことかと攻撃の手を緩めない。
防御などなきに等しい対空機銃の操作員たちは、機関砲に引き裂かれ、あるいは爆風に吹き飛ばされていく。
やがて、後方から味方の砲撃が始まった。
自走砲や戦車隊が、戦果十分と聞いて山を登ってきたのだ。
戦闘爆撃機たちが基地に帰還し始めたころには、第100の包囲も解かれていた。
これらの攻撃が、単に第100の支援のためだけであるはずがない。
数を減らされながら第100に迫る降下猟兵たちが、いきなり側面から射撃を受けて崩れる。
敵側面を撃ったのは、イギリスの軍装に身を固めた部隊。
人力で砲兵たちが山砲を曳いている。その後には二本脚で直立し、「腕」に重い弾薬箱を抱えたヒグマがいる。
「クマだ……。ヴォイテク伍長だ! 自由ポーランドが帰ってきた!」
反対方向からは背の低い一団が、見慣れない形のナイフを手に装甲擲弾兵どもに斬りかかる。
ククリ刀をたずさえたグルカ兵団だ。
そのなかの一人、指揮官とおぼしき人物が、第100の方に親指を立ててみせる。
「英第8軍が再編成を終えて、出撃の機会を待っていたんだ」
そして第100の後から、大勢のメディックたちが登ってくる。
彼らの先頭にいる将校が、第100のこもる塹壕陣地にやってきた。
「第100歩兵大隊の指揮官に伝令です。指揮官はどなたですか!」
ヤングが塹壕から飛びだし、将校の前に立つと軍紀が定めるとおりの見事な敬礼をする。
将校が答礼し、手を戻すとヤングの方から名乗る。
「第100歩兵大隊、大隊長代理、陸軍中尉ヤング・オーク・キムであります」
「貴官が指揮官ですね。命令書を持って参りました。ご確認をお願いします」
将校は油紙の防水封筒に入った書状をヤングに渡した。
ヤングは開封し、中をあらためる。
「……了解しました。
全員、撤収準備。命のある者は全員下山とす。
自力で動けない者は、メディックの担架に乗って下山せよ。
直ちにかかれ!」
その命令書には、第100歩兵大隊はカッシーノ山からネイプルスに移動すること。
息のある者はすべて連れて行くこと。ネイプルスで増援と合流し、別方面からロームを攻める作戦に参加すること。以降の命令は現地にて交付する旨が公用箋に手書きで書かれていた。
第5軍司令、マーク・クラーク中将の署名付きで。
この時点で生きていた第100の人員は、このとき521名まで減っていた。
ここまでの戦いで1,300名の第100歩兵大隊のうち、戦死者50%、負傷者(重複負傷含む)47%を数え、全く無事だった者は3%にすきなかった。
生者死者あわせて、名誉戦傷章を持つ者97%に及ぶ部隊。
このときにはもう第100を「いらん子隔離大隊」などと呼ぶ者はいなくなっていた。
かわりに第100には、違う異名が付くことになる。
「パープルハート大隊」と。
まさに「パープルハートが部隊章」といわれる獅子奮迅の戦いの末、第100は下山する。
天候が回復したカッシーノ山の上空には第15空軍の四発重爆や双発爆撃機が我が物顔に飛び回り、ドイツ軍が拠点としていると思われたベネディクト修道院に猛爆撃を敢行する。
しかし、そこにはドイツ軍はおらず、ただ修道僧だけがいたのみだった。
ケッセルリンク司令は修道院にドイツ兵は一人もいないと声明を出していたが、連合軍は信じなかった。
ネイプルスを目指す第100の背後では、まるで頂上が大噴火を起こしたかのようなカッシーノ山が見えた。
結局、連合軍がカッシーノ山を制圧できたのは、1944年も5月に入ってからであった。