ダールキストは日系部隊にに眠る時間を与えるのも惜しいようだ。
1944年10月20日深夜。
ブリエアを囲む山のうち2つを立て続けに陥とした第100歩兵大隊は、疲れ果てて眠りについたところをダールキストが差し向けた副師団長一行に手荒くたたき起こされ、雨の降る真夜中に進軍させられている。
目標は最前線の向こう側、ビフォンテンという村落。
どういうつもりだろうか? そこまで行ってしまえば第100は敵のふところで孤立する。
しかしその後2日間、第100は全く敵の姿を見ていない。
僕たちはただ命じられた地点に進むしかなかった。
連隊長のペンス大佐も、この命令を押しつけられたあとだから。
しかし、まだ後方にいる連隊との連絡も途絶しかかっていた。
21日には手持ちの食料はなくなったが、連隊からの補給は届かない。
このときすでにドイツ軍は僕たちの後方をふさぎ、どこかで停まるのを待っていたらしい。
彼らからは第100が、味方との連携を無視して勝手に進撃している愚か者に見えただろう。
そして翌22日、ビフォンテン村を陥とせという命令が届く。
僕たちはあいかわらず何も口にしていない。
ビフォンテンは人口300人ぐらいの小さな農村だった。
第100はそこを見下ろす高台にいる。
村へのルートは急な下り坂だ。
ここは師団砲兵でさえ射程外だった。
この作戦そのものが誤りだが、少なくともまともな師団長なら村を取らずこの高台を確保しておくよう命じるだろう。
第100が村に下った後、この高台を取られたら万事休すだ。
ダールキストが阿呆なのか、それともわざと第100を苦境に追い込みたいのか。
……もしかしたら、両方かもしれない。
ヤングは夕方までに現在位置に押さえの部隊を送ってくれるようペンス連隊長に依頼したが、おそらくそれは不可能に近いだろう。
第100は前に出すぎている……
そして悪いことが続く。
ヤングが村落を見てつぶやいた。
「どうもおかしい。嫌な予感しかしません。
本当ならここから動いてはいけないのはわかりきっているのに」
「命令である以上、しかたがない」
シングルス大隊長はそう言うが、彼自身も命令に解釈の余地があればこんな無茶はしたくないのがありありと表情に現れている。
サカエ・タカハシもヤングも、手腕を封じられたも同然だ。
それでもみんな、前に進むしかない。
「ええ、シカタガナイ。
ヤング、敵はどこにいそうだ?」
「……。
普通に考えたら、村には部隊を配置しないでしょうね。
でも、包囲を成功させるための呼び水として、逃げる準備を済ませたしんがりがいるかも。
しかし、本当の戦いはこの村を制圧した後、敵がこっちと味方を遮断した後です。
もし我が軍が解囲できなかった場合、食料も乏しい第100はここで『ギョクサイ』です。
皆、降伏などできないでしょう」
別に「ハジ」を怖れて降伏しないというだけの話じゃない。
もし第100がここでこぞって降伏したら、いままで積み上げてきたものがすべて台なしになって、12万人の日系市民を救う道は閉ざされる。
名誉不名誉以前に、第100は皆の運命を背負って戦っている。
「……大隊長。
ミッツがいないですからね。B中隊が先頭に立ちますよ」
「サカエ、そうしてくれるか。
だが、くれぐれも気をつけてな」
第100はB中隊、その隊長であるサカエを戦闘に、下り坂を一気に下って村に攻め込む。
やはりというべきか、村からは銃弾の一発も飛んでこない。
サカエはそれでも用心しながら、村の中央に向かってじりじりと進む。
「なんだ?」
その村の広場があるらしい方角から、ふいにエンジンをかける音がする。
B中隊はすばやく展開すると、ものかげからのぞき込む。
トラックが数台、無線機材と兵員を乗せて村を出ようとしているところだ。
「通信小隊だな。第100が村に入ったと送信して、いま逃げようというわけだ。
させるか!」
サカエの合図で中隊全てが飛びだし、銃撃戦にもつれこむ。
戦闘に不慣れな通信兵たちは短い抵抗の後、両手を挙げて投降してきた。
ほっと息をつくB中隊、その彼らを機銃の一連射が襲う。
サイドカーに乗った偵察兵が、側車についている機銃を撃って、そのまま逃走したのだ。
「うがっ!」
サカエが悲鳴を上げた。
腕に数発食らってしまったのだ。
サカエが撃たれたのは腕でとりあえず命の危機はなかったが、マルセイユか本土の病院でなければ治療できないというのが衛生兵の見立てだった。
幸いこの時はまだ敵が包囲網を完成させていなかったので、サカエをはじめとする負傷者は、なけなしのジープに乗せて後方に向けて強行突破させることができた。
だがサカエは第100創設時からの数少ない「オリジナル・メンバー」であり、第100の初陣からずっと大隊を支えてきた第100の大黒柱だった。
第100はこの困難な戦場で、大事な中隊長を奪われてしまった。
しかし、これは第442を待ち受ける惨劇の始まりでしかなかった。
僕たちがそこらにあるものを採って、なんとか飢えを満たそうとしていた頃。
ようやく行動の自由をえた第442連隊戦闘団は、敵中に孤立した第100と接触すべく進撃を始めた。食料弾薬ともに不足した第100を救援するため最も前進していた中隊が補給部隊とともにビフォンテンを目指し、第2、第3大隊は第100と合流せんと前進する。
だが、ドイツ軍の妨害が激しく前進は困難を極めた。
一番やっかいな第100を包囲して飢え死にさせる好機とみたドイツ軍は第100とは直接戦わず、連絡を絶って補給切れに追い込むつもりだ。
タカハシが抜けたしわ寄せは、全部ヤングに行った。
この状況の中ヤングは自分で全部隊を歩いて回り、敵の牽制攻撃に対処していた。
ドイツ軍の攻撃は残り少ない弾薬を消費させるためのものであったが、そうとわかっていても応戦せざるを得ない。
その準備も22日の昼前には完了していた。
ヤングはC中隊のパイ中尉と打ち合わせを終えて、中隊本部のいる民家から出ようとした時、パイ中尉が畑に置き去りにされている敵戦車に違和感をもった。
「なんか変だ。あの戦車が気になる」
「ん?」
そう言いながらヤングが窓をのぞき込もうとした瞬間、一発の銃弾がパイ中尉の脇をかすめ、後ろにいたヤングの右手を撃ち抜いた。
敵はいつの間にか戦車の影に集まって、中隊本部と思われるこの民家に奇襲をかけてきた。
「くっ! 逃げるぞ」
ヤングはトミーガンを左手だけで持ち、ドアを蹴飛ばして牽制射撃を仕掛けた。
が、それが悪かった。
民家を焼き討ちしようとしていたドイツ兵は、火炎放射器を持ってきていた。
半身を外に出していたヤングは、民家を焼こうとする火炎を浴びてしまう。
さらに銃弾が一発頭をかすめ、彼のトレードマークのニット帽を飛ばし、ヤングはその場で昏倒する。
パイ中尉たちはヤングを屋内に引き込んで、必死に燃える炎を消し止めたが、ヤングは自分では起き上がれないほどの火傷を負っていた。
C中隊本部はヤングを抱えて、すんでのところで裏側の窓をぶち破って脱出する。
民家は燃え落ち、ドイツ兵たちはすでに引き上げていた。
午後2時になって、村を完全に包囲した敵は四方八方から攻撃を仕掛けてきた。
もちろん村の奪還など試みない。第100に弾を撃たせて消耗に追い込むつもりだ。
この戦闘でまた負傷者が出て、そして弾薬も目に見えて消耗した。
故障した小銃は部品が尽きていたので壊れたもの同士「共食い」で修理し、武器をなくした兵士はやむなく村に残されたドイツ軍の武器を手にした。
敵の嫌がらせは暗くなっても続き、向こうの指揮官が英語で「諸君は包囲されている。抵抗は無駄だ。降伏しろ」と呼びかけてきた。
僕は「バカヤロー!」と叫んで、最後の手榴弾を投げつけてやった。
手榴弾はそいつの足元に転がっていって爆発し、何人か吹き飛んだ。
しかしその後、思い切り撃ち返された……
敵はまた村の周囲の高地に登って、息を潜めてこちらが音を上げるのを待っていた。
衛生小隊に今日の負傷者が運び込まれ、けがの軽い者は手当てを受けている。
重傷者にはそれぞれ当番兵がついている。
この日は更にA中隊長代理のサカモト中尉も背中を撃たれ、重傷を負った。
この日最初の負傷者であるヤングの傷は深かったが、衛生兵たちでは応急処置が精一杯だ。また薬剤も不足しており、モルヒネで痛みを抑えることしかできなかった。
もちろんヤングやサカモトもサカエ同様、後方の設備の整った病院に搬送しなければならないのだが、すでに連絡路は断たれている。
このままでは、最悪だったモンテ・カッシーノよりひどいことになるだろう。
あのときも食料医薬品ともに尽き果て、さらに雪を飲むことはできなかったので飲料水もなかった。しかしまだ皆の戦う体力は残っている段階でイギリス第8軍が戦闘爆撃機を伴って反撃に出たので、山を降りることができた。
もし第442がここの敵軍を突破して補給線をつなぐことができなければ、僕たちは体力を奪われ、弱り切ったところを袋だたきにされるだろう。
補給小隊は封鎖完成前にドク・コメタニとS4(補給参謀)グランドスタッフ中尉、ヨースト従軍牧師に率いられて村を出ているが、物資を持って帰ってこられるだろうか。
補給小隊は、敵に出会うことなく第442の本部にたどり着く。
しかし自動車の通れる道はもちろん、第442とビフォンテンの間はすでに敵兵が配置を終えていた。第442の2個大隊が彼らと激戦を演じている。
だが、何が何でも物資を持って帰りたいグランドスタッフ中尉は、小隊員と第2大隊から借りたライフルマンに持てるだけの物資を持たせて、道のない森をコンパスだけで徒歩で抜けることにした。その程度の人数なら見つからずに済むかもしれない。ドクとヨースト牧師には、今後のために第442に残ってもらう。
地図など初めから当てにせず、森の中をしゃにむに突き進んだため本当に迷ってしまったが、それでもコンパスの針が指す方向にひたすら歩き続けた結果……
……彼らは「第100の真後ろ」に出ていたのだった。何がどうしてこうなったのか誰にもわからなかった。グランドスタッフ中尉は思った。
「奇跡だ……」
補給小隊が黒い森の暗闇の中で、ひたすら第100を目指していた頃。
医大卒のオークボ衛生特技五等兵は、重傷者たちを後送しないと手遅れになると主張した。
この頃にはペンス連隊長とシングルス大隊長が無線で直接やりとりできるまで第100と第442の距離が近づいており、第442は強行軍を続けてビフォンテン前方に展開中のドイツ軍をゴリゴリ削っているという。諸兵科連合の第1号である第442連隊戦闘団には砲兵大隊、工兵中隊、自前の補給大隊まであって、他の連隊と違って単独で戦うことができる。
そこまで味方が来ているというなら、やはり敵の手薄なところを抜けて重傷者を護送しようと大隊長は決めた。
ライフルマンを抽出して護送部隊を編成し、負傷兵の担架はドイツの捕虜に担がせて捕虜護送と担ぎ手の一石二鳥とした。条約の範囲で捕虜に労役を行わせることはできるし、日系部隊では捕虜は大切に扱うのが武士道と言う考え方が(本家ではとっくになくなっていたが)存在したので、捕虜たちは概して協力的だった。というより彼ら応召兵もドイツ軍にうんざりしていた。
サカモト中尉は担架の上でぐったりしていて、定期的に痛み止めを打たれているヤングはもうろうとしているように見える。
でも、不安と心配をかかえた僕たちに、担架に横たわったままのヤングは言う。
「私は必ず帰ってくる。いままでそうだったように。
なに、動けるようになったらまた病院を脱走して舞い戻るさ。
だからみんな、それまで決して無茶だけはしないでくれ」
しかし、上が理解者の第5軍ではなく、師団長があのダールキストという状況では進んで無茶をするのではなく、無茶以上の何かをやらされるのは明らかだ。
その時、無事で済むのだろうか。
それだけじゃない。僕らは「ヤングの千里眼」まで失うのだ。
ヤングがああ言っても、イタリーとここではいろんなことが違いすぎる。
今ではヤングのことを「G.Iキム」という者はいない。
皆が心配そうに、ヤングを含む傷病兵たちを見送りに来ている。
「私は必ず帰ってくる」とヤングは担架の上から手を振って、ゆっくりと後方に向かって運ばれていく。
みんな、ヤングがああ言っていても、あれほどの負傷をしたらどうなるかは経験で知っている。
そしてヤングの約束は果たされなかった。
グランドスタッフ中尉たちがもうすぐ第100に合流するのと入れ違いに、負傷者護送部隊は、第442の方向目指してやっぱり道のない森を抜けて進む。
そして夜が明けたころ、護衛兵のアキタ一等兵は森の中にライフルを持った兵士の姿を見る。
ドイツ兵とおぼしき人影は次々と森の中から無言で現れ、護送部隊はいつのまにかドイツ兵に包囲されていた。
連中は包囲から逃げるものがいないか捜索中のパトロール隊だった。
指揮官らしいのが「やあ」と声をかけてくる。
担架担ぎのドイツ捕虜の方がうんざりした顔になった。またドイツ軍に加わって親衛隊に脅されながら、不十分な食事と武器で死ぬまで戦わされるのだから。
第100の兵たちはそれを見て、今度は自分たちを囲む敵兵に軽口を叩く。
「おい、俺たちといっしょにこっちに来ないか? そっちはひどいことになってるんだろ?」
兵士たちは顔を見あわせたけど、指揮官は「ノーだ」とにべもない。
護衛隊のハギワラ軍曹はもはや投降しかないと思って、将校のサカモト中尉にたずねてみる。
サカモトは「最上級者のキム大尉に聞いてくれ」と切れ切れに答えた。
ハギワラは今度はヤングの担架のそばに来て、包帯でぐるぐる巻のヤングに、敵に聞こえるくらいの声でたずねた。
「降伏するしかないと思いますが、どうでしょうか?」
するとモルヒネで意識朦朧としていたヤングが起き上がり、彼の手当をしていた衛生兵のリチャード・チネンの手を借りて立ち上がる。そしてはっきりとした声で叫んだ。
「だが断る! みんな逃げろ」
それと同時にヤング、チネン、ハギワラの3人は敵も味方もあっけに取られている間に、ヤングを支えながら森の中に消えて行った。
我に返った敵味方は、逃げようとする者とそれをとどめようとするドイツ軍がもみあい、逃げた者に向かって発砲する者や応戦する者がいて、大混乱になった。
逃げ出したヤングたちをドイツ兵は執拗に追った。
無傷の者と重傷者では、初めから勝負は見えている。
しかしヤングの「地形読み」は、こんな極限状況でも遺憾なく発揮された。
突然予想もしない方向に、複雑な動きで逃げまわるヤング。
地形を巧みに利用するヤングを、追っ手は何度も見失う。
ヤングの当番のチネン衛生兵はボクサーだったが、ヤングについていくので精一杯だった。
やがて追っ手はあきらめたのか、彼らを追う者は誰もいなくなった。
そして地図も持っていないのに、ヤングたちはまったく迷子にならず連隊の野戦病院にまっしぐらに駆け込んだ。
しかしこの無茶な逃避行でヤングの傷は完全に悪化した。
マルセイユの病院でできるだけの手当をしたのち、本土に送還して療養とリハビリが必要と診断されたしまう、
そしてヤングは、戦争が終わるまでに退院することはできなかった。
先に第100から離れたサカエだったが、しっかり道に迷い、1日半以上遅れて第522砲兵大隊の展開場所に姿を見せた。
やはり傷は重くなってしまい、いまにも死にそうな顔色で兵士に担がれたままでジープを移乗する。
その時ジープの無線機は、シングルス大隊長とペンス連隊長のやりとりをひろっていた。
シングルス大隊長はヤングが頭を撃たれて後送中に敵に襲われたが、なんとか逃げおおせたと言っている。
「あいつ、いくら言ってもメットをかぶらないから」
きっと瀕死の重傷になったか、悪くすれば死が間近だとサカエは思った。
サカエも本国送りと診断された。
とりあえず本国行きの船が出るまで、マルセイユの病院で入院しながら待つことになった。
サカエがあてがわれたベッドの隣のベッドには、包帯でぐるぐる巻の怪奇ミイラ男みたいな重症患者が横たわっている。
あーあー酷い目にあったなとサカエは思う。しかしそのミイラが「サカエ?」と呼びかけてくる。一瞬誰だろうとサカエは思ったが、声には聞き覚えがある。
「ヤング! 貴様生きていたのか」
「ごあいさつですね、……やっと生きてますよ。
でもこれじゃ、病院脱走どころかいつになったら部隊に戻れるのか……」
「俺もだよ、ヤング。
本土に戻されることになっちまった。
だけど、指揮官がダールキストで、俺と貴様がそろっていなくなったらどうなってしまう」
「……本当に、心配です」
そして彼らの不安は、本当のこととなる。
結果オーライ的にビフォンテンの村を陥とした第442連隊戦闘団には、とりあえず2日間の休暇が与えられた。皆へとへとだ。特に第100は……
……しかしこのときペンス大佐の元に、第7軍司令パッチ中将を伴ったダールキストがまた現れた。