魔法少女リリカルなのはF、始まります。
くいっくいっと袖を引かれる感覚を覚えて意識が覚醒していく。
いよいよ惹かれる感覚が強くなったことで完全に意識が浮上した。
畳の香りに混ざって人の生活している臭いが鼻孔をくすぐった。
横を見れば見慣れたはやての寝顔があった。
手は俺の袖を持ち、今でも引っ張っている感覚がある。
横を向けば目を閉じたはやての顔が映る。
何度目になるか、はやての指をゆっくりと開いていって指の力がこもる前にタオルケットをつかます。これも恒例行事のようなものだった。
一度目の台風とその後に続いた二度目の台風の後、はやての提案で週末は少なくとも1日はこのように布団を並べて寝ている。ヴィータはもちろんのこと、シャマルが意外にも反対していたことに驚いた。時折こちらを見ながらはやてとシグナムと話し合っている瞬間は居心地が悪かったことだけは少なくとも主張したい。
ヴィータはザフィーラにちょっかいだしてるし、家の中でぼっちというのはなかなかに居心地が悪いし、はやてとシャマルが時折こちらを見るというのもあまりよろしい環境ではなかった。
居場所がないということを否が応でも叩きつけられて、心の安住を求めるために無意識に料理本を手にとってしまった。いや、料理で懐柔しようなどという心積りは決してない。
没頭してしまい、周りが見えなくなるということは長所なのか短所なのか。
今回に限って言えば後者であった。はやてが側に寄るまで気が付かなかったというのはいくらなんでもない。
はやてはそんな葛藤は知らぬとばかりに女性諸君で話し合った事柄を懇切丁寧に説明してくれた。
単純に言ってしまえば、週一回はみんなで布団を並べて寝るというもの。
その確信に至るまでの言葉は存外に長い時間を要したものであった。
窓の隙間からは淡い光が室内の埃を写しだしてきらきらと反射させていた。
眠気具合と外の明るさをみても、そろそろ起きてもいい時間だということは容易に予想がつく。最も、家主を含めてこの部屋の中にこのような時間に起きようとするものは私以外にはザフィーラだけだろうが。
ゆっくりと体を起こし、まずは深呼吸という名をもってあくびを一つ。
脳に酸素を送ってゆっくりと立ち上がる。部屋にいる同居人への配慮だ。
ザフィーラの耳がピクンとこちらを向いていることから、こちらのことを意識しているのだろう。薄っすらと開けた目に、右手人差し指を立てて口の前に持っていく。それだけで理解したのか再び耳がはやてへと向く。
それを見て足は自然と動いていく。
包丁が奏でるリズミカルな音に、鍋からこんこんと沸騰を促す音がする。
考えずとも理想的な体運びで以てだしを取り、具を温める。味噌を入れるのは皆が起きてからなので、ここで火を止める。
次いでだし巻き卵を手早く作る。
魚はいい塩梅の焼き具合で、表面は色付き芳ばしい匂いが立ち上がる。
ほうれん草をレンジに入れて、牛乳をコップへと注いでそれを一気に煽る。
キンっと冷えた牛乳はこめかみ辺りに僅かな衝撃を与えるが、気にせずに牛乳を飲み干した。
プハッっと一息ついた所で必要枚数の皿を用意する。
後は盛り付ければ終わりだ。
時間を見てもかなり早い時間だということが言える。
一緒に寝るということは、はやてやヴィータの就寝時間に合わせるわけだ。当然のことながら早くに目が冷めてしまう。
シグナムなんかは就寝時間分早く目が覚めるが、シャマルははやてよりも起きるのが遅いことのほうが多い。
一緒に寝た場合などはシャマルもはやてと一緒に起きることが多いのだが。
ジャージに着替えて外で準備運動をする。
柔軟を十分に行ったことで走り出す。
監視が全くないというわけではない。
現に、近くの高層ビルからシグナムがこちらを見ている。あれ程の美人だというのにジャージ姿ということに違和感がないわけではない。ジャージごときで美貌が損なわれるわけでないにしても、外にでるのにそれはどうかと思ってしまう。現にはやても一言言ったみたいだが、機能性、特に生地の伸縮の関係から護衛への貢献度を軽く30分は説明されて面倒以外の何物でもなかったのだろう。シグナムが就寝する際はジャージということに相成った。
シグナムという監視はあるにしても、これは魔術に頼ったものではなく、己の身体技量のみ。自身の身体の状態は魔術により全てが手の内にある。
理想的な身体の動かし方。
理想的な関節の動かし方。
理想的な筋肉の酷使の仕方。
キリはないが、身体の虐めかたについては常人の遥か上にある。幸いなことに基礎体力の向上ということを肉体年齢が10代のうちからできるということは非常に大きい。何しろ体が出来上がってしまってからとでは伸び代に大きな違いができてくるのだから。
入念な柔軟の後に大きく深呼吸し、酸素を隅々まで行き渡らせる。軽く息を吐いて道路へと出る。
ぐっとふくらはぎの筋肉を緊張させれば、後になってやってくる疾走。
早めに目が覚めたこともあり日が昇ってきたのは走りだして幾分か経ってからだった。
山の斜面を登りながら手頃な石を拾い、体を捻り体幹のバネを利用して投擲する。
曰く、鉄甲作用。
投擲したものの運動エネルギーがほぼ100%で相手に浸透する投擲術である。運動エネルギーであるため、その質量に比例し、速さの二乗に比例する。その為、鍛えあげるべきは投擲速度であり鉄甲作用を要する技術である。
助走をつけ、あるいは体を回転させて投擲する。背筋、僧帽筋が弱いために補助として行う。
端から見ればただ石を投げているようにみえるのだろう。
この投擲術の教えを請うたのは、かの悪名高き埋葬機関の者であったか。
互いに素性は知らずとも、雰囲気で察することはできる。相手が協会の者であるように、自分が魔術を修めているということに。
協会と教会の溝は深かったが、あの者は飄々としているように思えた。その頃は私も封印指定などというものにはなっていなく、協会からも距離をおいていたのが大きかったのだろうが。
ともかく、その者の投擲術は見事であった。
黒鍵と呼ばれる投擲に適した剣を使用していたこともある。普段は黒鍵の刀身を顕現させてからの投擲であったが、ここぞという時は刀身部を投擲した瞬間に顕現させていた技量だろう。刀身の向心力は付かないが、人外とも表される代行者の凄まじい力はそれであっても必殺の威力となっていた。
尤も、それ以降も顔を合わせる機会はあったが、敵を殲滅するなり意識をこちらに割くあたりは何とも言えなかった。「一応、魔術師殺しなんて言われてて封印指定間近の人とあまり悠長に話していると上司に怒られてしましますから」とだれに言うわけでもなく、こぼした。それでも体面にこだわった威嚇らしく、苦も無くその場から立ち去っていた。
この投擲術の優れているところは、流したと思ったらそのものの衝撃がすべて浸透することにあるだろう。例えば、盾やもっている防具で横に滑らす時など、相手の体が持っていかれるのがわかる。
その一瞬を得んがための技術として重宝するに至った。
古い、いや記録となってしまった残像を見返すように右手を一瞥する。
手首を固定し、体を回転させてリリースする瞬間だけ手首を柔軟させた。
スナップを利かすことによる最後の一押し。
小石のあたった枝は折れて後方に飛ぶが、小石自体はその場にぽとりと落ちる。
このような結果が毎回起これば問題のだが、まだまだ技量の少ない身。大抵は当たった物体とともに行動を共にしてしまう。
悪路を走りながら一瞬体を沈ませて石を拾う。
それを繰り返した。
それなり、というには些か不足している量の汗を流して帰路についた。
「ん、ただいま」
意外なことに玄関の前ではシグナムが立っていた。おかえり、とだけ言うと、こちらを睨んできた。美人なのに、そんなに眉間にしわを寄せるような行為はもったいない、と思うってしまう。
「とても良い運動能力を有していますね」
と、賛辞をもらったことにもおどろいたが、続けられた言葉に何も言えなかった。
「一手願えませんか?」
シグナムの姿勢、体の動かし方を見てればわかるが、それはヴォルケンリッターの中でも極めて高いレベルであることがわかる。
常在戦場とはこのことを言うのであろう。
こちらを信頼していないというのは、見て取れる。
しかし、ここでの手合せ。
勘ぐらないほうがおかしい。
「明後日の早朝3時にここでいいか?
聞きたいことがあるのだろう?」
「感謝します。ヴォルケンリッターの将としてもこれ以上の貴方のことを放っておくことはできません。
私達はもっと貴方のことを知らなくてはなりません」
「それはお互い様、ということけど。
俺はシグナムよりは遥かに弱い。胸を借りるつもりでいかせてもらう、な」
シグナムは両眼を閉じて
「主が待ってます。
さ、中へ入りましょう」
玄関を開けてくぐっていった。
私はその場から少し動くことができなかった。
携帯電話がブルブルとふるえる。
その音で目が覚めて、時計を確認すれば3時前。
気は乗らないが、のそのそとジャージに着替える。
麦茶を一杯煽ることで目を覚まして、靴を履いて玄関を出る。と、そこにはシグナムがいた。
「予定時間よりは少し早いですね」
お互い様だ、と言って、庭の倉庫に置いてある木刀を持ってくる。
シグナムの持っているレヴァンティンなんかであれば、この身がもたない。これは互いに理解していることだ。
木刀と言っても、中に鉄心が入っており、重量はそれなりにある。
シグナムはそれをとって、目を細めるだけだった。
いつものように走っているが、その光景は些か趣を異なった。
隣にいるはずのザフィーラはシグナムととってかわり、涼しげな顔を前へと向けている。
明らかにこちらに合わせている速度である。
思うことはある。それを息に乗せて外へ出す。
乱れていた呼吸を戻して足を動かした。
走ってなお不足している柔軟をしながら問う。
「聞きたいことがあったんじゃないか?」
シグナムを見れば、足元に視線を落としていた。
しかし、意を決したようにこちらを見た目には迷いはかけらも見られなかった。
「貴方はこの世界に住まう一般人ですか?」
瞬間呼吸が浅くなる。
「何をもってそう言うのかな?」
「まず戸籍。
私達と同様に不自然な点が見られた。聊か不躾ではあるが、過去を詮索させてもらった。公のもので、シャマルに調べてもらったからそれが原因で心配することはない。
結果として士郎の過去はある時期をもって遡れなかった。この国にいなかったということで済まされてはいるが、ほぼ全ての国や地域で貴方の存在は確認されていない。
それに、体から僅かにしか漏れだしていない魔力にリンカーコア。
この世界ではリンカーコアを持っているものは稀で、その魔力を制御するものなど、この近隣の住人にはいなかった。
何か言うことはあるか?」
「まいったな。
俺が多少なりとも魔力を制御できることが知れているというのは。
と言っても俺にできることは少ないんだが。」
木刀を取り出して両手に構える。
「いつでもどうぞ」
正眼に構えたシグナムがこぼす。
正眼に構えて剣先を左右に揺らす。が、シグナムの目すら揺らがない。
「来ないのであれば、こちらから行きますが」
言葉が終わらないうちに踏み込んで突きを放つ。
シグナムがぶれた瞬間に左手に鋭い痛みを感じ、加減されて打たれたことを痛感した。
木刀といえど、打ち付けられれば骨折はする。軽い痛みで済んだのはシグナムが加減したからに他ならない。
「この程度ですか?」
否、このままで終われるはずがない。
シグナムの目以外はここにはない
強化には至らずに全身へと魔力を充実させる。
瞬間、シグナムの目が細まる。
「技術はまだまだですが、その姿勢は好ましい。
魔力の制御も隠しているようですが、それで私に渡り合えると踏んでいるなら見くびられたものですね」
「すまなかった。持てる力の限りを以てむかえよう」
侮っていたのは私のほうだった。
相手はその行動に責任を持っていた。
ならば、それに答えないわけにはいかない。相手を殺す殺さないにしろ、行動に対しては常に責任が伴う。その覚悟をシグナムはもっていた。
「強化、開始」
もてる力を使う。肉体を強化する。
「では、仕切り直しといきましょう
さぁ、士郎。みせてください!」
20141021 改訂
20141103 改訂