士郎さんとの日常は本当に楽しい。
これがずっとずっと続いてくれますように。
魔法少女リリカルなのはFはじまります。
湿気を纏った風は冷たく、夜の闇は深かった。
街にはすでに光は少なく、街灯がぽつりぽつりと立ち尽くしているだけだった。遠くに見えるビル群の窓からのぞく光と自動販売機が寂しい光を放っている。
冬独特の冷たく湿った空気が鼻の粘膜を刺激する。
「強化、開始(トレース、オン)」
視線だけを動かして周りに人がいないことを確認し、ぼそりと言葉を発する。魔術回路に魔力が通り、全身を強化する。念には念を入れて認識阻害の魔術も行使する。いくらへっぽことはいえ、一時は時計塔で魔術を学んだ身だ。あの、あれ?誰だっか。いつも隣にいて。…うん、その人に師事してた。基礎的な魔術は行使できる。別の言い方をすると、俺の特化した魔術以外では基礎的な魔術しか行使できない。
あ、なんか目頭があつくなったきがする。こころのあせがでてくるところだった。
ふっと息を吸い込み走り出す。
景色が一瞬にして後ろへ流れる。
……ちょっと強化を強くかけすぎたようだ。速さが尋常ではない。一旦立ち止まり、一足で5 mはあろうかという建物の上に建つ。そして建物の上を飛びながら移動をする。
目指すはこの地域で一番高い建物。
建物の上からは海鳴市がよく見渡せた。はやての家は海鳴市の中心からはだいぶ離れている。どちらかといえば、海よりも山のほうが近い。
眼下には未だ寝ていない人たちが寒さに小さく背を丸めながら歩いている。中にはえらく陽気な人もいるようで、何人かかたまってふらふらとしている。終電は既に終わっているだろうから残業で遅くなったか、今まで飲んでいてタクシーを拾えなかった、もしくは酔い覚ましといったところだろう。
日本の一般的な地方都市といった感じで不自然なところは何もない。
空を見上げる幾分か雲のかかった夜空に一際大きく半月が顔をのぞかしている。
凍てつく寒さが身を切り裂くようだ。
ばらばらの記憶に存在する戦場の記憶。
俺がこんな平穏を享受してもいいのだろうか。
今は既に色褪せてしまって、顔すらも思い出せない。それでも鮮烈に蘇る彼女と駆け抜けた数日間。
凛とした瞳のむこうには何が映っていたのか。
『―――問おう、貴方が私のマスターか?』
思考の海から意識を覚醒させる。
白い息を一つ吐き、目の前を見据える。
ビルの屋上から夜の街に飛び込む。
さぁ、日常へ帰ろう。
◇◇◇◇◇
ピピピ!と電子音が響いている。
時間は六時。
欠伸を一つしてとろとろと動き出す。
もう士郎さんは起きているやろ。
リビングへ行くと士郎さんが朝ご飯の用意をしていた。
はい、とわたされたのはコップに入った冷たい牛乳。
「ありがとう」
一息に飲むと冷たさが全身を駆け巡る。
エアコンの稼動する音がいやに大きく聞こえる。
「士郎さん、今日は病院に行くんよ。でね、ついてきてほしいんやけど」
迷惑じゃなければ、と小さい声で言う。
「暇人だからいつでも。午前?それとも午後?」
「午前中やな。予約は10時になってたと思うで」
今日は1月3日病院に行く日。
「なら弁当でも持っていくか」
なんて言ってくれた。お弁当を持って行くのはわたしも大賛成や。あそこの病院はでっかい食堂もあって、お弁当食べている人の姿もあった。
「わたしも手伝うでー」
「そうか、ならまず朝食をとってから弁当の中身を考えるとするか」
「うん」
今日は軽い検査だけとなっているので、昼食に気を使うこともないはず。
士郎さんとあーだこーだはなしているうちに、お弁当の中身は決まった。唐揚げと卵焼き、ミニハンバーグといろいろな種類のサンドイッチ。
士郎さんが卵焼きと唐揚げを作ることになった。わたしはそれ以外。
士郎さんからサンドイッチの具について提案があってそれに感心してしまったのはいい思い出や。
保険証、お金とか必要なものを確認して着替える。
めいっぱいおしゃれしてみた。ちょっと服が可愛らしすぎるやろか。
「士郎さんお待たせ」
玄関で車椅子の準備をしてくれていた。
「待ってなんかないぞ」
感想それだけですか。あんまり期待してなかったんやけど、もうちょっと女の子心ってものをわかってほしいところやな。
むすっとしていると、手を頭の上にのせてぽんぽんってしてくれた。
むー。
「そうむくれるとかわいいのが台無しだぞ」
及第点としておくわ。
ふん、とそっぽをむくと苦笑してる。なんかくやしい。
玄関を開けると思いのほか明るい光に目を細めてしまう。
鍵をかけるのをお願いした。
からっとした冬晴れだった。
「雪とけそうやな」
「日当たりの悪いところを除けば、数日でなくなりそうだよな」
カラカラと車輪の回る音がする。
車道はいうまでもなく、歩道のほうもほとんど雪は残ってなくて、壁に沿うようにして雪がある。歩道の整備されていない小さな道を避け、きちんと歩道の整備されている道を行く。そのまま病院へと続く道に出る。
海鳴大学病院、国内でも有数の大きさと設備をもつ大学病院や。
自動ドアを抜け、そのまままっすぐ進み目に入るのは2階ほど吹き抜けた空間。入り口別に案内所が3箇所で中心に総合案内所があり、そして、8ヶ所にエスカレーター、一般用だけで16機のエレベーターがある。6階建てで病室がいくつあるなんてわからないし、働いているお医者さんの数もわからない。
足の状態が悪くなっていろいろな科をまわった。それこそ心療内科から脳・・・何とか科までや。検査もたくさんやって、それでもよくわからなくて今の先生、石田先生のところでお世話になっている。
士郎さんなんかはこの病院の大きさ、設備に驚いているようや。わたしも始めてきたときはおどろいたにちがいない、きっと、たぶん。ずいぶんと昔のことのような気がして忘れてしまってる。
そこで石田先生は耳のそばで小声で言った。
「で、そこの青年はだれですか?」
そうなるやな。とりあえず士郎さんの説明をしておく。
「で、その彼ははやてちゃんの後見人の親戚の方で、はやてちゃんとは全くの赤の他人のわけよね」
士郎さんのことをジロリとみる。その士郎さんはというと、居心地悪そうに笑っているだけや。
「病気の進行状況とかわたしからの説明だとどうしても不足しがちらしくて」
「そこはわかるけど、はやてちゃんの後見人の方ってイギリス人ではなかったかしら?」
しまった、そうやった。不安にかられて士郎さんの方をちらりと見ると、
「父親が日本人で俺は養子なんだ。母親の方がってわけ。ちなみに、英語とドイツ語は話すことも読み書きできるし、話すだけならヨーロッパの方はだいたいわかるぞ」
士郎さんが話をあわせてくれた。でも、後半の方は言いすぎだと思うわ。
「少し試させてもらうわよ」
石田先生が英語と思われる言葉を発して、士郎さんが答えていく。3分くらいそうしていただろうか。
「すっごいわね。欧州系だけでなくて中東の方まで話せるのね」
「いや、俺としては石田先生がそんなに話せるのがすごいと思うんだけど」
「そんなことないわよ、言語なんてロジックさえわかってしまったら簡単なものよ。あなたもそうなんでしょ」
なんてよくわからないこと話してわたしのことは置いてけぼりや。でも、士郎さんの意外な一面が知れて案外よかったかも。
「それで、石田先生。診察はしなくていいんですか?」
「そ、そうでしたね。はやてちゃんこっちの椅子に座ってもらえるかしら」
ようやく私のことを思い出してくれたらしい。言われたとおりに車椅子から立ち上がり、足を引きずって椅子に座る。ところで、士郎さんはいつまでそこにいるつもりや。
「衛宮さんは外で待っていてもらえますか?」
鈍感な士郎さんは気がついてあわてて部屋から出て行った。でりかしーがない人やな。
問診が終わった後に聴診器と触診による診断が終わった。聴診器を当てられると冷たくて一瞬びっくりして体がビクッってなるのは仕方ないと思うんや。
石田先生から簡単な説明を受けて、わたしは部屋を出て食堂に先に行くことになった。士郎さんは石田先生から前回までの検査の結果なんかを詳しく話してもらうらしい。
食堂まで行くのには多少時間がかかった。何でこんなにもでっかい病院なんやろな。
10分ほど待っていたら士郎さんがやってきて、きょろきょろしてこっちをみつけたらしく小走りでやってきた。着く早々、謝ってきたが、謝られるようなことはされてないので。
「それはいいとして、お昼ご飯や」
士郎さんとわたしは向かい合って座ってお昼をいただくことになりました。
病院で食べたご飯の中で一番おいしかったのは言うまでもないことでした。
帰りは海沿いを通って、商店街を経由して帰ることになった。
海沿いは冬ということもあってあまり人はいなかった。
「なあなあ、夕飯はなんにする?」
「御節もなくなったしなー」
どうしようか、と聞いてきた。
「ならカレーはどやろ?」
カレーという単語を聞いた瞬間に士郎さんの方がぴくりと動いた。わたしはカレーが好きやけど、士郎さんはそうではないのかな。
「別にカレーやなくても」
わたしの声は聞こえてないらしく、カレーカレーとつぶやいている。よほどのことがあったんやろか。
「カレー。うん、カレーか。
それもいいな。偶にはカレーを作るのも悪くない」
なんだか一人で納得してくれた。
商店街では、今日が初売りのところも多く、士郎さんが熱心に商品とにらめっこしていたのはわたしが言うのもなんやけど、ほほえましいものがあるとおもうんや。
商店街を後にした士郎さんのほくほくした表情はなんというか、やりきったぞ的なオーラがただよっていた。
帰宅してからの第一声は、
「夕飯は任せてもらおう」
有無を言わせない声にただただ頷くしかない。表情は鬼気迫るものがあり、わたしは言葉を発することすらできなかった。士郎さんの表情があまりにも普段と違いすぎて怖くなり、わたしはテレビを見るという現実逃避を行ったのだった。最後に見た士郎さんは目で確認することすら困難な速さでタマネギ?を刻んでいた。けど、包丁が消えるとかどないなっとんのや。
夕方のニュースが一通り終わり、バラエティー番組が始まるかという時間になっても士郎さんはカレーを作り続けていた。カレーは煮込んだ方がおいしいのはわかるけど、かれこれ5時間くらい調理しててわたしのおなかも限界突破近いんやけど。部屋にはなんともいえないスパイシーな香りが充満してわたしの食欲を刺激する。わたしはそんなにくいしんぼうやないで。でも、ほんとそろそろ…。
「はやて、席についてもらえるか」
やっとできたんかい、なんてことは言えるわけもないし。素直に言葉に従って席についた。
カレーライスとサラダ、トマトスープ、牛乳。
見た目は普通で、嗅いだことがないくらい香辛料の香りがする。
「「いただきます」」
ごくり。士郎さんは何気ない風を装っているけれども、カレーを一口も含んでいないし、こちらの一挙手一挙動に注意しているのがわかる。こんな中で食べるって言うのは、でも、食べないことには。
「どうした、はやて」
びくり。
なんでもないんやで、なんでも。
目の前のカレーを見据える。
スプーンの上でミニカレーライスを作って口に運ぶ。士郎さんはこちらを真剣に見ている。
口にした瞬間、まず辛さが、そしてそれが和らいでいき甘さのようなものが舌を刺激する。肺から出た空気は香りを伴って鼻腔をくすぐる。こんな感覚ははじめてや。舌がただれるかと思った辛さはいつのまにか爽快感に変わっていて、心地よい汗が出てくる。トマトスープは口に残ったカレーを一挙に洗い流して、更なるカレーを欲する補助をしている。ほんと、こんなカレーははじめてや。
いつの間にかカレーは残り少しになっていた。
士郎さんは笑みを浮かべながらカレーを食べている。
「ん、おかわりかね?まだたくさんある。いくらでも食べてくれ」
女の子にどんどん食べろって言うのはどうかと思うんや。でも、美味しいからおかわりはするんやけど。
食べ終わって士郎さんが洗い物をしている。わたしがするっていったんやけど、結局士郎さんに押し切られてしまった。料理は片付けるまでが料理だって。
「あのカレーすごかったわ。どこであんなすごいカレーを習ったんや」
「カレーはいろいろあってなぁ―――、カレーは俺の血と汗と涙でできているといっても過言じゃないな」
全然説明になっとらんし、遠くを見る目をして発する言葉にはどことなく力がなく、とても大変なことがあったんだろうな、くらいにしか思わなかった。あと、カレーシスターってなんや?
「明日は餅つきをせんか?」
「突然だな」
「なんかこう、餅をつきたい衝動に駆られたんや。いままでやったことあらへんし、お世話になってるご近所さんにも配ろうと思ってるんよ」
「普通は正月前にするもんなんだけどな。というか、どこの家も今頃は餅の処理に困ってるくらい食べてるんじゃないかと思うんだ」
「そうかー」
せっかく士郎さんがいるんだし、やったことないことをいろいろやりたかったんやけど、時期が悪かったちゅうことやな。
「また思いついたときにでもすればいいさ」
また頭をぐりぐりしてくる。そのことを言うと、ごめんごめんって笑ってるんや。
まったく。
ほのぼのがまだまだ続きます。
20120921 改訂
20131207 改訂