7.
二十代後半の若手研究者である天井。
彼がこの研究所の臨時所長に就任したのは研究職や管理職としての腕を買われて、というわけではなかった。
彼には莫大な借金があった。
違法クローンを作るという趣旨を理解して融資された借金はいくつか帳消しとなったが、それでも残った借金の額は軽く10億を超えていた。
クローンを生み出した原因として彼が裁判にかけられたとき、この借金が問題となった。
罪を償わせて全て終わり、とするわけにはいかない。
彼には未来がない。幼少の頃から学園都市の研究者として従事してきた彼は最早研究者として生きる以外の生き方を知らない。だが、刑期を終えて学園都市に戻った彼を雇ってくれる研究所などないだろう。
借金を負い表舞台に立てなくなった研究者の行く末は、学園都市の暗部へと落ちていくのが常である。が、彼にはその道すら残されていない。
二万人のクローンを生み出して殺すという
そうして彼は研究囚人となった。
研究所に軟禁され、金を生み出す研究を強いられる生活。当然のように自分の望む研究など出来ず、自由に出来る資金も手に入らない。
自由な時間が多いこの研究所でも、彼は研究所の外から次から次と送られてくる仕事に追われて朝から晩まで働き続けていた。
このミーティングに遅れ、こうしてモニター越しでの参加となったのも、そういった理由によるものだった。
『外に送る急ぎの書類があってね』
そう言った天井は二十代とは思えないくたびれた姿であった。
だが、寝不足を思わせる隈や栄養不足を思わせる顔はしていない。囚人らしく睡眠時間や食事内容も決められているからだ。
『みんなどうだ調子は?』
天井はモニター越しにそう問いかける。
ミーティングルームへ通信を繋いだばかりの彼には、つい今までこの部屋で起きていた事など知る由もない。
「特に異常なしです」
そう答えたのはキューブを助け起こした芳川。
コーヒーを拭いていたハンカチはキューブの服にコーヒーの染みを残して拭き終わり、ポケットへとしまわれている。
『うむ。おや……? そこにいるのは……』
芳川の返答に頷いた天井は、彼女の隣に立つ少女を目に留めた。
「
布束の説明に、ほう、と天井が頷く。
『入力し上がったのか、後で見せてもらうよ。五七号も同じ入力内容で頼む』
キューブという名前にコメントがないのは彼の余裕のなさを示しているのか、淡々と指示をする。
学習機械での記憶入力は研究所内の研究員が悪意ある入力をしないよう、研究所の外部での審査を受けている。その審査が通ったことを天井は事務的に説明を続けた。
一分程度の指示の後、彼は言葉を打ち切る。
『では、簡単ですまないが……。以上だ』
天井がそう言うと、会議用ディスプレイの電源が切れ、リフレッシュルームから音が消える。
わずか二分という短いミーティング。それでも次の工程に進むには所長である天井の指示が必要であった。
「やーれやれ……」
そう言って鞄を手に真っ先に出口へ向かったのは角田。
「ミーティングはお茶のんで終わりですかー」
「よかったと思ってるくせに」
それに続いたのがレイチェルだ。
「先輩だってずっとゲームやってたじゃないですか」
会話を交わしながら二人は退室していく。
それに続くように、芳川が長机の本を手に取り扉へと向かう。
と、部屋を出る途中で振り返りキューブを見る。
「キューブ、せっかくだからあなたも培養器室へ来ない? あなたの妹に会えるわよ」
「ミサカの妹ですか、とミサカは期待の目を向けます」
「
芳川の代わりにファイルバインダを手に持った布束が、そう言って部屋を出る。
作業があると言えどもいきなりキューブを一人にするわけにはいかない。
そのためキューブを自分の担当場所である学習機械の置かれている部屋に連れて行こうと思っていた布束だったが、芳川の提案によりキューブを芳川に任せたのだ。
一人で部屋を出て行く布束を目で追うキューブだったが、布束に付いていくことを選ばず芳川の元へと向かった。
そしてリフレッシュルームにはダース伍長と清掃ロボだけが残された。
8.
直径1メートル、高さ3メートルの円柱状の培養器の中に髪の長い少女が浮かんでいる。
培養器の中は化学的な発色をした液で満たされている。
この液体をコップ一杯分でも学園都市の外に持ち出せれば、莫大な富に代えることができる。まさしく最先端クローン技術の結晶である。
それをレイチェルはボタン一つで培養器から排出した。
学園都市の外では最先端でも、学園都市の研究所では特別価値を持つわけではない。培養器の下に流れていく培養液は再利用されるでもなく、このまま下水管を通って処理施設で処理される。
やがて液の排出が終わり、ガス圧による空気音を立てながら培養器の蓋が開いた。
培養器に残されたのは、惚けた顔で座り込む少女。
キューブはレイチェルの横に立ちその少女を見つめていた。
「本物の人間みたいですね、とミサカは全裸の妹を見下ろします」
「この施設の設備を使えば他の動物の遺伝子を組み合わせた
「動物の耳を付けて貰うこともできるのでしょうか、とミサカは妹によこしまな視線を向けます」
キューブの視線を受ける少女、五七号はきょろきょろと左右を見渡している。
先ほどまで培養器という母胎の中でずっと眠り続けていたところで、急に外へと放り出されたのだ。
五七号は惚けた表情からやがて顔をゆがめ、目から涙をこぼし始めた。
「ふぇ……びぇぇぇぇええええええええ」
突然泣き叫びだした五七号を前に、キューブは硬直する。
レイチェルは指で耳をふさぎながらそんなキューブへと説明を始めた。
「見ての通りこの状態じゃ精神状態は新生児並。言葉も理解できないし、自力で歩く事すらできないわ」
「では今のが出産シーンだったのですね、とミサカは納得しました」
キューブは一日前のことを思い出す。
学習機械の膨大な記憶量に埋もれて今にも忘れてしまいそうな光景。
そのときは確か――
「はい、これ。塗れたままだと風邪をひくかもしれないから」
芳川からバスタオルを渡される。
そう、自分はあのとき角田に身体を拭いて貰った、とキューブはバスタオルの感触を手で確かめた。
泣き続ける五七号の頭にバスタオルをかぶせ、キューブは両手で水気を拭き取っていく。
髪の毛を拭き終えたところですっかり液の色に染まったタオルを変え、身体を丁寧に拭く。
いつのまにか泣き止んだ五七号はそんなキューブをぼんやりと見つめていた。
時間をかけて吹き終えた頃に、それまで部屋にいなかった角田が車輪の付いた人を運ぶための運搬台を押しながらやってきた。
角田にレイチェルが言う。
「遅かったじゃない」
「いやー、倉庫で支給物資探していたら時間かかっちゃいまして」
五七号の横に運搬台を寄せた角田が、運搬台の上に載せていた物を手に取る。
赤い機械ゴーグルと、プラスチックでできたデフォルメされた翼のヘアピンだ。
「はい、このゴーグルは能力補助のゴーグルね」
そう言って角田はキューブにゴーグルを手渡した。
「支給品は
そう言いながら角田は手に持ったヘアピンをキューブの頭へとあてがう。
「うん、似合う似合う」
「そちらは何の機能を持つのでしょう、とミサカは疑問を口にします」
「ん、ただのヘアアクセサリーよ。横まで編み込んでるわけじゃないから止めておかないとね」
左右の側頭部にヘアピンを付け、似合う似合うと角田は笑った。
「終わった? それじゃあ乗せるわよ」
レイチェルはそういうと五七号の背後へと回る。芳川も五七号の前へと移動しており、座り込んでいた五七号の脚を揃え、両手で抱え上げた。
レイチェルは五七号の両脇に腕をさしこみ、力を入れて持ち上げる。
五七号の身体が浮き、角田は横から腰の下へ手を差し入れて落ちないように支えた。
そうして三人がかりで五七号をステンレス製の運搬台の上へと乗せる。
突然背中に金属の冷たい感触が当てられ、五七号は声を上げて泣き出した。
「わちゃー、またやっちゃいました」
「インストールすればすぐになくなるわよ。ほら、押して」
レイチェルに促され、角田は運搬台を押し部屋の外へと向かう。
レイチェルと芳川もそれに続いて出口へと向かい、ヘアピンに手を当てていたキューブも彼女達の後を追った。
培養器の部屋は
五人はエレベーターへと乗り込む。
作業機械の運搬も出来るよう広く、重量制限も数十トン単位の頑丈なエレベーターだ。
「レベル2へ」
音声入力を受けてエレベーターが動く。
ゴーグルをおでこにひっかけたキューブはエレベータの独特の加重を身に感じた。
慣性の法則から考えれば当然の負荷なのだが、実際に体験してみると不思議な感覚がある。
その感動を知らない角田達は
そして、扉が。閉まった。
「あ……」
キューブは出遅れて一人エレベーターの中に取り残された。
『ナンカイ ヘ イキマスカ?』
「開けてください、とミサカは勝手に閉まるドアに注文をつけます」
キューブの言葉を受けて、ドアが開く。
ドアの向こうでは三人が振り返って彼女の方を見ていた。
キューブは無言で三人の元へと歩き、揃って学習機械の部屋へと再び向かう。
「ごめんなさいね、見てなかったわ」
「問題ありません、とミサカはと返します。一度した失敗は繰り返さないので忘れて貰っても構いません、とも付け加えます」
そう芳川と会話を交わしながら廊下を進み、一室の扉の前で止まる。
レイチェルが扉の横に付けられたパネルへIDをかざすと駆動音を立てて扉が自動で開いた。
部屋の中には布束がおり、学習機械の横にある端末の前に座っていた。
「こちらの用意は終わっています」
と言う布束の言葉を受け、レイチェル達は五七号を学習機械へと乗せ替える。
再びの移動に五七号は泣き叫び十三歳の少女の力で暴れる。が、布束が無針注射器を五七号の肩に当て、鎮静剤を打ち込んだ。
振り回していた手足が降ろされ、五七号はうとうととまぶたを降ろしやがて眠りについた。
布束達は五七号が眠ったのを確認すると、再び作業を進める。
五七号の頭へヘッドセットを取り付け、端末で脳波を確認。学習機械の蓋を閉めて、端末の実行ボタンを押した。
動作の開始を告げる電子音が部屋に響く。
「
と布束が宣言し、研究員達は部屋を退室していく。
布束も端末の席から立ち上がりキューブの退室を促した。
「誰も残らないのですか、とミサカはヌノタバへ問いかけます」
「インストール作業中に余計な手を加えないよう、ここから先はメインコンピューターの管理下になるわ」
学習機械での記憶入力内容は研究所外部の審査を受けている。入力内容が差し替えられていないか、学習機械の実行時まで研究所のメインコンピューターを通じて研究所の外と情報の同期を行っていた。
そして、途中での改竄を受けないようこの部屋は入力が完了されるまで封鎖されるのだ。
それほどまでに
布束とキューブが部屋から退出すると、背後で閉まった扉からロック音が鳴った。
「それじゃあ角田と私は所内の設備の点検に行くわ」
そう言ってレイチェルは角田を連れて去っていった。
残された芳川と布束にはもう本日分の作業は残っていない。
キューブの各種検査も、明日五七号と揃って行うことになっている。
「布束さん、例のものを見せてあげるから第三ブロックへ来ない?」
と、芳川は布束に就業後の誘いをかけた。
「ベヒーモスですね」
行きます、と布束は答える。
何のことだろうか、とキューブは首を傾げた。
ベヒーモス。十字教の聖典に登場する怪物で、一日に千の山に生える草を食い尽くす暴食の獣とされている。
学園都市にそんなオカルトな生物がいるわけもなく、ベヒーモスと名前をつけられた何かだろうかと思考を巡らせる。
「キューブもいらっしゃい。この研究所の本来の研究目的、人工生物工学で作られた合成生物を見に行くわ」
そう、この研究所は人工生命研究所。今は
囚人の収容に適しているという理由で
大型培養器で初期培養中だったため動かすことが適わなかったベヒーモスがその一つだ。
人工生物と言うことは自分の同類だろうか、と考えながらキューブは芳川と布束に連れられ
9.
キューブは分厚いガラスの向こうに見える生物に圧倒されていた。
培養液の中で眠る大型の生物。
哺乳類には見えないごつごつとした緑色の表皮。鋭い爪の生えた四本の脚。頭から生えた無骨な二本の角。
先ほど見た培養器の中の五七号とは全く違う存在感がそれにはあった。
「
そう感嘆の声を漏らしたのは布束だ。
「そうでしょう?
このベヒーモスに現在地上の生物の中で近い物があるとすれば、爬虫類であろう。
その体躯は全長六メートルほど。今は培養液の中で横たわっているが、もし目の前でこれが立ち上がったとしたらどれだけの迫力をもつだろうか。
「角田さんは見たくもないって言ってましたけれど……」
そう呟く布束。確かに、恐竜などという大型爬虫類に憧れるのは決まって男の子ばかりであり、女性である角田としては忌避感があるのだろう。だが、未知の物に対する生物研究者の姿勢としてはどうだろうか、という考えが布束の目が告げている。
「人間は、自分と違う存在を受け入れられないものよ」
芳川はそういって布束をたしなめる。
「
目を伏せながら布束は言う。
そんな様子をキューブは横目で見る。
角田はどういう人間だっただろう。明るくて、誰よりも多くキューブに話しかけてきて、わざわざヘアピンを用意してくれて。
「……けれど、人を動かしてきたのはああいう強い人間よ」
強い。ああいう人を強い人間というのだろうか。
キューブにはまだそういった人間の小さな違いが解らない。
「私は最近、レイチェルさんのことが解りません」
布束はそう芳川に告げた。
まるで溜めていたものを吐き出すように、布束という少女は研究所の中で一番心を許している芳川へと思いを打ち明ける。
「角田さんと芳川さんて正反対の人じゃないですか……」
続けて何かを言いかけて、布束は自分を見るキューブの視線に気づいたかのように口を結ぶ。
そしてしばし逡巡すると、キューブへと顔を向ける。
「キューブ。こっちに来てよく見てごらん」
そう言ってキューブを手招きした。
「この研究所の本来の研究物よ。綺麗よね」
「こうして見ているだけならそうね」
と、芳川が二人へ言う。
「キレイなバラにはトゲがあるって言うけど……、これはトゲじゃすまないわ。2本の巨大なキバがあるからね」
そう芳川が説明をし終えたところで、彼女の懐から携帯端末の鳴る電子音が聞こえた。
研究所内で連絡を取り合うための通信端末だ。
芳川は白衣の中からペンサイズのそれを取り出して耳元へと当てる。
「……どうしたの? ええ、解ったわ。布束さんもいるから連れて行くわね」
「
通信端末を切った芳川に布束が訊ねる。
「外部との通信システムの調子がおかしいらしいの」
「通信システムって……学習機械の起動中にそれはまずいのでは?」
「ええ、だから手伝いに早く来て欲しいって」
と、そこにダース伍長が入ってきた。
彼の巨躯が壁のように立ち塞がり、三人は脚を止める。
ダース伍長は芳川達三人を目に留めると。
「別に見てもかまわんが……
「……すいません」
頭を下げて芳川がダース伍長の横を通り過ぎる。
それを追うように小走りで布束が追いかけ、ダース伍長は残されたキューブに正面から目を合わせた。
「お前もだぞ……あまりそこらへんをいじりまわすなよ」
「解りました、とミサカは素直に従います」
キューブは頷き、追い立てられるようにして第三ブロックを後にした。