LIVE A LIVE 近未来都市編   作:Leni

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行間 とある科学の人工天使

 

 学園都市第一八学区。そこは学園都市の中でも能力開発に関するトップ校が集う、学舎の区画だ。

 長点上機学園や霧ヶ丘女学院といった学園都市随一の学校が名を連ね、日々若き能力者達がより高位の能力を身につけようと開発に励んでいる。

 

 学徒の街、とはいっても学校や学生寮だけがあるわけではない。

 第一八学区は広い。学園都市の外ならば、市町村でいう市をつけられるほどに。

 ゆえに、学生や教員達が生活するためのさまざまな施設や店が学区のあらゆる場所に建っていた。

 

 多額の奨学金や研究資金を支給されているエリート学生が多くいるため、その店並は高級なものばかり。

 だがそれもあくまで中心街に置ける話であって、他の学区と隣接する境まで来ると建物の様子も庶民じみたものへと変わっていく。

 第一八学区の西端、第七学区と第二二学区にほど近いエリアにある古道具屋も、そんな庶民じみた古い建物の一つだった。

 

 古道具屋(ことぶき)商会。古い技術を扱う第一九学区にでもありそうな店構えだが、この店主は長点上機学園の臨時講師も勤める学園都市でも有数の学者だ。

 店主の名は藤兵衛。機械工学、生体工学、生物化学工学、考古学を専攻する長点上機切っての頭脳であった。

 

 その証拠に、彼は学園都市に八人しか存在しない超能力者(レベル5)の内、第一位と第七位の担当教師をしている。

 

 第一位と第七位の住む孤児院は、第一八学区の西に隣接する第七学区にある。

 対する長点上機学園は第一八学区の東側だ。

 ゆえに、彼らは学園ではなくこの古道具屋に『授業』を受けにやってくる。

 超能力者(レベル5)二人だけのクラス。その担任教師が藤兵衛という扱いだ。

 

 超能力者(レベル5)第一位である鈴科百合子は、今日もそんな古道具屋で『授業』を受けていた。

 

 築何十年かも解らない昭和の香り漂う木造建築の店舗。

 これまた年代物の机の上で、百合子は授業を受ける。

 授業とはいっても店の中だ。今も営業中である。

 最もここは学生の街なので授業時間に来るような客はほとんどいない。

 

 店の仕事で店主が忙しい様子を見せたことはないが、店の壁にはアルバイト募集の紙が貼られている。百合子がこの張り紙が貼られたのを見て一年以上経っているが、この店にアルバイトが居たことはない。

 そもそもアルバイトが必要な貧乏学生は、古道具屋などという場所に近づかないのだ。

 この店の客は第一九学区の研究者だとか、古道具収集を趣味にする変わった金持ち学生といった類の人種だ。

 

 店の商品は多岐にわたる。

 昭和初期に使われていたという手回し式の洗濯機。

 時代を感じさせる焼き物の壺。

 どこかの現住民族が被っていそうな奇妙な顔が彫られた仮面。

 左右の腕の長さが非対称ないびつな金属人形。

 

 それらを眺めて、百合子は眉を寄せた。

 

「最近気になっていたンだがよォ……。ここの商品に俺の演算能力じゃ解析できないモンが混じってねェか?」

 

 そんなことを目の前に座る店主へと聞いた。

 壽商店店主藤兵衛。その人物も、店に並ぶ商品に負けない奇妙な人物だった。

 彼を前にしてまず目にとまるのは、その頭部だ。彼の頭の上半分は機械部品で出来ていた。

 本来ならば脳がある場所に機械のパーツが埋め込まれ、頭蓋骨の代わりに透明なケースがはめこまれている。

 そして顔の下半分は長い白髭と、しわの深い人の顔。後頭部からは逆立った白髪が生えている。

 

 機械の頭をした老人。

 サイボーグ爺。藤兵衛を表すにはその言葉が相応しかった。

 

「ほうほう、気づいたかね百合子クン。良い傾向だ」

 

 口髭をいじりながら藤兵衛は感心したように言った。

 

「ア?」

 

「では今日は予定を変更して、新しいカリキュラムへと進むことにしようか」

 

「…………」

 

 百合子は沈黙する。

 唐突だ。だがこの老人が思いつきで何かをしだすのはいつものことである。

 授業中に百合子が身につけていた髪飾りを見て、急に「思いついた!」と叫んで授業を放り出して髪飾りを脳波で動く猫耳に改造してしまうような変人なのだ。

 

 カリキュラムの内容がいきなり変わるなど、今更気にするようなことではないのではないか。

 そう百合子は結論づけて藤兵衛が自分に変な事をやらせようとしないかに注意を向けた。

 

「その前に、基本をおさらいしとこうか百合子クン、キミの能力とは何かね?」

 

「ベクトル操作」

 

 藤兵衛の問いに百合子は即答をする。

 ベクトル操作、それが百合子の能力『一方通行(アクセラレーター)』だ。

 ベクトルという大きさと向きを持つものであれば、百合子の観測が及ぶ限り何でも操作できる。

 風でも、重力でも、熱移動でも、光でも何でもだ。

 その万能性こそが学園都市の科学に最も貢献する者として百合子に第一位の地位を与えている。

 

 百合子の答えに続き、藤兵衛は再び問いを出す。

 

「その能力で操作できない物は?」

 

「向きのないスカラー」

 

 百合子は熱をベクトルで移動できる。電気を操作することができる。

 だが、操作するだけで、それらが持つ『大きさ』の総体そのものを変えることは出来ない。

 ある物体から熱を奪おうとすると、奪った熱を別の場所に移動しなければならない。

 熱の移動を行うことなしに熱を増やすことも減らすこともできない。

 それが彼女の能力。

 

 学園都市にいる能力者の中には、こういったスカラーを直接操作することができる者達もいる。

 例えば超能力者(レベル5)第三位の超電磁砲(レールガン)。彼女は無から電荷を発生させることができる。

 

「百合子クン、キミが構築した読心能力者(サイコメトラー)対策とは何かね?」

 

 続けて藤兵衛が問いかける。

 百合子は軽く息を吸うと、教本でも読むかのように語り始めた。

 

「……読心能力(サイコメトリー)は大きく二つに分けられる。対象の脳を直接観測するタイプと、AIM拡散力場を介して相手の脳を観測するタイプ。いずれも電磁波、放射線、音波などの透視能力で、脳あるいはAIM拡散力場に干渉するため、こちらを観測する現象を『固定』もしくは『反射』することで脳の観測を阻止することが可能となる」

 

 藤兵衛が特に異議を出さないことを確認し、百合子は続ける。

 

「ここで重要となるのが能力者は複数の能力を持てないという多重能力(デュアルスキル)の原則。すなわち、対象への干渉をせずに直接透視という観測結果をもたらす透視能力(クレアボイアンス)とは違い、読心能力者の使う透視はあくまで能力の応用によってもたらされるものである」

 

 読心能力(サイコメトリー)は直接人の心を読むだけではなく、物から人の心を読み取る種類の能力も存在する。

 だがそれも突き詰めていけば単純な能力を複雑に行使しているだけというのが実際のところだ。

 

「能力応用の媒介を使わずに直接脳を透視し、脳細胞の配置から心を読み取るのは読心能力(サイコメトリー)ではなく透視能力(クレアボイアンス)となる、が、透視した細胞から情報を読み取れるだけの演算能力を持った透視能力(クレアボイアンス)超能力者(レベル5)は存在しない。ただし」

 

 と、そこで百合子は言葉を止めた。

 

「心なンつー曖昧で漠然としたものを直接観測する能力を防ぐことはできねェな。具体的に言うとアキラの野郎だ」

 

 学園都市が生み出した能力者達はいずれも『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』という原理に基づいて能力を行使している。

 火を生み出す現実、電子を作り出す現実、人の心を読む現実。

 そういった本来の現実とはズレた世界を観測することで、『観測されたミクロな現象』が出現するという量子力学的な領域の理論だ。

 その原理に従うなら、『人の心を読む現実』の前に百合子のベクトルを操る能力は干渉する術を持たないはずだ。

 だが、『人の心を読む』という現象はマクロな視点でのもの。ミクロな領域まで細分化していくとどうやって人の心を読んでいるかという理論と演算式へと分割され、そこにベクトルが関わってくる。

 

 だがそれは、学園都市が生み出した能力者に限ったものだ。

 

 田所アキラは天然の能力者である。

 彼の能力はひどく単純だ。

 心を読む、物体を転移する、思念を飛ばす、傷を癒す。そういったマクロな視点での複数の能力行使をする。

 多重能力(デュアルスキル)が能力開発で生み出せないのは、複数のミクロな『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』を持つには脳へ負荷が高すぎるためだ。その点、アキラのマクロな能力は物事を深いところまで観測しない。一個一個の能力がとても大雑把でコンパクトなのだ。

 

 ミクロとマクロ。その違いは従来の学園都市の超能力では起こせない概念を生み出す。

 

 アキラは、物体に宿っている『心』という存在しないはずの記憶を読むという。風紀委員(ジャッジメント)読心能力者(サイコメトラー)が物品の『時間』に対して干渉するのとは違う。

 彼が言うには物体の記憶を読み上げているのではなく、地縛霊のようなものが居てその心を読んでいるだけ、らしいが。

 

「心というものはスカラーじゃ。喜び、悲しみ、そして……『憎しみ』。そういった感情を表わす尺度じゃよ。アキラクンはそのスカラーを測定することで人の心を読む」

 

 アキラの担当教師でもある藤兵衛が、そう百合子の説明に補足を入れた。

 

「そこにスカラーではないベクトルが関わっているかというと……関わっているのじゃろう。心は不変ではない。つまり流れが存在する」

 

 まるで心とは何であるかを知っているかのように藤兵衛は語る。

 

「スカラーを理解し、そこに関わるベクトルを知ることで、キミは間接的にスカラーを操作することができる」

 

 発火能力者や発電能力者達とは違い、百合子はエネルギーの絶対量を変化させることができない。

 だが、エネルギーを他へと移動させることでその場に存在するエネルギーの量を変化させることができる。

 物体の熱量を直接増大させるという能力を仮に百合子が受けたとしても、今の彼女ならば身体細胞に影響が出る前に熱移動というベクトル操作で被害を防ぐことが可能だ。百合子の能力は自身に降り注ぐ太陽の光すらも操作する。

 

 そこから一歩進み、百合子はここ最近の藤兵衛のカリキュラムで、ベクトル操作で干渉困難なスカラーを己の能力で操作しようと勤めていた。

 そしてその効果はわずかながら、強度という尺度では無能力(レベル0)と判定されるほどの小ささで見られるようになってきた。

 

「向きというものが存在しないはずのスカラーにベクトルで干渉する。それはつまりキミの『自分だけの現実』がベクトルという枠を超えて観測の幅を広げたということダネ。もしかするとベクトル操作はキミの能力の本当の姿ではないのかもしれんの」

 

 そんなとんでもないことをさらっと告げる藤兵衛。

 百合子はスカラーの操作をベクトル操作の応用としか考えていなかったし、演算式もそれを前提として組んでいたというのに。

 

 だがこの程度では百合子は動じない。相手は解析不可能なはずのアキラの能力を解明して、科学技術に応用するような変人だ。

 

「で、本題。一部の古道具を最近になって『観測』できないことに気づいた」

 

 店舗にある商品を次々と指さしていく藤兵衛。

 それはいずれも百合子が手に取ってみて『理解不能な物』と判別した品物だ。

 

「これはキミの観測が狂っていると言うことではなく、観測の精度が上がって観測できないなにかが存在するということを認識できるようになったというわけじゃ。百合子クン、キミが観測できないものの共通点とはなにかね?」

 

「ン、あー……」

 

 店内を見渡して百合子は答えを探す。

 難しく考えてはいけない。難しく考えて『理解不能』と結論づけた品々なのだ。

 

「……値札がついてねェな」

 

「正解じゃ。キミが観測できない古道具は、どれも一般向けの商品ではない。ワシのコレクションで、キミがこの店に初めてやってきたときからずっと置かれていたものもある」

 

 そう言いながら、藤兵衛は席を立った。

 

「スカラーというものを直接観測できるようになったキミの能力は、さらに一歩先の『何か』を観測しようとしている」

 

 藤兵衛は商品の収められている棚に手を伸ばし、木製の彫像を手に取った。

 荒削りの像は、かろうじて人の形をしているのだと判別できる。

 

「キミが観測できない物の正体は、『魔術』と呼ばれているものじゃ」

 

「はァ?」

 

 突然聞き慣れない言葉を告げられ、百合子は驚いたような呆れたような声をあげる。

 科学の最先端を行く学園都市の授業で、教師が急にオカルトな話をしだしたのだ。

 

「古道具屋じゃからなぁ。魔術や宗教などという科学的な思想とは外れた行為に使われていた道具が山ほどある。そして、その中の一部は『本物』が混じっておる」

 

「本物って……おいおい本気で言ってンのか?」

 

「例えばこのユピテル像は雷雲を呼び雨を降らせるための雨乞いに使われていたものだが、ほれ、電子に注意してみるといい」

 

 そう言って藤兵衛は木像を百合子へと手渡した。

 荒削りのユピテル神の神像。ただ一点、股の間の部分だけが精巧に彫られている。

 百合子はその造形を無視して手のひらの上の木の感触を伝って能力を行使する。

 材質は古いブナ科の木。そして藤兵衛の言った電子は――

 

「……ありえねェはずだが、物理法則を全力でぶっちぎって中に電荷が存在してやがる」

 

 電荷。電流や電界などというベクトルではない、物体が帯びる電気の量を表わす大きさ(スカラー)である。

 百合子の答えに満足したのか、藤兵衛は頷く。

 

「うむ、ではキミはその物理法則を無視して電荷を発生させている正体を何と推測する?」

 

「そうだなァ。俺が観測できねェっていうンなら、現代科学じゃ観測できねェ暗黒物質(ダークマター)でも関わってンじゃねェか。いくら俺でも理論上存在するってだけで実態が解ってねェモンを観測できやしねェ」

 

 一方通行の能力は学園都市の最新科学の集大成とも言える

 学園都市で解明された理論や超能力を百合子が『知る』ことで、彼女はそれを観測し演算しベクトル変換する

 超音波を人の鼓膜では音として聞くことができないように、科学の既知を超えたものを彼女の能力ではベクトルとして認識することができない。

 

「うむ、ではそれを踏まえてもう一度。『魔術』とは何かね?」

 

 再び藤兵衛が問いかける。

 一対一の授業だ。生徒への質問は全て百合子へと投げかけられる。

 

「……科学で観測できていない未知の物質、あるいはエネルギーを扱う経験則の学問、か?」

 

 百合子の答えに、藤兵衛はうむうむと頷く。

 

「古代における雨乞いの多くは現代科学で原理を否定されておる。が、ごく一部だけは雨雲を形成する理に適っていると判断される物もある。ではその雨乞いは魔術か? 当時の人間にとっては魔術だったかもしれんが今の我々にとっては立派な科学じゃ」

 

 人工降雨というものがある。

 それはまさしく現代の雨乞いで、決められた工程を辿ることで空に雨雲を作りだし雨を降らせる。

 

「現代科学では理論を説明できない、超能力と対をなす超常現象。それが魔術じゃ」

 

 百合子から神像を受け取り、藤兵衛は像を頭の上に掲げてみせる。

 百合子にはそれが全く神秘的なものには見えなかった。

 

「だから、百合子クンの答えは五十点と言ったところじゃな」

 

 説明不足、と指摘するように藤兵衛は告げる。

 

「暗黒物質はあくまでこの宇宙における話じゃ。じゃが、宇宙は一つではない。宇宙論の基本じゃな。しかし、今の我々の科学では別の宇宙を観測することはできない」

 

 妄想の中の現実を観測し、超能力を行使する学生を作りだしているのが今の学園都市だ。

 あくまで観測するのはこの宇宙上に重ねた仮初めの現実。

 宇宙論で語られる異なる宇宙を観ているわけではない。

 

「しかし、魔術や宗教はその別の宇宙を何千年も昔から観測していたのじゃよ。例えば、十字教における別の宇宙とは何かね?」

 

 新たな問いに、わずかに記憶を巡られる百合子。

 宗教など頭の隅の隅に追いやっているどうでもいい記憶だった。

 

「……天国と地獄」

 

「その通り、十字教徒に連なる学者は天国と地獄という別宇宙を『魔術』で観測できる」

 

 そう断言する藤兵衛に、百合子は信じられないようなものを見たような表情で言った。

 

「宇宙論からいきなり話がすっ飛んだなァ。じゃああれか、神サマや天使サマが実在するってか? ……いや、するのか。それがこの都市の最終目的、神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの(SYSTEM)なンだよなァ」

 

 百合子は思考を切り替える。

 『世界』に存在する全ての宇宙を内包した全ての真理である『神の領域』に辿り着くのが、学園都市が超能力者を開発している真の目的。

 『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』が言うには、二万人のクローン人間を殺すことで百合子がその領域に足を踏み入れられるらしいが、百合子はその実験を拒否した。

 

「別宇宙にある見れるはずのないものを観測しろ、というのは無理な話じゃな。百合子クン、できんじゃろ?」

 

「できるわけねェだろ」

 

 何しろ学園都市の学者達でさえ異なる宇宙を具体的に示せていないのだ。

 理論を作るのは学者と研究者。

 百合子はあくまでそれらの理論を実践する側の学生だ。

 

「うむ、なので、魔術の真似事をしてワシの科学で地球上に存在する別宇宙の物資を瓶に詰めてみた」

 

「は?」

 

 冷蔵庫に食材がないのでスーパーに行って反物質を買ってきました、とでも言うかのような軽さで藤兵衛が告げた。

 さすがに百合子は理解を手放し呆ける。

 

 神像を棚に戻した藤兵衛は、店のレジスターが置かれている木製の台の引き出しを開け、中から小さな瓶を取りだした。

 そして、小瓶を百合子の目の前のテーブルへと置く。

 瓶の中には白い靄のような光が詰まっていた。

 

「名付けて、天使の小瓶。十字教でいうところの神の祝福(ゴッドブレス)……天使の力(テレズマ)を集めて閉じ込めたものじゃ。小洒落たネーミングじゃろ?」

 

 どうだと言わんばかりの顔で藤兵衛が言う。

 

「効能は“観測”。瓶の蓋を開けると透視能力者の真似事をすることができる」

 

 この天使の力が観測であると聞いて、百合子は皮肉なネーミングだと笑った。

 深淵を覗く者は、深淵も等しくその者を見返している。神の領域へと登ろうとしている人間達を天使は全て見ているかのような、そんな戒めを込めた名前に思えた。

 

「なァ、天使がいる……まあ“いる”と表現するが、いるなら悪魔もいンのか?」

 

 百合子からの問いかけに、藤兵衛はふむ、とヒゲに手を当てた。

 そして言いよどむこともなく答える。

 

「そも悪魔とは何か、というところからじゃな。十字教では悪魔とは天使が堕天したもの、すなわち天国から追い出され人の世に落ちたものであるとされておる」

 

 藤兵衛は考古学者だ。関連する学問として神学、宗教学にも精通している。

 

「十字教が一神教であるのも歴史的な理由というものがある。十字教の元となった旧教の民の古くはエジプトの奴隷民族じゃった。奴隷から解放されたその民族は安住の地を求め放浪し、やがて王国を築くもバビロニアに滅ぼされ再び奴隷となった」

 

 それは十字教の聖典に綴られた古き民の歴史だ。

 

「日本は豊かな自然と海に囲まれた閉鎖的な空間があった。それゆえに自然を尊ぶ多神教的な価値観が生まれたのじゃが……彼らは違った。拠り所となる強い神が必要じゃった。その境遇こそが、今も世界の多くに信徒を持つ十字教のただ一つの神を見いだした」

 

 そこで言葉を区切り、藤兵衛は小瓶を指で叩く。

 瓶の中の光がゆらりと震えた。

 

「じゃが、いざ平和が訪れると教徒達は困った。神は強い。神は絶対的な善である。しかし、神が作り出したはずのこの現実世界にはなぜこんなにも悪がはびこっているのだろうと。不完全な世界とはすなわち神が不完全であるという証明をしてしまう」

 

 グノーシス主義。世界を善と悪に分けて見る考え方はそう呼ばれた。

 十字教が西洋で広まり始めたはるか昔の思想だ。

 

「ゆえに十字教徒は悪魔を天から落ちた天使と呼んだ。神に不完全さを見いだせないなら、その下にいる天使を不完全なものとしてみたんじゃ。そして彼らは人を堕落させる悪魔にそれぞれ名前を付けた。暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢。ま、簡単に言えば人の『心』じゃな」

 

 天使が別宇宙にいる遠い存在なら、悪魔はどこにでもいる人の心だと藤兵衛は言う。

 

「アキラクンは人の心を読める。十字教的解釈をするなら悪魔に近い。それゆえに天使に近い能力はまだ発現しておらんとワシは見ておるの」

 

 そう言って藤兵衛は百合子へと小瓶を渡した。

 百合子は手の中に現れた小さなガラス瓶の感触を確かめる。

 解析不能。先ほどの木像とは比べものにならない“理解不能”の塊だ。

 

「持っていくといい。そして、暇なときはそれを『観測』して能力を研鑽するといい」

 

 未知を前にして表情を歪める百合子に藤兵衛は笑って言う。

 

「――いずれそれを理解することができたら、一人も殺すことなく絶対能力(レベル6)へと辿り着けるかもしれんぞ?」

 

 

 

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