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個人ファイル ダイアリー
キキョウ ヨシカワ
12 ガツ 30 ニチ
前回囚人更正プログラムで受けた試験の通知がまもなく送られてくる.
合格していればわたしも晴れて通信教師だ.
みんなにはまだ内緒にしている.
刑期が決まったら話そう.
そうすれば少し寂しいがこの研究所ともお別れだ.
ここを離れる前にもう一度レイチェルとゆっくり話がしたい.
ショガイ ツウシン 01 ガツ 04 ニチ
サシダシニン
ホウム カンリキョク
資格試験結果のお知らせ
拝啓
貴殿は誠に残念ながら
今回の通信教員資格試験は
不合格となりましたので
ここにご報告します。
次回の試験予定日は
六ヶ月後の予定です。
法務管理局
10.
キューブが医務室へと到着したとき、すでにレイチェルの処置は終わっていた。
レイチェルは生命維持装置に繋がれなんとか一命を取り留めている。
ベヒーモスに潰された左腕はもう使い物にならないだろう。
だが研究所の外にさえ出られれば、世界でも最高峰の医療技術を誇る学園都市の治療を受けることができる。
彼女を助けるには一刻も早くこの事態を収拾する必要があった。
ダース伍長を先頭に三人は医務室を出、生活エリアへと足を向ける。
奇妙な通信を残した所長の部屋へと向かうためだ。
「
前を行くダース伍長に布束は訊ねる。
「じゃあ他に誰がやったと言うんだ? 私か?」
「いえそんな……」
「とにかく開けてみれば全て解ることだ」
生活エリアの一角、所長室の前でダース伍長は歩みを止める。
彼は布束に手で合図を送った。
布束は頷き、ドアの横のパネルを操作し、キューブに教えられたパスワードを入力する。
O A K F D E
しかし、パネルから返ってきたのは入力エラーを知らせる音だった。
布束は顔をしかめてもう一度入力をする。だが。
「あ、開かない!」
「なにしてる! カギごと壊しちまえ!」
「わかってますよ! それぐらい考えてます!」
お互い余裕のない声で言い合う。
布束はパスワード入力に見切りを付け、生活エリアを僅かに引き返す。
そこはレイチェルの個室の前。ドアの横に、彼女の部屋をこじ開けたときに使った電動パワージャッキが置かれていた。
五キログラムの軽い機材だが、トン単位の物を持ち上げることが出来る代物だ。
布束はそれを両手で抱え、扉の前に立つダース伍長を邪魔とばかりに押しのけると、ドアの隙間にジャッキのアームを差し込んだ。
スイッチを入れると、電動モーターがうなりを上げて駆動し、アームが開いていく。
ロックが強引にこじ開けられ、引き戸のドアが簡単に開いた。
パワージャッキを床に投げ捨てた布束は、完全に開いたドアの奥へと入っていく。
ダース伍長とキューブもそれに続いた。
所長室に足を踏み入れてキューブが最初に感じたのは異臭だった。
室内の空気にかすかに混じる刺激臭。
その発生源を追うと、そこには誰かが倒れていた。
「所長!」
そう、それは、リフレッシュルームの画面で見た天井だった。
仰向けに倒れる彼は呼吸しているようには見えない。
顔色も他の人とは違う。
彼は死んでいた。
「やはりな……」
驚く様子も見せずにダース伍長が言う。
「これで生きてるのは私とあんただけってわけだ……さっさとはいちまえよ」
跪き天井の死体の脈を取ろうとしている布束にそう告げた。
「な、なんの事ですか?」
「いつまでトボけてんだ。あんたがみんな殺ったんだろう!?」
「な、何いってるんです! なぜ私が……?」
立ち上がり両手を胸の前で合わせて布束が言った。
ダース伍長は目をそらさず言葉を返す。
「私はよそ者だ。少なくとも私に動機はない。あんたらがどんな理由でいがみあってたのかは知らんがね……」
「違う! 私じゃない! あなたに私達の何がわかると言うんです!?」
布束は叫ぶ。目から涙をこぼしながら、涙声で。
「確かにみんな仲が良かったわけじゃない……! 私だって角田さんやレイチェルさんのわからない所もあった……
涙で引きつった呼吸で息を吸い、弱々しく言葉を続ける。
「
布束達は囚人だ。
クローン体を作りだし殺そうとした囚人達だ。
それでも布束は違うと、そう言った。
「みんな、ただ……悩みながら……考えながらも……自分の思ったように生きようとして……ただそれだけじゃない!」
その言葉を最後に、布束は膝を付き声をひそめて泣いた。
キューブには布束の言葉が本当か解らない。
彼女達のことはわずか数時間の記憶しかない。
その時間は、キューブが生まれる前からここにいたダース伍長が彼女達といた時間よりも短いだろう。
キューブには先が見えない。
いっしょに外へ出ようと言った布束の言葉が本当かも解らない。
布束から視線を外す。
所長室はレイチェルや角田の個室と変わらない作りをしていた。
テーブルとキッチン、備え付けの情報端末。
端末には天井が死ぬ前まで操作していたのか画面ロックもされずに作業画面が映っている。
画面にはメールソフト。
研究所の外へ向けた作りかけの音声メールがアイコンを点滅させている。
キューブはパネルを操作し録音データを再生した。
『…………
こちらコギトエルゴスム。
ただいま順調に五六・五七調整プログラムを進行中。
予定通りに学習装置の使用に……
…………
ん? 何だ!?
うわあ!
ぐ、ゲホゴホッ!
だ、だれか!
!?
あ 開かない!?
…………』
音声の再生が終わり、キューブは端末から離れた。
音声の後半は何かガスが吹き出すような音が混じっていた。
キューブは天井を見上げる。
個室の空調機は正常に作動している。
天井の命を奪ったと思われるガスはもう部屋には残っていないのだろうか。
意識に問題はない。頭も痛くない。
だけれども、ここにいるのは何となく気分が悪く感じられ、新鮮な空気を求めてキューブはこじ開けられて開いたままのドアへと向かう。
部屋からわずかに身体を出し、深呼吸をする。
肺の中の空気が新しい物へと入れ替わる感覚を覚える。
あの気分の悪さは死臭によるものだったのだろうか。
「……?」
ふと、キューブは廊下の奥から小さな音がなっていることに気づいた。
生き物の鳴らす物ではない、高い電子音。
耳障りなその音はひどく彼女の注意を引いた。
キューブは音の鳴っている場所を探してわずかに歩く。
音は、生活エリアにある個室の中から鳴っているようだった。
音を出すドアの前にキューブは立つ。
『セイカツヨウ モジュール ガイライシャヨウ ヨビ』
入退室端末を操作すると、案内音声が鳴った。
『シツナイデ ケイホウガ ナッテイマス
ゲンイン フメイデス
ロックヲ キョウセイカイジョシマス
ゲンインヲ シラベテクダサイ』
ロックが解除される音が響き、ドアが自動で開く。
遮蔽物を失った音がより強くキューブの耳に届く。
部屋の中はひどく殺風景だった。
作りは他の部屋と同じだが、私物がほとんど置かれていない。
ただ部屋にかけられた軍用コートから、ここがダース伍長の部屋だということが解る。
電子音が鳴っているのは部屋に備え付けられた情報端末。
キューブはパネルを操作すると、画面の電源が付きぼやけた光を放つ。
画面に映ったのは先ほどと同じメールソフト。
この耳障りな音はこのソフトがエラーダイアログを出しているためになっているようであった。
パネルを押してダイアログを消す。
すると、ダイアログの下に隠れていたメール画面が露わになる。
『軍事通達 作戦NO ×××××××××』
キューブの目が止まる。
表題の下にコギトエルゴスムの名が載っていたからだ。
彼女はパネルを操作して、メールの全文を表示した。
『――海底で発見された恐竜細胞を用いた合成生命体に関する注意』
文章はそう始まっていた。
合成生命体。ベヒーモスのことを指しているのだろうか。
『培養中も絶えず観察を続けること。
もしも人体に関する何らかの影響が見られた場合、詳しく記録すること。
また、生命体はいかなる手段を持ってしても陸軍へ輸送すること。
最悪の場合ある程度の人命の損失もやむを得ないとする。
以上
作戦司令部』
キューブは元の部屋へと駆けだした。
11.
「軍事通達とはどういうことですか、とミサカは訊ねます」
部屋へと戻ったキューブは開口一番にそう言った。
「……軍事通達?」
泣き止んでいた布束が、キューブに聞き返した。
キューブは布束に外来者用の個室で見た文章について説明していく。
淡々と読み上げられる内容に、布束の表情が段々と強ばっていく。
「私の部屋に入ったのか! やはりクローンは信用できん!」
ダース伍長が怒声をあげる。
彼はキューブのことを生まれたばかりのクローンだとして意識の外へとやっていた。人として扱っていなかった。
だから彼女が部屋の外に出ても何も言わなかったのだ。
「おかしいと思ったのよ! なぜわざわざ稼働中の研究所を使うのかって……」
だが布束はキューブとダース伍長の間に割って入り、キューブを背にかばいながら言う。
「最初からそのつもりだったんだ! あの化け物のデータが欲しいから……私達を実験台にして……」
顔を怒りに染めてダース伍長を睨み付ける布束。
今にも飛びかからんばかりの布束にダース伍長は両の手のひらを向ける。
「落ち着け! それは万が一の事であって……」
そう弁明の言葉を向けようとする最中、突然部屋の明かりが消えた。
「何だ!」
部屋の空調の音も消え、情報端末からも光が途絶えた。
停電だ。
数秒ほど経つと、薄ぼんやりとした非常灯が部屋を照らし始める。
「あ、あなたが! みんなあなたがやったんだ!」
暗闇の恐怖すらダース伍長への怒りへと変え布束は叫ぶ。
そして、背後に振り返ってキューブの手を掴んだ。
「逃げるわよキューブ!」
キューブの手を引き布束は所長室から廊下へと身を乗り出す。
非常灯のかすかな明かりが廊下の床を青く浮かび上がらせている。
暗い明かりに目が慣れぬまま廊下を走る布束。
だが、その行く手を阻むように暗闇の中からベヒーモスの影が割って出てきた。
非常灯に照らされた瞳が布束を見下ろす。
「うあああああああ!」
叫びを上げる布束に反応したかのように、ベヒーモスは角を突き出して突進を始めた。
空調の止まった廊下にベヒーモスが足を踏みしめる低い音が響き渡る。
ベヒーモスの頭部から生えた太い角は、布束に向けてまっすぐに突き進んでいく。
恐怖に身をすくめ震え上がる布束。
このままでは串刺し、と、すんでの所で布束横から突き飛ばされた。
布束をかばったキューブは、ベヒーモスの頭部に身を打ち付けた。
「――ッ!」
肉を打つ音が響く。
ベヒーモスはキューブを頭で押しながらなおも前進を続ける。
キューブに押され壁に背をつけた布束の目の前を、ベヒーモスの巨体が通り過ぎていく。
はね飛ばされたキューブは廊下の上を転がっていく。
「キューブ!」
非常灯の暗闇の向こうにキューブの姿が消えていく。
布束は慌てて後を追おうとするが、突然廊下を塞ぐように防火用の隔壁が天井から降りてきた。
突然現れた隔壁を前布束は呆然とする。
だがすぐに気を取り直して壁に取り付けられた防火隔壁の操作パネルを開け、開閉ボタンを叩いた。
しかし、電源が通っていないのか隔壁は全く動く様子を見せない。
壁の向こうからベヒーモスの叫ぶ声が伝わってくる。
隔壁を両の手で強く叩くが金属の震える音を返すばかり。
やがて布束は力無くその場に膝をついた。