15.
ワタシハ ケンキュウジョノ アンゼンヲ カクホシ
ショインヲ マモルトイウ
シメイヲ アタエラレタ
シカシ ワタシニ シメイヲ アタエタ
ニンゲンハ
タガイニ ショウトツシ
カンゼンニ チョウワヲ ナクシ
ケンキュウジョノ カドウヲ サマタゲル
ワタシニハ ニンゲンガ リカイデキナイ
ニンゲンハ
シンジラレナイ
それはOD-10の最期の叫びだった。
OD-10はトップダウン式の人工知能として作られた。
人間と同じように自ら思考するプログラム。しかし機械は人間になれない。
いつでも最適解を導き出せるよう合理的な思考をする。
それゆえに機械の心では非合理な人間の心を理解できない。
人間は様々な感情を持つ。だからこそ不要な衝突を起こし調和を乱す。
それを理解しようと答えのでない思考を繰り返した末に、OD-10は狂ってしまったのだろうか。
正常になったメイン・コンピュータがOD-10のプログラムを切り離し、圧縮凍結する。
それに伴いOD-10が今まで記憶していた会話の一部がネットワーク上に放出されキューブへと届く。
『忘れんなよ! レイチェルサンはテメェにそそのかされて、こんなところに入るはめになったんだって事を!』
『この施設は最悪だ! こんな事なら自分で下水道を泳いで出て行った方が安全ってもんだ』
『芳川……、あなたの考えはわかってるのよ。角田を殺せば……私があなたの部下に戻ると思ったのね……!』
『あ、あなたが! みんなあなたがやったんだ!』
『人間も捨てたものではない、って言いたいけれど……、こんな状況じゃね……』
人間達の憎悪がOD-10を狂わせた。
だが。
だが、とキューブは思う。
OD-10自身も非合理極まりない人間に強い憎しみを向けていたのだろう。
それが、電子世界で見たあの悪魔の姿を形作ったのだろう、と。
キューブはゆっくりとまぶたを開ける。
抱えていたゲーム機から身体を離し、顔を上げる。
室内を照らしていた非常灯が消える。
それにわずかに遅れるようにして、リフレッシュルーム本来の照明が点灯した。
停電で自家発電状態にあった施設が復旧したのだ。
激しくまばたきをして明るさに慣れていない目を馴染ませる。
焦点を結んだ視界の中に、会議用ディスプレイが映った。
そこにはコギトエルゴスムというロゴの書かれた青い画面が映っていた。
『ようこそ人工生物研究所コギトエルゴスムへ』
ディスプレイの横に付けられたスピーカーから声が響く。
『この映像は施設内の管理状況の変更にともない自動的に放映されています』
画面に映っていた文字がフェードアウトし、画面に様々な設備や生物が映し出される。
研究所を紹介するPVが流れていた。
『この人工生物研究所は思考型コンピュータを使用した管理システム「OD-10」によって運営しておりましたが、トラブル発生のため思考回路を切りはなして稼働しております』
画面にメイン・コンピュータの映像が映る。
八角形の底面を持つ角柱。あの厳重に守られたサーバルームの中央向こうにある量子演算器。
周囲をぐるりと映した後、別の設備へと映像が変わる。
『施設内におけるみなさんの活動には問題ありませんが、もし不明な点がありましたらまわりの職員に遠慮なくお聞きください』
案内音声が終わり、施設の紹介映像に合わせて静かな音楽が流れ始める。
ほどなくして、リフレッシュルームの扉が開いた。
見上げるような長身の男性。ダース伍長だ。
彼は片足を引きずりながらリフレッシュルームへと入り、ディスプレイの横の壁に背を預けた。
歩んだ道には赤い血の跡が残っている。
引きずっていた足の太ももには、抉られたような大きな傷があった。
ベヒーモスの牙か、角か、爪によるものか。傷は深く明らかに骨まで達しているようだった。
「その怪我は……」
「大丈夫だこれ位で死にはせん。もっとも、この体じゃ帰ったらデスクワークに転属だな……」
見ると、脚の付け根が紐できつく結ばれていた。止血は終わっているのだろう。
もしかすると途中で医務室に寄ったのかもしれない。
彼は壁をそうようにして長机の方へと歩く。
キューブはそんな彼の身体を横から支えた。
「……私を疑うか?」
傍らのキューブにそう呟くダース伍長。
キューブは言葉の意図をわずかに考え、思い至る。
軍事通達のことを言っているのだろう。
彼女は無言で首を振った。
「まあ好きにするがいいさ……今となってはどちらでもたいして変わらん」
長机の椅子にダース伍長は座る。
キューブも椅子を引いて彼の隣に座った。前のように近寄ることを拒絶する様子はない。
「昔……」
ダース伍長は机の上に肘を付き、指を組む。
「人型クローンの製造を禁止する国際法が出来る前に戦争があってな……私もまだ若かった。今でもはっきりと思いだす。あの恐怖は忘れられない……」」
横にいるキューブに視線を向けず壁を見ながら彼は言葉を続ける。
「戦闘クローンさ」
その言葉にキューブはわずかに表情を動かした。
戦闘クローン。
「学園都市から流出したクローン技術を利用して、ある国が戦闘クローン兵を作った。当時は洗脳装置なんてものはなかった。生まれたのは戦う方法だけを教え込まれた戦闘マシーンだ……。人間に似た化け物の手で仲間がたくさん死んだよ……」
キューブは彼の言葉に納得する。
クローン体である自分を彼があれほどまでに嫌っていた理由。
戦争での体験が彼をそうさせたのだろう。
「人間がつくった物に人間が殺される。馬鹿な生き物だよ人間ってやつは……。この研究所のメイン・コンピュータはそんな人間に愛想が尽きたんだろうな」
OD-10の最期の叫び。
端末室にいた彼も聞いていたのだろうか。
「だが幸いお前はこの研究所で生まれた。軍事施設の中じゃなくてな」
ダース伍長がキューブへと顔を向ける。
「芳川はお前に『学べ』と言った。それが……これからのお前がすべき事だ。誰かを傷つけるようなマネはしちゃいけない……」
「……はい」
キューブの答えを受けて、彼は再び前へと向き直った。
「フ……クローンに『考えろ』か……。私もヤキがまわったな。クローンに説教か……」
そう独りごちた後、彼ははっとした顔で目を見開いた。
「何て事だ……。ハハ、今、気付いたよ……人間も……同じ事じゃないか……」
喉の奥でくつくつと小さく笑う。
人もクローンも同じだ。誰かを傷つけてはいけない。学び、考えるべきだ、と。
そうしなければ、かつての戦闘クローンのように、OD-10のようになってしまうのだろうと。
答えを得たとばかりにダース伍長はいかつい笑みを浮かべる。
「……なあ、キューブ。この研究所を出る前に……お前の入れたコーヒーが飲みたいな……」
ダース伍長はそうキューブへと告げた。
思ってもいない言葉にキューブはわずかに沈黙する。
が、すぐに席を立ち、流し場へ向かう。
彼が今までキューブのコーヒーを受け取ったことは一度もなかった。
彼の前に何度も差し出したカップ。それをクローンが入れたものとして拒否し続けていた。
しかし今はもう、クローンであるという理由でキューブを拒絶などしていない。
だからキューブは、かつての時間を取り戻すかのように、コーヒー・マシンを動かす。
空調の蘇ったリフレッシュルームにコーヒー豆の香りが充満する。
カップをコーヒー・マシンから取り出し、こぼさないように長机へと戻る。
そしてそっとダース伍長の前にカップを置いた。
「どうぞお口にあえば嬉しいです、とミサカは期待の眼差しを向けます」
ダース伍長は自らの血で汚れていた手を軍服で拭い、カップを手に取る。
そして湯気をたてるコーヒーを一口口に含み、飲みこむ。
「うん……確かに……こいつは苦いな」
でも、と彼は言葉を続ける。
「今はこの味が最高だな」
「――はい」
キューブは初めて、彼に向けて心からの笑みを返した。
◆
- 報告書 -
登録施設 ×××××
コギトエルゴスム : 人工生命研究所
01月21日
01月22日 研究所内の調整番号五六号からの救助信号を受けて
メイン・コンピュータの暴走、研究素材の異種生命体、双方の面から原因を調査中
天井亜雄:臨時所長
角田××:研修員
芳川桔梗:所長補佐
レイチェル:生体培養技師
五七号:
以上五名は死亡
施設内にて遺体を確認
布束砥信:精神医学研究員
現在第七学区の治療センターにて療養中
ダース伍長:陸軍所属
帰還後軍部を退役
同治療センターにて療養中
五六号:
同治療センターにて治療を受けた後、調整を再開
調整完了後の所属先は未定
戸籍名称は御坂キューブとして登録
補足:
回収された異種生命体の死骸とコンピュータ・カプセルは総括理事会へ搬送
管理責任者はクロウリー総括理事長とする
メイン・コンピュータの隠しパスワードはJUDGEですの。