四月も終わりに近づいてきたある日の放課後。
佐天が晩ご飯の献立を考えながら校舎の廊下を歩いていると、違う学校の制服を着た女子学生が廊下の向こうからやってくるのが眼に入った。
見覚えのある制服。常盤台中学のブレザー服だ。そしてそれを着る女子生徒にも見覚えがあった。
「あれ、常盤台の
「あら、貴女は確かあの公園の……」
白井黒子。
自然公園の友人である御坂美琴の後輩だ。
会話はしたことがないが、美琴をつきまとう姿やアキラと削板の喧嘩の仲裁に入って吹き飛ばされる姿を何度か見てきた。
彼女の足下を見ると、柵川中共通の上履きではなく、外来者用のスリッパを履いていた。
「うちの学校に何か用かな? 職員室か風紀委員の支部なら案内するよ」
「風紀委員室なら大丈夫ですの。ちょっと人探しを」
「人捜し! 最近話題の連続爆破事件の犯人が柵川に!」
わーっ、と何故か眼を輝かせる佐天の言葉に、白井は首を振る。
白井が言ったのは人捜しではなく人探しだ。
「今日からこちらの支部を放課後にお借りすることになりましたの。それで、新しく風紀委員になった方とバディを組むことになったのですが、その方がまだいらしてなくて……」
白井の言葉をはーっと聞いていた佐天は、新しい風紀委員という単語にふと引っかかりを覚えた。
「探してる人って初春飾利って名前?」
「ええ。お知り合いですの?」
「クラスメイト。今教室の掃除中のはずだから案内しようか?」
「それじゃあお願いしますの」
白井の返事に、佐天はぶんぶんとスクールバッグを振りながらくるりと反転する。
ちょうど教室から玄関へ向かおうとしていたところだ。来た道を引き返せば良い。
二人並んで廊下を進んでいると白井が訊ねてくる。
「そういえば名前をお聞きしていませんでしたわ」
「あたし? 佐天涙子。白井さんと同じ一年生」
「お姉様とはどういうご関係ですの?」
「お姉様?」
「……美琴先輩ですの」
お姉様。先輩のことをお姉様と呼んでいるのか、と佐天は苦笑した。
確かに常盤台中学はお嬢様学校で、美琴は学園都市に八人しかいない
「友達、かなぁ? 知り合ったのは去年の夏頃かな」
佐天はそんな曖昧な答えを返す。
美琴とは公園で世間話を交わしたりするが他の場所で会うわけではない、そんな関係だ。
「白井さんは何で初春と? 風紀委員って一つの学校に一個ずつ支部あったよね?」
「わたくしの寮は学舎の園の外部にありますの。ですので放課後や休日は寮に近いこちらを拠点にと」
「あー、あそこの寮かぁ。確かに常盤台からはずいぶん離れてるよね」
「少しでも社会に触れるようにという触れ込みですけれど、寮の方々が利用するのはもっぱら学バスで、学舎の園の外には怖がって出たがらない方が多いですわね」
と、この四月からの一ヶ月間で見知った常盤台の現状に白井はため息をつく。
「世間知らずのお嬢様達の集まりという外の方々のイメージも間違っていませんわ」
「御坂さん見てるとそうは思わないけどなぁ」
「美琴先輩は特殊例ですの」
そこがいいのですけれど、と言う白井の言葉を聞きながら佐天は教室の前で立ち止まる。
見慣れない常盤台の制服が廊下を行く生徒達の注目を集めるが、佐天は気にせず教室の扉を開けた。
教室では学園都市製の掃除器具を手にした生徒達が教室の清掃を行っている。
本来なら校内の掃除など専用のロボットに任せておけばいいものだが、生徒達に自分の教室を掃除させるのが柵川中の教育方針であった。
佐天は教室の奥へと進み、手に持っていたスクールバッグを床に置く。そして、
「うーいっはるー!」
掃除機でゴミを吸い取っていた初春のスカートを両手でめくり上げた。
佐天の声に、掃除中の生徒達が振り返る。
「なっなっなんっ!? 佐天さん!? 帰ったんじゃなかったんですか!?」
「うーん、白の綿パン。セブンスミストのバーゲン品かな」
「バーゲン品かな、じゃありませんよ!」
慌ててスカートを押さえる初春だが、男子生徒の視線を感じて顔を真っ赤に染めた。
白井は教室の入り口でそれを呆然とした顔で見つめていた。
◆
「なんで佐天さんが付いてきてるんですか」
「いやー、そんな怒らないでごめんごめん」
掃除を終えて
だが佐天には悪びれた様子もなく表情に笑みが漏れていた。
「仲が宜しいのですね」
という白井の言葉に、「でしょー?」と佐天が笑う。初春はむくれた表情のままだ。
「これから行くのは風紀委員専用の部屋なんですよ佐天さん」
「うん、一度入ってみたかったんだ」
佐天の言葉に初春はため息をつく。
こういうときの佐天は何を言っても無駄だとこの数週間での付き合いで解っていた。
初春、佐天、白井は放課後の生徒達であふれかえる廊下を歩く。
そして校舎の外れ、重たい金属の扉の前で足を止めた。
『風紀委員活動第一七七支部』
盾のシンボルの横にそう書かれたプレートが取り付けられている。
初春は扉の横にある個人認証用のパネルの上に手の平を載せた。
このパネル一つで指紋、静脈、指先の微振動パターンを一度にチェックできる。
風紀委員に与えられている権限は大きいため、例えこの学校の教師であっても無断でこの部屋に立ち入ることはできない。
扉からロックの外れる音が鳴り、初春は扉を軽く手で押す。
すると、重たい金属の扉は空気圧のエアーの音と共に横にスライドしていった。
そんな厳重なセキュリティを見た佐天の感想は。
「これ、停電になると中の人閉じ込められるよね」
そんな身も蓋もないものだった。
「あ、そう言われてみればそうですよねー。地震とかで歪んだら大変です」
「わたくしの能力は
白井は四月に入ってようやく自身を転移させることができるようになった。
「便利そうですよねー、空間転移って」
部屋の中に入り、綺麗に並んだビジネスデスクの自席の椅子を引きながら初春が言う。
それに対し白井は。
「そういう初春さんこそ、能力用の専用機器を本部から支給されたと聞きますけれど」
と、近くにあった椅子に座りながら言った。
その言葉に、オフィスの一室のような支部の内装を見渡していた佐天が反応した。
「専用機器? そういえば初春の能力ってどんなの?」
「えっと、私のは『
「温度かー。便利そうじゃん」
「まず触らなくちゃいけないので、熱いものとか冷たいものを対象にできないんですよ。常温のものを常温に保てても何の役にも立たないと思っていたんですが……」
「そこで支給された専用機器ですわね」
「はい、これです」
そう言いながら初春はデスクの上に置かれていた奇妙な形のPCを手に取った。
何十年も前に使われていたような分厚いノートPC。側面には左右それぞれぽっかりと穴が開いている。
無骨な天板には大きく壽と文字が彫られていた。
「長点上機の教員の方が開発した演算処理能力がすごい高いパソコンで、本来なら巨大な冷却装置が必要なんです。私の能力を使えばどれだけ高負荷をかけても『温度が上がらない』のでこのサイズに収まったらしいです」
そう説明しながら初春がノートPCの天板を開ける。
そこには本来あるはずのキーボードが存在しなかった。側面の穴は手を差し込むための穴で、キーボードは穴の内部に存在する。
「操作中は手を離せないのが欠点ですねー」
そう説明する初春の言葉に、佐天はなにやらうーんと考え込んだ。
「長点上機……壽……。初春もしかしてさ、それ作ったの藤兵衛って人?」
「そうですけど……お知り合いですか?」
「いやー、知り合いの
「ええっ、
驚く初春に、佐天と白井は苦笑する。
そして白井がこう告げた。
「なんと言いますか……世間は以外と狭いですわね?」
◆
「初春ー。明日からゴールデンウィークだよー。どこか遊びに行こうじぇー」
佐天は支部に用意されていた『人間工学的に疲れない椅子』に座りながらそう暇そうに言った。
「うーん、行きたいのは山々なんですけど、連続爆破事件の捜査がありますからね……」
ノートPCに手を差し込みながら初春が言う。
「正確には連続
そう初春の言葉に続いたのは白井だ。
「第七学区内で無差別に爆破を繰り返してますの。仕組みはアルミを基点にした
「事件の発生場所のパターン解析もしてるんですが、今のところ規則性も見つからないですね」
そんな二人の説明を興味なさそうに聞いていた佐天はつぶやく。
「それって
「本来ならそうなんですけど、ゴールデンウィーク前の警備体制で人手不足らしくて。爆破事件の対処で警備員の方五人も負傷しているらしいですし」
「警備員を狙った犯行だったりして」
「重力子が観測されてから現場に向かった人が負傷してるので、その線も薄いと思います」
「じゃあ本当に無差別かー。明日せっかくショッピングモールのお祭りなのに出歩くの怖いなー」
自分に割り当てられたPCを操作しながらそんな会話を聞いていた白井は、別の点を考える。
犯人が何を狙っているかではなく、犯人が誰であるかと。
「初春さん、『
「あ、はい、今送りますね。量子加速で爆弾を作れる強い能力者は一人だけです」
白井の操作する画面にデータが転送されてくる。
『書庫』に登録された学生の能力データだ。
初春が算出した爆破の威力から見て、該当する強い能力を持った人物はこれ一人だ。
能力からすればこの釧路という人物が容疑者なのだが。
「彼女、四日前に病院へ搬送されています。今は原因不明の昏睡状態みたいですね。爆破事件は昨日も起こっていますからこの人じゃないってことになります」
「となると該当能力者はなし……。『書庫』に登録されない短期間で急激に能力を上げた能力者か、重力子の加速を人工的に行える新技術を使用しているか……」
「え、新技術とかあるの?」
椅子にだらりと沈み込んでいた佐天が驚いたように言った。
「能力でできることは科学で再現できてもおかしくありませんの。そもそも能力者という存在自体が技術研究の副産物のようなものですから」
学園都市は一八〇万人の学生の能力開発を行っているため、内外の人々に勘違いされがちだが、学園都市の目的は超能力者を生み出すことではない。
本来の目的は科学で世界の真理を解き明かすことであり、超能力者を開発しているのも『|人間の限界を越えることで神の領域にある真理を解き明かす《SYSTEM》』ためだ。
神の領域に達した
能力者が使う能力とは『可能性の観測』だ。その場で起こりうる0%に限りなく近くそれでいて0%ではない確率を100%に変えるもの。故に、能力が引き起こす現象は全て物理法則の枠組みを超えることはない。
つまり能力が現実に作用している現象を解明できれば、それを科学技術で再現することができるということになる。
白井の使う十一次元ベクトルを用いた空間移動も、実用化さえできれば人類は機械で空間転移することができるようになるのだ。
と、そんな説明を白井から受ける佐天だが、その辺りのことは佐天も知っている。
「遠隔で重力子を加速させる装置なんて、いくら学園都市でも現実的なサイズで作れないんじゃないかなー? アルミに直接取り付けて爆発させるなら装置の破片がそこらへんに散らばってばればれだろうし」
「確かにそうですわね。だとすると同系統の能力者が短期間で能力を上げたことになりますの」
「前回の
初春の言葉に、白井がうむむと考え込む。
それに続けて初春が再び言った。
「ただ、事件の被害規模って段々大きくなっていってるんですよね。『本来ならあり得ない伸び値』を当てはめれば何人か絞り込めるかもしれないですよ」
「あり得ない伸び値、ですの」
「それこそ能力開発の新技術があるんじゃないですか?」
そんなことを冗談のように笑って言う初春に、椅子から立ち上がった佐天がぴっと人差し指を伸ばして言った。
「あくまで噂なんだけどさ」
そう前置きして、にやりと笑う。
「能力の
その言葉にうさんくさげに初春が佐天を見るが、白井は何かを考え込むように顎に手を当てる。
そして、真面目な顔で初春へと告げた。
「初春さん、そのあり得ない伸び値でやってみてくださいな」
「冗談だったんですけど、良いんですか?」
「二ヶ月前の喫茶店での武装能力者集団の件、覚えていますわよね」
「え、あ、はい」
「あれで捕まった二人、『書庫』の能力データより強い能力を使っていたらしいんですの」
その言葉に、初春も真面目な顔でPCの画面へと向き直った。
急に途切れた会話に、佐天は一人取り残されたように立ちすくんだ。
そして元の椅子へと座り、呟く。
「……え? 『