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個人ファイル ダイアリー
シノブ ヌノタバ ヨリ バッスイ
11 ガツ 28 ニチ
素体056 フェーズ07完了.
テロメア構造をテスト.
結果はまずまずといったところ.
12 ガツ 12 ニチ
素体057でデータを集める.
電脳抽象化システムが固まった.
仮想人格によるストレステストは,
おおむね成功.
01 ガツ 01 ニチ
囚人でも年末年始の食事が
豪華になるというのは本当だったようだ.
01 ガツ 02 ニチ
学習装置の再調整開始.
長点上機からの情報通信で読んだ,
最新の回路が欲しい.
とりあえず施設内のパーツで頑張る.
01 ガツ 20 ニチ
ようやく素体056の身体調整が完了した.
研究所内の見回りの後,
学習装置へ素体を設置する.
さきほど所長がのぞきにきた.
正式な刑期が決まるまであと1週間だ.
明日他の5人とミーティングをする.
それまでにはなんとか動かしたい.
3.
御坂キューブと己を命名した少女の言葉に、布束は何も返すことができなかった。
布束は困惑していた。
目の前にいる少女はクローン人間だ。
培養調整された肉体に、機械で電気的に知識と記憶を埋め込んだだけの人工生命。
見た目は十三歳の少女でも、十三年分の精神的な習熟は存在しない。
幼少の頃より生物学的精神医学に携わってきたからこそ、これが人に似ているだけの造り物でしかないと解っている。
だからこそ布束はこの研究所にいる。
殺すための『人間』を造っていたという自覚を持ってしまったがために、調整に再参入するのを拒み減刑を受けなかった研究者達は多くいた。
だが布束には人間を造り出したという罪悪感もなければ、自分の参加した
刑期を研究所で過ごせるなら、これほど良い条件はない。中止された
そう思っていた。
だが、目の前にいるクローン人間のとった行動は布束の思考を乱した。
自分を母と呼び、自分の与えた名を個性として手放さない。
別にこれが彼女の理解の範疇を超えているわけではない。
限りなく人に近づくように記憶を入力したのは他でもない布束自身だ。人と似た反応を示すのは当然のことだ。
しかし、実際に人のような見た目で人のような行動を取る様を見てしまった布束には、造り物でしかないという理解に迷いが生まれてしまった。
御坂夫妻が主張する通り彼女たちは人であり、己が軽々しく造りだして良い存在ではなかったのではないか。
布束の心に恐怖とも後悔とも歓喜とも思える感情が去来し、キューブに対しなんと答えて良いのか解らなくなった。
沈黙が続くこと十秒あまり。
時間切れ、とでも言うかのようにメインコンピュータの端末から電子音が響いた。
ゲームセンターの筐体のような特徴的な形をした端末。
メインコンピュータと言われているが実際は研究員達が使うための子機であり、本体は冷房の効いたサーバルームに安置されている。
IDヲ ハッコウシマシタ
A.I.の案内音声と共に、端末のスリットからIDカードがはき出された。
思考を打ち切った布束はカードを引き抜き、内容を確認する。
名前、種別、管理番号が書かれており、顔写真をプリントする四角い枠には何も印刷されていない。
誤りがないのを確認すると、白衣のポケットからネックストラップのついたカードホルダーを取り出し、IDカードを納めた。
「はい、首にかけて」
カードホルダーを受け取ったキューブは、言われたままにネックストラップを頭に通し胸の下にカードをぶら下げた。
だが。
「ああもう、後ろ向いて」
キューブは不格好にもストラップを髪の上にかけていた。
肩をつかんで後ろを向かせた布束は、股下まで伸びきっている後ろ髪を持ち上げストラップから抜く。
そしてまた正面を向かせてストラップが綺麗にかかっているかを確認した。
その間中、キューブはカードホルダーに入ったIDカードを両手で掴みじっと見つめていた。
表情のないその顔からは、何を思っているのか布束には読み取れない。
「そのカードは常に携帯するように」
カードを見ているキューブに布束は説明を始める。
「個人の部屋はひとつずつ安全管理を行なっているのだけれど、どの部屋にもドアの左に入退室管理用のパネルがあるわ。もし入れるようになったときはドアの前でカードの認証を求められるの」
言葉を続けながら布束は自分の首にかかっているカードホルダーを手に取る。
『ヌノタバ シノブ』と書かれたカードに長点上機学園の制服を着た彼女の顔写真が貼ってある。写真データは学園の名簿の流用だ。
「ちょうどこの写真の下に認証チップが入ってるわ。もし能力を使用するときがあったらカードの破損に気をつけて。耐電ケースに入れたから少しくらいなら問題ないけれど……」
「身分証明証の類は大抵再発行が面倒だ、とミサカは予備知識を披露します」
「
シスターズは元々はオリジナルと同一の素体を作ることが目的のクローンであり、培養成長による個体差があるとはいえDNAレベルでの個体差が存在しない。
全てオリジナルの御坂美琴と同じ年齢でロールアウトされるため、一卵性双生児以上に似通った姉妹が約百名ほど
「二人しかこの施設にいないのですか、とミサカは生産効率の悪さを指摘します」
「細胞やDNAに手を加えることなく『個性』を一人ひとり出すため、というのが建前」
布束の物言いに、建前ですかとキューブが聞き返す。
「
一通り説明したところで布束は自分はどうなのだろう、と考えた。
学習機械の監修という形でクローン体を作る
クローンを作るという国際法上の刑罰は明確で解りやすい。だが、生み出されたクローン達から研究者を見たとき、彼女達はそこに罪を見いだすのだろうか。
「……そういう事情をミサカに教えても良いものなのでしょうか、とミサカは大人の事情を読み取ります」
「
布束の言葉に、キューブは目を閉じて沈黙する。
何かを考えているのか。ネットワークを通じて会話をしているのか。
読心能力を持たない布束には解らない。
そして。
「ミサカは――」
目を開いたキューブは何かを言いかけて、止まった。
やがて一呼吸入れて再び言葉を続ける。
「個性を出すためという建前が本当に建前でなければ良い、とミサカは素直な気持ちを打ち明けます」
「……そう」
キューブの言葉を聞いて、布束は思考を打ち切った。
キューブとどのような距離感を取っていけばいいか解らない。キューブに自分がどう思われているのか解らない。キューブが人なのか造り物なのか解らない。
けれども、キューブに何かを求めるべきではない、と布束は答えを保留にする。
「見ただけで貴女だと解るように、まずは見た目から個性を出しましょう」
なぜなら彼女はキューブに与える側の存在なのだから。
4.
「やっぱりばっさり切っちゃうのは勿体ないと思うのよ」
理容鋏片手にそうキューブに告げたのは、二十歳半ばの眼鏡の女性研究員だ。
場所は研究所の
定期ミーティングのためにキューブを連れてこの部屋を訪れた布束は、この女性研究員、
キューブの髪は伸びに伸びきっている。
生まれてからずっと伸び続けた髪、というわけではない。寿命を延ばすための調整でキューブは培養器の中で一度丸禿になったことがある。
シスターズは
過度の投薬と細胞分裂により寿命がきわめて短いクローンであり、そして
この研究所で調整を受けている五六号と五七号は『完成後の一切の調整が不要な個体』をコンセプトに、この三ヶ月間体細胞の入れ替えを行われていた。
よってこの髪の毛も研究者達の手によって健康的に促成成長された新しい細胞で出来ている。
「キューブは個性重視で行きたいんだよね?」
櫛でキューブの長い髪を梳かしながらキューブに角田が問う。
御坂キューブという名を聞いてそれはないだろうと言った角田だったが、キューブ自身の「センスは最悪ですが気に入っています」という言葉に渋々納得し彼女を名で呼んでいる。
「個性と言っても盛り髪などの奇抜なものではありません、とミサカは予防線を張っておきました」
答えるミサカは椅子に座って散髪用のケープを身につけていた。
研究所内に美容室などというものはなく、研究者達は囚人である身の上から外に連れて行くということもできない。
実のところ、研究員達は調整計画のためにこの研究所に入所してから一歩も外に出ていない。
出入り口は厳重に塞がれ窓も隔壁が降りている。
生活するための物資は多重の扉を通って無人コンテナで送られてくる。
実験用の人工の動物を作るための研究所であるため、
ここはすでに研究所という名の監獄と化していた。
そんな研究囚人生活を送るうちに理容の技を身につけてしまったのが、この角田だった。
最年少の研究員は高校生である布束だが、研究者としての業績によるカーストが暗黙のうちにできあがっており、角田は最下層に鎮座していた。
「
言いながらも角田は鋏を動かしキューブの前髪を整えていく。
布束は右手で自分の髪をいじりながらキューブ達の様子を眺めている。
布束は癖の強い天然パーマだ。布束の好むゴスロリ衣装にこの髪質は合わないので、彼女は自分の髪が好きではなかった。
角田に言わせるとこれもまた良いとのことだが。
「ここは清楚路線で長さを活かした三つ編みでいこうか!」
そうキューブに角田が言うと、部屋の隅から異議が唱えられた。
「それはあんたが三つ編み好きなだけでしょうが」
言葉を発したのは部屋に置かれているゲーム機で一人ゲームをしていた外国人の研究者だ。
天然のブロンドを頭の上でまとめあげ、黒いニットのヘアバンドで頭を被っている三十歳ほどの眼鏡の女性研究員。
レイチェルさんでしたか、とキューブは部屋に入ったときの自己紹介を思い出す。
ミーティングがあるとのことで、キューブ達がリフレッシュルームについたときには研究所にいる所長以外のメンバーがすでに集まっていた。
ゲームで遊んでいたのが角田とレイチェル。
文庫本を読んでいる二十代後半の女性が芳川研究員。
部屋の壁に一人佇んでいるのが学園都市の軍部所属のダース伍長。女性ばかりの集まる部屋で一人異彩を放つ厳つい口髭の軍人だ。
彼は
ミーティングの時間までまだ時間があるらしく、各々が適当にくつろいでいた。
だからといってまさか散髪を始めるとは、とキューブはインプットされたばかりの自分の常識を疑った。
「じゃあ長さは変えずに前髪整えて梳いていこうかー」
レイチェルの言葉をスルーした角田が梳きバサミでキューブの髪を削っていく。
足下へと落ちる髪の毛は部屋を走る円盤状の掃除ロボットが吸い込んでいく。
数分としないうちに横に広がっていたキューブの髪はすっきりと整えられていった。
「ずいぶんと手慣れていますね、とミサカは驚きを露わにします」
「身の回りのことは自分たちでやらなくちゃいけないからね」
手を止めてレイチェルが答える。
「立場上はまだ囚人じゃないのに、どう見ても研究員としての扱いじゃないのよ」
そういって角田はキューブに自分の髪の毛を見せる。
綺麗にセットされた茶色の三つ編み。だがその色は染色であることが解る。
髪の生え際から数センチが黒髪なのだ。この研究所に入ってからカラーリングを行っていない証拠だった。
「せめて黒染めが欲しいのに、ヘアカラーは贅沢品だって支給してもらえないの……。その点キューブはすごい天然の茶髪よね」
再びヘアカットを開始した角田が会話を続ける。
「
「超電磁砲、ですか……」
「そ、貴女達のオリジナル素体、言ってみればお姉さま?」
「お姉さま……」
櫛が前髪を通り、キューブは目を閉じる。
髪を撫でる心地の良い感触に身を任せながら、キューブはミサカネットワークに語りかけた。
稼働中の
従来の予定通り百名を越えるようになれば記憶の常時共有も容易になり、異なる個人でありながら一個体であるという群体にもなれるだろう。が、今はまだ高い性能は発揮していない。
出来るのは重要な記憶のバックアップ、並列共有記憶野へのアクセス、リアルタイムの情報交換、余剰領域による演算、そして
『お姉さまにお会いしたことはありますか?』
キューブは脳波による念話を使い妹達へ問いかけた。
五十名それぞれから返ってきた答えは、否。
共有記憶野にお父さまとお母さまとの対面があるので参照すべし、との言葉にキューブは従う。
事前に入力されている常識から外れた、年齢と外見が噛み合っていない若い母親の言葉より、美琴はまだ気持ちの整理が付いていないので顔を合わせられない、という記憶を得た。
『――お姉さまの髪型はどのようなものなのでしょうか、とミサカは散髪を受けながらお姉さまへの興味を示します』
すると、若い番号の
『ミサカはお姉さまと同じ髪型をしているらしいです、とミサカは一号目としての類似性を主張します』
鏡の前でエプロン姿でピースをした御坂ファーストの視覚情報が届く。
『なにしてンだお前ェ』という特徴的な発音をした声も聴覚情報として届くが、ファーストは既に『外』での活動を開始しているらしい。
『切らずに長い三つ編みにするのは清楚路線で個性的でしょうか、とミサカはアマチュア理容師の言葉を確認します』
キューブの問いに、ミサカ達の半数が答えた。
切らなきゃよかった、と。