それぞれの目線   作:ルーラー

3 / 6
【紗鳥 それさえも貴き日々で】

「はぁ……」

 

 その日の僕は自室の床に寝転がって、ため息ばかりをついていた。

 なぜか『死にてぇ』という言葉は口から出てこない。まあ、当然だ。別に理不尽なことがあったわけではないのだから。

 というかむしろ、今日は僕の周囲にいるもっとも理不尽な人がこの地を離れる日なのだ。《死のメール事件》などのようにあの人に振り回されることがなくなると、決定づけられる日なのだ。それのどこに理不尽なんて感じる余地があるだろう。

 

 ああ――でも。

 

 寂しいと思う感情は消えない。

 

 『どうして』と疑問を抱かずにはいられない。

 

 どうしてあの人はこの地を離れるのだろう。そりゃ、この地にいるより上京したほうが色々と人生設計しやすいのは分かってる。

 

 それでも。

 

 あとからあとから()いてくるのだ。

 あの人にとってこそ理不尽な、僕の疑問が。

 

 『どうして』と。

 

 なんで地元の高校を選ばなかったのだろう、と。

 

 あるいは――僕は、本当はあの人にとって、とても瑣末(さまつ)な存在だったのではないか。

 そんな考えが頭の片隅をよぎる。

 

 もちろん僕だって、あの人にとって自分が特別な存在だったなんて思わない。そんな自惚れを抱くほど、僕は自信過剰じゃない。

 

 でも、僕は確かにいつもあの人の近くにいて、あの人もいつも僕の近くにいて。

 それだけは変わらない事実で。

 

 だから――なのだろう。

 

「はぁ……」

 

 『死にてぇ』とは続かない。なのに今、その感情は確かにあって。

 その感情は……そう。極論してしまえば、『裏切られた』とかそういう思考の果てに行き着くもので。

 そんな自分勝手な感情に僕は、

 

「ああもう、死にてぇ……」

 

 ようやくその言葉を口にした。

 すると少し――ほんの少しだけだけど気持ちが軽くなって、身を起こして窓の外を見る。

 

 窓の外ではいつもと変わらず、雪が踊るように舞い散っていた。

 

 まるで、遠く離れていく人を祝福する桜吹雪のように。

 

 あるいは、別れを幻想的なものにするかのように。

 

 ただ静かに――音もなく雪は空から舞い降りてくる。

 

 僕はそれを見ながら立ち上がった。

 

「やっぱり、今日会っておかなきゃ後悔するよな。絶対」

 

 後悔するのだけはごめんだった。僕の自殺志願は、だからこそなのだから。

 

「……行くか」

 

 呟いて僕は部屋を出た。

 もう、当分は会えないであろうあの人――先輩の家に向かうために。

 

 ふと、今から半年ほど前にあった、とある事件――と呼ぶには少々大げさなある出来事が回想された。

 『遠藤(えんどう)やよい監禁餓死殺人事件』に多少なりとも関わったときのことが――。

 

 

 

 

 その日は珍しく先輩の他に陽慈(ようじ)とも路地を歩いていた。

 先輩は陽慈がいると少々口数が少なくなる傾向があり、自然、言葉をかわしているのは僕と陽慈だった。

 僕と陽慈が雑談をし、先輩が無言で僕の隣を歩いていると、ふと、前方の家で警察官がたむろしている光景が目に入ってきた。

 

「なんか、あったのかな?」

 

「……いや、オレにはなんとも」

 

 僕だって別に陽慈に回答を求めてはいない。ただなんとなく口に出してみただけである。

 

「あそこって、遠藤さんちだよね?」

 

 決して親交が深いわけではない。ここは僕の家の近くなので、とりあえず覚えていたというだけのことだった。

 で、僕の家に近いということは当然、陽慈の家にも近いわけなんだけれど。

 

「そうだったっけ?」

 

 …………。

 どうやら陽慈はご近所さんのことも覚えていなかったらしい。やれやれ。

 

「陽慈っていつもそうだよね」

 

「おい、いつもってどういう意味だよ!?」

 

「べっつにぃ」

 

「なんかムカつくな! オイ!」

 

 と、僕と陽慈がそんなことをやっていると、

 

「あれ、先輩。どこ行くんです?」

 

 先輩が遠藤さんちに向かってズンズンと歩き出していた。

 

「うむ。ちょっと警官と世間話をしてくる」

 

 うーん……。警官と世間話って……。相変わらず変わった人だ、本当に。

 僕は「はぁ」とだけ返すと陽慈に向き直る。

 

「ほら、夫婦揃って絵描きをやってる家だよ。遠藤さんちは」

 

「絵描き……?」

 

「思い出した?」

 

「……いや」

 

 思わず僕は嘆息した。

 

「ほら、ここ二~三ヶ月、ちょっと騒がれただろ? 旦那さんと奥さんがちょっとケンカして、なぜか旦那さんのほうが家を出て行っちゃってさ。絵を描くために青森のほうに行ってたって話だけど」

 

「別にケンカくらい、珍しいことでもないだろう?」

 

「いやまあ、確かにそうなんだけど、ほら、遠藤さんちっておしどり夫婦って言われてただろ? だからちょっと意外で。それに騒がれた理由はもっと別のところにあってさ――」

 

「あ、ああ! そういや遠藤さんちのだったかは知らないけど、旦那さんが帰ってくるまで断食してたっていう奥さんがいたな。そういや」

 

「それだよ。その人が遠藤さんちの奥さん」

 

 これが騒ぎにならずして一体なにが騒ぎになるだろうか。

 ちなみにその奥さん――遠藤やよいさんはまだ若く、結構な美人で物静かな人なのだけれど、変なところでいじっぱりというか――意志が強い人だった。

 

 いや、実際意志強くないと出来ないって、断食なんて。ダイエットのためってわけでもないようなんだから。少なくとも僕には絶対出来ないな。断食。

 

 そして、騒ぎはそれだけじゃ収まらなかった。やよいさんは今から約三週間にまた旦那さんとケンカして、今度はなんと頭を殴られたらしく、一度病院に行っていたりする。しかも旦那さんはまたも逃げるように青森に行っていたというおまけつき。

 

「そんなんでよくおしどり夫婦なんて呼ばれてたもんだ」

 

 僕の説明を聞いた陽慈の感想はそういったものだった。ただ、

 

「でも二人とも、基本的には仲がすごくよかったそうなんだよ。ここのところ多少ケンカが多かったのは、なんでもやよいさんの絵のほうが旦那さんの晃一(こういち)さんのものより評価が高かったからなんだってさ。

 それにそもそも、ケンカしても晃一さんは冷静になるとすぐに家に帰ってきて謝っていたから、あとあとこじれてもいないんだよ」

 

「ふうん」

 

 陽慈が気のない相づちを打つ。

 これで遠藤夫妻に関する話は終わり。僕がそう思ったとき、警官と世間話に興じていた先輩が戻ってきた。

 

「待たせたな、後輩。さあ、さっさと行くぞ」

 

 言ってなぜか少しペースをあげて歩く先輩。

 

「お、おい。ちょっと待てよ、紗鳥(さとり)。一体警官となに話してたんだ?」

 

 陽慈の言葉に、しかし先輩はタメるようにしばし無言で歩き、遠藤さんちが視界に入らなくなった辺りでようやくこちらを肩越しに振り向いた。

 

「それはだな――と、後輩。お前は興味ないのか?」

 

「いえ。なくはないですけど……」

 

 正直、どうでもよくはあった。

 しかし、もちろん先輩に僕の心が読めるはずもなく、再び前へ歩を進めながら口を開いた。……いや、読めていたけど敢えて無視した、という可能性もあるか。

 ともあれ、先輩は語る。

 

「まあ、一言で言うならあの家で起こった殺人事件のことを上手く誘導しながら訊き出した、といったところだ」

 

『殺人事件!?』

 

 思わず発した僕と陽慈の驚きの声が重なった。

 先輩は平然としたものだ。

 

「そう。殺人事件。なんでも遠藤やよいがトイレで餓死したらしい」

 

『……殺人事件?』

 

 またもハモる僕と陽慈のセリフ。いやだって、餓死って……。

 

「事実、殺人事件らしいんだ。なにしろトイレの前には小型の冷蔵庫やらなんやらが積み上げられていて、トイレからは出られなくなっていたらしい。その状況では何かを食べたくとも食べられないだろう?

 それにトイレに続く床には冷蔵庫やらを引きずった、いかにもな跡がついているんだそうだ。ちなみに、トイレにあったトイレットペーパーはほとんど使われた痕跡がなかったらしい」

 

 振り返らずに先輩は淡々と続ける。

 

「容疑者はやよいの夫の遠藤晃一。動機は、まあ、ありがちだが遺産だな。かなりの額にのぼるらしい。ここのところ何度かケンカもあったそうだし、外部からの侵入の形跡もないため、遠藤晃一以外の容疑者は考えられないそうだ。ただ、遠藤晃一には当然ながらアリバイがあってな」

 

 うわ。お約束。

 

「やよいは死体の状況から見て、約十日前に餓死したということなんだが、晃一は今から三週間ほど前から昨日の午前中まで青森に居たらしい。帰ってきたのは昨夜遅く。なんでも立て続けにケンカしたものだから、帰ってきづらかったそうだ。

 ともあれ、十日も前からやよいをトイレに閉じ込めておくことはどうしても不可能というわけだ」

 

 つまり、晃一さんは犯人にはなりえない。完全なアリバイだ。

 まあ、この先輩のことだから、そのアリバイを作った方法まで見抜いてはいるんだろうけど。

 

「ちなみに、被害者であるやよいのほうにも説明しきれていない点がある。なんでも彼女と遠藤晃一は画家らしくてな。晃一が青森に行ったあとにやよいが描き始めたとされる絵があるそうだ。描きかけで完成はしていないそうだがな。

 だが完成していなくとも、その絵をその段階まで完成させるにはどれだけ少なく見積もっても十五日ほどかかるらしい」

 

 なるほど。その絵を描くために必要な日数の矛盾こそが晃一さん犯人説に結びつくのだろう。僕にはどう結びつけるのか想像もつかないけど、先輩ならそれくらいやってのけるに違いない。

 

「彼女は十日前に遠藤晃一以外の人間にトイレに閉じ込められたのだ、と仮定したとしてもだ。その絵の制作にかけられた日数はたったの五日。よって、やよいの描いていた絵はその段階まで描かれているはずがないということになる。だが事実、その絵にはどう見積もっても十五日以上の時間がかけられていたことになるんだそうだ」

 

 と、ここで陽慈が口を挟んだ。

 

「なあ、紗鳥。その絵って本当にやよいさんが描いたものなのか? 彼女の画風を真似られる誰かが――そう。晃一さんが描いたって可能性だって――」

 

「それはないな。やよいの画風と晃一の画風は似ても似つかないらしい。ワープロで文章を打つのと違って、真似るのは相当に難しいだろう。

 それともうひとつ。晃一はかなりの小心者らしい。それこそ、人を殺してもそれを隠せずすぐに自首しそうな人間らしいんだ。少なくとも、妻をトイレに監禁して餓死させる、などという残忍な殺害方法は彼にはとれないだろう、とのことだ」

 

 確かにあの人はそういうタイプの人だ。別に臆病とかいうわけじゃなくて、自虐的(じぎゃくてき)というか、ある意味では優しいというか。――そう。人を苦しませてしまった場合、自分にそれ以上の苦しみを与えたがるタイプの人なのだ。他人を傷つけた自分を許せない人なのだ。

 そう考えてみると不思議になってくる。仮に晃一さんがやよいさんを殺したとして、だ。なんで彼は自首しないのだろう?

 

 やっぱり晃一さんは犯人ではないということなのだろうか?

 

 でも、だとしたら真犯人は一体誰なのか……?

 

 ついつい考え込んでしまっていた僕に先輩が声をかけてきた。

 

「どうだ、後輩。もうヒントは充分だろう。この事件の真相は分かったか?」

 

「え? いや、分かりませんよ。明らかにヒント足りませんって」

 

「そんなことはない。よく考えてみろ。遠藤晃一がどういう人間か、やよいがトイレに閉じ込められたのは一体いつ、誰によってだったのか、絵があの段階まで描かれたのはいつだったのか、トイレットペーパーはなぜ使われた痕跡がなかったのか。そして――ああ、そうだ。そういえば、遠藤夫妻は何ヶ月か前にもケンカをして、晃一は青森に行っていたらしいな。そしてやよいはそのとき、なぜだか断食していたそうだ。

 さて、これが最後のヒントだ。なぜやよいは断食をしていたのか。ダイエットするような体型でもないのに、だ。ほら、面倒くさそうな表情してないで少しは考えてみろ。人間はときに理屈では割り切れない行動をすることも忘れるなよ」

 

 僕はちょっと考えてみた。そして可能な限りひとつひとつに答えを出してみる。

 

 晃一さんはどういう人間か。これは簡単。よく言えば自分の罪を放ったらかしに出来ない人。悪く言えば自虐的な人。

 やよいさんがトイレに閉じ込められたのはいつか。また、誰によってなのか。これは――。

 

 あ、こんな推論はどうだろう。やよいさんは高速であの絵を描いた。しかし、さすがに五日では無理。よって、十四日かかったとする。これなら可能な気もするし。そしてトイレに閉じ込められたのは昨日。閉じ込められる前の九日間は絵を描くのにのめりこむあまり、ついつい食事を忘れてしまったんじゃないだろうか。ゲームやってたりすると、結構平気で食事抜かしたりするし。

 

 ああ、でもさすがに九日も食事抜くのはムリあるかな。大体、誰によってなのか、なんて、外部の人間以外には晃一さんしか考えられない。

 でも、晃一が帰ってきたのは昨日の夜。トイレに閉じ込める時間は――あると思う。

 

 絵があの段階まで描かれたのはいつだったのか。これはもう答えが出てる。僕の考えが全面的に正しいなら、だけど。絵があの段階まで描かれたのは昨日の夜までに、だ。

 

 そして、トイレットペーパーはなんで使われていないのか。これはもう、個人の自由で済まされる問題だろう。おそらく先輩の『人間はときに理屈では割り切れない行動をすることを忘れるな』というヒントはこれを差しているのだろう。

 

 さて、最後に。なんでやよいさんは断食していたのか。……いや、これだって個人の自由だ。やよいさんが断食したいと唐突に思い立ったとしても、別に問題はないだろう。まあ、僕だったら絶対やらないけど。ともあれ、断食はそんなこともあるだろうな、で済ませられる問題のはずだ。

 

 さて、それらの答えをひとつにまとめて出てくる結論は――。

 

「紗鳥~。さっぱり分かんねぇって。さっさと謎解きしろよ~」

 

「後輩が答えを出してからだ。で、どうだ? 後輩。名探偵のように事件は解決出来そうか?」

 

「……名探偵のように、とはいきませんけどね。まあ、いくつかの矛盾点は解消出来たかと」

 

 途端、先輩の瞳が輝いた。

 まあ、その心情も分からなくはない。先輩いつも推理してばかりで、他人の推理を聞く機会なんてそうそうないだろうし。

 

 ほら、あれだ。同じ料理でも自分で作ったものより人に作ってもらったもののほうが美味しく感じられるってやつ。例えその料理が自分で作ったものよりも不味くても満足だったりするんだよね。

 僕のダメダメな推理を聞きたがる名探偵な先輩はまさに今、そんな心理に違いない。

 

 そんな分析は置いておいて、僕は自分の推理を語ってみることにする。間違っているであろうことは百も承知だ。

 

「やよいさんは一日しかトイレに閉じ込めらていなかったんじゃないですか? そして晃一さんが帰ってきたときに初めて閉じ込められた」

 

 その根拠を先輩と陽慈に語っていく。ちなみにこの根拠とは、たったいま僕が脳内で思考していたことそのままだ。

 そして語り終えると先輩は、

 

「割と真面目に考えていたんだな。正直、意外だ」

 

 ものすごい失礼なことを言いなすった。

 

 もしかして僕、かなり無駄なことに思考使ってた!?

 

 先輩、僕の答えに全然期待してなかった!?

 

 うぅ……死にてぇ。

 

「後輩、お前の推理は結構イイ線いってるぞ。だからそう落ち込むな。……な?」

 

 イイ線はいってたらしい。でもあまり嬉しくない……。

 

「じゃあ次は紗鳥の謎解きか?」

 

 今回の事件の真相、陽慈はかなり気になってたらしい。

 

「そうだな。では始めるか。――おい、後輩。ちゃんと聞け。ついに私が謎解きを始めるぞ」

 

 かなり真剣に考えてしまったためか、不覚にも僕もなんだか先輩の語る真相が気になり始めてしまった。くそぅ、……死にてぇ。

 

「まず結論から言おう。遠藤やよいは誰にも殺されてはいない。よって、この事件には殺人犯など存在しない」

 

『え!?』

 

 僕と陽慈の驚きの声がまたもハモった。

 それから僕は問う。

 

「じゃあまさか、やよいさんは自殺したんですか!?」

 

「違うな。彼女はただ餓死しただけだ。自殺とはまた別の――けれど自分の意志でな。もちろん彼女は生きた状態でトイレに閉じ込められたりもしていない」

 

「自殺しようとしたんじゃないのになにも食べなかった……?」

 

 その推理はある意味、僕と似ている。やっぱりやよいさんは創作活動に打ち込みすぎて――?

 いや、それにやよいさんは生きているときにはトイレに閉じ込められていない? だとすると、トイレに閉じ込められたのは――

 

「まず、なぜ彼女がトイレに閉じ込められなかった、と言い切れるのかを説明しようか」

 

 無言でうなずく僕と陽慈。

 

「やよいが閉じ込められていたと思われているトイレのトイレットペーパーはほとんど使われた痕跡がなかった。それが彼女がトイレに監禁などされていなかったということの証明になるんだ」

 

「まあ、確かにずっとトイレにいたのにトイレットペーパーが使われていないっていうのは変ですけど。でもそれだけで証明にはならないんじゃ?」

 

「いや、なるんだ。いいか。飢えに追い込まれた人間がまず口にしようとするものはなんだと思う? もちろん食べ物は除いて、だぞ」

 

「え~と……?」

 

「紙なんだ。植物の繊維から作られているものだし、トイレットペーパーは柔らかい。飢えた人間なら必ず口にする。生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから、汚いだのなんだのと思う余裕もないだろう。

 しかし、トイレットペーパーは使われて――言い換えれば、ちぎり取られていない。これはおかしいと思わないか?」

 

「え……まあ」

 

「さらにもうひとつの根拠を挙げよう。やよいは途中まででも十五日はかかる絵を描いていた。トイレに閉じ込められたのなら創作期間はせいぜい五日。だが絵は十五日はかかる段階まで仕上がっている。

 後輩の言った九日間食事を断つというのは人間には不可能だ。よって、このことからも彼女がトイレに監禁されていないことが証明できる」

 

「まあ、そうですよね……」

 

 僕の言葉に先輩は満足げにうなずくと、

 

「彼女はトイレに閉じ込められてなどいない。ただ創作に打ち込んでいる間、自発的に何も食べなかったから餓死した。それだけのことだ」

 

 それは僕の推理にもあった。でも――、

 

「けど先輩、そんなことってあるんですか? 先輩、言ったでしょう? 九日間食事をしないのはムリだって。それならやよいさんは腹を空かした時点で何かを食べるはずじゃ……?」

 

「後輩、私のほうこそ最初に言っただろう? 『自分の意志で餓死した』と」

 

「そういうのはやっぱり自殺って言うんじゃ……」

 

「だから違うと言っているだろう。別に意志の力で食を断つことは自殺以外の動機でもありうるぞ」

 

「どんな……ですか?」

 

「たとえば、食を断つことによる願かけ、だな」

 

『願かけ?』

 

「少し考えてみれば分かることだ。なぜ前にケンカしたとき、やよいは断食していたのか」

 

 そこまで言われて僕は分かった。分かってしまった。

 

「もしかして……それも、願かけ……? 晃一さんと仲直りしたいっていう、やよいさんの……?」

 

「そういうことだ。そして、おそらくは今回のことも、な」

 

 きっと、やよいさんは晃一さんがすぐ帰ってくると思ったからやったのだろう。二~三日なら大丈夫だ、と。

 

 でも、晃一さんは気まずかったのだろう、なかなか帰って来なかった。帰ってきづらかった。

 

 だからやよいさんは死んでしまった。

 

 変なところで意志の強いやよいさんは意地になって断食を続け、やがて何かを食べるための体力もなくなって、そして、ゆるゆると……。

 

「なぁ、紗鳥」

 

 僕が思わず顔をしかめていると、陽慈がなにやら先輩に質問していた。

 

「じゃあなんで、やよいさんはトイレにいたんだ? どうして監禁されていたんだ? いや、なんだって晃一さんはやよいさんがトイレに閉じ込められていたように偽装したんだ?」

 

 もっともな質問だった。それは僕も知っておきたい。

 

「これは私の想像だが、それを語る前に――後輩、遠藤晃一はどういう人間だ?」

 

「……自分の罪を放ったらかしに出来ない人。あるいは自虐的な人、です」

 

「そう。それを理解すれば彼の行動の理由も同時に理解できるようになる」

 

 先輩は深くうなずき、謎解きを続ける。

 

「おそらく晃一は昨晩、やよいに謝るために家に帰ってきたのだろう。そして家に入ってやよいの死体を発見した。晃一はそのとき、ほとんど直感的に悟ったのだろうな。自分がやよいを餓死させてしまったのだ、と。やよいが餓死した原因は自分にある、と。

 自分の罪をごまかすことの出来ない晃一は自分を責めた。自分を恨み、憎んだ。裁きを求め、罰を望んだに違いない。しかし考えてもみろ、このままではやよいは一種の自然死でしかない。仮に自分が裁かれたとしても、その罪はたいしたものにはならないだろう。だから――」

 

 僕は思わず口を出し、先輩のあとを継いでいた。

 

「わざと重い罰を受けるために、やよいさんをトイレに閉じ込めたように装った……?」

 

「そうだ。そしてあとは自首するつもりでいたのだろうな」

 

「おいおい……じゃあ、なんで自首しなかったんだよ、紗鳥」

 

「言っただろう。人間、ときには理屈で割り切れない行動をするものなんだ。……おそらくは、怖くなったんだろう。裁かれるのが、な」

 

 人間の行動は論理だけでは読みきれない。そういうことだろうか。

 確かにそれはそうだ。人間はコンピューターじゃない。こういう考えを持ったらこう動く、なんて決まりきったパターンに支配されてはいないんだ。

 

「さあ、これで解決。謎解き終了だ」

 

 言って颯爽と僕たちの前を歩いていく先輩。

 と、後ろから陽慈が声をかけた。

 

「なぁ、紗鳥。そこまで分かってたんなら警官(ギャラリー)たちの前で『真相はこうだ!』って言ってやればよかったんじゃないのか?」

 

「その必要はないな。中学生の私でもここまで推理できたのだから、真相はすぐに表に出るだろう」

 

 そうだろうか? 僕にはどうもそうは思えない。

 先輩はしばし無言で歩みを進めていたが、ふと、

 

「――後輩、名探偵に一番必要なものはなんだと思う?」

 

 と僕にそう尋ねてきた。

 

「え? やっぱり推理力でしょうか。あ、いや、洞察力かな?」

 

「残念だったな。どちらもハズレだ」

 

「じゃあ一体なんなんです?」

 

「運だよ」

 

『運?』

 

「そう、運だ。自分の語ったことが真実である保証なんてどこにもない。だから名探偵にはまずなによりも運が必要になる。自分の推理が真実となってくれる運が、な。

 私は今回、真実であろうことを語りはしたが、実際に起こったことは私の推理とはまた違っているかもしれない。私には今回、その運が不足していた気がしてならないんだ。案外、間違ったことを語っているのではないか、とな。だから警察に協力はしなかった。

 だが私には今回、事件を解決出来る以上の運があったようだな」

 

『事件を解決出来る以上の運?』

 

 また分からないことを言う人だ。

 先輩は足を止めて、こちらを肩越しに振り返る。そして、僕に微笑んでみせた。

 

「そう。『事件に関わらずにすむ運』が、私にはあった」

 

 僕はその言葉で気づいた。

 思わず先輩のその端正な顔(事実は認めよう)を覗き込んでしまう僕。

 

「……なんだ? 後輩?」

 

「……いえ」

 

 そう。そうなんだ。

 先輩は殺人事件なんかに関わることを望んではいない。

 他人が不幸になった状況こそが自分の活躍の場だ、とでも言うかのように面白半分で首を突っ込むどこぞの名探偵とは違う。

 

 きっと僕は、先輩のこういうところが好きなのだろう。

 

 ただ、それでもなお、殺人事件に関わらなければならなくなったとき、先輩は一体、どんな気持ちになるのだろう。

 

 やっぱり、苦しくて、どうしようもない気持ちになるのだろうか。

 

 事件が起こってしまったことを、悲しく思うのだろうか。

 

 解決したとき、そこには達成感なんかなくて、ただただ事件が起こってしまったことを空しく思うんじゃないだろうか。

 

 もしかしたら、頭がいいということは一種の呪いなんじゃないだろうか。

 

 不幸を呼びよせるもとになるんじゃないだろうか。

 

 他人のことなんてどうでもいい僕だけれど、なぜか、そのことを考えるとたまらない気持ちになるのだった。

 

 ◆  ◆  ◆

 

 雪が――降っていた。

 

 この地を離れる人間に別れを告げるように。

 

 あるいは、悲しみが降り積もっていくかのように。

 

 私は飛びたつ前の飛行機の中で、『式見蛍断ち』を考えるきっかけとなった『遠藤やよい監禁餓死殺人事件』を回想していた。

 

 まあもっとも、あの事件がなくとも私は遠く離れた高校へ行こうとしたはずだ。今日に至るまでのどこかで後輩に依存しすぎだと――甘えすぎだと気づいたはずだ。

 

 私はあの事件の加害者(と呼んで問題はないだろう。おそらくは本人もそれを望んでいる)である遠藤晃一の行動を警官から訊きだしていたとき、彼に対し、ただただ妻に甘えきっている男だという印象しか抱けなかった。裁かれたいがゆえに妻の遺体をトイレに閉じ込める。それはつまり、妻の遺体をも使って自分の中にある罪悪感を解消しようとしたということに他ならないのだ。

 

 それが甘えでなくてなんだというのだろう。

 

 そして、気づいたのだ。私の後輩に対する感情も、あるいは、遠藤晃一が妻に向けるそれとさして変わらないのではないか、と。

 私はただ、後輩に甘えていたのではないだろうか。対等な立場でいたのではなく、私だけが後輩に寄りかかっていたのではないだろうか、と。

 

 そう気づいたら、たまらなくなった。

 

 自分が、とても弱い人間に思えてきたのだ。

 

 しかし、だからといって後輩と距離をとることも出来そうにはなかった。

 それは、したくなかった。

 

 まったく。その思考こそ私が弱い人間の証明だ。

 

 だが、そのまま後輩に甘えるだけの自分でもいたくはなかった。

 

 だから決めたのだ。上京する、と。

 

 後輩に会いたくとも会えない状況を作る、と。

 

 私は関東の高校を受験することにして、そしていま――この飛行機の中で、こうしている。

 

 ちなみに、『遠藤やよい監禁餓死殺人事件』はあれからすぐ解決した。

 どういう罪状で、というのは覚えていない。というか、覚えておく必要を感じない。

 

 真相は、私があのとき語った推理とそう大差ないものだった。

 ただ、あの段階では別の可能性を考えられたのもまた、事実なのだ。

 私はただ、あの状況でもっとも起こった可能性の高い推論を語ったにすぎない。

 

 いやまあ、遠藤やよいの死が一種の自然死である、という事実は動かなかったりするのだが。

 

 まずひとつ。精神的なショックによる拒食症(きょしょくしょう)にかかっていた場合だ。

 

 やよいが晃一を愛していたのは間違いなく、それならさして間をおかないケンカに彼女がそれほどのショックを受けたとしても、まあ、おかしくはないともいえる。

 

 そしてもうひとつ。これはある意味で後輩が語ったことに近いのだが、やよいがまったく空腹を覚えなかった場合だ。

 通常そんなことはありえないし、私もそれを否定した。

 

 だが、実はありえなくもなかったりするのだ。

 脳である。もし、やよいが脳になんらかの障害を持っていたと仮定するなら、この仮説は充分成り立つ。

 

 二度目のケンカの際、晃一はやよいの頭を殴っていると聞いた。やよいはすぐに病院に行った、とも。

 

 脳は丈夫でいて、またデリデートなものだ。かなり強い衝撃を受けてもまったく異常がないこともあれば、ちょっとした打撲で物が認識出来なくなったりもする。当然、脳の空腹を感じる部位に晃一が決定的な衝撃を与えていれば、空腹を覚えることもなくなる。

 また、病院に行ったとはいえ、ただ殴られただけだ。おそらく精密検査まではしていないだろう。

 

 もちろん、確かめることは出来ない。すべて私の想像だ。

 

 だが、あのとき私の語った推理を含めたこの三つのどれが真相であっても、彼女の死が自然死であることはもちろんのこと、その原因が遠藤晃一にあるのもまた、動かないのだ。

 

 私はうんざりして、ひとつ息をついた。

 そしてふと、別のことを思い出す。

 

 事件の解決を提示したあとの後輩の表情のことだ。

 あれは私のことを案じてのものに違いない。一体私のなにを案じる必要があったのかは分からないが。

 

 そもそもアイツは『他人のことなんてどうでもいい』という態度をとっているくせに、変なところで――あるいは重要なところで他人のことを気にかけている。それなら最初からそんな態度をとらなければいいだろうに。

 

 まあ、そこが面白くもあるんだがな。

 そしてきっと、後輩のそんなところが私は好きなのだろうな。

 

 そういえば、今日家に来た後輩の表情はどことなく沈みがちだったな。アイツは重要なことは自分の中に押し込めるタイプだから、あの表情からアイツの感情を推し量るのはかなり難しかったりするのだが、敢えて考えてみるなら――。

 

 ――ふと、頬を涙が伝った。

 

 こんなのは私のキャラではない。常に不敵に微笑んでいるのがこの私、真儀瑠紗鳥なのだ。だから私のこれは別に涙などでは……。

 自分にそう言い聞かせてはみるものの、瞳から流れ落ちる滴は止まる気配がない。

 

 仕方なく、私は出るにまかせることにした。

 

 声を殺して――泣いた。

 

 こんなところは後輩には見せられないな、と思いながら。

 

 やがて、飛行機内にアナウンスが流れ始めた。この地を離れる時間だ。

 

 私の中に確かにあった、後輩への未練を断ち切るように飛行機は空へと飛びたった。




今回は、すごく長い話になってしまいました。
そして、サブタイトルには『紗鳥』とあるのに、先輩の一人称は最後のほうにちょっとあるだけというこのタイトル詐欺。
正直に言って、これは蛍以外の視点で書くのが難しくなってきた、というのがあります。
なので、これから投稿していく予定でいる『陽慈』と『綾』の短編も、蛍の一人称となりそうです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。