現世発異世界方面行   作:露草

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第2話 契約

 

 全く今日という日は驚愕と混乱の連続だ。

 たった一日で僕は一生分のカオスを味わった気がする。

 

 気付いたら遊戯王に酷似した世界に迷い込んでいて茫然自失。

 混乱の渦中に居る僕に乗ってきたバスの消失という追撃。

 精神的疲労が募る中で遂に見つけた彼女との追走劇。

 姿を見失い失意と絶望の底に沈むさなかの再会。

 

 ここまででも既にお腹いっぱいだよ。そして極めつけには彼女が遊戯王カードの中に存在するモンスターの一体だと気づかされた衝撃。

 

 

《Tour Guide From the Underworld》

 

 

 それはデュエルモンスターズにおけるモンスターカードの一体。種族的には悪魔族に分類されるモンスターであり、地獄のツアーガイドとして現世と魔界を繋ぎ、冥府の各所を巡るバスを所持しているとされている小悪魔――それが目の前に座る少女の正体だ。

 

 僕の視線の先には彼女が描かれたカードがその存在を主張するかのように淡い光を放っている。その光はやがて他のカードに拡散したかと思うと音もなく静かに消失し、まるで初めから何も起きなかったかのように鳴りを潜めた。いや、何か違和感があると思ったらカード枠にあるはずの会社名やカードナンバー等が消えている上に質感まで微妙に違うものになっていないか……?

 

 一時的なショック状態から気を取り直した僕はすぐさまこの状況を彼女に問い詰めた。

 

「おい、いったい何がどうなっているんだよ!? 全部説明してくれよ!」

 

 怒号と共に詰め寄るが、彼女の表情にはなんら変化が見られない。僕の怒声なんてどこ吹く風で、先程までと同じく意味深な薄い笑みを浮かべているだけだ。

 そんな彼女の態度に僕はキレた。現状の理不尽さや疲労がここで一気に噴出したんだ。

 

 ――どうして僕がこんな目に合わなければならないんだっ!!

 

 怒りに身を任せ彼女の肩を強引に掴もうとしたその刹那――横から黒い影が僕に向かって凄まじいスピードで突っ込んできた。

 

「ぐふっ!!」

 

 視覚外からの完全な不意打ち。格闘経験なんてない僕に避けられるはずがない。仮にもしあったとしてもこんな怒り心頭で周りが見えていない状態での不意打ちなんて決して避けられなかっただろう。

 

 脇腹に受けた衝撃で無様に吹き飛び、ゴツンと嫌な音をたてて壁に頭を強打してしまう。

 

「いってぇええええっ!! 頭がぁああああっ!!」

 

 痛みのあまり頭を押さえてゴロゴロと床を転げ回る。まさかこんな漫画みたいなリアクションをとるなんて自分でも馬鹿みたいだと思うけどマジで痛い。洒落にならないくらい痛い。

 痛みで涙目になりながらも、先ほど僕に突っ込んできた黒い塊を確認するために顔を上げる。するとそこには三つ目で毛むくじゃらの化け物が、僕とガイドの間に壁を作るように立ち塞がっていた。鋭い爪と大きな口にびっしりと生えた細かな牙がライトに照らされギラギラと光っている。

 

「ぐっ、コイツは……まさか《クリッター》なのか……?」

 

 《クリッター》もデュエルモンスターズの一体だ。正直あんな化け物がいきなり目の前に現れていたら絶叫し気絶していたかもしれない。ここまで蓄積した疲労と頭に走る鋭い痛みでそういった通常の感覚が麻痺していなかったら、ここまで冷静に判断できなかったであろう。

 向こうもこれ以上危害を加えるつもりはないのか、その場から動かずに三つの目でじっと此方の様子を窺っている。一方で赤毛の少女の方は床に転げまわる僕を見て一頻りニヤニヤした後、自身のボディーガードをちょいちょいと手で招き、何かを耳元でごにょごにょと囁いた。するとどういうことだろう、クリッターの姿が闇に沈んでいくではないか。

 その僅か数秒後には毛むくじゃらの悪魔は完全に消え去り、そこにはただ虚空が広がるばかり。

 

 そんな光景を僕は唖然として見ていた。

 

 ――こいつ、まさか自身のカード効果のように悪魔を呼び出したり消し去ったりできるのか……?

 

 毛玉の悪魔による過剰な暴力には納得いかないが、目の前で起きた不可思議な現象と頭を打った痛みのおかげで正気を取り戻すことができた。もしかしたら単に疲れきって怒り狂う体力すらなくなったのかもしれない。怒るというのも存外体力を消耗するものなのだ。

 

 今度はしっかりと彼女に向き合って座り、懇願に近い声で話しかける。

 

「頼む、一体何が起きているのか教えてくれ……。お前は何か知っているんだろう?」

 

 目の前の小悪魔は肯定の返事代わりにニヤリと口の端を吊り上げた。

 

 

 

 

 それから十分ほど掛かったガイドの話を要約するとこうだ。

 

 彼女は常日頃から例のバスに乗って、風の向くまま気の向くままに12個の異世界を渡り巡っているのだが、先日その世界移動の際に見たこともない次元の裂け目を発見したらしい。そして持ち前の好奇心からその次元層に侵入し、辿りついた先が僕の住んでいた世界だったというわけだ。そこまでは順調であったのだが、その次元層は元々イレギュラーで発生したものには違いなく、無理にゲート作り通ってきたこともあって、非常に不安定な状態になってしまっていた。それに気付いたガイドは帰り道として使えなくなる前にさっさと戻ろうとしたのだが、そんな時に折悪しく僕が彼女を呼び止めてしまったのである。

 彼女もどうして人間がこのバスに乗車しようとしているのか分からなかったのだが、別に自分には関係ないしまぁいいかとすっぱり思考を放棄。そして予定外の同行者を乗せたまま再び次元の狭間に潜り込み、魔界を経由してこの世界にやってきたのだという。

 

 色々と詳しく話を聞きたい事があったが、つまりはまたあのバスに乗ってガイドが発見したという次元の狭間とやらに潜れば元の世界に戻れるということではないのか? なんだなんだ、これで一件落着じゃないか。一時はどうなることかと思ったけど何とかなりそうで良かったよ――――と、そんなことを考えていた時期が僕にもあったさ。

 

 彼女の話の端々から嫌な予感がしていたんだけど、どうやら僕らがこの世界に移動を完了した際、僕の世界への架け橋となっていた次元の狭間は煙のように消滅してしまったというのだ。

 

「そんな、嘘だろ……?」

 

 もう元の世界に帰れないかもしれない。まずは絶望感が僕の心を奈落の底へと突き落とし、次には僕をこの世界に連れてきたガイドに対して再び激しい怒りが沸いていった。そしてその矛先を向けた。そうしなければ自我が保てなかったんだ。

 

 何故僕を異世界に連れてきたのか? 

 

 そんな僕の問いに返ってきたのは単純明快な答え。

 

 僕が異界へ帰ろうとしていた彼女を呼び止め、そのまま勝手に乗車してきたから。

 

 ただそれだけの事だ。しかしそれ故に僕はもう何も言えなかった。これは完全に僕の不注意が招いた事態なのだ。ガイド自身は僕に対して何もしていない。僕を無理やり拉致しようとしていたわけでもないし、嘘をついて騙したわけでもない。唯何もしなかっただけだ。

 

 それでもこうなる前に一言くらい注意してくれたっていいじゃないか。思わずそういった言葉をぶつけたくなるけれど、それだって自分の軽率な行動を棚に上げて、ただ彼女に八つ当たりをしているだけにすぎない。電車を乗り間違えて知らない駅に着いたからといって、その電車の車掌に対して文句を言っているようなものだ。

 そもそもの話僕が彼女の乗るバスを引き留めなければこのような事にはならなかったし、自分の乗るバスをきちんと確認していれば簡単に避けられた事態であった。事前に間違っている事に気付き、バスに乗車することを避けていれば、ガイドだって見知らぬ人間のことなど捨ておいて一人でさっさと魔界に帰っていただろう。

 

 行き場のない怒りとやるせなさが心中を暴れ回る。無性に物に当たり散らしたい衝動に駆られるが、歯を食いしばることで何とか抑えつけ、今までに得た情報を整理する。

 兎にも角にも僕が元の世界に帰る為には、再びその次元の狭間が出現するのを待つしか方法がないらしいというのが一番の問題だ。何時発生するか分からない上にそもそも同じ現象が起こるかすらもが不確定。仮に出現したとしても僕の世界と繋がっているかは不明であるというのだから帰還は絶望的といっていい状況である。

 それでもそこに僅かな可能性があるならば、僕はその可能性に賭けたい。これからずっと家族や友人ともう会えないなんて御免だ。彼らとはもっと一緒に話をしたかったし、共にやりたいことだって一杯あった。今まで築いてきたものをあっさりと切り捨て、諦める事なんてすぐにできるはずもないし、したくもない。

 頼れる人物はおろか知り合いすら一人もいない異世界に突然放り出され、そこで生きていくしかないなんて信じたくないという裏の感情もある。

 

 しかし元の世界に対していくら望郷の念を抱いていても、今の僕に出来る事と言えば只管ガイドに頼み込むことくらいだ。情けなくともみっともなくとも、次元層の確認と元の世界までの帰還手段は彼女しか持っていないのだから他にどうしようもない。自分で何とか解決出来るのならばとっくに行動に移しているさ。

 

 最大の問題は、果たしてそんな僕の頼みをガイドが聞いてくれるであろうかという点である。彼女は僕の頼みを引き受ける必要もないし、聞いたとしても特にメリットもないだろう。向こうからしてみれば僕は勝手に付いてきて勝手に帰りたがっているだけで、子供の我儘となんら変わりないように映っているかもしれない。しかし、先に言った通り現状僕には彼女しか頼れる人はいないため、ここは何としてでも首を縦に振らせるしかないのだ。

 

「頼む!! 何でもするから僕の願いを聞いてほしい。このとおりだ!!」

 

 誠心誠意の土下座をする。頭の低さといい角度といい非の打ちどころのない完璧なフォームだ。芸術点、技術点と共に過去最高点を叩きだしたことは間違いないだろう。しかし、ちらりと頭を上げ様子を窺ってみると、そこにはなにやら考え事をして上の空な彼女の姿。全身全霊を込めた魂の土下座なんて欠片も見ていない。

 

 僕が世の無常に対しこっそり涙を流している間に、どうやらガイドが思考の海から帰ってきたようだ。緊張で心臓が早鐘のように鼓動を打つ。僕の運命は彼女の判断一匙にあるといっても過言ではない。判決を待つ被告人の如き心情だ。

 そして彼女は僕を見て暫し思案顔をしていたかと思うと、何かを思いついたのか、先程までと同じように両の口端を上げて此方を面白そうに眺めやる。

 

 あ、あの……その笑い方は不穏な気配しかしないのでやめてもらえませんか……。

 

 

 

 

 結論から言おう。非常に喜ばしい事にどうやら彼女は僕の頼みを聞いてくれるとのことだ。ギリギリ首の皮一枚――グリフィンドール寮憑きのゴースト程度には繋がった思いである。それに関しては素直に喜ぼう。しかしながら――それとも当然と言うべきか――頼みを引き受ける代わりに、彼女からとある条件を付けられた。

 

 それは彼女が僕の精霊として契約を交わすというものだ。

 

 ガイドの話によると、どうやら僕は元々デュエルモンスターズの精霊を操る力が強いらしい。精霊である彼女の姿を最初から視認できたのも、彼女の所有するバスに乗り込む事ができたのも、その力が原因であるそうだ。もしかしたら元の世界で彼女が僕の近くに現れたのも、無意識にそれに引かれたのかもしれない。

 稀有な才能故にこの現状を引き起こしてしまったと聞くに至り、改めて自分の運のなさを嘆く。普通の人ならば彼女の存在に気付くことさえできず、このような異常事態に巻き込まれることもなかったのだ。僕はそんないらない才能(モノ)よりミッチー並みのスリーポイントシューターとしての才能が欲しかった。

 

 僕の精霊として契約するというのもこの才能が大きな要因としてあげられる。というのも本来彼女のようなデュエルモンスターズの精霊が、今現在僕らのいる世界に現界できるのは極々限られた時間内のみであり、それを過ぎると各々が属する世界へ強制的に帰還させられる世界の修正力が働くらしい。そしてそれを逃れる方法として、精霊を操る力を持つ特定個人の精霊として契約するというものがある。具体的には契約者と自身の存在を霊的なパスで繋ぐことによって力の供給を受けることが可能となり、契約中は常にこの世界に現界し続けられるそうだ。

 

 これまで彼女はこの世界の在り方というモノをゆっくりと見て回りたかったそうなのだが、宿り木となる媒体がなかったために諦めていたらしい。一応個人との契約以外にも、自身が描かれたカードそのモノに取り憑く方法があるにはあるそうなのだが、その場合は力の制約が大きく行動範囲も相当絞られることになる。そもそもの話、彼女が描かれたカードはこの世界には未だ誕生していなかったので、其方の方法では前提からして不可能であった。

 しかしそれも全て昨日までの話だ。今彼女の目の前には何でも言う事を聞きそうな都合の良い存在がいる。となればこの機会を逃すのは勿体ないと考えるのは極自然の発想だ。誰だってそう思う。僕だってそう思う。ただ彼女の僕を見る目が、新しい玩具を見つけた子供の目に酷似していたのは気の所為だと思いたい。今後の気苦労を鑑みるに……。

 何にせよ僕には初めから彼女の要望に対して素直に首を縦に振るという選択肢しかないのだから、初めから悩む余地など存在しない。例え跪いて靴を舐めろと言われても実行しただろう。あ、でもそれは考えさせてくださいと言えるくらいの人権は残してくれると非常にありがたいです。お願いします。

 

 僕の返答に対して満足気に頷いたガイドは、肩から下げた髑髏のバッグより、見る者に膨大な年季を感じさせる古びた羊皮紙を取り出した。一体何をするのだろうと怪訝に伺う僕を差し置き、ガイドは聞き慣れぬ言語で何事かを呟き始める。するとどういう現象なのかさっぱり理解できないが、彼女の持つ羊皮紙に黒ずんだ文字がじりじりと焼き付いていくのだ。作業が上手くいった事を確認したガイドは僕の方へとその紙を飛ばし、次にいつの間にか取り出していた大ぶりな羽ペンをクルリと回して此方へと投げやる。

 

 ここまで来ればこの羊皮紙が何であるのか馬鹿でも分かるだろう。

 そう、これは契約書――互いを縛る秩序の鎖。

 

 故に僕は一縷の望みを賭けた真剣な顔で。

 彼女は先程までと変わらぬ不敵な笑みを浮かべて。

 そこに互いの名前と血印を。

 

 

 

 この日、僕は悪魔と契約を交わした。

 

 

 

 


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