深海の都の話   作:林屋まつり

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八話

 

「はいはい、終わったわよ。

 …………はあ? ったく、なに馬鹿な事言ってんのよ。面倒くさい事押し付けた分際で、……なに、笑ってんのよ。気持ち悪い。

 ったく、第一なんなのよこの山奥。……まったく、もっとましな避難場所ないわけ? 艦娘が山ん中で暮らすとか本気であり得ないんだけど」

 とつとつと、満潮は横須賀鎮守府、大将室の扉、その近くに背を預けながら言葉を紡ぐ。

 手にした携帯電話には力が込められている。不安に、恐怖に、小さく震えている。

「で、次はバスだっけ? こんな山奥でさらに山の中って、どういうところよ。

 ほんと、生活できるんでしょうね? ……ったく、なんでこんな僻地で暮らさなくちゃならないのよ」

 言葉を切る。次の言葉に震えが入らないように、唇に歯を突き立てる。痛い。痛い。痛い。痛い。……けど、構わない。

 声に震えが混じるくらいなら、このまま唇を噛み千切っても構わない。

 声。

「………………ば、……か。…………ばかじゃないっ、なに、自惚れてるのよ。

 なにが楽しくてあんたみたいな役立たずについてなくちゃならないのよっ、さっさと逃げるわよっ、ったく、あんたみたいな役立たずのお守をしなくて清々したわよ。

 じゃあねっ」

 告げて、携帯電話を耳から離す。……一瞬の躊躇。けど、

 目を閉じる。そして、通話を切った。

「……これで、いい、わ」

 もしかしたら、もう、言葉を交わす事もない、かもしれない。

 最後の最後に悪態をついて、嫌なやつって思われたかもしれない。構わない。

 ま、仕方ないわよね。

 嘘をついた。避難したと、告げた。

 こうでもしないと元帥は自分をここから遠ざける。霧島辺りに頼んで無理矢理にでも引き離したかもしれない。

 彼ならそうするだろう。敵として来るとすれば、魔縁か、深海棲艦の姫たちか、……その誰が来ようとも満潮が勝てるわけがない。戦いを挑んだところで無駄。悪戯に命を散らすだけになる。

 解ってる。満潮も自分の実力は解っている。

 けど、……それでも、

「…………ふざけんじゃないわよ」

 それでも、彼女は震えをこらえて、ここにいる。

 

 かつん、と。音。

 こつん、と。音。

 

「なにか、……来た」

 ここにいた海軍の者たちはすでにいない。陸軍の者たちも建物の外に展開している。

 艦娘もいない。……来るとすれば、それは、

 

 かつん、と。音。

 こつん、と。音。

 

 喉が鳴る。震えそうになる腕を掴む。震えを抑える。

 鳴りそうな歯を噛みしめる。

 

 かつん、と。音。

 こつん、と。音。

 

 震える腕で砲口を向ける。

 嫌な予感がする。寒気がするほどの威圧感。吐き気がするほどの存在感。

 

 かつん、と。音。

 こつん、と。音。

 

 いてはいけない存在が、そこにいる。

 圧倒的な、恐怖を伴って、そこに、いる。

 

 こつん、と。音。

 

「……ぁぁあああああああああああっ!」

 階段を登りきったその小さな影に向けて砲撃。そして、

 

 ひらり、桜の花が舞う。

 

「悪くない出迎えだな」

 砲弾を斬り払った彼女は、笑う。

「あ、……え?」

 

 獰猛に貪欲な、兇悪に最悪な、強靭に傲慢な、……魔が、ここにいる。

 

「大将室。……ふむ。鎮守府の長は大将だったが。

 元帥がいるのはここか」

 彼女は歩を進める。満潮には視線も向けない。

 彼女の手には無造作に剣が下げられている。砲弾を斬り払った剣。…………「っ!」

 竦む足を、動けと。叱咤。連装砲を向ける手が震える。

「ん?」

 砲口を突き付けられた彼女は淡々とそちらを見て、砲口を突き付ける彼女は鳴りそうな歯を噛みしめる。

 恐怖に震えているのは満潮。砲を向ける事。……否、彼女に敵意を向けている事、その現実に怯えている。

 もっとも、当然の事。満潮とここにいる魔では格が違う。

 そして、

「な、なにがっ?」

「ほう、……いたか」

「み、満潮君っ?」

「元帥」

 目を見開く。すでに、彼女は遠く、避難していると思っていたから。

「来たぞ元帥よ。……が、なんというか、本当に何もなかったな。

 そなたは元帥なのだろう? なんでここを護っているのがその小娘だけなのだ? この程度で対応できると思っている。……と言うわけでもあるまい」

 視線が向けられる。満潮の持つ連装砲はかたかたと小刻みに揺れる。

 怯えている、元帥、誠一は仕方ない、と思ってる。

 満潮も彼女の事は知っている。過去の帝、強壮なる魔縁。深海棲艦の姫たちさえ超える災厄。

 そんなものと相対している。怯えない方がどうかしている。

 …………それは、自分も同様。だけど、

「……そう、だね。……ま、まあ、あれだ。私は、代わりがいくらでも効くが、《呪詛の御社》、……は、そうは、いかない、からね」

「…………ほう、それが、下にいる連中の判断か」

 

 ――――――――

 

 がしゃんっ、と音が響いた。そして、その音を聞いた事で満潮は自分が生きている事に気付いた。

「あ、……え?」

 だから、満潮は不思議に思った。なんで、自分が生きているのだろうか、と。

 馬鹿な事を考えている。なにもされていない。なのに、

「不愉快だ。まずはそいつらを殺してこようか」

 文字通り、生きている心地がしなかった。

 今も、そう、下手な事をすれば殺される。呼吸をする事さえ、不安がある。

 言葉を発する事でその視線がこちらに向けられるのが怖い。彼女を視界に収めている。彼女と同じ空間に存在する。……何らかの形で、そこに存在する魔と関わっている。

 その現実に、泣きだしたくなるほどの恐怖を感じる。がたがたと、体が震えているのが解る。…………影。

「……い、…………いや、私の、判断だ」

 自分の前に、誰か、いる。

 小さな、猫背の頼りない背中。それが、満潮の前にいる。あの、魔との間に立ちふさがる。

「…………あ、」

「……まあ、その、みんなは、ここに残る、と言っていたのだが、ね。

 ほら、……私なんか、より、……その、《呪詛の御社》の、方が大切、……だからね」

 元帥、と。小さな、自分にも聞こえないような、呼びかけの声。

 そこにいる、そこに立つ。……けど、解る。怖いのは自分だけじゃない、そこに立つ誠一。彼もだ。

 後ろ、背中に隠されている手。強く握りしめられた手が震えている。

 震えを止めるため、手が白くなるほど強く握りしめられ、けど、震えは、恐怖は止まらない。

 当たり前だ。誠一は、ろくな出撃の経験がない艦娘である満潮よりさらに劣る。戦う事もない。ただの、脆弱な、人、なのだから。

 砲撃するまでもない、銃弾一発で簡単に死ぬ。弱い、笑ってしまうくらい、弱い、人なのだから。

 けど、

「……馬鹿者、くだらん事に命をかけおって。

 まあ、……よい」

 

 にたり、魔が嗤う。

 

「まずは、敵将の首を落とす事が先決か。

 それとも、」

 ぞくり、とした。

「満潮君っ!」

 誠一は振り返る。そして、手を引っ張る。

「きゃっ?」

 投げ出される。乱暴に放り投げられた満潮の視界の隅で、血が、舞った。

「つ、……う」

「一兵卒を庇うなど、長としてはあるまじき行為だな」

「……あ、…………え?」

 肘を抑える誠一。そこから、血が零れる。そして、感じたのは寒気。

 殺しに来た、と。その高さは自分の首がある場所。おそらく、誠一が手を引かなければ、首が落ちただろう。

「満潮君を?」

「当り前であろう? 先に彼女は私を砲撃した。戦う意思を、……否、私に対する害意を示した。それがどの程度のものかなど関係はない。

 私に、害意を向けた。それだけで殺すには十分であろう? 否、などと言うなよ平和な時代に生きる人よ」

 過去に生きた魔は笑う。南北朝の時代。戦乱と流血と人死に塗れた時代。その時代を知る彼女にとって、どれだけ弱かろうと、例え、恐怖に震えた少女であろうと、害意を向けた相手を生かしておく理由はない。

 それは、誠一も解っている。自分が生きる今と、彼女の生きた過去は違いすぎる。命は尊く大切なもの、そんな、現在、当たり前に語られる道理が通じる相手ではない。

「……たし、かにそう、かもしれないね」

 けど、それでも、

「死んで欲しくないんだ」

 だから、彼は、ここにいる。

 

 ばか。

 

「……ん、…………よ」

「ん?」「む?」

「な、んで、……よっ」

 体を縛り付ける恐怖が、別の感情に塗りつぶされる。

 投げ出されて転がった満潮は、立ち上がる。その瞳には恐怖はなく、助けてもらった感謝もない。

 そこにあるのは、ただ一つ。

「なんで、……なんでよっ! なんであんたがそんなところに、いるのよっ!

 無力なんでしょっ! あんたは奥に引っ込んでればいいのよっ! それなのに、なんでなのよっ!」

 護る。艦娘はそのためにいる。平穏を、民を、……傍にいる誰かを護る。そのためにいる、それなのに、

 庇われるなんて、護られるなんて、絶対に、間違えている。

「私は、……私は艦娘なのよっ!

 ああそうよっ! 確かに私は出撃とかしてないし、強者なんて言うつもりはないわよっ! けどっ! それでもっ! 護られるだけの弱者じゃないっ!」

 吠える。きっと、頭を冷やして考えれば情けない負け犬の遠吠えと嗤うだろう。

 そこにいる魔を相手にすれば、誠一だろうと満潮だろうと瞬く間に殺される。大差など、ない。

 それでも、そんな事は関係ない。

 艦娘は護られる存在じゃない。かつての軍船。敵を撃ち滅ぼして仲間を護るための存在。それが護られるなんて、絶対に、間違えている。

「あんたとは、……私はっ! 人とは違うのよっ!

 見えないのっ? 敵がいるのよっ! なら、ここは私がいるところでしょうがっ!」

 戦うべき敵がいる。なら、戦うのは自分だ。無力でなにも出来ない彼じゃない。

 例え、この命が無意味に散ったとしても、艦娘として、決して譲れない。譲ってはいけない。かつての軍船の魂が、それを許さない。

 人とは違う。自分は艦娘だと、護られるだけの弱者じゃない、と。満潮は叫び。誠一は困ったように告げる。

「……それは、まあ、そうかもしれない、んだがな」

「だったら、引っ込んでなさいっ!」

 困ったなあ、と。彼は、いつも通り、気弱な笑みを浮かべた。

 

「それでも、死んで欲しくないんだ」

 傍にいてくれた貴女に、死んで欲しくない。

 

 ただ、そんな想いだけで、彼はここにいる。

 絶句する満潮、誠一は困ったような視線を、そこにいる、かつての帝に向ける。

「まあ、……その、なんだ。

 貴女の前で言っても、ただの、負け惜しみか、ばかな事言っているだけ、だと思うのだが、なあ」

「ん? そんな事はないぞ。

 うむ、……元帥よ。そなたはやはり私の敵にふさわしい」

 笑って応じる魔と、引き攣った、それでも、小さな笑みを浮かべる人。

 その光景を見て、……満潮は、なにかが切れた事を自覚した。たぶん、それは、

 

「こ、の、馬鹿元帥ーっ!」

 

「ふぉっ?」

 邪魔な男を蹴りどかして、満潮は落とした連装砲を握る。視線を敵に向け、怒りに満ちた声を彼へ。

「何が死んで欲しくないよっ! この、馬鹿元帥っ!

 ばっかじゃないのっ! そんなのっ!」

 

 きっと、この感情の奥にあるのは、こんな想い。

 

「そんなのっ! 私だって同じに決まってんでしょうがっ!

 何のために嘘ついてまで残ったと思ってんのよっ? あんたみたいな役立たずが何も考えないで前に出てきて馬鹿しないように残ったんでしょうがっ!

 ほんっっ、きで頭きたっ! あんたみたいな馬鹿がいるからっ、おめおめ休んでもられないのよっ! いいからさっさと部屋に戻って座ってがたがたしてなさいっ!」

「あ、……いや、えー「うるさいっ! 言い訳は終わった後正座しながらしなさいっ!」ええっ?」

 解ってる。何も変わっていない事も、状況は絶望的な事も、そして、連装砲を手に取り、再度その砲口を向けた事で、間違いなく目の前にいる魔は自分を殺しに来る事も、解ってる。

 けど、……一つだけ解っていない事。

 それは、かつて出来なかった事。

「私がここにいる限り、あんたも殺させないっ! 私も、絶対に殺されないっ!

 絶対、絶対によっ! だから、あんたはこんなところでうろうろしてないで部屋に籠ってなさいっ! 役立たずは邪魔なのよっ!」

「……満潮、君」

 魔への恐怖も、元帥への感謝もない。

 ただ、……胸を占めるのは怒り。

 そこに現れた魔に対して、ではない。

 情けなく震えていた自分に対して、……も、あるかもしれないが、それ以上に、

 満潮を護る。そんな馬鹿な事を言ってのけた人に対する憤怒。それ持って敵わぬ魔を見据えて、

「…………そなた、名は?」

「な、……なによ? そっちの馬鹿が呼んでたでしょ?」

「問うたのだ。答えよ」

「み、満潮、よっ」

「なんだ、顕家ではなかったのか」

「は、あ? なわけないでしょっ! 誰よそいつっ?」

「うん、まあ、気にせんでよい。……ううむ、残念だ」

「だから、誰よそいつっ!」

 怒鳴る満潮に視線を向け、ふむ、と。

「では満潮よ。

 私はこれから《呪詛の御社》を破壊しに行く。邪魔をするならまとめて殺してやるが、……そうだな。そこの馬鹿者を縛り付けて余計な事を言わないように監視しておれ、そうすれば私に砲撃した事を不問にしてやろう」

「へ?」

 かくん、と連装砲が下を向く。きょとん、と誠一が目を見開く。

 視線の先、彼女はくつくつと笑う。

「なに、懐かしい過去を思い出させてくれた礼だ。

 元より、《呪詛の御社》破壊が私の目的だからな。別に恩に感じなくてもよい。……で、どうする? 戦わぬのなら、……《呪詛の御社》より、その大して役に立たないとかいう命が大切なら、……そうだな。首級の代わりに、その徽章を渡せ」

 要求するのは元帥徽章、それを渡して敗北を認めれば、命は助けてやる。と、魔は告げ、

「そ、って、あ?」

 迷う誠一から、満潮は元帥徽章を引き千切る。苛立たしそうに投げつける。

「ではな」

 それを受け取り、上機嫌に笑って、彼女は歩き出した。

「み、……満潮君?」

「あとで吹雪とかに文句言われたら、私が勝手に奪い取って道を譲ったって事にしなさい。

 ……それくらいは、……させなさいよ」

「あ、……ええと、…………まあ、その、満潮君」

 彼は、いつも通り気弱な、けど、いつも以上に、穏やかな笑顔で、

「ありがと、な」

 そう、言った。

「…………………………う、うるさい、ばか。

 さっさと部屋にこもってなさい。まったく、ほんと考えなしに言ったり動いたりして、こっちはいい迷惑よ。役立たずなんだからなにもやるなっての」

「すまんなあ」

 告げられた言葉に、なぜか、腹が立って部屋に蹴り入れる。情けない悲鳴を聞き、もう余計な事をしないように縛り付けてやろうか、と。縛る物を探して辺りを見て、

 

 辺りを見て、誰もいないことを確認。

 感じたのは安堵。自分の口から零れた言葉が聞かれなくてよかった。聞かれたら恥ずかしくて泣きたくなる。

 感じたのは残念。生き残った。敵の温情だか気紛れだか、どちらにせよ情けない理由だけど、生き残った。その事を誰かに、馬鹿みたいに笑いながら語りたい。

 そんな想いを持て余し、不意に、笑みが浮かびそうになる。慌てて口元を押さえる。こんなにやついた表情、見られたくない。

 だから、口元を押さえる。笑みを消して、いつも通りの表情に戻す。

 

 …………直前に、小さく呟いた。

「ありがと」

 

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