Fires of Passion   作:枝折

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 揺らめく気持ちは頼りなく
 燃え立つ心は身を焦がす
 あなたを想う 火炎のように



前篇 「偽物‐ニセモノ」

001

 

 ある夕刻。執務室で書類仕事をしていた私はふと大きな霊圧が近付いて来ることに気がついて手を止めた。穏やかながら雄大。まるで大海のようなその霊圧は私のよく知る男のものだったので、私は少し動揺してしまった。その男が私に用があることは知っていたのだが、まさか部屋を訪ねてくるとは思っていなかったのだ。

 私はざっと執務室を見回して散らかっていないことを確認してから、止めていた手を慌ただしく動かした。彼が執務室に来る前に仕事を片付けてしまおうと思ったのだ。

 

「やあ」

 

 懐かしい声がしたのは、私が書類を書き終わるのと同時だった。顔を上げると、部屋の入り口に長身の青年が立っていた。青年はそれなりに整った顔立ちをしていたが、ぼさぼさの髪と無精ひげがすべてを台無しにしており、全体としてはだらしない印象だった。死覇装の上から着ている隊長羽織もよれよれでみっともない。彼は隊長になっても相変わらず身なりに無頓着らしい。ちゃんとしてればかっこいいだろうに、もったいない。

 

「お久しぶりです。まさか隊長の方から足を運んでいただけるとは思いませんでした」

 

 私は彼に笑顔を向けた。彼は十一番隊隊長つまりは剣八だ。先日、八代目の痣城剣八が大罪を起こして無間に投獄されたために剣八を襲名した九代目である。

 彼は私の元上官だった。私が真央霊術院から八番隊へ入った頃、彼は八番隊の上位席官をしており、私はしばらく彼の下で働いていた。しかし、四年前のほぼ同時期に、彼は十一番隊の副隊長、私は二番隊の席官へと抜擢され、それっきり会うことはなくなった。だから彼と顔を合わせるのはずいぶん久しぶりのことだった。

 

「二番隊舎の近くまで来る用事があったからついでにね。仕事中にいきなり訪ねてしまってすまない」

「いいえ。仕事はもう終わりですし――」

 

 私は言いながら書類に判子を押した。これでこの書類は完成だった。

 

「元々、仕事が終わったらこちらから伺うつもりでしたから。むしろ手間が省けて助かりました」

「そうか。ならよかった。それじゃあ、早速だけど本題に入らせてもらおうかな。松実沙耶(まつみさや)さん、君は十一番隊の副隊長になってくれるかい?」

 

 彼は私の目を見て言った。私のもとに彼からの書簡が届いたのは昨日のことだった。そこには昔と少しも変わらない乱雑な字で十一番隊の副隊長への就任要請が書かれていた。彼が今日ここに来たのも、私が後で彼のところに行くつもりだったのも、副隊長の件について話をするためだった。

 

「えっと……その件なんですけど、すいません。お断りさせていただきたくて――」

「何?」

 

 私がおずおずとそう言うと、彼があっけにとられたように目を見開いた。彼の驚きはもっともなことだった。

 護廷十三隊の副隊長になる方法はきわめて単純だ。隊長に自分の下につく副隊長を任命する権利があり、隊長に指名された隊士が副隊長になる。その際、隊士には着任を拒否する権利もあるが、その権利が行使されることはまずない。副隊長になることは隊士にとって大きな出世であり、また名誉でもある。それを断る者などそうそういないからだ。

 つまり今回の私の着任拒否は極めて稀な事例だった。まさか断られるとは思っていなかったのだろう。彼は少し慌てた調子で口を開いた。

 

「理由は?」

「十一番隊の副隊長なんて私のような若輩者にはとても……」

 

 泣く子も黙る十一番隊。その性質を一言で表すなら武闘派である。十一番隊の隊長は剣八がすると昔から決まっている。剣八とは代々最強の死神に与えられる通り名であり、剣八の名そのものが一種の特権階級のような扱いにある。そんな剣八のもとに集う者と言えば、当然腕っぷしに自信のあるいかつい猛者が多く、十一番隊は護廷十三隊きっての戦闘部隊としてその名を轟かせていた。

 そのせいだろうか。十一番隊士は軒並み強面で霊圧も荒々しく、私は彼らが苦手だった。実力云々の話ではなく単純に雰囲気が怖い。仮に私が副隊長になったとしても十一番隊に馴染める自信はこれっぽちもなかった。

 けれど「隊士が怖いから嫌だ」とは流石に言えない。だから私は自分の若さを理由にすることにした。実際、私のような十三隊に入隊してまだ十年も経っていない者が副隊長へ抜擢されるというのは、前例が皆無というわけではないにしても異例のことだった。

 私の答えを聞いた彼の反応は私にとって芳しいものではなかった。

 

「なんだ。そんなことを気にする必要はないさ。真央霊術院から八番隊に配属後しばらくして二番隊の席官に抜擢。以降は着々と席位を上げ、入隊してわずか七年で三席と隠密機動第三分隊・監理隊の部隊長を兼任。君の経歴は副隊長に指名されてもおかしくないものだからね」

「いや、でも、私はただの隠密機動ですし。十一番隊のような戦闘部隊にはふさわしくないかと――」

「僕はただの隠密機動に中級大虚(アジューカス)は斬れないと思うけどね」

 

 彼の言葉に私はぎくりとした。身に覚えのある話だった。

 

「うちの隊で一時期、噂になっていた。何でも隠密機動が前線に出てきたかと思ったら瞬く間に中級大虚を斬ってしまったそうだ。周りにいた数体の(ホロウ)もまとめてね」

 

 私は黙り込んだ。彼の言っていることは事実だった。あれは一年ほど前、私がまだ六席だった時のことだ。流魂街のはずれに虚の群れが出現した。虚が出現した地区は十一番隊の管轄で、虚の退治には十一番隊の下級席官と隊士で編成された遊撃部隊が出撃した。私はその遊撃隊に情報伝達役の隠密機動として同行した。

 群れの中には霊圧をごまかすのに長けた中級大虚が一体だけ交じっていた。大虚(メノス)というのは数万体の虚が喰い合い融合した存在であり、通常の虚とは一線を画す。その中級ともなれば隊長格かかなりの力を持った上位席官でないと撃退は難しい。いくら戦闘に優れた十一番隊といえども下級席官や一般隊士だけで構成された遊撃隊では中級大虚に歯が立たなかった。

 中級大虚によって壊滅寸前にまで陥った部隊を助けるため、私は刀を抜かざるを得なかった。通常表に出ることのない隠密機動が表に出たのはそういうわけだ。たぶん生きて帰った遊撃隊の誰かが事の顛末を隊舎で喋ったのだろう。それが十一番隊副隊長になっていた彼の耳にも入ったに違いない。

 

「中級大虚を斬るなんて君もずいぶん腕を上げたじゃないか? 元上官としては誇らしいよ」

「やめてください。隊長にまでなった人に言われても……その……えへへ」

 

 私は咄嗟に机の上の書類を持ち上げて自分の顔を彼から隠した。まずい。表情が全然真顔に戻らない。私は自分でもだらしがないなと呆れるほどにやけてしまっていた。

 私が八番隊にいた当時から、彼は席官でありながら隊長格に迫る霊圧を持つ実力者だったし、身なりや仕事には多少いいかげんなところもあったけれど、妙に人好きのする性格で周囲から好かれていた。私もそんな彼を慕っていたし、彼のように強くなりたいと憧れを抱いていた。そして彼に少しでも近づくために斬拳走鬼の修業に熱心に取り組んでいた。だから憧れの彼に褒められることは努力が認められたような気がして私にとって特別にうれしい事柄だったのだ。

 書類の向こう側から彼の声が聞こえてくる。

 

「……君は昔から素直だな。とにかくだ。立派な経歴。中級大虚を斬れる技量。隠密機動の要職を務められるだけの情報処理能力。これだけそろっている人間なら副隊長は十分務まると僕は思う」

 

 彼はきわめて丁寧に私が副隊長就任を断るための理由をつぶしてきた。体よく断る口実がなくなってしまい私が困ってしまっていると、彼は少し落ち込んだ声で言った。

 

「僕の下で働くのはそんなに嫌かい?」

「そんなことないです」

 

 私は慌てて首を振った。十一番隊でさえなければ私は喜んで彼の副隊長になっている。否定した私に彼はずばりと核心を突く一言を放った。

 

「じゃあ十一番隊が嫌なのかな? いかつい野郎ばっかりで尻込みしているとか」

「…………。あっ。いや、そんなことは――その、えっと……あ、ありませんっ!」

「いや、十分わかった。そうか十一番隊は嫌か……」

 

 彼の声がさらに落ち込んだものになる。私は慌てて頭を下げた。

 

「すいません」

「いや、十一番隊の連中がいかついのは事実だからね。しかし、参ったな。あいつらの外見をどうにかすることは僕には不可能だ」

 

 彼が困ったように唸った。私はそんな彼の様子を少し怪訝に思った。どうしてこの人がここまで私にこだわるのか不思議だった。

 

「あの……隊長はどうして私なんかを副隊長にしようと思ってくださったんですか?」

「適切な人材だと思ったからだよ。昔馴染みで人柄についてもそれなりにわかっているというのもある」

「それだけですか?」

「……それ以外に何かあると?」

「わかりません。ただなんとなくそれだけじゃないような気がしています」

 

 私は感じたことを正直に口にした。本当に何となくだけれど、私は彼が腹の底にまだ口にしていない理由を持っているような気がしていた。私の言葉に彼は少し口元を歪めた。

 

「ああ、思い出した。そういえば昔から君は妙に鋭いところがあったんだった」

「じゃあ、やっぱり特別な理由があるんですね」

「まあね」

 

 彼は近くの椅子に腰を下ろした。

 

「先々代の刳屋敷(くるやしき)隊長は理想的な剣八だった。圧倒的に強かった。その背中に誰もが憧れ、つき従った」

「えっと……何の話ですか?」

「まあ聞いてくれ。先代の痣城(あざしろ)隊長はもっと強かった。刳屋敷隊長を倒して隊長になったんだから当然だね。痣城隊長は何を考えているか掴み辛い人で、隊の中には反感を持つ人間も少なくなかった。今じゃ、ただの罪人だと言う者もいる。けれど誰もが痣城隊長の強さは認めていたよ。彼は紛れもなく剣八だってね」

 

 剣八について話す彼の目はまるで子どものように輝いていた。彼は嬉しそうに続けた。

 

「剣八というのはね、力なんだよ。ただただ大きな力の塊。それこそが剣八なのさ。だけど……」

 

 輝いていた彼の瞳が不意に暗くなる。ぽつりと彼は言った。

 

「僕はそこまで強くない」

 

 その言葉は私にとって意外なものだった。昔から彼の実力は折り紙付きで、今や彼は護廷十三隊の隊長にまでなっている。ということは隊長になる必須条件とされている「卍解」だって習得しているはずだ。それで強くないなんてありえない。私は彼の言葉を否定した。

 

「仮にも護廷十三隊の隊長が弱いなんて絶対ないと思いますけど」

「確かに僕は隊長だ。だから隊長になれるくらいの力はあるのだろう。けれど剣八になれるほど強くはない」

「でも実際に隊長は剣八です」

「僕はね、偽物なんだよ」

 

 私が怪訝な顔をしていると、彼はため息交じりに言った。

 

「新しい剣八は前の剣八を一騎打ちで葬ることによって誕生する。それが習わしだった。けれど、先代の痣城剣八は誰にも斬られることなく謀反の罪で投獄され、僕はその後任として剣八を襲名した。僕は剣八を斬ることなく剣八になった、いわば剣八の例外なんだよ」

「だから偽物ですか?」

「そうだ」

「でも隊長が剣八を襲名して十一番隊隊長になれたのは他の隊長の推薦と承認があったからですよね。ならやっぱり剣八は隊長でいいと思います」

「わかってないな。剣八はそれじゃあ駄目なんだ」

「はあ……」

 

 私はあいまいな返事をした。一体何が駄目なのかよくわからなかったのだ。首をかしげる私を見て、彼は少し微笑んだ。

 

「君ならそういう反応をしてくれると思ったよ。その反応こそが僕が君を副隊長に指名した一番の理由さ」

「えっと……どういうことですか?」

「君は剣八を理解していない。剣八という名の意味を本当に分かっている連中は僕のことを剣八とは決して認めないからね。本物の剣八を近くでずっと見て来た十一番隊の連中は特にそうさ。それはしかたがないことだ。僕は先代よりも強い。そういう風に連中に確信させるだけの力が僕にないのが悪いんだ」

 

 彼は吐き捨てるように言った。

 

「事実として僕に先代を上回る力はないし、この先上回る可能性もまずない。だから僕はずっと偽物の剣八のままだ。けれど一番近くにいる副官にくらいは自分を剣八として見てほしい。情けない話だけど一人ぐらいそう思ってくれる者が近くにいないと……つらいのさ」

 

 ひどくたよりのない表情でそうこぼす彼に私はどきりとした。私はこれまで彼がそんな表情で弱音を口にするところを見たことがなかった。私は彼に何か言わないといけない気がして必死で言葉を探したが、うまい言葉は何も出てこなかった。

 

「えっと……その、つまり、私は隊長を剣八だと思ってます。だから副隊長ですか?」

 

 私はしどろもどろにそう言った。彼は頷いた。

 

「そうだ。君は護廷十三隊に入ってまだそんなに経っていないし、やることなすこと派手な十一番隊とはある意味真逆な隠密機動にいたせいか剣八を知らない。けれど実力は十分ある。それに君の武勇伝はうちの隊でけっこう噂になっていたから、そこらの者を急に副隊長にするより隊員からの不満も少ないだろう」

 

 彼の話はそれで終わった。二人きりの部屋が静かになった。私は正直彼の言うことがよくわかっていなかった。けれど、彼にとって私は副隊長にするのに一番都合のいい人間らしいということだけ私は理解した。

 

「隊長の話はよくわからないですけど、わからないのがいいのだということはわかりました」

「それで十分さ」

 

 また会話が途切れた。次の一言は重要ということをお互い理解していたからだ。先に口を開いたのは彼の方だった。

 

「もう一度頼む。副隊長になってくれ」

「私は――いいですよ」

 

 少し迷って私はそう言った。

 

「本当かい?」

「はい、ちゃんと務められるか自信ないですけど。私、隊長の副官になります。なりたいです」

 

 私は今度はっきりと言った。彼がほっと安堵の息を漏らすのを見ながら、私は本当にこれでよかったのだろうかと思った。私は、自分がどうして心変わりして彼の要請を受ける気になったのか、その理由についてまだよくわかっていなかった。ただ彼がふと漏らした弱音が妙に心にひっかかって、どこか落ち着かない気持ちになって、気がついたら副隊長になってもいいと言ってしまっていたのだった。

 彼は椅子から立ち上がった。

 

「それじゃあ今日はお暇するよ。今後のことについては追って連絡する。隊の移籍もあるから結構バタバタすると思うけれど――」

「大丈夫です。一度、経験していますから」

「ああ、そうだったね。それじゃあ」

「はい。お疲れ様です」

 

 部屋から出て行こうとする彼の背中を見て、私はふとあることを思いついた。隊長、と彼を呼び止める。

 

「私、副隊長になる代わりに隊長にお願いしたいことがあるのですけどいいですか?」

「何だい?」

「あのですね――」

 

 私がお願いを言うと彼はひどく面倒くさそうな顔で頷いた。

 

 

002

 

 姿見に黒い髪を肩のあたりまで伸ばした小柄な少女が映っている。それは昨日までと同じようで少し違う自分の姿だ。鏡の中の私は左腕に腕章を付けている。十一という数字が書かれたそれは自分が十一番隊の副隊長であることを示していた。

 

「うん、悪くない」

 

 副官章の位置を整えながら私は独り言を言った。彼に副隊長になると告げたのは三日前のことだ。それから昨日の晩までは、自分の後任への仕事の引継ぎや十一番隊舎への引っ越しなど、隊の移籍に伴うあれこれでてんてこ舞いだった。そして今日から私は正式に十一番隊の副隊長に着任することになっていた。

 身支度が終わるのとちょうど同時に「入っていいかい?」と障子の向こうから男の声がした。私がどうぞと返事をすると障子が開いた。

 戸口に立っていたのは隊長だった。彼の外見は三日前と様変わりしていた。だらしない無精髭は剃られ、ぼさぼさだった髪もさっぱりと切られている。これは私が副隊長になる代わりにとお願いしたことだった。身なりをもう少しちゃんとしてくださいと言った時、彼はひどくめんどうくさそうな顔をしていたけれど、私は様変わりした彼を見てやっぱりちゃんとしている方が格好良くていいと思った。

 

「隊長、おはようございます」

「おはよう。そろそろみんな集まっているけれど、準備はいいかい?」

「はい、ばっちりです。どうですか?」

 

 左腕の副官章を自慢げにみせると隊長は苦笑しながら「似合ってるよ」と言った。私は少し得意な気分になった。

 

「ああ、そうだ。斬魄刀を忘れないでくれよ」

「ええ。わかっています。でも着任式に刀なんて必要あるのですか?」

 

 今から道場で行われる予定の着任式は、実際のところ式というほどおおげさなものでもなく、隊員の前でわたしが軽く挨拶するだけのいわば顔合わせのようなものだった。それに斬魄刀が必要とは到底思えない。私の疑問に隊長が答える。

 

「まあ、戦闘部隊だからね。格好も武人らしくってところかな」

「なるほど。さすが十一番隊ですね」

 

 私は脇差くらいの長さの斬魄刀を腰にさしながら着任式にも隊の特色は出るんだなと思った。

 

                  ***

                                       

 帰りたい。道場にずらりと並んだ十一番隊士を前にして、私は顔をひきつらせながらそう思った。ただでさえ十一番隊は厳めしかったり強面だったりと苦手な雰囲気の人が多いのに、それが一様に新しく副隊長になる自分の方に注目しているというのだから参った。

 おまけにどうやら私は歓迎されていないようだった。刺す様な彼らの視線がそれを如実に物語っている。私だったら副隊長になっても不満は出ないという彼の言葉は一体なんだったのか。私はよっぽど隣に立つ彼の後ろに隠れてしまいたかったが立場上そうもいかない。今はただこの式が一刻も早く終わることを待つだけだった。

 彼は私を軽く紹介した後、私に隊士たちへあいさつするよう促された。一歩前に出ると、声が震えないように注意しながら私は口を開いた。

 

「ご紹介に預かりました、松実沙耶です。今日から十一番隊の副隊長をさせていただきます。若輩者ゆえ、至らぬ点もあるかと思いますが、どうぞよろしくおねがいしましゅ……」

 

 やってしまった。こんな大勢の前で噛んでしまった。隊士の方から失笑が聞こえて、私は泣きそうになりながら礼をして後ろに下がった。ちらりと隣を見ると隊長まで口元が笑っていた。私はいたたまれなくなって、いっそうこの場を立ち去りたくなった。この後は隊長が二言、三言喋って終わりのはずだ。早く終われ。私は彼の言葉を待った。

 

「さて、これで着任式はお終いだが、新しい副隊長に文句のある奴は前に出ろ。ここで松実と立会って勝てたら副隊長だ。隊長への挑戦権はいつでもあるが、副隊長に挑戦する機会は今しかない」

 

 すると隣で彼がそんなことをのたまった。彼が口を閉じた後、私はたっぷり三秒くらい固まっていた。はっと我にかえり慌てて隊長を問い詰める。

 

「隊長っ! どういうことですか? そんなの聞いてないですよ、私」

「そうだったかな? すまない。どうも伝えるのを忘れていたらしい」

 

 うろたえる私に彼は楽しそうな声で言った。どう見ても確信犯だった。

 

「これは副隊長就任時の十一番隊の恒例行事みたいなものだよ。いつも三名まで受け付けている。だから三人抜きすればいいだけだ、がんばれ」

「うぅ……私にあいさつさせて恥をかかせた上に、こんなだまし討ちするなんて……。斬魄刀はこのためだったんですね。おかしいと思ったんです。ひどいです。隊長、私に意地悪して楽しいですか?」

「いや、君が噛んだのは僕のせいじゃないだろう」

 

 そんなやり取りをしているうちに、前に挑戦者の三名が出てきた。三人とも当然のように強面でごつい男たちなので私はうんざりした。

 

「三席と四席と五席。まあ、順当に上三人がでてきたな」

「本当にやるんですね……」

 

 荒事は気が進まないけどとため息をつきながらも、私はしかたないかと諦めた。十一番隊は十三隊の中で最も戦に特化した武人の集団だから、そんな隊の上に立つ者は遅かれ早かれ自分の力を示さなければならない。たぶんこの恒例行事とやらはそのためのもので、十一番隊の副隊長をやるには避けては通れぬ道なのだろうと思ったからだ。

 それでなくても私は十一番隊の面々から侮られているようだった。年端もいかぬ女だからか、それともさっきのあいさつでものの見事に噛んだせいか。最初からあんまり歓迎されてない風だったし、たぶんもともとは前者で、それが後者でよりいっそう、というところだと思う。どちらも死神としての強さとは関係のないものだけれど、彼らが私を見くびっているのは事実であり、それは問題だ。このままだと先が思いやられる。

 この際、徹底的にやった方がいいかもしれない。そう思った私は隊長に言った。

 

「三人まとめて相手してもいいですか?」

 

                  ***

 

 私たちは道場を出て屋外の修練場へと移動した。修練場は壁に囲まれた長方形の敷地で、暴れまわっても支障のない広さだった。

 私は中央に間合いを開けて三人の席官と向かい合った。十一番隊の隊員たちは戦闘に巻き込まれないよう少し離れたところから観ている。

 

「準備はいいかい?」

 

 隊長の声が修練場に響く。席官たちは頷いたがまだ誰も刀を抜いていなかった。そんなことでいいのだろうかと思いつつ私も頷く。

 

「はじめっ」

 

 隊長の合図とともに私は瞬歩で一番近い位置にいた五席へと一気に距離を詰めた。右手で相手の斬魄刀の柄頭を押さえて抜刀を止めると、左手で下から突き上げるようにして顎に掌底を打ち込んだ。五席の頭が跳ね上がる。これで一人。

 

「破道の三十一 赤火砲」

 

 間髪入れず四席へ鬼道を放つ。四席はやっと斬魄刀を抜いたばかりで詠唱破棄で撃たれた破道に対処できなかった。私の手の平から放たれた炎塊が直撃する。これで二人。

 後は――私は斬魄刀を抜き、横合いから斬りかかって来た三席の斬撃を受け止めた。刀の衝突に鈍い金属音が鳴る。

 ここまで開始からわずか数秒たらずの出来事だった。

 

「いきなりやってくれるじゃねえか」

「あまり悠長に構えていらっしゃったので、つい。ところでその斬魄刀は見たところ直接攻撃系みたいですね」

 

 ぎりぎりと鍔迫り合いをしながら口を開いた三席に私はそう返事をした。彼の斬魄刀は日本刀から幅の広い両刃の剣へと形状を変えていた。間合いを詰めながら解放したのだろう。

 

「ああ? それがどうしたよ?」

「あまり迂闊に私の火蓮(ざんぱくとう)に触れない方がいいですよ。喰われますから(・・・・・・・)

「――っ?」

 

 異変に気がついたのだろう、三席が鍔迫り合いを止めて距離を取った。

 

「その刀――触れたものの霊力を喰う斬魄刀ってわけか。こっそり始解してやがったな」

「お互い様です。赤火砲」

 

 私は赤火砲を放ったが、三席は瞬歩で逃れた。当たらなかったか。四席は同じくらいの距離から放った赤火砲を避けられなかったのに、やっぱりこの三席は四席より強いらしい。

 私が最初に四席と五席を潰したのは二人が三席より確実に倒せると踏んだからだった。席の数字が必ずしも強さの順を意味するわけではないものの、少なくとも感じる霊圧の大きさから判断するに、あの三人の中では三席が一番強そうと当たりをつけていたのだ。

 しかし、破道単体で撃っても当たらないとなると、縛道で動きを止めるか、鬼道以外の手段で倒すかだけど――そう思っていたら三席が間合いを詰めてきた。

 一撃。二撃。三席の振るう刀を火蓮で防ぐ。どうやら彼は火蓮(かれん)に霊力を喰われるのを覚悟の上で接近戦を挑むつもりらしい。十一番隊の隊士は直接的な斬り合いを好み、あまり鬼道を好まないという話を聞いたことがあったけれど、この分だとそれは本当のようだ。

 彼は鍔迫り合いを避けるようにしながら斬撃を続けた。確かに火蓮に長く触れないようにすれば喰われる霊力も少なくてすむ。それに接近戦なら自分を巻き込む可能性のある強力な破道を私は使いづらくなる。そこに彼は勝機を見出したのだろうけど――

 

「火蓮」

 

 私が呼びかけると斬魄刀の刀身から炎が噴き出して三席の斬撃を牽制した。突然のことに三席の動きが一瞬止まる。ここだ。

 

「縛道の六十一 六杖光牢」

 

 鬼道によって作り出された六枚の光の帯が三席の体を囲むように刺さり動きを封じた。三席は何とか脱出しようともがいたが、縛道は完全に決まってしまっていた。

 手合せとしてはこれで終わりだ。動きを封じた時点で勝負はついている。けれどこの手合せには私の力を隊員たちに認めさせるという目的がある。不意打ち気味に四席、五席を倒している手前、これだけでは印象が弱いかもしれない。この際、もうひと押ししておこう。私は火蓮に自分の霊力を喰わせながら、三席に向かって口を開いた。

 

「私の火蓮はただ刀に触れたものの霊力を喰うだけじゃありません。喰った分の霊圧を――」

 

 火蓮の刀身から煌々と炎が迸った。私は燃える刀を振り上げ、炎を近くの地面へと叩きつけた。爆音とともに炎が落ちた地面が焦土と化し、修練場に熱風が吹き荒れた。

 

「火炎に変えることができます。さて、まだやりますか?」

 

 私の問いかけに三席は観念したように斬魄刀を放した。からんと地面に刀が落ちる。それを見た隊長の終了の合図で手合わせは幕を閉じた。

 

 

004

 

 着任式の晩。私は隊舎の縁側で彼と晩酌を躱していた。夕飯の後、湯浴みをすませ、自室でくつろいでいると、月が綺麗だから晩酌でもどうだと彼が誘って来たのだ。彼の言うとおり今宵は満月だった。

 酒の肴は昔話だった。私たちは八番隊にいたころの思い出話に花を咲かせた。それから私は二番隊、彼は十一番隊に入ってからのことを話した。話題は少しずつ昔から今へと移ろい、つい先ほど今日の着任式のことに戻って来ていた。

 

「何が伝えるのを忘れていたらしいですか。昔から隊長はすぐ悪戯するから困ります」

「反応がおもしろくてつい。昔から慌てる君を見るのが僕はわりに好きなんだよ」

性質(たち)悪いですよ、それ」

 

 私がにらむと彼は肩をすくめてから、ぐいっと杯の酒を飲みほした。空になった彼の杯に私がお酒を注いでいると彼がふと言った。

 

「しかし君は本当に強くなったな」

「な、なんですか、急に?」

「さっきの戦いで見ていて思ったが斬拳走鬼、そのどれもが八番隊にいた頃とは比べ物にならない。見た目は子どものままなのにね」

「……一言余計ですよ」

 

 褒められて緩みかけた私の頬は彼の余計なひと言で膨らんだ。死神の年の取り方はそれぞれだけど、年端のいかない少女のまま一向に変わる様子のない容姿は私のちょっとした悩み事だった。山本総隊長ほど年を取りたいとは思わないけれど、もう少し大人になって出るとこ出てほしいというのが私の密かな願望だった。

 

「三人同時と言い出した時にはちょっと心配したけれど必要なかった。安心したよ。あれだけ強いなら君が副隊長になることを隊員たちも認めるだろう」

「そうでしょうか?」

「そうさ。どいつもこいつも単純だからね。君はうちの連中を怖がっていたが、みんな気の良い馬鹿だよ」

「隊長は十一番隊がお好きなんですね」

「愛着はあるさ。そうじゃなければ偽物の剣八なんて損な役回りを引き受けたりしないよ」

 

 偽物という彼の言葉に私は眉をひそめた。以前、隊長から話を聞いた時から感じていたことだが、彼が自分のことをそういう風に言う度、私は面白くない気持ちになる。どうやら彼が自身のことをたいしたことのない奴のように言うのが私には不満らしかった。

 

「偽物だなんて言わないでください」

 

 私は少し怒った声で言った。私の語調に彼が驚いたように目を見開く。

 

「私は剣八を知らないと隊長は言いました。そうなのかもしれません。私にはその名の意味も、重みも、どのような者が持つべきなのかもわかっていないのかもしれません。だって隊長が自分のことをいくら偽物と言っても私にとって剣八は隊長ですから。あなた自身が望んだように、他の誰が認めなくても私は隊長のことを剣八だと思っています」

 

 私は続ける。

 

「だからこそ私は隊長には俺が剣八だって堂々と胸を張っていてほしいです。そうすることが隊長を剣八と慕う私に対する責任であり、私がここにいる意味です。隊長がもし剣八の名を背負うことを辛く感じた時は私を頼ってください。全力で支えてみせます。だって私は――隊長の副官ですから」

 

 三日前、彼が弱音を吐いた時、私は彼に対してかける言葉を持たなかった。けれど彼の副官になった今ならば、私はこうして彼にかける言葉をかけられる。

 ああ、そうか。自分がどうして彼の副官になろうと思ったのか、その理由がようやく分かった。あの時、私はただただ彼の力になりたいと思ったのだ。

 私の言葉に彼はしばらく呆気にとられたように固まっていたが、やがて声を上げて笑い出した。彼の反応に私は困惑した。私はそんなに笑われるようなことを言っただろうか? 不安になって、私はおずおずと彼に尋ねた。

 

「あ、あの……私そんな変なこと言いましたか? それとも私では隊長を支えるには不足ですか?」

「いいや。まったく君には参ったな。本当に……」

 

 彼はまた酒をあおった。彼が私のどこにどう参ったのかがわからなかったけれど、彼に詳しく説明する気はなさそうだった。彼は杯を空にすると全く別の話題を口にした。

 

「そうそう、実は君を酒に誘ったのは渡したいものがあったからなんだ」

「渡したいもの?」

 

 私が首をかしげると、彼は袖から和紙で綺麗に包装された細長い小箱を取り出した。差し出された箱を受け取ると、私は包装を解いて中身を取り出した。

 

「綺麗……」

 

 私は思わずそうこぼした。箱の中から出てきたのは一本の簪だった。小さな花と飾り紐がついた上品な意匠をしており、いかにも高価そうな品だった。

 

「就任祝いだよ」

「そんなの気にしなくてもいいのに……。どうして簪ですか?」

 

 私はもごもごとそんなことを言った。彼がこんなものを渡してくるとはかけらも予想していなかったのですっかり動揺してしまっていた。

 

「人の外見について口を出すなら自分も相応の格好というものをしないといけないとは思わないかい?」

「私が隊長の外見に口を出したのは不相応とでも言いたいんですか? それは確かにこういう飾り物を身につけることがないというのは……そうですけど」

「気に入らなかったかい?」

 

 めっそうもございません。彼の言葉に私はぶんぶん首を横に振り、まだお礼を言っていないことに気がついて慌てて頭を下げた。

 

「すごくうれしいです。ありがとうございます」

「お礼を言うのはこっちさ」

 

 彼が珍しく屈託のない笑顔をこちらに向けて言う。

 

「君が副隊長になってくれて本当によかった」

 

 彼のその一言で私は息が止まった。あれ? これはおかしいなと思った。

 

「沙耶?」

 

 彼が不思議そうに私を見た。名前を呼ばれた私は彼から慌てて視線を外した。彼をまっすぐ見ていられなかった。

 

「あ、あの……隊長。私少し飲み過ぎてしまったみたいです。申し訳ありませんが今日はもう休んでもいいですか?」

「ん? ああ、そうだね。明日に響いてもいけないし……。後片付けは僕がしておくよ」

「すいません。それではお言葉に甘えて失礼します。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 私は一礼すると彼に背を向けた。縁側の突当りまで進み角を曲がって、彼から私が見えなくなると私は足を速めた。

 ああ、この感じはおかしい。絶対におかしい。廊下を早足で歩きながら私はひたすらそんな言葉を頭の中で繰り返した。

 自分の部屋に戻ってくると、私はへなへなと畳の上に座り込んだ。胸を押さえる。心臓が高鳴っている。身体がやけに熱い。

 今自分の身に起こっているものの正体について私には心当たりがあった。自分が経験するのは初めてだったけど、そういうものがあるということは知っていた。

 さきほど私は自分が副隊長になった理由が彼を支えたかったからだと気がついた。私はそこでもう一歩踏み込んで考えるべきだった。どうして私は彼を支えたいと思ったのだろう、と。それはつまるところ、今私の胸を熱くしている炎のような感情のせいだったのだ。

 この感情は一体いつから私の中にあったのだろう? 彼が久しぶりに私の部屋を訪ねて来た時? 彼が弱音を吐く姿を見た時? それとももっと前? 八番隊にいた頃から? 私の彼に対する憧れの中に最初からこの感情が含まれていたのだろうか? 

 すなわち、彼を恋慕する感情が。

 畳の上にへたり込んで、どのくらいそうしていただろう? ようやく落ち着いてのろのろと立ち上がった私は、不慣れな感情に振り回されたせいでどっと疲れてしまっていた。

 今日はもう寝よう。布団を敷き、机の灯りを消そうとした時、机の上に並べて置いた副官章と簪が目に入ってしまい、私はまた落ち着かない気持ちになった。

結局、その晩はなかなか寝付けなかった。

 

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