Fires of Passion   作:枝折

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 何も知らないくせに私を抱かないで



中篇 「徒夢‐アダユメ」

 

000

 

 遠くに人が倒れていた。私は慌ててその人の傍に駆け寄ろうとして、途中で足がぴたりと止まってしまった。恐ろしさで足がすくんで動けなくなったのだ。倒れているのが誰なのか私にはわかってしまった。そしてその人の体の下に広がった大きな大きな血だまりが私に一つの事実を告げていた。

 ああ、もう死んでいる――

 

 

001

 

 目が覚めた。何か夢を見ていた気がする。どんな夢だっただろうと私は記憶を探ったが、どうにも思い出せなかった。ただあまりいい夢ではなかったようで、胸にぼんやりと不吉な感覚だけが残っていた。私はそれを振り払うように勢いよく布団から起き上った。

 顔を洗い、死覇装に着替え、櫛で髪を梳かして、簪で結う。最後に副官章を腕に着けて、姿見でおかしなところがないか確認すると私は部屋を出た。行先は隊首室だ。

 廊下の窓から差し込む朝の光がまぶしかった。途中で向かいから歩いてきた隊員に声をかけられた。

 

「おはようっす、松実副隊長」

「おはようございます。掃除当番ですか?」

「うっす」

「お疲れ様です」

 

 お互いに会釈してすれ違う。

 私が十一番隊の副隊長になってから長い年月が流れていた。十一番隊に来た当初、あれほど怖かった十一番隊の隊士も今となっては何のこともなく、その隊士たちから副隊長と呼ばれることも当たり前となって久しい。

 私の副隊長としての仕事は隊首室の簡単な掃除から始まる。同じ部屋で執務をする隊長はまったく掃除をしないので私が一人でやっている。

 掃除が終わると、ちょうど隊長の彼を起こしに行くぐらいの時間になる。隊長を起こしに行くのは副隊長の仕事ではないけれど、放っておくと昼まで寝ているので、いつの間にか私は彼を起こしに行くようになってしまっていた。

 隊首室を出て隊長の私室へ移動すると、「入ります」と一言ことわって私は部屋のふすまを開けた。部屋の中央に引かれた布団、その上で彼が寝ていた。今日も今日とてよく寝ていらっしゃる。

 私は彼の寝顔を眺めるのが割に好きだった。起きている時は意地の悪い彼も、寝ている時は素直な顔をしているのでちょっと可愛い。もっとも、剣八を襲名して以来、その名を狙う挑戦者を退け続けている彼をつかまえて可愛いなんて言うのは少しおかしいかもしれない。可愛い剣八なんて締まらないにも程がある。

 私はいつものように少しの間だけ彼の顔を眺めてから、彼の体を揺すり始めた。

 

「剣八さん、起きてください。朝ですよ」

「まだ朝じゃない」

 

 体を揺すっていると彼がむにゃむにゃとそんなことを言った。彼がなかなか起きようとしないのはいつものことだった。

 

「またそんなこと言って。お天道様が顔をだしたらそれはもう朝です。そして朝になったら剣八さんも早く布団から顔を出さないといけません」

「そんな決まり僕は聞いたことがない」

「はいはい。布団引っぺがしますよ」

 

 私が布団を勢いよく取り去ると彼はぶるっと身震いしてから起き上った。

 

「寒いじゃないか」

「朝ですから。さあ、早く支度してください。今日は隊首会があるんだからしゃんとしてください」

「……そうだった。面倒な日だ」

「我慢してください。剣八さんは隊長なんですから」

 

 

002

 

 昼。彼を隊首会へ送り出してしばらくしてぽつぽつと雨が降り始めた。朝は晴れていただけに彼は傘を持って行っていなかった。だから私は隊首会が終わる時間を見計らって一番隊舎へ彼を迎えに行くことにした。

 一番隊舎に着くと、私は入り口の大門の庇の下で隊長が出てくるのを待った。雨の音を聞きながら立っていると、しばらくして彼が十三番隊の浮竹隊長と話しながら出てきた。

 彼は私がいるのを見て怪訝な顔をした。

 

「沙耶。どうしてここにいるんだい?」

「雨が降って来たので迎えに来ました。隊長、傘持ってないでしょう?」

 

 私が手に持った番傘を見せると彼は不機嫌そうな顔をした。彼は雨が嫌いなのだ。

 

「本当に雨が降ったのか。俺が珍しく隊首会に出て来たものだから今日は雨が降るんじゃないか、とみんなにからかわれたばかりなのに……参ったな」

 

 隣の浮竹隊長が困った顔で言った。浮竹隊長は病気がちで、隊首会に出てくるのは珍しいことだった。私は自分の傘を浮竹隊長に差し出した。

 

「浮竹隊長。よかったら私の傘を使ってください」

「いや、そしたら松実の分がなくなるだろう」

「私はいいんです。浮竹隊長はお体に触るとたいへんですから」

「しかし――」

「僕とこの子で一本使いますからお気遣いなく」

「へ?」

 

 渋る浮竹隊長に唐突に彼がそんなことを言ったので、私の口から間抜けな声が出た。私と彼が同じ傘を使うということは、それはつまりいわゆる相合傘というやつをするということ――? 途端に私の心臓が高鳴った。想像しただけでもう恥ずかしかった。

 

「そうか? じゃあ、スマンがお言葉に甘えさせてもらうよ。松実、ありがとう。今度お礼に伺うよ」

「あ……、はい……。お疲れ様です……」

 

 傘を持って笑顔で去ってゆく浮竹隊長の背中を私は呆然と見送った。どうしよう。

 

「沙耶」

「ひゃいっ!」

「どうしたんだい、急に変な声出して。僕たちも戻ろう。傘を貸してくれ」

「わ、私が持ちます」

「身長差を考えると僕が持った方がいいだろう。君は万歳しながら歩く気かい?」

「そこまで小さくないですよ……」

「いいから」

 

 彼は私の手からが傘を奪って開くと、私に中に入るように促した。私を見る彼の態度はいかにも自然で、意識しているのはどう見ても私だけだった。私は心の中で小さくため息をついた。

 私が彼の副隊長になってからもうずいぶん長いこと経つというのに私と彼はずっとこんな感じだ。彼の行動に私が勝手に一喜一憂するだけのどうしようもない関係。臆病な私はずっと自分の気持ちを伝えることができずにいたし、鈍感で唐変木な彼が私の気持ちに気づく様子は微塵もなかった。

 私が傘に入ろうとしたところで後ろから声がした。

 

「おや、相合傘かい? キミたちは相変わらず仲がいいね」

「き、京楽隊長。変なこと言わないでください」

 

 振り返ると、死覇装の上から羽織った派手な柄の着物と頭に乗せた笠。八番隊の京楽隊長が立っていた。私も彼もかつては八番隊にいたので京楽隊長は元上司だ。

 

「やれやれ、浮竹が珍しいことをしたと思ったら本当に雨が降ったねえ」

 

 京楽隊長が雨空を見上げて言う。

 

「あ、京楽隊長も傘がありません。どうしましょう? さすがに三人は入れません」

「大した雨じゃないし、ボクは笠があるから平気さ。せっかくの相合傘を邪魔するなんて無粋なことはしないよ」

「だからやめてくださいってば」

「……僕はいつまで傘を開いたまま待っていればいいんだ?」

 

 京楽隊長とは途中まで同じ方向なので三人並んで歩いた。左隣に彼、右隣に京楽隊長と隊長二人に挟まれていたので、私は少し緊張していた。いや、違う。緊張しているのは二人の隊長に挟まれているからではなかった。彼と同じ傘に入るというのが恥ずかしいやら嬉しいやらで緊張するのだ。

 こんな風に思っているのはやっぱり私だけなのだろうか。ふと、隣を歩く彼の表情を見てみようかとも思ったけれど、残念ながら私にはそれを実行に移す勇気はなかった。

 

「隊首会、何か変わったことはありましたか?」

 

 私は緊張をごまかすように京楽隊長に話しかけた。京楽隊長がいて――彼と二人きりじゃなくて良かったと内心私はほっとしていた。二人きりだとおそらく口を開くこともできなかっただろう。

 

「そうだねえ。いつもの定期報告ぐらいで取り立てて変わったことは――ああ、そういえば沙耶ちゃんは鬼厳城って男を知っているかい?」

「誰ですか?」

 

 私は首を傾げた。さっぱり聞いたことのない名前だった。鬼厳城なんて大仰な名前、一度耳に入れたら忘れないだろうから、本当に知らない名前だ。

 

「いやあ、隊首会が始まる前、二番隊の隊長さんと世間話をしていてちらっと聞いたんだけどね。流魂街の北の外れに鬼厳城って名乗るやたら強い大男が現れたって噂になっているそうだよ。しかもその鬼厳城ってのはどうやら斬魄刀を持っているらしい」

「斬魄刀を? それは問題ですね」

 

 基本的に斬魄刀は現役の死神しか持っていないものだが例外はある。例えば虚にやられた死神の刀を拾ったとか、または力づくで奪うというのも可能性としてはなくはない。何にしても斬魄刀を死神以外が持つことは許されていないため、それ以外の誰かが所有していることが確認された場合は回収される決まりになっている。

 

「今は鬼厳城の調査に隠密機動が動いているそうだよ。ま、通例ならそのまま隠密機動が斬魄刀を回収してお終いさ」

「そうですね。流魂街の北には十一番隊の管轄地区もいくつかありますし、厄介事にならなければいいですけど……」

 

 私は鬼厳城とやらが気になり始めていた。はっきりした理由もないのに妙に心に引っ掛かるこの感じは覚えのあるもののような気がする。なんだったかなあと眉をひそめて、私はそうだと思い当った。そういえば今朝、起きた時にも私は似たような心持だった。内容の思い出せない夢がわずかに残していった漠然とした不安な気持ちと今の私の気持ちは似ている……って、あれ? それなら私は鬼厳城の名に不安を覚えたことになる。どうして? わからない。

 

「おっと、ボクはそこ左だから」

 

 京楽隊長が目の前の角を指さした。私はその声で鬼厳城のことを考えるのを止めた。京楽隊長がいなくなるのはまずい。

 

「い、行っちゃうんですか? 八番隊舎はそっちじゃないですけど」

「隊舎に戻ると仕事しないといけないからね。そいじゃ」

 

 京楽隊長は彼と二人きりにされると困るという私の気も知らないで、ひらひらと手を振って離れていってしまった。

 

「沙耶。もう少しこっちによった方がいい。肩が濡れている」

 

 彼の言葉に私はびくりとした。

 

「ええっと、その……私はだいじょうぶです」

「いや、大丈夫ではないだろう」

「じ、実はですね、私の死覇装は右肩が防水仕様なんです」

「そんな局所的な仕様は聞いたことがないな。もしかして京楽隊長にからかわれたことを気にしているのかい?」

「うっ……」

 

 図星だった。顔が赤くなるのがわかった。

 

「大丈夫さ。大人と子どもが並んで歩いても誰も邪推なんてしないからね」

 

 彼の言葉に私は少しかちんときた。死神に齢なんて関係ないのに彼はいつも私を子ども扱いする。それは見た目で言うなら私は彼と初めて会った時から変わることなく小さいままだし、隊長より幼く見えるのかもしれないけれど……おもしろくない。

 

「そんなことよりこれからどうしようか?」

「……仕事です。剣八さんの机の上、片付けないといけない書類でいっぱいです。隊長なんですから率先して仕事してください」

「ただでさえ雨で憂鬱なんだ。部屋にこもって仕事なんかしていたら体に毒だ」

「そのまま毒で死ねばいいんじゃないですか」

「……なにか怒っているのかい?」

「べつに、全然、何も、これっぽちも怒ってません」

「怒っているじゃないか。君はたまによくわからないな」

 

 わからないですか。そうですか。こうなったら椅子に括り付けてでも仕事させてやる。私がそう決意していると隊長がぼそりと気になることを呟いた。

 

「……実は君の好物の白玉団子がうまいと評判の甘味どころがあるんだが」

「え? 本当ですか?」

「でも、仕事じゃしかたないな。うん、仕方がない」

「あ、あの……えっと……」

「残念だ。おごってあげようと思っていたのだけど」

「剣八さん。私、やっぱりちょっとくらいなら仕事をお休みしてもいい気がしてきました」

 

 私がそう言うと、彼はにやにやと意地の悪い顔をした。

 

「君も副隊長なら率先して仕事をしないといけないんじゃないか」

「ううっ……」

 

 言葉に詰まる。私は恨めし気に彼を見たが、彼はにやにや笑いを止めなかった。どうしてこの人はこう意地悪なんだろう。お団子食べたかった……私がしょんぼりしていると頭にポンと手が乗せられた。

 

「冗談さ。ほら早く来ないとおいていくよ」

 

 彼が歩き出したので、私は慌てて傘の下に入った。十一番隊舎へ向かう道を外れて、噂の甘味どころへ向かう。私はちょっぴり悪いことをしている気分になりながら、けれども幸せな気持ちで彼の隣を歩いた。傘にぽつぽつと当たる雨の音がやけに弾んで聞こえた。

 

 

003

 

 気がつくと私は闇の中に立っていた。何も見えない、聞こえない。ただ、錆びた鉄のようなにおいがしている。あまりに深い闇で進むべき方向が分からず立ち尽くしていると、ふと闇の向こうにぼんやり浮き上がるようにして白いものが見えた。私はそちらに向かって歩き出した。

 近付くにつれて、その白いものの形がはっきりとし、ほどなく私はそれが人だとわかった。白い羽織を着た人物が地面に倒れている。ふと彼の顔が私の頭をよぎった。

 私はその人の傍に急いだ。けれど走っても走っても一向にその人のもとにたどり着かない。暗闇のせいで私の距離の感覚がおかしくなっているのか? 焦りながら、それでも走っていると、ようやく倒れている人影が大きくなってきた。私は確信した。やっぱり彼だ。けれどどうして倒れて動かないんだろう?

 彼まであと数歩の距離になって、ぴちゃりと足元で音がした。私は何か液体を踏んだことが分かった。すると途端に私は体が凍り付いた。恐怖で足がすくんで動けなくなったのだ。

 私は気がついてしまった。この暗闇に漂う錆びた鉄のようなにおいは血のにおいに似ている――。

 私はすっかり固まってしまった首を無理やりに動かして足元を見た。不吉に輝く赤い血が、まるで激しい雨の日の水溜りのようにみるみると広がっていく。

 私は理解した。彼はもう死んでいる――

 

 

004

 

 数日前の隊首会の日から天気は回復せず、雨は降ったり止んだりを繰り返していた。今日も朝からしとしと雨が降っている。

 私は雨音を聞きながら、隊首室で彼といっしょに書類仕事をしていた。といっても彼の手はほとんど動いておらず、お茶を片手にほとんど怠けているようなものだった。彼の仕事がはかどらないのはいつものことだったが、それにしても今日はひどい。きっと彼の嫌いな雨が続いているせいで、憂鬱な気分になっているからだろう。

 彼と反対に私の気分は明るかった。今朝は妙にはっきりとした不吉な内容の夢を見た。私はそれが夢で起きたことだとわかっていても不安で仕方がなく、慌てて身支度をすませると、彼の部屋に急いだ。ふすまを開けて彼がいつも通り寝ているのを見るとほっとしてその場にへたり込んでしまった。

 夢で本当によかった。今朝方から私の心の中はそんな安堵でいっぱいだった。彼が仕事をせずに怠けていても怒る気には全くならなかった。彼が何事もなく椅子に座っているだけで私は十分だった。

 ふと書類から顔をあげると彼が私の方を見ていた。私は彼に笑いかけた。

 

「どうかしましたか、剣八さん。お茶のおかわりですか?」

「いや」

「そうだ。羊羹でも切りましょうか? 傘のお礼にって浮竹隊長からいただいたんですよ」

「いい」

「そうですか? 何かあったら言ってくださいね。あ、剣八さん。その書類、私がやります。かしてください」

「沙耶。今日はどうしたんだい? ずいぶんと様子がおかしいけれど」

「そんなことないですよ?」

「嘘だ。僕が仕事を怠けているのを一度もとがめないどころか、お茶だの羊羹だの代わりに仕事をやるだの言うなんて絶対におかしい。たまに僕の方を見て笑っているのも気になる」

「考え過ぎですよ。私は剣八さんがそこに座ってくれているだけで十分うれしいんです」

「……熱でもあるのかい?」

「ありませんってば。なんなら測ります? 良かったらおでこかしてください」

「……これはどうかしている」

 

 彼は気味の悪いものでも見るような顔で私を見たが、私はそれすらも気にならず、ほら書類かしてくださいと、彼の分の仕事も片付け始めた。そうして書類を仕上げていると、ひらりと黒い蝶が部屋に舞い込んできた。伝令を伝える地獄蝶だった。

 

(緊急招集。十一番隊隊長ならびに副隊長はただちに一番隊舎に出頭されたし。繰り返す――)

 

 地獄蝶の伝令を聞き、彼の顔が厳しいものに変わる。

 

「総隊長の緊急の呼び出しだなんて。一体何でしょう?」

「さあて。行ってみないとわからないな」

 

 私たちはすぐに一番隊舎に向かった。一番隊舎には私たちの他に二番隊の隊長と副官も来ていた。そこで、私たちは数日前から鬼厳城の調査に出ていた隠密機動の部隊が戻って来たという話を聞かされた。彼らの報告では、鬼厳城は確かに斬魄刀を所持しており、信じがたい話ではあるが隊長格に迫る霊力を有しているとのことだった。そして、事は一般隊士の手に余ると判断した山本総隊長から九代目剣八へと鬼厳城の身柄の捕縛および斬魄刀の回収が命じられた。

 総隊長からの命令を聞いたとき、なぜか夢で見た不吉な光景がさっと頭に浮かび、私は消えたはずの不安が胸の中にむくりと蘇ったのを感じた。心臓の鼓動がわずかに乱れ、ほんの少し息苦しくなる。何なんだろう? 胸を掻きむしるようなこの不安はどこから来るのだろう?

 外では雨が強くなっていた。

 

 

005

 

 浴場で湯浴みをして、相変わらず降り続く雨の音を聞きながら自分の部屋に戻る途中のことだった。隊の掲示板の前を通りかかった時、何の気なしに掲示板に目をやると、明後日、鬼厳城の一件で出撃する隊員の名簿がはってあった。それは数刻前の呼び出しの後、私が作成して彼に提出したものだったが、そこに書かれた名前の一つが墨で黒く塗りつぶされていた。隊長の一つ下、私の名前だった。

 

「へ?」

 

 ぽかんとして、それからはっと我に返った私は彼の部屋に急いだ。部屋に着くなり、私はふすまを開け放って叫んだ。

 

「剣八さんっ」

「なんだ、慌ただしいな」

 

 彼はちょうど布団を引いていた。どうやら就寝するところだったらしい。呑気にそんなことをしている場合じゃないのに。私は彼に詰め寄った。

 

「どうして私が――」

「待て、沙耶。服を直しなさい」

 

 彼に言われて私は自分の姿を確認して真っ赤になった。風呂上がりだからと適当に着物を着た状態で、部屋まで走って来たのがよくなかった。胸の辺りが派手にはだけてしまっていた。私は慌てて彼に背を向けて着物を直した。振り向いて彼をにらむ。

 

「……見ましたか?」

「見るほどのものはなかった」

「な、な、な……どういう意味ですかっ!」

「落ち着きなさい。君は僕に何か用があったんじゃないのか?」

 

 彼が頭を押さえてため息交じりに言った。そうだった。

 

「どうして私が任務から外されているんですか?」

「任務というのは鬼厳城の一件のことかい?」

「そうです。私が剣八さんに言われて編成した部隊、私の名前だけ勝手に消されているのはどういうことですか?」

「逆にどうして君の名前が名簿に入っていたのか聞きたいけどね。隊長と副隊長がそろって出て行ったら隊舎で十一番隊の指揮をとる者がいなくなる」

「うっ……」

 

 痛いところを突かれて私は言葉に詰まった。

 

「それは……そうですけど……。でもっ、隊長と私がいっしょに出撃したこともこれまでに何度かあったはずです」

「それは強い霊力を持つ虚が群れで現れたとか、そういう隊長格一人で対処が難しい時のことだろう? 今回の相手は鬼厳城一人だからそれには当てはまらないはずだよ」

 

 彼の言っていることは正論も正論だった。私は何も言い返せずに黙り込んだ。

 

「わかったらこの話はお終いだ。僕は寝る。君は自分の部屋にもどれ」

「待ってください」

「いや、待たない。僕は眠いんだ」

「でも――」

「でもじゃない。駄目なものは駄目だ。君は留守番だ」

「いやです!」

 

 私は彼の手に縋り付いた。彼が驚いたように私を見下ろした。

 

「今朝から様子がおかしいな。気持ち悪いぐらい機嫌が良いかと思ったら、呼び出しから帰って来るなり塞ぎ込んで、今度は部屋に押しかけて来たかと思ったら取り乱す。一体どうしたんだい?」

 

 彼の口調が私を心配するものに変わっていた。私は少し迷ってから口を開いた。

 

「……夢を見たんです」

「夢?」

「とても怖い夢でした。剣八さんが血まみれで倒れていて、すごく遠くで、私が懸命に走って近くに行った時にはもう――もう――」

「死んでいたのかい?」

 

 続きを察した彼が私の後を引き取って言った。彼の言葉に私はびくりと肩を震わせた。夢で見た光景が頭にちらついて離れない。怯える私の頭に彼がぽんと手を乗せた。

 

「いいかい。現実と夢を混同するのは子どもにはよくあることだけど、夢はただの夢でしかない。だから君は何も心配することはない」

「……子ども扱いしないでください」

 

 私は拗ねたようにそう言った。たしかに夢はただの夢でしかない。彼の言うことはこの上なく正しい。でもそんなことは私にもわかっているのだ。夢を真に受けて不安な気持ちになるなんてばかばかしいってことぐらい私はわかっている。だけど――

 

「剣八さんは何もわかってないんです」

 

 この不安は彼の副隊長になったその時から私の心の底でずっとくすぶっていた。彼は剣八だから。剣八は戦い続けなければならないから。いつか彼を失うかもしれないという恐怖は常に私の心にあって、あの夢はそれを表面化させただけに過ぎないのだ。

 

「私がいつもどれだけ心配しているか知りもしないくせに」

「沙耶……?」

「私の気も……知らないで……」

 

 とうとう私は泣き出してしまった。彼は私の様子にすっかり困惑しているようだった。どうすべきかわからないというような弱り切った表情で私を見た後、彼は私をそっと抱きよせた。近くになった彼の胸の鼓動が伝わってくる。

 

「ほら、わかるだろう? 僕は確かに生きてここにいる。それは明日も明後日も変わらないさ」

 

 ほら、やっぱり何もわかってない。私は哀しくなった。あなたは私を夢に怖がるような子どもとしてしか見ていないのでしょう? 私があなたのことをどれだけ想っているか、一度だって考えたことがありますか? あなたは私の気持ちを何もわかってないから、こうやって簡単に私のことを抱きしめられるんです。

 そんな私の想いは声にはならず、私はただ彼の胸に顔をうずめて泣いた。部屋はすっかり静かで、聞こえてくるのは私の押し殺した泣き声と隊舎に叩きつける激しい雨の音だけだった。

 

 

006

 

 翌々日、彼は隊員を引き連れて流魂街の外れ、鬼厳城のもとへと向かった。私は胸の内を掻きむしるような不安を必死で押し殺して彼を見送った。

 そして日が沈むころ、私は九代目剣八が斬られたという知らせを聞いた。

 

 

 

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