「志雄! 大丈夫か?!」
「傷口に響くから止めてくれ……」
怪我人病人には優しく――オシリス・レッドであっても医務室の設備は他のクラスと同様に用意されている。知らせを聞いて駆け付けた同寮の十代達が病室の扉を開けると、ベッドの上で痛々しい包帯を巻く志雄がまず最初に目に入った。まだ動くことも出来ないが、意識ははっきりとしている。
「元気そうで安心したッスよー!」
「元気じゃねーけど……あともうちょっと静かにしろ」
志雄のベッドの傍、点滴の隣で座っているのは、オシリス・レッド専属の教員である“山城 美奈樹”。彼等の担任である。彼女は寝る間も惜しみ、保護者のように志雄を看病していたらしい。
「い、一体何があったんだな……俺達と購買で分かれた後だったんだな?」
隼人の問いかけも当然だ。まず最初に浮かぶ疑問であり、十代も翔も一番気になっていることである。発声の度に激痛が体中を走り回る志雄に代わって、知っているか志雄から聞いた範囲で美奈樹が説明することにした。
決闘で実際に傷を負ったなど、果たして誰が信じるか。それも日常生活を平穏に送っていればまず負わない重症だ。
「とにかくこの一件は上層部にも報告しました……皆さん慌てて事実確認を行ってます」
傷が癒えばすぐに重要参考人として縛り付けられると思うと今からやるせない。それでなくとも入学早々長期休学で意気消沈しているというのに。内心で尾を引く無念が嘆息と共に外に漏れたのを察したか、見舞い組は志雄を何とか元気づけんとした。
「だ、大丈夫ッスよ! きちんとノートとって見せてあげるッス!」
「俺も頑張って授業受けるからさ。ゆっくり怪我治せよ!」
こんな友人がすぐに出来たことは不幸中の幸いだったのかもしれない。困ったような嬉しいような表情で、志雄はまたベッドに潜り込んだ。
十代達が病室を後にしたあとも美奈樹は志雄の看病を続けていた。心の呵責が渦を巻くが、その場から碌に動けない志雄は彼女の力を借りる他ない。
「どうしてこんなに看てくれるんですか?」
長時間が経てばどうしても会話のネタもなくなっていく。絞り出すように志雄は美奈樹に対してそんな問いを投げかけた。
「勿論私が担当する可愛い生徒だからですよ!」
照れ臭そうな顔、それでいてはっきりとした口調で返答した。講義の質はお世辞にも良いとは言えないが、自分の生徒を想う気持ちはベテランにも負けないようだ。退院したら彼女の講義はきちんと受けよう――志雄はそう心に誓った。
『ちょっと志雄。この人に見惚れちゃってるの?』
思い出したかのようにニートが話しかけた。
「なんだ。嫉妬か?」
『はぁ……めんどくさい返しはやめてよね』
思っていた以上に鬱陶しがられた。ちょっかいを妹に軽く流された兄のような寂寥感に見舞われてしまった。昨日に見せてくれたデレ部分はどうやら気のせいだったらしい。
昨日の一件から何とかニートを守り抜くことは出来たが、これからいつまた彼女を狙われるか予測できない。この病室に直接やってくることも有り得る。“精霊”について、美奈樹に話してもいいものか――
「昨日の男の目的……分かりますか?」
「……れい」
「え?」
若干の羞恥で目を伏せ、言葉を詰まらせた。こんな非科学的な生き物の存在を彼女は信じてくれるのだろうか。
「せ、精霊……」
「せいれい?」
3度も言わせないでほしい。
「精霊の宿ったカードを狙ってたらしいです」
覚悟を決め、吐き出すように語尾に力を入れて言葉を紡ぐ。鼻で笑い飛ばされることを想像していたが、彼女の反応は志雄の予測と大きく離れていた。美奈樹はその刹那、目を輝かせて志雄の眼前に詰め寄った。
「精霊?! 今精霊って言いました?!」
「へ? あ、ああ……言いました」
美奈樹は椅子の足に立て掛けたバッグから一冊の本を取り出し、志雄に突き付けた。達筆なフォントで表紙に書かれていたのは、「精霊についてのイロハ」――一般人の眼から見ればオカルティズム漂う不気味な本という印象をうけるだろうが、生憎志雄の隣には本物の精霊が爆睡中なのだ。
「私学生のころから“精霊”についての研究部にずっと所属してまして……もしかして朝倉くん、精霊が見えちゃったりするタイプの人間だったりしちゃったりします?!」
彼女のふくよかなほろ甘い体臭が漂うくらいに顔が近い。もしその場に鏡があればきっと赤面した自分の顔が拝めるだろう。体を引くようにずらし、項垂れるように顔を俯かせて答えた。
「見えちゃったりするタイプの人間です……」
気づけば美奈樹は子供のように純粋無垢の表情に変化していた。この話題が出来る相手は志雄のように特殊な人間に限られるために、ずっと心の内に溜め込んでいたらしい。
「こ、この近くに精霊っているんですか?」
「いますよ。寝てばっかりで残念な精霊ですけど」
彼女のボルテージはみるみるうちに急上昇していく。彼女の胸の高まりは収まる事を知らない。それから向こう数時間、美奈樹は最高の証人である志雄に対して今までに学んだ精霊の知識の答え合わせを行った。どうやら“精霊”は、ごく狭い範囲ながらも人々に認知されているようだ。
「いいなぁ……私も精霊と意思を疎通してみたいです」
「精霊にも色々いますけどね。こいつみたいに言うこと聞かない奴もいますし……」
志雄が虚空を指さした――ように美奈樹の目には映った。確かにそこに精霊がいるのに黙視できない自分が悔しくてたまらないといった表情だ。
「命令を無視する精霊っていうのは初耳です。そんな子もいるんですねー……」
思った通り、ニートは相当のマイノリティだった。傍から見れば“興味深い種の精霊”程度だろうが、それを世話する側の身になればそうもいかない。
「それで、昨日の人はその子を狙ったんですか?」
こくりと一つ頷いた。美奈樹は口をへの字にして物思いに更ける。確かにここアカデミアでは、黒い影が知れぬところで暗躍しているのだ。
* * * * *
「ヌヌヌ……忌まわしき事態ナノーネ!」
光を余すことなく取り込む一面の窓を横に、大きく輪を描く机に教員達は真剣な眼差しで座っている。アカデミア校舎の教員専用会議室にて、昨日の事件についての緊急会議が開かれていた。そんな中で下唇を噛みながら声を荒げるのは、実技担当最高責任者であるクロノスだ。
「落ち着いてくださいクロノス教諭。ともかく状況を共有しましょう。……怪我を負ったのはオシリス・レッド1年の“朝倉 志雄”くん。彼は後者の裏を通って図書館へ向かう道すがら、フードを被って顔の確認できない男にアンティデュエルを申し込まれました」
校長である鮫島が淡々と語る。しかしその口調は突如重々しいものとなった。自分で口にするのも信じられないような事実を語ろうとしていたためだ。
「……奇妙なのは、ライフのダメージに伴って負傷したという事です。
耳を疑うような鮫島の発言に、会議室内は暗雲のように騒めきが広がっていった。そのような報告は今まで聞いたことがないし、フィクションだとしても笑えない冗談だ。
「対策を練りましょう。学生達の安全が最優先です」
鮫島がそんな事を言った矢先の出来事だった。静かな会議室内に、扉が力強く開かれた音が響き渡った。彼等は入り口に視線を集中させる。そこにいたのは、肩で息をしながら酸素を取り込む事務員の姿。度を失ったように緊迫した口調で声を上げた。
「こ、校長っ……また怪我人が!」
「なんですって!」
――この事件は瞬く間にアカデミア中に広がった。2人目以降の被害者の存在は、この事件が連続していくことを意味している。アカデミア内の人々が抑え込んでいた焦燥の堰が切れていくのを確かに感じていた。
その翌日、アカデミアの全ての講義が休講となってしまったことも必然だった。学生は自らの寮からの外出を禁じられ、全ての施設も閉鎖になるまでに至った。
「ったく……こうもする事がねーと体が鈍っちまうな」
シーツの上に体をもたせ、天井の一点を見つめてそう呟く。外出禁止令で学生の有り余る体力のやり場に困っているのは、この部屋の持ち主である“刀堂 刃”も同様。
「入学してすぐ臨時休校……一体どうなってやがんだ」
睡眠も過剰にとってしまった。これ以上目を瞑っても夢へと落ちることは出来ない。そんな覚醒しきった中で、彼の室内に甲高いインターホンの音が鳴り響いた。
「なんだ……?」
扉を開けたその先に立っていたのはエキシビジョンマッチで北条 聖奈に敗れた1年の主席、三沢 大地。いつもと変わらぬ物腰柔らかな表情で、身長の差を表すように刃を見下ろしていた。
「おいおい、今は外出禁止だぜ」
「いや……俺もすることがなくてな。それで、今校内でひそかに開かれている
「ま、まじかよ! 決闘できんのか?!」
話によれば、有志の教員達が学生達の為に開放している部屋がいくつかある。無論これは上層部の許可を得ていないが、鮫島もこれを黙認しているらしい。決闘を数日も行わないという状態は言うまでもなく芳しいものではない。
「数が少ないから空いているか分からないが……一緒に行くか?」
「おうよ! 決闘したくてウズウズしてたところだぜ!」
言うまでもないことだが、このアカデミア内の学生はもれなく決闘好きである。
小走りで2人は校舎内へと向かう。まだ情報が流れていないのか、同じく外へ出ている者は人っ子一人いなかった。
校内が眠ったように寂しい。数千人の学生を抱えるアカデミアでこのような異様な光景を目にする事も、恐らくこれが最初で最後だ。
ギャラリー席の備え付けられた実技室に到着すると、そこは物の輪郭が分からないほどに黒に包まれていた。広い部屋で唯一光を発していたのは、四六時中点灯している予備蛍光灯のみだった。
「ラッキーだな。誰もいねーぜ」
「……ああ」
歯切れの悪い返事で、三沢は一人前に出た。彼が刃から離れていけばいくほど、闇に吸い込まれるように目視することが出来なくなっていった。照明のスイッチは入り口にあるというのに――妙な行動に若干の不安感を煽られながらも、位置の確認できない三沢に声をかけた。
「おーい。照明はこっちだぜ?」
「電気をつけると見つかってしまうかも知れないからな。
「ああ……なるほどな」
合点のいった刃は覚束ない足つきでゆっくりと前へ進んでいく。両の手を前に突き出して障害物を宛てなく探しながら。漸く壇上に立つと、デュエルディスクがほんのりと光を放った。手札を確認することくらいならばなんとか可能だ。
三沢の前方に立った時、ふと説明のつかないような違和感に襲われた。――それは気のせいなのか。
「「デュエル!!」
刃 LP8000
三沢 LP8000
「俺の先攻だぜ。ドロー! モンスターを守備表示でセット、カードを1枚セットしてターン終了だ!」
刃 LP8000 手札3
□□■□□ 裏守備
□□■□□ 伏せ
伏せた2枚のカードは一瞬だけ光を放ってフィールド上に現れるも、すぐに暗闇に溶けていった。生憎刃のデッキは先攻1ターン目に動けるデッキではない。
「……俺のターン」
落ち着いた口調で、デッキトップのカードを引き込む。背景の暗闇のせいか、三沢の立住まいは不気味だった。
「手札から《太陽風帆船》を特殊召喚。更に手札から《フレア・リゾネーター》を召喚」
《太陽風帆船》
星5/光属性/機械族/攻 800/守2400
自分フィールド上にモンスターが存在しない場合、このカードは手札から特殊召喚できる。この方法で特殊召喚したこのカードの元々の攻撃力・守備力は半分になる。
また、自分のスタンバイフェイズ毎にこのカードのレベルを1つ上げる。
「太陽風帆船」はフィールド上に1体しか表側表示で存在できない。
《フレア・リゾネーター》 チューナー
星3/炎属性/悪魔族/攻 300/守1300
このカードをシンクロ素材としたシンクロモンスターの攻撃力は300ポイントアップする。
いつもなら何の気にもならないことだが、刃の動物的勘と三沢の妙な態度が、刃に対して過剰に警告している。
――三沢の使用しているデッキが今までと違う。入学当初に決闘した時と、聖奈とのエキシビジョンで使っていたデッキはアンデットを軸としたデッキだった筈だ。そんな刃を後目に、三沢はシンクロ召喚の宣言を行う。
「レベル5の《太陽風帆船》に、レベル3の《フレア・リゾネーター》をチューニング。シンクロ召喚」
室内全体の闇を打ち払い、目を刺すような光を周囲にまき散らした。これは、昨日怪我を負った者の証言と一致している。
それは、あまりにもはっきりとした幻覚だったのか――
「――《閃珖竜 スターダスト》」
「お、おい……なんだよそのモンスター!」
翼膜を一振りする度に粒子が蛍のように舞う。鎌首をもたげ、暗闇の中で己の存在感を放っている。
三沢は刃の問いかけには答えなかった。彼に対する不信感は際限なく増幅していく。
「てめぇ……」
「《フレア・リゾネーター》の効果により、スターダストの攻撃力は2800。
バトルフェイズ。スターダストで裏守備のモンスターに攻撃」
宙を舞っていた粒子はスターダストの大きな口へと集中する。一瞬の静寂の後、潜んでいた裏守備モンスターを照らすように、長い剣のような光線が向かっていった。
――破壊されたのは《XX-セイバー ダークソウル》。三沢に効きたいことは山ほどあるが、今は身の安全を確保する。
「カードを2枚セットしてターン終了」
スターダストの放つ光に映った三沢の姿は、自分の意思で戦っているようには見えなかった。まるで魂を何者かに握られているような、表すとすればそんな風貌だった。
「チッ……エンドフェイズ時に墓地へ送られたダークソウルの効果発動! デッキから《XX-セイバー フォルトロール》を手札に加える」
三沢 LP8000 手札2
□□■□□ 《閃珖竜 スターダスト》
□□■■□ 伏せ 伏せ
「この決闘が終わったら、てめーに何があったのか洗いざらい吐いてもらうぜ! 俺のターン、手札から《XX‐セイバー ボガーナイト》を召喚!」
《XX-セイバー ボガーナイト》
星4/地属性/獣戦士族/攻1900/守1000
このカードをS素材とする場合、「X-セイバー」モンスターのS召喚にしか使用できない。
(1):このカードが召喚に成功した時に発動できる。 手札からレベル4以下の「X-セイバー」モンスター1体を特殊召喚する。
「ボガーナイトの効果により、手札から《XX-セイバー エアベルン》を特殊召喚。更に、X-セイバーが2体以上存在する時、手札から《XX‐セイバー フォルトロール》を特殊召喚だ!」
フィールドに終結する3体のセイバー。ここからが【X-セイバー】の真骨頂だ。シンクロ召喚の連打で相手のライフを一気に削りとる。だが、最も脆いのはシンクロ召喚を行う直前。
「リバースカード《激流葬》」
「なっ……!」
《激流葬》
(1):モンスターが召喚・反転召喚・特殊召喚された時に発動できる。フィールドのモンスターを全て破壊する。
中央から溢れ出るように、強烈な音と共に激流が身を寄せる。大量展開を1ターンで行うデッキは、《激流葬》のようなリセットカードが最もささってしまう。刃のデッキは既に三沢に知られている――だからこそのメタカード。
「スターダストの効果により、自身を1度だけ破壊から守る」
「へっ……だが、まだ俺は展開させてもらうぜ! 魔法カード《ワン・フォー・ワン》を発動! 手札のモンスター1枚を捨て、デッキから《XX-セイバー レイジグラ》を特殊召喚!」
《XX-セイバー レイジグラ》
星1/地属性/獣戦士族/攻 200/守1000
(1):このカードが召喚・特殊召喚に成功した時、自分の墓地の「X-セイバー」モンスター1体を対象として発動できる。そのモンスターを手札に加える。
「レイジグラの効果発動。墓地の《XX-セイバー フォルトロール》を手札に戻す。更にリバースカード《ガトムズの緊急指令》を発動!」
《ガトムズの緊急指令》
(1):フィールドに「X-セイバー」モンスターが存在する場合、
自分・相手の墓地の 「X-セイバー」モンスターを合計2体対象として発動できる。
そのモンスター2体を自分フィールドに特殊召喚する。
「これにより、墓地のボガーナイトとエアベルンを蘇生!」
レイジグラが剣を持つ腕を天につきだすと、刃のフィールドに2つの光が姿を見せた。ノーコストで2体のモンスターを呼び戻す、【X-セイバー】における最強の切り札だ。
「……すまないな、刀堂」
刃が聞き返す前に、三沢はカウンターを行う。目を疑うカードの発動だった。
「そのカードにチェーンする。《ガトムズの緊急指令》!」
「なっ……なんだと?!」
《激流葬》とは質が違う。対【X-セイバー】の為に投入したとしか思えないカードに、刃は息を呑んで立ち竦んだ。《ガトムズの緊急指令》は、発動条件を満たして入れば相手の墓地からも蘇生することが出来る。そして刃の発動したカードは不発に終わってしまう。
「俺のフィールド上にボガーナイトとエアベルンを特殊召喚」
相手のデッキを把握しきった上で、最も致命的なタイミングで最も致命的なメタカードを差し込む――プレイングはまさに知的で、何らの狡猾さはない。そして、刃の策は全て出し切ってしまった。
「くそっ……ターンエンドだ……」
刃 LP8000 手札0
□□■□□《XX-セイバー レイジグラ》
□□□□□
もう刃に残された手はない。相手のモンスターを倒すことも、攻撃から身を守ることもかなわない。
「俺のターン。エアベルンでレイジグラに攻撃。スターダストとボガーナイトでダイレクトアタック!」
「……」
刃 LP8000→6100→3300
「カードを1枚セットしてターン終了」
辛うじて、刃にターンが回る。フィールドは0、手札も0。次にドローする1枚のカードで逆転できるカードなどある訳がない。
「俺の……ターン!」
ギュッと目を瞑り、我武者羅にカードを引き抜いた。しかしそれでも、この状況がひっくり返る事などない。敗北を確信した刃の姿は、三沢の眼にどう映っていただろうか。
「ターン……終了」
最後に三沢がカードをドローすると、それを確認することなくバトルフェイズへと移行した。最早攻撃以外の行動は一切の意味をなさない。
吹き込んだ一瞬の静寂は、三沢が攻撃を一瞬躊躇したからだったか――
「……最後だ。エアベルンとスターダストでダイレクトアタック!」
輝きを放つ竜の攻撃で、刃が実際の傷を負うことはなかった。歯を食い縛り攻撃に身構えていたために拍子抜けだったとも言えるし、助かったとも言える。
しかし、彼を待ち受けていたのはまた別の地の獄だった。
* * * * *
「よもや全学生に外出禁止を命ずるとは。鈍いアカデミアも英断を下したものよ」
オベリスク・ブルー寮の一室は、一人部屋とは思えぬ程の豪勢な設備を持って学生をもてなしている。海が一望できる窓の外で、2年主席“北条 聖奈”は1人悠然と立っていた。
「だが、期は既に熟している。今更守りを固めた所で覆水は盆に返らぬ」
落陽を背に佇むその姿はまさに美少女の皮を被った魔王。世界の枠組みから抜け出すどころか、彼女自身が枠組みを再構築してしまいかねないような人物。
しきりに風が吹きすさぶ。その度に青のジャケットは風を孕ませ揺れる。
「水面下で我が軍勢は広がっているのだ。最早抑え込む事など不可能」
そう言葉を発した直後、聖奈の部屋の扉を叩く音がした。身動き一つ取らないまま、背のドアに向かって「入れ」と一言。その言葉に呼応して入出したのは、本来オベリスク・ブルーの寮には居ないはずの学生――三沢だった。
「イエロー1年“刀堂 刃”の確保……完了しました」
「……やはりお前を引き入れて正解だった。他の腑抜けより格段役に立つの」
燦然と輝くオレンジ色の落陽が聖奈の横顔を照らす。彼女の微笑みはその光と相まって、三沢の眼には女神のようにも映っていた。
「不思議です。貴方の事が許せない筈なのに、貴方の理想に賛同せずにはいられない……」
「そうであろうな。それが我が“精霊”の固有能力だ」
眼前に立つ聖奈は、自らの理想を現実へと昇華させるために他人を傷つけることも厭わない人間である。それをわかっていながら自分は進んで彼女につき従い、彼女の為に友人を傷つけてしまっている。きっと自分以外の者もそれは同じはずだ。
“北条 聖奈”を心の底から溺愛する“聖奈信者”なる物の正体は、三沢も思いもよらなかったことだろう。
「この数日でアカデミアの学生の内4割を掌握した。意気阻喪したアカデミアを転覆させるには十分すぎる手駒よ。そうは思わんかの」
「北条さん。教えてくれませんか。貴方の目的……」
風が止み、靡いていた髪は再び纏まりを見せる。
聖奈は氷のような目付きで三沢に視線を映すと、言霊を込めるようにはっきりと言葉を紡いだ。
「単純極まりない。アカデミアの統一。世界の統一」
シンプルでいて、途方もない理想だ。しかし彼女が口にすると途端にその言葉は現実味を帯びてくる。それほどまでに聖奈という人間はこのアカデミア内のそれらとは次元が大きく異なるのだ。
「ふ……こちらは別の目的があるようだが」
そう言うと聖奈は右手に視線を流した。三沢には目視できないが、きっとそこには精霊がいるのだろう。彼女が従える精霊であり、またこの事件の黒幕ともいえる存在。
三沢はそれ以上の詮索を中止した。言葉に出来ない強烈な圧力が、それ以上の介入を押さえつけていた。聖奈自身から感じられたものか、はたまた目に見えない精霊が発するものか。
「……失礼します」
「期待している。……一年最強」
学生のうち4割が既に彼女の手中に収まった。にも拘らずこの事件の全貌をアカデミア側は把握できていない。それも、彼女が持つ精霊による傀儡の特殊な性質が主な原因となっている。
対象者の理性はそのままに、思想のみを操るのが精霊の能力。表向きにはいつも通りの自分を演じるだけに、直前までその者の違和感を感じ取ることは出来ない。気づいたときには術中にはまっているのだ。
他人を傷つけることに対する罪悪感に見舞われながらも、聖奈の為にただ只管自らの全てを捧ぐ。
聖奈はしわ一つないシングルベッドのシーツの上に、細い足を組んで座った。その艶めかしく豊麗な体は、精霊に思想を操られていなくとも夢中になってしまうことだろう。
――そんな姿を今目にしているのは、彼女の精霊ただ一人。
「さて、主の目的も果たさねばの」
『あの興味深い精霊の捕獲は失敗したのかしら……?』
「邪魔が入ったと。……でなくとも此方が敗北していたやもしれぬが」
『ふふ。今退出した彼が相手をなさったのですね。彼も相当の強者のようですが』
“精霊”は余裕を醸し出すように、穏やかでいて不気味な表情をしていた。
『まぁ、結構です。他にも精霊を所持したデュエリストは大勢いらっしゃいます』
「主の目的については把握出来ぬ」
『そうでしょうね。……次は」
口元を吊り上げ、ある人物を口にする。
『“遊城 十代”――彼を次の
何も答えることなく、聖奈はまたその場から立ち上がった。