昼下がりの日曜日。コダマタウンにはちょっと不釣り合いな大きなマンション。一年を通して最も寒いこの日、その部屋では熱く燃え上がる女の子の姿があった。
「では、始めましょう!」
「おー!」
「……ええ、始めましょう」
金髪の少女の掛け声に合わせて、赤紫髪の少女が拳を上げる。髪の長い女性は静かに頷くだけだ。
「クインティア先生も、張り切っていきましょう」
「そうね。こういうことは、やったことがないのだけれど」
ルナやミソラと違って、クインティアはいまいち雰囲気に乗り切れていないようだった。クールな彼女に熱くなれというのは難しいのだろう。
そんな三人の前には様々な料理器具と一緒に、チョコレートが並べられている。そう、もうすぐあれが来るのだ。男女にとって……いや人類にとって、甘くて熱くて見苦しい闘争の日、バレンタイン。今日はその戦準備というところだ。
「……それにしても、ものすごい量ね……」
ちょっとした山を作っているチョコの量を見て、クインティアは肩を落とした。このイベントのためだけに、どれだけのカカオが消費されているというのだろう。
「自分で作っていると、なんでかあっという間に無くなっちゃうんですよ」
「ミソラちゃんの場合はつまみ食いしているからでしょ」
「えへへ~、だって美味しいんだもん」
ペロリと舌を出して見せた。食い意地だけなら、ゴン太と同レベルなだけはある。
「じゃあ、各自チョコの制作に取り掛かりましょう」
「はーい!」
三人がそれぞれ動き出す。
「じゃあコンロ借りるね」
「ええ、どうぞ」
ミソラは早速お湯を沸かし始めた。側にボウルを取り出し、市販のチョコを割って入れていく。湯煎で溶かして、型にはめて冷やすのだ。典型的で一番楽な作り方である。
ボウルにチョコを入れてしまえば、あとはお湯が沸くまで手が空いてしまう。何か手伝えないだろうか。
「ルナちゃん」
「なにかしら?」
「何か手伝えるこ……」
ルナの手元を見てミソラは言葉を失った。なんだろう。この黒くて丸い物体は。いや、分かっている。知識にはあるのだ。だがこの目で見たのは初めてだった。
「それって……」
「ええ、カカオよ」
そう、この小粒な球体はカカオだ。主にアッフリクで栽培され、最近はアジーナ、加えてニホンでもごく少量だが生産されているチョコの超原材料、カカオだ。
「……そんなところから作るの?」
「ええ、お父様とお母さまが仕事先でもらったらしいの。せっかくだから、挑戦してみようと思って」
「ハハハ……さっすが料理上手なルナちゃんだね」
「ええ、あかねさんのおかげよ」
もともと、料理を作ればダークマターを生み出していたルナが、あのハイスペック主婦の手にかかればこれである。一人、ミソラといういつまでも料理下手な弟子がいるが、これは例外だろう。
「コーヒーのロースターってあるでしょ。あれを使って焙煎しておいたの。時間がかかるから二人が来る前にね。今は殻を剥いているところよ」
一個一個丁寧に殻を剥き、ウィザードのモードが集めて捨てている。彼女のそばには殻付きのカカオが山のようにある。ものすごく根気のいる作業だ。
「大変だね、皮むき」
「殻よこれ。それにまだまだよ。この後は胚芽をとってあげないと。ピンセットとかで綺麗にとらないとダメみたいなの」
「うわぁ……」
これには流石に恐れ入ったのだろう。様子見していたハープも関心したように、大きく口を開いていた。
「大雑把なミソラには到底真似できないわね」
「あ、アーティスはそれぐらいな方が良いの」
もちろん、そうとは限らない。
こんな緻密な作業、とても手伝えそうにない。ならばとクインティアの方を見た。
「……ん?」
目を細めた。クインティアの手には包丁。そしてまな板。彼女が切っているのは……ジャガイモだ。
「あの……クインティアさん?」
「何かしら?」
「……なんで野菜?」
よくよく見てみれば、彼女の隣には人参、玉ねぎ、蓮根、南瓜……と野菜が転がっている。
「その……それ、どう見ても……」
チョコの材料じゃない。その言葉が出せなかった。ルナとモードも目を丸くして手を止めていた。
「これはチョコベジというのよ」
聞きなれない言葉だ。
「チョコで有名な『名人』という会社があるのは、二人も知っているわよね」
「はい、よく知ってます。美味しいですよね」
「ここにあるチョコもそこの商品ですし」
ミソラとクインティアの横にあるチョコの包装紙には『名人』とメーカー名が書いてある。
「その会社が推奨している食べ方に『チョコベジ』というものがあるわ。チョコと生野菜を一緒に食べるみたいよ」
「そ……そんなものがあったなんて……」
「……あ、本当だ。ありますね、チョコベジ」
モードが検索結果を空中ディスプレイに表示した。確かにある。
「でも、生野菜をそのまま食べるのは抵抗があると思うから、フライにするつもりよ」
「あ、チョコポテトみたいな」
「そういうことね」
だから揚げても大丈夫そうな、水分の少ない野菜が選ばれたらしい。クインティアは再びジャガイモを切っていく。綺麗な短冊切りだ。これでロクに包丁を使ったことがないというのだから、恐れ入る。
「……もしかして、シドウさんの健康を考えてですか?」
クインティアの手が止まった。
「シドウさん、一日中うまい棒食べているから、健康を考えたんですね」
二人の言葉を受けても、クインティアに動きがない。数秒固まると、束ねた髪をかき上げながら身を起こした。
「長官とヨイリー博士の健康を考えてよ。あの二人、ご高齢だから」
そのついで……ということにしたいのだと、二人は察した。それ以上は何も言わなかった。
「凄いな、二人とも……」
スバルに本命を渡すミソラが、一番簡単な作り方をしている。なんだろう、この言い知れぬ劣等感……いや、モヤッとしたものが肩にのしかかる。
「そういうミソラちゃんは量が多くないかしら? スバルくん、お菓子はそこまで食べないのは知っているでしょ」
ミソラの分のチョコを見てルナは首を傾げた。男の子一人に渡すにはちょっと量が多い。
「スタジオ関係者かしら?」
クインティアも尋ねてきた。だがそれにしてはちょっと少ない気もする。
「いやあ、スタジオ関係者全員って言ったらものすごい量になるから、市販のチョコを渡すよ。ちょっと高い奴」
まあ関係者全員となると百人は超えるだろう。作ってられるかという話である。
「だから、スバルくんと、スズカちゃんに友チョコと、よくお世話になってる浦方さんやサポーターズの皆と……」
そこでミソラの表情が暗くなった。いや、真剣になったというべきか。今までの談笑とは違うのだと、ルナとクインティアも察した。
「あのさ……お節介かな?」
「……えっと、何が?」
「……あのね」
ミソラが話したのは以下のことだった。女性スタッフの一人に、意中の男性がいる。だが勇気が出なくて告白できない。職場関係を考えるとなおさら無理だと。ところがミソラは知っているのだ。男性の方も気にかけていると。両片思いというやつだ。
せっかくのバレンタインデー、彼女にプレゼント用のチョコを渡して告白を促したいのだと。
「お節介だから止めなさい……って私は止めたんだけれどね。この子、私の話を聞かないから」
「き、聞くじゃん! ……たまに」
「極たまに……ね」
ハープの言葉にミソラがふくれっ面をした。ルナは「う~ん」と腕組みをした。
「人には告白のペースとか、人間関係があるから、ミソラちゃんが横やり入れる必要は無いと思うわ」
至極まっとうな意見である。余計な善意、押し付ける善意は悪でしかない。だが、それに意見を持つものだっている。
「そうね。そうかもしれないけれど……」
クインティアの静かな声。天井を見上げながら彼女は呟くように言った。
「自分のペース……というものにこだわって、手遅れになる恋だってあるわ」
シドウのことだ。あの時のことを思い出しているのだろう。彼女は間に合った……いや、追いつけたというべきか、迎えに来てくれたというべきか……。ただ言えることは彼女の場合は特例であるということだろう。
「必ずしも悪ではない……ということですね」
「結局、受け取る人しだいってことかな。難しいな……」
ミソラは肩を落とす。だがすぐに立ち直った。深く考えないところは彼女の短所であり、長所でもある。
「私決めた! 渡すだけ渡すよ。告白するかはあの人しだい」
「そうね。それが無難ね」
必要以上に関わらないのもまた円滑な人間関係だ。善意で首を突っ込んで、周りの人間関係が壊れたら、それこそ自責の念に苛まされるだろう。
「ところでミソラ」
「なに、ハープ」
「とっくに沸騰してるわよ」
「え? ……あ!」
お湯を沸かしていたことを完全に忘れていた。慌てて作業を再開するミソラを見て「渡す以前に作れるのかしら?」という不安がルナたちの胸中に生まれた。
◆■◆■◆■◆■◆■◆■
それから数時間後。ようやく彼女たちの戦いが終わった。
「できた……」
ミソラの前には市販商品を溶かして固めただけの簡単なチョコ。クインティアの前にはチョコベジ。野菜スティックを揚げたために、縦に長い包装紙に包まれている。ルナの前にはカカオから作った超手作りチョコ。全部義理である。
そして、一足早い友チョコ交換をして、それぞれの作品を口にする。
「うわ、美味しい!」
「揚げた野菜とチョコってこんなに合うんですね」
「ええ、私も驚いたわ」
チョコは甘みが抑えられているため、普通に美味しい。
「これならシドウさんも野菜食べてくれますね」
「さあ、知らないわ」
クインティアは隠しているようだが、二人は気づいている。クインティアが一つにだけ多め包んでいたことに。
「……そういえば、白金さん。三つしかないみたいだけれど」
「はい。スバルくんと、ゴン太とキザマロに渡します」
「ジャックくんにはあげないの?」
その名前が出たとたん、ルナの眉間に皺が寄った。なにかあったらしい。
「あげるつもりだったわよ。けどあいつ……私が『あなたもチョコほしい?』って訊いたら、『ドリル女の義理チョコなんざいるかよ』なんて言ったのよ。だから知らないわ」
フンッとそっぽを向いてしまった。ミソラは「なるほどね~」と一人気づいて納得していた。
「それはあの子が悪いわね。ごめんなさい、白金さん」
「いえいえ、クインティア先生は何も悪くありません」
「でも、一人だけあげないのはやっぱり可哀想じゃない?」
可哀想なのは傷つけられたルナの方である。それでも退け者扱いすると、やっぱり友達として気が引けるのも確かである。
「それも……そうね」
「でも、今から作るのは難しいわね」
三人の視線がルナのチョコに集まる。彼女のチョコは、この綺麗に閉じられた包装紙の中だ。なら、もう妥協案を出すしかない。
「分かったわ。ジャックには別に何か買って渡すことにします」
「うん。それが良いよ」
断ったのはジャックだ。なら皆より安上がりなものでも、貰えるだけありがたいと思え……という話だ。
「じゃあミソラちゃん、クインティア先生。当日は頑張りましょう」
「うん!」
「ええ」
三人は手を重ね合わせる。こうして女たちの戦準備は幕を下ろした。後は、当日を待つだけである。
チョコベジって本当にあるんです。検索してみてびっくり(;゚Д゚)
明治の名前をどう変えようかと思ったのですが……うん、これが良いかと。
ちなみに、カカオから作る方法も検索しました。大変っすね、これ。
チョコ会社に感謝です。
気づいている方も多いと思いますが、ルナの料理設定はアニメ版からもらってきました。
アニメ一期では使用人が病院に搬送されましたが、二期では料理上手になっています。あかねさん半端ねえ……。
ちなみに、私がもらえる個数はゼロの予定です。
良いんだ。当日みんなの感想がもらえれば私は幸せだよチックショオオオオ!!!