湯気の立ち込める。温かいお風呂場でのことでした。
お寺のお風呂はヒノキ風呂。いい香りのするそこに満杯に入ったお湯からもうもうと白い煙が立ち上っています。小窓が一つあり、ちょっとスキマ程度に開けているので涼しい風も外からやってきます。
外は夜。水の音と、可愛い鼻歌の聞こえるお風呂場は、リラックスにはうってつけです。いや、正確にはもうすでにリラックスしているようです。
それは湯船に浸かって、足を伸ばしている青い髪の少女でした。しっとりと濡れた髪、と蕩けたような顔。お湯に疲れがとけだして、体が軽くなっていくような感覚を楽しんでいるのです。
彼女は多々良小傘ちゃんです。今日も一日が無事に終わり、今はとてもゆったりしています。
「はぁぁ」
温かいお湯がたまりません。体から力を抜いて、ヒノキの壁に背を預けています。肩まで浸かって入っている彼女は良い子に間違いないでしょう。そもそも今日のお風呂は、彼女が沸かしたのでした。小傘ちゃんは頑張ったのです。
小傘ちゃんはお湯から右手を出しました。そしてなんとなく天井に向けて、伸ばします。開いた手のひらを、眠たそうな目で見つめています。天井には水滴が少々。ぽたりとたまに落ちてきます。
手を挙げた行為に意味はありませんでした。小傘ちゃんはその細くて白い腕と、小さなちいさな手のひらをまたお湯に戻しました。そしてその中で、なんとなく右手で左手をさすったり、体をさすったりします。マッサージです。
彼女は睫毛(まつげ) にお湯がついていたので、指でゆっくりとぬぐいました。その時ちょっと横を向いたので、流し目になると小傘ちゃんは美人にも見えます。ですが、それは一瞬でした。
「よーし」
いきなりです。勢いよく小傘ちゃんは立ち上がります。ざばーとお湯が体を流れます。
パチッとした眼と柔らかそうなほっぺた。何故か自身に満ちた表情。先ほどまでの彼女とは打って変わって少女な彼女。コロコロ変わる表情も彼女の魅力なのでした。
お風呂場の壁には紫色の傘が立てかけてあります。巨大な舌のついた、なすびのような傘です。それも小傘ちゃんの大事な半身でした。たまに、屋外に行くと「傘を置いて来れば?」と言われますが、それは「体を引きちぎれば?」と言われているのと一緒のことです。
常に小傘ちゃんの近くには大きな茄傘が無ければいけません。彼女はその相棒を見て、湯船から上がりました。
小傘ちゃんが小さなバスチェアーを引き寄せます。小傘ちゃんの小さなお尻にはぴったりでしょう。彼女はそれにちょこんと座って、洗面台の前に陣取ります。これから体を洗うのです。
彼女は大きな傘を掴んで、横にしました。そしてシャンプーをとります。シュッシュとポンプ式のそれを押して、傘にシャンプーを付けます。小傘ちゃんにではありません。傘にです。
洗面台のガラスは曇っていてぼんやりとしか映りません。小傘ちゃんが唄いながら、傘を擦り始めます。白い泡を出して、傘をキレイにしているのです。これも自分の体なのですから、何もおかしくはありません。
傘には大きな「眼」があります。それは今、ぎゅっと眼を閉じています。シャンプー中なのであたりまえでしょう。しばらくして、手にシャワーのノズルをとって水を掛けます。
泡が払われ、つやつやの傘の表面が現れます。小傘ちゃんはうまくできました。彼女は傘が綺麗になったことに満足して、にやりと笑います
これで人間をもっと怖がらせることができるでしょう。真の大妖怪は身だしなみもしっかりしておかなければならないのです。彼女は傘を壁に立てかけて、しゅわーとお水のでているノズルを自分の頭に向けました。
「ひゃぁあぁあ??」
頭から水をかけてしまい、シャワーの温度を調整していませんでした。そこでバスチェアーから落ちた小傘ちゃんはずっこけます。お風呂の床にお尻をペタン、ちょっと痛いです。でもまた終わりではありません。
小傘ちゃんはえらいです。こんな状況でもノズルを落としませんでした。でも現実はとても非情です。シャワーはお水を止めてはくれません。
小傘ちゃん、体にお水を掛けました。首元から下に冷水が流れます。
「……!!!……!!」
小傘ちゃん、何かわめきながら必死にシャワーを止めました。そして自分の体を抱いてガタガタ震えます。河童の川流れと言いますが、大妖怪にだって失敗はあります。それでもいいじゃないですか、妖怪なんですから。
「あ、頭洗おう……」
小傘ちゃんはくじけません。彼女は暖かな湯船に逃げることもせず、シャンプーを手に取りこちょこちょ頭を洗い始めます。ごしごしすると泡がいっぱい出てきます。彼女は眼をぎゅっと瞑っているので目にシャンプーは入りません。
彼女はバスチェアーに座っていませんので、座り込んだまま頭を洗います。白い背中と細い腰つき、たまに落ちるシャンプーの泡。お風呂場はとても静かです。
小傘ちゃん、頭を洗い終えました。眼を瞑ったままシャワーを探します。そこではっと気が付きました。さっきのことで、シャワーのノズルがいつもの位置にありません。それもそのはず、彼女が戻していません。
目をつぶっているので、前は暗闇。そのどこかにあります。
「ど、どこ?」
――本日の小傘ちゃんクライシスです。眼を瞑っているので、シャワーの位置がわかりません。それに温度の再調整もしていませんでした。どうするのでしょうか?
頭に泡を載せた少女が、両手を虚空に動かします。ふざけているのではありません。眼が見えないのでとりあえず、何かありそうなところに手を伸ばしているのです。
手に何か当たりました。ポンプが上に付いたボトルです。シャンプーでしょう。
手に何か当たりました。ボールのような形をしています。こいしちゃんのドラゴンボール(ゴム玉) です。
手に何か当たりました。取ってのついた何かです。ずっしりしています。もしかしてあたりでしょうか?
なんてことを思っている小傘ちゃん、眼を瞑ったまま紫の傘を持ち上げます。自分の持ち物です。直ぐに気が付いて、離しました。なんでかちょっと恥ずかしいので顔を赤らめています。
これでは埒があきません。そこで彼女は「さいしゅうしゅだん」に出ました。
小傘ちゃんは泡を顔に付けたまま、なんと眼を開いたのです。きらんと光る美しい瞳が、シャワーを見つけました。急いで彼女はそれをとります。
そして頭の上にセッティング! さあ、後は流すだけです! 小傘ちゃんの勇気の勝利です。彼女は満を持して、シャワーのレバーをひねりました。これで泡は全て流れ落ちるでしょう。
頭からお水がざばー。そう言えば温度調節は全くしていませんでした。
「ぃぃい!」
目を開けてびくーんと体を硬直。小傘ちゃんは悲鳴を上げてシャワーを手放します。するとまた彼女の胸元辺りに水がかかりました。これにはたまりません。彼女は立ち上がると、湯船に急いで入りました。
温かい湯船の中で、小傘ちゃんはほっとしました。