作者が力不足で、ごめんなさい
「お手伝いをさせてくれないかしら?」
素晴らしい程の笑みを振りまきながら、やや首を傾げて車椅子に乗った女性はそういうなり、「ちょっと失礼」とだけ言って病院に入ってきた。無論私が病室に戻るという形で。
私には意味が分からなかった。記憶喪失の、しかも敵対行動をとった私を置いておいて何になるというのか。むしろ逆効果ではないか。そんな危険因子、早々に厄介払いするのが普通だろう。少なくとも私ならそうする。
しかし、そんな私の疑問を他所に、車椅子の女性は私をベッドに誘導し座らせ、黄泉が自分の隣に座ったのを確認すると、またあの優しい笑みを浮かべた。
「ごめんね。来るのが少し遅かったわ。黄泉ちゃん、足止めありがとね」
足止め。そう言い放った女性は罪悪感を全く感じさせずに言った。
しかし足止めですか。なるほど、黄泉があそこまで必死に私を止めようとしていたのは、任務のため。この女性が来るより先に私が目覚め、ここを出ようとしたら、足止めして留まらせろと。なかなかこの女性、策士のようですね、と私は勝手に推測する。
「いいえ。本当のことを言っただけです」
今度は黄泉が声の感情を殺したような声で言った。今までに聞いたことのない低く冷たい声だった。その黄泉の返答を何事もなかったかのように、今まで通りの明るい声でただ一言「そう」とだけ返した。
瞬間的に重くなった空気を戻すかのように、神宮寺室長は手をポンと一度叩いた。まるで小学校の先生が、話を聞かせるために注目を集めるように。
「それでは、始めまして。私は環境省超自然災害対策室長、神宮寺菖蒲。そしてこちらが秘書の二階堂桐ちゃん」
和かに言う神宮寺室長とは対称に、こちらは可愛らしく名前にちゃん付で紹介をされても照れる様子は一切なく
「二階堂です。よろしくお願いします」
とだけ短い挨拶をし、一例してまたもとの神宮寺室長の後ろへと戻った。
「えと…」
自分も自己紹介しようと思ったが、如何せん名前を忘れていることに気づいた。先程黄泉には適当に作るとは言ったが、即興は流石に辛いものがある。どうしようかと、頭を必死で回していると神宮寺室長がクスリと笑った。私が少し怪訝そうな顔をすると、申し訳なさそうに「ごめん」と言うと、桐が一枚の紙を差し出してきた。
「彼方が気を失っている時に失礼だとは思いましたが、少し調べさせてもらいました。幸いにも身分証明書が有りましたので、それを確認した後、血液検査等を行い彼方の素性を確認しようと思ったのですが」
私は手渡せた書類に目を通した。
そこには名前『白澤秋』(おそらく私のでしょうね)あとは生年月日、年齢、血液型、所属場所「総務省防霊本部実行部隊」等が記されていたが、思い出すものは何もなかった。
夢で家族や仲間の顔を見た時は瞬時に思い出したというのに、自分のことは何一つ思い出せないとは、どうなのだろうかと、多少自暴自棄になりかけた。しかし、これだけの資料があれば直ぐに私の素性など割り出すことが出来るだろう。
ホッとした私を現実へと引き戻したのは、桐だった。
「無かったんです」
その言葉を聞いて私は半ば愕然とした。これだけの資料があって分からないというのが逆に不自然なのだ。これ程の資料がない殺人犯でさえも、警察の手にかかれば、あっという間に素性は割り出される。今回は環境省と警察のダブルコンビだ。見つけ出せないはずがない。それでも尚見つけることが叶わないということは。
「彼方は報告されていない子供。という可能性が浮上したの。でも、実際に彼方は総務省防霊対策本部に籍を置いていた身分証明書があるわ。政府に記録が無いだけで。ということは少なくとも、就職するまでは政府にも記録が残っていたはずなのよ」
「だとすると、私は世間的に殺された可能性があると?」
私の問いかけに神宮寺室長は少々驚いた表情を浮かべたが、直ぐに真面目な顔に戻った。
「ええ。その線も無論考えたわ。でもね、彼方が所属していた総務省に『防霊対策本部』なんて組織も、『実行部隊』も今の…いいえ過去にも日本には存在しないのよ。一応総務省に確認は取ったけどね」
存在しない組織。裏世界で暗躍していた部隊だとでもいうのか。それならば公式に記録が残っていなくても不思議ではない。
「うちは、超自然災害のエキスパートを集めた場所よ。他の超自然災害に対する部隊を作ろうとしたら、真っ先に私の元に情報が入るのよ。今までに入ったのは検討中の防衛省のみよ。無論裏社会に対しても同じ処置をとっているわ。どう考えても、私の監視を逃れて除霊組織を作ることは出来ないのよ」
そこまでいうと、神宮寺室長は後ろに控えている桐の耳元で一言呟くと、桐はまた私に別の書類を手渡してきた。今度は封筒に入っている。しかも環境省超自然災害対策室と名称入りの封筒である。
「うちは環境省って言っても、表向きは存在しない組織なの。だからその封筒を使うのは、対策室内での文面のやり取りか、環境省大臣に直接文面を取り次ぐときだけよ。大臣に持って行くときも、上に別の環境省の部署の封筒を上重ねするから、それだけで手渡すのは本当にここだけよ」
開けて。と目で神宮寺室長に促され、私は手元の封筒の封を開けた。中に入っていたのは、誓約書だった。聞きすぎた対策室の事情の口外禁止の誓約書だろうか。要項の意図を掴むため、下に目を通す。
『白澤秋の環境省超自然災害対策室への入室を許可する。環境省大臣の命により以下の規則を厳守することを誓約する』
私が誓約書の内容を理解するのに、数秒かかったのは致し方あるまい。硬直が溶けたあと、神宮寺室長を疑い深い目で見上げると、彼女は変わらぬ笑顔を浮かべていた。
「だってそんなに霊力も高いし、元々退魔師だったようだし、いいじゃない。記憶が戻るまでここにいるといいわ。記憶が戻っても、もちろんいていいわよ。何より退魔師は人手不足で困っているから」
この人は怖い。私は瞬時に思った。この人は、ただ単に安心を与えるために笑みを浮かべているのではない。笑みを持って、無言の強制をしているのだ。この女性は。この笑みが崩れたときは、どうなるか分かる?といった奴だ。
女は怖いと誰かから聞いた覚えがあるが、私に言った奴はきっとこういう女性を指して言っていたのだろう。私も一応は女という区分に入るので、私に向かって言った奴も奴なのだが、思い出せないのが悔しい。
「黄泉さんは、不満らしいですが」
私は神宮寺室長に逆らう意思は無いということを示しつつ、さっきから斜め前で室長に分からないようなレベルの殺気を放っている黄泉の方を見ながら言った。私の目の前に座った時点でお怒りモードだった。黄泉は最初からこのことを知っていたのだろう。
「私は、別に不満じゃない。退魔師が足りないのは本当のことだし。ただ私は、あなたが私たちに刀を向けた理由が知りたい。それだけよ」
見るからに不満そうに聞こえるように言っている辺りで、神宮寺室長には私がここで退魔師として活動することを黄泉は望んでいないことなどバレているだろう。
だが神宮寺室長は黙って私の顔を見てきた。退魔師にはチームワークが最も要求されるということを、室長という立場上一番よく知っているからだろう。
だからこそ何も言わずに私を見てきたのだ。出来ることならば、ここでお互いに誤解を解き、敵対意識など無いということを自覚させるために。
私とて、ここまで自分のことを調べ上げられておめおめ帰るつもりはない。資料がないということならば、せめてここで調べ上げられた物を処分していくべきであろう。だとしたら、私はここを追い出される訳にはいかない。ここに来た目的を思い出し、記録を消し去るまで。
「あの時、何かと戦闘していませんでした?」
「…していたわ。あの時は大量のカテゴリーDが発生して、私たちはその除霊をしにあの場所にいた。そして全て片付け終わった後、彼方を見つけた」
「多分その時だと思いますが、返り血が服に着いていました。しっかり見なければ分からない程の大きさでしたが。それを見た瞬間、頭が真っ白になって気が付けば鳴神を呼んでいました」
「…無意識だったって言うの?刀を向け続けたのも」
黄泉の怒りは自分だけのものではないのだろう。おそらくあの時一緒にいたもう一人の少女。神楽の怒りも一緒に吐き出しているのだろう。
「刀を向けるまでは無意識。ですが、私は動かせなかったんです。一瞬でも気を緩めた途端に、あなた達が斬りかかって来ると思うと、私は微動だに出来なかった」
「私は、あなたを助けようと!」
「分かっています。本当に今では感謝しているんです。あんな場所に置いていかれたままだったら、私は十中八九悪霊のいい餌でした。鳴神の扱い方も忘れていましたし」
ですが、と私は続けた。
「あの時はそれで手一杯だったんです。混乱していたといえば、言い訳がましく聞こえるかも知れませんが…」
私がそう締めくくると、黄泉は少し考え込むように下を向いた。 よく考えれば、本当に失礼なことだと思う。助けてくれようとしたのに、刀を向けられて、その上で一緒に戦えという方が酷な話だろう。
そもそも、記録の改ざんや記憶を取り戻すことなど、ここでなくとも出来るではないか。だとしたら、無理に黄泉の誤解を解く必要もない。
「神宮寺室長、お言葉はありがたいのですが、事実誤解するなという方が酷な話です。私がここに入るということは、これと同じことを対策室の人間すべてにしなくてはなりません。それを考えたら、私をここに置いておく方がデメリットが多いでしょう」
「でもねぇ、あなたの身柄は私たちの元にあるのよ。だから、あらそうですかって、手放せるわけでもないのよ」
「なら、書類上で殺してもらって構いません。そうですね、除霊活動中に殉死とでもしてください。そうすれば、私はここにいなければならないという義務は破棄される訳ですし」
私は笑って言った言葉に神宮寺室長は何も言わなかった。そうすれば、確かに私にも神宮寺室長にも拘束の義務は消去されるからだ。それに、デメリットが多いということも事実であり、その辺も思案中だったからなのだろう。
だが、唯一黄泉だけはその意見に違を唱えた。
「あなたは、自分の命を何だと思っているの…?」
真っ直ぐに私を見てくる黄泉の顔を、私も負けじと強い意思を持って黄泉の瞳を見返した。その目には怒りはもう映ってはいなかった。
「書類上では死ぬかも知れませんが、私自身が死ぬわけじゃありませんし。それに、その方があなたにとっても良いでしょう。私がいなくなれば、今まで通り仕事に取りかかれる」
「記憶がないのに、少し掴みかけた手がかりを、自分から投げ出すの?」
痛いところを突かれ、私は黄泉に言い返そうと考えていた言葉を腹の内に飲み込んだ。いや、言葉を砕かれたと言った方がいい。私が今まで浮かべていた笑顔は消え、少しだけ目を逸らした。だが、黄泉は気にせず続ける。
「あなたに悪意が無くて、記憶の混乱がもとで私たちに刀を向けたというのであれば、私に怒る権利はない。民間人に変な目で見られるのは日常茶飯事だし、壊した物を弁償しろと怒鳴られることもざらだわ」
だったら、と今までに聞いたことの無い強い声で黄泉が言った。
「私はあなたを受け入れる。ここであなたが記憶を取り戻し、安心して元の家に戻れるようになるまで、私はあなたを死なせはしない。現実でも、書類上でも!」
そう言うと、目を逸らしていた私の目の前に白い綺麗な手が差し出された。私がもう一度目を合わせると、先ほどの冷たい表情の黄泉はもうどこにもいなかった。
私は差し出された手をしっかりと握りしめ、ゆっくり一度上下に降った。それが私と黄泉との間で無言のうちに交わされた契約であった。
私は記憶を必ず取り戻す。黄泉は私の死を許さない。
「よろしくね、秋」
「よろしくお願いします。黄泉さん」
「黄泉でいいわよ」
「…ありがとう、黄泉」
それが、どんなに阻止不可能であっても…
さて、この後ようやく原作介入となります。
次回は少しの触りになると思いますが…
ではまた次回、お会い出来ることを祈って
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