人生初の朝練!
俺達四人以外、他のメンバー全員は明田神宮の長い階段を登り切った広場に集まっていた。
「あなた達、一〇分遅刻よ」
腕時計をちらと見た絢瀬絵里が言う。
逆に遅刻時間が十分で間に合っただけでも俺は良かったのだと思うがな。俺の起床時間が七時四十五分で、歩いたら少なくとも二〇分はここまでかかるんだ。着替えや支度などもいろいろあったし、ほんと頑張って走ったよな俺。
……おかげで死にそうだ。
家から持参してきたエナメルバックを肩から下ろし、両膝に手を付いて酷く荒れた呼吸を整えようとした。
「あら? 美雪ちゃん、すでに結構しんどそうな顔しとるな~。もう虫の息やん」
「だ、黙れ……東條……。お、れは……運動なンて、普段しねェンだよ……」
授業中は机に突っ伏して寝る。
体育の時間は保健室で寝る。
休日は家のベッドかソファで半日は寝る。
こんな堕落した生活を送ってきた奴があの距離を終始全力疾走なんてしたらこうなるに決まっている。
「ほっほお――?」
キラン、と。
東條の目が光ったような気がした。その口元は何か企むように三日月型に曲がっている。
東條は、九回をフルマウンドで投げ続けた野球投手のように肩で息をする俺の背後に周り、俺の脇下から指を不規則に動かしながら両手を伸ばしてくる。
「お、おい東條……何、してン――」
直後。
俺は信じられない体験をした。
東條はいきなり両手を俺の身体にしがみつかせてきたと思うと、その着地点は紛れもなく俺の……ムネ。
揉みしだくように両手を巧妙に動かし、さらにそのスピードを増していった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ――――――!?!?!?」
は!?
え、ちょっ、はあ!?!?
こ、こいつ、俺にいったい何やらかしちゃってくれてんの!?!?
とても俺の声とは思えない叫喚に、東條は背後で満足そうに頷いていた。
「ほぉほぉ……やっぱり予想してた通りやな。そんなに大きくはない……多少の膨らみがあるくらい、けど柔らかいな…………カップにすると――」
「や――やめろクソ野郎がァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
バッ、と身を解き。
すかさず俺は東條――もとい痴漢犯罪者から距離を開ける。
「あははははははは! 初々しいなぁ美雪ちゃん」
「て、テメ……いきなり何を……」
緊急事態とも言える程の突拍子のない出来事に俺が口をぱくぱくとさせていると、背後からポン、と肩に手を置かれる。
首だけを後ろに振り向かせると、矢澤が同情の眼差しで俺を見ていた。
「諦める事、そして今後の為にも覚悟を固めるのが重要よ美雪。μ'sに加入した以上、私達女の子はこれからも希に汚されていかなくてはならないの……」
「な、何の話をしてるンですかァ……?」
「ちょっとにこっち~? 汚されるってひどない?」
「でもね! 宇宙ナンバーワンアイドルにこにーはめげないの! 例えどれだけ希に迫られようが、この純潔な身体は守りきるって決めたのよ! それも全て、スーパートップアイドルにこにーのファンに為にも!!」
ババーン!! と。
両手を大仰に広げて宣言する矢澤に、地面に座っている星空と西木野が横から言葉を入れた。
「ファンってどこにいるのかな?」
「いる訳ないじゃない。おかしな人」
「そこの一年! 聞こえてんのよ!」
すると星空の隣に座っていた小泉が即座に立ち上がる。
「尊敬しますにこちゃん!」
「花陽!!」
ひしっ、と抱き合う矢澤と小泉に、絢瀬と園田が苦笑を交えながら顔を合わせた。
「まぁ……これで無事、新マネージャーの美雪も含めて全員が揃った訳だし、そろそろ走り込みから始めましょうか」
「そう、ですね……。さぁ穂乃果、へばっている場合じゃありませんよ。ことりも立ってください」
「「ふぁ~い」」
疾走してきた疲労が回復していない様子で立ち上がる高坂と南の背中に、東條がぬぅっと現れた。
「ちょい待ちぃや~。君ら二年生組も確か、遅刻してたよな~?」
「「「ギクッッッ!!」」」
園田を入れた三人が同時に肩を跳ねさせた。
怪しげな笑みを浮かべて両手を構える東條へと、三人が恐る恐るといった感じで振り返った直後。
明田神宮に、悲鳴が響き渡った。
ーーーーーーーーーーー
今日の俺は朝練初参加という訳で、一日見学らしい。
……と、いう事は、だ。
今現在、目の前で繰り広げられている明田神宮男坂の長階段五〇往復を、明日から俺もやらせられるって事か……?
……そうなのか? お? 俺死ぬぞ? 死亡事故があったっていう一つの報道ニュースが出来上がって来年の正月からこの神社誰も来なくなるぞ? あ?
現に、小泉と矢澤、高坂の三人が今にも倒れそうになっている。
「穂乃果! 花陽! にこ! ペースがみるみる落ちていっていますよ! もっと気合い入れてください!」
「そ、そんな事言われてもぉ……」
「も、もう……脚が震えてますぅ……」
「う、海未ちゃん……鬼教官にこぉ……」
「にこ? 何か言いました?」
「に、にこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
おぉ、凄ぇ凄ぇ……。園田に微笑みかけられた矢澤が一気にペース上げたよ。
「にこ! 一段飛ばしで登らない!」
「エリーチカも十分鬼にこぉ……」
今度は絢瀬に叱られてやがる。
……エリーチカって何だ?
ーーーーーーーーーーー
トップを星空で飾った石段の往復を終えると、今度は柔軟体操に入るらしい。
どうやら二人一組の編成に分けられるようだ。となると九人のμ'sは必然的に一人余りが出るという事で。
「美雪ちゃーん! 穂乃果と一緒にやろー!」
我一番にと、高坂が俺に駆け寄ってくる。
と、その時だった。
「駄目です!」
一喝……という程まで声量は出ていなかったが、園田のその一声で高坂の足が止まった。
「ほえ?」
「海未ちゃん?」
疑問を浮かべた表情の高坂と駆け寄ってくる南に、園田は「あ、いや……」と一瞬狼狽える様子を見せたが、すぐに表情を直し、
「っ――これから夜伽ノさんには、私の柔軟の相手をしてもらいます!」
と、言い切った。
「えぇー!? ずるいよ海未ちゃん! わたしも美雪ちゃんと柔軟やりたいー!」
「我が儘言わない!」
ぴしゃりと。
その鶴の一声で、高坂は黙ってしまう。
「うぅ……ことりちゃん、やろ?」
「あ、……う、うん」
……やっぱ、園田の様子が変に思える。
あいつの事を長い間見ていた訳じゃないが、なんとなく分かる。園田はどこか不機嫌、というか、絶対に譲れない何かを抱えている雰囲気が感じられた。
「……よろしくお願いします」
「あ、あァ……」
俺が言えた事じゃないが、目の前に座った園田の表情は厳しいというより、少し怖いに近いイメージがある。
こいつ、こんな顔しててアイドルやっていけんのか――?
ふと、俺達からやや遠くに立っている絢瀬から、一つの呟き声が微かに聞こえた。
「どうしたものかしらね……」
ーーーーーーーーーーーー
「はい、これ」
長い柔軟を終えた後、ラジカセを用意する矢澤と東條の隣でただ突っ立っていた俺に、西木野真姫が駆け寄って、何かを手渡してきた。
イヤホンが付けられたその代物は、アイドル方面に疎い俺でもさすがに理解できる。
「音楽プレイヤーか?」
「えぇ。まだ少ないけど、ここにあたし達の歌声が入った曲があるわ。あたし達はラジカセを使ってこっちのペースで練習するから、あなたはこれを聴いて曲のイメージとかを掴んで欲しいの。歌詞は後で配るわ。踊りにもいくつか、ステップの回数とか回転の方向ターン、それに並び順の配置とか、決まってない箇所があるから」
「……これ聴いて、俺にもその踊りの振り付けを考えろと?」
「できる範囲でいいのよ。作曲や作詞と違って、振り付けはみんなで意見を出し合えるけど、やっぱり客観的に捉えられる意見も必要でしょ?」
なるほど、と俺は頷く。
すると急に、西木野は腕を組んで得意気な表情を浮かべた。
「ちなみに……あたしが音楽室で聴かせてあげた曲、覚えてる?」
「ン? あァ、確か、『愛してるばんざい』だッけか?」
……まさか、俺の口から『愛してる』なんて言葉が出るとは――っっっ!!
「えぇ。実はあの曲、まだみんなと歌を合わせた事がないのよ。けど、そのプレイヤー中には一応入っているわ。あたし一人の声だけどね」
「……ッて事はソロか」
「ふふふ……えぇ。あなたが思わず聞き惚れちゃった真姫ちゃんの麗しき歌声が独占できるって事よ。精々、聞き惚れてなさい」
「……」
「……ふふん」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
俺が緘黙を決め込むと、西木野は自分の言葉が途端に恥ずかしくなったのだろう、真っ赤に染め上げた顔を背けた。
「……そうなるンだッたら最初から言うなよ」
「あなたが何にも言わないからでしょ!? ほんと、意味分かんない!」
意味分かんねぇのはこっちだ……。
するとすでにラジカセの準備を終え、それぞれの配置についた所で星空が手を振った。
「真姫ちゃーん! 早くするにゃー!」
「い、今行くわ! じゃあ、しっかり聴いといてよね! ちゃんと歌詞にも気を引きなさいよ!」
「あァ、お前の麗しい歌声をな」
「――――っっっ!?!?」
トマトのような表情を見せて走り去っていく西木野を見送ってから、俺は一人、腰を下ろしてイヤホンを耳にはめ込んだ。
プレイヤーを操作すると、入力されてある曲名は未だ四曲。
ひとまず俺は、画面の一番上に表示されてある『START:DASH!!』という曲から聴いてみる事にした。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
次話は朝練の続きとなりますが、よろしくお願いします!