さて、ようやく僕の望んでいた方向性に戻りそうです。
カラオケで過ごした時間が約五時間半。
時が過ぎるのを忘れ、俺もたまに誰かとデュエットを交えながら歌った長い時間かと思えたが、女子ってもんはこうも長時間、カラオケに費やせるものなのか。
カラオケを出ると、全員で駅まで歩き、そこからは各自で解散ということになった。
家の方角はにこと同じであったが、今から家に帰っても特にしてやることもない。
俺にしては珍しく、帰巣本能が働かないまま、寄り道という選択を選んだのだ。
……いや。
実際、考える場が欲しかったのかもしれない。
証拠に――。
「ここ、だッたな……」
寄り道と言えど、行く先は決定されていたようなものだった。
敷地面積の広い公園。
中央の噴水を取り囲むベンチ。
この場所。
この位置。
祭りの日の夜、俺はここで、とても現実であったとは信じ難い体験をした。
「まァ結局、夢だッたのか現実だッたのか、ハッキリとは分かンねェがな」
夜空の変動。
怒涛のオーケストラ。
極寒の冷気。
濃密な霧景色。
そして、あの女。
A・M――。
だが、仮に。
あの日の出来事が現実であったとして。
μ'sのメンバーも。
統堂英玲奈も。
親父も。
あの後に会った柊蒼太郎も。
誰一人として、何も言わなかった。
夜空の異様な光景を目の当たりにしていないように、何事もなく今までの生活を続けていた。
あれだけのことが起きたのなら、ニュースになってもいいはずだった。
全世界の研究者達が集い、地球が始まりかつて一度として現れなかった謎の現象に、その起因や正体を掴もうと躍起になるはずだ。
そんな話、どこにも聞かない。
そもそも、あの日の異常現象や気象について、話題がどこにも転がっていない。
おかしいだろう。
「夢、だッたのか……」
いや、それもありえない。
俺はそう即答できてしまうことに嫌気がさした。
あの急激な気温低下による、凍えるような冷たい空気。
黒髪の少女と接触したことによる、背中に感じた人間の温もり。
あれが嘘だとは思えなかった。
そもそも、あの大音量で響き渡る轟音の痛覚は、絶対に夢の世界で味わえるものではないと思えた。
「なら、何だッたンだろうな……」
そして、また――。
「…………」
自分の長い銀色の前髪を上げて留めていた髪留めを外し、目の前に翳す。
滑らかな金色の模様が走らされる黒の髪留めは、とある店で、西木野真姫が購入していたものだった。
彼女と初めて遊びに行ったあの日。
それからというもの、彼女の言動に、俺は常に不可解な違和感を抱いていた。
前にも感じたことだが、どうにも西木野真姫は俺にだけ――。
プレゼントの髪留めが良い例だが……態度が違う気がする。
媚びを売るとか、そういったものではない。
しかし、甘えるといった感情を押し出してくるものでもない。
やけに、俺にだけは素直だ。
また、近づいてこようとする。
嫌だと言っている訳ではない。
ただ、疑問に思う。
他のメンバーにそれとなく聞くも、西木野真姫から贈り物を受け取ったという例は出て来なかった。
また彼女の性格上、相手を目の前にすれば言いたいことも素直に言えない意地っ張りだというのに、今日のカラオケでもそうだったが――俺にだけは、どうも素直すぎる。
また、あの笑顔。
普通ではないと直感するものがあったのも、確かなのだ。
「…………」
考えすぎだ。
だが、相手は人間だぞ。
俺と同じだ。
今まで少数に限った奴らとしか関わりを持っていなかったせいか、人の思念ってものに対し、大袈裟に捉えてしまう癖があるのか。
「……クソッ」
悪態を吐く理由は、慣れない問題の数が多いからだ。
絢瀬絵里に関してそうだ。
同じメンバーの仲間だろう、信用してやれ。
そう思っていながらも、それを自分の意志でもって頑なに拒んでしまっている俺自身が嫌なのだ。
また、さらに――。
決して無視することのできない問題児だって、俺の身近にいたりする。
「ン…………」
パーカーのポケットの中で、スマホが振動した。
取り出して画面を見ると、一言だけのメッセージが添えられている。
『今から美雪ちゃんの家に行きまーす(^o^)』
巫山戯た顔文字はただのフェイクで、彼自身もその後の展開は軽くないと予想はしているだろう。
差出人は柊蒼太郎。
俺はベンチから立ち上がった。
「美雪」
ふと呼ばれた自分の名を言うその声色に聞き覚えがあった。
その方角は背後――あの夜と似ていると感じながら、俺はスマホをポケットに仕舞いながら身体ごと振り向く。
「おう、どうした海未。確かお前の家は反対方向だッたろ」
脚の線をピッチリと浮き出す膝下までのズボンと、何の変哲もないトップス一枚という、カラオケでも思ったが女子力なさすぎでしょと思える私服姿の園田海未。
駅から幼馴染みの二人と並んで帰ったはずの彼女が、ベンチを挟んで俺の真後ろに立っていた。
「えぇ。ですが少し、美雪に用がありまして」
「俺に……?」
「はい」
頷く。
またおかしいと思ったのは、そんな私服姿に不釣り合いな、身長の高い、一つの包み。
両端から伸びる紐を肩から提げ、何か棒状のものが入れられていそうな白い包みは、頭の部分が紐で閉じられ、キュッと締まっている。
「……それ、何なのか聞いてもいいか。カラオケにいた時にはなかッたはずだよな」
「あぁ、これですか」
海未は肩に提げるその包みをチラと見ただけで、すぐ俺と視線を合わし、クスッと微笑む。
「ちょっとしたお届け物ですよ。美雪の家にお邪魔しようとするついでに、お父上からお預かりしたものです」
「ならそのお届け物ッてやつ、すぐに持ッていッた方が良いンじゃねェの?」
「いえ、平気ですよ。約束の期限は明日の正午までとなっています。ですが早く済むのなら、それに越したことはないでしょう? ですから……」
そして、海未はベンチに両手を添え、俺に言う。
「ゆっくりとお話もできるので、これから美雪の自宅にお邪魔させてもらってもよろしいでしょうか」
……予想はしていたがまずい事態だ。
その希望だけは聞きたくなかった。
今は親父が九日連続で出張している。
だから俺は、いま家に『アレ』を置いているのだ。
もし、海未が家に来るとなれば、こいつにそれが見つかるリスクってやつが生じる。
それはまずい、μ'sのメンバーはもちろん、幼馴染みの統堂英玲奈にだって、それを見つけられたら困るのだ。
「あァ……、悪いが海未」
俺は切り出す。
「今日はちと、これから予定があるンだよ。だからまた今度に――」
「メールの殿方と会う約束ですか?」
それに、俺の口は動きを止めた。
特に感情を交えない、いつもの園田海未の声色で牽制されたその言葉は、どうにも俺には重く感じたのだ。
「見たのか」
「偶然に、ですよ。声をかけようとしたら、美雪がちょうどメールを見ていてですね」
確かに、あのタイミングで声を掛けられたのだ。
沈む方角にある太陽の位置から考えても、俺の前に彼女の影ができあがることはない。
「凄ェなお前。園田の家系じゃ、常日頃から自分の気配を殺すようにできる修行ッてのをしてンのか」
「ふふっ。あなたはたまに、面白い冗談を言いますよね。そういうところ、嫌いじゃありませんよ」
「ッ…………」
この時点で、ようやく俺はおかしいと気づいた。
と言うのは、海未の様子だ。
彼女は、誰かの発言や行動に笑ったり、面白いですねと表現したいと軽く微笑んだりする時。
手の平を口元に翳し、なるたけ歯を見せないようにして笑う、というのが上品な癖であった。
少なくとも、俺はそう見てきた。
だが、今の園田海未。
それがない。
「メールの相手方は、もしかして恋人、とかですか?」
「ンな訳ねェだろ。俺にそンな相手がいると思うか」
いや、ここで頷いておけば、海未も遠慮して日を改めようとしたのかもしれない。
そうは考えたが、やはりこの夜伽ノ美雪に恋人がいるとう設定は、無理だと思い直した。
「ということは、友人ですか。ならば、私もあなたの友人です。ご一緒でも構わないのでは?」
「それはさすがに無理矢理すぎるぞ。両方と知り合いなのは俺だけで、お前と俺の友人は初対面な訳だしよ」
「なら、私にもその殿方と親しくなれと?」
「言ッてねェ。それに相手の野郎は、なるたけお前と仲良くはさせたくねェ奴だからな」
短い、口論とも言えない駆け引きの後、海未はまたクスリと笑い、ベンチの横を回り込んで、俺の目の前に立った。
「例えそうであろうと、私はあなたに付いて行きますよ、無理矢理でしょうと」
ゾッ、と背筋が震える声だった。
端正な容姿を軽く傾げ、他意のなさそうな微笑みを浮かべながらそう言う彼女に、俺の頭は一瞬ストップした。
「それに美雪。一つだけ、この場であなたに伝えておかなければならないことがあります」
すると、彼女は背伸びをし、俺の耳元に顔を近寄せる。
生暖かい呼吸の息が、耳の奥までくすぐった。
「先程からあなた、尾行されています」
密かに囁かれた声。
俺は喉の奥で息を詰まらせた。
「……なに?」
「どうも日本人ではないようですが……あなたがこの公園に来るまでずっと、後ろ二〇~三〇メートルの間隔で、あとをつけているようでした」
彼女は、何を言っているのか。
高校生活においてスクールアイドルなんてものに打ち込む平和ボケした日本人が、何かのアクション映画にでも言われそうな発言をしている。
本当だとしたら――。
嘘ではないのなら――。
「アルファルド……」
「……はい?」
俺は呟いていた。
見えてしまった可能性を言葉に出すと、その予感は膨らむ一方となった。
『いつか、あなたの救済して――』
あの、黒髪の少女が言い残した言葉が脳裏に浮かぶ。
『救済』という言葉に、いったいどのような意味が含まれているのかは分からない。
しかし、ろくでもないことに巻き込まれてしまったのは確かなのだ。
「あれが夢じゃなけりゃの話だと思ッていたが――海未、俺を尾行してた奴、まだいるのか」
訊くと、海未は背伸びをやめ、俺の身体の背後を見ているようだった。
「はい。私の目線の先、約五〇メートルくらいです」
彼女はそう言う。
この公園は広い。
五〇メートルと言っても、軽く敷地内に収まってしまう範囲だ。
「どンな奴だ」
「背はさほど高くないようでした。赤いニットの帽子に、黒のサングラスをかけています」
「……よし、海未」
ここで、俺は決断した。
適当な判断で油断を出してはならない。
俺は海未の言葉を信じ、また尾行しているとかいう奴を『アルファルド』の人間であると勝手に決めつける。
「お前は後ろに振り向いて、ゆッくり俺と一緒に歩き出そう。そのまま俺の家に直行だ。お前まで巻き込むのは非常にまずい」
アルファルドという組織は、どういう訳か知らないが、狙いを俺に定めているらしい。
俺と接触したとのことで、海未がいらぬ被害を被ることが最もいけないことだった。
しかし――。
「いえ。どうせ向こうはついてきているのです。人気のない暗がりな場所へと赴き、そこに相手をおびき寄せましょう」
園田海未の――少女の口から出る言葉とは思えない、挑戦的な提案が挙げられた。
俺は思わず、見下ろして彼女の横顔を凝視してしまう。
「……いや、」
しかし、すぐに思考を回転させた。
「詳細な素性も判明していない相手と、下手にかち合うのは駄目だ。尾行しているという点じゃ、相手は俺のことを知っている分、リスクがでかすぎる」
「しかし、そのまま家に直行というのは、住所が割れてしまう場合があります」
「尾行している時点でろくでもねェ奴だッてのは分かッてる。確かに住所を割られンのは控えたいが――」
…………いや。
待て、待てよ。
住所が割れている、だと。
そういえば――。
そして、俺は切り替えるように言う。
「いや、無駄だ。もう相手は俺の家の場所に、大抵の目星は付けているはずだ」
「……なぜです」
この事態、やけに海未が冷静なのが気になりはしたのだが――。
頭に浮上した新たな可能性、見落としていた点について、俺は興奮するように深い息を吐く。
柊蒼太郎が言っていたじゃないか。
水浦竜三も知っていたじゃないか。
謎も多い、この小さな街に蔓延る少数派の暴力団。
『音ノ木愚音隊』。
だとしたら、これも非常にまずい。
ここで園田海未を帰そうとする考えは、すぐさま捨てた。
「歩くぞ」
「ちょっ……」
海未の腕を掴み、引っ張りながら歩く。
同時にスマホを取り出し、海未に見えない死角の角度でもって、指定した宛先にメッセージを打ち込む。
〈庭から裏に回れ。一箇所だけ窓の鍵が開いているはずだ。お前は竜三を連れて俺の部屋にいろ。俺が帰ってきても絶対にリビングには降りてくるな。〉
打ち間違えや変換ミスがないかどうかも確かめず、柊蒼太郎にその文面を送信した。
第八章になって、文字数がどうも少なくなっている傾向がありますね。
しかし次話からはまた僕好みモードに移行するので、長くなりそうです笑
それでは次話もよろしくお願いします!