さて、今回は言わずもがな、あの問題のシーンへと突入します。
テレビ画面の前で思わず「うわっ…」と言ってしまったあの場面。
それでは、今回もよろしくお願いします!
南ことりの留学報告から二日目。
今日も変わらず学校だが、μ'sに加入して以来、ここまで重たい気分を足枷にさせて登校するのは始めてかもしれない。
ただ単に朝の早起きが、学校での授業が面倒臭いという鬱屈とした気分とはまた違う。
そんな自儘なものよりも遥かに辛苦なもので、身体の中心に鉄と鉛のようなものがドロドロに熔解しているような――様々な負の感情が渾然一体となって心に蟠りを作っている感じがした。
μ'sのメンバー達とは、昨日も携帯のトークアプリで会話はした。
今後どうするのか――それについても話し合ったりした。
だが俺としてはまだ、実際に顔を合わせることがすでに憂鬱となっていただろう。
登校途中や教室に辿り着くまで、約束の時刻前にメンバーの誰とも鉢合わせなくて良かったと安心している。
「……あの、夜伽ノさん?」
「ン……」
「えっと……今は、授業中ですけど……」
「……知ッてますけど」
「あ、そうよね……うん。――え……えっと、じゃあ、その缶コーヒーはしまってもらえると嬉しい、かな?」
「………………ッ」
授業中は上の空のことが多い。
授業中に板書や教科書を黙読しなくとも、試験前日に参考書に目を這わせておけば今までのように何とかなるから。
だが、今日の俺はどうもおかしい。
いくら何でも今までは、授業中に缶コーヒーのプルタブを開けてカフェインを楽しんだりはしなかった。
四時限目の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響き、教員が教室を出ると同時に生徒達は昼食の準備に取りかかる。
鞄から弁当を取り出す奴や、財布をスカートのポケットに入れて購買へ向かおうと廊下に出る奴。
俺は特に何かを取り出す訳でもなく席を立った――ちょうどその時に、見知ったクラスメイトの女子生徒三人グループが俺の席の周囲に集まる。
「夜伽ノさん、授業お疲れ様っ」
一人前に出たショートカットのクラスメイトがそう声を掛けてくる。
そういえば夏休みが明けた頃から、クラスメイトや学校の生徒に声を掛けられることが多くなったが――。
「これからお昼でしょ? 今日良かったら、わたし達と一緒にどう?」
どうやら昼食のお誘いだ。
確かに今までμ'sのマネージャーとしてクラスメイトから話しかけられたり、μ'sの近況を尋ねられたりはしたが――そういったお誘いの言葉は初めてだった。
だが、今日は先客があるし予定がなかったにしても乗るつもりはない。
「悪いが、今日はこれから予定があるンだ」
「あら残念……。また部活?」
「ン……まァな」
「じゃーしょうがないか~。あの一〇人の間に入るのはさすがに気が引けるし」
そう言って、三人の女子生徒達はそれぞれ弁当を手に持って俺の席から離れていく。
「あ、そうだ夜伽ノさん」
未だ名前も覚えられていないショートカットのクラスメイトは不意に振り向き、また俺と向かい合う。
「μ'sって、これからどうするの?」
「あ? どうするッて……」
何かお前に関係あんの?
思わずそう言葉にしそうになった時、ワンテンポ早くまた向こうが口を開いた。
「ラブライブの予選も辞退しちゃったみたいだし……もう解散とかになっちゃうのかな?」
「ッ……」
その発言は、ズシリと俺の頭に重りを乗せるかのようだった。
解散という単語を聞いた途端にその生徒の背後にいた二人が怯えるように身を引いたが、それは友人の不謹慎な発言を気にしたからか、それとも俺の表情を見たからか。
「……さァな。俺、もう行くから」
「あ、いってらっしゃーい」
そんな親しい間柄でもない癖に、大きく手を振りながら俺の背中に声をかけるその女子生徒。
ふと思い出し、今度は俺が顔だけを振り向かせた。
「なァ、」
「ん? なになに?」
「いや、μ'sのこととか関係ねェンだけど……隣のクラスの夕霧靜霞ッて、まだ学校休ンでンの?」
「あーっ、何かそうみたいだよ? 教員達の間でも話題になってるとか、隣のクラスの友達が言ってたから」
「……そうか」
それだけ言って、俺は教室を出た。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「穂乃果」
そう呼びかけると、眩しい陽射しが入り込む窓の隣の席で突っ伏しながら昼寝をかましている一人の友人が、また学院祭の舞台設計の際にはお世話になった三人の顔見知りが、教室の入り口で壁に寄り掛かる俺へと視線を向けた。
「あ、ごめんみんな。ちょっと行ってくるね」
友人達にそう言い残し、穂乃果は席から憂鬱そうに立ち上がると、登校時の俺と似て重い足枷を付けられたかのような足取りで廊下へと出て来る。
……ったく、どうして俺が穂乃果のお迎え役なんだ。
気の使える希やクラスメイトの海未でも良かったじゃねぇか。
「どうしたの美雪ちゃん? 穂乃果に用事?」
なぜ二年の教室まで俺が来たのか――その状況を呑み込めない穂乃果に「屋上に行く」とだけ短く言って廊下を歩き出すと、穂乃果も後から付いてきて俺の隣に並んだ。
「ど、どうして屋上に行くの? まだお昼休み――」
「まァ、色々と話があるンだよ。屋上でッて言えばもう一つしかないだろ」
「あっ……」
いや、そもそも教室に俺が訪れた時点で何か察することはできていたはずだ。
穂乃果も穂乃果で、きっと何かを見て見ぬ振りをし、その何かから逃げようとしている。
学院祭のライブやラブライブ出場という目標に真っ向から向き合っていたあの彼女とは大違い。
μ'sの太陽と崇められていた彼女の表情に、今はかつての輝きなど微塵にもない。
「あれから、ことりと何か話したのか?」
何も考えず、俺は尋ねる。
何かを考えれば、きっと俺は穂乃果に気を使って何も訊けなくなりそうだったから。
穂乃果は頷いた。
「昨日、ことりちゃんは学校休んでて……」
「あァ、みたいだな。海未から聞いた」
「メールでは、声をかけてみたんだ。『ごめんね』って……。でも、返事がなくて――」
「……そうか」
電話でなく電子の文章にしたのは、穂乃果も今は幼馴染みの声を聞くのが少し怖いのだろう。
またことりも、自分が急に留学するなんて言い出したせいで、と――もしくは今まで黙っていたことに負い目を感じているのかもしれない。
「ことりちゃんは悪くないよ」
階段を登りながら、穂乃果はふと呟く。
「あの時も言ってた、真っ先にわたしに相談したかったって。始めてできた友達だから、一番に相談に乗って欲しかったって。なのに、わたしはライブに夢中でことりちゃんの気持ちに気づけないまま……」
「ことりにお前を責めようとする気持ちなンてなかッたはずだ。何も全部、お前が背負い込むべきじゃない」
「でも、穂乃果が気づけていたら――」
「お前は物事に夢中で周りが見えなくなッていた。ことりには留学ッつゥ大きな物事を言い出せる勇気がなかッた。不運だッたンだよ。交錯するはずだッた水の流れの途中で堰に止められたようなもンだ」
だが、南ことりは意図として言い出さなかった節もある。
それは幼馴染みに黙って海外へ飛び立とうとしていた訳ではなく、学院祭ライブを目前に控えたメンバーに余計な迷惑はかけまいと考慮した、彼女の優しさからくるものだった。
それでも、自分が抱えている悩み事を勝手に誰かが察し、勝手に誰かが解決してくれるなどという願いや考えはただの甘えに過ぎない。
今回の問題は南ことりが留学の件を高坂穂乃果という親友に掩蔽していたことから始まった。
学院祭を終えて穂乃果が学校に復帰してから、メンバー全員を集めて留学の件を話す機会などいくらでもあったはずなのだ。
やはり、そこで勇気が出なかったのだろう。
もしかするとその時点で留学することは決定していて、何の相談もなく決めつけた進路を話したら幼馴染みに何て非難されるか――それを恐れて口にできなかったという場合も考えられる。
「なんでだろうなぁ……」
「……あ?」
もうすぐ屋上に着く。
そんな時、穂乃果は立ち止まってふと言った。
呆然と天井を眺め。
頭には何を思い浮かべているのか。
「何でことりちゃんは、わたしや海未ちゃんじゃなくて、希ちゃんに相談したんだろう?」
「……どういう意味だ」
「希ちゃんに相談することがいけないって言ってる訳じゃないよ? でも……どうして希ちゃんに話せたことを、幼馴染みのわたし達には話せなかったんだろ……」
聞いた話だが、それはことりから相談した訳ではなく、彼女の様子がおかしいと見た希から、彼女に聞き迫ったらしい。
だったらなぜ早く言わないのかとにこに叱咤された希は「ことりちゃんが自分から話すと言ってたから、その意見を尊重してあげた」と話していた。
確かに、それなら希が真実を知っていたとしてもおかしくはない。
また彼女の性格からすると、人の覚悟や意見というものを重く尊重する所がある。
だがやはり希もまだ、ことりの性格を熟知していなかったのだろう。
南ことりならば、きっと土壇場の場面で再び躊躇ってしまうと、分からなかった。
だから希はあの時、突然として言い出したのだ。
このままでは本当に何も言わずに海外へ発ってしまうことりに変わって、あの告白を――。
「そういえば――」
薄暗い階段の踊り場で、俺が屋上への扉のノブに手をかけた時だった。
「屋上に、ことりちゃんは来てるの?」
「……いや、あいつは呼んでいない。ことりを除いた九人だ、俺達を含めてな」
「……そっか」
そして、俺は扉を開ける。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ライブ?」
屋上に集まった九人。
話を聞いた穂乃果はその単語に始めて反応を見せた。
「えぇ。リーダーを抜きにしてしまったことは謝るけど、みんなで話し合ったの」
後ろで手を組み、今まで話し手の役割を担っていた絵里は微笑んで言う。
制服で集まったそれぞれのメンバーにも表情に影は映していない――多分だが、二日前から引き摺っている雰囲気を払拭しようと無意識のうちに努力しているのだろう。
「ことりが海外へと留学しちゃう前に、全員でもう一度、ライブをやろうって」
「もう一度、ライブ……」
それが昨日、俺達が話し合って決めた案件。
ことりがいなくなってしまう前に、舞台に上がれる九人でラストライブを全校生徒の前で披露しようという話だった。
「もう暗い空気はなし! みんなでことりちゃんの門出を祝うにゃ!」
「こら! あんまりはしゃぎすぎるんじゃないの!」
両手を広げて周囲のテンションを上げにいく凛を頭にチョップで黙らせるにこ。
「にこちゃん何するにゃー!」なんて凛が憤慨した様子で部長に立ち向かう。
「あら、手加減してあげたわよ~?」
「何をお!! しゃぁぁぁぁぁ!!」
そんなアホみたいな二人の漫才に、真姫も花陽もおかしそうに笑う。
「ですがその通りです。いい加減に気持ちを切り替えないと、最後の最後までことりを安心させてあげることができません」
「海未ちゃんの言う通りやね。しばらく向こうで一人になっちゃうことりちゃんの心に、哀しい表情をしているうちらを残したくはないやん? 最後やし、笑顔でことりちゃんを見送ろう!」
海未と希の言葉ももっともだ。
しばらくことりは友人達と、一〇年以上の付き合いだった幼馴染みの元を離れ、独りぼっちで海外へと旅立つ。
ただでさえ人並みの勇気を持ち合わせておらず、自分の気持ちを圧し殺して尚、メイド喫茶の一件のように自分という人間性に劣等感を抱いてしまう彼女だ。
本当はもっと魅力がある癖、それを見つけることができない。
衣装を通じてその人の輝く個性を引っ張り出せる才能を持っているのに、自分のことになるととことん消極的になってしまう性格。
そんな彼女の心に不満を残してやる訳にはいかない――それは俺でも分かる。
まして、仲間達の寂しそうな表情を彼女の目に焼き付けさせる訳にはいかないのだ。
だと言うのに――。
依然、穂乃果は顔を俯かせたまま、無言を貫いている。
「穂乃果……?」
海未は不安の色を帯びた声で彼女の顔を覗き込む。
また、穂乃果はさらに顔を俯かせてしまった。
「明るくいきましょう? これが九人でステージに上がれる、最後のライブになるんだから」
「わたしがもう少し周りを見ていれば……」
絵里の言葉の直後、表情を頑なに見せないまま穂乃果は呟き、周囲のメンバーも思わず押し黙る。
もはや、穂乃果が立ち直っている見込みなどこの時点ですでに見えなかった。
「わたしが何も余計なことをしなければ、こんなことにはならなかった……」
「ほ、穂乃果ちゃん! そんな自分を責めちゃ駄目だよ!」
珍しく、花陽が強気に抗議の声を出す。
だがやはりいつもとは異色な空気を纏う穂乃果に怯えてか、彼女の肩も震えている。
穂乃果も、そんな勇気を振り絞る花陽の声には耳を貸していないようだった。
「わたしがちゃんと友達の言葉を聞いてあげられてたら、こんな状況にはならずに済んだ」
「あんたね、それいつまで言ってるつもりよ……っ」
ようやく、か。
この状況下で取り繕った笑顔を捨てたにこが、少し声に力を入れる。
「そうよ穂乃果。物事の全てを自分の責任だと決めつけるなんて、ただの傲慢に過ぎないわ。そんなことをした所で何の解決にもならないし、誰も良い思いをしない」
アイドルグループμ'sの一員として代表していた絵里も、穂乃果の発言に表情が棘のある生徒会長に近寄っている。
そんな彼女の隣では希が、やはり事情を知っていた分何か思い詰めることがあるのか、唇をきつく結んで眉間に皺を寄せている。
そうだな、確かに今の穂乃果の言動は傲慢以外の何でもない。
以前、学院祭ライブの件は全員の連帯責任――また今回のことりの件だって、メンバーの誰もがことりに声を掛けてやらなかったという反省点で、すでに話は付いていた。
また、それを穂乃果は蒸し返した。
だがそれほどの自分に対する怒りというものが、彼女の中にあるのだろう。
「ら、ラブライブだって次があるわ」
「そ、そうにゃそうにゃ! 絶対に次は出場して――」
「出場して、どうなるの?」
興奮をなだめるように不器用な苦笑を浮かべる真姫と凛の言葉を、穂乃果はすぐに突き返す。
「…………は?」
それに対してにこが妙な反応を見せたのは、俺の気のせいか。
また絵里の隣では希が何やら危険を察知したような、どこか怯えている風な色の眼差しをメンバーに向ける。
穂乃果は続けた。
「ラブライブに出場した所で、何も変わらない。それに学校の存続は決定したんだし、今さらどうこうしたってしょうがないよ」
やはり、彼女は子供だ。
頭の切り替えができない、ミスを犯して親に叱られて機嫌を損ないグレてしまった幼稚な餓鬼のそれとなんら変わりはなしない。
そんなくだらない甘えっぷりな態度を。
部長としてか、アイドルへの意識からか。
それとも彼女に寄せていた期待からか――。
「あんた、それ本気で言ってんの?」
絶対に許そうとしない者がいる。
当然、そういう人物が出てきてもおかしくはない。
「……あはっ」
俯かせていた顔をようやく持ち上げたと思ったら、急に穂乃果が短く、しかし高らかに笑う。
「そもそも、無理に決まってんじゃん。わたし達μ'sはお互い出会って一年も経ってない。まだまだお互いを知らない部分や、相手に隠している部分だって少なくないんだと思う。チームワークが全然足りてなかったんだよ」
一瞬、誰もがこの生徒は本当に高坂穂乃果なのかと疑っただろう。
本物なのだとしたら、今度は高坂穂乃果の人間性について疑問を持っただろう。
確かに、正論なのかもしれない。
俺達μ'sのメンバーはそれぞれ、まだまだ相手について知らないことが多いと。
「そんなわたし達が、ずっとずっと長い間一緒に厳しい練習を積み重ねてきた、あのA-RISEの三人に――ラブライブで、勝てると思う?」
穂乃果は首を振った。
全てを諦め、達観するように。
「ううん、無理だよ。わたし達μ'sが、A-RISEみたいに……なれっこない」
……ただの拗ねている子供だ。
通信の対戦ゲームで友達に負け、自分の力不足を嘆いてはその友達に八つ当たりをしている餓鬼の幼稚さと一緒だ。
全員がそれを呑み込んでいるんだ。
我慢しろ――。
ここで俺が出たら……。
「ッ――」
直後。
それを我慢できない人間がいた。
「ふざけんじゃないわよっ!!」
「駄目ぇ!!」
矢澤にこ。
怒鳴り声と共に荒々しい剣幕を浮かべる彼女が穂乃果に飛びかかった直後、皆が動けない状況で真姫が一人だけ、必死に身体を張って抱き付くように彼女の勢いに制止をかけた。
「離しなさいよ真姫ぃ!! こいつは……こいつは絶対に言っちゃいけないことを言った! 諦めちゃいけない場面で諦めた! 一発ぶん殴って目ぇ覚ましてやんなきゃいけないでしょうがっ!!」
すでに花陽や凛は涙目で、希や海未は痛みを感じる胸を押さえている。
優しい彼女達からすれば、仲間同士が啀み合う姿に耐性などなかった。
「や、やめて……にこちゃん、穂乃果ちゃん……」
尊敬する先輩は怒り狂い、そんな先輩を涙を浮かべてまで止めに入る同級生の姿。
花陽は口元を押さえ、これ以上は見たくないと目を瞑って顔を背けた。
そんな後輩の顔などすでに見えていないのだろう。
青空の屋上で、にこの怒号は止まらなかった。
「にこはねぇ! あんたが本気だと思ったからμ'sに入ったのよ! あんたが本気でアイドルをやるって言うからそれに賭けて部室を明け渡したのよ! あんたがラブライブを目指そうって言ってくれたから! 私はもう一度アイドルになることを決意したのよっ!!」
矢澤にこの激怒は有頂天に達していた。
高校卒業後にプロを目指す彼女からすれば絶対必要条件であったラブライブ出場――その権利を剥奪された時、彼女は先輩らしく、冷静でいた。
哀しい表情は彼女にもあった。
もう少しだったのにと呟いた声も聞こえた。
だが、それでも彼女は先輩としての姿を保っていた。
夢にまで見るラブライブのステージに手が届かなくたって、彼女はその表情に笑顔を咲かせ続けていた。
それが、全て崩れる。
憤怒の感情に身を委ね、仲間の発言に我慢の糸はプツンと切られた。
メンバーで最も小さなその身体は、必死に押さえ込もうとする真姫すら圧倒している。
「それがこのザマはなに!? 自分のせいで自分のせいでって無意味に自己嫌悪を続けてメンバーに迷惑かけて! 久々に会って気分転換をしようとしても暗い雰囲気被り続けて! 挙げ句には一つの物事に対するショックをズルズルと引き摺って仲間と目指した目標すら否定してっ!! ねぇどういうつもりよ……、何とか――何とか言いなさいよこの裏切り者っ!!」
もしくは、それが決定打となったのか。
穂乃果の両肩がわずかに跳ね、またも責任に圧されるかのように苦渋を噛み締める表情に皺を刻む。
「……じゃあ、穂乃果はどうすればいいと思うの?」
険しい表情を浮かべる絵里が穂乃果に一歩近づき、そう尋ねる。
「いえ……あなたは、どうしたいの?」
そう訊き直したのは、やはり俺と同じ感想を持ったからか。
自分の思い通りにならずに地団駄を踏みながらいじける子供に、希望を尋ねる。
もしかしたら、それが最後だ。
屋上に集まった九人の駆け引きで、最後の場面だと俺は思う。
皆が穂乃果に注目した。
同時に皆が静寂を望んだ。
強靱で頑丈な岩のように分厚い沈黙に窒息する思いというものは、始めて味わった気がする。
それでも口を開かず、生唾の一つも飲み込めないのは手に汗握る緊迫した状況とはまた違っているから。
全員に不安の色があった。
全員に不満もあった。
やがて――。
「……辞めます」
賽は投げられた。
しかし、それは始まりの合図ではなく、終末を知らせる不気味なサイレンとして。
「スクールアイドル、辞めます――」
虚ろで朧気な眼は全てを見透かすように。
敗北と絶望を知る未来を諦めた色。
輝きはない。
ましてや太陽の明るさもない。
信じられない。
まさかそんなことが。
この人に限って。
そう言いたい。
そう願いたい。
メンバーの表情から様々な気持ちが読み取れる。
全員が固まった。
花陽や凛から涙は干上がり、長らく怒鳴り散らしていたにこの舌も乾いているのではないか。
ありえない光景。
信じ難い発言。
口をあんぐり開いて唖然とする希。
もしやこの最悪なケースを予想していたか、小さく息を漏らす絵里。
依然とにこの身体を押さえながら、もはやそれすら頭から飛んでいる様子で呆然と眺める真姫。
「ごめん……やっぱり穂乃果、耐えられなかったよ」
やがて、穂乃果は歩き出した。
屋上の出口へと――μ'sからの出口へと。
砂地から海辺へと足を踏み入れるように。
未成年から二十歳へと、誕生日の日付へ跨ぐ瞬間のように。
全てと切り離される。
その境界線のドアノブへ、彼女が手を伸ばす――。
「っ――」
直後、事態は動いた。
いや、だが俺にも何がどう動いたのか、それが理解できなかった。
穂乃果の右腕が掴まれる。
海未の、左手によって。
乱暴に引っ張られ、穂乃果の身体が反転する。
振り上げられた海未の右手が見えた途端、俺を含めて全員が目を見開いた。
同時に俺は知る。
もう、ここまで来たら戻れない、と――。
「…………」
――。
…………。
「……っ」
「…………え?」
「あ…………」
「み、美雪…………」
「こ、これ…………」
――――……??
おかしい。
俺の見えた予想の未来では、幼馴染みの発言に堪忍袋の緒が切れた海未は衝動的な行為で、穂乃果を引っ叩くのかと……。
すでに俺の中で、μ'sのメンバーは友人という位になっている。
友人が、もう一人の友人を叩く姿などいくら何でも見たくはない――俺は目を閉じた。
……だったら、どう説明をつける?
これも、咄嗟に沸き起こる衝動的な行為なのか?
「……離してください美雪」
「……………………断る」
「穂乃果は……この人は、私達を見事なまでに裏切ろうとしている。自分の呼びかけに応じて集まった仲間達を綺麗さっぱり切り捨てようとしている……。そんな彼女をあなたは許すのですかっ!」
頬に涙を流しながら叫ぶ海未。
目の前にはその現状に驚愕する様子の穂乃果。
いつ、俺はここまで走ってこれた。
どういう条件で身体が反応した。
振り上げられた海未の右手首をがっしりと掴み取り、左手は余裕そうにジャージのポケットに突っ込みながら、俺は二人の傍で佇んでいた。
俺が、海未を止めた?
無意識のうちに?
様々な可能性とこの事象について考えるよりも早く、口が動く。
「……確かに身勝手だろう。最も目標を高く持ッていた奴が急に辞めるだなンて言い出したから、俺も困惑してンだよ。だが、手を上げるのは間違いだ。さッき絵里が言ッたように何の解決にも繋がりやしねェし、誰も良い思いはしない。海未、お前を含めて……その行為は絶対に後で後悔する」
背後からで表情は見えない。
海未がぐっと何かを堪え、爆発した衝動を抑え込もうと怒りを呑み込む様子だけが俺の意識に映った。
そして、彼女の手首を離す。
海未はぶらんと乱暴に右腕を降ろすと、先程の穂乃果と同様、前髪が垂れ下がるまで深く顔を俯かせる。
「早く行ってください」
言葉を吐き捨てる。
目の前の幼馴染みの足下に。
「あなたが、そんな人だとは思いませんでした……。一時期にでも、あなたにスクールアイドルをやろうと誘われたことに感謝した私は大馬鹿者です」
さすがに、ズキンと心に刺さったのか。
穂乃果も苦しそうに表情を歪める。
そして――。
「最っ低です……二度と、『私達μ's』に関わらないでください」
それこそ、本物の決定打。
海未も、もはや何もかもを諦めた様子だった。
「…………」
何も言わないまま、穂乃果はドアノブを回して扉を開ける。
練習前には常に一番乗りでその扉を開放していた彼女が、今度は一番乗りで、力なくその境界から出ようとする。
階段の踊り場へと。
踏み込む一歩だった。
「海未ちゃんも、ことりちゃんの気持ちは何も分からなかったんだね……」
「っ……!!」
錆びた鋼鉄の音を響かせ、扉が閉められる。
屋上には、また一人人数を欠けさせた八人が立ち竦んでいた。
そこに、μ'sの衣装担当も。
μ'sの創始者であり、太陽であったリーダーも存在しない。
『一〇人揃って、スクールアイドルの『μ's』は始めて成り立つんです』
つまり……。
もう俺達は、μ'sではない――。
燦々と輝く太陽の陽射しが、なぜだろうか、やけに背筋を震わせた。
ビンタしなかった分の鬱憤が言葉となり、海未ちゃんから穂乃果ちゃんへと突き刺さっていましたね。
いよいよ一期のクライマックスに突入してまいりました!
次話からもよろしくお願いします!