笑顔を咲かせた少女は紛れもなく…   作:西部荒野に彷徨う海賊

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 最近、池上彰さんの本で社会勉強中の西海です。








117話 その主人公達は再び衝突する

 

 

 

 

 

 大して広くもないワンルームだ。

 何も飾られない古い棚や長年使われていなさそうな埃や汚れ塗れの机と椅子があるだけの平凡な部屋。

 

 ホログラムシートの反射光、また屈折して差し込んでくる廊下の照明だけが頼りの薄闇の部屋で、天然パーマのその男はズドンッ! と突き出るように駆け出した。

 

「ッ……」

 

 速い。

 まるで足首に強力バネを取り付けた野生のチーターだ――間隔が狭かったとはいえ、目視しながら対処できない速度で一気に詰め寄られる。

 

 しかし攻撃はなかった。

 男は俺のパーカーの襟と内側のトップスの襟首を重ねて捻るように両手で掴み上げ、勢いを殺さないまま俺の背中を壁に叩き付けた。

 

 息が詰まる。

 一瞬の出来事に咄嗟の逡巡すら追いつかない。

 

「どうしてここにいる、夜伽ノ美雪」

「あァ……!?」

 

 俺は鋭く左脚を突き上げ、男の脇腹に膝を入れようとする。

 直後に、硬い衝撃。

 男は身を守るように右脚を上げて俺の膝と衝突させながらガードした。

 

「水浦竜三やもう一人の男なんざどうでもいいが……なぜ夜伽ノ美雪、お前がこんな場所にいるっ」

 

 先程の粘り気があるような重苦しい声ではない。

 至近距離で力強く訴えかけられると、俺の上着を力任せに引っ張りながら後方へと投げ飛ばす。

 

 痛覚も薄く衝撃も小さい。

 受け身を取りながら床を転がってすぐさま立ち上がり、部屋の真ん中で体勢を整えた。

 

 しかし脅威は迫ってこない。

 男は壁際に立ち尽くしたまま、睨む豹の眼差しを俺に向けていた。

 

「ここは、お前なんかが来ていい場所じゃないだろ」

「……はッ、さッきから妙な説教口調で何を言ッてやがンだ」

 

 俺も始めて会話に応じた。

 どうも、目の前の男からは今まで鉢合わせてきた構成員達の乱雑な殺意ってやつが感じられない。

 

 そもそも構えすら取っていない。

 まるで俺と戦う気はないような……それでいて『電子結界』によって逃げ場を消しているのは、何の為か。

 

「妙なのはお前だ」

 

 そう言い返される。

 

「μ'sのマネージャーがなぜ、こんな戦場に足を運んだ」

「今まで二〇人以上の愚音隊構成員とすれ違ッてきたが、俺の顔を見てスクールアイドルのマネージャーを務めている女だと見極められたのはお前が始めてだな」

 

 そもそも音ノ木愚音隊の構成員達といった喧嘩や殺しを生き甲斐にしているような奴らなんて、アイドルといったものに興味を示している訳がないと思っていた。

 Sexy・Charmの一員である來栖麗羅はスクールアイドルでありながら愚音隊の上層部構成員として機能しているようだが、それは稀の例外だと――。

 

「ンでェ……俺がスクールアイドルのマネージャーだから何だッてンだァ? 輝くステージに立ッて煌めく程の衣装を着て歌ッて踊り、大勢の人間達から賞讃されるような存在と関わりを持てている俺は、陽の眩しい『表舞台』で平和に過ごすのが当然だろうッてかァ?」

 

 かつて竜三には遠慮された。

 戦場にくる必要はないと、関わる必要はないと。

 

 しかし、元々の俺は影に身を潜めながら大量の血を見てきた人間だ。

 今さら平和がなんだ光がなんだと感じてはいたが、それでも親友を見捨てられないというのが一番の気持ちだったはずだ。

 

 しかし今に抱えたこの感情はやはり違う。

 

「お前……俺の何を知ッてそンなことほざいてやがンだァ?」

「お前こそ、自分に置かれた立場ってのを弁えたらどうだ。μ'sのマネージャーがこんな汚ねぇ社会に関わっているなんて公表されれば、『ラブライブ!』出場なんて場合じゃなくなるんだぞ」

「…………へェ」

 

 思わず口元がニヤけた。

 愚音隊にもまだ世間を広く見れた奴がいるのかと、面白くなった。

 

「何だよお前、もしかして……もしかしてμ'sのファンの方ですかァ!? ハハッ! ハッッハハハハハハハハ!! おいおい! まさかまさかァこいつは愉快なジョークだなおい!!」

 

 他人の血でべったりと汚れた右手で片目を覆い、隠せない笑い声が大きく出る。

 

「裏じゃ殺しや麻薬の運び屋なンて陰湿なことやッて金を稼いでおきながら、表世界のアイドルになンてもンに興味津々とはなァ。ハハハハハハハッッ!! まさかμ'sのあいつらだッて殺人を好むサイコパスが自分達のファンに存在するたァ思ッてもみねェだろうなァ!!」

 

 密閉空間に俺の笑い声が響き渡る。

 男から目を離し、無防備にも天井を仰ぐような馬鹿笑いが止まらなかった。

 

 滑稽すぎる。

 世界に自分の居場所を見つけられなかったような落ちぶれた奴が、それでも可愛い自分を捨てきれずに、太陽の陽を浴びられる表社会に縋っているようで。

 

 言葉がすらすらと勝手に出てくるようだった。

 

「ンでェ? お前、μ'sの誰のファンなンだよ? 良かったらサインか何かもらッてきてやるぜ。清楚な海未か? 知的な絵里か? 色気のある希か? 女の子らしい花陽か?」

「…………」

「だが可愛そうだよなァ、そいつ。平然とした顔で汗一滴とも流さないまま人を殺すような奴に好意を向けられてンだァ……寒気や嫌悪感を通り越して、注目されるべき偶像であるアイドルッてやつを嫌いになるまであるよなァ」

 

 大量の目に見える埃が舞う部屋に、俺の妙にテンションの上がった言葉が続けられる。

 黙って聞いているだけだったその男は、ようやく動きを見せた。

 

「……だったら、」

「あァ?」

 

 表情のない顔で、男は細かく口を開ける。

 

 

「お前はどうだったんだ、夜伽ノ美雪。不気味に牙を剥いて笑いながら人を殴り飛ばしては血塗れにして、抵抗すると言いながら容赦なく相手の腹に銃をぶっ放すような奴がファンとの関係性よりももっと身近にいて……それで、μ'sのメンバーはお前に何て言っているんだ」

 

 

 顔の筋肉が硬直したのが分かった。

 盛んに漲っていた血の巡りが鈍くなる。

 

 ……なぜか一瞬、『逃げたい』という言葉と同時に同じメンバーであるあの金髪碧眼の生徒会長の顔が頭に浮かんだが、髪についた汚れを振り払うように頭を乱暴に横に振る。

 

 熱を帯びた鉄が時間経過を無視し、一瞬にして冷めたような感覚があった。

 

「余計な口出ししてンじゃねェぞ部外者が」

「関係者の癖にグループを窮地に追い込ませているお前に言われたかねぇ」

「テメェに何が分かる、俺の……μ'sの何が」

「あぁ、分かることだけが一つある」

 

 言った途端、限界まで引き絞られた弓から矢が放たれるように、男がまたも勢い良く突進してくる。

 

「ぐッ――」

 

 またも反応できず。

 動体視力や反応速度が追いつけないような野生の動きを追いかけながら、気づけば右の頬に鉛玉か何かを激突されたような痛覚と、床を滑る痛みが身体にあった。

 

 壁際まで吹っ飛び寝転ぶ俺を左の瞳で見下ろし、男は言う。

 

 

「正直、μ'sなんざどうでもいい。重要な点は、お前がオレの姉貴の――矢澤にこの夢を潰そうとしているってことだ」

 

 

 ドクンッ、と――身体全身が跳ねるように心臓が高鳴った。

 重たい撥で力強く太鼓を叩くような、そんな周囲一帯の空気を揺るがすような反応だった。

 

「…………ァ?」

 

 ゆらりと。

 自分でも身体の中心に芯がないんじゃないかと疑うくらいの動作で立ち上がる。

 

 ポキリと。

 首を鳴らしながら、痛々しく皮の剥けた右の拳を握りしめる男を見る。

 

 

「にこの…………弟、か……?」

 

 

 矢澤にこ。

 μ'sの――アイドル研究部の部長であり、誰よりもアイドルについて詳しく、誰よりもアイドルに熱心で、誰よりもアイドルが大好きな、あの矢澤にこ。

 

 下に弟や妹がいるとは聞いていた。

 だが、それは――。

 

「あぁ、そうだ。姉貴からは聞いていないだろうが……正真正銘、オレは矢澤にこの弟の、矢澤灯愛だ」

 

 ――だが、面影がない。

 姉弟でここまで似ていないものか。

 

 弟と言うこの男は身長も高いし、作った所で薄く滲み出るような可愛さも窺えない。

 

 黒髪。

 赤い瞳――そこは共通しているようだが。

 

「いや、……だが――」

 

 そんなこと、ありえていいのか。

 そこまで世界ってやつは狭くていいのか。

 

 Sexy・Charmのセンターである來栖麗羅が音ノ木愚音隊の一員でもあって。

 その部下であるこの男――矢澤灯愛とやらが、μ'sの矢澤にこの弟?

 

 運命ってやつはここまで器用に重なってしまっていいものなのか?

 神様ってやつはこの展開を導くためだけに、そう簡単に運命の歯車に細工を施してしまって構わないものなのか?

 

「姉貴は、プロのアイドルとしてデビューすることを夢に掲げている」

 

 知っている。

 そのくらい、部外者のお前に言われなくともマネージャーの俺は知っている。

 

「そのために全国規模で開催されるスクールアイドルの祭典『ラブライブ!』の出場は絶対的に必要な条件なんだよ」

 

 分かっている。

 影の世界でしか生きられないお前に言われなくとも、マネージャーである俺の方が矢澤にこについて知っているはずだ。

 

「お前は何にも分かっちゃいない」

 

 思考が止まった。 

 心にあった抵抗にすら歯止めをかけられる。 

 

「μ'sが活動停止になんて事態になれば、もう終わりだ。お前が暴れて不祥事を起こしたせいでμ'sの『ラブライブ!』出場が断念されたその時、姉貴のアイドル人生は途絶えると共に、幼い頃から掲げていた夢までも捨てなきゃならなくなる」

 

 道理だ。

 筋が通っている。

 

 だが。

 この男が――。

 

 

「お前個人の問題で、姉貴の夢が潰される? ――そんな巫山戯たクソッたれな運命であって良い訳がねぇだろうがっっ!!」

 

 

 慟哭は耳に届いていない。

 ただ身を焦がす程の灼熱の炎火となり、どんな物事にも揺るがされない心を覆う氷の厚壁をじょじょに溶かしていくようだった。

 

「お前は何にも分かっちゃいねぇんだよ。μ'sのマネージャーでありながらオレの姉貴をさっぱり理解していねぇ! 姉貴の言葉や魂、誓った夢への憧れや情熱を! 理解しようとしねぇ所か! 夜伽ノ美雪! お前は姉貴の歩みたい人生をただ焼き焦がしているだけじゃねえかっ!! 現に今! この場所に存在していることが何よりの証明だろ!!」

 

 被告に罪を認めさせようとする検察側の主張よりも。

 取調室で白状するよう強く責め立てる刑事よりも。

 

「…………あァ」

 

 最初の気怠そうに覇気のない調子は消えていた。

 陰湿なイメージしかなかった黒髪で覆われる顔は深い怒りや理不尽に対する我慢ならない感情が刻まれていて、とても俺は直視できそうになかった。

 

 矢澤灯愛――彼が腕を壁に伸ばしたかと思うと、何かを指先で摘み、ペリッと小さな音を立ててシール状のものを剥がす。

 シュンッ、と音が立てられたと思うと、部屋の入り口で破壊された扉の代わりをしていた『電子結界』が消失される。

 

「逃がしてやる」

 

 右腕を、右手で掴まれる。

 随分と値段の飛び上がっていそうなジャケットに艶のあるレザーパンツを着こなしているなぁ、なんて思っていると、強固に固められた右手が乱暴に俺の身体を引っ張った。

 

「どういうつもりだ」

 

 俺は問う。

 部屋を出て、未だに爆発の衝撃が舞いながら瓦礫の散らばる通路に出て、歩き出しながら矢澤灯愛は言った。

 

「お前がここにいると、オレだって困るんだよ」

 

 俺の一歩前を歩いて。

 振り向かないまま話す。

 

「お前に何かがあってμ'sの活動に支障が出れば、姉貴はまた夢から遠ざかっちまう。オレは、それだけは阻止したい。仕掛けられてあるカメラに映ってオレが裏切り者とバレるのは時間の問題だが、お前だけは外に逃がす。お前を守るためじゃなく、あくまでオレの姉貴の夢を守るためだ」

 

 ……なるほど。

 

 実に良い、姉思いの弟じゃねぇか。

 そういえば矢澤にこだって、さすがに手を上げるまではしねぇが多少、頭に血が上るのが早い性格だとは聞いている。

 

 だが、にこは優しい。

 文句をぶつくさと呟きながら、何だかんだと後輩の面倒見は良い方だし、仲間を大切に思っている節も見られる。

 

 合宿の時、矢澤にこは上達された料理の腕前を見事に振るっていた。

 普段から夜勤勤めの母親に変わって家族に料理を作っていると聞いた――家族思いの、よくできた姉だろう。

 

 弟も、その血を持っている。

 姉が弟や妹達をよく気に掛けられる性格ならば、弟だって姉をしっかりと見てやれる存在となっている。

 

 

 ……だが。

 

 

「悪いが、それには従えない」

 

 

 矢澤灯愛が木製の扉を開け、広い吹き抜けに面する通路に差し掛かった所で、俺は彼の手を振り払った。

 

「……おい、夜伽ノ美雪! オレの話聞いてなか――」

「聞いてたよ。あァ、お前が顔に似合わず愉快に優しい性格をしているッてのはよく分かッた」

 

 だがな、と俺は続ける。

 

「まだ、このビルには俺の仲間が……友人達がいる」

 

 矢澤灯愛にどれだけ深い事情があろうと。

 俺にだって同じように事情がある。

 

 矢澤灯愛は言葉を詰まらせた。

 他の構成員達とは違い、『誰かを思いやれる心』というものを持ち合わせているからか。

 

「水浦竜三と柊蒼太郎がどこかで戦ッているはずだ。竜三が梶ヶ谷燐桐との決着を付けるための今日の抗争だが、俺は親友の竜三を一人では行かせまいと付いてきた身だ。お前の気持ちも分かるが、このまま黙ッて帰る訳にはいかない」

 

 そうだ。

 見捨てる訳にはいかない。

 

 いかなる喧嘩や過激な戦場でも、俺と竜三は常に一緒だった。

 柊に関しては悪いがこの際どうでもいいだろうが、竜三を置いて俺だけ逃げるような真似はしたくない。

 

 矢澤灯愛は音ノ木愚音隊よりも、自分の姉を選んだ。

 だが俺はμ'sの面々とよりも、水浦竜三との付き合いの方が遥かに長い。

 

 どちらかを選べと問われれば、俺はきっと、水浦竜三を選択する。

 

「……クソったれが」

 

 矢澤灯愛は忌々しく呟く。

 八方塞がりであるこの状況に怨嗟の音色をまじえながら吐いた舌打ちには確かな苛つきがある。

 

「まぁ、良いだろう」

 

 やがて彼はそう呟いた。

 俺から顔を背け、吹き抜けを飛び越した向こう側の通路の天井に仕掛けられた監視カメラを見据えているようだった。

 

「オレが組織を裏切ったことについて、梶ヶ谷の奴はもう承知だろうなぁ。下等構成員っつぅ分別の区域にいるオレだが、上層部から目を付けられている方だ。注目は浴びたが、もうどうでも良い」

 

 俺も吹き抜けに面した壁の上底に左腕を乗せ、楽に寄り添う。

 覗き込むと、赤く染まった姉譲りの赤い瞳は細められた瞼の内側で確立するようにじっと動かない。

 

「……梶ヶ谷を殺せば全て終わるのか?」

「殺すッて表現が正しいのかどうかは分からねェが、それで根本的な問題は取り除ける」

「終わったらお前も大人しく帰るってことか」

「そうだな、仲間達を見つけ次第で退散するよ」

「……そうか」

 

 どんな意味を含めた会話なのか、意図が俺にも分からない。

 

 しかし矢澤灯愛はどこか、覚悟を示していた。

 矢澤にこの弟――つまり俺の年下に当たる訳だが、決して頼りない存在とは思えなかった。

 

「約束しろよ、夜伽ノ美雪」

 

 彼は言う。

 対岸の黒ずんだ壁を眺めながら。

 

「μ'sのマネージャーとして、大人しく陽の目を浴び続けていることを。もう、こんな面倒事には巻き込まれるな。『ラブライブ!』に出場して、良い結果残して、姉貴に夢へと続く道を見させてやることを約束しろ」

 

 初対面の人間に遠慮のない願望。

 先程までは何も分かっちゃいないと批判していた癖、切り替えるように押し付ける役目。

 

 返答に迷った。

 俺は今回が初めてではない――星空凛の中学時代の同級生に対しての暴行事件はなぜ不問とされたのかは分からないが、あのようなことがまた起きるかもしれない。

 

 自分の感情をコントロール出来ない奴は子供だ。

 周囲を見れていなくて、自分の状況下を正しく分析できていなくて失敗した例は最近のμ'sにもあった。

 

 そしてどうやら矢澤灯愛は、μ'sの現況を知らないのだろう。

 リーダーである高坂穂乃果が倒れたのが原因で『ラブライブ!』の出場は辞退し、メンバー同士のいざこざでチーム全体が活動休止に追い込まれている最悪の状況を、こいつは知らされていない。

 

 つまり、姉とは会っていないのか。

 そもそも自分が愚音隊の構成員であることを、姉のにこには報告しているのか。

 

 姉は、自分の弟がかなり厄介な状況にいることは知っているのか。

 

 そんな考えを多く巡らせているのにも関わらず、矢澤灯愛の横顔を眺めていた俺の口からは、あまりにも頓珍漢な内容が飛び出した。

 

「なァ、矢澤灯愛。俺達……、やッぱどこかで会ッたことねェか?」

 

 それはあの窓のない部屋で、ほんの一瞬だけ感じた違和感と可能性。

 俺の言葉に、急にどうしたんだと矢澤灯愛は薄くも怪訝な表情を浮かべて隣に立つ俺を見た。

 

 

「あ~らら。せっかく岸辺にうちあげられたお魚が目の前にいるっていうのに、あろうことかお魚を川に逃がそうと、そしてまさか自分もその川に飛び込もうとしている熊さんがいるなんてねぇ」

 

 

 そのセリフは妖艶の響きがあった。

 場にそぐわない、甘美なデザートよりも濃厚な味を想像させる妖しいメロディが感じられた。

 

「っ――クソったれ!!」

 

 俺は動けなかった。

 突如に、矢澤灯愛が俺の側頭部に強烈なエルボーをかましてくる。

 

「ッ……!?」

「随分とお魚さんと仲良くなっちゃったのねぇ、凶暴な森の熊さんは?」

 

 直後に轟く銃声は案外にも近くからだった。

 衝撃に身体のバランスを崩しながら倒れ込む俺の視界では、背後に振り向いた矢澤灯愛の右肩部分からの、外殻が潰れて果汁が弾けたような出血――肩口を押さえながらその身体はフェンス状の壁を乗り越え、吹き抜けがあろう『そちら側』へと滑り落ちていく光景が一瞬の中で起こっていた。

 

「あ……?」

 

 埃臭い床に背中から倒れる。

 側頭部のダメージにグワングワンと気味悪く渦巻く視界。

 

 矢澤灯愛の姿はおろか、その声すらも見当たらない。

 その事態に、立ち眩みよりも酷い朦朧意識を無理矢理に忘れさせ、頭の血管に痛みを感じながらも周囲を見渡す。

 

 その人物は、すでに扉からこちらに現れていた。

 きっと矢澤灯愛が餌食になったであろう拳銃の銃口が、こちらに向けられている。

 

 即座に立ち上がった。

 銃が一発の火を噴いたのは直後だった。

 

「…………あらぁ、やっぱりそんな甘くはないわねぇ」

 

 次世代型メンタルウェポン――『UAI』を搭載したククリナイフは『観測者の見解』からの指令を受け、額に迫っていた弾丸を見事に弾いてくれた。

 反応速度がよく働いてくれた――あの一瞬のうちで腰にあるククリナイフの柄を握っていなければ今頃はお陀仏だ。

 

 しかし、随分と酷いことをしてくれる。

 

 

「輝ける存在のスクールアイドルを務めながら平気で人殺しか。愉快な人間性を持ッてやがるな來栖麗羅」

「あら、あなただって同類の癖に何を部外者目線で哀れんでいるのかしら、夜伽ノ美雪?」

 

 

 始めて顔を合わす時は、きっと予選決勝のステージだろうと思っていた。

 お互い背に抱えるものを持っておきながら、誰がこんな出会いを想像できたのか――。

 

 

 

 

 







 夜伽ノ美雪と矢澤灯愛――この二人の男女は作品の中で、主人公格のキャラクターです。

 共通ですが、やはり二人の過去や素性といったものには多くの謎が隠されていそうです。
 その二人が後にどのようなやり取りをするのか。


 それでは、次話もよろしくお願いします!




 そして、美雪の元に艶麗の使者が襲いかかる――。


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