笑顔を咲かせた少女は紛れもなく…   作:西部荒野に彷徨う海賊

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 さてさて、あれから竜三と蒼太郎はどうなったのか――。








118話 絡まる糸

 

 

 

  《二〇階フロア》

 

 

「それで水浦くん!? この逃げれば逃げるほどがんじがらめに追い込まれていくアリ地獄にも似た最低最悪な状況を打破できる解決策は思いついたかなーっ!?」

「今必死に考えてんだから話かけんじゃねえ! つかお前も頭働かせろっつの! 次世代型メンタルウェポンネタはもう品切れかよ!?」

 

 柊蒼太郎と水浦竜三。

 彼ら二人は二〇階フロアの通路を額に汗を滲ませながら疾走していた。

 

「うぅむ……階数を降りた方が良さそうかもね、これは」

「まだこのフロアは調べ尽くしていねぇぞ。これだけ敵の数が集中しているのだって、もしかしたら梶ヶ谷の指令室があるせいかもしれない」

「可能性としては否めないけど、だからと言ってあの数を一斉に相手にするのはさすがに無理があるよ。相手側とは違って僕達は銃器類を所持していないのだし、メンタルウェポンにも限りがある」

 

 入り組む狭い通路をノンストップで駆け抜けながら話している矢先、吹き抜け通路へと続く木製の扉が乱暴に開かれる。

 ギョッとして二人が立ち止まると、腰鉈を振り翳す男達が複数人飛び出してきた。

 

 人数を確認することもなく、二人は全身のバネを使って方向転換し、それぞれ左右に分かれる。

 ドアを突き破りながら窓のない部屋に避難した。

 

 しかし危機を回避した訳ではない。

 このフロア、いったい何人の構成員が集まっているのか――先程から異常な程に鉢合わせる敵の数に、愚音隊の総数が六〇という情報にさえ疑心の念すら抱く。

 

 柊蒼太郎は新品の黒いスーツが汚れることも惜しまず、カビがわいた床を転がってはすぐさま立ち上がった。

 

「やっぱり銃は捨てるべきじゃなかったなぁ。……メンタルウェポンだってあまり雑魚には使いたくなかったけど」

 

 獣が吠える雄叫びと共に男達が部屋になだれ込んでくる。

 銃器は確認できないが、腰鉈だって十分な凶器だ。

 

「素手でやり合っても良いけど時間がかかる、そろそろ美雪ちゃんが心配だしね。悪いけど省エネ戦法でいかせてもらうよ」

 

 数は四人。

 入り口のドアから離れた隅の場所で、柊蒼太郎はスーツの裾の内側から素早くそれを取り出した。

 

 男達は警戒するようにほんの数コンマ、躊躇する。

 それが命取りだった。

 

 柊蒼太郎は、幼い子供に優しくボールを投げてやるように、軽く腕を振った。

 投げられたそれは球体で、至る箇所に先端が注射器のように尖った細かい突起物が存在する。

 

「次世代型メンタルウェポン――通称『針鼠』。球体に仕込まれる極小カメラレンズの映像は光速以上の情報伝達速度によって衛生に送られ、持ち主の周辺に存在する人間を自動ターゲットする。一般市民を巻き込まないようにと考えて制作されたのか、次世代型メンタルウェポンの本ネタ通り、『一定平均値以上の殺意や敵意』を抱いている人間を限定して、ね」

 

 ただ、少しばかりこのハリネズミは凶暴で、毒性を持つ。

 手持ち花火が点火した時のような弾ける音と共に、部屋の真ん中で球体の針からは弾丸ほど丸くなく、注射器ほど長くはない『針』が幾つも噴出された。

 

「っ……!?」

 

 男達は動けない。

 未知の球体に言葉が出なかった。

 

 噴出された針は円や弧を描きながら。

 蝿よりも遥かに俊敏な動作で空中を舞う。

 

 針の総数は一〇〇を超える。

 その全てが均等に割り振られるように、四人の身体――額や首筋、頬や腕といった露出した肌に突き刺さる。

 

 その衝撃は蚊に刺されるよりも痒くない。

 痛みもないが、四人の男達は突然の眠気に襲われた。

 

 次々と膝をついては床に倒れる男達を跨いで、柊蒼太郎は部屋を出る。

 

「即効性の毒素といっても死ぬことはないよ。混入されている成分は様々なものだけど、結局は効き目の長い睡眠薬って所さ。……まぁ多少の麻痺感覚はしょうがないけど」

 

 部屋を出ると同じタイミングで、水浦竜三が通路を挟んだ反対側の部屋から出てきた。

 見た所、加えられた外傷は目立っていない。

 

「殺したのかい?」

「いや、眠らせただけだ」

 

 水浦竜三が出てきた部屋の暗闇からは痛みに藻掻く絶叫が聞こえてくる。

 柊蒼太郎はからかうように笑った。

 

「眠っていないみたいだけど。耳元で子守歌でも囁いてあげれば?」

「腹が空いて機嫌を損ねてるだけだ。時間が経てば静かになるだろうよ」

 

 水浦竜三が倒した敵は三人。

 二人で七人をやったことになるが、それでも二〇階フロアで鉢合わせた敵の数はそんなものではないはずだ。

 

 すぐにどたばたと忙しく乱暴な足音が近づいてくるように聞こえる。

 二人は目を合わせ、すぐに同じ方向へと駆け出す。

 

 開かれた扉から吹き抜けに面する通路へ出た。

 途端だった。

 

 

「久しぶりだなぁ、変態野郎」

 

 

 ジャカッ、と奥歯がむず痒くなる金属音。

 向けられた銃口に二人が気づくと、通路の左側には二人にとって見知った顔が一人――その背後には金属バットや腰鉈を肩に担ぐ一〇人を越えた群れがあった。

 

 水浦竜三はゆっくりと背後を向く。

 

「……挟まれたぞ」

 

 通路右側にも、同じ数だけの男達が。

 狭い空間で詰められるように集まっていて、後方にいるだろう敵は頭のてっぺんしか見えない程だ。

 

 一人だけ、銃器を構えるその男。

 長袖のシャツとダークブルーのスラックスを履き、短髪に切り揃えられた黒髪の氷室亞月は拳銃を降ろした。

 

「あれから何日が経った?」

「あぁ、見覚えがあると思ったら少林寺拳法の人じゃないか。確かに、久しぶりだね。夏休み以来かな?」

 

 冷静に、仮面だと隠す気のないいたずらの笑いを浮かべて柊蒼太郎は答える。

 

「そうだよな、随分と苛つかせてくれたぜあの時は。騙されるわ背後からケツを蹴られて不意打ちされるわ『負け逃げ』されるわで――」

「ちょっと訂正してもらおうか」

「何をだ? ありゃどう考えたってお前の『負け逃げ』で――」

「いや、僕に『変態野郎』って言った所の話だけど」

「そこも訂正する必要はねぇだろ、あの時に自分の盗撮スキルを自慢してたの覚えてるわ俺」

「君の盗撮は汚い野心から。僕の場合は愛があるからさ」

「おい柊、まさかそれ美雪の話じゃねぇだろうな」

 

 柊蒼太郎の背後から突っ込みがくる。

 水浦竜三と背中合わせに立ち、二人は両サイドの敵を警戒視する。

 

(けど、さすがにまずい状況かな……)

 

 柊蒼太郎は素直に認めた。

 

(『針鼠』はつい今しがた使っちゃったし、在庫がない。『白長須鯨』はまだ梶ヶ谷燐桐も見つけられない時点では使えない)

 

 すぐさま来た通路を確認したが、その方向にも三人程、凶器を手にした男達が肩で息をしながら迫っていた。

 大方、取り逃がした二人を探し追い続け、複雑に入り組む廊下を疾走してきたのだろう。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいい」

 

 氷室亞月は言う。

 

「んでお前ら、この人数をどう相手する気だ?」

 

 少なくとも二〇人はいる。

 たった二人だけで、その一〇倍を相手にするのは骨が折れるだけの話ではない。

 

 雑魚だけではないのだ。

 氷室亞月という男が実力派であり、愚音隊の上層部の構成員であることを水浦竜三も柊蒼太郎も重々承知している。

 

 今までにない難易度。

 絶体絶命の危機。

 

 そんな状況下で、柊蒼太郎は持ちかけた。

 

「……こっちはただ握り固めて振り回すだけの能しかない拳のみだよ?」

「あ?」

「まさか少林寺拳法の修得者である氷室くんが、チャチな玩具に頼って戦うなんてつまらないことをするはずないよね? ……いやそしたら確かに勝ち目ないけどね、僕達には」

 

 それは交渉ではなかった。

 確信めいたものがあった。

 

 愚音隊の下等構成員共だって、できれば銃器に頼りたくない。

 血を見るのは好きだが、一発の弾丸で頭をぶち抜くだけの作業には満足する程の快感が得られない。

 

 望めるのなら、自分の拳で。

 自分の力で。

 

 敵を問答無用に殴打し、肉が千切れ、骨が砕けるまで甚振ってやりたい。

 

 愚音隊の構成員は皆、暴れるのが好きだ。

 人を自分達の支配下に置くのに快感を覚える。

 

 その手段としては、肉体的暴行が一番だ。

 銃器に頼るより、自らの力を振り翳して弱者を痛めつけてやるのは性に合っている。

 

 氷室亞月はやがてうすら笑みを浮かべた。

 

「あぁ、当たり前だろ。あくまでこの銃は威嚇行為に過ぎねえよ」

 

 そう言って。

 拳銃を高く投げ。

 放り捨てる。

 

 金属道具は内側に弾を込めたまま。

 遠い底に暗闇が続く吹き抜けを真下に回転しながら宙を舞った。

 

 

 直後。

 柊蒼太郎は叫ぶ。

 

 

「水浦くん――!!」

 

 それは合図。

 戦略構成については柊蒼太郎も水浦竜三も通だ。

 

 水浦竜三は手をついて飛び上がり、即座にフェンスの壁を上る。

 構成員達が一瞬遅れて反応したと同時、彼は高く跳躍した。

 

「あ……?」

 

 しかし途端、氷室亞月は自らの油断で危険を招いたと察した。

 

 銃を放り投げた方向が悪かった。

 自分の背後へと、絶対に二人の敵の手が届かない距離を保てるように投げるべきだった。

 

「伏せろっ!!」

 

 命令を飛ばすも時すでに遅し。

 作戦を理解していた柊蒼太郎は安全圏に回避するも、空中で拳銃を両手に掴みながら構えた水浦竜三に愚音隊構成員は驚愕に目を剥いた。

 

 連続して銃声が轟く。

 足場のない空間から発砲された水浦竜三の弾丸は適確に、敵の胸や腹、肩口や腕の箇所などに命中していく。

 

 しかしわずか二秒ともない。

 

「ひ、柊――」

 

 それが最後だった。 

 当然、フェンスの壁を飛び越えて跳躍した水浦竜三の身体は拳銃を手にしたまま、吹き抜けの暗闇へと真っ逆さまに自由落下していく。

 

 二〇階分の高さ。

 ロビー階には柊蒼太郎が運転したワゴン車が停車されているが、その屋根に落ちたとしても命はないだろう。

 

 敵の陣営は崩れた。

 すぐさま柊蒼太郎は体勢を立て直し、前方の敵へと突っ込む。

 

 先頭の氷室亞月。

 咄嗟の反応に身を屈めていた彼の身体を飛び越え、銃弾が食い込んだ傷口を押さえて喚き散らす構成員達を次々と崩していく。

 

 運良く弾道の逸れた場所にいた男達も、突然とした危機の到来に反応ができない。

 

「ぐっ!? ――うおおああああああああああ!!」

 

 闇雲に震う腰鉈を適確に躱し、空手の一手一手を見事なまでに人間の急所に叩き込み、また次、また次の敵をスピード勝負で薙ぎ払う。

 あっという間に一〇人、柊蒼太郎は表情を変えないまま全て床に倒した。

 

「チッ、――」

 

 ブォン! と。

 背後から迫る濃密な分厚さがある風切り音に、柊蒼太郎は身体を反転させながら右肘を後方へと突き出す。

 

 激突。

 人間同士の肉体が衝突し、周辺の空気を揺るがした。

 

「あがっ……!?」

 

 力勝負で勝ったのは柊蒼太郎。

 彼の鋭い矢の肘は、氷室亞月が振り上げた右脚の急所――弁慶の泣き所に的中した。

 

 一旦下がる。

 氷室亞月は壁際に寄り、後方と右折通路の扉から出てきた部下に指示を飛ばす。

 

「何をボケッとしてやがんだっ! さっさとやっちまえ!!」

 

 作戦の指示はいらない。

 凶暴なだけで頭の弱い連中には、その命令だけで十分だ。

 

 金属バッド。

 腰鉈。

 折り曲がって錆の目立つ鉄パイプ。

 

 それぞれの凶器を手にし、一〇人以上の男達が一斉に飛びかかってきた。

 

 実力を数字だけで表したデータなら、一匹の猫に一〇匹の鼠が飛びかかるようなものだ。

 その場合でも、どうしても凶器が邪魔になる。

 

(まずい、こう一斉にかかってこられるとさすがの僕でも対処しきれない――)

 

 今度こそ本気で冷たい危機感が身を震わした。

 体勢を低く構えながら、しかし柊蒼太郎は踵を返して後方に逃走経路を見出そうとする。

 

 直後だった。

 

 

「っ……!?」

 

 

 それは背後から。

 柊蒼太郎のすぐ隣を掠め、その影は愚音隊構成員達の前に立ちはばかった。

 

「え……」

「あ?」

 

 柊蒼太郎も氷室亞月も唖然とする。

 構成員達は構わず突進する。

 

 バギャッッ!! ――頭蓋骨を砕かれるような打撃音が鳴ると同時、歪にひしゃげた顔に潰された男が壁際に吹っ飛んだ。

 

 影が人の姿であるとようやく目視できた。

 その両手に構えるのは一本の……あれは、木刀だろうか。

 

 随分と色が濃く、また木目が綺麗に描かれる上質の木刀だ。

 

「あ!? な、なんだこいつがぁ――っ!」

 

 言葉は最後まで続かない。

 顎を突き上げられた仲間の被害に目を取られていると、またその一人も喉を突かれ、腹を横殴りに薙がれる。

 

 その攻撃は熊のように凶暴で。

 しかし鷹のように俊敏であり。

 次世代型メンタルウェポンが相手の急所を『学習』しているのかと思えるような正確さがあった。

 

「……なぜ」

 

 柊蒼太郎は呆然と呟く。

 彼にも珍しく、分からないことができた。

 

 なまはげが火を囲みながら頭を振るように長い髪を振り乱し。

 決して筋肉質とは言えない太さの両脚を地面に硬く打ち付け、素早い肉体の伸縮で木刀を振るう――。

 

 女だ。

 柊蒼太郎はその正体を掴めた。

 

 何度か見たことがある。

 その少女は、こんな残酷すぎる世界とは関連性を持たないはずだった。

 

「お、おい! 誰だよこいつ……っっ!!」

「ぼ、刀だぞ! こっちには鉈が――ぐぼっ!?」

「……っっ、がっ、は…………っ!」

 

 言葉が続かない。

 相手は手も足も出ない。

 

「調子乗ってんじゃねえぞぉぉおおおおおおおっっ!!」

 

 一人の男が両手で金属バッドを真上から振り下ろす。

 長い髪の少女は素早く身を構え、思い切り腰を回すフォームで木刀を斜めに斬り上げる。

 

 グワァアアアンッッ!! と。

 両耳を覆いたくなる音響は吹き抜けを突き抜けて違う階層まで届いただろう。

 

 真ん中からぽっきりと直角に折り曲げられた金属バッドは勢い良く回転しながら宙を飛び、吹き抜けには落ちず、回転を殺さないまま対岸の通路まで吹っ飛ばされた。

 

「駄目ですね。握りも姿勢も、なっていません」

 

 男と似たような上段の構えを取った。

 振り上げた木刀を、少女は一閃に振り下ろす。

 

「がふっ――ぅ……!!」

 

 右肩の骨が木っ端微塵に砕ける音。

 身体の重心から折り曲げられた男は悲鳴も上げられず、その場にべしゃんと崩れ落ちた。

 

 パワーはないはずだ、男よりは。

 しかし必要以上の素早さと技術力はパワーにも勝り、性能の良い獲物が本来以上の味を魅せている。

 

 あっという間に一三人全員。

 構成員達は決して軽傷では済まされない負傷に苦痛の表情を歪め、呻き声を上げる。

 

「…………何者だ」

 

 唯一。

 見事に形成を逆転されながら立ち残っている氷室亞月は、その悪鬼の如く跋扈した少女を見据えて短く尋ねた。

 

 しかし少女は答えない。

 もはや見向きもせず、活躍した木刀に傷がないかと確かめるように、前髪を垂らしながら自分の獲物を手で優しく撫でる。

 

 ふと、顔を上げた。

 少女の視線は柊蒼太郎と交錯する。

 

 ニヤリ、と。

 端正な顔立ちからは想像もできなかった笑みが――まるで内側から悪霊に操られているとしか思えないくらいに歪められた表情があった。

 

 

「あら、『美雪様』のお友達ではないですか」

 

 

 少女はそう言う。

 柊蒼太郎も、苦悶の悲鳴に包まれた混沌の惨状を背景に立つ少女を見つめて思わずニヤける。

 

 

「おや、そちらは名高い園田家の娘様ではございませんか」

 

 返事はない。

 直後、園田海未は両手剣を構えて敵へと突進する。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 落下する。

 底無しの闇へと。

 

 呑み込まれる。

 死の入り口へと。

 

 次々と景色の中で通過していき、上へと上っていく階数が絶望的なサインだった。

 このままではまずい――水浦竜三は拳銃を放し、落下しながら身体を立て直し、否応と言わせず自らの両腕をがむしゃらに前へと突き出す。

 

「がっ――!?」

 

 硬質で、ザラザラと摩擦の激しい感触が両の手の平を叩いた。

 材質の良い紙ヤスリを手に擦り付けられたような痛みがあったが、それでも水浦竜三は逃がすまいとその壁をがっしりと掴む。

 

 落下最中であった為、衝撃に両手だけでなく肩にも激しい痛みが走った。

 何か異常をきたしたかもしれない……耳元で自分の肩が苦痛の悲鳴を上げている。

 

「ぐっっ――ぁ……!! 痛ってぇ、クソが柊の奴……」

 

 無茶な作戦だとは思った。

 だが正面からかち合っても勝算などどこにもない――無謀だと言われようが、あの方法しか頭に思いつかなかった。

 

 勝手な余裕を抱いてよく油断をしてしまう氷室亞月が拳銃を高く放り投げることを予想していなければ、わずかな可能性もなかった芸当だろう。

 

 水浦竜三は長年動かしておらず錆び付いた重たいチェーンを無理矢理に動かすかのように、軋む両腕に力を込めて吹き抜けのフェンスをよじ登る。

 

「ここ……何階だ。何階分、落下しちまったんだ」

 

 かなり落下しただろう。

 もしかしたら二階から上がってくるであろう夜伽ノ美雪と合流できる階かもしれない。

 

 柊蒼太郎があの後にどうなったかは知らないが、まぁ置いておこう。

 水浦竜三はフェンスを跨ぎ、人がいないことを確認してから廊下の床に背中から落下した。

 

 と、そこで気づく。

 

「…………あ?」

 

 人影。

 敵かと警戒するまでもない程、その身体は小さかった。

 

「え……? あ、え、えっと……ぁ――え…………?」

 

 ――え? どうしてこの人、今上の階から落ちてきたの? 人間? ターザン? そういう過激な遊びを楽しむ人なの? それとも事故? 救急車呼んだ方がいい? ……そんな顔だ。

 

 頭にクエスチョンマークを大量に浮かべ、赤色の瞳を忙しく右往左往させながら困惑して水浦竜三の様子を窺う少女。

 

(何だ、この女……中学生くらいか? 愚音隊のメンバー……であるはずがない、よな)

 

 水浦竜三は身体を起こし、フェンスに背中をあずけて楽に座り込む。

 黒髪をツインテールにした中学生くらいの見た目をしたあどけない少女は、おずおずと遠慮がちに水浦竜三の顔を覗き込む。

 

「あ、あの……えぇっと~、――だ、大丈夫ですか?」

 

 そこで、水浦竜三はハッとする。

 思わず両肩の激痛すら忘れる程の衝撃が彼の中であった。

 

(この女……美雪が所属している、音ノ木のスクールアイドルの――っ!)

 

 そうだ、この特徴的にピョコンと跳ねるツインテール。

 確信めいたものを感じると、水浦竜三は痛みを押し殺すような声で言う。

 

「……どうして、ここにいる」

「あ、えっと……ちょっと、人を探していて」

「誰のことだ」

 

 いや、夜伽ノ美雪のことだろう。

 美雪の奴、とうとう身内に自分のことがバレたのか――そう思っていた矢先だった。

 

「あ、その……」

 

 と言いかけたが。

 少女は何か切り替えるように頭を振り、両手で柔らかそうな白い頬をペチンと挟んだ。

 

(あ? 目が……)

 

 変わった。

 目の色が――どこか怯える様子は消え、堂々と立ち伸び、水浦竜三を見下ろすように構える。

 

 いや、それがその少女の『本調子』なのか――。

 

 

「矢澤灯愛って男なんだけど、どこにいるか知ってるかしら? 私はそいつの姉で、今日はあの馬鹿弟を迎えに来てやったのよ」

 

 

 ……さて。

 きっと、矢澤にこの目には自分も音ノ木愚音隊――つまり敵という存在として認識されているだろう。

 

 しかし夜伽ノ美雪の存在には気づいていないのか?

 何にせよ、彼女のことは話に持ち出さない方が良い。

 

(さて、どうやって納得のいく説明をしてやろうか……)

 

 水浦竜三は深く、溜息を吐いた。

 

 

 

 

 







 作者としては、ひとまず喧嘩も何も素人なにこちゃんが竜三と出会えたことに安心しております。


 それでは次話もよろしくお願いします!



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