笑顔を咲かせた少女は紛れもなく…   作:西部荒野に彷徨う海賊

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 夜伽ノ美雪と來栖麗羅。
 邂逅の場面を誤った二人の出会いは運命なのか――。

 または、『その世界』だからありえた規格外のお話なのか――。





119話 艶麗の使者

 

 

 

 

《七階フロア》

 

 

「がッ――は、ァ……ッ」

 

 背中に叩き付けられる硬い衝撃。

 肺を刺激され、体内で循環する酸素を吐血と共に全て吐き出してしまう程の威力だ。

 酸素を取り入れようとも、力なく掠れた声が出るだけ。

 

「あらぁ、雅人を倒したっていうからちょっと期待していたのだけれど……これはちょっと悪い意味で計算が狂ってたみたいねぇ」

 

 近づく足音と甘美な声。

 コンクリートの床をハイヒールが叩く。

 ダーク風味が濃い癖に艶やかな肌を多く露出させる服装を纏う來栖麗羅は、拳銃もメンタルウェポンも所持しない両手を広げて迫ってきている。 

 

「チッ……」

 

 艶麗な容姿に浮かぶ余裕の色が気に食わない。

 逃げ回っているうちに北側奥通路、その行き止まり地点まで追い込まれたが――。

 

「何なンだよ、さッきからテメェのその『能力』はァ!!」

 

 床ではなく壁を蹴る。

 両脚を大股に素早く回転させる、野生の虎のように。

 

「ッ――」

 

 拳を固く握る。

 真正面から小細工なしに、急接近して迫った來栖麗羅の――スクールアイドルの顔面を狙って腕を振るった。

 

「うふっ♪」

「ッ!」

 

 まただ。

 また、音もなく來栖麗羅の姿が消えた――!!

 

「はぁい、こっちよ迷子の子猫ちゃん☆」

「なッ……」

 

 背後。

 声と共にヘドロのようにまとわりつく粘着なオーラが背中を覆う。

 

 咄嗟に身体を反転して振り向く。

 目の前に迫る肌色の右脚。

 突風に吹き飛ばされた大木の衝突と言わんばかりの振動や衝撃は目の前の景色を空白に染める。

 

「がば……ッッ!!」

 

 数メートル程吹っ飛んだ身体は廊下を滑った。

 激痛なんてレベルではない……あの女の蹴りの威力、一瞬だが世界の全てと切り離された感覚があった。

 

 カチカチと、顎を上下させて歯を噛み合わせる。

 大丈夫だ、飛んでいない。

 

「クソッたれが……」

 

 口が切れた。

 酷い出血量だ。

 本当に、一本も歯が飛んでいないのが奇蹟と思えるくらい。

 

 パーカーはすり切れ、スラックスはダメージジーンズのように汚れる。

 それは俺の血か、銀髪の前髪や垂れ下がる揉み上げは所々が赤く染まっている。

 

 ガクガクと震える両脚の底を床に釘付け、ゆっくりと立ち上がる。

 來栖麗羅はやはり余裕そうで、俺が体勢を立て直すのを待つかのように薄ら笑みを浮かべて佇んでいた。

 

「さッきから拳が当たる寸前で姿が見えなくなるが……空間移動でもしてンのかァ……」

 

 見極められない。

 先程、矢澤灯愛の身体能力にも驚くものがあったが、この女のものはレベルが段違いだ。

 

 配信された動画で見た、舞台上でのキレッキレなダンスが幼く感じられる程の――。

 

「ッ――!!」

 

 再び俺は駆け出す。

 身体中を軋ませる痛みを押さえつけ、潤滑油が乾いたネジ巻きを強引に動かすように関節に鞭を打つ。

 

 腰の柄を握った。

 來栖麗羅へ飛びかかる寸前に右手でククリナイフを抜き、逆手に構えたそれを一閃に。

 

 奴の喉元へと目掛け、振るう――。

 

 姿が、消える。

 テレビ画面の電源が落とされるように。

 

「はい、残念☆ 学習しないわねぇ」

「ッ――」

 

 声は無視した。

 がむしゃらに、振るった腕を加速させ、身体にスピンをかけて後方を斬りつけた。

 

 衝撃は浮くように軽い。

 刃は空を切る。

 

「――――ッッ!!」

 

 その衝撃は真横から襲ってきた。

 襲撃はハイヒールの細長くも鋭利なトップリフトか――竹刀の先端で側頭部に突きをもらった衝撃。

 

 脳震盪の話ではない。

 宇宙空間を永遠に彷徨うかのような無重力が身体に感じられた。

 

 耳鳴りが酷い。

 部屋の扉が並ぶ壁に激突し、たまらず身体をぐったりとさせる。

 壁にぶち当たった背中を丸め、尻を床につきながら脚を伸ばし、顔を下げた。

 

「はァ……、はァ……ッ、ァ……」

 

 荒い息は肩を大きく揺らした。

 額からの出血が目に入ったのか、視界がどうも霞む。

 頭への強い衝撃のせいか、脳味噌が激しく揺さぶられて吐き気を催す。

 喉の奥に吐血の塊が溜まっているのか、呼吸すらもままならない。

 

 

 さっきから、ずっとこうだ――。

 

 

「あらあら、もうリタイアかしらぁ? あなたと言い、水浦竜三と言い……どうして燐くんはこんな中途半端な奴らを警戒視していたのかしら」

 

 來栖麗羅。

 あの姿が捉えられない。

 

 拳が直撃する寸前で。

 ようやく指先が触れそうなタイミングで。

 

 彼女の姿はフッと消える。

 音もなく影も動かず、本当に空間から消滅したように姿形が消え去るあの現象。

 

 右手からククリナイフが吹っ飛んだことに気づくも、もうどうでもよくなっている。

 

 満身創痍とは今の様子のことかと呑気に考えながら、切れた痛みを堪えて口を動かす。

 

「……メンタルウェポンか」

「あら?」

 

 まだ息をしていたの? と本気で疑うような視線で見下ろされた。

 俺とは反対側の壁に寄り掛かり、つまらなさそうに紫色の髪の毛を指で弄くっている。

 

 ギギギ、と首から不気味な音が軋む。

 それでも俺は目を彼女に向けた。

 

「次世代型メンタルウェポンの……テーピングか、何かか。身体の部位に巻き付けることで、相手の動作とそれによる感情思考をデータとして読み取り、『観測者の見解』から、対処法を受け取る……」

 

 息が続かない。

 大きく空気を肺に取り込むと、幾分か吐き気が抑えられた。

 

「お前、……動きが人間の限界速度を超えている。さッきからおかしいとは思ッていたが、科学の力に援助をしてもらッているのなら話は別だ……。テーピング型のメンタルウェポンを身体に巻き付け、『UAI』による身体の自動操縦を、展開し――」

「まぁ良い考えだとは思うけど、あたしのはそんなんじゃないわよ?」

 

 來栖麗羅はきっぱりと否定した。

 言葉の割に、指名された生徒が的外れな答えを口にして呆れ顔を浮かべる教師のようだった。

 

「自分の身体が正体不明の力によって、マリオネットみたく動かされるなんて不気味な話じゃない? あたし、あまり次世代型メンタルウェポンは使用しない方なのよ」

 

 ……それが本当だとして。

 ならば、マトリックスとも言えないあの人間離れした業はいったい――。

 

「あたしは、自分の身体は自分の意志で動かしたい。ただちょっと工夫をするのよ」

 

 來栖麗羅は漆黒のコートの内ポケットから何かを取り出した。

 

 一本の注射器。

 霞む俺の視界にそれは映った。

 

 感染病の予防接種をする際に医者が用いる、一般的な注射器と何ら変わらないデザイン。

 しかし異様だ。

 透明の容器に注がれ、また露出した針の先端から一滴ずつ滴り落ちるその液体は、映画で見るエイリアンが流す血のように深い緑色をしている。

 

「ドーピング薬物。今年には日本オリンピックが開催されるけど、少し前にロシアで選手のドーピング事件が発覚していたじゃない? それと同種類のものよ」

 

 絶対の禁忌――ドーピング。

 筋肉に過剰のパワーを発揮させ、血流速度を必要以上に上昇させながら、分泌されるアドレナリンで脳をさらに活性化させるといった類の薬物。

 

「……せいぜい、ドーピング薬物じゃ脚力を強めたり、肺機能を高められるぐらいのもンだ。瞬間移動みてェに姿を消すような芸当はできッこねェ」

「暴力団直属の傘下にいる愚音隊が、ただのドーピングを体内に施すだけの単純作業で満足できると思っているのかしらぁ?」

 

 來栖麗羅はコートをまくり、左腕を露出させては腹を天井に向ける。

 注射器の当てるべき箇所に右手の指を添え、針の先端を前膊の真ん中に添える。

 

「この薬物は麻薬みたいに中毒性はないけれど、ちょっと珍しい改造品なのよ。ドーピング薬物と医療用液体薬物をレーザー圧縮させて一つの金属片に変化させ、それを再び熱して搾り取った液体が、これ」

 

 押し子を親指で押す。

 來栖麗羅の左腕の血管に、緑色の薬液が注入された。

 

 彼女が顔を顰める。

 痛みや痒みといった刺激があるのか。

 腕には外見から確認できる症状は現れていないようだが――。

 

「作用は一時的なものだけど、その効果は絶大。まるで人間の脳にあるツボというツボを全て刺激したみたいに能力性が突出して、筋肉の強化や関節の柔軟性、有力細胞の急増加をもたらし体内機能を著しく上昇させる」

 

 クイ、と。

 軽い仕草で、來栖麗羅は壁に寄り掛かりながら足首の角度を変えた。

 

「ッ――」

 

 第六感。

 本能。

 直感。

 全てが赤ランプを点灯させ、俺は咄嗟に身体を横転させる。

 

 同時の破壊音。

 

 直後、石礫が四方に飛び散るようにコンクリートの壁が弾けた。

 通路の床を転がる俺の身体に尖った壁の破片が鋭く当たる。

 

「……無茶苦茶だろ、クソッたれ」

 

 起き上がりざまにそう毒突く。

 見てみれば、一瞬前まで俺がもたれていた垂直の壁に、波紋状にヒビが広がる大きな穴ができている。

 

 ガポッ、と。

 來栖麗羅は、ハイヒールの底が食い込んだ右足を壁から引き抜いた。

 

 ガラガラと音を立てながらまたも粉砕された破片が転がるも、大して気にしない様子で彼女は向き直る。

 

「ま、時間も置かずに二回も注射すると、効果はこのくらい。さしずめ、太陽の光を浴びられる吸血鬼ってところかしら。さすがに大型車を片手で持ち上げられるような真似はできないけどね」

 

 蹴りの一発。

 それで、コンクリートの強固な壁を粉砕できる。

 

 ドーピングというレベルじゃない。

 何の変哲もない人間が満月を見た途端に獣へと変貌してしまうような、突然変異。

 

 

「……まるで化け物だな」

「ふふっ……、雅人も同じ言葉であなたを評価していたわよ」

 

 

 絶体絶命だ。

 來栖麗羅は音ノ木愚音隊の構成員――当然、上の隠蔽工作を見越して俺を殺しにくる覚悟でいるのだろう。

 

 もし、先程のようにあの脚で。

 もしくは拳で。

 

 ……いや、もしかしたら指先が触れるだけの衝撃でもころっと殺されてしまうような状況なのだろうか。

 

 電子結界――あれさえあれば状況は変わったろう。

 しかし矢澤灯愛が吹き抜けへと落下した直後の戦闘で、すでにあれは無効化にされた。

 

 今の俺には、身を守る術がない。

 数字的に表してみても、ドーピングを使用した相手に力でも技術でも勝れる自信はない。

 

 

 死ぬ……。

 今度こそ、本当に――。

 

 

「……ははは、ハッハハハ……」

 

 だと言うのに。

 

「ん?」

「ククククッ、はッははははは――」

 

 笑えてくるのだ、これがまた。

 この危機的状況に。

 

 頭が痛い。

 両肩を高く跳ねさせながら身体を揺らして笑いが込み上げてくる。

 

「……どうしたのかしら」

 

 來栖麗羅が小首を傾げた。

 それが妙に滑稽だった。

 

 スクールアイドル――東京都ブロックでA-RISEの次位で注目されているSexy・Charmのセンター。

 それと同時に、暴力団直属の傘下に位置する音ノ木愚音隊の上層構成員として、殺人や麻薬運輸などを行っている悪党。

 

 対極の二面性を備えている來栖麗羅。

 真逆に位置する彼女の二つの本性を、きっと梶ヶ谷燐桐もSexy・Charmのメンバーも知らないのだろう。

 

 そう思うと――。

 

 

「哀れだよなァ、随分と」

「……あ?」

 

 

 空間が揺れた。

 いや、身体の損傷がきたすダメージに俺の視界が揺れたのか。

 

 しかし口ははっきりと動いた。

 

「ンでェ? お前はその反則的に強力な薬物を使用して普段から何やッてンの。メンバーに黙ッて、普段からステージに上がる前にクスリで能力をアップさせたりでもしてンのか」

 

 グラグラ揺れる身体を支え、床に根を張るように両脚を踏ん張る。

 ピタリと停止した視界の中で、來栖麗羅の眉が細かく動いた。

 

「あァ、お前が愚音隊の一味だと話に聞いた時から気になッてはいたンだよ。組織に頻繁に顔を出さない訳にもいかねェ事情がある癖、どうしてお前がリーダーを務めるSexy・Charmは地区予選順位で上位をキープできているのかッてなァ」

 

 敗者はよく喋る。

 今の俺がまさしくそうだ。

 

 無意識のうちに勝利を諦めていたのかもしれない。

 一対一で対峙した所で、オリンピック競技でも同じように、ドーピングを施された相手には勝てないと。

 

「当然、練習だッて休ンだりすることは少なくなかッたンだろ。それなのにSexy・Charmは常に俺達μ'sの上位にいた。……そうだよなァ、ようやく分かッた。他の一一人のメンバーが必死に練習している中でテメェは組織の方を優先しながら、いざ本番はクスリで身体能力を高めてから臨めば良いだけの話だもンなァ」

 

 根拠はない。

 相手を煽るつもりもなかった。

 

 今の俺の心理状況を例えるなら、警官に追い詰められた犯人がでっちあげの情報をベラベラと長いこと喋り続ける行為――意味はない癖に時間を稼ごうとしているようなものだ。

 相手はその話に耳を傾けるせいで混乱し、飛び交う言葉の中に意味を見出せず、思考の端っこに隙を見せてしまう。

 

 來栖麗羅は黙っていた。

 ジッと俺の瞳を見据え、腰に手を当てて佇むだけだ。

 

「はッ、良いご身分だぜ來栖麗羅。時には暴力で金を稼いでは己の欲望を満たし、時にはクスリを服用して他人より楽を味わい、賞讃の声と拍手を身に受ける。……あァ、随分と愉快で楽しいパーティー人生じゃねェか。スクールアイドルを通して作り上げた偽の友情と欺瞞の栄光、真実を知るのは自分ただ一人だけ。それで周囲の信頼や自分の価値観を見出せるンだから文句のつけようがねェ世界だよなァ。『大して興味のない』アイドル活動によッて自分以下の弱者を作りだし、優越感に浸れるのも良い娯楽だ」

 

 だがな、と。

 俺は最後に付け足した。

 

 

「その手の内に、本物はいッたいどれだけある――」

 

 

 言葉の終わり。

 その同時だった。

 

 交錯するお互いの身体。

 來栖麗羅は目と鼻の先に迫っていた。

 

 五臓六腑を高速圧迫プレスで押し潰されるような衝撃。

 世界がグルリと一周回ったような幻覚すら見えた。

 

 体内の流動物が規定のルートを全て逆流するような地獄の苦痛。 

 全ての血管が圧迫に絶えられず、細胞から骨肉までもが皮膚を突き破って身体を破裂させてしまうようなインパクト。

 

 本気で、俺の身体がこの世界に留まることを限界だと言っているような浮遊感。

 手の届かない、肉眼に見えない遠くまで持って行かれそうな意識がそれを感じさせる。

 

 目を剥いて吐かれた血反吐は大量で、俺の腹に拳を叩き込んだ來栖麗羅の身体の向こう側まで飛び散った。

 

「……ァ…………ッ!? ……ッ…………か……ッ!!」

 

 息ができない。

 赤い瞳がアガッてしまったのか、目の前が真っ暗に染まる。

 

 親指が上を向く形で俺の腹を抉った拳。

 女のパワーではない――ドーピング効果はやはり絶大であった。

 

 思わず、貫通していないことを願った。

 そんな深手を負えば、本当に俺はここでリタイアだ。

 

 

「だから、正義者目線で偉そうに人生論語ってんじゃねえよ」

 

 

 耳元で吼える。

 一切の甘みも含まれない険しい、深淵の最深部から膨れ上がってきたような重たい声。

 

「てめぇだって同じ類の『悪党』だろうが。次世代型メンタルウェポンなんつった悪魔の兵器が闇取引されるような裏社会に身を投じている時点ですでにお察しだっつの。確かに所詮、『あたし達』は人間の屑だ。手中に収められる本物なんてやつは見つけにくいんだろうよ」

 

 意識が暗転する寸前といった所。

 まるで何も見えなくて済む闇に眠ることを許すまいと、その声は俺の朦朧とした意識を表に引き摺り出した。

 

「だがな、人の夢まで否定する権利なんざお前にはないんだよ」

 

 夢。

 その言葉が聞こえた。

 

「アイドルは、あたしの小さい頃からの憧れで、夢だった。本気でプロのアイドルを目指すあたしに付いてきてくれたSexy・Charmのメンバーとは『本物の友情』で繋がっているって確信しているし、燐くんや雅人、亞月達との関係性にだって満足できてる」

 

 ……引き出した。

 梶ヶ谷燐桐にも、Sexy・Charmのメンバーにも打ち明けたかどうか分からないその本音を。

 

 來栖麗羅はゆっくり拳の右腕を引く。

 途端に俺は両膝を付き、金魚のように口を開閉させながら彼女を見上げた。

 

 口元が吐血の血色で汚れているのを感じる。

 短く吸い、空間を弱々しく震わしながら長く息を吐く。

 

「……最悪な気分よ」

 

 見下ろす來栖麗羅はそう言う。

 彼女の言葉が本音だとしたら、確かにそうだろう。

 

 自分の夢を、本物だと信じて疑わなかった友情を侮辱されたのだ。

 

「あんたこそどうなのよ、夜伽ノ美雪」

 

 彼女は問いかける。

 

「μ'sの九人との関係性は本物だと、あんたも思ってるんじゃないの」

 

 今度はμ'sの話。

 俺のサイドの事情。

 

 

 μ's、か――。

 

 

 なぜか改めて、そう感慨深く思った。

 九人の顔を思い出してから、俺はまた随分と汚い場所に戻ってきたんだと思う。

 

「……いいや、」

 

 特に深くも考えず。

 

「まだ、本物じゃない……」

 

 微睡みの中でぼやける意識は、俺にそう否定させた。

 

「……へぇ」

「あいつらは……九人揃ッては、いるが……まだ、団結しきれていない」

 

 掠れた声で。

 酸素が足りず、本当に口内だけに残った僅かな空気だけを吐き出して喋るような弱々しい声色で俺は続ける。

 

「集団が、あろうと……そうすぐには、団結できない。……一人や、二人くらい……内に潜めた気持ちや、隠し通さなくちゃならない欺瞞の表情を、持ッていたりするもンだ……」

 

 少しだけ、口元を緩ませる。

 思わず、また笑ってしまう。

 

 

「今のテメェみたいになァ……。いくらお前が本物だと主張しようと……、相手からしてみりゃ、裏切り続けられているようなもンだろ……」

 

 

 直後。

 振り下ろされるように、甲を向けた右手が斜めから襲ってきた。

 

 ただの殴打ではない。

 ドーピング使用済みの威力が待ち構えている。

 

 左側頭部への刺激と同時。

 物理的な話で頭が割れるのが明確に分かり、意識が深海の底へと沈んでいった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……嫌な奴」

 

 人間離れした力にぱっくりと割られた頭から、夥しい量の出血で床を冒していく

 通路の床に横になって倒れる夜伽ノ美雪の残骸を一瞥して、來栖麗羅は舌打ちをした。

 

 死んだのだろうか?

 確認するまでもないだろう。

 

 今の彼女の身体には絶大のパワーが働き、単純な肉体的理論で言えば一本一本の筋肉繊維が異常増幅し、尚かつ必要以上に備えられてあるその数をさらに倍増させているようなものだ。

 

 外見で変化が見られないのは、進化した医療技術の応用効果だろうか。

 何にせよ、夜伽ノ美雪はヘルメットも被らない無防備な頭に断崖からの大きな落石を食らったようなダメージを負ったと同義だ。

 

 頭蓋骨は木っ端微塵に粉砕され、外壁を破られた脳にも直接的な損傷があるのではないか。

 

 出血は見る見るうちに床一面を流れ、來栖麗羅のハイヒールの底を赤く汚した。

 元からハイヒールが真紅の色だからか、それとも別の理由からか、大して來栖麗羅は嫌そうに顔を顰めもしない。

 

「……まぁ、もう二度と立ち上がれないでしょうね」

 

 仕事は終わった。

 水浦竜三や眼鏡男の安否は確認できていないが、結城雅人や氷室亞月が何とかしてくれたのだろうか。

 

 そういえば、と來栖麗羅は裏切り者の存在を思い出す。

 矢澤灯愛は前から愚音隊ではイレギュラー扱いだった――いつかやらかしてくれるとは思っていたが、裏切りという形でくるとは彼女も思わなかった。

 

「あの子の始末は誰の仕事になるのかしらねぇ」

 

 夜伽ノ美雪の屍体に背を向け、ハイヒールの音を高く鳴らしながら廊下を歩き出す。

 

 ひとまず、梶ヶ谷燐桐の元に帰ろう。

 どうせそこのカメラで見ているのだろうが、夜伽ノ美雪を始末したと報告し、ちょっくら頭でも撫でてもらおう。

 

 そうウキウキ気分の足取りで廊下を歩いていた。

 

「う――っぷ……、」

 

 突然の吐き気。

 加減の知らされていない激痛が頭を叩いた。

 

 しかし、呑み込む。

 ここで吐いてしまえば脱水症状の危険性もあるが、それよりカメラ越しだろうと思い人が見ているかもしれない環境下で嘔吐物を撒き散らすのは女の子として抵抗があった。

 

「副作用、ね……もう効果が切れたのかしら。始末をし終えた後で良かったわ」

 

 多少の唾が伝う口元を拭い、今度はフラフラと覚束ない酔っぱらいの足取りで通路を歩く。

 

(いや、ちょっとまずいわね……部屋に帰る前に、トイレにでも寄りましょう。一度吐いてしまった方がきっと気分も良くなる――)

 

 そう思った。

 直後だった。

 

 

 

 

「よォ、來栖麗羅。戦闘中に敵に背を向けるたァ、随分と余裕そうじゃねェか」

 

 

 

 

 ……まさか。

 まさか――。

 まさかっ!!

 

「なっ――」

 

 死人に口なし。 

 世の常だと思っていた。

 

 確かに殺した。

 薬で倍増以上の効果をもたらす獣の腕力で、確かに頭蓋骨を砕いてやったはずだ!!

 

 しかし、聞こえたのは紛れもなく死人の声。

 來栖麗羅は驚愕混じり、ありえない幻聴だとほぼ確信めいたものを持って振り向いた。

 

 

「あ………………」

 

 

 そこで見た。

 本物の『イレギュラー』を。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 その場面を。

 地獄絵図とも表せないその悲壮な惨状を、リアルタイム映像で結城雅人は見ていた。

 

「おーい梶ヶ谷、今の見たか?」

「あ?」

 

 その薄闇の部屋にもう一人の存在。

 梶ヶ谷燐桐――彼はちょうど、切れた煙草を取りに席を立ち、部屋の隅に置かれるデスクに向き合っていた。

 

「あぁ、終わっちまった」

「どうした結城。動きがあったか」

 

 煙草の箱を探す目的を中断させ、梶ヶ谷燐桐は山積みに重ねられたテレビ画面の集合体へと近づく。

 

 その内の、一つ。

 七階フロアの北側奥通路のカメラ映像。

 

 

『ERROR』――と。

 真っ暗な画面の中に赤い文字でそう表示されていた。

 

 

「……何があった。麗羅が夜伽ノ美雪を始末したのを映していた映像だが」

 

 ジャストミートで、そのカメラが故障でもしたのか。

 可能性は大いにある――科学が進んだ時代だが、このビルのマンションに仕掛けられる防犯カメラはどれも顔認識システムすら搭載されていないボロデザインだ。

 

 結城雅人はエラー表示の画面を見つめ、その難易度が無茶苦茶に設定されたゲームに思わずありえないと苦笑してしまうような表情で笑っていた。

 

 

「とうとう出たぞ。夜伽ノ美雪という化け物の、一切の救いもないような凶暴性が――」

 

 

 

 

 






 夜伽ノ美雪。
 かつて結城雅人が体験したという『彼女の化け物性』というのは、いったいどのようなものなのか。


 それでは次話もよろしくお願いします!


μ'sファイナルラブライブ!
μ'sic forever――本っ当に楽しかった!!

今まで感動をありがとう!!
これからはもっとよろしくね!!


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