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八時にセットしておいたアラームでベッドから起き上がり、灰色一色の寝間着姿のままで一階に下りる。
リビングのテーブルに湯気の立ったコーヒーカップが置いてある。
イスに座って新聞を広げていた親父が俺に気づいた様子で声をかけてきた。
「よぅ、おはようさん美雪。お前、昨日も珍しく午前中に起きてきてたが、何かあんのか?」
「いや……別に」
まだ眠気の醒めないぼんやりと霞む視界を頼りに俺は冷蔵庫まで辿り着くと、冷気を放つその中から缶コーヒーを取りだした。
プルタブを開け、苦みが効いたそれを口に含むと、次第に眠気はなくなっていく。
「見ろよ美雪。三面だが、昨日の俺のピッチングが書かれてあるぜ。夜伽ノ投手、開幕から絶好調! 七回を被安打四本の無得点! だとよ。お前、昨日の中継見てくれてたか?」
親父が新聞をテーブルに置いて言う。俺が缶コーヒーを口にしている間に、親父もカップに注がれたコーヒーを飲んだ。
「……いや、……昨日は少し、色々あッてな。帰ッてからすぐ寝たからテレビは点けてねェ」
「ふぁッ!? おまっ……プロの世界で活躍する父親の勇姿を見届けないとは何事だあ!」
「けど勝ッたンだろ? なら良いじゃねェか」
「いや、俺が代打に変わって降板した後、中継ぎの奴らがボンスカ打たれまくって負けた」
「ンじゃ何で親父の投球が三面レベルで記事に取り上げられてンだよ……」
あれ程中継ぎには若いのを集中させるなって言っておいたのに……と一人でぶつくさ呟く親父に背中を向け、俺は階段を上がる。
「美雪、せっかくの休日に俺も家にいるし、何ならちょっと電車の旅でもしてみねぇか? 二人で良い眺めの自然を楽しんだりしてよ」
「昨日先発で負けたピッチャーは家で寝ててくださいィ」
「お、俺は負け投手じゃねぇぞ!?」
必死に訴える親父を無視し、俺は部屋に入る。あっという間に飲み終えた空き缶を机に置き、クローゼットを開けていつもの私服に着替えた。黒のパーカーを羽織って部屋を出て再び一階に降りると、親父が何やら怪しむかのような視線を向けてくる。
「お前……いつもは一日中パジャマでグータラ過ごしてるだけなのに、何で今日は着替えてんだ?」
「……出掛けンだよ」
「………………え?」
こいつ何言ってんだ、というような目をする親父。
リビングの扉を開けて玄関に向かう前に、背後を振り向かないまま俺は報告する。
「そういや俺最近、部活始めたから」
返事を待たずに扉を閉めた。
リビングから「は!? おまっ、えっ、ちょっと待て美雪! その話詳しくぎゃん――っ!!」という親父の声とイスが倒れる音がしたが、俺は構わず靴に履き替え、玄関の扉を開けた。
日に日に暑さを期待させる陽射しが視界を眩しく照らし、俺は手を顔にかざしながら思わず息を吐いた。
「まさか、休日を連続で潰しに行くとはな……」
ーーーーーーーーーーー
待ち合わせは新宿駅に九時。
そこで俺と西木野、星空と小泉が合流した。
どこに行くのかと尋ねて答えを聞いた後、俺は顔を渋らせてご遠慮願った。
「いーやどうしても連れて行くにゃ! 体力作りにはもってこいの場所なんだから!」
そう星空に言われて強引に引き摺られていった場所は。
何丁目に行き着いたか覚えていない、だがつい一年前に建てられたというエンターテイメント施設の『ラウンドボール』だった。
「はッはは、でッけェ……」
見上げる高さは地上七階まであるようで、さらに従業員が物を運搬に利用する通路が地下にあるらしい。
「きっと美雪ちゃん、こういう場所には縁がないよね?」
「皆無……てかあまり来たくなかッた……」
そう言って項垂れる俺にもちゃんと理由がある。
今まで学校でも寝て休日でも寝てを繰り返してきた俺はまともに身体を動かした事がないのだ。いや、正確に言えば身体はある程度動かせるのだが、不規則に動き回る運動というものをした事がない。体育の授業は毎度サボっていた。筆記試験さえ取れていれば何とかなるからだ。
建物の中に入ると、まずやかましく聞こえてきたのがゲームセンターからの雑音だ。スピーカーから爆音レベルで流れるBGMは両耳の鼓膜を可愛そうな程に震わせる。
「ちょっ、何よこの音量! さすがに大きすぎよ! 意味分かんない!!」
そう叫ぶ西木野の声も店内のBGMによって掻き消される。
「は、早くエレベーターの所に行きましょう!」
そう言って早歩き気味に先頭をいく小泉に俺達は続いた。
だがどうやらその前に、受付を済まさなくてはならないらしい。それも爆音超音波レベルのBGMが轟く、この階で、だ。
「いらっしゃいませ、ラウンドボールにようこそ。四名様でいらっしゃいますか?」
そう言ってにこやかに笑う店員の声なんざよく聞き取れねぇ。だがなぜかこの状況でもわたし元気ですオーラを出しまくる星空は次々と店員との会話を成立させていく。
「ピエェェ……」
「は、花陽!? しっかり!!」
駄目だ、小泉が耳を塞ぎながら倒れた。
学生割引の付いた三時間フリーゲームの金額(九百円、思ったより安かった)を払うと、俺は受付の女店員に言ってやった。
「なァ、ちょッとここ、店内に流れてる音楽の音量、でかすぎやしませンかね?」
「あ、あの……これは店長の趣向で……」
「なら店長呼んでこ――」
「あぁ! 良いんで! 凛達はこれで失礼しますにゃ!」
背伸びした星空に口を塞がれ、またもや強引に引き摺られていく俺を見ながら店員は呆然と口を開けていた。
ーーーーーーーーーーー
「この施設にはバッティングセンターやテニス場、ボーリング場とかの場所があってね? 基本的には球技のスポーツは大抵ここでできるにゃ。水球だって別棟の施設のプールでできるし」
「何でもありって感じよね」
エレベーターの中で説明口調で喋る星空は、何度かここを訪れた事があるのだろう。彼女は自己紹介の時、中学の頃は陸上部に所属していたと言った。多分、運動やスポーツといった、身体を使えるものが好きなのだろう。
逆に西木野と小泉は運動しているというイメージはあまりない。二人とも、机に向かって勉強している雰囲気の方が似合っているような気がする。
「この施設が開店された一年前、一組のスクールアイドルがここで演奏を披露したんですよ」
「かよちんと見に行ったにゃ~」
小泉と星空がそう言う。
「思えばあれが凛の、初めて見たスクールアイドルだったかなぁ」
「確かそうだったよ。凛ちゃん、すごく目を輝かせて見てたの覚えてるもん」
「え~? 絶対かよちんの方が目きらきらさせてたにゃ」
「花陽はアイドル大好きだものね」
そこで俺は、彼女らの会話の中にある疑問が浮かんだ。
「施設の開店日にスクールアイドルが歌歌うッて……そンな事あンの?」
「今さら何をっ!!」
「うおっ!?」
ガアッ、と食ってかかるように小泉が俺に顔を寄せてきた。興奮したように頬を紅潮させ、小泉は続ける。
「スクールアイドル達はラブライブ出場の為に、予選という過酷な戦を勝ち上がらなければいけないのです! その為にはラブライブのホームページに自分達の活躍を動画でアップする事も大事ですが、校外での動きだって重要になってくるんです!」
エレベーターが四階につき、扉が開いた。
「動物園や遊園地で歌を披露すれば親子連れの皆さんが見てくれます! 街の祭りや花火大会などで踊ればカップルなどの大勢の人達に注目されます! そういった過程を経て、予選を勝ち抜いたグループだけがラブライブへの出場権を手にする事ができるのです! アイドルの世界というものはまさに血で血を洗う戦国時代そのもの! 生温い事を言っていては頂点を取れませんっっっ!!」
「花陽、降りるわよ」
「凛はこっちのかよちんも好きだにゃ~」
「なァ、お前らが連れてきたの本当に小泉だよな? あの薄皮一枚の裏に別人が隠れてねェだろうな」
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「バドミントンは力をそれ程使わないで長時間できる変わり、反射神経や素早さが必要とされるにゃ。アイドルは機敏な動きと体力がないと駄目だから、まさにもってこいのスポーツなんだよ」
並べられたラケットを一つ一つ選びながら、星空はそう解説する。
俺達がいるのは四階のバドミントン場。
ネットが設置された緑色のコートが縦横に五つずつ並んだそこに、人の入りは少なく見えた。親子のワンペアとカップルのワンペアしかコート場に見えない。時間帯がピークではないのか、まぁそれはそれで構わないのだが。先程の一階フロアのように騒がしくなければ、それでいい。
今日、俺達がこのラウンドボールに来た理由は当然、運動する事が目的である。体力のない小泉、身体の硬い西木野、そしてμ's新入生の俺を星空が鍛えてやると言っていたらしい。らしい、というのは西木野から聞いた話による所だが。
まぁそれも午前中だけで、昼食を外でとってからどこかに遊びに行くとか言っていたが……。
だが言わせてもらおう。
運動した後に食欲なんて湧かねぇし、外に遊びに行くとかふざけんな。まだ昨日の家の中で適当なお喋りをしている方がマシじゃねぇか。
それぞれ全員がラケットを手にし、星空と小泉、西木野と俺のペアでダブルスを組む事になった。
「ねぇ凛ちゃん、どうしてダブルスにしたの? 一対一で試合した方が、練習にならない?」
「さっすがかよちん、良い質問だにゃ! もちろんシングルの方が個人プレーで総合的な練習量も増えるけど、ダブルスはお互いの息を合わせる――つまりチームワークを育む事に繋がるんだよ。ほら、凛達って曲に合わせた踊りじゃみんなバラバラな動きをしちゃってるから」
「ほあぁ……なるほど」
こないだの朝練と違い、ペラペラと正論を並べる星空には、俺も感心した。
あいつ、ちゃんと周囲が見れている。それに中学じゃ陸上部という個人競技をしていた割には、チームワークの向上方法……またそれと並行して体力作りや機敏性をも鍛えられる、バドミントンという種目を選んだ事にも頷けた。
高坂と似てはっちゃけた、少しうるさい馬鹿だというイメージを抱いていたが、少し考えるべき所を発見できた。
「まぁ、このあたしが負けるなんて事はありえないわね。パートナーがあたしの足を引っ張らない限りは」
ネットに区切られた半分のコートに立つ俺の隣で、西木野が自信ありげに言う。
こいつ、味方を挑発してどうすんだよ。
「お前、そうやッて自分を誇張しながら、羽拾うときに腰が曲がりませンでした言ッたら叩き潰すからな」
「そんな事ある訳ないでしょう?」
あぁそう、頼もしい事で。
「それじゃ打つよー! 頑張ろうねかよちん!」
「う、うん!」
「それっ――!」
ネットの向こう側のコートから、声と共に羽が飛んできた。空中から落下する羽は俺達側のコートの中央に向かっている。俺と西木野はその中央を跨ぐように、左右平等間隔地点に立っていて――。
両者動かぬまま、羽が落ちた。
「…………」
「…………」
共に沈黙。
反対側では小泉がキョトンとした表情を浮かべ、星空は「何で打たないにゃ?」と不思議そうに小首を傾げている。
堪らず、俺は手を上げた。
「待てよ、待て待て待て…………今のはどう考えても西木野が打つべきだッたよな」
「ヴェェ!? な、何で今のをあたしが打つのよ!? どう見てもあなたの方が羽に近かったじゃない!」
「嘘付けェ! お前がちょッと腕伸ばせばラケット届いてたろうがよ!」
「そっちこそ嘘付くんじゃないわよ! 見てみなさい落ちてる羽を! コートの中央の線からあなた寄りに転がっているじゃない!」
「それは落下した直後に羽が転がッたからですゥ! 間違いなく羽の落下地点はお前寄りでしたァ!」
「で、デタラメを!」
「そりゃテメェだろうが!!」
しばらく西木野と絶えない口論を続けた挙げ句、小泉がネットを潜って間に入ってきて、それをラケットを肩に乗せながら呆れ顔で「よくある事だにゃ~」と星空が呟いていた。
コートの前方に一人、後方に一人と役割分担する事を星空にアドバイスされ、俺達はようやく頭を使った。そしてお互い話し合った結果、俺がネットから離れた後方、西木野が前方に配置される。
……が。
「テメェ西木野ォ! やッぱ腰曲がッてねェじゃねェかよ! ダンサーが身体硬いなンざ話になンねェぞ! 水泳選手が水恐怖症になッちまッたモンと同じだぜそれ!」
「う、うっさいわね! まだ二点しか取られてないじゃないの!」
「致命的な二点なンだよ! どんな種目だろうが、スポーツで試合が長引くのだけはまずいンだ、俺が!!」
「……はぁ?」
……やべ、口を滑らせた。いや、星空と小泉はお互いにハイタッチを交わしていたから聞かれなかっただろう。
だが、前方の西木野真姫は身体が硬く、またコートに根を張ったかのようにその場から足を離さない。視線と腕だけで羽を追おうとするのだ。
これ、絶対にチーム編成ミスったよな。絶対に西木野なんかより小泉の方が使い物になる。
バドミントンは前のプレイで点を入れたペアがサーブ権を所有できる。三回連続のサーブに、星空は羽を掬うようにラケットを振り上げた。
「にゃっ」
飛距離が先程より出ている。西木野の頭を飛び越え、後方に立つ俺のちょうど頭上に落下地点を示していた。
「――――ッッ!」
短い息を吐き、ラケットを振るう。
羽は見事と言える程な直線のライナーで、小泉の二歩手前の位置で墜落した。
「は、速い……っ!」
「あれ……美雪ちゃん、やるにゃ」
「た、たまたまでしょ」
三人が口々に言うが、お次はようやく俺にサーブ権が渡ってきた。
羽を下に向け、それをラケットで掬い上げる。もちろん、落下地点を狙ってだ。
予想通りに、俺の打ち上げた羽は綺麗なアーチを描き、ネット向こうすれすれの位置を通過する。ネットにかかると思っていたのか星空が、慌てたようにラケットを出すも、当てるのが精一杯の羽はネットに引っかかる。
「や、やられたにゃ……これは計算だにゃ!」
「美雪さん……手強い!」
「ちょっと凛! なにボケッとしてるのよ! あれくらい打ち返しなさいよ!」
「おい西木野、テメェはどッちのチームなンだ? あとラケットを両手で構えるな、俺達がしているのはバドミントンであッて決してテニスじゃねェからな」
「わ、分かってるってば!」
再び、俺はサーブを打つ。
前方に立つ星空が少々無理のある高さをジャンプして打ち返し、羽は再び俺へとリターンされる。バックハンドでネットギリギリに打ち返すと、星空がまたも体勢を崩しながら、打ち返してきた。
その為にやや浮いた返球が来た俺は好機と目を光らせ、先程と似たようなスマッシュをかます。それは相手側のコート中央に突き刺さった。
「……おかしいにゃ? 美雪ちゃん、確か運動はあまりしない方だって言ってたよね?」
「運動しないと運動できないは別物だろ? 他人のプレーを見てれば見様見真似でできるようになンだよ」
それからはラリー戦だった。
俺が打ち、星空が打ち返し、また俺が打ち、再び星空が打つ。
得点を交互に入れながらの僅差状態で試合は進んでいった。
だが先程から、俺は間違いなく動かされている。
他でもない、あの星空凛に。
彼女はスポーツというものが分かっている。だから俺の実力、体力を測ろうとして、彼女はさっきから俺に向けてしか羽を打ち込んできていない。実力の底が知れた西木野は、ひとまずスルーといった様子だった。
そしてそれはじょじょに、だが確実に俺の身体を蝕んでいく。
「はッ――はッ――はッ――」
俺は見様見真似である程度の球技はこなせる自信があるが――、
それを長時間に渡って持続させられる持久力がない。
数分前から起きた脇腹の痛みは、俺の呼吸を荒くさせた。
「真姫ちゃんはやっぱり柔軟、美雪ちゃんは体力の増幅が必要だね。かよちん、覚えておいて。後で絵里ちゃんに結果報告するのにゃ」
「あ、うん!」
――野郎……この施設に俺達を連れて来たのはそういう意味もあったのか……。
だが正直、何とか点差を開かせずにここまで来れたが、もう限界だ。今すぐにでもコートに寝転がってしまいたい衝動に駆けられている。
「ちょ、ちょっと……なに美雪一人だけそんなに疲れてるのよ!? さっきからあたしに全然羽が飛んでこないんだけど!?」
「い、行くよ真姫ちゃん――!」
「え、ちょ、花陽そんないきなり……あっ――」
こうして、均衡が破られた。
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結局それからは試合にならなかった。
星空はそれこそ猫のようにしなやかな身のこなしで俊敏に動き回り、疾風の如くコート場でステップを踏んでいた。打ち返してくる返球も上手い具合に落としてくる。
小泉もなんだかんだ辛い顔を浮かべながらも、身体の動かし方は心得ているようだった。予想だが小さい頃から、よく星空と一緒に何かしらの運動をしていたのかもしれない。
そして幼馴染みという仲である訳で、お互いの呼吸もぴったりと重なり合った見事なコンビネーションを見せていた。
そんな彼女らに、体力が切れかかっている俺と、腰が使えず、前方に立つ癖にラケットに羽を当てたってネット前に落とす西木野では相手にならなかった。
「む、無茶よ……こんなの……、そもそもあたしは元々運動するタイプじゃないのよ……可憐にピアノを伴奏しているイメージなのよ……」
「帰って……寝たい……」
あっという間の二時間半をバドミントンで貫き通した結果、俺と西木野は生きる屍のように呻き、軸のない動きでベンチへ向かった。腰を下ろすと同時、揃って深い息を吐く。
だが、星空凛の容赦ないリードは続くようだった。
「さあ! 十二時近くなった所だし、お昼食べに行くにゃー!」
「ヴェェ……」
「食欲ねェ……ブラックコーヒー……」
「あはは……」
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自分のお薦めなのだと言う星空の後に付いていった結果、俺達はラウンドボールから徒歩一〇分の距離にある地下へ続く階段を見つけた。壁には中華や激辛カレー、生ビールなどの広告がベタベタと貼られている。
「凛……どーせあなたの事だから、またラーメンなんだろうけど」
「当たっり前にゃ! 三六五日連続でラーメンを食べていける自信あるよ凛は!」
「凛ちゃん、ラーメン好きだもんね。美雪ちゃんはラーメンとか、食べる?」
「まァそれなりにはなァ……けど、何もこンなむさ苦しそうな場所じゃなくてもよォ……明らかにお前ら女子高生が入るような所じゃねェだろ」
「平気にゃ! きっと美雪ちゃんも気に入るよ!」
まぁ、ラーメンなんてインスタントでしか食った事ねェけどな。
そいうや、星空はラーメンが大好物たども自己紹介の時に言っていた。都内に数多くのお気に入り店があり、休日はそこに入り浸っているとも。……やべぇこれマジで女子高生の所業じゃねぇと思うわ、俺が言うのもアレだけどよ。
階段で街の地下へ下りれば、意外と雰囲気や視界も明るかった。宣伝の広告通り、いくつかの店舗が並んであり、それぞれにスーツ姿の大人や少し歳のいったお爺さんなどもいる。居酒屋や中華料理店といった飲食店の他に、本屋やレンタルショップ店なども見えた。
「ここだよ、凛のお薦めのお店。多分ここはかよちんも初めてにゃ」
そう言って俺達が並んだ前に構える店は、ごく一般のラーメン屋に見える。特に外見にこだわった所はなく、外から見た客の入りもぼちぼちといった所か。
「あたし、ラーメンとかはあんまり食べないのよね、普段」
「ままま! 取り敢えず入るにゃ~」
「ちょっ、押さないで!」
自動ドアが開くと同時、ブワッとした熱気が顔に被る、と一緒に。
「あれ……良い匂い……」
「でしょ!? 凛もこれが好きなんだ」
その匂いは、インスタントのカップラーメンじゃ絶対に漂ってこない旨味があった。
そんな時、俺の隣でキュルル~、といった可愛らしい音が聞こえた。
「はうぅっ……に、臭いを嗅いだらお腹減ってきちゃいましたぁ」
「あァ……何か、俺もだ」
するとカウンターの奥から顔を出した、薄い顎髭の中年男性が驚いたように声を上げた。
「おう、凛ちゃんじゃねぇか!! 今日はお友達まで連れて来てくれたんかい!?」
飲食店でその声のボリュームはどうなんだという声で星空の名前を呼ぶ。「あ、おじさん!」と手を挙げて答えた凛に、当然俺達は驚いた。
「凛ちゃん、お知り合いなの?」
「うん! ここの店長さんだよ!」
「名前を覚えてもらっちゃうって、あなた、どれ程ここに通い詰めてるのよ」
確かに、ラーメン屋の店主に名前を覚えてもらう女子高生って……いや、逆に女子高生という珍しいジャンルの客だったからこそ覚えてもらえてたのか?
俺達は四人揃って空いているカウンター席に座り、上着を脱いだ。
「ほぉ……凛ちゃんの事も可愛い可愛いと思ってたが、そこのお二人のべっぴんさんじゃねえか!!」
嬉しそうにガハハと笑う店主に、小泉と西木野が控えめにお辞儀する。
「んで? ――おいおい……そっちの兄ちゃんはかなりいかしてんな! 両手に花……いや、三人連れてる訳だから両手と頭に華三輪ってか! ガハハハハハハハ!! 良いご身分だな兄ちゃん!!」
……なぁにを言っているんですかねぇこのオヤジは……。だが彼のやや吊り上がる大きな目の視線の方向からして、その言葉は俺に放っているらしい。
「おじさん! 美雪ちゃんは女の子だよ!」
「うぇ? ……ハッハハハハハハハ! そうか! そうだよな! 女の子だ!! ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」
星空が言うと、店主は誤魔化すようにより一層の大声で笑い出した。普段の俺なら不機嫌オーラ満載にして睨み付けている所だが……こういう活気に満ち溢れた男は嫌いじゃない。
「ンで、ここってメニューは何がある……ンですか」
「おうよ! ほれメニュー!」
そう言って店主は星空を除いた俺達三人に一冊ずつのメニューを手渡す。
「俺ぁ厨房に顔出してくるぜ! どれも美味そうで迷うようだったら凛ちゃんにお勧めを聞きな!」
ガッハハハハ――と獣の咆哮に近い笑い声を上げながら、店主は他の店員と入れ替わるように厨房へと消えていった。
「随分と若さ溢れるおじさんだったわね……歳はもう四〇越えてるでしょ」
「今年で四三とか言ってたにゃ」
「き、緊張した~……」
しかし、待てよ。
あの店主、厨房に顔出してくるとか言ってたな。って事は俺達が頼んだラーメンをあの男が作るって事か? ――おい大丈夫か。
「ンで、凛。お薦めッて何なの」
「凛のお薦めはやっぱり極細ストレート醤油ラーメンにゃ! 太くてコシのある麺も食感がたまらないけど、やっぱりここに来ればそれしかないにゃ!」
「それじゃ……四人でそれを食べてみようか。凛ちゃんのお薦めラーメンはどれも美味しいから」
「なら良いけど……そうね、そうしましょう」
「ちなみに凛ちゃん、ここのお店にはご飯はあるのかな……っ!」
「もっちろんにゃ! それじゃご飯セットにしようよ!」
決まった所で店員を呼ぶ。凛が注文を伝える際によく分からない単語を告げていたが、あれには何の意味があるのだろうか。
一〇分以上待った後、ようやく四人分のラーメンが白いお米の茶碗と一緒に運ばれて来た。
「はいお待ちどさん! 凛ちゃんのお友達も来てるもんだから丹精を凝らし、気合い入れまくって作った一品だぜ!」
目の前に商品が置かれた途端、俺は思わず息を瞬間的に吸って、吐くことを忘れた。
透き通ったスープから見える、細く真っ直ぐな琥珀色の麺。これは豚と……鶏だろうか、ぶ厚いチャーシューが一枚ずつ入っている。味玉に糸唐辛子、長ネギに海苔が入れられたその品は彩りがあり、センスが光っていた。先程より間近から漂ってくる高級品な臭いに思わず鼻を近づけさせてしまう。箸をつけて崩してしまうのが勿体ないと思える程に、俺の目は目の前の醤油ラーメンに釘付けとなっていた。
「はっははは! 目が輝いてるぜ兄ちゃん!」
そう言われ、俺はハッとして顔を上げる。見ると店主のおやじが腕を組んで白い歯を見せながら笑っていた。
「それじゃおじさん! いただきます!」
「おうよ!!」
手を合わせて元気に言う星空に続いて、小泉と西木野もいただきますと小声で言う。その二人も二人で視線と鼻先はラーメンから離れそうにもなかった。店主はその光景を見つめて面白そうに幅の広い両肩を揺らす。
「――っ! お、美味しいわ……っ!」
「――す、凄いです……ツルッツルのモチモチです!」
二人は一口味わっただけで、両目を剥く程に驚愕と感嘆の声を上げた。そこからはもう餌を頬張るハムスターのように箸の勢いが止まらない二人を見て、店主は「はははっ! そいつぁ良かったぜ! 綺麗な娘には若い時から美味いもん食わせとかねえとな!」と胸を張って言った。
「ほれ! 兄ちゃんも食ってみろ!」
店主が俺に促す。てか、呼び方戻るんすね。
「美雪ちゃん」
ふと隣で星空が俺を呼んだ。
「まずはスープから飲んでみて。絶対に癖になっちゃうから!」
すでに麺と具に虜とされた小泉と西木野は諦めたのか、そう彼女は俺に言った。
俺はスプーンを手に取り、やや緊張と期待に震えながら琥珀色の、脂がしっかり乗ったスープを掬い、口に運ぶ。
「――ッッ!?」
あ、これはやべぇ……。
もう我慢できなかった。
すかさず箸を手にとって麺を掴み、勢いに任せてそれを啜った。ズズズズーっという音が心地良く聞こえる。口の中に、ラーメンの癖に上品は香りが広がったと思った途端――。
「――――ッッッ!?!? ……うおッ……すげ……ッ!」
我を忘れる程だった。
なぜ高校三年に上がるまでこの味を知らなかったのかと後悔できるレベルだった。
滑らかな舌触り、噛み応えのある弾力。ダイレクトに醤油味が効いているが、それすらどこか安心感のある口当たり。全体的にはあっさりとしている、味わい深い高度な出来上がり。そしてこれは……何だ? もしかすると魚粉らしきものがまぶしてあるのかもしれない。動物系と魚介系が同時に楽しめる。
舌の上に鮮明として残る後味。
美味すぎる。
こんな味を知ってしまえば、二度と人生でカップラーメンなんて口にできないだろう。
「どうよ兄ちゃん、ご感想は?」
巨躯な体格でさらに胸を張る店主が俺に尋ねる。だがその顔は「聞かなくても分かる」と言っていた。それだけの自信が、この店の店主は持っているようだ。
そして確かにこの味に、非の打ち所なんて見つからない。昨日の高坂家の和菓子もそうだったが、テレビ局が取材に来たっておかしくないだろう。
「……感動しました」
「そうか! ガッハハハハハハハ!! そうだろうそうだろう!!」
「――星空」
「ん? 何にゃ?」
「この店最高だわ」
「! ――えへへ、そうでしょ!!」
そこから俺の手は止まらなかった。小泉と西木野の事なんか言えない程、俺はこの味を極大にまで楽しんでいた。具材と麺の減っていくスピードが落ちない。「おいおい、落ち着いて食えよ?」と言う店主の声に顔を向ける事もできない程だった。
最後の最期まで惜しむ事なく麺と具材を平らげると、スープも残す事なく飲み干してしまいたい衝動に襲われる。だがスープはぎりぎりの底で残しておくのが上品な食べ方というのを心得ている俺は、そんな真似には至らなかった。もはや逆にそれが心残りになっているまである。
「「「「ごちそうさまでした!」」」」
……いや、ほんとマジで。
ごちそうさんでした。
思わずありがとうとお礼までする小泉と西木野に、陽気な店主はまた嬉しそうに、豪快に笑っていた。
……あれ、こんなダラダラとした日常風景で文字数ヤヴァイ……。
ですが最後まで読んでくれてありがとうございます!
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