ですが、どうか!
湯気の昇るコーヒーカップを二人分、晩飯時とはまた別の、脚の低いテーブルに置いてソファに座る。
隣では英玲奈も、日頃の疲れをソファに吸い取られるかのように腰を深くして座っていた。少し値段がしたという温柔なふかふかソファに、俺達は宙に浮くようにもたれかかった。
「そもそもお前は、どういう経緯で音ノ木坂のスクールアイドルに入ったんだ?」
そう英玲奈に聞かれ、俺はこの数日間に起きたさまざまな事を全て話した。
初対面に等しい高坂穂乃果に突然の勧誘を受けた事。
その時に一度、拒絶してしまった事。
矢澤にこから、絶対に笑顔にさせてみせると言われた事。
俺をイケメンキャラとして仕立て上げたいと言われた事。
下駄箱に勧誘の薄紙が入れられていた事。
俺がなかなかマネージャーの役目を引き受けないでいると、音楽室に呼び出された事。
西木野真姫の伴奏と歌声に魅了された事。
大勢から自分を必要され、思わず心が躍ってしまい、μ'sに加入した事。
朝練に参加した事。
怪我をした小泉花陽から、ラブライブとA―RISEについて詳しく話された事。
高坂穂乃果の家で、園田海未と本音で語り合った事。
一年生三人と街へ出掛けた事。
そして、今日。
作詞作曲などの件について、絢瀬絵里に反対してきた事。
所々端折った箇所はあるが、それら全てを英玲奈は黙って最後まで聞いてくれた。
聞いた上で、彼女は言う。
「この――、面倒臭がり屋が」
「そンなモン――昔からだッての」
分かりきっている答えが欲しい訳じゃない。
俺は肯定して欲しかった。
幼馴染みの彼女に、学校で俺が絢瀬に放った棘のある言葉に、
英玲奈だけには理解してもらいたかった。
だから俺は反論した。
「だが今回の作詞作曲の件は、俺の性格の問題じゃない。もちろん面倒臭いッて思いは拭えないが、元々はあいつらの仕事のはずなンだよ。マネージャーの俺がやるべき事じゃない」
「だとしても、やっぱりお前は面倒臭がり屋なんだよ」
きっぱりと、英玲奈は容赦なく言う。
「何も、お前一人に全ての作詞作曲、またダンスの振り付けの考案を委ねている訳ではないのだろう。それらができる者が少ないから手を貸してくれと言われるのは、別に何もおかしくはないじゃないか。部員の不足を埋める――これは立派なマネージャーとしての仕事だ」
「だから、俺は仕事をやるべきじゃないッて言いたいンだ。マネージャーの枠を埋めてやる為だけにメンバー入りした俺に、他の仕事を引き受ける義理なンざねェ」
「せっかく友達として受け入れてくれた仲間なのだろう? 過程においた条件や義理などを気にしてどうする」
「時間や体力の浪費がこれまでと比じゃない」
「だからお前は面倒臭がり屋なんだ」
結局、英玲奈の結論はそこにいくようだ。
風呂上がりに長い事喋ると、どうも喉が渇く。俺達は手前に置かれるコーヒーカップを掴み、砂糖もミルクも入れられていないそれで口元を濡らす。
「いいか、美雪……人間には二つのタイプがある」
「……あァ?」
左手の指を二本立て、英玲奈は身体ごと俺を見た。
「『できるのにやらないタイプ』と、『できないからやらないタイプ』だ」
「……何だそりゃ、どッかの頭の良い学者さんの言葉ですかァ?」
「茶化すな。いいか、お前は昔から『できるのにやらないタイプ』だった」
そう言う英玲奈の顔はいつものように無表情に近いが、明らかに真相を物語っている。
嘘の色がまったく見えない表情だ。
「お前の面倒臭がりは小学の頃からだった。私は覚えているぞ、あの小学五年の夏休みの事を。宿題として出された自由研究を、お前はやはり面倒臭いの一言でまったく手を付けまいとしていた。そこで親父さんが、自由研究をしっかり終わらす事ができたら、プロ野球の観戦に連れて行ってやるとお前に言った。当時、美雪は親父さんと似て野球が大好きだったからな」
それは何年も前の記憶。
夏休みの宿題、自由研究。
そういえば、そんな事もあった――。
「まだ歳が低くて単純脳みそだったお前は、それだけで気合いのスイッチが簡単に入った。あの時のお前は、〈都会の公衆電話の数〉というテーマで取り組んでいたな。携帯電話を誰もが持っているこの時代と、携帯電話がまだ普及する前の時代を比べ合わせ、街中を歩き回ったりネットで調べたりなどして、公衆電話の数の変動をグラフにして表していた。印刷した写真を貼ったその横に説明文まで書いてだ。その自由研究を、お前はたったの一週間でこなしてしまった」
……あぁ。
思い出した。
あの時の俺は電車やバスといった交通機関を使い回し、交番で道を尋ねたりしながら街を歩き回り、一つ一つ、見落とす事なく公衆電話の数を数えていったものだ。
「あの時のお前の熱心ぶりは凄まじかった。夜遅くになっても帰ってこない美雪を心配して、親父さんは警察に捜索願いを出し、夜の街を叫びながら走り回ってお前を捜していた」
あの後、親父が鼻水垂らして号泣しながら俺に抱き付いてきたのを覚えている。
「当時の美雪の、真摯とした姿勢は結果に繋がった。決して拙速なものではない、また一つの誤植もないお前の自由研究は、都内で優秀賞に選ばれ、賞状まで貰っていたではないか」
その賞状が今どこにあるのかは分からない。いや、きっと捨ててしまっただろう、その可能性がほとんどだ。
だが、覚えている。
俺の〈時代で変わる都内の公衆電話〉という題名で出した自由研究を。
それが優秀賞に選ばれたと担任から聞いた時の事も。
体育館の壇上で賞状を受け取る時に少し緊張していた事も。
俺はあの時、できていた。
「今日のお前の料理だってそうだ。面倒臭いからインスタント食品だけを貪っていたお前に、親父さんが教えてくれたのだろう?」
「……何でそれを」
「分かるさ。幼馴染みとしてお前の隣にずっといながら、私は美雪の親父さんの、あの親バカっぷりも近くで見てきたのだからな」
逆に、俺は英玲奈の両親を知らない。
だから俺達は、いつも三人だったのかもしれない。
俺と、親父と、英玲奈。
自由研究のご褒美として連れて行ってもらえた野球観戦の時も、この三人だった。
「面倒臭い面倒臭いと愛娘に言われながらも、親父さんは手取り足取り教えてくれたはずだ。料理の知識なんてまるで皆無だったお前に、一から丁寧にな」
確かに、そうだったかもしれない。
高校一年の夏頃、親父は晩飯時になると必ず俺を部屋から出し、台所に立たせていた。
『早くお前の手料理が食ってみてえな!』
そんな事を、言っていた気がする。
「そしてお前は、あそこまで上達できた。自分を持ち上げるつもりはないが、一級の料理を普段から食し、舌が肥えたUTXのお嬢様生徒をあそこまで美味い美味いと連呼させられる程までに、お前は料理の腕を上げられた」
そういや、こいつはお嬢様なんだよなぁ。
口調は堂々としたものだが、風呂上がりに色気が増しても品性高潔な風貌に衰えは感じられない英玲奈に、大きくなったと俺は思える。
幼馴染みとして、これは嬉しい事かもしれない――。
「お前は今まで、こういった人生の過程をただの経験値としてしか見れていないようだが、これはそんな単純なものではない。自らを褒め称え、誇っていい事なのだ」
英玲奈は続ける。
「自分の事は自分ではよく分からないと言うだろう? だからお前を一番近くで、一番長く付き合っていた他人の――幼馴染みの私だから言えるんだ。――やはりお前は、『できるのにやらないタイプ』なのだと」
虚構などではないと、英玲奈は言う。
自分には分かると。
自分はお前を理解していると。
「だから今回の、音ノ木坂スクールアイドルでの作詞作曲の件もそうだ。お前は初めからやろうとしないから、できないと決めつける」
「別に、できないッて言ッた訳じゃね――」
「名前だけを貸してやった自分にもう仕事はないなどと下手な言い訳を作る時点で、お前は自分にできないものなのだと諦めている」
英玲奈は言う。
こんな問題範囲が多いテストを解ける訳がない――だから勉強しようとしても無意味。
お前はそう考えているのだと。
「それを貫けるのは完璧主義者だけだ。途中までできるが、最後の詰めの一つだけはどうしてもできないから、その事柄は最初から全て放り投げる。だがお前は完璧主義者などではない。可能か不可能かも見極めようとしない堕落者だ。故に、挑戦すれば事を難なく完了させる事ができる人間なんだよ」
「だとしたら……どうして俺は作詞作曲の件を受け入れられなかッた」
「やはりお前の性格だ。誰かに指図されたり強制される事を本能が拒否しているからだ。それによって、時間と体力に対する犠牲や義務感、不自由といった負の感情が、お前の『面倒臭い』という悪癖に繋がっていく」
……なら。
それが本当だとしたら――。
「それじゃもうどうしようもねェじゃねェかよ。俺はこれから先、永遠とあいつらの協力なンかできッこねェ。ただ大会予選のエントリーの為だけに名前を使われるだけの存在だ」
「……それがお前の望んだ結果じゃないのか? なぜ、そう落ち込んだ顔を見せる」
そう言われて、俺はハッとした。
いつの間にか、項垂れるように顔を床に向けていた俺がいる。
意識すると眉間に皺が寄っているのが分かる。奥歯を噛みしめている事が分かる。
無意識だった――。
「それが、お前の恐れている事なんだよ、美雪」
英玲奈は言う。
俺は恐れているのだと。
「友達として受け入れてくれたメンバー達に、自分の存在意義が名前だけと言われる事に」
――俺は名前を貸してやっただけだ。後の事は関与しない。
俺は絢瀬に、そう言った。
言ってしまった――。
「名前だけをくれれば、マネージャーの枠さえ埋まってくれれば、後のお前は用なしだと言われる事を、お前は心で恐懼の念として抱いている。だがその素直な言葉が口に出る事を、お前自身の性格が邪魔しているんだよ」
そんな事、考えた事もない。
想像した事もない。
俺の中に恐怖の気持ちがあるという事さえ、信じられない。
だが、他人として。
一番近くで俺を見てきた統堂英玲奈は分かるのだと言う。
幼馴染みの事は、何でも――。
「なぁ、美雪。お前はメンバーの人間をどう呼んでいる?」
「あ? ……どうッて」
「普段、相手の事を呼ぶ時にだ」
彼女はそんな、意味を持つのかどうかさえ迷うような質問をしてくる。
「いや……普通に名字だが」
「相手はお前の事を?」
「……下の名前」
なんとなく、英玲奈の言いたい事が見えてしまった。
ここまで察せられると、俺も拗ねたような口調に悔しさが混じる。
「その時点で、美雪は彼女達と自分から距離を取っているんだ。決して過度な接近はしようとしない。今まで友達という身近な存在がなかったお前は、いつ彼女達から突き放されても構わないように、一定の距離を保とうとしているじゃないか」
否定はできない。
「けど、何ですか……それじゃ俺がまるで、あいつらに突き放されたくないッて思ッてるみたいじゃねェか」
「なら拒絶されたいのか? せっかく友達として一度受け入れてくれて、また、お前と名前呼びをし合おうと距離を縮めてくる今のメンバー達から」
ふと、東條の言葉が頭をよぎる。
『友達同士が一緒にお昼ご飯を食べるのは、別に普通やん?』
そうだ。
あいつらは、近づこうとしている。
他でもない、この俺に。
こんな俺に。
「美雪、お前は他人から指図されるのは非常に嫌がる性格だ。だがお前は中学の頃、水浦竜三とは仲良くできていた。私の頼んだ事は大抵やってくれている。風呂掃除をするから飯を作れと言った私に、お前は文句の一つも言わなかったじゃないか」
「そりゃ……竜三は友達だし、お前は幼馴染みで――」
唇に感触があり、俺は黙った。
英玲奈が人指し指で、俺の口を押さえている。
「そうだろう? なら、彼女達とも友達になればいいじゃないか。まずは名前呼びからでも初めてみろ。きっと何か変わる。作詞作曲の件だって、赤の他人などでなく、友達から頼まれているのだと意識すれば、きっとお前はやり遂げられるさ」
小さくも、柔らかい笑みを浮かべながら。
母親が子供をなだめるように。
英玲奈はそう言ってくれた。
またコーヒーを口にする彼女の横顔に、俺はいったい何を感じたか――。
本当に、大きくなった。
俺の事を、理解してくれている。
カップを机に戻した彼女の胸に、俺は倒れ込むように顔を置いた。
「おいおい……、いきなりどうした?」
笑みを零す口調で言う彼女には、別に言わなくても分かってしまうのだろう。
何たってこいつは、俺の幼馴染みなのだから。
「俺……上手くできッかねェ……」
返事は早かった。
「できるさ……なぁ、風呂でお前が私の髪を洗っている時に、私が言った言葉を覚えているか? ――手つきが優しいと、そう言った」
だがな、と。
彼女は俺の頭に腕を回し、抱え込むように力を加えた。
鼻先やら頬に、風呂上がりは下着を付けない英玲奈の柔らかい二つの胸の感触が当たる。
落ち着けて、気を抜けば眠ってしまいそうな安心感のある良い匂いが俺を包んだ。
「手つきに限った話ではない……お前は昔から――――優しいんだ」
なぜ、そんな事が言える。
俺はそう尋ねた。
決まっているだろう、と。
彼女は言う。
「私は、ずっと美雪の隣にいたのだから――」
次話で第二章も終わりそうです!
ここまで付き合ってくれた皆さん、本当に感謝しています!
感想をくれて僕を励ましてくれた人達にも、深い感謝を――。
それでは次話もよろしくお願いします!
感想、指摘、質問、よろしくお願いします!