残酷な描写がありますのでご注意ください。
真姫の家から、合宿用に使用する別荘での宿泊許可が下りた。
そう連絡を受け取ったのが、夏休み初日。
俺はその日、気温が抑えられる夕方――茜色の夕陽が燃える空をカラスが飛び立つ時間に、一人で外出していた。
合宿先は、どうやら海があるらしい。
プライベートビーチなので、今回は俺達μ'sしか、その地に訪れない。
静かで快適な海が満喫できるだろうと思ったが、今回はあくまで旅行気分ではなく、早朝から深夜まで練習に打ち込む事を目的とした合宿だ。
「遊びじゃない、か……」
そうは言うが、現地は真夏の太陽の紫外線が降り注ぐ熱い砂浜と生温い海。
その環境に見合った、服装が必要となる。
「ま、この店でいいか」
俺は街にある大きなショッピングモールに足を運び、その中の一つの衣服店に入った。
適当に薄いシャツやサンダル、海水パンツに似たような半ズボン、また現在袖を通しているパーカーよりもさらに薄手のものを籠に入れた。
陽射しに強い、サングラスも買っておこう。
「お会計、全部で五二〇〇円となります」
それなりにでかい紙袋を持って、俺は店を出た。
「……あれ」
考えてみると、一人で外出してお買い物なんざ、これが初めてかもしれん。
そりゃ、近所のコンビニとかには一人でよく行くが、ここはショッピングモールだ。
服を買いたいが為に、電車賃を払ってまでここまで来たって……。
やべぇ、なんか女子っぽくて、
「キモいな、俺」
まぁ、買った衣服は男物でまとめたからいいけどよ。
そんな時。
ドン、と。
背中に何かがぶつかった。
「あ?」
振り返ってみるが誰もいない……と思いきや、やや視線を下に向けると、そこには片手にスマホを持った、中学生くらいの女の子が立っていた。
向こうも初めて俺にぶつかった事に気づいたのか、びっくりするような瞳で俺を見上げている。
やばい、怖がられる――。
顔を真正面から見られた俺は即座にそう判断すると、前へ向き直って早々と歩き出した。
が、
「あ、あの、すみません!」
急に背後から呼び止められる。
思わず足を止め、俺は振り向いた。
やはり、先程の女の子が未だ俺に目を向けている。
この女の子……見覚えのある、近所の中学校の制服を身に纏っている。
しかも発音の良い日本語に対し、外見じゃ明らかに異国の血が混ざっているように見えた。
金髪にクローバーの髪留めを付けていて、よく見える額の下には細長い眉に、水色に潤んだ瞳。
誰かに、似ている――。
そう思っていた矢先だった。
「μ'sのマネージャーの、夜伽ノ美雪さんですよね!?」
――驚いた。
まさか、俺の事を知っているとは。
「あ、あァ、そうだが……」
「わぁ、やっぱり!」
という事は、この少女はラブライブホームページでμ'sの動画を見つけたのだろう。
当然、俺のグループ紹介映像を目にしていれば、その後のμ'sのPV動画も拝見している事だろう。
「あ、あの……わたし、絢瀬あり――」
緊張した様子で言葉を出す彼女だが、俺は途中で気づけた。
「え? 夜伽ノ美雪?」
「それって、あのμ'sの?」
「綺麗な銀髪……もしかして……」
「え!? うそ、本物!?」
「ちょ、サイン! サイン貰おうよ!」
「カメラ持ってる!?」
周囲の異様な空気が、じわりじわりと俺の方へと詰め寄ってくる。
俺の目の前の少女もそれに気づいたようで、口を閉ざしていた。
直後。
ドッ、と。
大勢のショッピングモール来店者(のうちのほぼ女性)が、サインやら写真を一枚やらと喚き散らしながら、大荒れの波のように押し寄せて来た。
「おいおい……だから俺はマネージャーであッて、アイドルじゃねェンだッつの……」
「あ、あれ……これは……」
身の危機を察した俺はすぐさま行動に出ようとするが、目の前の金髪少女はこの緊急事態にどうすれば良いのか分からず、狼狽しているようだった。
「ッたく――」
すぐさま俺は紙袋を肩に提げ、少女をお姫様抱っこのように抱き上げる。
「わっ!? あ、あの、夜伽ノさん!?」
「捕まッてろ」
背後に視線を向けながら、俺は強く床を蹴った。
おぉ……悠に三〇人は俺の名前を呼んで追っかけて来てるじゃねぇか。
悪いが、あれだけの数は相手できねぇぞ。
ーーーーーーーーーーーー
ショッピングモールの屋上は、駐車場の隣に小さなお子様向けの遊園地が開拓されている。
いくつかの機械仕掛けの遊具に乗って元気一杯にはしゃぐ子供達と、それを微笑ましく見守る母親達の姿を目の前にしながら、俺と先程出会った金髪少女はベンチに腰掛けていた。
「疲れた……」
「ごめんなさい……わたしが大声出したりするから……」
項垂れて俺がため息を吐くと、少女は申し訳なさそうに、しょんぼりとした顔で言った。
別に虐めたかった訳じゃないんだが……。
「いや、別にもういい。それより、さッき何か言おうとしてたみたいだが……」
「あ、はい!」
思い出したように彼女は言うと、ベンチから腰を浮かせ、俺の目の前に立った。
「わたし、音ノ木坂中学の三年生、絢瀬亜里沙といいます! いつも姉の絢瀬絵里がお世話になっています!」
そう言ってお辞儀をする彼女――絢瀬亜里沙に、俺はようやく納得した。
誰かに似ていると思っていたが……そうだ、あいつしかいないじゃないか。
「そうか、絵里の……」
「はい!」
姉とは違い、あどけない、愛嬌のある屈託がない笑顔で彼女は頷く。
「わたし、μ'sの大ファンなんです! 最初はお姉ちゃんと、わたしの友達のお姉ちゃんが出てるって聞いて、動画とかを見てみたんですけど……みんな魅力のある人達ばかりで、とってもハラショーだと思いました!」
「……とってもはらしょー?」
ちょっとよく分かんない単語が出てきたが、まぁいい。
「そうか……いや、ありがとな」
俺の言葉にまた絢瀬亜里沙は満足そうにまた笑い、ベンチに腰を下ろした。
「もちろん、夜伽ノさんの事も動画で見ましたよ!」
「うッ……」
あぁ、マジか。
「とってもかっこよかったです! 堂々とした姿で、まさに『俺が言葉にするまでもない』という華のあるムードでした!」
「そ、そこまで大袈裟なモンでもねェだろ」
しかし、いくら初対面であっても、それなら俺の顔は初見という訳でもない。
怖がるだなんてとんでもなく、目の前の絢瀬亜里沙はキラキラと表情を輝かせている。
「特にわたし、『START:DASH!!』が大好きなんです! あの曲って、誰が作ったんですか!?」
「あァ……作曲は西木野真姫ッて奴で、作詞は園田海未が担当してる」
「わぁ! 西木野さんって、あの赤い髪の毛でちょっと大人っぽい雰囲気がある人ですよね!」
「大人ッぽい? あいつがかァ?」
「園田さんもとってもハラショーなくらい美しいお姿ですよね! わたし、小学校低学年までロシアの方に住んでいた頃から、ずっと園田さんみたいな、日本のヤマトナデシコに憧れていたんです!」
「へェ……まァ、確かに海未はそんな感じだよな」
しかし、随分と熱心に語ってくれるもんだな。
「絢瀬は……」
「あ、亜里沙って呼んでください!」
……ふむ、そうきたか。
普段の俺ならまず断るが……まぁ、絵里の妹だしな。
「亜里沙は、μ'sが大好きなンだな」
「はい! わたし、μ'sがラブライブに出場できるように、応援してますから!」
「……そうか」
なるほど。
本当に、俺達のファンはしっかりいるんだな。
改めて、その事を実感できたような気がする。
「で、でも……」
亜里沙が俺と合わせていた目線を下に外し、何か肩をモジモジとさせながら口を開く。
「その……μ'sの中でも、特に……」
そんな時だった。
近くから、可愛らしいメロディーが奏でられた。
「あ……」
亜里沙は自分のスカートのポケットからまさぐり出すように、スマホを見せる。
「雪穂……?」
亜里沙は怪訝顔を浮かべながら、通話に応じる。
「もしもーし?」
『もしもーしじゃないわぁぁぁあああああああああああああ!!』
「ひゃあぁっ!?」
……おぉ、凄ぇ。
スマホの向こうにいるはずのユキホとやらの怒声が、俺にまで届いた。
『約束の待ち合わせ時間何分過ぎてると思ってんのよお! もう待ちくたびれちゃったぁ!』
「あ、……ああ!」
そして亜里沙。
どうやら約束とやらを今更になって思い出したらしい。
「ご、ごめんね雪穂! すぐに行くから!」
『早くしてよね~、もう』
通話を切ると、亜里沙はスマホと俺の顔を「あわわ」と狼狽えながら見配っている。
その、絢瀬絵里にはない妹のおかしい姿に、俺は思わず頬を緩めてしまった。
「行ッてこいよ、友達が待ッてンだろ?」
「! は、はい……すみません。あの、短い時間でしたけど、今日はありがとうございました! 美雪さんに会えて、とっても光栄です!」
そう言い残して、亜里沙は走って屋上出口の扉を潜っていった。
まぁ、強引にこの場所に連れて来た俺にも責任はあると思うが……。
「光栄でした、か……」
随分と大仰に表現してくれたもんだ。
何度も言うが、俺はただのマネージャーなんだよ。
そう思ってベンチを立つ。
絵里の妹なら、またどこかで会える機会があるかもしれないな。
彼女の笑顔と流暢な日本語を喋る声を感覚に残しながら、俺も出口へ向かって歩き出した。
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ショッピングモールを出た頃にはすでに陽は傾き、薄暗い空へと変わっていた。
白くぼんやりと照らされる三日月が、真上の暗闇で笑うように浮いている。
駅までの道のりは約十五分。
その道を紙袋片手に歩いていた。
ふと、俺はつま先の進行方向を変え、細い路地へと踏み入れる。
袋小路という訳じゃないが、曲がりくねった道が続き、そこらには溜められたゴミ袋や、野良猫が店から持ち出したであろう魚の骨が散乱する汚い場所だった。
細い路地裏といっても、人間が三人程は並んで歩ける道だ。
俺の細い身体なら、どこかにつっかえる障害物もない。
また、この道は別に、駅へと続く近道という訳でもないのだ。
俺は立ち止まり、首だけを背後に向ける。
「おい……何か用か」
建物の影となった薄暗い空間で、俺は尋ねる。
案の定、路地裏の曲がり角からは数人の男達が続くように姿を現した。
「チッ……」
面倒なのが来たな。
俺が何かしたんかよ。
男の数は六人。
全員が高校生か、大学生辺りの歳と見える。
「へぇ、凄いな」
そのうちの一人――バランスの整わない長い総髪を濃い茶色に染めた男が言った。
「尾行に気づいていながらも、こんな逃げ場のないような路地裏に来てから俺達を呼び出すとは……やっぱこの女、噂通り強いのかねぇ」
歳は高校生ぐらいに見える。
耳には派手なピアスが揺れ、その目はギラリと光る猫のような赤い瞳。
「初めましてだな、夜伽ノ美雪」
そしてなぜか、向こうは俺の事を知っている。
また俺の事を『女』とも言った。
この野郎……何か事前に俺の事を調べ上げてやがる。
「お前は俺の事を知ッているようだが、悪ィが俺はアンタの事を知らねェ訳だが……こりゃちょッと不公平なンじゃねェの?」
俺が言うと、男は一瞬間抜けな顔を見せたが、すぐさまそれを不愉快な程の笑みに変える。
「あぁ……あぁ、そうだな。んじゃ代表して俺が――俺は結城雅人〈ゆうきまさと〉。まぁ、よくその辺に落ちてる社会のゴミとでも覚えておいてくれや」
聞いた事がない名前だ。
だがその自己紹介には、つられるように俺まで歯を見せて笑う事を誘われてしまう。
「ンでェ……いったいその社会のゴミ屑さンが俺に何の用ですかァ? 悪いが俺はアンタのような男はタイプじゃないもンで、早々とご帰宅したい訳だが?」
「俺こそお前みたいな品も乳もない女なんざノーサンキューなんだよ」
またそこで、
「つか、夜伽ノ美雪――お前……」
結城雅人とやらの声が、一段と冷える。
「この状況、理解できてんのか?」
その言葉の後に、俺はようやく気づいた。
結城雅人の取り巻きのような奴ら、男五人の手には、鉄パイプのようなものが握られている。
また一人は素手かと思いきや、右手には高圧電流が放たれたスタンガンを装備していた。
「女一人に男五人でレイプ……いや、リンチかよ……こりゃいよいよ日本も終了だなァ」
「その前に、まずはお前が終了だよ」
結城雅人がポケットに両手を突っ込んだまま突っ立っているその周りで、男ら五人が各々の武器を上げて身構えた。
「何の恨みもないんだが……水浦竜三と手を組んだ自分の道を呪えよ、夜伽ノ美雪」
そのセリフが最後だった。
男二人、が鉄パイプを手にして迫り来る。
ガアァァン――!!
路地裏に響く甲高い音は壁の間を飛んで反響する。
一人の男が振り下ろした鉄パイプが、路地裏の汚れた地面を叩いた音だった。
俺はステップを踏んでそれを回避すると、
体勢を構え、勢い良く腰を回転させ――。
「ふッッッ――!!」
頼りなく細い、だが長い右脚を飛ばし、男の顔面へと叩き込んだ。
衝撃音と派手に舞った血飛沫と共に、男の身体は反射される。
数メートルは吹っ飛んだ男のリタイアを尻目に確認すると、身体の回転した勢いを殺さぬままに、さらに鉄パイプを振り翳したもう一人の男の顎を蹴り上げる。
行き詰まった悲鳴を上げてほんの少し宙に浮いた男の腹に素早く肘を叩き込むと、間髪入れずに左脚を、サッカーボールをシュートするかのように股間へと振り上げた。
二人目も撃沈するように、地面へ倒れ込む。
「おらぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」
三人目が俺の背後から声を上げて襲いかかってきた。
俺の脳天めがけて振り下ろされるのはやはり鉄パイプ。
「学習しねェな……」
その鉄パイプを――片方の素手で掴み取る。
若干、腕全体に痺れる感覚があったが、その状態のまま右脚を浮かせ、つま先から弓矢の如く、相手の溝に入れる。
相手の男が獲物を逃したと同時、俺は所有権が自分へと渡った鉄パイプを構え、男の側頭部へとスイングし、打ちつける。
大丈夫だ、死んではいない。
「おいおい……開始十五秒で女一人に三人も倒れるたァ、お前らホントにタマァぶら下げてる男なのかァ!?」
気分が妙に昂揚としていた。
後の二人も同時に俺へと向かってきた。
一人は鉄パイプだが、もう一人はスタンガンを持っている。
俺はまず鉄パイプの男へと体を向け、横殴りに震われた鉄パイプをしゃがんで回避。
そのまま相手の足首を蹴り、転倒させる。
そこに電流を流したスタンガンで俺の首筋を狙ってきた男の手首を掴み取り、そのまま転倒した男の首筋にスタンガンを押し当てた。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
数秒間当てていた結果、そいつは涎をだらだらと流しながら気絶した。
「ギャハッ! きッたねェなおい!!」
笑いが込み上げてくる。
手首を叩いてスタンガンを落とさせると、体勢を立て直した俺は相手の襟首を掴み、乱暴に押して壁へと叩き付ける。
「ギャヒャハッ!!」
そのまま左脚を高く、ストレートに振り上げる。
その凶暴的な威力は、俺の靴の足裏と壁に挟まれた男の顔から、不気味な程の愉快な音が響いたレベルだった。
大量の鮮血。
潰れた顔。
形状が原型を留めない程の鼻や前歯。
どうやら目も潰れているように見える。
「ギヒッ……アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッッッッッッ!!!!」
駄目だ。
だめだ。
ダメダ!!
もう笑いが我慢できねえ!!!!
「おいおい……何だァ、この久しぶりな昂ぶる感覚はよォ……? えェ、おい……完ッ全に出来上がッちまッたァ……。全身の血が沸騰するみてェに興奮する……ギャハッ――あァ、やばい……もう、もう抑えらンねェ……」
そんな言葉が実際に俺の脳が指令し、俺の喉が震え、俺の口から出ているのかさえ自覚できない。
「……なぁ、梶ヶ谷」
そんな声が、言葉が――俺の耳に滑り込んできた。
「お前が目に付けたこの女……予想以上の怪物らしいぜ」
「アァッッッ!? おい、……何だよそれはァ……まるで俺が人間じゃねェみたいじゃねェかよォ…………なああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
これだけは分かる。
自分の身体が制御できないまでに、俺は興奮しているんだ。
噴き出した血を見てから。
傷つけられた顔を見てから。
自分の身体が何かを破壊した感触を味わってから。
俺が、おかしい――。
「えェ!? おい!? その辺どういう事なンですかねェ……結城くんよォォォオオオオオオオオオオオ!!」
目の焦点が重ならない。
無意識のうちに言葉が出る。
そしてまるで、自分の身体の中に悪魔が棲み憑いて操っているかのように、なぜか俺の身体は走り出した。
結城雅人と名乗った男も、俺に立ち向かうように地面を蹴る。
時刻はすでに午後八時は回っているだろうか。
路地裏の一角で、俺達はぶつかった。
ーーーーーーーーーーー
目を覚ましたら、そこはすでに家の中で。
親父のいないリビングのソファに寝転がっていた。
「どうやッて帰ッてきたのか……まッたく思い出せねェ」
ただ、一つだけ。
ショッピングモールで買った衣服類が入ってある紙袋が、床に置かれていた事に、俺は気づいた――。
どうでしたでしょうか。
グロテスク描写に初チャレンジしてみたのですが……。
さて、今回のお話で皆さんの中に、『夜伽ノ美雪』という人物像が混乱してきたのではないでしょうか――?
次話もよろしくお願いします!