どうも、西海です。
今朝の事なんですが、中学時代にあまり親しかった訳ではない同級生とばったり再会しました。
その同級生は中学の頃じゃ少し喧嘩っ早い性格だったので付き合いをどこか遠慮していたのですが、驚いた事に彼がラブライブ!の大ファンなのだという事を打ち明けられました。
今朝は彼と共通の話題で大いに盛り上がり、とても楽しかったです。
やっぱり共通の趣味を持てる関係は良いな、と改めて実感できました。
――――西海の一日限りの日記より
と、いう訳で今回もよろしくお願いします!
……おかしい。
あの後、メンバー全員に一旦は奇妙な怪奇さを帯びた視線を向けられ、後にしてから賞讃の声をかけられた。
穂乃果や凛は鬱陶しい程に俺の身体の回りを飛び跳ね、ことりや絵里が見直したとでも言いたげな表情で静かな拍手を送ってきたり、にこや花陽がアイドル分かってるとか言葉をかけてきたり――。
だが、普段からの作詞作曲を担当している海未と真姫。
彼女らはやはり怪訝に感じたのだろう。
海未は何やらブツブツと――信じられないだとかありえないだとか――出来上がった歌詞カードを俯く体勢で目を通しながら呟いていた。
真姫は何かの歌のパクリでもしたのかと不謹慎極まりない言葉を言ったせいか、そこら辺を絵里に叱られていた。
――いや、無理もないだろう。
「どういう事だ……」
また新たな悩み事が増える。
いや、これは悩みというより――不気味。
俺自身は、昨夜のたった一晩だけで作詞作曲を完成させた覚えはさらさらないのだ。
変な頭の病気で記憶が飛んでいるのか。
若年性のボケが回り、ただ単に俺が作詞作曲の作業を行った事を忘れているだけか。
まさか、そんな事はありえないだろう。
だがそれ以外にどう説明をつける。
俺は最初、未だに俺の進捗状況を不安に思った真姫か海未が部屋に入り込み、知らぬ間に作詞作曲を仕上げていったのかと予想した。
だが彼女達の反応を窺うとどうもそうではないようだ、隠す理由が見当たらない。
なら、あの曲はなんだ。
『Mermaid festa』
あの曲はいつ、どこで、誰が描き上げたものなのだろうか。
「美雪ちゃ~ん、次は二階の撮影だよ~! 早く早く~!」
「ン……あァ」
頭上やや高くからの穂乃果の声にハッとして、俺は階段を昇る為の脚を上げる。
現在、俺が右手に構えているのは一台のビデオカメラ。
せっかくこれだけ豪勢で贅の尽くされた別荘が建っているのだから、次のPVで流す映像に取り入れてみようという誰かの案に全員が賛同したのだ。
今、俺はカメラマンの仕事として撮影担当を任されている。
無論、今に撮影している動画が組み込まれる曲はμ'sの最新曲――『Mermaid festa』。
作詞作曲・夜伽ノ美雪。
楽曲紹介のページには当然そう掲載されるのだろう。
――だが、俺じゃない。
人魚姫の祭典だなんて曲を、俺は今朝に目を覚ました時に初めて知ったし、それを見た。
――なら、なぜあの歌詞カードと楽譜の譜面は俺の部屋の机上に置かれていた。
その隣には数本の芯を消費したであろうと思われるシャーペンとシャー芯ケース。
誰かがあの机に薄紙を広げ、俺の部屋に置かれた椅子に座って編曲作業をしていた事はきっと紛う事ない事実なのだろう。
なら、そいつは誰だ。
少なくとも、俺じゃない――。
「美雪ちゃん♪」
「……あ?」
ふとして隣に出現した希に横目で返事する。
今日の彼女はPV撮影用として、全身を紫色をベースとした透明レースをヒラヒラと纏わせる服装でいた。
「美雪ちゃん、昨日はほんまにお疲れやったね」
「……あァ」
そしてどうやらこいつも、あの人魚姫の祭典という楽曲を俺が作り出したものだと考えている。
「でも、夜中の三時過ぎまで起きていた割には目元に隈は見えないし今もそんなに眠そうじゃない……。相変わらずその眼光は鋭いままやんねぇ、感心するわぁ」
――言われればそうなのだ。
希の今の言葉でふと気づく。
人魚姫の祭典という楽曲は一夜にして仕上がっていた。
俺が自分の部屋のベッドの上で柊蒼太郎と会話した時間帯が夜の一一時少し前。
徹夜で作業していたとしたらそれは時間にしておよそ七時間。
普通の人間なら、それだけの時間をぶっ続けに集中を切らさず頭脳を使い果たしたら、間違いなくその日の朝から体調にツケが回ってくるはずだ。
それに作業の合間に仮眠を取るにせよ、一つの曲を完成にまで作り上げるのに七時間という制限はあまりにも酷すぎる。
つまり、俺が作詞作曲の作業をしていたと仮定しても、その作業時間は徹夜を強要される事が必須なはずだ。
だというのに、今の俺にはわずかな眠気すら感じられない。
「……ン? いや――おい、待て」
「ん? どしたん?」
思わず、前方方向に向けていたビデオカメラを下方に降ろすように腕を下げる。
階段を昇りきった所で足も止まった。
今、こいつは――。
「希、お前……夜中の三時過ぎまで起きていたッて言ッたか? ……俺が?」
「ん~? あれ、起きてたよね? うち、夜中にちょっとトイレに目を覚まして廊下を歩いてたら、リビングの方から綺麗に奏でられる音が流れてくるのが聞こえてな? 真姫ちゃんかな~? って行ってみたら美雪ちゃん、何度も譜面を確認してる様子で一人でピアノ弾いてたで?」
…………?
――どういう事だ、本当に。
「まさか美雪ちゃん、時間を意識しないままずっとピアノ弾いてたん? いや、いやいや、凄い熱心やん。うちも、その時はけっこうビックリしたよ? 美雪ちゃん、うちらの為に見えない所でこんなに頑張ってくれてるんやなぁ、って。背中を向けられてたから顔は見えなかったけど、随分と没頭しているみたいやったから、声をかけるのはやめておいたんよ」
それから希を呼ぶことりや花陽の声が聞こえ、それに応えてから彼女はスキップするように軽やかに走り出す。
「でも美雪ちゃん、頑張ってくれるんはほんまありがたい事やけど、無理はあかんで?」
横顔を見せてそう言い残し、希は二階の階段から伸びる廊下の奥へ進んでいった。
「……ははッ」
思わず、引き攣った頬を自覚しながらの乾いた笑い声が漏れてしまう。
「俺がピアノで伴奏していただと?」
喉から不自然な程までに震えた声が自分の耳を狂わせるような感覚だった。
自分の吐いた言葉に溺れてしまうような錯覚があった。
「十二時前には寝落ちしていたはずの俺が、深夜の三時にリビングに行ッてピアノを弾いていたと? 楽譜を見ながらッて事はつまりその時間帯にはすでに作曲の候補までは完成していたと……ッ?」
希の勘違いじゃないのか。
いや、後ろ姿で俺だと判断できたのはきっと髪色のせいだろう。メンバーに一人しかいないこの銀髪を、よりによって東條希というしっかり者が見間違えるはずがない。
だが、やはりそれは現実的にありえない。
ありえてはならない事なのだ。
「そもそもにおいて俺は、ピアノなンて弾けねェはずだッた訳だが」
そういえば今朝のベッドから起き上がった時、両手に備わる一〇本の指の先が妙にジンジンと痺れていた――。
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「それじゃ、間奏後のCメロまでの撮影は終えたって事ね」
確認するように絵里が問うと、俺はそれに頷いた。
――もう、ひとまず貯蔵されすぎて許容オーバーのメモリを越えた悩みの種はひとまず頭の隅へ追いやる事にした。
リビングに集まったメンバーは俺と絵里、真姫と海未の四人だった。
他のメンバーは前回の反省を活かせているのかどうかも分からないが、真姫との入れ替わりで希を加えた形で海と砂浜に駆けていった。今回は計画通りに進捗した撮影後という事で、絵里も海未も文句は言わなかったが。
「問題はこの後の、ラストのサビの部分をどうするかですね」
顎に手を添えた海未は苦悩に捻らせた表情をつくりながら言う。
また、俺もそれに頷いた。
「あァ。前のPV映像でも今回の歌のBメロまでも、海や砂浜を背景とした撮影はしつこい程に撮ッちまッたもンなァ」
「真姫の別荘の内装も派手な見栄えだったから撮影に取り込んでみたのは正解かもしれないけど、エンジンがフル稼働するようなラストパートに今までと同じ景色を背景にするっていうのもインパクトに欠けるからね……」
姿勢正しくソファに座る絵里の言葉に、またその場がシンとする。
つまり俺達のこの現状は、次のPV動画に上げる曲――『Mermaid festa』の終盤にあるサビの部分でどこの舞台を映そうか、という問題に困らされていた。
先程、俺が言ったように海や砂浜での踊りは撮影済みだし、絵里が言った別荘の中でメンバー同士がじゃれ合うというシーンもすでに撮ってしまっている。
さて、なら残っている撮影場所はどこか。
最後のサビなのだから雰囲気があって盛り上がる場所を選びたい。
だが道路を挟む海沿いの敷地に建てられた別荘から拝める風景はどうしても似たようなものだ。
「いッそ屋根の上にでも昇るか?」
「いけません、この屋敷の屋根は緩やかとはいえ三角屋根ですから、万が一に足を滑らせたりでもしたら大事故になりかねませんよ」
そう、俺の意見に海未が反対意見を出した直後に――。
「ねぇ」
今までその場にいながら口を閉ざし、何かをひたすら沈思黙考する様子で目を瞑っていた真姫がその口を開いた。
「一つ、良い場所があるんだけど」
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「ほえぇ~、たっか~い!」
「足下が気持ちいいにゃ~」
「ほ、穂乃果ちゃぁん……気を付けてねぇ?」
「り、凛ちゃんっ……あんまりはしゃいじゃ危ないよう……」
薄皮一枚ぎりぎり挟めるかという距離で隣に隔たるゴツゴツと表面が砕かれた岩に手を付き、俺達一〇人は各々の水着姿に着替え(俺は着替えてないが)、恐る恐ると言った風に横這いの体勢でカニのように両の足を前進させていた。
江戸城や安土城などではお馴染みの、敵方の侵入を防ぐ役割も備えてある垂直に構えた城壁のような巨大岩の壁は見上げると二〇メートル程はあるだろうか。
所々にコケやフジツボがこびり付いているその上には急斜面な坂を構えた道路になっている。
真上から聞こえる車やバイクのエンジン音と同時に、足下から膝下までは一定間隔で押し寄せられる白い波が打たれていた。
真姫に案内されるまま通されたこの道――なぜ横這いになってまで岩壁を沿うように歩いているのかと言えば、何やら打ち寄せられる海水の底に透けて見える細い道から一歩でも踏み外せば、高低差の常識を無視したような落差で溺れてしまうらしいからだ。
確かに、俺も眼下に視線を下ろしてみれば、自分の素足の乗った浅い海水に潜る岩肌七〇センチメートルを境に足場が見えない。
そのせいか、やはり心に渦巻く『もしも』の不安に、ことりや花陽が特に危なっかしい穂乃果と凛に心配そうな眼差しを向けている。
「こ、これなら別荘の屋根の上で踊っていた方が……安全だったのではないでしょうか……?」
一列に並んだ一〇人の最後尾を歩く俺の前にいた海未が若干だが怯えるように眉と頬をひくつかせて横顔を振り向き、震えた声でそう訴えかけてくる。
「か、風……この辺なんだか妙に強くない?」
不安定で信用しがたい足場に少し怖がっているのを悟られないようにする雰囲気が交えた声が、前方のにこから聞こえてきた。
「まぁ、しょうがないじゃない。真姫がここまでのリスクを負う価値がある程の光景を、私達に見せてくれるって言うんだから」
どうやら絵里は比較的平気そうだった。列の真ん中らへんを歩いている彼女の一つ後ろでは、さっきからずっとメンバー(主に花陽やことり、海未)を宥めるように希が声をかけていた。
「みんな平気ー? あとちょっとやから、もう少し頑張ろなー――っとと……」
内側向きに歩いているせいで岩肌に胸が当たってバランスを崩したらしい希が慌てるように体勢を立て直した。
なんだかんだ、この状況で最も危険なのは希と絵里かもしれないな。
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ポッカリと空いたその空洞の奥まで太陽の光は届いているようだった。
「ここよ、さぁ、入りましょ」
案内されたのは、あの断崖絶壁の岩壁を沿って歩くこと訳五分弱の所で見つけた――大きな洞窟だった。
「す、すごい……っ、入り口が恐竜のお口くらい大きい!!」
「テンションあっがるにゃー!!」
実際、それよりももっと巨大だろう。
波打つ海水が飲み込まれるように侵入していくその洞窟の入り口は岩壁をくりぬき、横も縦も直径八メートル程は越えていそうな広さだった。
それは、まるで神殿への入り口。
そもそも漫画やアニメなどではよくありがちだが、実際にその目で人工物ではない、自然の造形の雰囲気をした生々しい洞窟の入り口など滅多に目にしない。
初めてだろう光景に目を輝かせながら興奮している穂乃果や凛、前からご存知でいた真姫はともかく、他のメンバーは俺を含めてその圧倒的な存在感に感嘆の息を漏らした。
「ど、洞窟……こ、これもまさか、真姫ちゃん家の敷地内だって言うの!?」
「まさか、そんな訳ないでしょ? この洞窟の上は普通の一般道なのよ?」
にこがクワッ、と表情を赤くさせて怒鳴ると、真姫は呆れた口調でそう言った。
「さぁ、この先よ」
バシャバシャと、洞窟内にまで浸水している海水に小規模な水飛沫を飛ばしながら案内役は進む。
そんな彼女を穂乃果と凛が先頭に、他のメンバーも付いていった。
「ほわぁ~、雰囲気でとるんやなぁ……」
圧巻されたように感心しながら希が言うと、少し縮こまった様子で歩く花陽が、
「ち、ちょっと怖いかも……」
そうボソッと呟いた。
そう思ってしまうのもなんとなく分かる。
俺達はすでに洞窟内に入って数メートルしか進んでいないが、つま先の向く行く先の方向はどこまでも伸びているようで、まるで出口の見えないトンネル内の照明が故障した時のような、一寸先は闇という光景が広がっている。
救いだと感じるものは、入り口からの水面に射す輝く日光が反射して、中の方まで青く染まっているという事だろう。
「こ、コウモリとか……出てきそうだね」
「ひっ!? こ、コウモリ!? いけませんことり! 生き血を吸われてしまいます!!」
洞窟内は先程のように狭い足場ではないので、九人がまばらに散らばっていても余裕なスペースができる。
そしてどうやら洞窟内の足場は、波に削られて平坦と優しいものではなく、尖っていたり凹凸の激しいものだったので、俺も手に持っていたサンダルを両足に履いた。
「なんだか探検してるみたいでワクワクするにゃー!」
「ほんとだねー! 真姫ちゃん、この先に凄い光景があるんでしょ!?」
「まぁ、行けば分かるわよ」
ただ、と言ってから間をおき、真姫は歩きながら尻目に穂乃果と凛を見た。
「ほんとに凄い場所だから、期待を裏切らない事は証明するわ。まぁ、まだその場所が残っていたらだけど」
ふと、その発言に俺は怪訝顔をつくる。
「あ? お前、ここまで来て何もありませんでしたとかマジ勘弁してくれよ?」
こっちはただでさえクッソ熱い猛暑の太陽光を直射されながら岩肌に擦れる五分間を過ごしてきたんだからな。
「あたしもこの場所に来るのは小学生以来だから……、話したでしょ?」
「……そうだな」
真姫のフッ、と微笑んだ見返りの表情に、俺は思わず視線を逸らしながら応えた。
逸らした方向の視界に入ったのは、歩きずらそうにして呆れ顔を浮かべる希に、そんな彼女に抱き付く格好で寄り添っている絵里の姿だった。
「……暗いの怖いチカ」
「エリち……」
やがて――。
「――凄い、あの頃と全く同じだわ……。ほら、着いたわよ穂乃果、凛」
歩いて三分程しか経っていない地点で奥の闇から光が見えてきたと思ったら、真姫がそう言った。
全員が前方を見た。
すると――。
「―――ッッ」
俺も。
さっきまでうるさく飛び回っていた穂乃果も凛も。
他のメンバーも。
喉の奥で驚嘆の悲鳴を上げ、一瞬の光景に窒息する感覚で息を詰まらせた。
「――――――――――――………………え、なに…………コレ………………」
目の前の光景に、息を吹き返すにこが、震えた声で眼前を指さした。
決して何かに怯えて声を震わしたのではない。
何かの異物に恐懼してその身体が震動しているのではない。
俺の左胸の心臓も、決して認知したくない残虐な現実と悲惨な惨状に激しく打たれている訳ではない。
――ただ、興奮で高鳴っていた。
胸一杯にも許容しきれない感動に声が震えていた。
真っ暗な洞窟を進んだ先。
美しい所だ。
そこは幻想的な煌めきのある、夢幻的な世界。
足下には相変わらずの浅瀬の海水。
見上げて十五メートル程にまで至る岩壁の屋根の亀裂部分からは自然に湧出されるものなのか、潮の匂いが混じった水が継続的に落水してきている。
歩いて来た道の反対側、その斜め上に位置される岩肌に空いた細かな隙間から漏れる太陽光がその海水に反射し、まるで絵の具のような濃厚なマリンブルーに映している。
また横壁もそうだった。
所々に入った亀裂からマリンブルーの海水が細かく噴き出し、その岩壁を這うようにして流れ落ちている。
冷たい海水の浸る広大な大地からは歪で巨大な岩が何個も積み上げられたように聳え立つ、それはまるで古代ギリシャの彫刻作品のように芸術的で立派な岩石の柱がいくつもできていた。
これは自然物なのか人工物なのか分からないが、大地を砕いて伸びる異色とした深緑の、異様に身長が伸びた蔦がその聳え立つ連結された岩のタワーに巻き付いている。
またそれでいて、見回す限りの生い茂った緑の中には不思議と生き物の影は見当たらない。
また何より――。
眼前に突如として展開されたその光景のド真ん中にあるコケで覆われた古めかしい階段上――石組みでできた不規則で歪形をしている楕円形の輪っか――縦横の直径二メートル程の穴が出来ていて、その上底部分から絶える事なくそれでいて弱々しい断続的なリズムで、雨上がりの後に一枚の葉っぱの先から垂れる一滴が零れ落ちるように、玲瓏な雫を溢れさす岩の彫刻が目立っていた。
「命の営み――」
ボソッ、と。
野良猫一匹の気配もないその場所で呟いた希の言葉に、俺は呆気に取られて脳の神髄までもを魅了される程の光景にようやく目を離し、意識を取り戻した。
ここは――。
この土地――そこに付随するありとあらゆる目の前の神秘的な資産は全て西木野家の支配下にあるのだろうか。
「せ、世界遺産か、何かですか……?」
どこの角度からどの方位に向けても続く絶景を見上げ、己の視線を迷いに泳がせる海未がそう尋ねる。
「いえ、そんな登録はされていないわ。さっきも言ったけど、この場所は別にあたしの家が持っている土地の一部って訳じゃないから」
あくまで冷静に、素っ気なく真姫が口にする。
これでもか。
これほど生き生きと緑や水に煌めく命の恵みが溢れきるこの地が、何の称号も与えられていないと。
「何、よ……ここ――てか、この光景――」
「本当に……現実――?」
そう疑いたくなる程の光景は目の前に存在している。
足下に浸かる海水の冷たさも、あまりの身長に伸びきって傍らに垂れ下がった緑色の蔦の滑らかさも、中央の石段に構えられた石組みの彫刻から放たれる異様な雰囲気も、自分の肌がそれら全てが現実だと脳に訴えかけている。
「――――え?」
怪訝そうに震えた短い声に、俺と希は振り返った。
見ると、茫然自失と言ったようにその場で佇んでいるだけであったことりが、視界に収まりきらないその神殿の最下部の絶景を見上げたまま、見開かれる大きな瞳を涙で濡らしていた。
「あ、……あれ? な、何で……な、みだなんか――」
零すまいとして目元を腕で拭う彼女だが、その柔らかそうな頬にスーッ、と一筋の涙が伝い、顎の先から垂れ落ちた雫は足下に濡れる海水に小さな音を弾かせた。
最高に感極まった感情はすでに限界を突破していた。
眼前に広がる大自然と、見事なまでにそんな緑と調和される石積みの彫刻に何と言えば良いのか言葉は選べず、沈黙の代償は溢れる涙と変わったのだろう。
綺麗だ――素直にそう思える。
清濁の混じりがないこの営みは全ての漆黒とした濁流を飲み干し、心を清廉潔白なものに洗い流してくれるような気がした。
「……何だ――」
しかしまた、妙に胸騒ぎを熱くさせる違和感。
この場に立ち竦む前から――すでに、あの悪魔の口のような洞窟の入り口を目にした時から『それ』は心をくすぐっていた。
この、妙な既視感は――?
「ほんとに真姫ちゃん!? 本当にここでPVの撮影ができるの!?」
「進入禁止なんて立て看板もなかった訳だし、別に構わないんじゃない? じゃなきゃ、みんなをこんな所にまで連れて来ないわよ」
「にゃーっ! こ~んな神がかった場所まで知っているなんて、さっすが真姫ちゃんにゃ~っ!!」
「そ……そりゃ、このあたしにかかればこのくらい、別に普通でしょ!?」
美麗的神秘。
現実から非現実の――お伽噺の中にでてくるメルヘンチックな世界で大冒険をしている気分でいるのだろう。
穂乃果も凛も、二人に感謝される真姫も嬉しそうに笑顔を綻ばす。
「まぁ……確かにラストのサビのパートでこの場所を使えばかなりのインパクトと美しさを兼ね揃えたものを演出できるやろなぁ。……エリち、どう?」
いつまでも愕然としていた訳ではない、希は普段のケロッとした態度の口調に戻すと、そう絵里に尋ねる。
また絵里は神妙な顔つきでその場に立ち尽くし、目の前の魔法の奇蹟でもかけられたかのような絶景に目を奪われていた――――訳ではなく。
やや垂れ目の、水色に澄みきった瞳は落ち着き払っていて、それでいて妖艶な熱さを帯びる真っ赤な唇は三日月型に伸び、その頬に満面の笑みを浮かべる彼女は興奮するように両手を広げた。
「えぇ――最っ高よ」
さて、美雪ちゃん自身や彼女の周囲に不思議と集まってくる謎や悩みは増える一方ですね。
全てが解決される頃にはいったい何が残っているのやら――。
さて、今回の物語は前半に美雪ちゃんの記憶喪失? 誰が作詞作曲を? というお話でしたが、後半にはまた謎の、神秘的な場所を紹介しました。
どう描写表現したら読者様方にその美麗的神話の雰囲気が伝わるか、試行錯誤して僕なりに必死に描きました――いかがでしたでしょうか?
それでは次回もよろしくお願いします!