早くも第六章が後半突入です!
今回は水浦竜三と柊蒼太郎の物語です。
それではよろしくお願します!
深夜の二時を回った。
さすがに大都会だろうと車の通りは激しくない。
ここはラスベガスではないのだから人通りも極端に少なくなれば街も眠る。
水浦竜三はマンションのロビーを抜けてエレベーターで階を昇り、コンビニでまた買い込んだ天然水二〇〇ミリリットルのペットボトルの入ったレジ袋を片手に、部屋まで伸びる一直線の廊下を歩く。
不用心にも程があるが、彼の部屋のドアに鍵がかけられている事なんて滅多にない事だ。
ドアノブに手をかけてそれを倒し、ドアを開ける。
明かり一つ点いていない真っ暗な部屋。
廊下の奥でリビングに通じるドアが半開きになているが、そこからどうも何とも言えない慣れた臭いが漂ってくる。
「チッ……」
靴を脱ぎ、水浦竜三は廊下を渡ってリビングに入った。
「――うぅっ!?」
咄嗟に口元を手で押さえ、しかし思わずその耐えきれない今まで以上の部屋の異臭に呻くような声を上げてしまう。
その声に反応したのか。
脚の長い椅子に深く座りながらも、ガラス製のテーブルに突っ伏すようにしていた物体がモゾモゾと蠢いた。
口元に当てていた手を離し、水浦竜三は腕を伸ばして暗闇の中にある壁のスイッチを探す。
パチン、と。
音と共に部屋の電気が周囲全体を明るく照らし、テーブルから顔を離した物体をも鮮明に映し出す。
「……あら、タッちゃん。いつの間に帰ってたのぉ……?」
水浦凛虎〈みうらりんこ〉。
水浦竜三の実姉であり、現在では彼の保護者でもある。
そんな立ち位置にいるはずの彼女だが、どこのブランドだかは知らないが褐色色の肌面積のほとんどが隠せていない上と下の下着だけの姿で、何枚もの灰皿に積まれた煙草の吸い殻とビールの空き缶が散乱する部屋で、泥酔した混濁の意識の潤んだ瞳を向けている。
「……おい、いつもより酷かねぇか」
低く圧される声で水浦竜三は言う。
机の上だけではないのだ。
床やソファの上にもビールの空き缶に、煙草の吸い殻。
足場すらもろくに確保できないこの状況は、一歩間違えれば大火事に見舞われるはめになる。
それに付け加え、この異臭。
煙草から放出されるニコチンやタールの濃厚な煙と共に、男女の粘液が絡み合って時間を置いてしまったかのようなカビ臭いそれが鼻を刺激した。
「せめて喚起ぐらいしろって何回言えば分かんだよ」
そう文句を言いながら、水浦竜三はベランダに繋がる広い窓を全開に開け放つ。
気持ちの良い夜風が吹き込んでくるその空間で、水浦竜三は肺に取り込んでしまった不快な空気とを全て循環交換させるように大きく深呼吸をした。
「――さて」
水浦竜三は、毎日のように連鎖的に続く仕事のマンネリにうんざりとするサラリーマンのような表情を浮かべ、身を反転させる。
「おい姉貴、水買ってきてやったから飲め」
「う、うぅん……あんがとタッちゃん」
居酒屋で酔い潰れた面倒臭いOLの方がまだ良い寝顔をしているだろう。
鼻先、首筋までの金髪をボサボサに乱し、顔はメイクが崩れに崩れて何のこっちゃ分からない見た目だ。
コップにペットボトルの天然水を汲んで、テーブルの空き缶などをどかしたスペースにそれを置く。
「ありがとねぇ~タッくん」
酒にやられている真っ赤な顔で近づいた距離からそう言ってくる姉に、水浦竜三は不愉快極まりないと言った風に顔を顰める。
単純に、姉の口臭が再び強烈に鼻を攻撃してきたのだ。
「……今日、何人来たんだよ」
水浦竜三がそう質問する。
下着姿のまま酒を煽るように水を一気飲みする水浦凛虎は「プハァー」と息を吐いた後、何とか呂律がマシになった口調で言う。
「今日は……四人かな」
「お前、五人以上はいつも呼ばないよな」
「いや、さすがに五人も一斉に相手するのはさすがに体力もたないってぇ~。多分、腰砕けるし性器も裂けるね」
「四人同時に相手してる時点で凄ぇと思うわ。そこらのAV女優もおったまげだろ」
姉弟揃ってなんと下品な会話のやり取りだろうか。
すでにそんな光景も、彼らの中では何ら変わりない日常となっているのだ。
「あ、そうだタッちゃん」
「なんだよ」
「今日ま~たブラジャー一つ駄目にされちゃったからさぁ、また買ってきてくんない? なるべく派手でセクシーなやつね。カップサイズは分かるでしょ?」
「俺が何回テメェのお使いに行ってやってると思ってんだ。お陰であのランジェリーショップの店員に顔を覚えられた挙げ句、『いつものサイズでよろしいですか?』なんて言われたんだぞ」
「……ギャハッ、マジで? え、マジでそれ!? アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!! 何ソレ超ウケるんだけど!!」
「ウケねぇよ冗談じゃねぇ」
下着姿のまま大股を開き、良いスタイルの腹を抱えて大きな胸を揺らしながら爆笑する姉に弟は顔を覆ってしまいたくなる。
「おい、×××見えてんぞ」
「はっははは……え、マジ? うっそやだ~、タッくんたらお姉ちゃんの××××で欲情しちゃったの~?」
「馬鹿かテメェ。例えお前が俺の姉じゃなかったとしても、テメェ如きじゃ相手にしねぇっての」
そう言い捨て、水浦竜三は再び臭いのこびり付く身体を洗浄しようと開けた窓まで歩き、そこから一段下りてベランダに出た。
「……ふ~ん」
つまらなそうに、水浦凛虎は褐色に焼いた肌をポリポリと掻きながら欠伸を一つする。
「私はしたいかな~、タッくんとエッチ」
「……はぁ?」
背後からのふざけた言葉に、水浦竜三はベランダの手すりに背中をつける体勢を取るように振り向いた。
「またあの頃みたいにタッくんとラブラブしたいな~って、私は思ってるけど?」
そう言う姉は立ち上がっている。
両脚を伸ばしてふらつかずに立てている所から、どうやらそこまでの泥酔をしているようには見えない。
今度は、水浦竜三がつまらなそうに目を細めた。
「俺にだって選択の自由ぐらいはあるだろうが。誰が好き好んでテメェの真っ黒に汚れた×××を相手にするかよ」
「ん~? でも、今日誘った男達はそりゃもう貪るくらいに私の身体に夢中だったけどな~」
口元に指をかざして唇をなぞる。
片膝を曲げ、また片方の手で自信の脇腹をさすり、くびれを強調するように腰をくねらせる。
モデルのような動きだった。
ペロリと、上唇を舐めるように妖艶な舌を覗かせる。
目の前には血の繋がった姉。
しかし彼女は艶麗な女。
その誘惑に反抗するように、水浦竜三は鼻で笑い飛ばしてみせる。
「今のテメェの姿を親父やお袋に見せたら何て言われっか」
「別にいいじゃない、あんな奴らなんて。私達を捨てた人達だし」
「八割方お前のせいだったな」
「二割方はタッくんのせいでしょ?」
あぁ、そうだ……と。
水浦凛虎は思い出すように言う。
「私達の家庭にヒビが入った第一打って、何だったっけ?」
その言葉に、水浦竜三は目を見張った。
分かり易い反応にクスクスと笑う姉に、弟はいつもより激しい憤りを感じる。
「えっと、確か……私がタッくんに筆下ろしをしている場面を見られちゃった事だっけ」
細められた蠱惑的な紫色の瞳が弟を見透かすように輝く。
凄むような雰囲気が水浦竜三の肌に感じられた。
「ねぇ、タッくん?」
いつの間に歩いていたのか。
いつの間に脚を動かしていたのか。
とうとう、姉の素足はベランダの汚れた床を踏む所まで来ていた。
「私って、タッくんと初めてセックスをした女でしょ?」
姉の細い指が弟の顎を撫でる。
数本の指先で捕まえられたかと思うと、その顎をクイと持ち上げられた。
「ねぇ、タッくん?」
身体をさらに接近させられる。
小さな下着に包まれた姉の豊満な双方の胸が、弟の鍛えられた胸元に押し付けられるように当たり、形を変えた。
水浦竜三の両脚の間に、水浦凛虎の濃艶な太股が滑り込み、彼の股間を刺激する。
「ほら……タッくんの×××××も、もういけるんじゃない?」
すでに姉は弟に抱き付く体勢になるまでの距離にいた。
いや、二人の身体の間に距離なんてものは存在しないかのように密着している。
男と女。
一人は私服で一人は下着姿。
しかしそれは姉と弟。
近親相姦なんて言葉に対するイメージも偏見も端から崩壊させている二人は子供の頃の話だった。
今ではもう大人と言える。
幼い頃には分からなかった常識も今では心得ているつもりでいた。
色香のある水浦凛虎の唇が水浦竜三の首筋をなぞり、性的興奮を催されるような甘く、ほんのり酒の臭いの混じった吐息がかけられる。
劣情を抱かせるような女の誘惑的な表情が目の前にあり、優艶で肉感的な身体が自分に触れている。
水浦竜三は婀娜っぽい姉の姿に、彼女の腰に両手を回してしまいそうになるのを堪えるので精一杯だった。
前にも言ったが、水浦竜三は姉の水浦凛虎が大嫌いだ。
学校にも行かなければバイトにも就かず、酒と煙草を覚えてはそれに溺れ、毎晩のように男を誘惑して持ち帰っては金を支払わせて身体を売る。
女として姉はクズだと思っていた。
人間として最低なカス野郎だと思っている。
だが――。
「タッくん……」
そこで働いてしまうのが男としての――太古の昔にいた猿人から現在に至るまでに進化してきた人間の本能である。
「お姉ちゃんの柔らかい身体を好きなだけ触って……お姉ちゃんのおっぱいを満足するまでしゃぶって……お姉ちゃんの口で×××××舐めてもらって……お姉ちゃんの××××で好きなだけズコバコして――――気持ちよくなろ?」
……実際。
水浦姉弟が一緒のマンションの部屋で住むようになってから、姉が今のように本気で弟を誘ってきたのは初めてであった。
ただの物欲か。
それともからかっているのか。
弟の身体を抱きながら嫣然と彼の顔を見つめ、幾人もの男に対して使用してきた淫らな唇を近づけさせる。
なんとも卑猥で。
とんでもなく猥褻な。
どうしようもない淫猥な姿。
まず男なら拒まないだろう。
姉の水浦凛虎は容赦なく迫る。
今夜は本気なのだと理解できる。
さて、
水浦竜三の判断は――。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
柊蒼太郎。
自称、夜伽ノ美雪の夫。
彼の事をよく知る人物であれば、柊蒼太郎という人間がいかに狂っていて、変態的で、愛情表現というものをとことん間違って覚えている人間なのだという事をお分かりだろう。
ストーカー行為。
猥褻行為。
物品盗難行為(主に夜伽ノ美雪の私物)。
数々の犯罪を犯してはいるが、特定された被害者である夜伽ノ美雪が法に訴えない限りは捕まらないだろう。
彼は現行犯で捕まるようなそこらの大間抜け野郎とはレベルが違う(現行犯で殴られないとは言ってない)。
大学では女性に人気で評判が良いらしいが、それはあくまで柊蒼太郎がその顔に仮面を被せているからだ。
自分は他人に興味はない。
自分が見ているのはこの世でただ一人――夜伽ノ美雪のみ。
変態だろう。
気持ちが悪いだろう。
もはや吐き気を催すレベルだろう。
しかし、
そんな彼でも――。
「ありがとうございましたっ!」
時にはこうして全身を伸ばしたまま九〇度の角度で丁寧にお辞儀をし、尊敬と感謝の念が込められた言葉を人に言う事もある。
「四年っつぅブランクがあるもんだから多少はやはり腕になまりが見られたが、それでもまだまだ現役でいけるぜ、ソウよ」
彼の事を『ソウ』というニックネームで呼ぶ三〇代後半ぐらいの、広い肩幅にがっしりとした体付きの髭の濃い男性はトレーナーだ。
空手の胴着に袖を通す二人は施設に設けられた空手道場の中央スペースで向かい合い、先程までは二人で組み合っていた所であった。
「先生、今日は僕の急な呼び出しに応じてくれて、本当にありがとうございます」
頭皮からとめどなく溢れ出る洪水のような汗に全身をビチョビチョにして臭わせる柊蒼太郎の姿なぞ、それは夜伽ノ美雪でさえ目にした事がないだろう。
練習後だというのにまだ威勢の良い声で喋る柊蒼太郎の表情は、疲労しきっていながらも真剣そのものだった。
「……なんか、久しぶりにお前のその表情を見た気がするぜ」
トレーナーの男性は毛深く丸太のように太い腕を組み、ニヤリと不敵に笑ってみせる。
「空手をやめてからお前が見せる表情ってのはいつも……そうだな、どこか気持ちの悪い不気味な笑顔ばっかりだった」
「ひ、酷いですね」
空手の際と言えど、彼は眼鏡を外そうとはしない。
眼鏡の縁をクイと持ち上げて、柊蒼太郎は肩で息をしながら、長い前髪の先から汗を滴らせながら言う。
「しかしどうしたってんだ、ソウ。確かにいきなりだったが、お前から空手の組み合いに付き合ってくれだなんてよぉ」
不思議そうな調子を交えてトレーナーが訪ねる。
トレーナーが覚えている限りでは、確か最後に柊蒼太郎と手を合わせたのは二年前ぐらいであった気がする。
道場を卒業した彼とはたまに焼き肉やラーメンなどの飯を食いにいく仲ではあったが、一度として柊蒼太郎の方から手合わせを願い出てきた事はなかったように思えた。
リング枠の端に置かれたタオルを拾い上げ、柊蒼太郎は額の汗を拭う。
蒸した空気を逃がすために、胴着の胸元をパタパタと仰いだ。
「いえ、特にこれと言った理由は……。ただ久しぶりに空手をしてみたい、そんな気がしたんですよ」
髪を掻き上げ、汗まみれの顔でも爽やかなイメージを忘れさせない柊蒼太郎の表情。
いったいどれだけの女がその仮面に騙されて心を撃ち抜かれてきた事か。
無論、彼が大学で女性にモテる原因は何も爽快なルックスだけでなく、その限界を知らない学力も秘訣の一部だろうが。
「そうかい。まあ、俺も久々に汗のかける相手とやり合えたから良かったけどよ」
「……いい時間ですね。飯にでも行きましょう、お礼に奢りますよ」
「ったりめぇだろう!」
随分と嬉しそうに頷くトレーナー。
彼はたくましい男という見かけだが、意外にもまだ独身で奥さんも子供もいないのだ。
「……トレーナー」
「おん?」
「多分ですが、近いうちにまた機会をいただいてよろしいでしょうか?」
柊蒼太郎の言葉に、トレーナーは「おいおい」と、本当に驚いたような表情を浮かべる。
「マジに珍しいな。どうした、お前。もし大会に出る気があるならエントリーが必要だし、大学側にも届け出をしなくちゃならん。早いうちに――」
「いえ、そうではないのです」
柊蒼太郎は首を横に振る。
また、彼はズレてもいない眼鏡の位置を直す仕草を取った。
「……何かあったのか? 最近ストレス溜まったりしてんのか? まあそりゃあの名門大学のトップを飾るお前にはプレッシャーっつうもんがかなり――」
「そうでもありませんよ」
また、柊蒼太郎は首を振った。
トレーナーはお手上げだと言うように両手を上げる。
「んじゃ、何だよ? 念のための護身術でも身に付けていたいのか? お前、どこかの裏組織に狙われてんのか?」
冗談めかして笑うトレーナーに、柊蒼太郎はタオルを投げ捨てて彼に視線を合わせる。
「いいえ。僕自身のためではありません」
なぜ、その態度を思い人に見せてやれないのか。
柊蒼太郎はあくまで清爽に言う。
「強いて言うのなら……僕にとって世界の全てより大事な女性を、悪の輩から守るためですよ」
今回も僕の作品を読んでくださりありがとうございます!
前回とは違って短めでした。
またお気づきになられたと思いますが、物語の中に一部不適切な表現描写を載せたためそこは修正をかけておきました(笑)
それでは次話は第六章、早くも最終回です!
次回もよろしくお願いします!