今回は少し、長いです。
「美雪ちゃん、何か悩んどるん?」
真昼の屋上。
練習も一段落し、影のある場所で全員が昼食を取っている時だった。
缶コーヒーを口にする俺に、希がズイと身を寄せて訊いてくる。
前から何か、物事を察する能力がある奴だとは思っていたが、今回もやはりそうだった。
「別に、特に何もねェよ」
「今日、お休みしてる凛ちゃんと何か関係があるんと違う?」
「ッ……」
鋭い。
嫌な所だ。
昨日の今日という事もあってか、練習に凛の姿はなかった。
熱っぽいから休む。
その連絡は花陽のみに行っていたようだった。
「凛ちゃん、大丈夫かなぁ」
俺と希の間に顔を出してくる穂乃果も、心配そうな表情を見せている。
「少し、練習が厳しかったのかな?」
「でも、凛は誰よりも体力に自信があったはずよ。夏バテって訳でもないでしょうし」
「ですが、誰にも熱中症というものは起こり得るものですからね。皆さんも水分補給には抜かりなく、倒れないよう十分に気を引き締めましょう」
海未の適確な指示に、全員が暑さに参ったような、気の抜けた返事をする。
本当に、その可能性も危ないんだがな。
「ま、凛の事だから、明日になれば何事もなかったように復活してるわよ。いつもみたく、鬱陶しい程の明るさでね」
そう言う真姫も、今日はやけに赤い髪の毛を指先で弄りすぎている。
同学年という事もあって、やはり心配は心配なのだろう。
「……コーヒー切れた。買ッてくる」
「あ、いってら~」
この猛暑日でも楽観するような希の声を背中に受けながら立ち上がり、俺は屋上の入り口から階段の踊り場に出た。
結局、あれからは何もしなかった。
階段を降りながら考える。
長袖長ズボンのジャージに、今日は異常に汗ばんでいるのが感じられる。
とりあえず、タイムラインに掲載した凛の動画は削除しておいた。
先程の希の態度からして、あいつならきっと何かしら調査をしてくるだろうと思い、それは正解だったと感じる。
だが当面の問題はさらに深刻化した。
全ては俺の思い違い。
自惚れた結果のどん底状態。
「はッ……。何が人の心理については理解しているつもり、だよ、この馬鹿が」
妙に後頭部が痛い。
そこを乱暴に掻きながら、舌打ちをする。
「もう少し考えれば簡単に分かるはずだッた。結局、俺は昨日、何をした。ただ凛の心の傷を、さらに深めただけじゃねェのか」
その思いは、やはり後悔。
悔しかった。
情けなかった。
マネージャーとして迎え入れられ、他人から頼られて、なのに部員の一人の心のケアもしてやれなかった。
そうじゃない。
自分には見抜ける能力があると思っていた。
心を掴み取れる何かがあると思っていた。
とんだ自惚れだ。
過剰な自信は破滅に繋がる――そんな事にさえ気づけなかった。
アダム・スミス。
マザー・テレサ。
様々な偉人の言葉に耳を傾ける事が、気づかない間に一つの趣味になっていた。
だから今までもそれを参考にしてきた節もあったし、実際に役に立てた。
引用するだけで、何かが閃いた。
それは必ず正解だった。
今回は違った。
俺は間違えた。
メンバーの中で、凛とは特に打ち解けられている。
今となっては、そう思っていた自分がただ恥ずかしい。
打ち解けるとは何だ。
ただ仲良くお喋りして、飯を食いに行くぐらいの仲になる事を言うのか。
違うだろう。
俺でも理解できる。
「何も分かッてなかッたッて事だよなァ、つまりは」
しばらく歩き、俺はいつも利用する自動販売機がある渡り廊下ではなく、中庭の花壇へと続く廊下へと渡る。
「……あッちィ、マジで溶ける」
これだから、夏は嫌いだ。
暑いし、虫が出る。
かと言って冬が好きな訳ではない。
寒いし、身体が動かなくなる。
極端なものは苦手だった。
今までの俺は常に、中途半端に生きてきた。
μ'sに加入する前のあの頃。
知り合いなんてろくにいなくて、いつも家では一人で飯を食って、一人で寝る。
たまに水浦竜三や、望んでいないが柊蒼太郎が訪問してくるぐらい。
朝遅く起きて、学校には遅刻や無断欠席。
それでよく絢瀬絵里に説教を受けていた。
飯はコンビニ弁当か、缶コーヒーだけという時もあった。
風呂にだって数日間、入らなかった事さえある。
けれど、たまに料理はする。
さっきにように、家に訪問する奴が来れば、料理を振る舞ってやる。
掃除だって一応はするし、風呂だって沸かす。
基本的に他人の家にお邪魔する事がなかった俺は、いつも家主としての立場だった。
今ではたまに、統堂英玲奈だって顔を出してくる。
普段はやらない。
たまに、やる。
そんな中途半端な生活は、高校を卒業してからも続くんだろうな、なんて思った事もある。
μ'sに入ってから、やはり変わった。
夏バテを避けるよう、健康に気を使った料理を作るのが少し多くなった。
衛生面を気にし、シャワーだけでなく、風呂で身体を洗い、湯船に浸かるようにした。
日頃の練習でも、気を抜いているつもりはない。
だらしない顔をしていると、たまににこから言われたりもするが、それは元々の顔の作り。
しっかりするようになった、と。
自分でも、今までの順調な日々にそう思えるようになった。
「極端ッて程でもないが、上手くはいッてたよなァ」
そこで浮上してくる、園田海未との確執。
南ことりの悩み。
俺が手を加えたものはほんの一部だが、それでも解決してきた。
俺が提案した方策も影響して、μ'sの順位もランキングの上位に達するまでに至った。
今も、水浦竜三との冷戦の問題があるが……。
心のどこかで、その問題もすぐに解消できると感じていた。
それだけに。
それほど自惚れていた故に。
初めての失敗は痛かった。
後悔の波は簡単に俺の全身を呑み込んだ。
「……」
花壇から少し離れた所に、三つ並んだ蛇口がある。
多分、これにホースを取り付けて、花壇に水を撒いているのだろう。
普通の水道の水と勢いは変わらない。
それを両手いっぱいに注ぎ、冷たい水分を顔に浴びさせる。
「――プハッ」
ひんやりとした気持ちの良い水の冷たさが、顔全体を覆う。
それを二度、三度と繰り返した。
「……やッぱ暑い」
ファスナーを下ろし、長袖のジャージを脱ぐ。
下に着ていた黒のアンダーシャツも、汗で張り付く肌から脱がした。
直接素肌が陽射しに焼かれるが、蒸し暑かった蒸気から解放されたような軽やかさを上半身に感じる。
「ここにいたのね、美雪」
ふと、横から名前を呼ばれた。
濡れた水滴でぼやけた視界でも、すぐにその人物が分かる。
「あァ、にこか……」
「なぁに変に落ち込んだ声出して――ってうわぁぁあああああああああああああっっ!? あ、あんた!? な、なな、何て格好してんのよぉ!?」
「……は?」
「が、学校の敷地内だからッて、そ、外に変わりはないのよ!? ジャージはどうしたのよジャージは!!」
「いや、そこ」
なぜか変に慌てるにこの言動に怪訝と思いながらも、蛇口が取り付けられてある石造りの壁の上にかかるジャージを指さす。
「すぐに着なさい! ほら早く!」
急に俺の元へ接近してきたにこは、俺のジャージを広げると背中に覆い被せてくる。
「外で上半身裸になってるとか馬っ鹿じゃないの!?」
「いや、スポーツブラしてッから裸ではねェよ」
前に一度、希にブラジャーは付けないのかと問われた事がある。
別になくても気にしないのだが、最近はランニングなど軽い運動は付き合わされる身になってから、何かと下着が必要となったのだ。
……不本意だがなぁ。
「下着丸出しでいてもよっぽどおかしいわよ! なに!? あんたもしかして痴女!?」
「さッきから何をトンチンカンなこと口走ッてやがンですかァ、このおちびさンは」
にこの、赤をベースにした色合いの練習着が、俺の顔から垂れる水滴で濡れるのが見えた。
一旦、俺はにこから距離を取ると、従うようにジャージの上に袖を通す。
「いや、前もちゃんと閉じなさいよ! ブラジャー丸見えだからね!?」
「俺がそんな事を気にするような――」
「気にしなさいよぉぉぉおおおおおおおおお!! 仮にもアイドル部のマネージャー――ってか女の子なんだからぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」
狂ったように叫ぶにこに、その姿が面白くて、フッと口元を緩めてしまう。
こいつは、昨日にあんな事があってもこんなに五月蠅くできるのか。
気にしていないなんて事はないだろう。
だが、その辺は凄いと言っていいのかどうか、今の俺にはよく分からない。
「ン……」
ふと視線を足下に向けると、一つの青いバケツが目に入った。
多分、どこかの部活が利用してそのまま置き忘れていったのか……。
「ちょ、あんた、何してんのよ?」
バケツを拾い、蛇口を捻り、一杯になるまで水を勢い良く注ぎ込んでいる俺の行動に、にこは疑問を持ったように言う。
バケツの中の八割方、水道水が溜まった。
それを両手で持ち上げ――、
自分の頭上でそれを逆さしに、思いきり水を全身に被る。
「いや本格的に何してる訳あんたさぁ!?」
そんな大声で突っ込むのも疲れるだろう。
俺も、髪の毛からジャージ、下着まで全身がびしょ濡れとなった。
一つ。
髪留めを外し、両目を隠すほど長く垂れ下がった前髪を上げ、俺は短く言う。
「頭を冷やしただけだ」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
練習の後、俺とにこと花陽の三人はまた集まり、学生の賑わうとあるファミレスに寄っていた。
昨日と同じ時間ではなく、早めに切り上げた練習の後の午後の五時。
夏のこの時期では、まだ外は明るかった。
「そっか。そんな事が……」
並んで座る俺達の話を聞き、向かいの席にいる花陽は俯いてしまう。
もともと、悪いのは大きな勘違いをしていた俺だ。
花陽には何の罪もないはずなのに、それでも彼女は悔しそうに、正座をする膝の上で拳を固めているのが分かった。
「すまない、花陽」
まず、謝ろうと。
期待に添えず悪かったと。
そう思っていた。
「にこからも、ごめん。あんな大見得切ったのに、結局は凛を泣かせる事しかできなかったわ……。先輩、失格よ……っ」
にこも、悔しがっている。
ここにいる三人、全員がそうだ。
俺のはつまらない勘違い。
にこは力不足を気にしていたか。
花陽は、幼馴染みの力にまったくなれていない事を悔やんでいると口にしていた。
「それで美雪。結局、あんたの言う『勘違い』ってのは、何だったのよ」
飲み物を飲んでからひとまず落ち着いた後、にこがそう言う。
「あァ。すげェつまらないケアレスミスだッた。本分にまるまる答えが掲載されていて、おまけに選択肢が二つしかないのにも関わらず、存在しない三番目の答えを選ンじまッたッてぐらいのなァ」
それに、にこはやはり分からない様子で首を傾げる。
花陽は――。
俺達から昨日の一連の流れ、また俺が凛に対してどう思っていたのかを聞いた、彼女の幼馴染みは、何かを察しているように、また悲しげな顔を作る。
俺は続けた。
「にこ。タイムラインを利用した作戦をお前に話す前、俺は凛の事を、『昔の嫌な思い出なんて気にしていない。あいつは今でも可愛くあろうと願ッている』と、そう考えを述べたよな」
「そうね。自分にわずかな自信を残しているから、カメラの前に躍り出て目立とうとする。その考えに賛成したから、美雪の作戦に乗った訳だし」
「だが、実際には違ッたンだ」
今では、こうハッキリ言える。
考えを改め直した俺の言葉に、にこはポカンと口を開けた。
「……違った? どういう事よ」
「そのままの意味だ。凛は、昔の思い出を忘れてなンかいない。今でもそれはあいつの心に、トラウマとなッて残ッているはずなンだよ」
それが、俺の推測。
間違っても、推理ではない。
俺が推理した箇所は別にある。
「昨日の結果を見ちまッた以上、もうそう考えるしかない。それにそッちの方が、よく考えれば辻褄ッてもンが合う」
「辻褄が合う……? どういう事よ、はっきりと言って」
にこも難しい表情になる。
花陽も、俺の言葉を静かに待っている姿勢を見せた。
「あの後、にこに言ッたよな。俺が凛に対して、昔の思い出を大して気に留めていないと考えた、その理由を」
「えぇ、確かに聞いたわよ」
俺が凛に、お前がスカートを穿いてきた昔の日の事を花陽から聞いた、と言った時の事だ。
あぁ、そう言えばそんな事もあったな。
そう言わんばかりの表情が窺えたからだ。
「だが、凛は実際にはそンな事、思ッてなかッた。『そんな事もされていたな』ッつゥ、トラウマの片鱗を思い出した表情だッたはずだ」
「何でそんな事が言えるのよ、根拠は?」
「だからこれは俺の推測だ。だが正しいと思える。俺達が思ッていたより、あいつの過去は酷く暗いものだッたッて訳だ」
あくまで推測。
説明するための証拠なんてものはない。
「そ、それって、つまり……」
怯えるように肩と声を震わせ、俺を見つめる花陽。
今の俺の発言は、花陽には相当堪えただろう。
何せ、彼女の幼馴染みだ。
ずっと隣にいたと思っていた奴だ。
その分、俺の推測は間違いであると必死に願っている事だろう。
「わ、わたしの知らない所で、凛ちゃんは……ずっと、あの時と同じような思いをさせられてきたって、こと……?」
恐らくは、そうだ。
推測に過ぎないが。
それも可能性の一つだ。
かと言って、俺が用意した解答はこの一つ。
悪いが、二つめはないんだ。
「……仮に」
俺の隣で、にこが呟く。
「仮に、美雪の推測が正しかったとしても、凛にそれを確かめなくちゃどうしようもないし、話してくれる保証もないじゃない。解決策を練った所でまた勘違いでしたってオチかもしれない。結局、凛の抱える問題は分からずじまい。八方塞がりよ」
言う通りだろう。
おまけに、俺の推測に対する凛への心のケアという方法も思いつかない。
俺の考えが正しかったとしても、一度逃げ出してしまった凛が再び、話を聞いてくれるかどうかも分からない。
もし間違っていたら、なんて考えると、また寒気がしてくる。
これ以上の亀裂が入るのはまずい。
だが、放ってもおけないだろう。
「……わたし」
ふと。
花陽が顔を上げて言う。
「わたし、今日、凛ちゃんに会いに行ってみます」
俺も、にこも。
その言葉に引き寄せられ、縋るように、花陽を見た。
「昔の辛い思い出なんて、話してくれるかどうか分からないけど……それでも、わたしは会いに行ってみます」
やはり声が震えている。
視線は俺達と交差しているものの、微かに揺らいでいる。
「わたしっ……、わたしは……」
しかし、声に力が込められた。
それが、感じられる。
「ずっと一緒に、隣に並んで歩いてきたつもりだったのに――、美雪ちゃんの予想が的を得ていたら、わたしは、凛ちゃんの事を全然見れていなかったって事になってしまいます……」
幼馴染み。
小さい頃からずっと一緒に育ち、小中学と経て、高校までお互いの変化する顔立ちを確認し合いながら成長してきた関係。
穂乃果や海未と、ことりの三人がそうだと聞いた。
この花陽と、凛も同じ。
ずっと一緒に育ってきたんだから。
隣同士で歩き続けてきたんだから。
相手の事はなんでも分かる。
相手の顔をずっと見てきた。
しかし、それは――。
「花陽、それは――」
「それは傲慢よ、花陽」
俺と同意見の。
にこが先を越した。
「え……?」
花陽も、急な事で言葉が出なかっただろう。
だが容赦なく、にこは続けるつもりだ。
「幼馴染みだから、親友だからっていうのは、相手の全てを分かっている理由になんてならないわよ。自分が相手の一から一〇までを把握しているんだと思っている人間がいるのなら、それは相当な自惚れ家か単細胞の大馬鹿だけよ」
そうだ。
長年寄り添い合っているからと言って、相手の事情や心理を余すことなく掴み取れる訳ではない。
誰にだって分からない事はある。
誰にだって隠し事ぐらいはある。
どうしても知られたくない一面は、どんなに大切な人を相手にしようと必死で隠し通そうとする。
それが、不完全で生まれた人間らしい考え方だ。
「理解できないものがあって当然。知られたくない秘密があって当たり前。それが人間なのよ。いくら純粋無垢な凛だからって、そこの線引きはきっちりできているはず。いじめられていたり、辛い過去を持っている子であったなら、それは尚更よ」
フランスの有名な精神科医が、こんな言葉を残している。
『理解しようと探ることは間違いではない。しかし、理解できないことが悪いことであるというのは、間違いである』
にこの言葉はまさにそれだ。
俺も、それには賛成だった。
中学からの付き合いである水浦竜三の事だって、俺には分からないものがある。
また、俺にも幼馴染みがいる。
統堂英玲奈。
だが俺の方が昔の記憶を失っているため、彼女の理解できていない所なんて、きっと多い事だろう。
「……けど、まぁ――」
そう言って肩の力を抜くように背もたれに寄り掛かるにこは、微笑みを見せる。
「あんたが勇気を出して、凛に会いに行くって言うのなら、それは立派な事よ、花陽」
そうだろう。
俺達は失敗した。
凛について無知であった故に、ハッピーエンドへと導けなかった。
理解できていない面がある。
見させてくれない顔がある。
それでも、やはり『幼馴染み』という存在なら、きっと――。
そんな思いが、にこにあったのだろう。
しかし、そこで――。
新たな展開が待ち受けていた。
「――あれ? お前、小泉じゃね?」
ーーーーーーーーーーーーーーー
その男は、どうやら彼女達と同じ高校生らしい。
三人共が見覚えのある、付近の高校の制服を着ていた。
「うわ、やっぱり小泉じゃん! ひっさしぶり~。俺のこと覚えてっか? 中学の頃で一緒だったけどよ――って、小学校から同じで、しかもまだ中学を卒業して一年も経ってねぇんだから、忘れたとかはなしだぜ?」
どうやら数人の友達グループと、このファミレスに訪れたらしい。
友人が知人を発見した事を察したのか、彼の連れである他の数人は先に席へと向かって行った。
また、この男子高校生を目にして――。
小泉花陽は、顔を青くした。
それだけではない。
震えている。
何か、大きな恐怖と対峙してしまったように、縮み上がっているという表現が正しいだろうか。
「ぁ……、あ……っ」
思うように声が出ないらしい。
何かを言わなければならない場面で、息が喉の奥で突っかかっている。
しかし、彼女の席の隣に立つ男子高校生は、特に恐怖を感じさせる顔立ちではない。
短く切り揃えられた黒髪に、身長も平均的だ。
声も特別低いと言った訳ではなく、第一印象では悪いイメージを与えない外見だった。
「あれ? 小泉、お前……いつもはあの星空凛と一緒だったのに、今日は違うのかよ? お前ら二人仲良く、同じ音ノ木坂に行ったんだよな?」
だが、どうもニヤつくその笑顔が気持ち悪いと。
横目で見上げる矢澤にこは、そんな印象を持った。
「何だよ~。小泉に会えたんなら、星空にも会えると思ったけどな~。あいつ、今でも制服のスカート穿いてんだろ? いやぁ笑ったよな、中学に上がってからの星空の格好とかさぁ。みんなで笑ってさぁ、あぁやば、これ何か懐かしくね?」
そしてとうとう、彼は核心的な部分に触れた。
小泉花陽は、恐懼したまま顔を背け、矢澤にこの顔つきが変化した。
「あいつ、小学校じゃずっとズボンだったのに、中学じゃ制服のスカートだもんなぁ。あいつが女の格好をするだけでも面白いのに、あの頃はみんなで『女装だ』やら『変態だ』とかで馬鹿騒ぎだったもんなぁ。高校いってからこっちつまんなくてさぁ。楽しかった中学時代に戻りて~、なんてな」
自分の事を言われている訳ではない。
分かっている。
だが。
それでも、小泉花陽の目に、涙が浮かぶ。
下唇を噛んで必死に耐えているようだが、早くも限界が来ている。
(まさかこいつ、花陽が話してた、小学時代の凛を――)
矢澤にこは直感し、また、間違いないと確信する。
出会い頭でここまで人の友達を貶せる人間が、どこにいるか。
両手をテーブルに叩き付けた所で、彼はようやく矢澤にこの存在に気づいたようだった。
「……謝りなさい」
「……は?」
「っ――。今すぐ、ここにいない凛と、凛の親友の花陽と、それと凛の仲間の私達に謝りなさいっ!」
場所は学生やら社会人やらで賑わうファミレスだが、気にしていられなかった。
小さな体からの大きな声に、店内がシンと静まり返る。
彼の連れである数人のメンバーも、こちらに視線を向けていた。
また、その状況に困惑の色を浮かべたのは男子高生の方だった。
「お、おい……君、そんな大声で――」
「関係ないわよ!! こっちはねぇ! 自分の親友を馬鹿にされたのよ!? 目の前で! 許せるわけないじゃない!! 凛の事を何も知りもしない癖に、好き勝手ほざいてんじゃないわよっ!!」
アイドルらしからぬ言葉だった。
それほど、怒っていた。
小泉花陽にとって、星空凛は大事な親友だ。
矢澤にこにとっても彼女は親友であり、ようやく現れた、信頼できる可愛い後輩。
「っ……、何だよ、星空の友達かよ。へっ、あんな男みたいな奴と、よく仲良くできるよな、あんたも」
矢澤にこの気迫に圧されているようだったが。
それでもその男は、抵抗するようにほくそ笑んでそう言い捨てた。
「ッ――あんた、ねぇっ!!」
矢澤にこも、少し堪忍袋の緒が細い。
過去に、かつて存在したメンバーとも取っ組み合いになった経験がある。
その男に掴みかかろうとした。
席を立った勢いのまま両手を伸ばす、その直後――。
ゴギャアッ――!!
嫌な音と共に、矢澤にこの目の前にあった男子高生の顔が思いきり回転しながら、身体ごと吹っ飛ばされた。
男は声も上げられず、店内には悲鳴が響いた。
途端、店員達がその場を沈めようと必死になる。
男子高生の連れの数人グループは、真っ青な顔をしながら急いで店内から出て行った。
「……美雪、あんた」
「あ、……み、美雪、ちゃん……?」
彼女も、我慢ができなかった。
自然と沸き上がる沸騰した熱が、身体を動かしていた。
学校指定のジャージの上のファスナーを下げ、下に黒のアンダーシャツを見せている、夜伽ノ美雪。
左脚を高く上げている事から、その靴底で蹴り上げたのだろう。
脚を下ろし、その場に立ち尽くす彼女の赤い瞳は、冷気を感じさせるほど鋭く、数メートル先に倒れ込んだ男を見下ろしていた。
「……チッ、」
その舌打ちは、何を意味したのか。
何が気に食わなかったのか。
彼女は最後まで、何も喋ろうとはしなかった――。
美雪、とうとう公衆の面前で暴行事件を起こしてしまいました。
たまに、甲子園出場の実力を持つ高校の野球部の中で、一人が事件を起こし、大会への出場を辞退するといった例を見ます。
さて、どうなる事やら……。
次話もよろしくお願いします――。