さて、前話で急にアクションモードに巻き込まれた夜伽ノ美雪ですが――
ケーキナイフを持った俺。
ジャンビーヤを扱う金髪メイド。
対峙してみて、改めて分かる。
相手から漂う、顔を覆いたくなってしまうような恐ろしい殺気と、膨大な敵意。
真夏の今日も長袖長ズボンを決め込んだ俺が、上にもう一枚重ね着したくなるほどの冷たい空気。
まるで、彼女に近づけばそれだけで切り裂かれるような。
相手の武器と瞳に、鋭利な恐怖と冷酷さを感じた。
非常にまずい。
俺は直感する。
今まで、男相手の喧嘩だろうと、物怖じしたり腰が引けたりなんてことは、一度たりともなかった。
どんなに強靱な肉体を持った相手だろうと、卑怯な複数人相手に襲いかかられようと、負ける気なんて全くなかった。
今は――。
勝てないかもしれない。
素直に、そう諦めかけている。
「……どうして俺を狙ッた」
質問を飛ばす。
刺激を与えないよう、注意を払いながら。
しかし、返事は返ってこない。
獲物を捉えた野生の獣の瞳が、真っ直ぐ俺を見つめている。
そもそも、なぜ目の前の女は、ここにいる。
明らかに、UTX学院といったお嬢様学校が、メイドとして雇ってくれるような人種ではない。
「ナイフ捌きも、間違いなくプロの腕前だよなァ。素人の動きじゃなかッた。どこかで訓練されたのか。それとも、UTXで働くメイドッてのは全員がお前みたいな奴なのか」
この女は先程、確かに俺を、殺そうとまでした。
殺す気がなければ、あのように顔や心臓部位を狙ったナイフ攻撃はしてこない。
そもそも俺には、襲撃を喰らう理由に身に覚えがない。
学校側にだって、A-RISE専属に仕えていたあのボディーガードから話は通っているはずだ。
例え俺が侵入者の悪者だとしても、このように襲われるのはさすがに異常だ。
「ッ――!」
思考を巡らしている最中に、金髪メイドが動いた。
ジャンビーヤを逆手に構え、直進に俺の元へと突っ込んでくる。
「クソッたれ――」
舌打ちが出た後、俺もナイフケーキを構える。
悪いがこちらも防衛機能を働かせなければ、取り返しのつかないことになってしまう。
「っ――!」
金髪メイドが短く強く息を吐いたと同時、真横平行に突き出されたジャンビーヤの先端が、俺の心臓めがけて突かれる。
ケーキナイフでジャンビーヤを弾き、受け流すように剣先の軌道をずらす。
悪いが、ひとまずここは眠っててもらおう。
そう思い、俺は金髪メイドの首筋に狙いをつけながら手刀の構えを――。
「なッ――!?」
ジャンビーヤの剣先を横に受け流された金髪メイドは直後、身体を一回転させ、振り上げた左脚の膝で俺の脇腹を抉るように蹴り上げた。
そのスピードや威力は、やはり素人ではない。
「ッッ――!?!? ゴボッ……、ガ……ッッッ」
とんでもない激痛。
息ができなくなる。
口から唾液が飛んだ。
「……ッッ、――ガ、ハ……ッ」
両の膝を床につく。
ケーキナイフは手から滑り落ち、右の脇腹を押さえながら、俺は横倒れの状態に転がった。
痛い。
苦しい。
泣きたくなってきた。
そんな感情を、下唇を思いきり上下の歯で噛み、堪え、押し黙らせる。
しかし。
相手に手加減してやる慈悲などはないようだ。
金髪メイドの履く赤いハイヒールが、倒れ込んだ俺の顔近くまできている。
眼球を動かし、見上げると、薄闇の中でも閃光を走らせる程まで磨かれたジャンビーヤを振り上げ、悪魔のように見下ろしている彼女がいる。
「……お、おい……マジ、か……」
冗談だろ。
思わず笑い飛ばしてやりたくなる。
こんな所で、死ぬ――?
俺が、こんな中途半端な所で――?
不幸な事故に巻き込まれたり、関係のない流れ弾を食らってしまって息絶える人間には、可愛そうだなと少しは思ってやれるし同情だってしてやれる。
だが、何かの悪事をしでかし、その報いを受けて死へと誘われる人間が、本当のクズだと思っていた。
特に。
銀行強盗までやらかした挙げ句、俺の肉親に暴力を振るったあの男は、その報いを受けて、俺に銃殺された――ッ!
マジで、あの男は正真正銘のカス――この世で生き残っている価値なんかない、最低最悪のゴミ野郎だと思っている――ッ!
俺は、どうした。
不幸な事故に巻き込まれているのか。
関係のない流れ弾に遭遇しているのか。
何かの罪により、その天罰や報復、復讐の標的にされたのか。
訳も分からないまま。
どうして自分なのかも定かにされないまま。
死ぬ――?
「――ね……」
金髪メイドの口が、小さく動いた。
「死ね――」
それは、地獄への歓迎の言葉。
湾曲した白銀のナイフが、標的の俺へと振り下ろされ――。
直後。
銃声が轟いた。
同時に。
金属音が響き渡った。
「…………あ?」
まだ、現状が見えない。
瞑ることすら許されなかった俺の瞳は視線がずれ、俺が先程に歩いて来た廊下の道へと向けられる。
……あいつだ。
あの色黒で坊主頭の、ボディーガード……。
金髪メイドはいつの間にか直立に立ち上がっていて、額の前に翳すように、ジャンビーヤを構えている。
何かが床を転がる音に視線を動かすと、拳銃から発射されたであろう黄金の銃弾が、真ん中から綺麗に切断された状態で目に入った。
あぁ……。
非現実的で、今時のアクション映画でもなかなか見れないようなシーンがあったのだと、俺は悟る。
つまり、坊主頭のボディーガードが撃った弾丸を、金髪メイドがそのナイフで真っ二つに切り裂いたんだ。
「――無事か夜伽ノ美雪!!」
図太い声で、俺を気にかける男の声が聞こえる。
だんだんと、目の前が暗くなってきた。
「……よとぎの、みゆき……?」
確認するような、驚くような。
そんな女の声が耳に届いたのを最後に、俺の意識は闇に落ちた。
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音ノ木坂学院から、徒歩で一五分のところ。
そこに、西木野真姫が普段から寝食をとっている、大きな実家があった。
入り口の門から家全体の外装や内装までが全て西洋風に統一され、裏の広庭には大きなプールもついている。
実は数年前まで犬を飼っていたのだが、その愛しのペットが寿命を迎えてもまだ捨てられずにいる、思い出の遺産となった大きな犬小屋があった。
今は自宅に、西木野真姫の姿はない。
今頃は学校にいて、夜伽ノ美雪が自宅謹慎処分となったことを、メンバー全員に報告し終えた頃だろうか。
西木野真姫の母親は、広い台所で洗い物をしていた。
今日は客人の姿も見えていたので、昼食に用意したメニューに少し工夫を加え、食器も大きなものにしたので、いつもとは違う手順の洗い方だ。
少し前から、娘の真姫が楽しそうだ。
不器用な娘が学校に馴染めるか懸念していた母親だったが、それも杞憂だと分かった今では、どうも気分が良い。
母親としては、娘の楽しそうな笑顔を見れるのが一番の幸せだろう。
それだけで、仕事で日頃から溜まる疲れなど一気に吹き飛んでしまう。
鼻歌交じりで上機嫌に洗い物をする母親の姿は、少し可愛らしくも見えるか。
しかし、今回のメインは西木野真姫の母親ではない。
「お前がこの時間帯に家にいるのは珍しいことだからなぁ、ちとお邪魔させてもらったのよ」
「連絡の一つも入れず、人の妻と楽しそうに談話していた癖に、よく言うな」
西木野家の、一階の隅の部屋。
扉を開けると、そこだけ贔屓するように間取りが特に広々と取られた部屋がある。
そこには、西木野真姫の父親の姿。
そこは、西木野医師の書斎であった。
立派な部屋だ。
壁一面の大きな窓に、趣味が窺えるお洒落な銅像や地球儀、古代の文明を発展させたような年代物などが様々と揃っている。
しかしあまり整理のされていない、医学の本やらプリントアウトされた大きな用紙が散らかる部屋の中央に置かれたソファに、西木野医師は座っていた。
また。
テーブルを挟み、反対側のソファで脱力しきった様子で身を沈めている男の姿もある。
これが今日、西木野家に訪問してきた客人だ。
「相変わらず、頭脳は一流でも整理整頓だけはできてねぇよなぁ、西木野」
男は笑いながら言う。
相手からすると、どうも不愉快な印象を持ってしまう、いやらしく歪んだ笑みだ。
「そういう貴様も、人様の家にお邪魔しておきながら、それ相応のマナーというやつを心得ていないようだな、柊」
西木野医師は、眼鏡越しに厳格な眼差しを持って相手に言う。
同期で友人の――柊弁護士に。
「西木野ぉ。昔からお前の性格は知っているけどよぉ、そんなんだから学生時代に寄り付いてくるはずだった女の子達からも、敬遠されてたんだぜ?」
「私には今の妻がいれば十分だ。貴様も、法の番人にはあるまじきその態度を改めようとしないから、碌に奥さんから相手にされないのではないか」
「言うなよ。女房からのイメージは最悪だが、これでも息子からは慕われてるんだぜ? 蒼太郎の奴、将来は俺のような『立派な弁護士』を目指すんだとよ。いやぁ、本当によく育ってくれた一人息子だぜ」
「……うちの娘だって、将来は立派な医者になってくれる。私の病院の跡継ぎだからな」
「真姫ちゃんか。そういや一時期は、うちの蒼太郎と真姫ちゃんを結婚させようか、なんて話もあったよなぁ」
思い出すようにして言う柊弁護士は、右手で顎の髭をなぞりながら、クツクツとまた笑う。
その態度に、西木野医師はどうも嫌そうな表情を浮かべ、大きな咳払いをする。
「いつの話をしているんだ。その話は、まだ真姫が生まれてきたばかりの頃にした戯言だろ」
「俺だって当時は冗談のつもりで言ったさ。するとお前が、娘が生まれてきてテンションが上がってたのか知らんが、妙な態度で賛成してたぜ?」
「…………」
図星か。
痛い所をつかれ、西木野医師はバツの悪そうな顔をする。
「まぁ、うちの蒼太郎にはすでに、心に決めた相手がいるらしいけどよ」
「そういえば、前に話していたな」
「あぁ。そういや、相手の子って――」
そこまで言うと、柊弁護士が言葉を途切れさせる。
西木野医師は、怪訝に眉を寄せた。
「……あぁ~」
ボサボサの、長く豊富な毛髪に手を埋め、頭皮をボリボリと掻きながら、柊弁護士はまた口を開いた。
「昨日の話だけどよぉ」
やけに落ち着いた声色だった。
「一人の音ノ木坂学院の生徒を『助けて』きてな」
「……ほう、何年生だ」
「怖い顔すんなよ。三年生だ。真姫ちゃんと二つも離れてる」
そう言って、柊弁護士はわずかに視線を泳がした。
(まぁ、その問題児ちゃんと真姫ちゃんが同じ部活に所属している、なんて言わねぇけどな)
また、柊弁護士は言う。
「とある暴力事件を起こしてな。本来なら停学処分かサツのお世話。受験にも響いてくる可能性もあったんだが……」
その時点で。
西木野医師は違和感を感じた。
(暴力事件? 音ノ木坂は女子校だ。……やはり女子の中でも、そういった問題を引き起こす奴はいるのか)
聞く側と話す側のコミュニケーションは続く。
「どうもその子が、蒼太郎が思いを寄せている女の子だったみてぇでよ? 可愛い息子の頼みだから、何とかその子に下る罰ってのを、わざわざ俺が出向いて軽減させてやったって訳よ」
「……放っておくがな、私なら。そういった問題児は、自分のしでかした罪と向き合わなければ反省もしないし、同じ過ちを繰り返す」
「言ったろ、可愛い息子のためなんだ」
ニヤリと。
さらに深く濃い笑みを、柊弁護士はその顔に刻む。
「その問題児ちゃんの名前――夜伽ノ美雪っていうんだ」
それを聞いた途端。
その名前を聞かされた途端。
西木野医師の顔色が変わった。
姿勢は元のまま、眉一つピクリとも動かさず、石像のように固まった。
「……痛いミスだったよな」
自分から振ってきた癖に、どこか神妙な様子で言う柊弁護士。
「痛むか、左の頬が」
その問い掛けに、西木野医師は無意識のまま、自分の手が左頬に当てられていたことに気づく。
「いや……」
手を戻し、西木野医師はやや、顔を俯かせる。
しかし、すぐに目線を上げた。
「もう、とっくに受け入れている。自らの過ちで十字架を背負ってしまった私は、あれ以来、二度と失敗はしない覚悟で、今までを生きてきたつもりだ」
重たそうに。
熱そうに。
真剣な表情と口調の西木野医師を、柊弁護士はどこか、つまらなそうに呆れた顔で見ていた。
それに、西木野医師は気づけない。
「話に聞くと、まだ夜伽ノ美雪は、西木野総合病院に近寄ることさえも、嫌ってるようだぜ」
柊弁護士の言葉に、西木野医師は深く頷く。
「それも、仕方がないだろう」
拳は、固く握られている。
「夜伽ノ美雪の母親を殺めてしまったのは、紛れもない、この私自身なのだからな」
肉親の仇に好き好んで近寄ろうとする人間など、いないだろう?
今になって、センターを申し込んでおけばよかったと後悔。
学年末試験が免除されない……。
このままじゃ、大学は受かったのに卒業試験で欠点を取って留年、なんてことに――。
くそ!
愚痴られずにはいられない!!
酒! 飲まずにはいられない!!(←未成年)
次話もよろしくお願いせずにはいられない!!(崩壊)