熱中すれば長続きしても、興味を失ったものに関してはとことん飽きるのが光速なほどの西海。
受験が終わったからと手を出したギターをさっそく放り投げました。
「明日ね」
メロディのある夜風の中から独立して聞こえたその声に、ベンチに腰掛けようとしていた私は、素早く振り向いた。
「……心臓に悪いわ、ネフティス」
「ふふっ、ごめんなさい」
咎めると、彼女はこちらを挑発するようにニヤリと、口元を生意気に歪める。
この地域で一番に大きい公園。
遠くに見える敷地の囲いの木々や、数多い遊具。
生い茂る人工の芝生を縫っているコンクリの路面。
中央にある背の高い噴水。
それを囲むベンチ。
私――夕霧靜霞が振り向いて見た先には、ベンチの背もたれの上底に、ワンピース越しに細く引き締まった腰回りから突き出る大きなお尻を乗せ、私に背を向けて座っている少女の姿。
全体的に黒い。
服装はこないだと変わってないみたい。
「いつの間にそこにいたの?」
「あなたが来るほんの前からよ」
「嘘よ。私がここに歩いて来た時、あなたの姿はなかったわ」
「そう。なら、私は来ていなかったのではないかしら?」
どうも意味不明なことを言ってくれる。
そんな彼女の奇妙な発言なんて、慣れた訳でもないけれど、別に今に始まったことじゃない。
「――明日よ、夕霧さん」
薄い黒の生地越しに短く割れ目の見られるお尻を背もたれから離して、ネフティスは地に足を着けながら言う。
「そうね」
私も頷いた。
「ほんと――今からでも緊張するわ」
ほんの数日前に決めたこと。
時間がなかったから、心の準備をする間もなく作戦内容を決定しちゃった訳だけど。
「夜伽ノさんを、夏祭りに誘う……」
ふと、呟いていた。
口に出してみると、改めてその目標に掲げられている難易度に、心臓の鼓動が早くなる。
夜伽ノさんがお祭りごとに興味を示さない人だったら――。
人混みが怠いとかいう理由でお誘いを門前払いにされたら――。
そもそもあまり仲も近くない私にいきなり誘われて、変な奴だと思われたら――。
堂々巡りが続いて溜息が出る。
夜伽ノ美雪という人間が、赤の他人の勝手な都合に付き合ってくれる可能性なんて――私如きのお誘いに首を縦に振ってくれる見込みなんて、ないに等しそう。
「もし断られたら、その後のフォローはどうするのよ?」
スカートのお尻部分を手で直しながら、私はベンチに座る。
「そんなこと、考えなくていいのよ。失敗しないって、絶対の自信を持って戦いには挑みなさい」
「失敗しない可能性がもう万が一よ。二人して気まずくなっちゃうじゃない」
「なら、その場で泣き喚けばいいんじゃないかしら」
声の向きで、背後のネフティスが私の方に身体を向けたのが分かった。
私は呆れるように、身体を背もたれに寄り掛からせ、脱力するように深く座る。
「それこそ夜伽ノさん、ドン引きよ」
「引かれるのも一つの手、なのではないかしら? あなたの泣き顔はきっと彼女の中に印象として残るでしょうし、もしかすると……見兼ねて同情した彼女は、お祭りに付き合ってくれるかもしれないわ」
「…………無茶苦茶よ」
一瞬、いっそ断られるならその強行作戦でも……と考えたことは話さない。
「最後の打ち上げ花火は見逃せないわね」
ボソッ、と。
私は呟く。
友達とも遊びに行かない。
ましてや恋人と何かしらの行事に参加したこともない私でも、そんな少女漫画的思想で連想される、恋愛物語の光景は容易に頭に浮かべられる。
「確かに……ベタよね」
「私は、ベタでも良いと思うの」
頭上の後方から聞こえる声に、私は答える。
「浅知恵の私と同じで、夜伽ノさんもこういうのには、きっと疎いだろうから」
「あら、分かるのかしら?」
「夜伽ノさんも、きっと同じよ。友達と遊びに行くとか、ましてや恋人とデートするとか――そんな経験はきっと慣れていないわ」
彼女を見て。
その性格と付き合って、それはなんとなく察することができる。
それに、思い返してみれば。
クォーターの癖に、金髪碧眼という劣性遺伝子を受け継いでいる絢瀬絵里。
肌も繊細できめ細かく、綺麗な水色の瞳と黄金に輝く髪を持った、ロシア人まんまの美しい外見を持つ彼女のことは、嫌でもその評判が耳に入ってくる。
美人だ、とか。
綺麗だ、とか。
憧れる、とか――。
なのに。
長く閃光を走らせるかのように、神秘的な程までに眩いばかりの煌めきを放つシルバーヘアーに、相手を威圧してしまうぐらいに強く、濃く、鋭く尖った深紅の瞳を兼ね揃える、夜伽ノ美雪。
それ程のレベルの高いイケメン彼女の話題なんて――学校じゃ全く聞かない。
人がその話題を口にしないのは、特定された人物の耳に届くことを恐れるため。
きっと、夜伽ノさんは音ノ木坂の全員から、恐怖の対象として見られているのかもしれない。
きっと、彼女は友達が少ない――あるいは、いない。
それは嬉しいことに、私と同類。
そう考えてみると、彼女に対してどこか親近感が――一歩近づけたかのような、そんな気分になれる。
「口元がニヤけているわよ、夕霧さん」
「はっ……」
そう指摘され、私は意識を自分の口元に移し、すぐにそれを直す。
……ん?
今、ネフティスは私の後ろに立っている。
どうして、私の口元が見えたんだろう……?
と、そう考えていると――。
「ねぇ、夕霧さん」
誘惑の利いた甘い声と同時、背後から白い手が二つ、伸びてくるのが分かった。
その腕が一秒とも立たないうちに私の身体を絡め取り、うなじ部分には豊満で柔媚な二つの胸が押し当てられる感触があった。
「なっ――」
身体を暖かく、包み込まれる。
ネフティスに、背後から抱擁された。
「ね、ネフティス!?」
全体的に暖かい。
上半身の一部分を抱き締められているだけなのに、身体の全員が熱を持ち始めた。
「ネフティス!? い、いきなりどうし――」
思わず言葉を失った。
息を呑む程の光景が目に映った。
私の顔の真横。
きっと一五センチとも開いていない近さ。
あるのは、ネフティスの顔。
妖しい微笑みで私を見ている。
肩やら耳やらにかかりながら、艶の輝きに、甘々しい匂いが蜜のように濃く漂ってくる黒髪には、思わず顔を寄せて、子犬のようにクンクンと嗅いでしまいたい衝動にかけられる。
真っ白な腕。
それにさえも、我を忘れてかぶりつき、舐め回したいと思える程に愛おしく感じた。
世界が止まる。
現状に、ただ固まった。
「覚悟は、できているのかしら?」
「んっ――」
それは耳元で呟かれ、生温い吐息がかかり、それに私の身体が反応する。
同時に。
思考も再開させる。
「か、覚悟……?」
「えぇ……」
言葉の意味が分からなかった。
いや、普段のように冷静な私でいられたら、きっとその問題の真意の何かしらに勘付いたかもしれない。
ネフティスに密着されて、身体が熱い。
興奮するように高体温を帯びた私は、素早く機転の利いた脳の回転を働かせることができずにいた。
「わ、分からないわ……」
それは質問の意味。
同時に彼女の行動。
抱擁の内容なんて、愛情表現や心遣い、恋情や守りたい気持ちからくるもの。
ネフティスは、どれを持って――?
いや、そもそも内容は持っている――?
混乱する私の頭の中はもうぐちゃぐちゃ。
夜の公園。
人気はない。
背後から絶世の美女に抱き付かれている。
隣にはこの世ならざる程の神がかった美麗な容姿。
桃色が滑るふっくらとした唇を見て顔を赤くしてしまうのが分かるけど、どうしても視線は外せずにいる。
そして。
ネフティスは直接、耳の穴の中に向かって喋るように、その唇を私に近づけさせ――。
「同性愛の道を進む覚悟、よ――」
その内容は、私の内側から外側の隅々まで一気に冷やし……。
また一層、私の心臓の鼓動を激しくさせた。
遠足はお家に帰るまでが遠足です。
なら、遠足の始まりはどこからだろう――?
この問いには驚くべき事に、ニ〇〇通り以上の真剣解答が寄せられた。
遠足はお家に帰るまでが遠足です。
ならば、遠足の始まり――――それは、人がこの世に生を授けられたその瞬間から、始まっているのです。